岡本 健治(おかもと けんじ、1933年〈昭和8年〉2月15… 岡本 健治(おかもと けんじ、1933年〈昭和8年〉2月15日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 西南学院高校から日鉄二瀬を経て、1952年に西鉄ライオンズへ入団。 しかしプロ初登板の試合で二者連続四球を出して降板。結果的にこれがプロ唯一の登板となった。 1954年に引退。その後はノンプロに参加した後、起業。「岡本食品機器販売」の社長を務めている。
毛利 恒之(もうり つねゆき、1933年2月8日 - )は、… 毛利 恒之(もうり つねゆき、1933年2月8日 - )は、日本の脚本家、放送作家、小説家。 福岡県大牟田市で生まれる。福岡県立三池高等学校、熊本大学法文学部国文学科卒業。NHK契約ライターを経て、フリーの放送作家となる。 主な作品に、「マーサ」(九州朝日放送、1961年)、「十八年目の召集」(九州朝日放送、1964年)、「幾星霜」(九州朝日放送、1964年)といったテレビドラマのほか、「福大病院タリウム中毒事件の謎」(福岡放送、1982年)、北洋漁船の衝突事故を扱った「海難を超えて」(仙台放送、1983年)などのドキュメンタリーがある。一方で、KBCの情報ワイド番組「モーニングモーニング」(1986年 - 1998年)の企画立ち上げにも関わる。
中江 俊夫(なかえ としお、1933年2月1日 - )は、日… 中江 俊夫(なかえ としお、1933年2月1日 - )は、日本の詩人。
堀尾 輝久(ほりお てるひさ、1933年〈昭和8年〉1月5日… 堀尾 輝久(ほりお てるひさ、1933年〈昭和8年〉1月5日 - )は、日本の教育学者。東京大学名誉教授。専攻は教育学、教育思想史。元NHKアナウンサーの杉山邦博は実兄。美術史家で文化学園大学名誉教授の堀尾真紀子は妻。 勝田守一の「国民の教育権」論、宗像誠也の内外事項区分論を継承し、それらを発展させつつ、コンドルセ Condrcet1743-94ら、近代初期の教育思想に、幸徳秋水やホブソンなどの先駆的な「帝国主義」に関する論など国家論・社会論を接続して、その現代的再構成を試みた。現代公教育を、支配者階級による被支配者階級の「教化 indoctorination」システムと定位し、近代における教育拡大(教育の機会均等・義務教育の普及など)を批判的に把捉した。
石橋 雅史(いしばし まさし、1933年〈昭和8年〉1月4日… 石橋 雅史(いしばし まさし、1933年〈昭和8年〉1月4日 - 2018年〈平成30年〉12月19日)は、日本の俳優、空手家。段位は剛柔流九段・極真カラテ七段。本名:石橋 雅美()。 台湾花蓮港庁花蓮港街で生まれ、福岡県柳川市へ転居。福岡県立伝習館高等学校、日本大学藝術学部演劇学科卒業。竹内事務所に所属していた。 父は職業軍人で、弟が二人いる。終戦で福岡県柳川市へ引き揚げ、高校卒業まで過ごす。 1956年、大学卒業と同時に文化座演劇研究所、文学座付属演劇研究所に入り俳優の道を進む。やがて文化座の劇団員となるが、八百屋の小僧、パチンコ屋の店員、荷かつぎ人夫、学生時代から修行をしている空手では大山道場と草創期の極真会館で師範代をして生活費を稼ぎ、演劇『その人を知らず』(1957年)、『炎の人』(1958年)などの舞台に立つ。
大久保 英雄(おおくぼ ひでお、1933年 - )は、日本の… 大久保 英雄(おおくぼ ひでお、1933年 - )は、日本の医学者。九州大学医学部第一内科元准教授。医学博士(1967年、同大学にて取得)。専門は内科、消化器病、糖尿病、肝臓病。 福岡県小倉市(現・北九州市)生まれ。福岡県立小倉高等学校を卒業。九州大学医学部を卒業。同大学第一内科に入局し、1967年、同大学にて医学博士を取得。同年から同大学第一内科講師、1978年から1985年まで同大学同科助教授を歴任。その間、1969年アメリカのオクラホマ大学に留学。公益社団法人日本糖尿病協会員。1992年から1999年まで北九州市立医療センター総括副院長。新栄会病院南ヶ丘病院最高顧問、北九州市保健福祉局嘱託医(2009-2019)、公益社団法人日本糖尿病協会療養指導医である。
