千代大豪 勇星(ちよだいごう ゆうせい、1998年2月28日… 千代大豪 勇星(ちよだいごう ゆうせい、1998年2月28日 - )は、兵庫県尼崎市出身で、九重部屋所属の現役大相撲力士。本名は錦城 勇星(きんじょう ゆうせい)。身長185.6cm、体重135.3kg、血液型はB型。最高位は西幕下34枚目(2020年11月場所)。 小学5年生で空手を始め、尼崎市立南武庫之荘中学校ではエメリヤーエンコ・ヒョードルに憧れて総合格闘技を始めた。 一刻も早くプロの格闘家となることを志すべく英真学園高校を1年で中退し、解体工として働きながら道場に通い練習に励む生活を続け、同時期に始めたアームレスリングでも頭角を表し、2015年の兵庫県大会(関西オープンジュニア)で優勝し、さらには初めて全国大会に出場した2016年5月のJAWA全日本ジュニア選手権大会でも準優勝の成績を挙げた。
貴景勝 貴信(たかけいしょう たかのぶ、1996年8月5日 … 貴景勝 貴信(たかけいしょう たかのぶ、1996年8月5日 - )は、兵庫県芦屋市出身の元大相撲力士。貴乃花部屋より2014年9月場所にて初土俵を踏み、2019年3月場所終了後に大関に昇進。 2024年9月場所をもって引退するまで幕内最高優勝4回などの成績を残した。引退後は年寄・湊川を襲名し、2026年1月に湊川部屋の師匠になった。 本名及び2016年11月場所までの四股名は佐藤 貴信(さとう たかのぶ)。また2017年1月場所から2023年3月場所までは貴景勝 光信(たかけいしょう みつのぶ)の四股名を名乗った。義親は元大関北天佑勝彦 芦屋市出身で、本名の「貴信」は当時現役の横綱だった貴乃花から1字を取ったものであり、そこに織田信長の「信」の字を加えてある。
貴景勝 光信(たかけいしょう みつのぶ、1996年8月5日 … 貴景勝 光信(たかけいしょう みつのぶ、1996年8月5日 - )は、兵庫県芦屋市出身で、貴乃花部屋所属の現役大相撲力士。本名は佐藤 貴信(さとう たかのぶ)。身長173cm、体重165kg、血液型はO型。得意手は突き、押し。最高位は西前頭7枚目(2017年5月場所)。好物は肉。趣味は寝ること。
極芯道 貴裕(ごくしんどう たかひろ、1996年6月6日 -… 極芯道 貴裕(ごくしんどう たかひろ、1996年6月6日 - )は、兵庫県尼崎市出身で錦戸部屋に所属した元大相撲力士。本名は福島 貴裕(ふくしま たかひろ)。身長181.5cm、体重159.8kg、血液型はB型。最高位は西十両13枚目(2018年11月場所)。好物は焼肉。 小学2年生の時、親の勧めでわんぱく相撲の予選大会に出場し、負けた悔しさが忘れられずに地域の関西奄美相撲連盟に通い始めた。週2回通っていた稽古は、道場に行く前にいつも腹痛がするほど厳しかった。佐藤貴信(後の大関・貴景勝)は同じ稽古場で胸を合わせた間柄である。尼崎市立園田東中学校に進学してからは報徳学園へ出稽古するようになり、稽古はさらに厳しくなった。
照強 翔輝(てるつよし しょうき、1995年〈平成7年〉1月… 照強 翔輝(てるつよし しょうき、1995年〈平成7年〉1月17日 - )は、兵庫県南あわじ市(出生地は洲本市)出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は福岡 翔輝(ふくおか しょうき)。身長169.0cm、体重107.0kg、血液型はO型。最高位は西前頭3枚目(2020年9月場所)。軽量を補うためにスピードを活かして左差しを浅く取って拝むようにしつこく攻める相撲が得意である。能天気で前向きな性格。「照強」という四股名は、「強くなって被災した地元を照らせるように」と師匠が命名した。取組前の塩撒きで大量の塩を撒くことでも知られる。 瀬戸内海に浮かぶ淡路島の出身。阪神・淡路大震災が発生した直後で余震も続く中、大震災発生15時間後に洲本市の兵庫県立淡路病院で生まれた。
