畑中 純(はたなか じゅん、1950年3月20日 - 201… 畑中 純(はたなか じゅん、1950年3月20日 - 2012年6月13日)は、日本の漫画家。男性。福岡県小倉市(現:北九州市)出身。漫画家としてだけでなく、版画家としても活動した。 16歳の時に漫画家を志すようになり、福岡県立小倉南高等学校卒業後、1968年に上京し、東京デザインカレッジ・マンガ科に在籍。肉体労働をしながら、1コマ漫画を描き始める。1974年に1コマ漫画集『それでも僕らは走っている』を自費出版。1977年『月夜』でデビュー。1979年から『週刊漫画サンデー』(実業之日本社)にて10年近く続いた連載『まんだら屋の良太』(第10回(1981年度)日本漫画家協会賞受賞)で知られるようになる。
安部 俊幸(あべ としゆき、1950年3月14日 - 201… 安部 俊幸(あべ としゆき、1950年3月14日 - 2014年7月7日)は、日本の音楽家で、チューリップのギタリスト。福岡県福岡市出身。ウクレレ、シタールなども演奏する。 愛用の楽器のなかではギブソン・ES-335が最もお気に入りだが、リッケンバッカーやアイバニーズに特注したギターなども使用している。 ジョージ・ハリスンの影響を強く受けていた。 ビートルズより多大な影響を受け、大学時代にはハーズメンを結成。1971年、財津和夫の誘いによりチューリップに参加、1972年に上京し、東芝音楽工業より「魔法の黄色い靴」でプロデビュー。3枚目のシングル「心の旅」(1973年)のヒットによりチューリップは人気を得る。
武末 純一(たけすえ じゅんいち、1950年3月6日 - )… 武末 純一(たけすえ じゅんいち、1950年3月6日 - )は、日本の考古学者、福岡大学教授。 福岡市生まれ。1972年九州大学文学部史学科考古学専攻卒、74年同大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。北九州市立歴史博物館学芸員、北九州市立考古博物館副館長、福岡大学人文学部助教授、教授。
副田 高行(そえだ たかゆき、1950年2月24日 - )は… 副田 高行(そえだ たかゆき、1950年2月24日 - )は、日本のグラフィックデザイナー、アートディレクターである。 1950年、福岡県生まれ、東京都育ち。1968年、東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。スタンダード通信社、サン・アド、仲畑広告制作所を経て副田デザイン制作所設立。 東京アートディレクターズクラブ会員、日本グラフィックデザイナー協会会員。 朝日広告賞、東京ADC賞、TCC特別賞、毎日広告デザイン賞、読売広告大賞、フジサンケイグループ広告大賞新聞制作者賞、日経広告賞、日経広告賞商品広告賞など受賞多数。
永尾 孝雄(ながお たかお、1950年2月24日 - 201… 永尾 孝雄(ながお たかお、1950年2月24日 - 2015年10月3日)は、福岡県出身の法学者。熊本県立大学大学院アドミニストレーション研究科教授。専門分野は、基礎法学。 福岡県久留米市出身。福岡県立福岡工業高等学校建築科卒業。西南学院大学在学中に受けた三島淑臣の授業に惹かれて、九州大学大学院法学研究科へ進学。大学院では手島孝の指導を受ける。九州大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学、1980年(昭和55年)熊本女子大学生活科学部専任講師、熊本県立大学総合管理学部助教授を経て、1994年(平成6年)教授。2012年11月、厚生労働大臣表彰を受章。2015年、熊本県立大学を退職。 1996年(平成8年)博士(法学)(九州大学)(学位論文「若きヘーゲルの近代自然法批判」)。
石田 宝蔵(いしだ ほうぞう、1950年(昭和25年)2月2… 石田 宝蔵(いしだ ほうぞう、1950年(昭和25年)2月20日 - )は、日本の政治家。前柳川市長。 福岡県柳川市(旧大和町)出身。福岡県立三池工業高等学校卒業後、1969年に柳川消防署入署、1971年大和町役場入庁。1994年8月大和町町長選に立候補、当選。以後、2005年3月まで3期10年間、町長を務める。 柳川市、三橋町、大和町の合併により新柳川市が生まれたことに伴い、無所属で新市長選挙に立候補。前柳川市長であった河野弘史を抑え当選した。4月24日に市長職に就任した。人口の多い旧柳川市長の河野候補が圧倒的有利と見られていたが、マニフェストを掲げ、これまでの政策の転換を打ち出したことが奏功し、「改革派」としてのイメージが有権者に受け入れられたため、下馬評を覆しての当選となった。