木下 謙治(きのした けんじ、1933年 - )は、日本の社… 木下 謙治(きのした けんじ、1933年 - )は、日本の社会学者、教育者。山口大学名誉教授である。 1933年、静岡県で生まれる。1943年、戦火を避けるため、福岡県に移住。福岡県立京都高等学校を卒業。1958年3月、九州大学文学部卒業し、同大学院文学研究科社会学専攻博士課程に進むが、1963年に中退。その後、1986年に山口大学人文学部教授、1996年-1997年に九州大学文学部教授に就任する。続いて、1997年-1998年筑紫女学園大学文学部教授、1998年-1999年に福岡県立大学人間社会学部教授、2001年に筑紫女学園大教授、2004年-2006年まで宇部フロンティア大学人間社会学部教授に歴任。
白石 悌三(しらいし ていぞう、1932年12月20日 - … 白石 悌三(しらいし ていぞう、1932年12月20日 - 1999年7月5日)は、近世文学研究者、福岡大学名誉教授。
渡辺 清(わたなべ きよし、1932年11月30日 - )は… 渡辺 清(わたなべ きよし、1932年11月30日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(外野手)。 福岡県立戸畑高等学校への在学中は投手で、エースとして活躍するが、甲子園球場での全国大会と縁がなかった。 高校からの卒業後に専修大学へ進学すると、3年生から外野手に転向。在学中には、東都大学野球リーグで4回の優勝を経験した。4年時の1954年、第3回大学選手権の準決勝で明大の「五人衆」(秋山登と土井淳のバッテリー、岩岡保宏、黒木弘重、沖山光利)を擁する明治大学に敗れた。硬式野球部の同期生に岡本健一郎と片山嘉視がいて、1955年に3人揃って阪急ブレーブスへ入団した。 入団1年目の1955年から、レギュラー外野手としてパシフィック・リーグ公式戦132試合に出場するとともに、リーグの最終規定打席へ到達。
熊谷 弘(くまがい ひろし、1932年11月3日 - )は、… 熊谷 弘(くまがい ひろし、1932年11月3日 - )は、日本の指揮者、作曲家。コンサートや映画音楽のレコーディング等で活動している。 福岡県に生まれる。福岡県立八女高等学校卒業後、武蔵野音楽大学作曲学科に入学し、クラウス・プリングスハイムに作曲を師事する。1957年、日本フィルハーモニー交響楽団に打楽器奏者として入団する。1960年代はニューディレクション設立にあたり同人として現代音楽と積極的に拘わる。傍ら指揮を渡邉暁雄に師事し、室内合奏団(スペルーロ合奏団)を組織し、放送(NHK-FM)、演奏会などで指揮活動を行う。 1970年、日本フィルを退団と同時に打楽器奏者を引退、同年日本フィル特別演奏会において指揮者としてデビューする。
寺田 信義(てらだ のぶよし、1932年〈昭和7年〉11月1… 寺田 信義(てらだ のぶよし、1932年〈昭和7年〉11月1日 - 2004年〈平成16年〉9月22日)は、日本の脚本家・放送作家。福岡県久留米市出身。新潟県立三条高等学校を経て、中央大学法学部卒。在学中に学映協(全国学生自主映画製作協議会)に参加し、その縁で『ともしび』(1954年/監督:家城巳代治)を執筆して脚本家デビューを果たした。1957年には戦後映画史の傑作とされる『異母兄弟』(原作 : 田宮虎彦 監督:家城巳代治)を依田義賢と共同執筆し、高い評価を受けて名声を確立した後、独立プロの活動を経て日本映画復興会議(初代議長:今井正)に参加。社会派映画から日活青春映画、アクション、さらにはテレビドラマまで幅広く手掛け、現実社会や時代性を鋭く反映した作風で知られる。
大神 武俊(おおがみ たけとし、1932年11月1日 - 2… 大神 武俊(おおがみ たけとし、1932年11月1日 - 2003年1月16日)は、福岡県福岡市出身のプロ野球選手(投手、右投右打)・解説者、野球指導者。 博多工業高から社会人野球の東洋高圧大牟田を経て、1951年に南海ホークスの2軍的なチームであった社会人野球の南海土建に入団。 1952年に南海ホークスに昇格する。1年目の当初は、ぱっと見で身体が細くて、使い物になるか危ぶまれるような選手であったという。しかし、キャンプで注目を集めると、シーズンでは8勝を挙げる。巨人との日本シリーズでは新人にもかかわらず、第1戦の先発に抜擢される(大神以後、日本シリーズ第1戦に先発登板した新人投手は、楽天の則本昂大が2013年に先発登板するまで61年間にわたって現れなかった。
