大町 定夫(おおまち さだお、1953年4月21日 - )は… 大町 定夫(おおまち さだお、1953年4月21日 - )は、山口県光市出身の元プロ野球選手(投手)。1983年の登録名は大町 定生(読みは同じ)。 現在[いつ?]は、阪神タイガースの球団職員。 柳井商高では1年次の1969年に秋季中国大会で準々決勝に進むが、米子東高に敗退。その後は県予選で敗れて甲子園には出場できず、卒業後の1972年に新日本製鐵光へ入社。 1973年からは偏光グラスをかけ出してプロでもトレードマークになる。1973年のドラフトで太平洋クラブライオンズに6位で、1975年のドラフトではロッテオリオンズに2位で指名されたが、どちらも拒否して新日本製鐵光でのプレーを続けた。 1978年には創部17年目で都市対抗野球初出場を果たし、1回戦で先発するが日本通運に惜敗。
山形 和幸(やまがた かずゆき、1953年4月7日 - )は… 山形 和幸(やまがた かずゆき、1953年4月7日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。 山口県桜ヶ丘高等学校では2年生の時、1年上の吉武正成とバッテリーを組み、1970年春季中国大会県予選準決勝に進むが早鞆高に完封負け。同年夏の甲子園県予選でも、準決勝で松崎泰治のいた防府商に惜敗した。その後は新チームとなり、1年下の木本茂美を主戦投手として秋季中国大会県予選準決勝に進むが、柳井高に敗退。 1971年のドラフトに広島から6位指名され入団。強肩強打の捕手として期待されたが、最初の年のキャンプでスライディング・キャッチ練習で肩をケガ、野球選手としての道を断たれた。 一軍公式戦に出場がなく、1973年限りで引退。
吉田 正(よしだ せい、1953年(昭和28年)3月16日 … 吉田 正(よしだ せい、1953年(昭和28年)3月16日 -)は、山口県山口市出身の写真家。日本広告写真家協会会員。日本写真芸術学会会員。 山口県立山口高等学校卒。大阪芸術大学写真学科卒業後、大日本印刷(株)CDC(クリエイティブ・デザイン・センター)写真部に入社、コマーシャルフォトグラファーとして10年勤務の後に独立する。学生時代にアメリカ南部(セントルイス、ニューオーリンズなど)を撮影したモノクロの心象風景が彼の写真作品の原点となり、国内外の日常的なシーンを題材に静謐で情緒的な世界を展開し、スタイリッシュなモノトーンの作品として評されている。また、詩人の中原中也とは縁戚関係にあり、詩と写真のコラボレーション作品も発表している。
二家本 辰己(にかもと たつみ、1953年3月6日 - )は… 二家本 辰己(にかもと たつみ、1953年3月6日 - )は、日本の殺陣師、俳優、スタントマン、スーツアクター。別名 二家本 辰巳(読み同じ)。アクションをこなせる役者集団アーバンアクターズ代表。山口県周南市出身。 中学卒業後、徳山技能専門校(現:山口県立東部高等産業技術学校)でブロック建築を学んで就職したものの、アクションスターを目指して1971年に上京し、ジャパンアクションクラブ(現・ジャパンアクションエンタープライズ)に入門した。 アクションを得意とする俳優(またはスタントマン)として数々の作品に端役や斬られ役として出演したが、『ウルトラマンレオ』でレオのスーツアクターとして披露した華麗なアクションが名高い(詳細は後述)。
関口 苑生(せきぐち えんせい、1953年2月2日 - 20… 関口 苑生(せきぐち えんせい、1953年2月2日 - 2025年6月12日)は、日本のミステリ評論家・書評家。日本推理作家協会会員。本名は田原 孝司(たはら たかし)。 山口県下関市生まれ。北海道函館西高等学校卒業、早稲田大学社会科学部中退。在学中はワセダミステリクラブに所属。 在学中からライターへ活動に入り、冒険小説を中心とした文芸評論を発表。書評や解説も多い。また、1983年の日本冒険作家クラブ発足の発起人の一人。「週刊現代」では長く翻訳ミステリのレビューを担当している。 共同事務所「オフィス・レム」に連城三紀彦(作家)、北澤和彦(翻訳家)、香山二三郎(コラムニスト)、上原ゼンジ(写真家)らと所属していた。
