田畑 昇悟(たはた しょうご、1985年3月30日 - )は… 田畑 昇悟(たはた しょうご、1985年3月30日 - )は、日本の活動家。 兵庫県丹波市山南町出身。2003年(平成15年)、兵庫県立柏原高等学校を卒業後、京都学園大学人間文化学部に進学し、学生自治会代表を務める。休学中、インド一周、イベント会社・共創社を設立。卒業後、株式会社亀岡市民新聞社の記者として6年間勤める。退職後、ガーナで農園作りのNGO活動に参加。帰国後、2014年(平成26年)に特定非営利活動法人テダスに就職し、事務局長としてNPOの支援活動を行っている。2015年(平成27年)に移住者向け地域情報『集落の教科書』をプロデュースし、それ以降、集落の教科書及びそれに類似した取り組みが全国に広がっている。
木原 功仁哉(きはら くにや、1984年〈昭和59年〉3月1… 木原 功仁哉(きはら くにや、1984年〈昭和59年〉3月16日 - )は、日本の弁護士、政治活動家、反ワクチン訴訟弁護団主任弁護士、「祖国再生同盟」代表。ワクチン接種中止などを求めて国に「反ワクチン訴訟」を起こし、反ワクチン団体「神真都Q」や、マスク不着用の町議が行う「反マスク訴訟」で弁護人を務める。 兵庫県神戸市出身、滝川中学校・高等学校を経て京都大学工学部卒業。2013年、大阪市立大学法科大学院を修了し司法試験に合格。2014年、東京弁護士会に加入し弁護士登録。 2021年に兵庫1区から衆院選に出馬して落選した。選挙では、「マスクの着用は不要」「ワクチンは人口の削減が目的」「ウクライナは日本にとって敵性国家」「日本が受け入れているウクライナ難民は、本当に難民かわからない」「日本国憲法は無効で、大日本帝国憲法が現在も有効」「食料品等の物価高はユダヤ系の国際金融資本のせい」などと主張した。
森下 雄一郎(もりしたゆういちろう、1977年6月20日)は… 森下 雄一郎(もりしたゆういちろう、1977年6月20日)は、日本の社会活動家である。「SENDto2050 PROJECT(せんどとぅーにせんごじゅうぷろじぇくと)」の創設者であり、日本の地方創生活動「地方崛起(ちほうくっき)」の発起人。元海外プロバスケットボール選手。
三木谷 浩史(みきたに ひろし、1965年〈昭和40年〉3月… 三木谷 浩史(みきたに ひろし、1965年〈昭和40年〉3月11日 - )は、日本の実業家、慈善活動家。楽天グループの創業者であり、代表取締役会長兼社長。兵庫県明石市出身。親族に著名人が多くいる裕福な家系に生まれ、後に楽天を創設した。 新経済連盟代表理事、プロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルス会長兼球団オーナー、Jリーグ・ヴィッセル神戸会長、日本プロ野球オーナー会議議長、東京フィルハーモニー交響楽団理事長、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問等も務める。 一橋大学商学部卒業。ハーバード大学経営大学院修了。 一橋大では金融論が専門の花輪俊哉教授のゼミナールに所属した。卒業論文は「企業の資金調達と資本の最適構成」。
四代目 金岡 又右衛門(4だいめ かなおか またえもん、本名… 四代目 金岡 又右衛門(4だいめ かなおか またえもん、本名:金岡信康(かなおか のぶやす)、1964年4月6日 - )は、日本の植物活動家、ボタニカルプロデューサー、園芸家。 兵庫県宝塚市生まれ。 雑誌・WEBメディア