阿木津 英(あきつ えい、1950年1月25日 - )は、日… 阿木津 英(あきつ えい、1950年1月25日 - )は、日本の歌人。短歌結社「八雁(やかり)」主宰。本名は末永英美子(すえなが えみこ)。現代短歌にフェミニズム思想を導入し、女歌運動に影響を与える。 福岡県行橋市生まれ。福岡県立京都高等学校卒業。九州大学文学部哲学科心理学専攻卒業。 出版社、児童相談所の心理判定員、塾の教師などの職歴を重ねながら、作歌活動を続ける。石田比呂志に師事し、1974年、石田が主宰する短歌結社「牙」に参加。後に石田と結婚(その後、協議離婚)。この時、筆名を阿木津とする。 1979年、「紫木蓮まで」30首にて短歌研究新人賞を受賞。同年、短歌結社「未来」に所属するが後に退会。
でんでん(本名:緒方 義博(おがた よしひろ)、1950年1… でんでん(本名:緒方 義博(おがた よしひろ)、1950年1月23日 - )は、日本の俳優、元・お笑い芸人である。福岡県中間市生まれ、水巻町育ち。アルファエージェンシー所属。 福岡県立八幡中央高等学校卒業後、19歳の時に渥美清に憧れ、弟子入り志願のために上京するが、本人には会えず断念。しかし東京に居れば何かしらチャンスが巡って来ると信じて帰郷せず、遠い親戚で丸井に勤めている人のツテで、夏場にあった丸井の就職試験を受けて、丸井に就職。丸井で4年ほど、下北沢→池袋→横須賀と転勤しながらサラリーマンとして働く。 そんな時に丸井時代の後輩が劇団ひまわりの募集広告を見せてくれたのをきっかけに、退社して劇団ひまわりに入団し、エキストラとして3か月ほど活動。
永松 潔(ながまつ きよし、1950年1月5日 - )は、日… 永松 潔(ながまつ きよし、1950年1月5日 - )は、日本の漫画家。男性。福岡県福岡市出身。 1971年、『コミックマガジン』(芳文社)に掲載の「望郷」でデビュー。主に青年誌で活躍している。代表作に『ツヨシしっかりしなさい』など。 『ビッグコミックオリジナル』にて『テツぼん』(原作:高橋遠州)を連載。『テツぼん』には『ツヨシしっかりしなさい』のツヨシたち登場人物がゲスト出演した。
玉木 康裕(たまき やすひろ、1950年1月4日 -)は、日… 玉木 康裕(たまき やすひろ、1950年1月4日 -)は、日本の実業家。タマホーム株式会社創業者で、代表取締役会長・兼社長・兼CEOを経て、代表取締役会長。筑後商工会議所会頭。 福岡県筑後市出身。家は老舗の建設業者で、裕福だった。母方も地主でお手伝いさんを何人も雇うほどだった。父は東京府東京市浅草区育ち。 1973年福岡大学商学部卒業後、筑後興産入社。1998年タマホーム設立、代表取締役社長。2007年筑後商工会議所会頭。2011年タマホーム代表取締役会長兼社長。2014年タマホーム代表取締役会長兼社長兼CEO。2015年タマホーム代表取締役会長兼社長兼CEO。2018年タマホーム代表取締役会長。
立石 泰則(たていし やすのり、1950年(昭和25年) -… 立石 泰則(たていし やすのり、1950年(昭和25年) - )は、日本のノンフィクション作家、フリージャーナリスト。 福岡県北九州市生まれ。北九州大学商学部経済学科卒業、中央大学大学院法学研究科修士課程修了。経済誌編集者を経て『週刊文春』記者となり、白石一文、鈴木洋嗣(のち文藝春秋取締役)と机を並べた。 しかし、立石は30歳で急性胆嚢炎で入院して以来、ほとんど毎年のように急性胃炎や急性膵炎で入退院を繰り返していた。そんな健康状態を心配した白石が、不規則な生活をどうしても強いられる週刊誌記者を辞めて、自分で健康管理のできるフリーランスの生活を勧め、1988年に独立。 企業経営者が主な取材対象で、松下幸之助が決断したコンピュータ事業からの撤退をひとつのメルクマークとしながら、松下経営の問題点を論じた『復讐する神話 松下幸之助の昭和史』(文藝春秋)が処女作。