春風亭 正朝(しゅんぷうてい しょうちょう、1953年1月1… 春風亭 正朝(しゅんぷうてい しょうちょう、1953年1月12日 - )は、山口県防府市出身の落語家。落語協会所属。本名∶藤原 義和。 防府高校を経て、1972年4月に明治学院大学入学。在学中の1975年7月に五代目春風亭柳朝に入門、「正朝」を名乗る。初めて会う先輩方に「正朝と言います。」と自己紹介をしたところ、「(大師匠の八代目林家正蔵と師匠の五代目春風亭柳朝の名前を合わせた)すごい名前だ。」と言われたという。 1980年2月に林家錦平、月の家靖鏡と共に二ツ目昇進。 1985年9月に古今亭志ん輔、四代目桂三木助、七代目桂才賀、入船亭扇遊、林家かん平、柳家三寿、林家らぶ平、林家時蔵、柳家小ゑんと共に真打に昇進した(当時の香盤で10人抜きの抜擢真打)。
吉武 正成(よしたけ まさのり、1953年1月2日 - )は… 吉武 正成(よしたけ まさのり、1953年1月2日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 山口県防府市で生まれ、その後は広島県広島市への転居に伴い広島商へ進む。しかしまたも転居により山口県桜ヶ丘高等学校に移った。エースとして1年下の山形和幸とバッテリーを組む。1970年春季中国大会県予選準決勝に進むが、早鞆高に敗退。同年夏の甲子園県予選でも、準決勝で松崎泰治のいた防府商に敗退した。高校時代には完全試合を達成した事もある[要出典]。卒業後は専修大学に入学。当時の専大は東都大学野球リーグ二部に低迷していたが、1年下の大屋好正と投の二本柱を組み、1974年春季リーグに二部優勝。入替戦で青学大を降し一部リーグ昇格に貢献する。
齋藤 宗房(さいとう むねふさ、1953年 - )は、日本の… 齋藤 宗房(さいとう むねふさ、1953年 - )は、日本の実業家。勲等は旭日小綬章。山口トヨタ自動車代表取締役社長、テレビ山口代表取締役社長。 1972年山口県立山口高等学校卒業。同年慶應義塾大学法学部に入学。同大卒業後、山口トヨタ自動車に入社。 山口ケーブルビジョン社長及びテレビ山口社長、山口商工会議所会頭、山口銀行社外取締役、ヤマグチ・ベンチャー・フォーラム理事、山口大学経営協議会学外委員、山口県バレーボール協会会長等を歴任した。2024年4月時点で、表千家同門会山口県支部長。 2025年秋の叙勲で旭日小綬章を受章した。
早田 幸政(はやた ゆきまさ、1953年- )は、日本の教育… 早田 幸政(はやた ゆきまさ、1953年- )は、日本の教育行政学者、中央大学教授。 山口県生まれ。山口県立下関西高等学校卒、1977年中央大学法学部卒、1980年同大学院法学研究科博士前期課程修了。地方自治総合研究所常任研究員を経て、1985年大学基準協会に入局。2001年より大学評価・研究部長。2003年金沢大学大学教育開発・支援センター教授。2008年大阪大学大学教育実践センター教授、2012年同学評価・情報分析室教授。2014年中央大学理工学部教授。
桑原 英子(くわはら えいこ、1953年 - )は、日本の声… 桑原 英子(くわはら えいこ、1953年 - )は、日本の声楽家。 山口県宇部市出身。国立音楽大学首席卒業後、声楽家として活動し武岡賞を受賞する。三隅洋子、田島好一、渡辺高之助、疋田生次郎に師事し、国立ミラノ音楽院に留学した。 イタリアに於いてマリア・カラスの師であるエルヴィラ・デ・イダルゴのもとでベルカント唱法を学ぶ。イタリアのカリアリや北京でのコンサートに出演し、東京ではイイノホール、紀尾井ホール、日本大学カザルスホールでリサイタルを開いた。CDでは「溝上日出夫歌曲集」「中原中也生誕90年・没後60年メモリアル復活・スルヤ演奏会'97」をリリースした。 日本各地にてリサイタルを開き、1989年(平成元年)3月には北京でリサイタルを開く。
川元 明春(かわもと あきはる、1953年 - )は、日本の… 川元 明春(かわもと あきはる、1953年 - )は、日本の建築家。山口県宇部市生まれ。 1976年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。1978年、同大学大学院修士課程修了。1978年から1988年まで、内井昭蔵建築設計事務所勤務。1988年、(株)川元明春建築設計事務所を設立。東京電機大学建築学科非常勤講師(1989年~1992年)日本大学大学院芸術学研究科非常勤講師。
中村 宗一郎(なかむら そういちろう、1953年 - )は、… 中村 宗一郎(なかむら そういちろう、1953年 - )は、日本の農学者。 山口県美祢市出身。1976年島根大学農学部農芸化学科卒業。1994年鳥取大学大学院連合農学研究科博士課程修了(農学博士)。 宇部短期大学教授、島根大学教授を経て、2005年信州大学教授、2010年同農学部長、2021年10月1日から学長に就任。
