平井 正則(ひらい まさのり、1943年9月24日 - )は… 平井 正則(ひらい まさのり、1943年9月24日 - )は、日本の天文学者。専門は、恒星分光学。 大分県別府市出身。1966年九州大学理学部物理学科を卒業後、東京大学大学院理学系研究科天文学専攻に進み、藤田良雄のもとで恒星天文学を学ぶ。赤色巨星の大気に多原子分子を観測的に発見したことにより、1973年理学博士号を取得した。1974年、福岡教育大学講師に着任した。翌年の1975年に同大学の助教授、1988年には教授、2007年に定年退職し、現在は福岡教育大学名誉教授。 1998年、第3回東洋天文学史国際会議(ICOA-3、FUKUOKA)を主宰。2003年、世界小惑星センターより、小惑星(9333)を「hiraimasa」と命名される。
門岡 信行(かどおか のぶゆき、1943年9月3日 - )は… 門岡 信行(かどおか のぶゆき、1943年9月3日 - )は、大分県出身のプロ野球選手。ポジションは投手。 大分高田高校では2年生でエースとなり、1960年の夏の甲子園中九州予選決勝に進出するが、熊本商に敗退。翌1961年夏には中九州大会決勝で熊本工を降し、夏の甲子園に初出場。結果は1回戦で高橋善正を擁する高知商に5-0で敗れる。敗戦後に帰路で乗っていたフェリーの中で門岡は中日ドラゴンズへの入団表明をしたが、プロスカウトとの接触・交渉は退部届提出後と規則で決まっており、これを破ったとして高野連は高田高校に対して1962年8月まで約1年間の対外試合禁止処分を下した(門岡事件)。 中日へ入団した門岡は1年目に53試合に登板し、スライダーやフォークを武器に10勝10敗と2桁勝利を記録、規定投球回(16位、防御率3.00)にも達する。
伊藤 勝利(いとう かつとし、1943年7月15日 - )は… 伊藤 勝利(いとう かつとし、1943年7月15日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手。 日田高校から1962年に西鉄ライオンズへ入団。1966年に引退。
川越 孝洋(かわごえ たかひろ、1943年7月12日 - 2… 川越 孝洋(かわごえ たかひろ、1943年7月12日 - 2024年4月13日)は、日本の政治家。元衆議院議員(1期)。 大分県出身。大分県立大分工業高等学校卒業後三菱電機に入社。同社労組長崎支部執行委員長、長崎市議会議員(2期)、長崎県議会議員(4期)を歴任。日本社会党、社会民主党に在籍していたが途中で民主党に移籍。党長崎県連幹事長を務めた。 2009年の第45回衆議院議員総選挙で民主党の比例九州ブロックより単独29位で立候補し、初当選した。 2012年、第46回衆議院議員総選挙では、長崎2区に立候補したが、自由民主党新人の加藤寛治のみならず、無所属で出馬した元雲仙市長の奥村慎太郎にも敗れ選挙区3位となり、比例復活もならず落選した。
藤本 昭夫(ふじもと あきお、1943年(昭和18年)5月2… 藤本 昭夫(ふじもと あきお、1943年(昭和18年)5月24日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日小綬章。大分県東国東郡姫島村長を10期務めた。 満洲出身。3歳の時に姫島に移り住む。大分県立国東高等学校、慶應義塾大学経済学部を卒業後、日本住宅公団(現都市再生機構)等に勤務。姫島村長であった父藤本熊雄の急死を受けて1984年に姫島村長に無投票で初当選。以後、8期連続無投票当選で姫島村長を務めた。9期目にあたる2016年の村長選挙は61年ぶりの選挙戦となったが、対立候補の藤本敏和を抑えて9選を果たした。2020年11月の同選挙で藤本敏和を再び破り10選。 姫島村では1955年(昭和30年)の村長選挙が島を2分する激しい争いとなり村内にしこりを残したことから、2年後の1957年(昭和32年)に行われた選挙以来、2016年(平成28年)まで16期にわたって村長選挙での無投票が続いていた。
山中 圏一(やまなか けんいち、1943年 - 2025年1… 山中 圏一(やまなか けんいち、1943年 - 2025年10月26日[要出典])は長崎県佐世保市出身の日本の柔道家。階級は中量級(80kg級)。 佐世保に生まれるが、その後豊後高田市に移った。1956年に高田中学に入学すると、当初はテニス部に所属していたが、柔道部の稽古風景を見て「これだ!」と思い柔道部に転部した。その後、高田高校から天理大学に進学すると、1963年の全日本学生柔道優勝大会で2位、1964年の全日本学生柔道選手権大会中量級では中央大学の関根忍に体落で敗れるが2位となった。1965年の世界選手権中量級では準決勝でアメリカのジェームズ・ブレグマンを体落で破るものの、決勝では中央大学の岡野功に背負投で立て続けに技あり2つを取られて敗れた。