栃乃若 導大(とちのわか みちひろ、1988年4月6日 - … 栃乃若 導大(とちのわか みちひろ、1988年4月6日 - )は、兵庫県尼崎市出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は李 大源(イ・デウォン)。愛称はリー。 在日韓国人の父親と韓国人の母親を持つ在日3世。国籍は韓国。身長196cm(最高197cm)、体重181kg。血液型はAB型。得意手は左四つ、寄り。最高位は西前頭筆頭(2012年3月場所)。 幼少期より体格に恵まれており、尼崎市立成徳小学校1年生の頃にドッジボールを行った際に投げたボールが同級生の顔面に直撃してしまったことで周りの同級生との体格差を痛感した担任教師がドッジボールで利き腕で投げることを禁じたという逸話を持っている。小学2年生の時に尼崎市のちびっこ相撲大会に出場し、これが生まれて初めての相撲大会出場となった。
妙義龍 泰成(みょうぎりゅう やすなり、1986年10月22… 妙義龍 泰成(みょうぎりゅう やすなり、1986年10月22日 - )は、兵庫県高砂市出身で境川部屋所属の元大相撲力士。本名は宮本 泰成(みやもと やすなり)。身長188.0cm、体重156.0kg、血液型はA型、最高位は東関脇(2012年9月場所 - 11月場所、2013年7月場所 - 9月場所、2014年9月場所)。現在は年寄・振分。好物はステーキ(特にリブ、サーロイン)、ジンギスカン鍋。趣味は釣り。Facebookを利用している。得意手は押し相撲だが、右を差して寄る相撲も見せている。いわゆる「花のロクイチ組」の1人。 自動車の板金塗装を営む家庭に生まれる。幼少期から元気な子供であり、他の子供が補助輪を付けて自転車に乗っているときに宮本は補助輪なしで自転車をこいでおり、この様子を見た両親は競輪選手にさせようと考えたという。
朝ノ霧 満(あさのきり みつる、1977年(昭和52年)1月… 朝ノ霧 満(あさのきり みつる、1977年(昭和52年)1月5日 - )は、兵庫県明石市出身で若松部屋に所属した元大相撲力士。本名は吉村 福満(よしむら ふくみつ)。最高位は東三段目56枚目(2000年5月場所)。身長179cm、体重105kg。得意手は左四つ、下手投げ。 明石市立朝霧中学校を卒業し1992年(平成4年)3月場所に元大関朝潮の若松部屋に入門(部屋の同期に幕下60枚目格付出の朝乃若と朝乃翔がいる)。 当初は比較的小柄な体格の上、すぐに体調を崩す、兄弟子とのコミュニケーションが取れないなどで、脱走は時間の問題と危惧された程だったが、熱心に稽古に勤しみ徐々に力を発揮し、1998年11月場所で三段目に昇進。
若光翔 大平(わかこうしょう たいへい、1975年3月4日 … 若光翔 大平(わかこうしょう たいへい、1975年3月4日 - )は、兵庫県西脇市出身で松ヶ根部屋に所属した元大相撲力士。本名は三浦 太平(みうら たいへい)。身長185cm、体重181kg。趣味は釣り。最高位は東前頭14枚目(2000年11月場所)、血液型はO型。 中学時代は野球部に所属していたが、知人の紹介で松ヶ根部屋に入門。1990年5月場所初土俵。幕下上位までは順調に番付を上げていったが膝を故障し、長らく幕下の土俵が続いた。1999年11月場所には東幕下筆頭まで番付を上げ、3勝3敗で迎えた7番相撲で舞の海を寄切り勝ち越しを決めた(この一番を最後に舞の海は引退)。翌2000年1月場所に十両に昇進。