大隅 和雄(おおすみ かずお、1932年10月10日 - )… 大隅 和雄(おおすみ かずお、1932年10月10日 - )は、日本の歴史学者、思想史家。専攻は中世思想史(仏教思想)。東京女子大学名誉教授。 1932年、福岡県福岡市生まれ。父大隅芳雄は鉱山学者で、九州帝国大学に勤めていた。戦時中であった1945年4月、全国から理系科目に秀でた生徒を特別に集めた広島高等師範学校附属中学校特別科学教育学級に進学。しかし戦局悪化にともない疎開中、広島へ原子爆弾が投下されたことにより校舎が壊滅し、福岡県立中学修猷館に転校した。 1951年、新制になった福岡県立修猷館高等学校を卒業。 東京大学に進み、1955年に文学部国史科を卒業した。1964年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。
五木 寛之(いつき ひろゆき、1932年〈昭和7年〉9月30… 五木 寛之(いつき ひろゆき、1932年〈昭和7年〉9月30日 - )は、日本の小説家・随筆家。福岡県出身。旧姓は松延(まつのぶ)。日本芸術院会員。 第二次世界大戦での日本の敗戦に伴い少年期に朝鮮半島から引揚げ、早稲田大学露文科中退。作詞家を経て『さらばモスクワ愚連隊』でデビューした。『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞受賞。反体制的な主人公の放浪的な生き方(デラシネ)や現代に生きる青年のニヒリズムを描いて、若者を中心に幅広い層にブームを巻き起こした。その後も『青春の門』をはじめベストセラーを多数発表。1990年代以降は『大河の一滴』など仏教、特に浄土思想に関心を寄せた著作も多い。 1932年、教員の松延信蔵とカシエの長男として福岡県八女郡上妻村に生まれる。
寺崎 昌男(てらさき まさお、1932年9月26日 - )は… 寺崎 昌男(てらさき まさお、1932年9月26日 - )は、日本の教育学者、東京大学・立教大学・桜美林大学名誉教授。東京大学教育学部長、東京大学教育学部附属中学校・高等学校(現・附属中等教育学校)校長、立教大学全学共通カリキュラム運営センター部長、立教学院本部調査役を歴任。学界では教育史学会、日本教育学会、大学教育学会の運営に携わり、日本学術会議第17・18期会員。教育史の枠を超えて大学史の研究を進め、多くの著書がある。 福岡県生まれ。福岡県立明善高等学校を経て、1957年、東京大学教育学部教育学科卒業。1959年、東京大学大学院人文科学研究科教育学専門課程修士課程修了。1962年、東京大学大学院人文科学研究科教育学専門課程博士課程単位取得退学。
栗城 壽夫(くりき ひさお、Hisao Kuriki、193… 栗城 壽夫(くりき ひさお、Hisao Kuriki、1932年9月4日 - )は、日本の法学者。専門は、憲法・比較憲法学・ドイツ憲法。大阪市立大学名誉教授、上智大学名誉教授。ドイツ・フライブルク大学 名誉法学博士。ドイツ憲法判例研究会(独: Forschungsgesellschaft für deutsches Verfassungsrecht (FdV), Japan)設立者、2013年4月から名誉代表。福岡県門司出身。 略歴は以下のとおり。 指導教官は林田和博(wikidata)。水波朗からも指導を受けた。 ◎ 大学の紀要等において国内で公表されているものについては、国立情報学研究所(NII)の学術情報ナビゲータ,通称:CiNii(サイニィ)サイトの論文情報検索、図書・雑誌情報検索(複数著者である場合は検索結果を詳細表示)を用いると、概ねリストアップされることが確認できています。
松本 英一郎(まつもと えいいちろう、1932年7月8日 -… 松本 英一郎(まつもと えいいちろう、1932年7月8日 - 2001年6月17日)は、日本の洋画家である。 福岡県久留米市出身、福岡県立明善高等学校から東京芸術大学に進学、卒業時に大橋賞を受ける。独立展を拠点に活動する。東京都立駒場高等学校で教鞭をとり、その後多摩美術大学に転じ、教授職をつとめ、後進の指導に力を注いだ。 風景画を中心に描き、〈平均的肥満体 1965~1970〉〈退屈な風景 1971~1986〉〈さくら・うし 1987~1996〉〈花と雲と牛 1997~2001〉の連作をのこす。 義父は教育学者の石川謙、義兄に石川松太郎がいる。 青森県立美術館、栃木県立美術館、東京都現代美術館、府中市美術館、多摩美術大学美術館、八王子市夢美術館、青梅市立美術館、佐久市立近代美術館、池田20世紀美術館、愛知県美術館、京都国立近代美術館、広島市現代美術館、高松市美術館、北九州市立美術館、福岡県立美術館、福岡市美術館、久留米市美術館、熊本県立美術館、宇城市不知火美術館、都城市立美術館