新井 英一(あらい えいいち、1950年 - )は、福岡県福… 新井 英一(あらい えいいち、1950年 - )は、福岡県福岡市出身の歌手。本名、朴 英一(パク ヨンイル, 朝: 박영일)。 韓国人の父親と、朝鮮籍と日本のハーフだった母親との間にクォーターとして生まれる。新井は自らを「コリアンジャパニーズ」と呼ぶ。実家は自動車の解体業。 15歳の時に家を出て、山口県岩国市の米軍岩国基地で働き、ここでジャズを学ぶ。 21歳の時にアメリカに渡り、ロサンゼルスに一年住む。25歳の時にも渡米し、ニューヨークに一年居住した。ここでブルースの魅力に取り憑かれる。帰国後、内田裕也に見出され、29歳の時にアルバム『馬耳東風』にてデビューした。 1995年、アルバム『清河への道~48番』で第37回日本レコード大賞アルバム大賞を受賞。
中村 秀樹(なかむら ひでき、1950年(昭和25年) - … 中村 秀樹(なかむら ひでき、1950年(昭和25年) - )は、日本の元海上自衛官(2等海佐)。軍事史家。
野田 進(のだ すすむ、1950年 - )は、日本の法学者。… 野田 進(のだ すすむ、1950年 - )は、日本の法学者。九州大学名誉教授。専門は労働法。
南郷芳明(なんごう よしあき、1950年 - )は、日本の詩… 南郷芳明(なんごう よしあき、1950年 - )は、日本の詩人。 福岡県久留米市出身。西南学院大学英文学科卒業。立正大学大学院国文学専攻修士課程修了。 1979年、詩人の谷川俊太郎.や茨木のり子もかつて投稿していたという伝説の詩誌「詩学」に投稿を始めた。(1980年初めて3席で入選。詩人としてやっていけそうだという感触を得た。「詩に関する限りこのときの喜びにまさる喜びはない」と南郷は言う。以後入選を重ねる。1席を2回) この頃南郷は詩人宮澤章二と出会い、「自分がほんとうに悩んだり苦しんだりしているぎりぎりのところを書かなくちゃね」というアドバイスを受けた。 「宮澤先生は自分が出会った最初の詩人であり、そのオーラに完璧に圧倒された。
金沢 博範(かなざわ ひろのり、1950年(昭和25年) -… 金沢 博範(かなざわ ひろのり、1950年(昭和25年) - )は、福岡県出身の防衛官僚。第2代防衛省装備施設本部長、第29代防衛事務次官。
宇都宮 照信(うつのみや てるのぶ、1949年12月24日 … 宇都宮 照信(うつのみや てるのぶ、1949年12月24日 - )は、日本の鉄道愛好家。 日本食堂(当時)・ジェイダイナー東海(現:ジェイアール東海パッセンジャーズ)で調理業務に携わる。退職後、九州鉄道記念館館長代理(のちに副館長)に就任した。 福岡県福岡市博多生まれ。 1965年の高校進学時には当時熊本にあった全寮制の鉄道学校を受験した が、合格後に工業高校に改組されてしまった ため、自宅近くの工業高校に進学。在学中は蒸気機関車の撮影に明け暮れたため、学業がおろそかになってしまい、卒業後に何度か日本国有鉄道(国鉄)の採用試験を受けたがすべて失敗に終わったという。1968年に高校を卒業後、少しでも蒸気機関車のそばにいたいという理由で九州整備に入社する が、たまたま通過した寝台特急「はやぶさ」の食堂車が目に留まったのをきっかけとして、1969年5月に日本食堂(当時)に入社し、新博多営業所に配属となる。
上野 裕一(うえの ゆういち、1949年12月19日 - )… 上野 裕一(うえの ゆういち、1949年12月19日 - )は、日本の実業家、雑誌編集者。 福岡県に生まれる。1968年福岡県立修猷館高等学校を経て、九州大学経済学部経済学科を中退。 1974年全国加除法令出版に入社。九州支社長、雑誌編集長を歴任。 1984年3月トーホーに入社。1989年4月九州支店情報システム室長、1996年2月経営企画室長兼情報システム部長、1999年4月取締役経営企画室長兼情報システム部長、2003年4月取締役常務執行役員経営企画室長兼情報システム部長を経て、2007年4月代表取締役社長に就任。社長を務めた10年間には、選択と集中を通じて、連結売上高を2000億円台に押し上げ、業務用食品卸売りで大手の地位を固めた。
馬場 能久(ばば よしひさ、1949年11月26日 - 20… 馬場 能久(ばば よしひさ、1949年11月26日 - 2022年11月12日)は、日本の政治活動家。 福岡県八女市出身。福岡市南区清水在住。国士舘大学政経学部政治学科卒業。元救う会福岡(北朝鮮に拉致された日本人を救出する福岡の会)代表。元維新政党・新風副代表・同福岡県本部代表。人権擁護法案に反対する市民の連帯:FUKUOKA共同代表。元(財)国際平和機構評議員。定番問題である日本人拉致事件、尖閣諸島の領有権問題のみならず、介護施設の問題、バリアフリー等の高齢者、障害者問題にも取り組んでいる。また政治思想は伝統保守。環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)には当初反対していたが、対中国包囲網になるという主張を展開しTPP賛成に転向した。