千代の若 秀則(ちよのわか ひでのり、1972年〈昭和47年… 千代の若 秀則(ちよのわか ひでのり、1972年〈昭和47年〉3月8日 - )は、九重部屋に所属した元大相撲力士。本名は根岸 秀則(ねぎし ひでのり)。 兵庫県養父市出身。身長194cm、体重167kg。最高位は東十両9枚目(1996年11月場所)。得意手は左四つ、寄り、上手投げ、血液型はB型。 実家は青果店を営んでいた。小学生では水泳を習い、養父市立養父中学校では1年間だけ卓球部に所属した。親の知人から手紙で連絡を受けて訪ねて来た現役時代の横綱・千代の富士にスカウトされ、当初は入門の意志はあまりなかったが周囲が盛り上がったので入門を決意した。1987年5月場所、初土俵を踏む。三段目までは比較的順調に昇進したが、三段目・幕下で伸び悩み三段目、幕下でそれぞれ2年を過ごした。
武哲山 剛(むてつやま ごう、1971年3月27日 - 20… 武哲山 剛(むてつやま ごう、1971年3月27日 - 2013年7月20日)は、兵庫県尼崎市出身で武蔵川部屋所属の元大相撲力士。本名は、栗本剛(くりもと ごう)。身長173cm、体重144kg。血液型O型。得意手は突き、押し。最高位は西十両11枚目(1995年11月場所、1996年3月場所)。
皇司 信秀(おうつかさ のぶひで、1971年2月18日 - … 皇司 信秀(おうつかさ のぶひで、1971年2月18日 - )は、兵庫県三木市福井出身で入間川部屋に所属した元大相撲力士、現若藤親方。得意手は突き、押し、寄り、いなし、猫騙し。アマチュア相撲出身。最高位は西前頭4枚目(2001年7月場所)。身長175cm、体重152kg。趣味はビデオ鑑賞。本名は大内 信英(おおうち のぶひで)、血液型はA型。 兵庫県三木市福井出身の金属加工業の二男である。祖父と父が相撲好きだった影響で三木市立三樹小学校6年の時からの時から相撲好きで力士を志し、三木市立三木中学校で相撲を始め、相撲部(現在は廃部)に入部し、全国大会に出場した。市川高校相撲部では国民体育大会や全国高等学校相撲選手権大会で団体優勝に貢献し、日本大学相撲部では全日本相撲選手権大会で活躍した。
巌雄 謙治(がんゆう けんじ、1970年8月6日 - )は、… 巌雄 謙治(がんゆう けんじ、1970年8月6日 - )は、兵庫県姫路市出身で北の湖部屋に所属した元大相撲力士。 本名は平野 建司(ひらの けんじ、後に兼司)、李 建司。身長185cm、体重173kg。得意技は右四つ、寄り、叩き。最高位は西前頭筆頭(1997年9月場所)。現在は年寄、山響。 姫路市立朝日中学校時代はバスケットボールや砲丸投などに借り出されていたが、中学校3年から新日本製鐵広畑相撲教室に通い本格的に相撲を始めた。引退間もない北の湖親方に入門を勧められ、1986年3月場所で初土俵を踏む。ちなみに彼が北の湖部屋最初の入門力士(北の湖の一番弟子)である。 入門から2年半で幕下に昇進するなど早くから頭角を現すが、一時は怪我で序二段に下がるなど苦労した。
2代 木村 秋治郎(にだい きむら あきじろう、本名:中澤 … 2代 木村 秋治郎(にだい きむら あきじろう、本名:中澤 繁広(なかざわ しげひろ)、1970年7月5日 - )は大相撲の幕内格行司である。兵庫県加古川市出身。三保ヶ関部屋→春日野部屋所属。血液型はA型。 加古川市高砂市組合立宝殿中学校時代は柔道に打ち込み加古川市の大会で優勝した実績を持つ。中学校の先輩である清見潟親方(元幕内・大竜川)にスカウトされて中学卒業後に三保ヶ関部屋に入門。当初は力士志望だったが、身長が2センチ足りず新弟子検査に4度不合格の末、師匠である10代三保ヶ関(元大関増位山太志郎)の勧めで行司に転身した。 力士志望だっただけあって、あんこ型の体つきと、荒々しい掛け声が特徴。 2013年7月場所、幕内格行司に昇進。