勝津 正男(かつ まさお、1952年12月26日 - )は、… 勝津 正男(かつ まさお、1952年12月26日 - )は、フリーアナウンサー、元KRY山口放送所属のアナウンサー、KRYではアナウンス部長やラジオ局長を歴任したが、2011年3月31日をもって退職した。 山口県下関市出身。1960年代後半の深夜放送ブームの頃に中学生、高校生時代を過ごしたということで、全国あちこちの番組にはがきを送ったりリクエストの電話をかけたりしていたラジオ少年だったという。 大阪経済大学経営学部を卒業後、1975年から2011年3月31日までアナウンサーとして山口放送に在籍。現在はフリー。
高月 敏文(たかつき としふみ、1952年11月2日 - )… 高月 敏文(たかつき としふみ、1952年11月2日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手(内野手)。左投左打。現在は広島東洋カープ球団職員。
藤田 三保子(ふじた みほこ、1952年〈昭和27年〉10月… 藤田 三保子(ふじた みほこ、1952年〈昭和27年〉10月31日 - )は、日本の女優、シャンソン歌手、油絵画家、俳人。山口県宇部市出身、ないし山口県大島郡出身。旧芸名及び旧姓は藤田 美保子。 山口県立防府高等学校卒業。身長167cm、B85cm、W63cm、H92cm(1974年1月)。 母親は元新派女優・藤田美代子。父親は美保子が2歳のとき生き別れ。兄がいるが早めに独立し家を出たままで、長く母娘二人で暮らす。学生時代は、陸上競技に水泳、ソフトボールなどのスポーツで体を鍛えた。母の影響で子どもの頃から女優を志した。 高校卒業後、1971年3月8日、大島から俳優を目指して上京する。 歌手・井沢八郎の内弟子などを経て、1973年に文学座付属研究所夜間部に入学する。
山下 友信(やました とものぶ、1952年9月24日 - )… 山下 友信(やました とものぶ、1952年9月24日 - )は、日本の法学者。専門は、商法・保険法。研究課題は、保険契約法・保険監督法・証券取引法。日本における保険法研究の第一人者であり、法制審議会保険法部会委員長として、保険法制定に中心的役割を果たした。学位は、法学士(東京大学)。東京大学名誉教授。公益社団法人商事法務研究会会長。山口県出身。鴻常夫門下。弟子に白井正和、後藤元など。
木村 健一郎(きむら けんいちろう、1952年(昭和27年)… 木村 健一郎(きむら けんいちろう、1952年(昭和27年)8月20日 - )は、日本の政治家、司法書士、行政書士、土地家屋調査士。山口県周南市長(2期)、山口県議会議員(1期)を務めた。 山口県徳山市(現・周南市)生まれ。山口県立徳山高等学校、早稲田大学法学部卒業。司法書士、徳山商工会議所青年部会長を経て、2003年に山口県議会議員選挙に無所属で出馬。定数4の選挙区に9人が乱立する混戦の中、4位で初当選した。会派「新政クラブ」に所属。 徳山商工会議所でまちづくり運動に積極的に携わっていたため、河村和登徳山市長(当時)から助役就任の打診を受けたが、行政経験の不足を理由に固辞した[要出典]。 2007年4月22日に行われた周南市長選挙に立候補。
渡辺 純志(わたなべ じゅんし、1952年8月17日 - )… 渡辺 純志(わたなべ じゅんし、1952年8月17日 - )は、山口県岩国市出身の元プロ野球選手(内野手)。 岩国高から、社会人野球の東洋紡岩国に進むがチームが解散。1976年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから5位指名を受け入団。 1978年には、シーズン中盤に藤田平が一塁手に回り、遊撃手として榊原良行と併用され20試合に先発出場を果たす。翌1979年には真弓明信が遊撃手に定着したこともあり、二塁手、三塁手としても起用され、プロ初本塁打を含む2本塁打を放った。しかしその後は活躍の場に恵まれず、1981年オフに退団、引退した。引退後は喫茶「トーク・トーク」を経営した。 プロ通算34安打であるが、通算21得点を記録している。