松本 文六(まつもと ぶんろく、1942年11月5日 - )… 松本 文六(まつもと ぶんろく、1942年11月5日 - )は、日本の医師。社会医療法人財団天心堂会長。日本病院会理事。地域医療研究会代表世話人。大分県病院協会副会長。労働者住民医療機関連絡会議議長。 1942年、大分市中戸次の開業医の家に生まれる。九州大学医学部入学後、1968年6月2日のアメリカ軍ファントムジェット機が、九大工学部構内に墜落し(九州大学電算センターファントム墜落事故)、騒然とした中で、医学部学生自治会の委員長となり、8ヵ月に亘るストライキを敢行。 大学闘争の折、インターン制度反対、無給医制度反対の立場をとっていたので、卒業後の研修は大学に入局せず、1971年より小児科医として市中病院で研修・勤務。
佐々木 敏夫(ささき としお、1942年(昭和17年)10月… 佐々木 敏夫(ささき としお、1942年(昭和17年)10月21日 - )は、日本の政治家。大分県豊後高田市長(3期)。元大分県議会議員(8期)、元大分県議会議長。2025年4月17日から全国最高齢市長。 大分県豊後高田市出身。1965年(昭和40年)3月、専修大学経済学部卒業。 1987年(昭和62年)、大分県議会議員選挙に初当選。2003年(平成15年)に県議会議長に就任。また、県議時代は自由民主党県連副会長などを務めた。 2017年(平成29年)2月13日、次期豊後高田市長選挙への出馬を表明。同年4月16日に行われた市長選に、市外在住者向けの土地代無料の分譲団地造成や、中学生までの給食費無料化、高校生までの医療費無料化などを公約に掲げ立候補。
安東 功(あんどう いさお、1942年10月1日 - )は、… 安東 功(あんどう いさお、1942年10月1日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手。 高田高校から東洋高圧大牟田を経て、1963年に広島カープへ入団。真っ向から投げる剛球と鋭いシュートに定評があった。1965年には10試合出場したが、全て偵察要員としての出場だった。同年引退。
大石 昭忠(おおいし あきただ、1942年(昭和17年)8月… 大石 昭忠(おおいし あきただ、1942年(昭和17年)8月8日 - )は、日本の元政治家。大分県日田市の第7代市長を務めた。 日田市出身。横浜国立大学経済学部卒業後、30年間にわたり安宅産業や伊藤萬などの商社で勤務。主に食品畑を歩み、その間西ドイツの駐在員や、居酒屋チェーン副社長も務めた。1991年よりシダックス取締役。1995年に日田市長に初当選。3期にわたり日田市長を務めたが、4選を目指した2007年7月29日の市長選挙で新人の佐藤陽一に大差で敗れ落選した。 2010年6月から、国際協力機構(JICA)のシニア海外ボランティアとしてアルゼンチン南部のパタゴニアに赴任した。 就任後、職員を100人削減して440人にするなど、行政改革を推進した。
広瀬 勝貞(ひろせ かつさだ、1942年6月25日 - )は… 広瀬 勝貞(ひろせ かつさだ、1942年6月25日 - )は、日本の通産・経産官僚、政治家。大分県知事(民選第15・16・17・18代)。
田中 紘一(たなか こういち、1942年3月22日 - )は… 田中 紘一(たなか こういち、1942年3月22日 - )は、日本の医学者(外科学・消化器外科学・移植免疫学)。主な業績は生体肝移植の確立と展開に関する研究。京都大学名誉教授。神戸国際フロンティアメディカルセンター理事長。大分県大分市出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。
北沢 幹之(きたざわ もとゆき、1942年2月15日 -)は… 北沢 幹之(きたざわ もとゆき、1942年2月15日 -)は、日本の元男性プロレスラー、レフェリー。血液型A型。大分県東国東郡安岐町(現国東市)出身。現役時代は高崎山 猿吉(たかさきやま さるきち、後述)、魁 勝司(かい しょうじ)、新海 弘勝(しんかい ひろかつ)といった複数のリングネームに改名し活動した。 1961年10月に日本プロレスに入門。1962年1月21日、台東区体育館において、林幸一を対戦相手としてデビュー戦を行う。 北沢が大分県出身であったため、豊登から「高崎山猿吉」(後に高崎山三吉)というリングネームをつけられたこともある。1966年にその豊登とアントニオ猪木が旗揚げした東京プロレスに参加、後に猪木と共に日本プロレスに復帰する。