大日ノ出 崇揚(おおひので たかあき、1970年1月19日 … 大日ノ出 崇揚(おおひので たかあき、1970年1月19日 - )は、兵庫県宍粟郡千種町(現:兵庫県宍粟市)出身で立浪部屋所属の元大相撲力士。本名は西田 崇晃(にしだ たかあき)。最高位は西前頭9枚目(1999年5月場所)。 1970年1月19日に兵庫県宍粟郡千種町(現:兵庫県宍粟市)で、税理士として勤務している家に長男として生まれる。西田家の親戚に阪神タイガースの二塁手がいたために、千種町立千種南小学校3年生の時にリトルリーグへ入団、投手兼4番打者として活躍し、千種町立千種中学校では硬式野球部に所属した。 これまで野球一筋で活躍していたことで相撲の経験は全く無かったが、中学3年生の時に中学校側が試し半分で宍粟郡の相撲大会に出場したところ、順調に勝ち進んで兵庫県大会へ出場、さらに近畿大会で活躍したことで市川高等学校から勧誘された。
剛堅 大二朗(ごうけん だいじろう、1964年6月26日 -… 剛堅 大二朗(ごうけん だいじろう、1964年6月26日 - )は、兵庫県伊丹市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は森田 耕平(もりた こうへい)、185cm、172kg。最高位は東十両5枚目。得意技は右四つ、寄り、血液型はB型。 1980年9月場所に初土俵。1989年11月場所新十両、以後十両と幕下を往復しながらも十両を7場所務める。1991年3月場所を最後に十両から遠ざかり、1995年1月場所限りで引退。
闘竜 賢二(とうりゅう けんじ、1958年12月19日 - … 闘竜 賢二(とうりゅう けんじ、1958年12月19日 - )は、兵庫県加古川市出身(出生地は東京都北区岩淵町)で、三保ヶ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は田中 賢二(たなか けんじ)。最高位は西関脇(1984年5月場所)。現役時代の体格は180cm・154kg。得意手は右四つ、突き・押し・寄り。 加古川市立川西小学校時代は東平津稲荷の相撲大会で4年生ながら上級生を次々に倒し注目された。加古川市高砂市組合立宝殿中学校に進むも、伝統のあった相撲部が廃部になっていたため柔道部に入り、3年次の兵庫県大会個人戦で準優勝、近畿大会出場を果たした。 中学卒業後、三保ヶ関部屋(当時、中学校の先輩である大竜川が所属していた)へ入門。
播竜山 孝晴(ばんりゅうやま たかはる、1951年5月4日 … 播竜山 孝晴(ばんりゅうやま たかはる、1951年5月4日 - )は、兵庫県龍野市(現・同県たつの市)神岡町出身で三保ヶ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は田口 孝晴(たぐち たかはる)。現役時代の体格は178cm、145kg。最高位は西小結(1978年11月場所)。得意手は右四つ、突き、押し、寄り、出し投げ。 引退後は年寄・待乳山として後進の指導に当たった。 龍野市立神岡中学校在学時より相撲を始め、創設されたばかりの同中学校の相撲部では、主力選手として活躍した。 三保ヶ関親方(元大関・初代 増位山)の熱心な勧誘を受けて中学在学中に三保ヶ関部屋へ入門し、1966年11月場所で初土俵を踏んだ。 当初の四股名は、故郷の川に因んだ「揖保川」。
大竜川 一男(だいりゅうがわ かずお、1946年1月21日 … 大竜川 一男(だいりゅうがわ かずお、1946年1月21日 - )は、兵庫県加古川市東神吉町出身で三保ヶ関部屋に所属した大相撲力士。本名は和田 一男(わだ かずお)。身長178cm、体重118kg。最高位は東前頭筆頭(1969年11月場所)。 加古川市立東神吉小学校在籍時から、相撲に親しんでいた。加古川市高砂市組合立宝殿中学校では相撲部に入り、3年次には兵庫県中学校相撲大会個人戦で優勝した。出身地が近い三保ヶ関親方(元大関・初代増位山)の熱心な勧誘を受け、中学校卒業直前に三保ヶ関部屋へ入門し、1961年1月場所にて、14歳で初土俵を踏んだ。 突っ張ってからの右四つに加え、土俵際の粘りや、突き落としや足技(時折、立合い一瞬の蹴手繰り)も見せるなど多彩な技の持ち主として知られた。