伊藤 清美(いとう きよみ、1949年10月30日 - )は… 伊藤 清美(いとう きよみ、1949年10月30日 - )は、日本の元男子スピードスケート選手である。福岡県出身。東福岡高校、日本大学卒業。 東福岡高校在学中の1968年、インターハイの5000mと10000mで優勝。日大在学中の1972年、札幌オリンピックに出場し、1500m22位、5000m13位、10000m10位だった。第35回、第40回、第44回全日本スピードスケート選手権大会で総合優勝している。
横山 晴久(よこやま はるひさ、1949年10月24日 - … 横山 晴久(よこやま はるひさ、1949年10月24日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。
芦刈 茂(あしかり しげる、1949年(昭和24年)10月2… 芦刈 茂(あしかり しげる、1949年(昭和24年)10月21日 - )は、日本の政治家。元福岡県太宰府市長(1期)。 福岡県北九州市出身。久留米市立城南中学校、福岡県立明善高等学校卒業。1975年(昭和50年)3月、九州大学農学部卒業。 2007年(平成19年)4月22日に行われた太宰府市議会議員選挙に立候補。定数20の議席を21人の候補者が争う同選挙において、21位で落選。20位当選者との差は3票にも満たなかった(当選者706.099票に対し、芦刈は704票)。 2011年(平成23年)の市議選で初当選。 2015年(平成27年)4月26日に行われた太宰府市長選挙に立候補。現職の井上保廣を390票差で破り初当選。
八木 誠(やぎ まこと、1949年(昭和24年)10月13日… 八木 誠(やぎ まこと、1949年(昭和24年)10月13日 - )は、日本の実業家。元関西電力代表取締役会長である。在任中善管注意義務違反により損害を与えたとして、関西電力から総額19億円を超える損害賠償請求訴訟を受けた。 非常勤で関西経済連合会の2025年日本国際博覧会担当副会長や、電源地域振興センターの会長、日本動力協会の副会長、日本原子力発電の取締役などを務め、原子力発電環境整備機構の評議員にもなっていた。大阪府高槻市在住。 福岡市出身。福岡県立修猷館高等学校を経て、1972年3月京都大学工学部電気工学科卒業。修猷館の同期には、大陽日酸代表取締役会長吉村章太郎、大阪証券取引所社長を務めた米田道生がいる。
白川 方明(しらかわ まさあき、1949年(昭和24年)9月… 白川 方明(しらかわ まさあき、1949年(昭和24年)9月27日 - )は、日本の中央銀行家、経済学者(金融政策・決済システム)。2008年(平成20年)に、第30代日本銀行総裁に就任、2013年(平成25年)に辞任。その後、青山学院大学の特任教授に就任。 学位は経済学修士(シカゴ大学)。日本銀行審議役、日本銀行理事、京都大学大学院公共政策教育部教授、東京大学金融教育研究センター客員研究員等を歴任した。日本銀行総裁退任後、2013年9月1日付で、青山学院大学国際政治経済学部特任教授に就任。 福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)出身。福岡県立小倉高校、東京大学経済学部卒業。シカゴ大学大学院(経済学専攻)修了。
内山 勝(うちやま まさる、1949年〈昭和 24年〉9月1… 内山 勝(うちやま まさる、1949年〈昭和 24年〉9月16日 - 2023年〈令和5年〉9月2日)は、日本のロボット研究者。東京大学工学博士、東北大学名誉教授、正四位。いち早くロボットの学習制御や動的な制御に取り組み、6軸力センサやパラレルロボット「HEXA」、宇宙ロボットのハイブリッドシミュレータも開発。ETS-VIIの宇宙遠隔操作実験にも参画し、石渡治の漫画『パスポート・ブルー』に登場した東北大学内村研究室のモデルにもなった[要出典]。フレキシブルアームの制御やヒューマノイド、カーロボティクスの研究も手掛け、宇宙科学研究所教授(併任)や東北大学大学院理工学研究科長も歴任。 1949年(昭和24年)に福岡県で生まれる。
