上村 英明(うえむら ひであき、1956年12月15日 - … 上村 英明(うえむら ひであき、1956年12月15日 - )は、日本の研究者、政治家、社会運動家。 衆議院議員(1期)、名古屋大学大学院講師、恵泉女学園大学教授、ソーシャル・ジャスティス基金運営委員長、アイヌ民族や琉球民族の先住民族としての国連を支援する市民外交センター(SGC)顧問(元代表)などを歴任。 1956年、熊本県熊本市で生まれる。 1975年、熊本県立熊本高等学校卒業。1979年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1981年、早稲田大学大学院経済学研究科修士課程修了。 1982年、学習塾(AU英語進学教室)専任講師。同年、NGO市民外交センターを設立して代表になる。 1992年、川崎市によって開設された川崎市平和館で初代の専門調査員を務める。
麻原 彰晃(あさはら しょうこう、1955年〈昭和30年〉3… 麻原 彰晃(あさはら しょうこう、1955年〈昭和30年〉3月2日 - 2018年〈平成30年〉7月6日)は、日本の宗教活動家、政治活動家(真理党党首)、テロリスト、元死刑囚。本名は松本 智津夫(まつもと ちづお)。熊本県八代市高植本町出身。 宗教団体「オウム真理教」を創設し、教祖として政治活動や宗教活動を行った一方、宗教的に殺人を肯定し、自らの信者を利用して、国家転覆を最終目標とする数多くの犯罪事件を起こした。坂本堤弁護士一家殺害事件・松本サリン事件・地下鉄サリン事件を初めとするこれら一連の事件は、オウム真理教事件と称される。麻原は地下鉄サリン事件の首謀者として、1995年(平成7年)5月16日に逮捕された。
岡本 公三(おかもと こうぞう、1947年12月7日 - )… 岡本 公三(おかもと こうぞう、1947年12月7日 - )は、日本の新左翼党派・共産主義者同盟赤軍派のテロリスト。テルアビブ空港乱射事件の実行犯の一人。 一般には日本赤軍メンバーとされるが、正確には日本赤軍成立前のメンバーで、イスラエルからの釈放後にレバノンに亡命し、日本警察からは国際手配中。なおよど号グループの岡本武は実兄。 熊本県葦北郡芦北町で、小学校校長の子として生まれる。熊本マリスト学園高等学校卒業。 長兄と次兄の岡本武と同じ進学先である京都大学を二度受験したが失敗し、1968年、鹿児島大学農学部に入学。1971年、鹿児島大学にやってきた若松孝二・足立正生監督の映画『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』に共鳴し、上映運動を展開する「赤バス隊」に参加。
宇都宮 健児(うつのみや けんじ、1946年〈昭和21年〉1… 宇都宮 健児(うつのみや けんじ、1946年〈昭和21年〉12月1日 - )は、日本の弁護士、公益活動家、政治活動家。多重債務問題、消費者金融問題の専門家。 日本弁護士連合会会長(2010年 - 2011年度)、日弁連消費者問題対策委員会委員長、東京弁護士会副会長などを歴任。 現在は週刊金曜日編集委員、全国ヤミ金融対策会議代表幹事、オウム真理教犯罪被害者支援機構理事長、反貧困ネットワーク代表、年越し派遣村名誉村長。TPP阻止国民会議副代表世話人、のりこえねっと(ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク)共同代表。 愛媛県東宇和郡高山村(現:西予市明浜町)田之浜に傷痍軍人の長男として生まれる。
