緒方 耕一(おがた こういち、1968年9月2日 - )は、… 緒方 耕一(おがた こういち、1968年9月2日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)、野球評論家・野球解説者。
熊本県:19人
緒方 耕一(おがた こういち、1968年9月2日 - )は、… 緒方 耕一(おがた こういち、1968年9月2日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)、野球評論家・野球解説者。
伊東 勤(いとう つとむ、1962年8月29日 - )は、熊… 伊東 勤(いとう つとむ、1962年8月29日 - )は、熊本県飽託郡託麻村(現:熊本市東区)出身の元プロ野球選手(捕手)・監督・コーチ、野球解説者・評論家。西武ライオンズ黄金時代の正捕手として活躍し、ベストナイン10回受賞(歴代5位タイ、捕手部門歴代2位)、ゴールデングラブ賞11回受賞(歴代2位タイ、捕手部門歴代最多)。 熊本工業高校(定時制課程)に在籍。高校時代は外野手にコンバートされていたが、同学年で他校のライバルである藤村寿成(九州学院 - 九州産交)の足を封じるために再び捕手に転向した。この藤村寿成の次男である藤村大介は熊本工の後輩にあたる。 3年次の1980年、大津一洋とバッテリーを組んで夏の熊本大会決勝で秋山幸二を4番でエースに擁した八代高校を破り、夏の甲子園に出場。
秋山 幸二(あきやま こうじ、1962年4月6日 - )は、… 秋山 幸二(あきやま こうじ、1962年4月6日 - )は、熊本県八代郡氷川町出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投右打)、野球解説者、野球評論家、監督。 現役時代はNPBの西武ライオンズと福岡ダイエーホークスに所属、通算2157安打、437本塁打、303盗塁を記録し、ドラフト外入団選手としていずれも最多記録を残した。西武で計8回、ダイエーで計2回のパシフィック・リーグ優勝に貢献した。西武時代には2度の3年連続日本シリーズ優勝(1986年から1988年、1990年から1992年)に貢献、ダイエー時代にも1999年の日本シリーズ優勝に貢献している。また個人タイトルとしては1987年にパ・リーグの本塁打王を、1990年に同リーグの盗塁王をそれぞれ獲得している。
村上哲(むらかみ さとし, 1957年 - )は、日本の美術… 村上哲(むらかみ さとし, 1957年 - )は、日本の美術評論家、キュレーター、比較芸術学・エコール・ド・パリ研究者、美術館学・ミュゼオロジー(英: museology)研究者、学芸員資格課程・キュレーター人材育成教育者。 熊本県熊本市出身。東京藝術大学卒業(美学/比較芸術学専攻)。 1982年から2018年まで熊本県立美術館に在籍し、同館の企画運営や西洋絵画・版画・彫刻等の研究、美術館コレクションの理念構築と収蔵事業のほか、「エコール・ド・パリ展―プリミティヴィスムとノスタルジー」、「レオナール・フジタとパリ 1913-1931―藤田嗣治渡仏100周年記念」、「ランス美術館展」、「シャガール展—色彩の詩人」、「ロダン展ーブルックリン美術館コレクション」など、全国の美術館を巡回する海外展の企画統括・監修・執筆・講演等に携わる。
米沢 嘉博(よねざわ よしひろ、1953年3月21日 - 2… 米沢 嘉博(よねざわ よしひろ、1953年3月21日 - 2006年10月1日)は、日本の漫画評論家、大衆文化評論家、編集者。 コミックマーケット準備会の第2代代表である。有限会社コミケット取締役社長、日本マンガ学会理事、手塚治虫文化賞選考委員、日本オタク大賞審査員なども務めた。「おたく四天王」の一人に挙げられる。愛称は米やん。名字について戸籍上は「米澤」表記であるが、普段は「米沢」表記を使っていた。 妻の英子(えいこ)はサークル「迷宮」以来の仲間。コミックマーケット準備会代表補佐として夫とともに運営に関わり、夫の死後は準備会副代表・有限会社コミケット社長に就任した。英子との間には1男2女の3人の子供がいる。