松崎 泰治(まつざき やすじ、1952年7月14日 - 20… 松崎 泰治(まつざき やすじ、1952年7月14日 - 2011年7月)は、山口県防府市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。 防府商業高では、1969年秋季県大会準決勝に進むが柳井商工に敗退。翌1970年夏の大会でも西中国大会1回戦で安来高に敗れる。高校卒業後は、社会人野球の協和発酵に入団。1975年にはチームとして25年目の都市対抗初出場を果たす。その後も好守好打の内野手として活躍。 1976年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから2位指名を受け入団。 1980年には4試合、1981年には3試合に三塁手として先発出場するが、レギュラーには届かず1982年限りで現役引退。 1980年10月11日イースタンのロッテ戦にてサイクル安打を記録している。
前田 三郎(まえだ さぶろう、1952年5月30日 - )は… 前田 三郎(まえだ さぶろう、1952年5月30日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手、外野手。
河田 正也(かわた まさや、1952年4月20日 - )は、… 河田 正也(かわた まさや、1952年4月20日 - )は、日本の実業家。日清紡ホールディングス代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長。日本学生卓球連盟会長。元日本紡績協会副会長。日本卓球協会会長。 山口県下関市出身。下関市立東部中学校、山口県立下関西高等学校を経て、1975年一橋大学経済学部を卒業し、日清紡株式会社に入社。大学では石弘光ゼミと卓球部に所属。部の1年後輩に川嶋文信(元三井物産副社長)が、3年後輩に山添茂(丸紅副会長)がいた。伊藤邦雄一橋大名誉教授はクラスの同級生。 日清紡では大阪、東京での営業や、富山工場労務担当を経て、長く人事部門を歩み、コンティネンタル・テーベス出向、人事部長兼労政部長、執行役員人事本部長兼経理本部副本部長、取締役兼執行役員事業支援センター副センター長、初代日清紡ブレーキ代表取締役社長兼務、日清紡ホールディングス経営戦略センター副センター長兼新規事業開発本部長兼日清紡ケミカル代表取締役社長、日清紡ホールディングス取締役専務執行役員兼日清紡メカトロニクス代表取締役社長、日本無線監査役などを歴任。
芦岡 俊明(よしおか としあき、1952年4月11日 - )… 芦岡 俊明(よしおか としあき、1952年4月11日 - )は、山口県岩国市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。 岩国工高在学時は強打の内野手として知られたが、甲子園には出場できなかった。1970年のドラフトで大洋から7位指名されるも拒否し、亜細亜大に進学。東都大学野球リーグでは1971年の春季リーグで優勝を経験するが、自身の活躍の場はなく、その後は優勝に届かなかった。リーグ通算50試合出場、135打数18安打、打率.133、1本塁打、7打点。大学同期に林龍郎がいる。 1974年のドラフトでロッテより3位指名を受け入団。入団当初は主に遊撃手として起用されたが、飯塚佳寛の壁を破れず、あまり出場機会はなかった。
佐伯 かよの(さえき かよの、本名:新谷 佳代乃(しんたに … 佐伯 かよの(さえき かよの、本名:新谷 佳代乃(しんたに かよの)、女性、1952年3月30日 - 2021年8月29日)は、日本の漫画家。山口県萩市出身。山口県立萩高等学校卒業。夫は『エリア88』等の作品で知られる漫画家の新谷かおる。新谷との娘に女優の新谷摩乃がいる。 代表作に『スマッシュ!メグ』、『口紅コンバット』、『燁姫(あきひ)』、『緋の稜線』など多数。 1972年にりぼん漫画賞佳作入選。同年、『りぼん春の増刊号』に掲載された「世界一幸福な男の話」でデビュー。 1973年に、同じく『りぼん』にて受賞歴のある新谷かおると結婚。 1980年、『少女コミック』で「スマッシュ!メグ」の連載を開始。
池田 辰夫(いけだ たつお、1952年 - )は、日本の法学… 池田 辰夫(いけだ たつお、1952年 - )は、日本の法学者。元裁判官。専門は民事訴訟法。学位は、博士(法学)(九州大学・論文博士・1995年)。大阪大学名誉教授。弁護士。 山口県生まれ。1970年山口県立防府高等学校卒業。1974年九州大学法学部卒業、旧司法試験合格。1976年九州大学大学院法学研究科修士課程修了。 神戸地方裁判所判事補、東京地方裁判所判事補等を経て、大阪大学法科大学院教授を務めた。1995年、九州大学より博士(法学)の学位を取得。2005年北浜法律事務所客員弁護士。