大位山 勝蔵(おおいやま かつぞう、1945年3月5日 - … 大位山 勝蔵(おおいやま かつぞう、1945年3月5日 - )は、兵庫県宍粟郡山崎町(現在の宍粟市)出身(本籍地は、同県姫路市)で三保ヶ関部屋に所属した元大相撲力士、国際プロレス所属の元プロレスラー。 本名は松本 勝三(まつもと かつぞう)。力士時代の四股名は三保ノ松および大位山、プロレス時代のリングネームは大位山 勝三。相撲時代の得意手は、右四つ、寄り、押し。最高位は東前頭12枚目(1968年11月場所)。 地元・山崎町の中学校を卒業後、三保ヶ関親方(元大関・増位山)の関係者の紹介で三保ヶ関部屋に入門し、1960年5月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、部屋の名と本名の松本に因んだ「三保ノ松」。
朝岡 勲(あさおか いさお、1941年6月20日 - 200… 朝岡 勲(あさおか いさお、1941年6月20日 - 2006年6月10日)は、兵庫県洲本市出身(本籍地は、同県尼崎市)で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名同じ。最高位は西前頭10枚目(1966年5月場所)。現役時代の体格は174cm、129kg。得意手は押し。 洲本市立青雲中学校在学時より相撲を始め、卒業後、川崎重工業の相撲部を経て1962年に高砂部屋へ入門。同年5月場所、20歳で初土俵を踏んだ。 当時、まだ実業団相撲のレベルが懐疑視されていた中、実業団で5年間鍛えた実力を発揮。足腰の良さを生かした押し相撲を活かし、1964年11月、初土俵から僅か2年半で十両に昇進した。 その後、1966年3月場所にて新入幕(実業団出身力士としては、大龍志郎以来2人目となる、幕内昇進)。
明石海 秀昭(あかしうみ ひであき、1940年2月6日 - … 明石海 秀昭(あかしうみ ひであき、1940年2月6日 - 没年不明)は、兵庫県明石市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は藤本 秀昭(ふじもと ひであき)。176cm、84kg。最高位は東十両11枚目。得意技は左四つ、上手投げ。 1956年5月場所初土俵、1962年5月場所十両昇進。連続4場所務めたが、幕下に陥落したのち、1967年1月場所限りで廃業した。
若鳴門 清海(わかなると きよみ、1939年2月7日 - 2… 若鳴門 清海(わかなると きよみ、1939年2月7日 - 2011年4月18日)は、兵庫県三原郡三原町(現役当時、現在の同県南あわじ市)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は居内 徳夫(いうち とくお)。最高位は西前頭6枚目(1966年7月場所)。現役時代の体格は182cm、115kg。得意手は右四つ、突っ張り、投げなど。 中学時代から土地相撲の大関と互角に取れたため、大相撲の世界に入ることを志したが、自宅で待針を踏んで右足の親指を貫通させてしまった。すぐに手術して針を抜いたが、傷が癒える前に農作業に出て破傷風にかかってしまった。あわや右脚切断かという重症だったが、どうにか右足親指切断にとどまった。
成山 明(なるやま あきら、1931年11月27日 - 19… 成山 明(なるやま あきら、1931年11月27日 - 1978年5月8日)は、兵庫県津名郡由良町(現在の同県洲本市)出身で小野川部屋に所属した大相撲力士。本名同じ。最高位は西小結(1956年3月場所)。身長176cm、体重110kg。得意手は左四つ、寄り。 成山は本名であるが、郷里・由良町にある成ヶ島(淡路橋立)の北端にある山の名前でもあるため、そのまま四股名とした。少年航空兵を志願し合格したが時は敗戦寸前だった1945年(昭和20年)のことで、願いは叶わず終戦となった。家業の漁業を手伝っていたところを、父親がいとこ同士だった元前頭2・錦華山の小野川親方に誘われて小野川部屋へ入門することとなり、1948年(昭和23年)10月場所にて初土俵を踏んだ。