米澤 嘉博(よねざわ よしひろ、1953年3月21日 - 2… 米澤 嘉博(よねざわ よしひろ、1953年3月21日 - 2006年10月1日)は日本の漫画評論家、大衆文化評論家、編集者、コミックマーケット準備会の第2代代表である。有限会社コミケット取締役社長、日本マンガ学会理事、手塚治虫文化賞選考委員、日本オタク大賞審査員なども務めた。「おたく四天王」の一人に挙げられる。愛称は米やん。
柏原 純一(かしわばら じゅんいち、1952年6月15日 -… 柏原 純一(かしわばら じゅんいち、1952年6月15日 - )は、熊本県八代市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者・評論家・YouTuber。 実家はイグサ農家で、母親は代用教員をしていたという家庭だった。4人きょうだいの第3子(姉、兄、妹がいる)。高校から本格的に野球を始め、八代東高校では3年次の1970年、春の選抜にエースとして出場。1回戦で日大三高の渡部良克(日大)と投げ合うも0-2で完封負けを喫した。同年の夏の甲子園県予選では、準々決勝で熊本一工に延長15回の末、敗退した。 同年のドラフトで南海ホークスから8位指名を受け、外野手として入団。当時は中央球界ではまだ無名の存在で、地元のファンがたまたま訪れていた南海のスカウトに紹介したことがそのままプロ入りに繋がったという。
坂口 拓史(さかぐち たくし、1942年 - )は、日本の警… 坂口 拓史(さかぐち たくし、1942年 - )は、日本の警備会社経営者、著作家、評論家。坂口れい子の長男。 台湾生まれ。熊本県八代市出身。九州学院高等学校卒、法政大学二部文学部中退、セコム(訓練担当)をへて日本平和警備保障社長、のち顧問。 裏社会についての著作多数。
渡辺 京二(わたなべ きょうじ、1930年8月1日 - 20… 渡辺 京二(わたなべ きょうじ、1930年8月1日 - 2022年12月25日)は、熊本市在住の日本の思想史家・歴史家・評論家。幕末・明治期の異邦人の訪日記を網羅した『逝きし世の面影』が著名。 日活映画の活動弁士であった父・次郎と母・かね子の子として京都府紀伊郡深草町(現:京都市伏見区深草)に生まれる。誕生日は8月1日となっているが、これは出生届の提出時に父が間違えたもので、実際の誕生は9月1日という。 1938年(昭和13年)、当時大陸で映画館の支配人をしていた父を追って中華民国・北京に移住、その二年後に大連に移り、南山麓小学校から大連第一中学校へ進む。1947年(昭和22年)、大連から日本に引揚げ、戦災で母の実家が身を寄せていた菩提寺の六畳間に寄寓する。
後藤 次男(ごとう つぐお、1924年1月15日 - 201… 後藤 次男(ごとう つぐお、1924年1月15日 - 2016年5月30日)は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
谷川 雁(たにがわ がん、本名:谷川 巌(たにがわ いわお)… 谷川 雁(たにがわ がん、本名:谷川 巌(たにがわ いわお)、1923年12月25日 - 1995年2月2日)は、日本の詩人、評論家、サークル活動家、教育運動家。社会主義的なリアリズムを基調とにした詩人として知られ、評論集「原点が存在する」「工作者宣言」は1960年代の新左翼陣営に思想的な影響を与えた。 熊本県水俣市に開業医の、六人兄妹の次男として生まれる。兄は民俗学者の谷川健一、弟に東洋史学者の谷川道雄、日本エディタースクール創設者の吉田公彦。旧制熊本中学、第五高等学校を経て、1945年に東京帝国大学文学部社会学科を卒業。従軍する。 戦後、西日本新聞社に勤務。同人誌「九州詩人」「母音」に詩を発表し、安西均、那珂太郎などと交遊。
内田 健三(うちだ けんぞう、1922年7月28日 - 20… 内田 健三(うちだ けんぞう、1922年7月28日 - 2010年7月9日)は、日本の政治評論家・政治ジャーナリスト。元共同通信社政治部長・論説委員長。退職後、法政大学法学部教授。東海大学教授を歴任。専門は、日本政治論、政治過程論。 熊本県八代郡氷川町(旧竜北町)生まれ、祖父内田康哉は外交官、政治家。旧制八代中学(現・熊本県立八代高等学校)、旧制第五高等学校卒業。旧制東京帝国大学在学中に、学徒出陣し、内蒙古・駐蒙軍に従軍。抑留・復員後、新制東京大学法学部に復学し、政治学者・丸山眞男に師事。1953年に東京大学法学部を卒業し、共同通信社に入社。以後岸内閣の安保闘争から小泉内閣まで50年以上にわたり、日本の政治の動向を取材・分析した。