伊藤 博文(いとう ひろふみ、1942年2月11日 - )は… 伊藤 博文(いとう ひろふみ、1942年2月11日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手。 大分高校から1960年に近鉄バファローへ入団。1961年・1962年に1軍出場を果たすも、結果が残せず1962年に引退。
司 忍(つかさ しのぶ、本名: 篠田 建市 (しのだ けんい… 司 忍(つかさ しのぶ、本名: 篠田 建市 (しのだ けんいち) 、1942年1月25日[4] - )は、日本のヤクザ。指定暴力団・六代目山口組組長。身長165cm。[要出典]
真屋 順子(まや じゅんこ、1942年1月8日 - )は日本… 真屋 順子(まや じゅんこ、1942年1月8日 - )は日本の女優。大分県日田市出身。特技は日舞。
石川 公一(いしかわ こういち、1942年 - )は、日本の… 石川 公一(いしかわ こういち、1942年 - )は、日本の地方公務員。別府市助役や、大分県教育委員会教育長、大分県副知事、立命館アジア太平洋大学教授、国立大学法人大分大学理事等を歴任した。 大分県生まれ。大分県立大分舞鶴高等学校を経て、1965年大分大学経済学部経済学科卒業、大分大学経済学専攻科入学。1968年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、法学修士。指導教官蓼沼謙一。父親が倒れたため大学教員になることを断念し、同年大分県入庁。大分県総務部総務課参事、大分県保健環境部環境保全課長、大分県総務部地方課長等を経て、1997年大分県企画部過疎・地域振興対策局長。1998年別府市助役。 2000年大分県監査事務局長。
重野 安正(しげの やすまさ、1941年12月1日 - 20… 重野 安正(しげの やすまさ、1941年12月1日 - 2021年4月9日)は、日本の政治家。従四位。衆議院議員(3期)、大分県議会議員(7期)、社会民主党幹事長(第6代)、同国会対策委員長(第6代)を歴任。 1962年、農業改良普及員として大分県庁に入庁。その後、労働組合活動に没頭するようになり政治に目覚めた。自治労大分県職員連合労働組合の加盟労組である大分県職員労働組合(大分県職労)から大分県議会議員に転身。2000年、大分2区から衆議院議員に立候補し比例復活で初当選。 国政では、社会民主党の国会対策委員長を経て幹事長に就任した。民社国連立政権下でも引き続き幹事長を務め、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全・少子化対策・男女共同参画担当)として入閣した党首の福島瑞穂に代わり党務全般を指揮した。
仲野 英志(なかの ひでし、1941年11月26日 - 20… 仲野 英志(なかの ひでし、1941年11月26日 - 2007年1月30日)は、日本の実業家。 大分県津久見市生まれ。大分県立東豊高等学校、大分大学学芸学部卒業。イースト・ウエスト・センター、ハワイ大学Speech-Communication学科修士課程修了。1964年、大分県立大分工業高等学校教諭、1971年、国立大分工業高等専門学校講師を経て、1972年、日本テキサス・インスツルメンツ株式会社入社。日出工場工場長、人事部長兼TQC推進室長、営業本部長(取締役)、メモリー事業部長等を歴任。 1997年、ボール・セミコンダクター・インコーポレイテッド(米テキサス州ダラス)の共同創業者として単身渡米。
内田 恒二(うちだ つねじ、1941年10月30日 - )は… 内田 恒二(うちだ つねじ、1941年10月30日 - )は、日本の経営者。 大分県佐伯市出身。佐伯鶴城高等学校を経て、1965年に京都大学工学部精密工学科を卒業し、同年にキヤノンに入社。 カメラ開発部門に携わり、数多くの名機の開発にも携わっていた。1997年に取締役に就任し、常務、専務を経て、2006年に副社長に就任し、同年5月から2012年3月までに社長を務めた。2012年3月から相談役を務めた。 2012年から2014年までにビジネス機械・情報システム産業協会会長を務めた。
近藤 隆正(こんどう たかまさ、1941年9月19日 - )… 近藤 隆正(こんどう たかまさ、1941年9月19日 - )は、大分県津久見市出身の元プロ野球選手である。ポジションは投手、右投右打。
門岡 良典(かどおか よしのり、1941年6月1日 - )は… 門岡 良典(かどおか よしのり、1941年6月1日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手。中日ドラゴンズに所属した門岡信行は弟。 高田高校から1961年に毎日大映オリオンズへ入団。僅か1試合の出場で、2年目の1962年に引退した。 門岡のオリオンズ入団は、翌年卒業する弟の信行を獲得するためだったとも言われている。