澤岡 清秀(さわおか きよひで、1952年 - )は,、日本… 澤岡 清秀(さわおか きよひで、1952年 - )は,、日本の建築家。工学院大学名誉教授。博士(環境学)。澤岡建築設計事務所代表。山口県柳井市出身。 東京大学では芦原義信、香山壽夫に師事。ハーバード大学大学院に留学。リチャード・マイヤーに学び、1977年、建築修士(M.Arch)を取得。その後、ケヴィン・ローチ、リチャード・ロジャーズの事務所で研鑽を積む。ロジャーズ事務所ではロンドンのロイズ本社ビルの基本設計に携わる。帰国後、1980年から1992年にかけて槇文彦+槇総合計画事務所に勤務。スパイラル、京都国立近代美術館、津田ホール、ノヴァルティスファーマ筑波研究所などを担当した。この間1年間(1988年~1989年)、コロンビア大学に客員教授として招聘され、ケネス・フランプトンと共に大学院設計スタジオを教える。
井上 泰山(いのうえ たいざん、1952年 - )は、日本の… 井上 泰山(いのうえ たいざん、1952年 - )は、日本の中国文学者。関西大学文学部教授、専門は中国近世白話文学(古典戯曲・小説)。主要な業績は三国志演義関連の研究。また、イベリア半島に残る中国古典典籍の調査を行っている。 山口県下関市出身。山口県立豊浦高等学校卒業後、東京外国語大学外国語学部中国語学科卒業。同大学大学院修士課程修了後、関西大学大学院博士課程修了。明治学院大学助手、講師、助教授を経て、1986年関西大学助教授、教授。
山下 真司(やました しんじ、1951年12月16日 - )… 山下 真司(やました しんじ、1951年12月16日 - )は、日本の俳優、タレント。血液型はB型。身長183cm。フロム・ファーストプロダクション所属。
長州 力(ちょうしゅう りき1951年12月3日 - )は、… 長州 力(ちょうしゅう りき1951年12月3日 - )は、日本の元プロレスラー、YouTuber。山口県徳山市(現・周南市)出身。静岡県熱海市在住。北海道猿払村ふるさと納税大使。 在日韓国人2世として生まれ、2016年に日本へ帰化した。韓国名は郭 光雄(かく こうゆう、クァク・クァンウン、곽광웅)。現在の本名(日本名及び旧リングネーム)は吉田 光雄(よしだ みつお)。 ニックネームは「革命戦士」。入場曲は異母犯抄作曲のオリジナルテーマ曲『パワーホール』(後述も参照)。血液型O型。 1951年12月3日、山口県徳山市で四人兄弟の末っ子として生まれる。父親は1939年に韓国の忠清北道から来日し、廃品回収業を営んでいた。
宿利 正史(しゅくり まさふみ、1951年9月29日 - )… 宿利 正史(しゅくり まさふみ、1951年9月29日 - )は、日本の国土交通官僚。勲等は瑞宝重光章。国土交通省総合政策局長や、国土交通省大臣官房長、国土交通審議官、国土交通事務次官等を歴任した。 山口県下関市生まれ。福岡県福岡市及び大分県別府市出身。大分県立大分上野丘高等学校を経て、1974年東京大学法学部卒業、運輸省入省。 1979年運輸省東京陸運局総務部企画課。 1980年内閣官房交通安全対策室総合調整第1担当主査。 1981年内閣官房交通安全対策室総合調整第1担当参事官補。 1982年運輸省大臣官房環境課海洋汚染対策室長。 1983年運輸省大臣官房人事課(外務研修)。 1984年外務省在インドネシア日本国大使館一等書記官。
有田 修三(ありた しゅうぞう、1951年9月27日 - )… 有田 修三(ありた しゅうぞう、1951年9月27日 - )は、山口県宇部市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、解説者。
兼重 宏行(かねしげ ひろゆき、1951年〈昭和26年〉9月… 兼重 宏行(かねしげ ひろゆき、1951年〈昭和26年〉9月13日 - )は、日本の実業家、経営者。兼重オートセンター(のちの株式会社ビッグモーター)創業者。株式会社ヤクルト山口工場代表取締役社長、株式会社ハナテン取締役会長、株式会社ビッグモーター代表取締役社長などを歴任した。 1951年、山口県岩国市で、上に姉と兄2人がいる4番目の子として生まれた。実家は、畑仕事をしたり、近くの川でシロウオや貝、アサリなどを採って生計を立てていた。地元の小中学校を経て、岩国工業高校に進学。1970年に高校卒業後、陸上自衛隊に入隊。隊所属時代に結婚し、程なく退職。その後、大手自動車ディーラーで勤務した。 1976年1月に出身地の山口県岩国市南岩国町において兼重オートセンターを創業。