きいちろ(本名:加古 貴一郎(かこ きいちろう、1963年8… きいちろ(本名:加古 貴一郎(かこ きいちろう、1963年8月18日 - 2025年1月26日)は、日本の政治活動家、元国交官僚。 1963年兵庫県姫路市生まれ。 1982年兵庫県立姫路西高等学校卒業。1986年京都大学工学部建築学科卒業。同年4月建設省(当時)入省。 S&Lミュージック名誉顧問・企画立案スーパーバイザー。ひめじ観光大使を務めた。 2023年6月、国交省を退職。7月5日、日本維新の会が次期衆院選兵庫9区に加古を擁立すると発表。 2024年10月27日投開票の第50回衆議院議員総選挙の結果、小選挙区では得票率13.1%での3位に留まり、比例でも復活ならず落選した。11月3日、自身のX(旧twitter)で日本維新の会を離党したことを公表。
浜野 喜史(はまの よしふみ、濱野 喜史、1960年(昭和3… 浜野 喜史(はまの よしふみ、濱野 喜史、1960年(昭和35年)12月21日 ‐ )は、日本の政治家、労働運動家。国民民主党所属の参議院議員(3期)。同党総務会長(初代)。 参議院経済産業委員長、国民民主党副代表、同党選挙対策委員長(第4代)を歴任。 兵庫県高砂市出身。兵庫県立加古川東高等学校を卒業。1983年(昭和58年)、神戸大学経済学部を卒業し、関西電力に入社。組合専従となり、1997年(平成9年)関西電力労働組合本部書記長、2005年(平成17年)全国電力関連産業労働組合総連合(電力総連)会長代理を務めた。 2013年の第23回参議院議員通常選挙に民主党公認で比例区より立候補した。電力総連は長年に渡り民主党から組織内候補を当選させて来たが(浜野は引退する藤原正司の後継)、2011年に福島第一原子力発電所事故が発生すると、民主党は政策を原発推進から将来(2030年)の撤廃へと方向転換した。
高橋 史朗(たかはし しろう、1950年 - )は、日本の政… 高橋 史朗(たかはし しろう、1950年 - )は、日本の政治活動家、教育学者。一般財団法人親学推進協会理事長、モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授。 日本会議政策委員、新しい歴史教科書をつくる会副会長、明星大学教授・同大学院教育学専攻主任、麗澤大学道徳科学教育センター客員教授などを歴任。専攻は占領下の日本教育史。その他にも「感性教育」、臨床教育学、ホリスティック教育学、「親学」などを研究している。 兵庫県龍野市(現・たつの市)出身。旧姓は土橋。兵庫県立龍野高等学校を経て1973年3月、早稲田大学第一文学部人文専修卒業。早稲田大学在学中、生長の家学生会全国総連合(生学連)委員長を務め、生学連のOB組織である「日本青年協議会」に参加。
吉永 元信(よしなが もとのぶ、1948年〈昭和23年〉 -… 吉永 元信(よしなが もとのぶ、1948年〈昭和23年〉 - )は、日本の図書館員、教育者。第17代国立国会図書館長。 兵庫県芦屋市出身。中学校の同窓に村上春樹がおり、高校生の頃は受験勉強のために毎日図書館へ通った。 大学進学後は政治学を専攻したものの、学生運動が盛んだったため講義があまり開かれなかった。その経験から落ち着いた人生を送りたいと考える様になり、研究をしたいという願望と国立国会図書館に勤務する大学の先輩から国会図書館で調査研究が出来ると聞いて興味を持ったことから、1971年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、その2年後の1973年に国立国会図書館へ入館した。 入館後、総務部長、副館長などを歴任。