太田 洪量(おおた ひろかず、おおた こうりょう、1944年… 太田 洪量(おおた ひろかず、おおた こうりょう、1944年〈昭和19年〉 - )は、日本の宗教家、政治活動家、日韓古代史研究家。全国大学連合原理研究会(J-CARP)の初代会長を務めた。国際勝共連合会長、世界平和連合会長、世界日報社取締役などを歴任。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の「777双」の一人。 東京都に生まれる。直後に熊本県に疎開。熊本県立熊本高等学校卒業。1963年、京都大学工学部原子核工学科に入学。在学中は片山泰久教授に師事した。当初は日本共産党系の日本民主青年同盟(民青)で活動し、のちに反共主義に転向した。 統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の教理「統一原理」を研究する団体である全国大学連合原理研究会(J-CARP)が発足。
立山 学(たてやま まなぶ、1935年 - 2011年2月2… 立山 学(たてやま まなぶ、1935年 - 2011年2月24日)は、日本の政治運動家、文筆家。 熊本県菊池市生まれ。1959年九州大学経済学部卒業、在学中から日本社会党青年部で活動。1960年安保闘争の最中、雑誌『社会主義』(社会主義協会)の編集者となる。 社青同(日本社会主義青年同盟)港支部(東京)を組織。浅沼社会党委員長刺殺抗議デモに参加。三池無期限全面スト支援のため各労組をオルグ。 1961年三池闘争支援のため「三池を守る会」を組織。医療労働者の人権侵害、労働条件改悪に抗議する闘争支援(十仁・愛育・船員・慶応病院など)。 1964年社青同第四回大会で書記長に選出される。1965年反戦青年委員会設立に努める。
高見圭司(たかみけいし、1932年1月23日 - )は、日本… 高見圭司(たかみけいし、1932年1月23日 - )は、日本の新左翼活動家。元日本社会党青年対策部長、日本社会主義青年同盟解放派幹部である。革労協が分裂した際には解放派全協(労対派)へ参加した。スペース21の中心的存在である。 現在はスペース21を主宰し、連帯社(解放派全協)に関わっている。新運転に所属する「現役」の労働者(実際に仕事をしているわけではない)である。新運転では反主流派としてグループを形成し活動しており、執行部と組合運営を巡り対立、排斥され訴訟を行ったりした。 三里塚闘争(成田空港問題)の活動にも参加している。2017年現在も三里塚芝山連合空港反対同盟(旧熱田派)の活動に「スペース21」所属として参加している。
川本 輝夫(かわもと てるお、1931年8月1日 - 199… 川本 輝夫(かわもと てるお、1931年8月1日 - 1999年2月18日)は、日本の市民活動家、政治家。水俣病の患者の運動体『チッソ水俣病患者連盟』の委員長、水俣市議会議員(3期)を務めた。 熊本県葦北郡水俣町(現・水俣市)出身。父・川本嘉藤太は、水俣市に工場がある新日本窒素肥料株式会社(1965年に「チッソ」と改名)に勤めていた。 川本は、家庭の事情により熊本県立水俣高等学校を2年で中退した。漁業作業員、建設作業員、チッソ臨時工員などの職業を経験した後に病院勤務する。寝たきりの父を介護しつつ、准看護士資格を取得した。 1955年、水俣病を発症。1961年より父が発病して寝たきりとなり、1965年4月に急性劇症でもだえ死ぬのを看取った。
石牟礼 道子(いしむれ みちこ、1927年(昭和2年)3月1… 石牟礼 道子(いしむれ みちこ、1927年(昭和2年)3月11日 - 2018年(平成30年)2月10日)は、日本の小説家・詩人・環境運動家。 主婦として参加した研究会で水俣病に関心を抱き、患者の魂の訴えをまとめた『苦海浄土ーわが水俣病』(1969年)を発表。ルポルタージュのほか、自伝的な作品『おえん遊行』(1984年)、詩画集『祖さまの草の邑』(2014年)などがある。 石牟礼道子は1927年3月11日白石亀太郎(当時34歳)と吉田ハルノ(当時24歳)の長女として、熊本県天草郡河浦町(現・天草市)に生まれる。父や祖父は石工であり、道子という名は道路が完成することを予祝して、 家族全員が考えて、名付けられた。