川島 透(かわしま とおる、1949年9月11日 - )は、… 川島 透(かわしま とおる、1949年9月11日 - )は、日本の映画監督。本名、大石忠敏。福岡県福岡市奈良屋町(現・博多区奈良屋町)出身。 福岡県立福岡高等学校卒業。原宿学校(現・東京映像芸術学院)映像クリエーター科出身。 1980年代に数々のヒット作を手がける。 2010年10月2~8日に東京・渋谷のシネマヴェーラにて初の特集上映「川島透映画祭」が開催された。 『竜二』主演の金子正次とは原宿学校からの先輩後輩の仲で親しかった。当初はプロデューサーとしての参加だったが、トラブルで監督降板後に大部分を撮り直し、監督デビューとなった。映画作家としては陽性なコメディやミステリへの志向が強く、谷岡雅樹は彼が最初から監督だったらそもそも『竜二』は撮らなかっただろうと記している。
佐藤 義雄(さとう よしお、1949年8月25日 - )は、… 佐藤 義雄(さとう よしお、1949年8月25日 - )は、日本の実業家。住友生命保険代表取締役社長、同社代表取締役会長、生命保険協会会長、経済同友会副代表幹事を歴任した。 福岡県出身。福岡県立小倉高等学校を経て、1973年九州大学法学部卒業。松尾憲治元明治安田生命保険社長は高校の同級生で、大学受験浪人時にも同じ予備校に通った。大学卒業後、住友生命保険に入社し、主に営業、運用畑を歩んだ。1995年徳島支社長。1998年株式運用部長。1999年証券投資部長。2000年取締役総合法人本部長。2002年常務取締役。 2007年住友生命保険代表取締役社長に昇格。前任の横山進一社長の路線を引き継ぎ財務健全化を進めたほか、アジアでの投資を行った。
植木 とみ子(うえき とみこ、1949年〈昭和24年〉8月1… 植木 とみ子(うえき とみこ、1949年〈昭和24年〉8月17日 - )は、日本の法学者。 福岡県福岡市出身。元長崎大学助教授、元財団法人福岡市文化芸術振興財団副理事長、元福岡市総合図書館長。
井上 正晴(いのうえ まさはる、1949年7月23日 - )… 井上 正晴(いのうえ まさはる、1949年7月23日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
中牟田 俊男(なかむた としお、1949年7月21日 - )… 中牟田 俊男(なかむた としお、1949年7月21日 - )は、日本のシンガーソングライター、ギタリスト、作曲家であり、海援隊のメンバー。通称「ムーさん」。福岡県福岡市出身。 西南学院大学在学中の1971年に武田鉄矢を誘い、海援隊を結成。1972年にデビューする。武田は福岡県立筑紫中央高等学校の同級生。1982年にグループを解散後、『IT(イット)』『プレーン・グラス』などのアルバムをリリースした。『IT(イット)』では、海援隊時代の曲「涙がらがら」や武田がソロで歌った「声援」などをセルフカヴァーしている。1993年に海援隊を再結成する。その後、海援隊と並行してのソロ活動を、東京の「四谷コタン」を中心に展開。
近藤 洋太(こんどう ようた、1949年7月16日 - )は… 近藤 洋太(こんどう ようた、1949年7月16日 - )は、日本の詩人・文芸評論家。 福岡県久留米市出身。福岡県立明善高等学校を経て、1973年中央大学商学部経営学科卒業。 大学在学中は中大ペンクラブに所属。卒業間際に檀一雄主宰の「ポリタイア」に参加し、林富士馬、真鍋呉夫、古木春哉、谷崎昭男ら「日本浪曼派」にゆかりのある人物たちの知遇を得る。1980年代には「SCOPE」などの同人雑誌に参加。現在、歴程、鷹同人。詩誌「スタンザ」発行。日本文芸家協会会員。2025年に評伝『草野心平』で第63回歴程賞を受賞。
松尾 憲治 (まつお けんじ、1949年6月22日 - )は… 松尾 憲治 (まつお けんじ、1949年6月22日 - )は日本の実業家。明治安田生命代表取締役社長や、生命保険協会会長、日本野球関東地区連盟会長、ダイヤ高齢社会研究財団会長等を歴任した。 福岡県出身。福岡県立小倉高等学校を経て、1973年神戸大学経済学部卒業。佐藤義雄元住友生命保険社長は高校の同級生で、大学受験浪人時にも同じ予備校に通った。大学卒業後明治生命保険(現明治安田生命保険)入社。長野支社長、不動産部長などを経て、2005年常務。同年代表取締役社長に昇格し、保険金不払い事件に対応した。2012年生命保険協会会長。2013年明治安田生命保険特別顧問、三菱財団理事。 2016年日本野球関東地区連盟会長。
石井 輝比古(いしい てるひこ、1949年6月9日 - )は… 石井 輝比古(いしい てるひこ、1949年6月9日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