滝崎 武光(たきざき たけみつ、1945年6月10日 - )… 滝崎 武光(たきざき たけみつ、1945年6月10日 - )は、日本の実業家・慈善家。キーエンス創業者。キーエンス取締役名誉会長。キーエンス財団代表理事。兵庫県芦屋市出身。兵庫県立尼崎工業高校を卒業後、外資系のプラント制御機器メーカーに勤めた後、1度目の起業にチャレンジしたが倒産の憂き目に遭う。2度目の起業も、1回目と同様に失敗。3度目に設立した現キーエンスを日本トップクラスのメーカーにまで育て上げた。
藤本 敏夫 (ふじもと としお、1944年(昭和19年)1月… 藤本 敏夫 (ふじもと としお、1944年(昭和19年)1月23日 - 2002年(平成14年)7月31日)は、日本の学生運動指導者、政治活動家。有機農法実践家、大地を守る会初代会長、兵庫県立鳴尾高等学校卒業、同志社大学文学部新聞学科中退。 鴨川自然王国設立者。妻は歌手の加藤登紀子。娘は歌手のYae。 大地を守る会(オイシックス・ラ・大地の前身の一つ)の活動を通じて、三里塚闘争を行っている農家が結成した「三里塚農法の会」から有機農法の農産物を買い付けていた。大地を守る会が会社化した後は、活動内容が変質したことから、反対派と疎遠になった。
梅林 宏道(うめばやし ひろみち、1937年9月1日 - )… 梅林 宏道(うめばやし ひろみち、1937年9月1日 - )は、平和運動家。NPO法人ピースデポ代表。工学博士。兵庫県洲本市出身。 ほか、核軍縮議員ネットワーク(PNND)東アジア・コーディネーターなどを務める。
東郷 健(とうごう けん、1932年〈昭和7年〉6月10日 … 東郷 健(とうごう けん、1932年〈昭和7年〉6月10日 - 2012年〈平成24年〉4月1日)は、日本の社会運動家・政治活動家。雑民の会・雑民党代表。本名同じであるが、読みは「とうごう たけし」。 兵庫県加古川市生まれ。「伝説のおかま」と紹介されることがある。同性愛者ではあるものの、自らの結婚歴や子供の存在を否定していない(下に詳述)。 祖父の名倉次は衆議院議員(立憲改進党)、父の東郷伍郎は兵庫県議会議員であったが、健は地元と絶縁状態だったため、いわゆる世襲候補扱いはされていない。 後妻の子。異母兄は「継母いじめ」を行い、父の死後は家長として健の母を召使いのようにこき使ったという。実母の没後、異母兄は健の行状を理由に、健の遺産相続権を奪う訴訟を起こし、異母兄側が勝訴した。
山路 ふみ子(やまじ ふみこ、1912年〈明治45年〉3月1… 山路 ふみ子(やまじ ふみこ、1912年〈明治45年〉3月13日 - 2004年〈平成16年〉12月6日)は、日本の女優・実業家・社会事業家・慈善家。兵庫県神戸市長田区出身。本名・大久保 ふみ子(おおくぼ ふみこ)。映画人の育成、功績のあった人の賞賛、教育・文化・福祉事業への支援活動に、私財を投げ打った。 1912年、兵庫県神戸市に生まれる。1930年、森高等女学校(現・神戸学院大学附属高等学校)在学中に神戸新聞社主催のミス神戸に選出され、同年、大阪松竹楽劇部(現・OSK日本歌劇団)を経て、帝国キネマ演芸株式会社に新人幹部候補生として入社し、『時代の反抗児』で映画デビューを飾る。たちまち看板スターとして脚光を浴び、雑誌や広告にもモデルとして登場するが、演技への評価はあまり高くなかった。
志田 重男(しだ しげお、1911年<明治44年>11月21… 志田 重男(しだ しげお、1911年<明治44年>11月21日 - 1971年<昭和46年>7月3日)は、日本の労働運動家、社会主義活動家。日本共産党幹部を務めたが、除名された。 兵庫県津名郡浅野村(現・淡路市)生まれ。小学校を卒業後、1923年堺市で旋盤工となり、労働運動に入る。1932年日本労働組合全国協議会(全協)中央常任委員。1931年、日本共産党に入党し、1933年に検挙、投獄される。 第二次世界大戦後、政治犯釈放で出獄。党本部に入り、中央委員・政治局員・書記局員となり、1947年4月の第23回衆議院議員総選挙で大阪5区から、第1回大阪府知事選挙に共産党公認で立候補したがいずれも落選した。