沖原 隆宗(おきはら たかむね、1951年(昭和26年)7月… 沖原 隆宗(おきはら たかむね、1951年(昭和26年)7月11日 - )は、日本の銀行家で、三菱UFJフィナンシャル・グループ特別顧問。山口県柳井市出身。 2021年2月18日より日本ABC協会第7代会長に就任した 。 旧UFJ銀行時代、取締役付きでないにもかかわらず、常務執行役員からいきなり頭取に就任するという異例の昇進をした。沖原が前頭取だった寺西正司の後を受けて2004年5月にUFJ銀行の頭取に就任したときには、すでにUFJ銀行の体力はBIS規制における自己資本比率が国際業務を行うのに必要とされる8%を割れるか割れないかの瀬戸際に追い込まれていた。[要出典] 沖原は「(2005年3月期の)上期中に大口融資先の対応について布石を打つ。
貞光 紳也(さだみつ しんや、1951年6月23日 - )は… 貞光 紳也(さだみつ しんや、1951年6月23日 - )は、日本のアニメ演出家・監督。山口県防府市出身。 一家は転居が多く、防府市から静岡県磐田郡佐久間町(現・浜松市天竜区)→ 名古屋市 → 神奈川県相模原市と移っている。 荒木伸吾、金田伊功らが所属していたスタジオZおよびスタジオNo.1の出身で、『無敵超人ザンボット3』『無敵鋼人ダイターン3』や『機動戦士ガンダム』、『くじらのホセフィーナ』などではスタジオZ作画担当回の演出を担当していた。 タツノコプロ作品に関わった縁から、Production I.G設立当初から作品に参加した。主にOVA作品の監督やシンエイ動画のテレビシリーズの各話演出担当し、一時期は戸部敦夫とコンビで活動していた。
福田 剛久(ふくだ たかひさ、1951年5月7日 - )は、… 福田 剛久(ふくだ たかひさ、1951年5月7日 - )は、日本の裁判官、弁護士。最高裁判所上席調査官、静岡地方裁判所所長、東京高等裁判所部総括判事を経て、高松高等裁判所長官。京都大学法学部卒業。山口県出身。2004年5月に犬の医療過誤裁判で、飼い主の慰謝料だけで60万円もの損害賠償を認める判決を出したことで知られる。当該判決は控訴されなかったため最高裁がこの判決を認めるかどうかは不明なままである。
花岡 利夫(はなおか としお、1951年〈昭和26年〉4月6… 花岡 利夫(はなおか としお、1951年〈昭和26年〉4月6日 - )は、日本の政治家、和洋菓子店経営者。長野県東御市長(5期)。 山口県宇部市出身。山口県立宇部高等学校卒業。信州大学農学部中退。大学在学中に知り合った妻の実家の菓子店に入る。地元産クルミを使った商品で事業を拡大したという。また、参議院議員の秘書や東御ロータリークラブの会長などをつとめたこともある。 2008年(平成20年)4月13日に行われた東御市長選挙に出馬し、現職の土屋哲男を破り初当選。4月25日、市長に就任。2012年(平成24年)、無投票で2期目の当選。2016年(平成28年)、3選。2020年(令和2年)の同選挙で元市議の若林幹雄を破り4選。
桝屋 敬悟(ますや けいご、1951年4月3日 - )は、日… 桝屋 敬悟(ますや けいご、1951年4月3日 - )は、日本の政治家。公明党アドバイザー。 衆議院議員(8期)、厚生総括政務次官、厚生労働副大臣、衆議院文部科学委員長、公明党政務調査会長代理、衆議院総務委員長などを歴任した。
国広 正夫(くにひろ まさお、1951年3月26日 - )は… 国広 正夫(くにひろ まさお、1951年3月26日 - )は、ラジオ関西の元アナウンサー、元報道制作部チーフプロデューサー。元東京支社長。愛称は「マー君」(ラジオ関西公式サイト内プロフィールより)。 山口県下関市出身。立命館大学産業社会学部卒業。1974年、ラジオ関西にアナウンサーとして入社。同期には池田幸子がいる。 『ボンジュール世界の仲間たち』、『マー君とシュノーケル』、『KOBE AFTERNOON CLUB』等にパーソナリティとして出演。 また全国高等学校野球選手権兵庫大会中継や『サンデー・ブルーウェーブ・スタジアム』の実況などスポーツアナウンサーとしても活動した。 後にアナウンサーの第一線から退き、番組プロデューサー(報道制作部チーフプロデューサー)や姫路支局長等の社内業務主体になり、2005年東京支社次長から東京支社長に昇進。
田尾 将実(たお まさみ、本名:田村 実、1951年3月25… 田尾 将実(たお まさみ、本名:田村 実、1951年3月25日 - )は日本の男性作曲家である。公益社団法人日本作曲家協会理事・事務局長。山口県下関市出身。
