吉村 昇洋(よしむら しょうよう、1977年3月16日 - … 吉村 昇洋(よしむら しょうよう、1977年3月16日 - )は、日本の曹洞宗の僧。公認心理師・臨床心理士(専門は認知行動療法)。写真家。広島県広島市出身。曹洞宗八屋山普門寺住職。 禅仏教・精進料理・臨床心理学・食育の研究・講義・講演、仏教マンガ研究など活動は多岐にわたり、雑誌各誌にて連載、執筆を行う。また、各種イベントにて他領域の専門家との対談(鼎談)も積極的に行っている。 広島城北高等学校卒、駒澤大学大学院にて仏教学修士、広島国際大学大学院にて臨床心理修士をそれぞれ取得。2010年に臨床心理士資格、2018年に公認心理師資格を取得。 2002年に曹洞宗大本山永平寺にて修行。2004年の乞暇後、永平寺史料全書編纂室に勤務。
向谷 匡史(むかいだに ただし、1950年12月3日 - )… 向谷 匡史(むかいだに ただし、1950年12月3日 - )は、広島県呉市出身の作家、僧侶、武道家(日本空手道昇空館館長)、保護司。 拓殖大学を卒業後、週刊誌記者を経て作家に。 1950年12月3日、広島県呉市に生まれる。広島県立呉宮原高等学校卒業。一浪して拓殖大学政経学部政治学科入学、74年卒業。高校時代から空手を始める。 在学中から漫画雑誌の活版ページなどに記事を書いていて、大学4年時に在学のまま小規模の経済雑誌に就職。次いで、夕刊スポーツ紙「内外スポーツ」で競馬担当。卒業はあきらめていたが、4月になり、授業料納付の案内が来ないので、まさかと思いつつ大学に行って問い合わせると、無事、卒業していたので本人が驚いたという。
吉津 宜英(よしづ よしひで、1943年12月17日 - 2… 吉津 宜英(よしづ よしひで、1943年12月17日 - 2014年1月5日)は、日本の仏教学者・曹洞宗僧侶。専門は華厳、東アジア仏教思想。学位は、博士(仏教学)(駒澤大学・乙種)。駒澤大学教授。駒澤大学仏教経済研究所所長を務めた。広島県府中市出身。 1943年、広島県府中市の曹洞宗松林寺に生まれる。広島県立府中高等学校卒業後、駒澤大学仏教学部に進学。1966年に卒業。同級生の石井修道(同大教授)・袴谷憲昭(同大教授)と共に三羽烏と称された。同大学院進学、鎌田茂雄・宮本正尊の両師に師事、1971年に同大学院博士課程満期退学。1980年に『阿毘達磨倶舎論索引』(平川彰らとの共同研究)で日本学士院賞受賞、日本印度学仏教学会賞も受賞。
寺川 俊昭(てらかわ しゅんしょう、1928年7月28日 -… 寺川 俊昭(てらかわ しゅんしょう、1928年7月28日 - )は、仏教学者、浄土真宗僧侶、大谷大学名誉教授。
大塚 全教(おおつか ぜんきょう、1918年 - 2007年… 大塚 全教(おおつか ぜんきょう、1918年 - 2007年10月29日)は、真言宗の尼僧、身体障害者。 広島県福山市出身。4歳でポリオ(小児まひ)となり、右腕と左肩から肘にかけて不自由となった。1939年大石順教に師事して1943年に出家得度、勧修寺境内で大石と暮らした。大石の設立した身体障害者自立支援団体「この花会」を引き継いだほか、自らも左足で書や絵画の創作活動を続けた。世界身体障害者芸術家協会名誉会員。 2007年10月29日、局所性腹膜炎のため死去。
佐和 隆研(さわ りゅうけん/さわ たかあき、1911年3月… 佐和 隆研(さわ りゅうけん/さわ たかあき、1911年3月9日 - 1983年1月5日)は、日本の美術史家・仏教学者・真言宗の僧侶。京都市立芸術大学名誉教授。嵯峨美術短期大学元学長。密教美術や仏像研究の第一人者。密教図像学会会長も務めた。 広島県生まれ。インドネシア、インド、アフガニスタンなど仏教美術の伝流経路、源流地を訪ね歩いた。 経済学者の佐和隆光(京都大学名誉教授、滋賀大学学長)は息子。
永野 鎮雄(ながの ちんゆう/しずお、1908年7月25日 … 永野 鎮雄(ながの ちんゆう/しずお、1908年7月25日 - 1982年12月7日)は、日本の僧侶、政治家、参議院議員(1期)。戦後、政財界で活躍した永野一族の一人。 広島県下蒲刈島にある浄土真宗本願寺派弘願寺の生まれ。旧制広島一中、旧制広島高校を経て東北帝国大学卒業後、1939年龍谷大学文学部卒業、1941年に龍谷大学研究科を卒業。自坊の弘願寺住職を継承した後に西本願寺宗務所に勤務し、総務や親鸞聖人大遠忌常務理事などを歴任。1957年には全日本仏教会の代表として当時正式な国交のなかった中華人民共和国を訪問している。 1968年、第8回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で全国区から立候補し当選。