細川 隆一郎(ほそかわ りゅういちろう、1919年1月1日 … 細川 隆一郎(ほそかわ りゅういちろう、1919年1月1日 - 2009年8月25日)は、日本の政治記者・評論家・コメンテーター、タレント・ラジオパーソナリティである。第79代内閣総理大臣の細川護熙は遠い親戚関係に当たる。
細川 隆元(ほそかわ りゅうげん、1900年〈明治33年〉1… 細川 隆元(ほそかわ りゅうげん、1900年〈明治33年〉1月17日 - 1994年〈平成6年〉12月19日)は、日本の政治評論家、衆議院議員。熊本県熊本市出身。 中学濟々黌、旧制第五高等学校大学予科(現熊本大学)を経て1923年、東京帝国大学法学部を卒業、同年朝日新聞社に入社する。記者を務め1936年政治部長、1940年ニューヨーク支局長、1944年編集局長。 1947年朝日新聞社に在籍したまま熊本県知事選に出馬するも落選した。同年、朝日新聞を退社して日本国憲法成立直後の第23回衆議院議員総選挙で日本社会党から熊本2区から出馬して初当選、衆議院議員を1期務めた。 その後、政治評論家に転身し1957年から始まったTBSの『時事放談』で小汀利得(後に藤原弘達)とホストを務めた。
蔵原 伸二郎(くらはら しんじろう、1899年〈明治32年〉… 蔵原 伸二郎(くらはら しんじろう、1899年〈明治32年〉9月4日 - 1965年〈昭和40年〉3月16日)は熊本県出身の詩人、作家、評論家。 熊本県阿蘇郡黒川村(現在の阿蘇市)に生まれる。本名は蔵原惟賢(これかた)。父惟暁は神官で阿蘇神社の直系。母いくは医学者北里柴三郎の妹。 7歳で熊本市に移住。旧制九州学院中学校在学中から中国詩に親しむ。19歳で上京し、慶應義塾大学文学部仏文科に学ぶ。同級に青柳瑞穂や石坂洋次郎がいた。1923年、大学在学中に萩原朔太郎『青猫』に触発されて詩を書き始め、『三田文学』『コギト』に作品を発表。のち、東京外国語学校のロシア語科に通っていたことが発覚したため、二重学籍を理由に慶應義塾大学から退学処分を受ける。
内藤 濯(ないとう あろう、1883年7月7日 - 1977… 内藤 濯(ないとう あろう、1883年7月7日 - 1977年9月19日)は、フランス文学者、評論家、翻訳家、エッセイスト。
松岡 荒村(まつおか こうそん、1879年(明治12年)5月… 松岡 荒村(まつおか こうそん、1879年(明治12年)5月8日 - 1904年(明治37年)7月23日)は、詩人、評論家。本名・悟、別名・暗濤蒼浪庵。最初の 「君が代」批判論者として知られる。西川文子の前夫。 1879年(明治12年)、熊本県八代郡高田村(現・八代市平山新町)にて松岡喜三(蔵)の五男(9人兄弟の末子)として生まれる。本名は悟(さとる)。同志社尋常中学校ついで同志社高等学部を卒業し、早稲田大学に入学。北村透谷、田中正造、安部磯雄らの影響を受け、詩や評論を雑誌「社会主義」に発表した。貧困問題、足尾銅山鉱毒事件などに強い関心を持ち、社会主義運動の先駆けとして活動する。1904年(明治37年)、25歳で結核により没した。
戸川 秋骨 (とがわ しゅうこつ、1871年2月7日(明治3… 戸川 秋骨 (とがわ しゅうこつ、1871年2月7日(明治3年12月18日) - 1939年(昭和14年)7月9日)は、日本の評論家、英文学者、教育者、翻訳家、随筆家。別号は秋骨のほか、棲月・早川鴎村、早川漁郎・蒼梧桐・長帆・かげろふなど。 明治3年、等照とジュンの長男として、肥後国玉名郡岩崎村(現:熊本県玉名市)に生まれた。生まれ年から、明三と名付けられた。等照は熊本藩の支藩高瀬藩の藩士で、家老の原家から養子入りしていた。1877年、一族と上京し、東京師範学校附属小学校(現:筑波大学附属小学校)に入り、巴町の鞆絵小学校(現:港区立御成門小学校)に転じた。 世を捨てた父よりは、その実弟に躾けられ、1883年(12歳)、大阪へ伴われて大阪中学校(旧制三高の前身)に学ぶかたわら、漢訳の聖書や英語を習った。
徳富 蘇峰(とくとみ そほう、1863年3月14日(文久3年… 徳富 蘇峰(とくとみ そほう、1863年3月14日(文久3年1月25日) - 1957年(昭和32年)11月2日)は、明治から昭和にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。