谷川 雁(たにがわ がん、本名:谷川 巌(たにがわ いわお)… 谷川 雁(たにがわ がん、本名:谷川 巌(たにがわ いわお)、1923年12月25日 - 1995年2月2日)は、日本の詩人、評論家、サークル活動家、教育運動家。社会主義的なリアリズムを基調とにした詩人として知られ、評論集「原点が存在する」「工作者宣言」は1960年代の新左翼陣営に思想的な影響を与えた。 熊本県水俣市に開業医の、六人兄妹の次男として生まれる。兄は民俗学者の谷川健一、弟に東洋史学者の谷川道雄、日本エディタースクール創設者の吉田公彦。旧制熊本中学、第五高等学校を経て、1945年に東京帝国大学文学部社会学科を卒業。従軍する。 戦後、西日本新聞社に勤務。同人誌「九州詩人」「母音」に詩を発表し、安西均、那珂太郎などと交遊。
竹中英太郎(たけなか えいたろう 1906年(明治39年)1… 竹中英太郎(たけなか えいたろう 1906年(明治39年)12月18日 - 1988年4月8日)は、日本の挿絵画家、労働運動家、実業家。 長男は評論家の竹中労。『琉球共和国』、『仮面を剥ぐ』、『左右を斬る』、『浪人街 天明餓鬼草紙』などの労の著作や、労が制作したレコードのジャケットなどの装画を数多く手掛けた。次女の金子紫は「竹中英太郎記念館」館長。 福岡県福岡市上名島(現・福岡市中央区大名)の没落士族の家庭に生まれる。心臓逆位症で心臓が右、十二指腸が左にある珍しい体の持ち主であったと竹中労は伝えているが、金子紫はこの説を否定している。1歳で父を亡くし、極貧の中で育つ。11歳で熊本に移住。熊本中学夜間部に学びつつ警察で給仕として働いている時、押収された社会主義関係の文書を読んで社会主義者となる。
内村 清次(うちむら せいじ、1902年(明治35年)4月8… 内村 清次(うちむら せいじ、1902年(明治35年)4月8日 - 1964年(昭和39年)11月22日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員。 熊本県飽託郡春日村(春日町、熊本市春日町を経て現:熊本市西区春日)で、内村政平、ノトの息子として生まれる。古町小学校を経て、1918年(大正7年)3月、西部高等小学校を卒業した。 1918年4月、鉄道院(のち鉄道省)熊本機関区の機関夫試傭試験に合格。1919年(大正8年)2月、機関科教習所に入所し、同年5月に卒業。1922年(大正11年)4月、機関士見習に合格し、1923年(大正12年)4月、機関士科を卒業。同年6月、機関士に任じられた。1924年(大正13年)1月、徴兵され歩兵第13連隊に入隊し満洲に派遣され、1925年(大正15年)11月に除隊した。
久布白 落実(落實、くぶしろ おちみ、1882年 <明治15… 久布白 落実(落實、くぶしろ おちみ、1882年 <明治15年> 12月16日 - 1972年 <昭和47年> 10月23日)は、日本の女性解放運動家。戦前戦後を通じ、女性参政権運動、廃娼運動に尽力した。婦選獲得同盟の総務理事を務めた。位階は正五位。 1882年、熊本県鹿本郡出身の牧師、大久保真次郎と、徳富蘇峰、徳冨蘆花の妹・音羽の長女として生まれる。真次郎は、1902年に渡米し、ハワイとオークランドに日系移民のための教会の設立した人物。幼いころ洗礼を受ける。 1903年(明治36年)、女子学院高等科卒業後、両親の伝道に同行しアメリカへ赴く。1906年に起きたサンフランシスコ地震で、落実は被災者の支援活動を行った際に、日本から移民した娼婦たちが住む地域に通訳として赴き、日系移民女性の悲惨な生活を目の当たりにする矯風会。