林 景一(はやし けいいち、1951年〈昭和26年〉2月8日… 林 景一(はやし けいいち、1951年〈昭和26年〉2月8日 - )は、日本の元外交官、最高裁判所判事。 アイルランド駐箚特命全権大使、外務省官房長、内閣官房副長官補などを歴任し、2011年から2016年6月まで英国駐箚特命全権大使を務めた。2017年4月、最高裁判所判事に就任。 山口県徳山市(現・周南市)出身。大阪市立島屋小学校、大阪市立天王寺中学校、大阪府立天王寺高等学校を経て、京都大学法学部卒業。 1974年外務省入省。1975年-1977年英語研修(スタンフォード大学政治学部修士課程修了)、在シンガポール大使館、在ソ連大使館、在米国大使館、アジア局南東アジア第二課長、条約局条約課、北米局外務参事官、在英国日本国大使館公使、外務省大臣官房審議官(条約局担当)、条約局長、国際法局長を経て、2005年から2008年まで駐アイルランド大使。
中村 克洋(なかむら かつひろ、1951年1月18日 - )… 中村 克洋(なかむら かつひろ、1951年1月18日 - )は、元NHKアナウンサーで、現在はフリーアナウンサー兼広島経済大学教授。 山口県岩国市出身。山口県立岩国高等学校、早稲田大学教育学部を卒業。 1974年4月にNHKに入局。米子放送局(当時)、山口放送局、函館放送局などでの勤務を経て、1981年に東京(放送センター)アナウンス室に配属。『NHKニュースワイド』リポーター、『どんなモンダイQてれび』、『NHKナイトワイド』『スポーツタイム』(土曜日)、『サンデースポーツスペシャル』キャスター、『歴史誕生』などの番組を担当した。 1992年6月、広島放送局へ異動。1994年には広島アジア大会の開会式と閉会式の番組司会を担当。
周山 制洋(すやま のりひろ、1951年1月4日 - )は、… 周山 制洋(すやま のりひろ、1951年1月4日 - )は、NHKの元アナウンサー。 山口県立高森高等学校を経て早稲田大学卒業後、1975年入局。 2006年から広島放送局勤務となり、定年後もシニアスタッフとしてニュース等を担当していたが2021年1月で退職した。 松江局勤務時に広島局制作の地域番組「中国路のどこかで」の1981年10月15日放送回「宇品線 汽笛は遠くなりにけり」において、当時貨物専用線として存続していた宇品線を人力のトロッコ列車で旅するという設定でトロッコを動かす「黒子」役として出演しており、42年後の2024年1月にNHK総合放送の「天然素材NHK」で当時の番組が流れた。
名井 良三(みょうい りょうぞう、1951年〈昭和26年〉 … 名井 良三(みょうい りょうぞう、1951年〈昭和26年〉 - )は、日本の外交官。2011年(平成23年)9月27日からアンゴラ駐箚特命全権大使。 山口県下関市出身。山口県立豊浦高等学校卒業、1975年(昭和50年)東京外国語大学ポルトガル・ブラジル語学科を卒業して、外務省に入省する。1985年(昭和60年)ブラジリア大学大学院に留学している。外務省大臣官房在外公館課現地職員管理官、シカゴ領事、参議院国際交流課長を経て、2009年(平成21年)4月ベレン総領事。2011年(平成23年)9月27日からアンゴラ駐箚特命全権大使。2015年(平成27年)10月1日から東京外国語大学社会・国際貢献情報センター副センター長。
浴田 由紀子(えきだ ゆきこ、1950年〈昭和25年〉12月… 浴田 由紀子(えきだ ゆきこ、1950年〈昭和25年〉12月19日 - )は、日本の政治活動家、元東アジア反日武装戦線“大地の牙”部隊のメンバー。同部隊リーダー齋藤和の内縁の妻であった。なお、「えきた」といわれることも多いが、正しくは「えきだ」である[要出典]。山口県長門市出身。 現在の長門市に生まれる。生家は地主だったが、農地改革で没落していた。 1969年(昭和44年)、山口県立大津高等学校を卒業後、北里大学衛生学部に一般入試で入学。北里大学への進学にあたっては、一般入試受験前に推薦入試で不合格となっていた。だが親族の紹介により、地元選出国会議員だった安倍晋太郎の東京の家で書生・行儀見習いをしつつ北里の夜学に通うすべが用意されていた。
吉田 実 (よしだ みのる、1950年11月 - )は日本の… 吉田 実 (よしだ みのる、1950年11月 - )は日本の経営者。シーモール下関商業開発株式会社、前代表取締役社長。山口県下関市出身。 下関商業高校から八幡大学法経学部経営学科に進学。在学中に経営学に没頭する。1973年大学を卒業し下関商業開発株式会社に入社。一貫してシーモール下関設立準備に関わる。以後経理部長、営業部長、常務、専務を経て、2006年代表取締役社長に就任。2019年まで社長として13年間シーモール下関を運営してきた。その間シネコン誘致や下関海峡映画祭実行委員長 として地元文化の発展に貢献してきた。