萩尾 望都(はぎお もと、本名同じ、1949年5月12日 -… 萩尾 望都(はぎお もと、本名同じ、1949年5月12日 - )は、日本の女性漫画家。女子美術大学客員教授、日本SF作家クラブ名誉会員、日本漫画家協会理事、日本芸術院会員。 福岡県大牟田市生まれ。1969年に『ルルとミミ』でデビューする。1972年から『ポーの一族』を連載、1976年に同作および『11人いる!』により第21回小学館漫画賞を受賞した。同時期に連載された『トーマの心臓』も人気となり、少女漫画に革新をもたらし黄金時代を築いたとして、竹宮惠子や大島弓子、山岸凉子らと共にその生年から「花の24年組」と呼ばれた。 作品のジャンルはSF、ファンタジー、ミステリー、ラブコメディー、バレエ、サスペンスなど幅広い分野にわたる。
桑野 議(くわの はかる、1949年5月5日 - )は、福岡… 桑野 議(くわの はかる、1949年5月5日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(外野手、一塁手)・コーチ。 中学時代は大阪市鶴見区の大阪市立緑中学校野球部に所属し、早くからプロ野球選手に憧れていて、南海ファンであった。九州工業高校では投手として、同期の奥宮種男とバッテリーを組む。1966年秋季九州大会県予選では、北部準決勝に進むが小倉工に惜敗。翌1967年夏の甲子園県予選決勝に進出し、再び小倉工と対戦。エース横山晴久と投げ合うが、0-3で完封負けし甲子園出場を逸する。 1967年のドラフト5位で阪神タイガースに入団。同期には後に同じ代打の切り札で活躍する川藤幸三がいた。阪神では打者としての素質を高く評価(3年間の通算打率.380)しており、プロ入り後は強肩俊足を活かして外野手に転向。
牛尾 長生(うしお たけお、1949年〈昭和24年〉4月29… 牛尾 長生(うしお たけお、1949年〈昭和24年〉4月29日 - )は、日本の地方公務員。福岡県東京事務所長、同副知事、福岡県信用保証協会会長を歴任。瑞宝中綬章受章。 福岡市早良区出身。福岡大学附属大濠高校を卒業し、慶應義塾大学通信教育課程中退。1971年 福岡県庁入職。総務部、農政部、2002年 (平成14年) 農政部農業経済課長、2004年 同部副理事兼農政課長、2006年 保健福祉部次長、2007年 東京事務所長。2010年4月 収賄罪で起訴された中島孝之の後任として麻生渡知事から副知事に任命された。「責任の重さを感じている。まずは県民の信頼を回復しなければいけない。麻生県政は今年が4期目の仕上げの年に当たるが、しっかりと支えたい」と抱負を語った。
猿渡 寛茂(さるわたり ひろしげ、1949年4月28日 - … 猿渡 寛茂(さるわたり ひろしげ、1949年4月28日 - )は、福岡県田川市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。 三池工高は名将・原貢監督の指導で強豪チームへと変貌を遂げ、1年次の1965年には1年上のエース・上田卓三を擁し、夏の甲子園で初出場初優勝を果たしたが、自身はベンチ外であった。2年次の1966年にはチームの主将として活躍し、秋季九州大会では準決勝まで進出するが鎮西高にコールド負けを喫し、1967年の春の選抜出場を逸する。同期にはプロでもチームメイトとなる相本和則がいた。 卒業後は三菱重工長崎に入社し、俊足とパンチ力ある打撃を武器にレギュラーとして定着、チームの勝利に貢献する4番打者となった。
当摩 好子(とうま よしこ、1949年(昭和24年)4月26… 当摩 好子(とうま よしこ、1949年(昭和24年)4月26日 - )は、日本の政治家、社会福祉士。選挙では当麻 よし子の表記も用いる。 所沢市長(1期)、埼玉県議会議員(3期)、所沢市議会議員(3期)を務めた。 福岡県大牟田市生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。 1979年4月、日本社会党公認で所沢市議会議員選挙に出馬し、初当選。以後所沢市議を3期務めた。1991年10月、所沢市長選挙次点落選。1996年、日本社会党から党名を変更した社会民主党を離党し、民主党結党に参加。同年の第41回衆議院議員総選挙には民主党公認で埼玉県第8区から出馬するも、落選。 1999年4月、埼玉県議会議員選挙に民主党公認で出馬し、当選。