高橋 成通(たかはし せいつう、米国名: Seytsu Ta… 高橋 成通(たかはし せいつう、米国名: Seytsu Takahashi、1905年(明治38年)12月1日 - 1984年(昭和59年)4月1日)は、日本の高野山真言宗の僧侶。ロサンゼルス高野山別院・第4代主監であり、仏教伝道師でもある。広島県庄原市出身。 1905年(明治38年)、広島県比婆郡東城町(現:庄原市)で出生する。地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、同期には、後に京都社寺信用組合(現・京都信用金庫)理事長、京都市観光局長を務める小橋確治がいた。1925年(大正14年)3月に同校を卒業。その後、僧侶として修行する傍ら、高野山大学一般仏教学科へ進学し、1931年(昭和6年)同校を卒業する。
井上 義衍(いのうえ ぎえん、明治27年(1894年)7月2… 井上 義衍(いのうえ ぎえん、明治27年(1894年)7月27日 - 昭和56年(1981年)3月2日)は、日本の曹洞宗の僧侶。浜松市龍泉寺住職(曹洞宗師家会会長)。号は玄魯。 明治27年(1894年)7月27日、広島県豊田郡瀬戸田町(現、尾道市)長光寺に次男として生まれる。明治40年(1907年)に町内向上寺にて得度し、国泰寺僧堂に入る。大正4年(1915年)に東京青松寺に移り、7年に名古屋日泰寺に移る。 北野元峰、杉本道山、原田祖岳、飯田トウ隠に師事、日泰寺で参禅中、市街地に出かけて観劇の最中に悟りを開く。大悟。大正13年(1924年)に浜松龍泉寺住職となる。 さらに、講師を務めるの縁で、飯田欓隠に参禅、師の鉄槌を受ける。
桐原 葆見(きりはら しげみ、1892年11月10日 - 1… 桐原 葆見(きりはら しげみ、1892年11月10日 - 1968年5月2日)は、日本の心理学者、僧侶、第十四代浄楽寺住職。 広島県安佐郡八木村(現・広島市安佐南区)の浄土真宗本願寺派浄楽寺住職桐原慈見の長男として誕生する。八木尋常小学校(現広島市立八木小学校)、高宮高等小学校、第四仏教中学(現崇徳高等学校)、旧制第三高等学校を経て1919年に東京帝国大学文科大学哲学科心理学専修を卒業した。東京帝国大学では日本心理学会の草分けである松本亦太郎に師事して心理学を専攻した。卒業の年に実父が他界し、浄楽寺第14世住職を継ぐが引き続き大学院へ進学する。大学院在院中より倉敷労働科学研究所(現・公益財団法人大原記念労働科学研究所)の設立に貢献した。
耕三寺 耕三(こうさんじ こうぞう、1891年〈明治24年〉… 耕三寺 耕三(こうさんじ こうぞう、1891年〈明治24年〉12月2日 - 1970年〈昭和45年〉10月25日)は、日本の実業家、発明家、僧侶。日本溶接界の先駆けとして数々の鉄工所を興し、後半生を耕三寺の建立に捧げた。広島県尾道市名誉市民。出生名、金本 福松(かねもと ふくまつ)。1935年に得度し金本 耕三(かねもと こうぞう)と改名、1956年には耕三寺 耕三と改姓。 耕三は1891年(明治24年)、金本福松として兵庫県神戸市に生まれた。 父親はもと鉄道建設業をしていたが、1893年(明治26年)に福岡県鞍手郡直方町(現・直方市)に鉄工所を起業する。このとき福松は直方には行かず、母の実家のあった瀬戸内海の生口島(現・尾道市瀬戸田町御寺)に移り住んだ。
足利 義山(あしかが ぎざん、文政7年(1824年) - 明… 足利 義山(あしかが ぎざん、文政7年(1824年) - 明治43年(1910年))は、備後国(現在の広島県東部)出身の江戸時代後期から明治時代にかけての浄土真宗僧侶(勧学)。広島県福山市勝願寺第23代住職。実子に京都女子大学創始者の甲斐和里子や龍谷大学学長を務めた足利瑞義。孫に同朋舎を創った足利浄円。 文政7年(1824年)、備後国の光圓寺(現在の福山市御幸町下岩成)に生まれる。嘉永2年(1849年)に神辺の勝願寺に入る。宗学は石泉学派の創始である石泉僧叡の弟子であった慧海や泰巌に学ぶ。大教校教授、備後博練教校教授、安芸進徳教校教授を経て、明治23年(1890年)に大学林教員、仏教大学講師となる。