屋山 太郎(ややま たろう、1932年〈昭和7年〉6月4日 … 屋山 太郎(ややま たろう、1932年〈昭和7年〉6月4日 - 2024年〈令和6年〉4月9日)は、日本の政治評論家。コラムニスト。公益財団法人社会貢献支援財団理事、公益財団法人日本財団評議員、一般社団法人日本戦略研究フォーラム会長、国家基本問題研究所理事。 福岡県福岡市生まれ。父は鹿児島市の出身で、終戦の時期には鹿児島市で過ごす。東京都立青山高等学校、東北大学文学部仏文科卒業。学生時代は剣道部に所属していた。 1959年時事通信社入社。ローマ特派員、首相官邸キャップ、ジュネーヴ特派員、編集委員兼解説委員を歴任し、1987年退社。 1981年第2次臨時行政調査会(土光臨調)に参画、以後、第1次~第3次行政改革推進審議会専門委員、選挙制度審議会委員、臨時教育審議会専門委員を務めた。
石松 愛弘(いしまつ よしひろ、1932年6月1日 - 20… 石松 愛弘(いしまつ よしひろ、1932年6月1日 - 2025年11月28日)は、日本の脚本家、小説家。 福岡県飯塚市に生まれ、大牟田市、宗像市に育つ。福岡県立宗像高等学校、東京大学文学部美学美術史学科卒。大学在学中から東宝のシナリオ研究会に所属。最初は東宝の入社試験を受けるが、採用者が決定する直前になって「胸に影」があったのが理由となって採用取り消しとなり、その代わりに大映を紹介してもらい、卒業後大映に入社し、白坂依志夫、舟橋和郎、増村保造らに師事。 1960年『弾痕街の友情』でデビューし、1962年に大映と脚本家契約をする。 以来、テレビと映画の別なく骨太なハードボイルド、任侠作品を数多く執筆し、大映のみならずカラーの異なる東宝、東映、日活といった各社でも活躍。
永岡 義久(ながおか よしひさ、1932年〈昭和7年〉6月 … 永岡 義久(ながおか よしひさ、1932年〈昭和7年〉6月 - 2015年〈平成27年〉)は、日本の作家、文芸評論家。 福岡県福岡市生まれ。学習院大学政経学部政治学科卒業。 大学生時代に学習院大学の聴講生だった久邇通子と出会い恋仲になる。この事が表沙汰になるのを家族に嫌われたからか久邇通子は1年で大学に通うのを辞め、月に2、3回隠れるようにデートしていた。久邇通子の親族は、永岡義久と久邇通子の結婚を許さなかった。この2人が付き合い始めて5年が経った頃に、久邇通子の父親であった久邇宮朝融王は肝硬変で倒れる。それから近親者の取り計らいで2人の結婚が決まる。意識不明の父の枕元で婚姻届を書く。その時の永岡義久は既にサラリーマンで、飯田橋のアパートで夫婦で暮らしていたが、同居をすれば性格の不一致が広まり4年で離婚する。
大内 和臣(おおうち かずおみ、1932年3月29日- )は… 大内 和臣(おおうち かずおみ、1932年3月29日- )は、日本の法学者。専門は国際法。学位は法学博士。元中央大学教授。元西南学院大学教授。福岡県出身。
山下 一海(やました かずみ、男性、1932年3月7日 - … 山下 一海(やました かずみ、男性、1932年3月7日 - 2010年2月15日)は、日本の俳文学者。鶴見大学名誉教授。 福岡県福岡市生まれ。幼時から両親の影響で俳句に親しみ、小学校上級から中学にかけて句作に熱中した。やがて句作からは離れたが、早稲田大学文学部国文学科卒、大学院で近世文学を専攻。 成城大学短期大学部助教授、鶴見大学文学部国文科教授を務めた。著書は多く、松尾芭蕉、与謝蕪村など近世俳人についての研究、評論が多い。 2010年2月15日、逝去。77歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
川本 源司郎(かわもと げんしろう、1932年〈昭和7年〉3… 川本 源司郎(かわもと げんしろう、1932年〈昭和7年〉3月1日 - 2024年〈令和6年〉2月12日)は、日本の実業家。銀座や中洲、小倉などに「丸源ビル」の名称で多くの雑居ビルを所有していた。日本の億万長者の1人であった。 1932年、福岡県小倉市(現・北九州市)の呉服屋「丸源」に生まれた。子供のころの夢は「金閣寺に住みたい」であった。 地元小倉の私立常磐高等学校を卒業。1953年、慶應義塾大学経済学部を中退し家業の呉服店を継ぐ。このもうけの大半を不動産に投資し、木造アパートやマーケットの建築からはじめて高度経済成長による不動産価格の高騰で莫大な利益を上げた。 1960年には呉服屋を廃業し、本格的に貸しビル業へ転じる。