赤松 啓介(あかまつ けいすけ、1909年3月4日 - 20… 赤松 啓介(あかまつ けいすけ、1909年3月4日 - 2000年3月26日)は、日本の在野の民俗学者、郷土史家、社会運動家。本名は栗山一夫。 兵庫県加西郡下里村(現加西市)出身。昭和初期に10代から独学で、行商をしながら都市とムラを行き来し民俗学的調査に取り組む。戦前非合法であった日本共産党に入党し、治安維持法違反で検挙され収監された経験を持つ。 戦後は神戸市史編集委員、神戸市埋蔵文化財調査嘱託などを務めた。 柳田國男などが性とやくざと天皇の民俗学を話題にしない事に反発し、階級闘争史観の視座とフィールドワークを中心とした研究手法で「非常民」の民俗学を研究発表した。関西を中心に活動し、ムラを維持するための公事でありムラの性的規範として夜這いに注目し、庶民の性生活を調査研究、それを体系化したことで知られる。
八島 光(やしま みつ、英語: Yashima Mitsu … 八島 光(やしま みつ、英語: Yashima Mitsu 1908年10月11日 - 1988年12月7日)は、日本出身でアメリカ合衆国で活動した芸術家(画家)、活動家。夫(のち事実上離婚)は八島太郎。子女として信(マコ岩松)と八島桃(本名:岩松桃子)がいる。本名は笹子智江(八島太郎との結婚後は岩松姓)で、「新井光子」を名乗った時期もある。 1908年に母の実家のあった東京市赤坂で生まれる。8人きょうだい(上4人が女子、下4人が男子)の次女だった。父の笹子謹(ひとし)は千葉県出身で大阪高等工業学校卒業後、大阪鉄工所(現・日立造船)に就職し、光の出生当時は広島県因島にある備後船渠に勤務していた。
白井新平(しらい しんぺい、1907年8月18日 - 198… 白井新平(しらい しんぺい、1907年8月18日 - 1988年9月28日)は、日本のアナキスト、社会運動家、競馬評論家、実業家。 啓衆社の創業者であり、戦前から戦後初期にかけての日本競馬において多くの先駆的な試みを行った。筆名として山本三郎、アキ・ヤマモト(山本秋)などがある。競馬評論家の白井透、白井牧場創業者の白井民平は実子。元馬術競技選手の白井岳は孫。 京都府舞鶴市余部にて、精密機械の仕上工であった喜代太郎とその妻らいの一人息子として生を受ける。父喜代太郎の生家・小津家は油問屋を家業としていたが、新平の祖父の代には遊び好きの道楽者が祟って準禁治産認定を受けている。喜代太郎は幼少期に豊中市で造り酒屋を営んでいた白井家へ養子に出されたのだがこちらもすぐに破産してしまい、小津家に引き取られたのちに手に職をつけるべく技術者となった。
多田 留治(ただ とめじ、1907年7月8日 - 1991年… 多田 留治(ただ とめじ、1907年7月8日 - 1991年7月5日)は、昭和時代の社会運動家。日本共産党名誉幹部会委員。 兵庫県加古郡高砂町鍵町(現高砂市)生まれ。1922年高等小学校卒業後、三菱製紙高砂工場に就職。1924年10月同工場の労働組合高砂工友会の結成に参加、翌年のストライキでは指導者として活動。1928年高砂消費組合の結成に参加。同年5月組合同盟播州連合会の結成で常任執行委員。1929年10月日本共産党に入党。1930年1月日本共産青年同盟(共青)中央委員長・アジプロ部長となり上京、同年2月河原崎長十郎宅で検挙、懲役8年。1940年満期服役後、太平洋戦争勃発に伴う行政措置により、1943年再検挙。