相本 和則(あいもと かずのり、1949年4月22日 - )… 相本 和則(あいもと かずのり、1949年4月22日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。 三池工業高校では1965年夏の甲子園でチームの初優勝を経験するが、1年生であり出場はできなかった。高校同期に猿渡寛茂がいる。 高校卒業後は東海大学へ進学。首都大学野球リーグでは在学中に6回優勝。二塁手、一番打者として活躍する。1968年の明治維新百年記念明治神宮野球大会に首都大学野球リーグ代表として出場。決勝ではエース上田二郎が東京六大学野球リーグ代表の星野仙一らと投げ合い完封勝利、優勝を果たす。1969年の第18回全日本大学野球選手権大会でも決勝に進み、上田が日大の佐藤道郎と互いに無失点で投げ合う。
永井 義男(ながい よしお、1949年4月20日 - )は、… 永井 義男(ながい よしお、1949年4月20日 - )は、日本の小説家、歴史評論家。
古賀 正明(こが まさあき、1949年4月11日 - )は、… 古賀 正明(こが まさあき、1949年4月11日 - )は、福岡県久留米市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 福岡県久留米市で生まれ10歳の時に東京へ移住する。日大三高では、2年生の時、エースとして1966年の夏の都大会の決勝に進出するが、修徳高の辻正孝に本塁打を喫し敗退。翌1967年夏は都大会準決勝で、後に大学同期となる依田優一を打の主軸とする堀越高に敗れ、甲子園出場はならなかった。高校同期に三塁手の畑野実、控え投手の柴田民男がいる。 卒業後は法政大学に進学。法大には同期の横山晴久、一年下の池田信夫ら好投手がおり、公式戦の登板は2イニングのみに終わった。1972年に丸善石油に入社。1973年の都市対抗に出場し、エース久玉清人をリリーフして好投、チームは準々決勝に進出する。
武田 鉄矢(たけだ てつや、1949年〈昭和24年〉4月11… 武田 鉄矢(たけだ てつや、1949年〈昭和24年〉4月11日 - )は、日本の俳優、歌手、タレント、司会者、作詞家。フォークグループ・海援隊のボーカル・リーダー。 代表曲に「母に捧げるバラード」、「あんたが大将」、「人として」、「贈る言葉」、「思えば遠くへ来たもんだ」(いずれも海援隊)などがある。 福岡県立筑紫中央高等学校卒業、福岡教育大学中退ののち名誉卒業(名誉学士であり、厳密には大学学部卒の扱いにはならない)。 長崎市亀山社中記念館名誉館長。 1949年(昭和24年)、福岡県福岡市博多区(出生当時は筑紫郡那珂町)生まれ。5人兄弟姉妹の末っ子で、12歳上の兄と3人の姉がいる。母・武田イクと父・嘉元は熊本県阿蘇郡南小国町中原字樋ノ口の出身。
奥宮 種男(おくみや たねお、1949年4月8日 - )は、… 奥宮 種男(おくみや たねお、1949年4月8日 - )は、福岡県小倉市(現・北九州市)出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 九州工では同期の桑野議とバッテリーを組み、3年次の1967年に夏の甲子園県予選で決勝に進出。小倉工の横山晴久に0-3の完封負けを喫し、甲子園出場を逸する。 同年のドラフト3位でサンケイアトムズに入団し、1年目の1968年は4月7日の中日戦(中日)で初出場を果たすと、田中勉から初安打の二塁打を放つ。2年目の1969年は4月26日の大洋戦(長崎大橋)で島田源太郎から初本塁打を放ち、自身唯一の打率3割となる.308を記録。3年目の1970年にはジュニアオールスターに出場し、1971年からは大矢明彦の控え捕手として一軍に定着。
瓜生 道明(うりう みちあき、1949年3月18日 - )は… 瓜生 道明(うりう みちあき、1949年3月18日 - )は、日本の財界人であり、九州電力の代表取締役会長である。玄海原発、川内原発の再稼働に全力を注いでいる。九州電力やらせメール事件が発覚した当時は副社長であった。 福岡県北九州市生まれ。父親の転勤で大阪などで育つ。大阪大学で機械工学を学び、鉱山会社に就職して1年で退社。のちに大阪大学大学院工学研究科で産業機械工学を専攻し、1975年3月に修了。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