田中 寧夫(たなか やすお、1932年〈昭和7年〉2月24日… 田中 寧夫(たなか やすお、1932年〈昭和7年〉2月24日 - )は、日本の元競泳選手。 福岡県久留米市のあけぼの商店街の森恒呉服店の子として生まれる。福岡県立明善高等学校を経て、早稲田大学に入学する。 大学在学中、1952年ヘルシンキオリンピックに競泳日本代表として男子400m自由形に出場。準決勝で9位となり、決勝進出はならなかった。
水上 靜哉(みずかみ しずや、1932年2月16日 - )は… 水上 靜哉(みずかみ しずや、1932年2月16日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手(内野手)。
敷田 稔(しきた みのる、1932年2月13日 - 2017… 敷田 稔(しきた みのる、1932年2月13日 - 2017年9月12日)は、日本の元検察官、弁護士。 1932年2月13日福岡県北九州市生まれ。福岡県立東筑高等学校、九州大学法学部法律学科卒業。1956年検事任官。1957年ハーバード大学ロースクール留学。
荒木 尚(あらき ひさし、1932年1月16日 - 2020… 荒木 尚(あらき ひさし、1932年1月16日 - 2020年1月15日)は、日本の国文学者。熊本大学名誉教授。 福岡県大牟田市生まれ。1954年熊本大学法文学部文学科卒、1957年早稲田大学大学院修士課程修了。1978年「今川了俊の研究」で早大文学博士。1956年熊本大学法学部助手、1962年講師、1964年教養部助教授、1970年法文学部助教授、1975年教授。1985-1987年図書館長、1997年定年退官、名誉教授、就実女子大学教授、、2010年瑞宝中綬章。
劍龍 猛虎(けんりゅう たけとら、1932年1月15日 - … 劍龍 猛虎(けんりゅう たけとら、1932年1月15日 - 1998年1月25日)は、時津風部屋に所属した元力士。元関脇・巨砲丈士の実父。本名は松本 隆一(まつもと りゅういち)。現在の福岡県嘉麻市出身。168cm、81kg。最高位は東十両筆頭。得意技は左四つ、下手投げ。 1947年6月場所に初土俵。1953年3月場所に十両昇進。1955年5月場所は東十両筆頭まで躍進したが5勝10敗と負け越し、ついに入幕はならず、右膝の負傷で途中休場した1957年5月場所限りで廃業した。
鳥井 守幸(とりい もりゆき、1932年1月10日 - 20… 鳥井 守幸(とりい もりゆき、1932年1月10日 - 2025年8月15日)は、日本のジャーナリスト。元帝京平成大学教授。元日本ジャーナリスト専門学校校長。 福岡県大牟田市出身。早稲田大学法学部卒業。 大学卒業後、毎日新聞社に入社。毎日新聞西部本社管轄の福岡総局、大分支局勤務を経て東京本社勤務となり、社会部副部長、編集委員、『サンデー毎日』編集長を歴任。『サンデー毎日』時代の1980年には、同誌編集部員の鳥越俊太郎と共に、社会問題となっていた「イエスの方舟」への密着取材を敢行。主宰者の千石剛賢に単独インタビューを行うなど、当時他マスコミから全く無視されていた「イエスの方舟」側の主張を取り上げ、事態の沈静化へ導いた。
望月 清人(もちづき きよと、1932年 - )は、日本の経… 望月 清人(もちづき きよと、1932年 - )は、日本の経済学者。松山大学名誉教授。経済学博士(神戸大学)。専攻は、社会政策。松友孟を中心とした愛媛県社会経済研究財団の研究会にたびたび参加し、研究報告執筆にかかわった。 このほか、愛媛県シンクタンク代表幹事、愛媛県トリガー産業推進協議会委員長など愛媛県関係の各種委員(委員長を含む)を歴任した。
原 寛(はら ひろし、1932年 - 2025年10月16日… 原 寛(はら ひろし、1932年 - 2025年10月16日)は、日本の医師、医史学者である。病院と看護学校を経営しながら、高齢化社会のための「養生学」に取り組んでいる。 1932年福岡市に生まれる。福岡県立福岡高等学校、九州大学医学部卒業。九大精神神経科入局、医学博士号修得(九州大学医学研究院生理学)。 1967年原土井病院を開設、同病院理事長。1976年原看護専門学校を設立。2013年、「博多養生処」を開設。日本慢性期医療協会、全国公私病院連盟などの理事。多々良福祉会、能古博物館の理事長を務める。
二田原 英二(にたはら えいじ、1931年12月7日 - 2… 二田原 英二(にたはら えいじ、1931年12月7日 - 2017年1月31日)は、日本の彫刻家、おもにブロンズを扱う。金蘭学園短期大学学長を務めた。 福岡県久留米市生まれ。旧制・福岡県立中学明善校に学び、学制改革を経て1950年に福岡県立明善高等学校を卒業。1956年、東京芸術大学美術学部芸術学科美学美術史専攻を卒業し、同大学彫刻科研究室副手となる。1960年、イタリア政府招聘留学生として国立ナポリ美術アカデミーに学ぶ。以後1978年に帰国するまでナポリ、ローマ、ミラノなどイタリア各地で制作する。 1985年に金蘭学園短期大学(後の千里金蘭大学短期大学部)特任教授となり、2002年には学長となった後、2004年に名誉教授を贈られた。