福永 操(ふくなが みさお、1907年5月8日‐1991年1… 福永 操(ふくなが みさお、1907年5月8日‐1991年1月11日)は、日本の社会運動家、著述家。兵庫県出身。東京女子大学中退。旧姓は波多野、是枝。 1907年、大浦事件の裁判長を務めた波多野高吉と高等女学校教師はまの間に生まれた。1924年、北海道庁立札幌高等女学校(現北海道札幌北高等学校)を卒業し、東京女子大学英語専攻部に入学。在学中に社会科学研究会を結成し、女子学生運動を指導した。 1927年日本共産党に入党後、『無産者新聞』編集長だった是枝恭二と結婚。翌年、三・一五事件で検挙された。1934年2月、治安維持法再犯として起訴され、服役した。 戦後は1955年に日本共産党復党後、地域活動に従事する傍ら、思想研究や運動史研究を行った。
佐野 芳雄(さの よしお、1903年(明治36年)7月23日… 佐野 芳雄(さの よしお、1903年(明治36年)7月23日 - 1972年(昭和47年)9月27日)は、大正から昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員。旧名・好男。 兵庫県三原郡湊村(湊町、西淡町を経て現南あわじ市)で生まれる。1918年(大正7年)兵庫高等小学校を卒業した。 三菱神戸造船所に入り、1921年(大正10年)友愛会に加入。1923年(大正12年)神戸造船労働組合・機械労働組合が結成され書記長に就任し、同年、神戸一般労働組合長となった。日本大衆党などに加わり、1938年(昭和13年)共立精機工作所(船舶修理機械工場)を経営した。 終戦後、日本労働組合総同盟(総同盟)の結成に参画し、1946年(昭和21年)総同盟兵庫県連合会会長に就任した。
谷川 貞夫(たにがわ さだお、1900年4月20日 - 19… 谷川 貞夫(たにがわ さだお、1900年4月20日 - 1989年12月22日)は、日本の社会事業家。 神戸市生まれ。1930年東京帝国大学文学部哲学科中退。1962年まで愛隣団セツルメント指導員、1925-48年愛隣中学校校長、1937-61年吾嬬幼稚園園長、1933-47年愛隣小学校校長、1946-79年日本社会事業大学教授。1956-61年西南学院大学教授兼任、1967-78年常磐学園短期大学教授兼任。愛隣館セツルメント総主事、社会事業研究所長。1952-1973年社会福祉法人愛の友協会(千葉県長生郡)初代理事長として、障がい者福祉に尽力。
是川 銀蔵(これかわ ぎんぞう、 1897年(明治30年)7… 是川 銀蔵(これかわ ぎんぞう、 1897年(明治30年)7月28日 - 1992年(平成4年)9月12日)は、日本の事業家、投資家、相場師、慈善家。最後の相場師と呼ばれた。 現在の兵庫県赤穂市福浦で貧しい漁師の七人兄弟の末っ子、小山銀蔵として生まれる。小山の家は赤穂では有名な旧家であったが、明治維新で没落した。一家は3歳の時に神戸へ転居し、尋常小学校を卒業した後、14歳で貿易商の好本商会の丁稚となる。1914年に好本商会が倒産すると、ロンドンを目指し出国するが、中継地の中国の大連に着いたときに第一次世界大戦が勃発した。日本軍が山東半島の龍口に上陸したため、軍との商売を目指して龍口へ移った。軍が青島へ向かうと徒歩で追いかけた。