松木 聖(まつき ひじり、1949年2月15日 - )は、日… 松木 聖(まつき ひじり、1949年2月15日 - )は、日本の元女優。本名同じ。姉は女優の松木路子。 福岡県出身。筑紫女学園高等学校卒業。楡プロダクションに所属していた。 1967年に劇団雲の研究生となる。研究生時代よりテレビドラマに出演するが、小柄であるため実年齢より年下の役柄が多かったことから、大人の女優を目指して1969年に劇団雲を退団する。しかし、移籍した事務所でも思うような仕事が来なかったため、1971年に芸能界からの引退を決意して帰郷する。 1972年、ライオン奥様劇場『落城の舞い』(フジテレビ)の主演に予定されていた姉・路子のスケジュールが合わず、代わりに出演話が持ち込まれ、本作のヒロインである千姫役で復帰する。
長津 美代子(ながつ みよこ、1949年2月 - )は、日本… 長津 美代子(ながつ みよこ、1949年2月 - )は、日本の家族研究者。お茶の水女子大学大学院家政学研究科家庭経営学修了。群馬大学教育学部教授。社会科学博士。専門は、家族関係学・家族社会学・生活経営学。 主に家族関係学・家族社会学・生活経営学
本田 路津子(ほんだ るつこ、1949年〈昭和24年〉1月6… 本田 路津子(ほんだ るつこ、1949年〈昭和24年〉1月6日 - )は、日本の元フォークシンガー、現ゴスペルシンガー。 福岡県大牟田市出身。 福岡県大牟田市出身だが、その後、家族(当時両親、妹)と共に新潟県に転居し、桜美林高等学校入学と同時に東京都町田市に単身で転居。その後、桜美林大学文学部英文科に進学。 路津子の名前の由来は、両親がキリスト教徒であったので(本人は結婚するまでキリスト教徒ではなかった)、旧約聖書の「ルツ記(英語ではルース)」に出てくるボアズの誠実な嫁ルツから取った。本来のキリスト教での表記は「路律」であるが、路律子では余りに難読となる為、路津子にしたとの事である。 桜美林大学文学部英文科卒業。
山下健夫(やました たてお、1949年1月4日 - )は日本… 山下健夫(やました たてお、1949年1月4日 - )は日本の登山家。福岡県北九州市出身。 1971年八幡大学(現九州国際大学)卒業。学生時代山岳部で国内中心に山岳登頂を重ねる。大学卒業後アウトドア用品会社に就職。 エベレスト登頂後は九州マウンテン・ガイド・サービス(山ちゃん塾)を主宰。山岳ガイドの傍ら講演活動等も頻繁に行っている。他マッキンリーやヨーロッパアルプス等登頂多数。 2006年エベレスト登頂にはハンディカムで撮影しながらのアタックに挑戦した。 2010年に3回目のエベレスト登頂を計画していたが体調の調整の為延期となった。 2012年に3回目のエベレスト登頂を目指しネパール側ルートでC4まで到達したが、エベレスト登山史上類を見ない悪条件により山頂直前で大渋滞が発生。
座小田 豊(ざこた ゆたか、1949年 - )は、日本の哲学… 座小田 豊(ざこた ゆたか、1949年 - )は、日本の哲学研究者。東北大学名誉教授。専門は西洋近代哲学、特にドイツ観念論の研究。[出典:https://cir.nii.ac.jp/crid/1050282677743411584] 1949年、福岡県戸畑市(現・北九州市戸畑区)に生まれる。1968年福岡県立戸畑高校卒業、1973年、東北大学文学部を卒業。1978年、東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。 東北大学文学部助手から弘前大学教養部助教授、東北大学大学院国際文化研究科助教授を経て、1999年東北大学文学部教授となる。2014年度をもって東北大学を定年退職、現在は東北大学の総長特命教授を務める。
谷口 雅(たにぐち みやび、1949年 - )は、写真家、写… 谷口 雅(たにぐち みやび、1949年 - )は、写真家、写真評論家。2002年より2012年まで東京綜合写真専門学校校長。 1949年愛知県生まれ。福岡県立福岡高等学校を経て、東京綜合写真専門学校卒業。 「写真批評」編集部に勤務。その後、東京綜合写真専門学校講師となる。 写真家による自主ギャラリー「プリズム」(東京・新宿)設立にかかわる(このギャラリーは東京綜合写真専門学校や東京造形大学の在校生や卒業生が中心となって1976年3月に設立された。その後、このプリズムは閉廊している)。 1985年のつくば写真美術館'85の企画にも参加した。 個展、グループ展や展覧会の企画も行う。 なお、福岡在住で布を使った作品を制作する谷口雅()は別人。