朝潮 太郎(あさしお たろう、1929年(昭和4年)11月1… 朝潮 太郎(あさしお たろう、1929年(昭和4年)11月13日 - 1988年(昭和63年)10月23日)は、鹿児島県徳之島出身(出生地は兵庫県武庫郡、現在の神戸市)で高砂部屋に所属した大相撲力士。第46代横綱。本名は米川 文敏(よねかわ ふみとし)、現役時代の体格は身長189cm、体重145kg。得意技は左四つ、寄り。 入門前は沖仲仕として働き、現場の力自慢で知られていた貴闘力の父親を凌ぐ怪力の持ち主として話題になっていた。1948年(昭和23年)10月場所、本名の米川で初土俵。当時奄美は米軍の占領下にあったので兵庫県の親戚・大沢徳城を頼って貨物船に忍び込み密航。奄美が返還されるまで兵庫県(神戸)出身と番付に書かれていた。
大日山 廣司(おおひやま ひろし、1927年3月30日 - … 大日山 廣司(おおひやま ひろし、1927年3月30日 - 没年不明 )は、時津風部屋(当初は双葉山相撲道場)に所属した元力士。本名は石岡 廣司(いしおか ひろし)。兵庫県姫路市出身。173cm、113kg。最高位は西十両11枚目。得意技は右四つ、吊り。 1942年1月場所初土俵、1951年9月場所十両昇進。1954年1月場所限りで廃業した。
鳴門海 一行(なるとうみ かずゆき、1926年1月1日 - … 鳴門海 一行(なるとうみ かずゆき、1926年1月1日 - 2010年6月19日)は、兵庫県三原郡北阿万村(現・同県南あわじ市)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は武岡 一行(たけおか かずゆき)。最高位は西前頭筆頭。 1926年の元日、兵庫県三原郡で農業を営む家庭に生まれた。幼少期から身長が高く、地元で行われた相撲大会によく駆り出されて相撲を取らされていたが、運動神経が抜群に良かったために常勝だった。高等小学校を卒業後は、実兄が兵役を務めている間に人手不足を補うために農業を手伝っていた。その合間に出場していた相撲大会でも強みを増したため、見出した土地相撲の大関からの紹介で春日野部屋へ入門し、1942年5月場所に於いて初土俵を踏んだ。
清水川 明於(しみずがわ あきお、1925年8月13日 - … 清水川 明於(しみずがわ あきお、1925年8月13日 - 1979年2月5日)は、兵庫県明石市出身で追手風部屋に所属した大相撲力士。本名は鉾浦 光男(ほこうら みつお)。最高位は東小結(1951年1月場所、1953年5月場所、1958年1月場所)。引退後は、年寄・間垣として日本相撲協会に残った。身長176cm、体重115kg。得意手は左四つ、上手投げ。 14歳の時に角界入りし、1940年5月場所に於いて、元大関・清水川元吉が率いた追手風部屋から初土俵を踏んだ。幕下時代に兵役に服したが帰還後1947年6月場所で十両昇進、僅か1場所で十両を通過して1947年11月場所で新入幕を果たした。1950年9月場所では優勝した横綱・照國から金星を奪い、翌1951年1月場所では小結に昇進した。
汐ノ海 運右エ門(しおのうみ うんえもん、1918年3月1日… 汐ノ海 運右エ門(しおのうみ うんえもん、1918年3月1日 - 1983年7月18日)は、兵庫県印南郡(現:兵庫県姫路市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は岸本 忠夫(きしもと ただお)。最高位は西大関。得意手は右四つ、寄り、筈押しなど。現役時代の体格は180cm、113kg。 1918年3月1日、兵庫県印南郡(現:兵庫県姫路市)で生まれた。小学生の頃から体格が良く腕力も強かったことから、大人と同じ塩田作業に従事していたが、岸本少年の素質を見出した同郷の好角家に笠置山勝一を紹介され、出羽海部屋へ入門した。笠置山は当時としては珍しい大学出身(早稲田大学)のインテリ力士で、当時の出羽海部屋では「打倒双葉」を合言葉に双葉山の連勝を止めるための研究・対策を繰り広げていた。