近藤 憲二(こんどう けんじ、1895年2月22日 - 19… 近藤 憲二(こんどう けんじ、1895年2月22日 - 1969年8月6日)は、大正・昭和期の無政府主義者。 1895年2月22日、兵庫県氷上郡前山村に生まれる。兵庫県立柏原中学を卒業後、上京して早大政経科に入学。在学中の1914年、大杉栄の論文集『生の闘争』に感動し、大久保に大杉を訪ね同志に加わる。バクーニン主義をとる。1916年、荒畑寒村と『労組』を、続いて『青服』(囚人服の意)を発行する。1919年、大杉の『労働運動』同人となる。1920年、「日本社会主義同盟」準備会発起人となる。1921年、第2回メーデーで警察隊と激突、市ヶ谷刑務所に下獄。1923年、大杉の計画する全国アナキスト同盟結成を手伝い関西・九州をオルグにまわる。
3代辰馬 悦蔵(たつうま えつぞう、前名・寛爾、1892年〈… 3代辰馬 悦蔵(たつうま えつぞう、前名・寛爾、1892年〈明治25年〉12月2日 - 1980年〈昭和55年〉8月17日)は、日本の酒造家・実業家・慈善家。兵庫県多額納税者。辰馬悦蔵商店社長。北辰馬家第三代当主。紺綬褒章を多数回受章。 兵庫県西宮市出身。先代辰馬悦蔵の長男。1917年、家督を相続し前名・寛爾を改め襲名した。1918年、京都帝国大学史学科卒業。 酒造業を営み、銘酒白鷹の醸造元として知られたが、1929年、酒造業の全般を株式会社辰馬悦蔵商店に移して自らその社長となり、経営に努めた。後これを退き、その取締役となった。1976年、辰馬考古資料館設立。 3代悦蔵は京都帝国大学に学び、家業の酒造のかたわら、考古学の研究と考古資料の収集に努めた。
小林 篤一(こばやし とくいち、1890年(明治23年)11… 小林 篤一(こばやし とくいち、1890年(明治23年)11月5日 - 1972年(昭和47年)11月23日)は、大正・昭和期の産業組合活動家、政治家。参議院議員(1期)。ホクレン農業協同組合連合会の創立者とされる。 兵庫県城崎郡、のちの日高町(現豊岡市)で生まれる。8歳で北海道に移住し、現在の岩見沢市峰延町で農業を営む。1914年(大正3年)峰延産業組合(現峰延農業協同組合)を設立し理事に就任し、組合長を30年務めた。1919年(大正8年)北海道信用購買販賣組合聯合會(北聯、現ホクレン農業協同組合連合会)を設立し理事に就任。1936年(昭和11年)北聯会長に就任。北海道食糧営団理事長、同農業会長、同青果物配給公社社長、北海道販売農協連会長、道購買農協連合会会長、道農協中央会会長、全販連理事、全購連理事などを歴任。
岩田 愛之助(いわた あいのすけ、1890年1月3日 - 1… 岩田 愛之助(いわた あいのすけ、1890年1月3日 - 1950年3月15日)は、日本の右翼活動家。兵庫県姫路市出身。 右翼団体・愛国社(1928年)、国体擁護連合会(1932年)等の創設者。 陸軍幼年学校を中退後、神戸の乾行義塾で中国語を学ぶ。1910年、中国に渡り、大陸浪人として武漢革命に参加する。しかし後になって川島浪速・佐々木安五郎と知り合い、清朝復辟運動に転じた。 1913年に帰国し、頭山満・内田良平・田中弘之(舎身)らに接近し、対支外交問題を論じる。同年9月に発生した外務省政務局長・阿部守太郎暗殺事件で自首し、1914年5月、殺人教唆の罪で無期懲役の判決を受ける。 1925年、恩赦を受け釈放され再び中国に渡ったが、1927年に帰国。
小林 卯三郎(こばやし うさぶろう、1887年(明治20年)… 小林 卯三郎(こばやし うさぶろう、1887年(明治20年)9月6日 ‐ 1981年(昭和56年)11月2日)は、日本の教育者、盲学校創設者、点字出版社編集者、社会事業家である。視覚障害当事者として視覚特別支援教育に尽力し、奈良県視覚障害者教育の始祖と称される。 1887年(明治20年)、兵庫県朝来郡生野町(現在の朝来市)の商家に生まれる。1891年(明治24年)前後、4歳あるいは5歳で失明。琴三絃を習う。1899年(明治32年)、12歳で叔母の勧めにより京都市立盲唖院入学。按摩・マッサージ技術、中等普通科科目を習得した。1907年(明治40年)3月、京都市立盲唖院を卒業し、同年4月から東京盲唖学校教員練習科入学。