湊 吉正(みなと よしまさ、1931年11月17日 - )は… 湊 吉正(みなと よしまさ、1931年11月17日 - )は、日本の国語教育学者、筑波大学名誉教授。
奈良原 一高(ならはら いっこう、1931年11月3日 - … 奈良原 一高(ならはら いっこう、1931年11月3日 - 2020年1月19日)は、日本の写真家。 大牟田に生まれる。本姓は楢原。判事であった父親の転勤にともない日本各地を転々とし3歳から6歳までを長崎で過ごす。1950年、島根県立松江高校(現・島根県立松江北高等学校)卒業。1954年、中央大学法学部を卒業し、早稲田大学大学院芸術専攻(美術史)修士課程に入学。 前衛美術に傾倒し、1955年には、池田満寿夫、靉嘔らが結成したグループ「実在者」に参加。桜島の黒神村、長崎の端島(軍艦島)における人々の生活から鮮烈な印象を受け、両島の取材を開始。その成果を問うべく1956年5月に開催した初個展「人間の土地」が大きな反響を呼び、写真家としての道を進めた。
松永 怜一(まつなが れいいち、1931年11月3日 - 2… 松永 怜一(まつなが れいいち、1931年11月3日 - 2022年5月12日)は、福岡県北九州市出身のアマチュア野球指導者。 学生・社会人野球界で監督を歴任。野球が公開競技であったロサンゼルスオリンピックでは野球日本代表を監督として金メダルに導いた。 八幡市立(現在の北九州市立)槻田小学校時代、家の近くの八幡製鉄のホームグラウンド大谷球場(現在の北九州市立大谷球場)で八幡製鉄と門司鉄道管理局の春・秋の定期戦「製門戦」に夢中になる。 福岡県立八幡中学校(1948年の学制改革により福岡県立八幡高等学校となる)では三塁手、三番打者として活躍。同じ北九州の福岡県立小倉中学校(のち福岡県立小倉高等学校)がエース福嶋一雄(2013年野球殿堂入り)を擁し、1947年から夏の甲子園で連続優勝、打倒小倉高が目標となる。
野崎 整子(のざき せいこ、1931年11月3日[要出典] … 野崎 整子(のざき せいこ、1931年11月3日[要出典] - )は、福岡県久留米市出身[要出典]の日本の歌手である。昭和20年代を中心に歌手として活躍した。野崎せい子の名義でも曲を発売した。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
大蔵 雄之助(おおくら ゆうのすけ、1931年10月23日 … 大蔵 雄之助(おおくら ゆうのすけ、1931年10月23日 -2020年1月8日)は、日本のジャーナリスト、コメンテーター。 福岡県生まれ。東京都立戸山高等学校、一橋大学法学部卒業。1957年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。1957年東京放送入社。1962年-1966年英国放送協会出向、1976年-1978年モスクワ支局長、1986年-1987年報道局長を経て、1987年退社。 退社後も、TBSラジオ『森本毅郎・スタンバイ!』の「ニュースズームアップ」などにコメンテーターとして出演していた。1987年、東洋大学社会学部教授に就任。異文化研究所代表を務める。 2000年11月、杉並区教育委員会の教育委員に杉並幼稚園(私立)園長の宮坂公夫とともに任命された。
大社 淑子(おおこそ よしこ、1931年9月25日 - )は… 大社 淑子(おおこそ よしこ、1931年9月25日 - )は、日本の英文学者、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 福岡県北九州市生まれ。青山学院大学文学部卒業、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了、法学部教授、2002年定年、名誉教授。ほか、梅光女学院大学専任講師、関東学院大学助教授を歴任した。 英文学を専攻し、現代の英国女性作家を研究、翻訳、特に米国黒人女性作家のトニ・モリスンの翻訳で知られるが、アイヴィ・コンプトン=バーネットの研究書も出した。