三熊山 美夫(みくまやま よしお、1908年7月20日 - … 三熊山 美夫(みくまやま よしお、1908年7月20日 - 没年不明)は、現在の兵庫県洲本市出身で中川部屋、武蔵川部屋、鏡山部屋に所属した元大相撲力士。本名は小泉 美夫。167cm、102kg。最高位は西前頭12枚目。 1923年1月初土俵、1932年5月十両昇進。1936年1月新入幕。非力と評されながらも、ずんぐりとした体相当の相撲を見せ、評判はよかった。しかし幕内在位は3場所に終わり、1938年1月に廃業。廃業してからは消息が全く不明になっている。 四股名は故郷の山から。 大変器用な力士で、初っ切り・相撲甚句・弓取りと何でも務められたので巡業で重宝がられた。
錦城山 勇吉(きんじょうざん ゆうきち、1902年11月18… 錦城山 勇吉(きんじょうざん ゆうきち、1902年11月18日 - 1987年12月18日)は、兵庫県津名郡(現:兵庫県洲本市)出身で小野川部屋に所属した大相撲力士。本名は村上 幸作(むらかみ こうさく)。 1902年11月18日に兵庫県津名郡(現:兵庫県洲本市)で生まれる。草相撲が盛んであった淡路島は小野川部屋の勢力基盤であり、宮相撲で活躍したことで若者頭に見出され、小野川部屋(大坂相撲)に入門した。当初の四股名は小鳴門だったが、大阪城の別名が「錦城」であることに因んで「錦城山」と改名した。 1923年5月場所が龍神事件によって同年6月へ延期、さらに片番付での開催となった影響で、1924年1月場所で新入幕を果たした際はいきなり前頭2枚目になった。
錦華山 大五郎(きんかざん だいごろう、1900年8月26日… 錦華山 大五郎(きんかざん だいごろう、1900年8月26日 - 1967年10月21日)は、兵庫県津名郡(現:兵庫県洲本市)出身の元大相撲力士。本名は濱野 平蔵(はまの へいぞう)。 1900年8月26日に兵庫県津名郡(現:兵庫県洲本市)で生まれる。当初は小野川部屋(大坂相撲)に入門して幕下まで昇進したが、1927年の東西合併興行によって東京相撲の三段目に編入された。四股名を捩った「喧嘩山」の愛称のように上突っ張りが得意だったが四つに組まれると力を発揮できず、それが出世を遅くした。 1929年5月場所で新十両昇進、1931年5月場所で新入幕を果たした。この時は連合側に所属していたが、1932年1月場所の番付では出羽海方へ移動した。
荒熊 谷五郎(あらくまたにごろう、1899年12月13日 -… 荒熊 谷五郎(あらくまたにごろう、1899年12月13日 - 1979年9月23日)は、現在の兵庫県加古川市出身で陣幕部屋に所属した力士。本名は前田 熊次(まえだ くまじ)。身長174cm、体重113kg。東京での最高位は東前頭6枚目(1928年1月場所)。得意手は右四つ、寄り。 1918年に大坂相撲の陣幕部屋に入門、1922年に入幕、1924年には大関に昇進し、大坂を代表する力士のひとりとなった。 1927年1月大坂相撲より加入の形で東京で新入幕となったが、大坂の大関が東京では前頭9枚目にランク付けられた。それでも、1927年5月場所には8勝2敗の好成績を挙げたり、1928年5月場所には同じ大坂出身の横綱・宮城山を破る金星を挙げた。