宮崎 滔天(みやざき とうてん、1871年1月23日〈明治3… 宮崎 滔天(みやざき とうてん、1871年1月23日〈明治3年12月3日〉 - 1922年〈大正11年〉12月6日)は、自由民権思想を根幹とする世界革命を目指し活動した近代日本の社会運動家。孫文ら中国の革命家たちを支援した日本人の代表格として知られ、孫文の自伝「志有れば竟に成る」で「革命の為に奔走して終始おこたらざりし者」 としてその名が挙げられている。本名は寅蔵(もしくは虎蔵)。白浪庵滔天と号した。 荒尾宮崎家は1647年、宮崎弥次兵衛正之が荒尾村の有力武士の娘を嫁に迎え、定住したことに始まる。肥後国玉名郡荒尾村(現在の熊本県荒尾市)に遠祖を菅原道真とする郷士の家柄に、その9代目となる宮崎政賢と佐喜夫妻の八男として、1871年(明治3年)に生まれる。
宮崎 民蔵(みやざき たみぞう、慶応元年5月20日(1865… 宮崎 民蔵(みやざき たみぞう、慶応元年5月20日(1865年6月13日) - 昭和3年(1928年)8月15日)は、明治・大正期の社会運動家。号は巡耕。後に中華民国を建国することとなる孫文を支援した熊本県荒尾市の宮崎家の本家筋当主。 肥後国玉名郡荒尾村(現熊本県荒尾市)出身。兄の八郎、弟の弥蔵・寅蔵(滔天)とともに「民権兄弟」として知られる(特に民蔵・弥蔵・寅蔵を「宮崎三兄弟」と呼ぶこともある)。 宮崎政賢・左喜夫妻の六男に生まれるが、兄・八郎が西南戦争で戦死し、他の兄も既に没していたため、1880年(明治13年)に民蔵が16歳で宮崎家の当主となる。 八郎と同様に自由民権運動の影響を受けて上京し、中江兆民の仏学塾に入ったものの、病気のため帰郷する。
海老名 みや(えびな みや、1862年12月26日(文久2年… 海老名 みや(えびな みや、1862年12月26日(文久2年11月6日) - 1952年(昭和27年)3月4日)は、海老名弾正の妻で、キリスト教会の婦人活動家である。 横井小楠と後妻つせ子の娘として、熊本郊外の沼山津(現・熊本市東区沼山津)に生まれる。戸籍上は熊本県士族・伊勢平四郎の長女。1869年に小楠が暗殺されると熊本に転居し、リロイ・ランシング・ジェーンズの妻から英語を学ぶ。1875年に母方のいとこ徳富初子と共に洋学校への編入を認められる。 1876年、兄時雄や海老名喜三郎(弾正)らと一緒にキリスト教への入信を誓う。1877年に京都に移り、同志社に入学する。1882年、新島襄から洗礼を受ける。
湯浅 初子(ゆあさ はつこ、安政7年1月23日〈1860年2… 湯浅 初子(ゆあさ はつこ、安政7年1月23日〈1860年2月14日〉 - 1935年〈昭和10年〉3月13日)は、明治時代の社会事業家。徳富蘇峰・蘆花の姉で、衆議院議員・湯浅治郎の後妻となった。同志社総長や国際基督教大学初代学長を務めた湯浅八郎は息子。 徳富一敬・久子の四女として、安政7年1月23日(1860年2月14日)肥後国水俣(現・熊本県水俣市)に生まれる。姉が3人いる上、夫妻は姪も養女としており、5人目には男子の誕生を望んでいたが女子であったため、失意の一敬はどういうわけか初と名づけた。その後に生まれた男子が猪一郎(蘇峰)と健次郎(蘆花)である。 12歳の時、熊本に住む叔母・横井つせ子(横井小楠の未亡人)のもとへ預けられることとなり、いとこの時雄・みやと一緒に暮らし始めた。
金森 通倫(かなもり みちとも / つうりん、安政4年8月1… 金森 通倫(かなもり みちとも / つうりん、安政4年8月15日〈1857年10月2日〉 - 昭和20年〈1945年〉3月4日)は、日本の牧師、伝道者、宗教家。別名はポール・カナモリ。明治初期の日本のプロテスタント派の3つの源流の1つである熊本バンドの中心メンバーの一人であった。晩年は湘南の嶺山に隠居し、原始的な洞窟生活をして「今仙人」といわれた。 第102代内閣総理大臣・石破茂の母方の曾祖父である。 肥後国玉名郡小天村(現・玉名市天水町小天)に郷士・金森繁蔵の次男として生まれた。その後、理由は分からないが一家は託麻郡本山村(現・熊本市中央区本山)に移り住んでいる。 明治4年(1871年)、日新堂に入塾。