奥谷 喬司(おくたに たかし、1931年9月15日 - 20… 奥谷 喬司(おくたに たかし、1931年9月15日 - 2025年1月10日)は、日本の動物学者、東京水産大学名誉教授。専門は軟体動物の分類・生態・資源。 福岡県門司市(現:北九州市門司区)出身。1954年東京水産大学増殖学科卒業、1966年「相模湾およびその周辺海域の深海性貝類の分類、分布生態ならびに古生態学的関連についての研究」で東京大学より理学博士の学位を取得。 1954年水産庁東海区水産研究所、1961年から1962年米国スクリプス研究所に学び、1979年国立科学博物館動物研究所研究室長、1984年東京水産大学教授となり、1996年定年退官、名誉教授、日本大学生物資源科学部教授、海洋科学技術センター。
三船 正俊(みふね まさとし、1931年7月10日 - 20… 三船 正俊(みふね まさとし、1931年7月10日 - 2012年9月16日)は、福岡県山田市(現:嘉麻市)出身のプロ野球選手。 福岡県立山田高等学校(現在は統合され福岡県立嘉穂総合高等学校)、日鉄鉱業二瀬を経て、1952年に大阪タイガースに入団。同年はルーキーながら開幕投手を務め、この試合で完封を記録した。タイガースでルーキーでありながら、開幕投手を務めたのは、1936年春の藤村富美男以来2人目の快挙だった。同年シーズンは、防御率4点台ながら7勝を挙げるなど、将来を非常に期待された。1953年も6勝を挙げ、防御率も3点と改善したが、1954年は僅か10試合の登板で1勝に終わった。同年オフに金銭トレードで東映フライヤーズに移籍。
三井 信雄(みい のぶお、1931年7月4日 - 2015年… 三井 信雄(みい のぶお、1931年7月4日 - 2015年7月14日)は日本出身の技術者、技術系管理者を経て、実業家。NHKで番組編成補助・自動送出などのコンピュータ化を行い、IBMで技術系部門の高級管理者として活躍し、IBM退社後には技術系投資ファンドを管理。
岡松 和夫(おかまつ かずお、1931年6月23日 - 20… 岡松 和夫(おかまつ かずお、1931年6月23日 - 2012年1月21日)は、日本の小説家、国文学者。 福岡県福岡市出身。旧制福岡中学校、旧制福岡高等学校を経て、東京大学文学部仏文学科卒。1954年に東京大学文学部国文科に学士入学。 1955年、「百合の記憶」が「文藝」全国学生小説コンクール佳作第一席として青柳和夫の筆名で『文藝』に掲載される。この時の佳作同期に大江健三郎がいる。1956年に国文科卒業。大学院に入るがほどなく池田亀鑑が死去。翻訳家の平井呈一の姪である瀬山梅子と1957年に結婚。横浜学園高等学校に勤務。 1959年に「壁」で第9回文學界新人賞受賞。1964年に立原正秋が編集長格の同人誌『犀』に参加。
阿部 洋(あべ ひろし、1931年6月19日 - 2025年… 阿部 洋(あべ ひろし、1931年6月19日 - 2025年1月 )は、教育学者、国立教育研究所名誉所員、福岡県立大学名誉教授。 北九州市出身。1954年九州大学教育学部卒、1959年同大学院教育史専攻博士課程満期退学、九大助手、福岡工業大学助教授、国立教育研究所に入り、アジア教育研究室長、名誉所員。福岡県立大学教授、2000年退官、名誉教授。南京師範大学名誉教授。1992年、「清末中国における近代学校制度の成立過程に関する研究」で九州大学より教育学博士を授与された。
杉本 一義(すぎもと かずよし、1931年5月1日 - 20… 杉本 一義(すぎもと かずよし、1931年5月1日 - 2019年3月13日)は、日本の福祉学者。弘前学院大学名誉教授。 福岡県豊前市生まれ。1958年龍谷大学英文科卒、龍谷大学短期大学部助教授、教授。広島女子大学教授、立正大学社会福祉学部教授、第一福祉大学(現・福岡医療福祉大学)教授、同人間社会福祉学部長。弘前学院大学大学院教授、名誉教授、皇學館大学教授。広島都市学園大学学術顧問、社会福祉法人宇治福祉園理事長、日本カウンセリング学会名誉会員、京都いのちの電話理事。
大津 守(おおつ まもる、1931年3月5日 - 2007年… 大津 守(おおつ まもる、1931年3月5日 - 2007年10月2日)は、福岡県嘉穂郡桂川町出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 明善高校からノンプロ時代の西日本鉄道を経て、1950年にセ・パ両リーグ分立に際して球団結成したばかりの西鉄クリッパースへ入団。 3年目の1952年にリーグ最多となる46試合に登板して、チームでは野口正明の23勝に次ぐ18勝、リーグ3位の防御率2.73を挙げて主戦投手となる。1954年9月22日の南海戦では、大津は完投勝ちして南海の連勝記録を18で止める。同年のシーズンでは18勝、リーグ3位の防御率1.78を記録して、河村久文(25勝)、西村貞朗(22勝)と共に初優勝に貢献。