四海波 太郎(しかいなみ たろう、1883年1月1日 - 1… 四海波 太郎(しかいなみ たろう、1883年1月1日 - 1933年12月10日)は、現在の兵庫県洲本市出身で小野川部屋(大阪)出羽海部屋(東京)に所属した力士。本名は佐渡 太郎市。4代君ヶ濱。171cm、90kg。最高位は大阪では東関脇、東京では東小結。 大阪相撲の小野川部屋に入門。1908年6月西昇の四股名で入幕。1910年1月関脇に進み番付発表後に師名を継ぎ八陣と改名。1912年1月東京に移り四海波の名で前頭5枚目格に付出され、1915年1月小結。右四つからの寄りが得意で、横綱梅ヶ谷と3度引分になったことがある。1917年1月に引退、4代君ヶ濱を襲名したが、1921年5月に廃業した。
神嵜 重太郎(かんざき じゅうたろう、1882年9月13日 … 神嵜 重太郎(かんざき じゅうたろう、1882年9月13日 - 1942年5月22日)は、現在の兵庫県尼崎市出身で高砂部屋に所属した力士。本名は寺内 重三郎。166cm、75kg。最高位は東前頭13枚目。 愛嬌があって、重太と親しまれた力士。1901年1月初土俵。その後応召され日露戦争に従軍した。復帰後1907年1月十両昇進。1908年5月入幕した。幕内在位は3場所で幕下まで陥落したが、1915年6月まで相撲を取った。廃業後は旧両国国技館内に売店を出店した。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
明石竜 兵太郎(あかしりゅう へいたろう、1881年2月14… 明石竜 兵太郎(あかしりゅう へいたろう、1881年2月14日 - 1931年6月20日)は、現在の兵庫県明石市出身で八角部屋に所属した力士。本名は立花 兵太郎(たちばな へいたろう)。身長167cm、体重83kg。最高位は西前頭10枚目。得意技は左四つ、投げ、左筈押し、押し。 1902年1月場所に初土俵。1908年1月場所に十両昇進。一度幕下に陥落したが、十両復帰を果たしてからは2場所で十両通過、1911年6月場所に入幕を果たした。しかし、幕内では思うような成績を残せず、病気もあって十両へ陥落、その後は出場せず、十両最下位まで陥落した1914年1月場所に廃業した。女性人気が高く、木下杢太郎が「四本柱の総立ちに 桟敷いろめく国技館 かわいいおしゃくが あられもな 声をはりあげ 明石竜」と詩に詠んだ。
大鳴門 灘右衛門(おおなると なだえもん、1853年6月20… 大鳴門 灘右衛門(おおなると なだえもん、1853年6月20日(嘉永6年5月14日) - 1908年(明治41年)1月15日)は、淡路国津名郡塩尾(現・兵庫県淡路市)出身の大相撲力士。本名は大空 由藏。身長173cm、体重108kg。所属部屋は小野川部屋(大阪)→玉垣部屋(東京)→梅ヶ谷部屋→雷部屋。最高位は大関。剣山谷右衛門・鞆ノ平武右衛門とともに梅ヶ谷門弟三羽烏と謳われた。 淡路島に育ち最初大坂の小野川に入門、司天龍 芳五郎と名乗った。1879年(明治12年)1月初代梅ヶ谷を頼って東上、二段目に付け出された。1880年(明治13年)5月入幕、1881年(明治14年)5月小結、入幕から4場所目の1882年(明治15年)1月関脇とトントン拍子に出世した。
八陣 信蔵(はちじん しんぞう、1837年8月13日(天保8… 八陣 信蔵(はちじん しんぞう、1837年8月13日(天保8年7月13日) - 1902年(明治35年)1月9日)は淡路国津名郡尾崎村(現・兵庫県淡路市)出身の大相撲力士。本名は岩井 信蔵。所属部屋は小野川部屋(大坂)玉垣部屋(江戸)。大坂相撲で最初の横綱となった。吉田司家の免許ではないため日本相撲協会公認の横綱には加えられていない。 淡路島の農家に育ち大坂に出て8代小野川に入門、1859年(安政6年)7月白藤 信蔵で中相撲三段目に名を出す。1860年玉龍と改める。この頃既に人気となっており、1861年(文久元年)評判を聞いた阿波藩に抱えられ江戸行きを命じられて10月場所幕下に付け出される。翌1862年(文久2年)蜂須賀公から黒神 玉之助の四股名を賜ったが同年11月を最後に江戸では出場していない。