出畑実(でばた みのる、1950年(昭和25年)10月5日 … 出畑実(でばた みのる、1950年(昭和25年)10月5日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(1期)。 山口県下関市出身。成蹊大学経済学部卒業。東燃ゼネラル石油社員、国民政治協会千葉県支部事務局長を歴任。 2012年12月投開票の第46回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で比例南関東ブロック単独32位で立候補するが落選。 2014年12月投開票の第47回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で比例南関東ブロック単独39位で立候補するが落選。 2017年10月投開票の第48回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で比例南関東ブロック単独33位で立候補するが次点で落選。 2019年9月12日、比例南関東ブロックで当選し衆議院議員であった宮川典子が死去。
岩瀬 成子(いわせ じょうこ、1950年(昭和25年)8月2… 岩瀬 成子(いわせ じょうこ、1950年(昭和25年)8月25日 - )は、日本の児童文学作家。山口県玖珂郡玖珂町出身。山口県岩国市在住。 山口県立岩国商業高等学校卒業後、公務員として働く。今江祥智の講演を聞いて、京都の聖母女学院短期大学の聴講生として児童文学を学ぶ。1975年、岩国に帰郷後、在住。1977年岩国市内の「ほびっと」をモデルにした作品でデビュー。 1978年『朝はだんだん見えてくる』で日本児童文学者協会新人賞を受賞。『「うそじゃないよ」と谷川くんはいった』で産経児童出版文化賞、小学館文学賞、IBBYオナーリスト賞を受賞、『ステゴザウルス』『迷い鳥とぶ』で路傍の石文学賞を受賞。2008年、『そのぬくもりはきえない』で日本児童文学者協会賞を受賞。
小曽戸 洋(こそと ひろし、1950年8月16日 - )は、… 小曽戸 洋(こそと ひろし、1950年8月16日 - )は、日本の医史学者。医学博士。文学博士。薬剤師。鍼灸師。北里大学東洋医学総合研究所医史学研究部部長、第11代日本医史学会理事長、日本東洋医学会理事、日本薬史学会評議員。 1950年、山口県下関市生まれ。1974年東京薬科大学卒業。1976年東京高等鍼灸専門学校卒業後、近畿大学東洋医学研究所研究員(1976年-1979年)、鹿児島大学医学部第一生理学研究生(1977年-1981年)を経て、1982年より北里研究所東洋医学総合研究所に勤務し、東洋医学史の研究に従事、前北里研究所教授。 父の丈夫(薬剤師、薬史学者、医史学者)が戦時中、中国において矢数道明の弟の有道に漢方の指導を受けていた縁で、1975年に矢数道明の門下に入り、以後、医史学・漢方医学の世界に身を置くこととなる。
吉村 芳生(よしむら よしお、1950年7月24日 - 20… 吉村 芳生(よしむら よしお、1950年7月24日 - 2013年12月6日)は、日本の画家。山口県防府市出身。写真や新聞を細密に描いた鉛筆画などで知られる。
井原 勝介(いはら かつすけ、1950年(昭和25年)7月7… 井原 勝介(いはら かつすけ、1950年(昭和25年)7月7日 - )は、日本の政治家、労働官僚。山口県岩国市長(2期)を務めた。市民政党「草の根」代表。 1950年(昭和25年)、山口県玖珂郡錦町(現・岩国市錦町)生まれ。山口県立岩国高等学校を経て東京大学法学部を卒業し、1976年(昭和51年)に当時の労働省に入省。同期に金子順一元厚生労働事務次官、松井一實広島市長など。労働大臣秘書官、職業安定局業務調整課長、労働福祉事業団総務部長を歴任する(この間に人事交流の一環で1984年(昭和59年)には長野県職業安定課長として、1986年(昭和61年)には在タイ日本国大使館一等書記官としてそれぞれ赴任している)。
鍵谷 康司(かぎたに こうじ、1950年7月2日 - )は、… 鍵谷 康司(かぎたに こうじ、1950年7月2日 - )は、山口県熊毛郡平生町出身の元プロ野球選手(内野手)。