高倉 健(たかくら けん、英︰Ken Takakura、19… 高倉 健(たかくら けん、英︰Ken Takakura、1931年(昭和6年)2月16日 - 2014年(平成26年)11月10日)は、日本の俳優・歌手。本名は小田 剛一(おだ たけいち)(または小田 敏政)、だが晩年は親族に剛一郎(ごういちろう)と名乗った。高倉プロモーション所属。 福岡県中間市出身。1998年(平成10年)に紫綬褒章・2006年(平成18年)に文化功労者・2013年(平成25年)には文化勲章を受章した。 1931年(昭和6年)2月16日(月曜日)、筑豊炭田にある福岡県中間市 の裕福な一家に生まれる。4人きょうだいの次男で、上2人は息子、下2人が娘であった。父の小田敏郎は大日本帝国海軍の軍人で、戦艦「比叡」乗り組みなどを経て 炭鉱夫の取りまとめ役(労務管理者)などをしていた。
髙久 史麿(たかく ふみまろ、1931年2月11日 - 20… 髙久 史麿(たかく ふみまろ、1931年2月11日 - 2022年3月24日)は、日本の医師。内科医。前自治医科大学学長。東京大学名誉教授。地域医療振興協会会長。医学博士。位階は従三位。 1931年、日本人の両親の間に日本統治時代の朝鮮釜山に生まれる。父は朝鮮総督府の役人であった。 1947年、福岡県小倉中学校4年修了。1950年、第五高等学校理科甲類卒業後、東京大学医学部医学科に進学、1954年卒業。1960年論文「赤血球内遊離プロトポルフィリン」により、東京大学医学博士。 群馬大学医学部助手、東京大学医学部助手、シカゴ大学留学などを経て、1972年から自治医科大学内科教授。1982年より、小坂樹徳の後任として東京大学医学部第三内科教授。
西田 良子(にしだ よしこ、1931年2月5日 - 2018… 西田 良子(にしだ よしこ、1931年2月5日 - 2018年7月10日 )は、日本児童文学研究者。 福岡県大牟田市に生まれる。福岡県立大牟田高等女学校に入学。戦後、学制改革により福岡県立大牟田北高校を卒業。1954年、熊本大学法文学部文学科を卒業。卒業論文は「児童文学論」。同年、早稲田大学大学院文学研究科日本文学専攻に入学。修士論文は「赤い鳥研究」。1956年早稲田大学大学院日本文学博士課程満期退学。1956年、国語学者の西田直敏と結婚後、一男一女をもうける。1965年、夫の北海道大学文学部助教授就任に伴い、北海道札幌市に移住。北海道の各大学の非常勤講師を務める。1982年、國學院女子短期大学(現國學院大學北海道短期大学部)助教授、1984年、大阪国際児童文学館総括専門員、業務室長を経て、1991年、大谷大学教授。
前田 勝之助(まえだ かつのすけ、1931年2月5日 - 2… 前田 勝之助(まえだ かつのすけ、1931年2月5日 - 2013年4月7日)は、日本の技術者・経営者。東レ名誉会長。 福岡県嘉穂郡穂波村大字忠隈(現:福岡県飯塚市)に生まれる。父・繁師(しげのり)は住友鉱山忠隈炭鉱の病院の薬局長、母・道枝は山鹿(熊本県)の御殿医の流れを汲む竹下病院の長女。住友鉱山の庭付きの社宅で育った。姉・上野栄子、兄・慶之助。 菰田小学校時代、約50人の学級の中に朝鮮人が5、6人おり、彼らは1、2歳年上だった。日本人と朝鮮人の生徒間の喧嘩が始まると、級長の前田は間に割って入った。 嘉穂中学校時代は勤労動員に遭遇し、炭鉱で採炭の仕事に明け暮れた。男たちは戦争に駆り出され人手不足だった。
中村 昌義(なかむら まさよし、1931年1月31日 - 1… 中村 昌義(なかむら まさよし、1931年1月31日 - 1985年1月13日)は、日本の小説家。 樺太・真岡町出身。本名・重敬。父中村鷹祐は福岡県太宰府市太宰府町出身、旧帝国大学(東京大学)法学部卒業後、官僚となり当時樺太庁真岡支庁長。1940年父がパラオ島へ単身赴任し、東京で育つ。1944年太宰府へ疎開。1945年父はB級戦犯となる。1949年筑紫丘高等学校卒、福岡県庁に勤務。1953年早稲田大学二部政治経済学部に入学、国会図書館に勤務。1954年父が巣鴨拘置所から仮出所。1955年東京藝術大学に勤務。間宮茂輔に師事。1956年早大中退。 1962年同人「碑の会」発足、同人となる。ほかに高木卓、永松定、橋爪健、藤井重夫、間宮ら。