小口 みち子(おぐち みちこ、1883年2月8日 - 196… 小口 みち子(おぐち みちこ、1883年2月8日 - 1962年7月27日)は、日本の美容家、婦人運動家、小説家。出生名は寺本みち子(てらもと みちこ)、号は美留藻(みるも)。兵庫県出身。 1883年(明治16年)2月8日、兵庫県加東郡社村(加東市)出身。教育者の寺本武・ぬいの長女。旧姓は寺本。号は美留藻(みるも)。小学校卒業後、独学で教員検定試験に合格し、郷里で2年間、神戸市立神戸小学校で3年間、上京後も2年間、小学校正教員の教職に就いた。 同じ時期、平民社の社会主義婦人講演会に出席し「生まれて初めてわが魂をゆさぶる内容」に感銘し、社会主義そのものよりも女性解放に魅せられて平民社に出入りする。
青木 まつ(あおき まつ、1877年〈明治10年〉1月10日… 青木 まつ(あおき まつ、1877年〈明治10年〉1月10日 - 1959年〈昭和34年〉1月23日)は、日本の社会事業家。兵庫県姫路出身。旧姓は吉川。バプテスト派の婦人宣教師タムソン夫人の片腕として、日本初の福祉的幼稚園である善隣幼稚園で、恵まれない子供たちの保育に尽力した。 1877年に兵庫県姫路で誕生、横浜の捜真女学校(現・捜真女学校中学部・高等学部)を卒業した。 1895年(明治28年)にタムソン夫人が神戸の葺合地区に、神戸の恵まれない子供たちのために、善隣幼稚園を設立した後、同幼稚園に勤めて、タムソンの片腕となり、その後の約40年間にわたって、保母として仕事を助けた。「善隣」名は「善い隣人として地域社会の改善を図る」との意味で、まつが発案した名前である。
富井 於菟(とみい おと、慶応2年6月7日〈1866年7月1… 富井 於菟(とみい おと、慶応2年6月7日〈1866年7月18日〉 - 明治18年〈1885年〉12月2日)は、日本の社会運動家、教師。婦人解放運動のさきがけとしてその名を知られる。別名に富井とら(虎子)。 播磨国龍野の醤油問屋の娘として生まれる。兄一人、姉三人、妹一人いる。幼い頃から学問が好きで、1878年に公立龍野中学校入学、1881年(明治14年)同校を卒業し、翌年小学高等科教員免許を受ける。京都にのぼり岸田俊子のもとで学ぶ、その後上京し、自由燈の校正係となり、その後絵入自由新聞の記者として奉職。日本で最初の女性新聞記者と呼ばれる。新聞記者従事中に、福田英子と知り合い、婦人解放運動を活動させる。
肥塚 龍(こいづか りゅう、嘉永元年1月10日(1848年2… 肥塚 龍(こいづか りゅう、嘉永元年1月10日(1848年2月14日) - 大正9年(1920年)12月3日)は、東京府知事、新聞記者の民権活動家。 自由民権運動に関し、大胆で新しい言論活動で注目を集めていた。 中島村(現・たつの市)の農家に生まれるが、武士たちが農民・町人を罵倒する現実に疑問を感じ、僧侶として身を立てるため14歳で網干にある大覚寺に入り、小坊主になり山空和尚の指導を受ける。後に京都に行き、賀茂神社の宮司の山本硯儒、高倉西念寺の諦導和尚に師事するが、明治維新の社会変動を目の当たりにする中で、東京に出ることを決意する。 東京曙新聞を経て横浜毎日新聞で急進的な民権論を訴え言論活動で注目を集めると、国会開設に伴い代議士を志す。