田上 富信(たのうえ とみのぶ、1941年5月6日 - )は… 田上 富信(たのうえ とみのぶ、1941年5月6日 - )は、日本の法学者。専門は、民法・不法行為・使用者責任。学位は、博士(法学)(神戸大学・論文博士・2006年)。愛知学院大学法科大学院教授。関西学院大学名誉教授。大分県竹田市出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
板井 康明 (いたい やすあき、1941年(昭和16年)2月… 板井 康明 (いたい やすあき、1941年(昭和16年)2月12日 - )は、日本の農林水産官僚。農林水産省東海農政局長を務めた。 大分県津久見市出身。大分県立津久見高等学校を卒業。 1963年4月に農林省に入省し、1993年7月に東海農政局長に就任した。1995年1月に退官。 退官後は2004年に家畜改良事業団理事長、2005年7月に中央畜産会専務理事といった役職に就いている。
ミチオ高倉(みちお たかくら、1940年10月23日 - )… ミチオ高倉(みちお たかくら、1940年10月23日 - )は、大分県大分市生まれの実業家。パラグアイ在住。日本の国政選挙に立候補した、初の在外日本人候補である。 「にっぽんよ!」万葉舎 (2004-05-12出版)。
中山 欽吾(なかやま きんご、1940年9月22日 - )は… 中山 欽吾(なかやま きんご、1940年9月22日 - )は、日本のオペラ制作者。大分県立芸術文化短期大学理事長兼学長、大分県立総合文化センター館長、東京二期会理事長を歴任。 実業家として活動していたが、叔父であり養父であるバリトン歌手中山悌一に乞われて、二期会に転身し、同会の再建にあたる。2008年(平成20年)10月1日に、大分県立芸術文化短期大学の学長に就任。
八木 孝(やぎ たかし、1940年9月16日- )は、大分県… 八木 孝(やぎ たかし、1940年9月16日- )は、大分県出身の元プロ野球選手。現役時代のポジションは投手、外野手。
工藤 健(くどう けん、1940年9月12日 - )は、日本… 工藤 健(くどう けん、1940年9月12日 - )は、日本の実業家。元セブン-イレブン・ジャパン代表取締役社長。 大分県杵築市出身。大分県立四日市高等学校(現大分県立宇佐高等学校)を経て、東北大学法学部卒業後、いすゞ自動車入社。ミサワホームを経て、1976年ヨークセブン入社。1981年セブン-イレブン・ジャパン取締役オペレーション本部ゾーンマネジャー。1986年セブン-イレブン・ジャパン取締役商品部長。1989年セブン-イレブン・ジャパン常務取締役商品本部長。1994年セブン-イレブン・ジャパン専務取締役商品本部長。1997年セブン-イレブン・ジャパン代表取締役社長。2002年セブン-イレブン・ジャパン取締役副会長。
今沢 哲男(いまざわ てつお、1940年8月17日 - )は… 今沢 哲男(いまざわ てつお、1940年8月17日 - )は、大分県中津市出身の日本のアニメーション演出家、アニメーション監督である。 大分県立中津北高等学校を卒業後、印刷会社社員、専修学校桑沢デザイン研究所を経てアニメ業界入り。 下請けアニメ制作会社の「ハテナプロダクション」にてアニメーション演出家としての第一歩を踏み出した。ハテナプロ解散後は、同プロ時代の同僚である香西隆男が設立したスタジオジュニオ(現:ジュニオ ブレイン トラスト)に移籍し、岡崎稔、永丘昭典らと共に同スタジオを代表する演出家として長く活躍した。 演出を手掛けた代表的なテレビアニメは、『新・巨人の星』、『ムーの白鯨』、『太陽の使者 鉄人28号』、『六神合体ゴッドマーズ』、『キン肉マン』、『超電動ロボ 鉄人28号FX』、『デジモンシリーズ』など。
安部 和春(あべ かずはる、1940年4月7日 - 2023… 安部 和春(あべ かずはる、1940年4月7日 - 2023年3月25日)は、大分県速見郡山香町(現:杵築市)出身のプロ野球選手(投手)。 杵築高校ではオーバースローで速球とドロップを武器にしていた。在学中の1959年、西鉄ライオンズの入団テストに合格し入団。博多高校に転校し、日曜日のみ二軍の練習に参加。その後、1962年に一軍初登板を記録するも右手を故障。この故障をきっかけに「アベボール」と呼ばれる微妙に変化する変化球を開発した。1963年は中継ぎを中心に10勝。1964年は先発・中継ぎ双方をこなし、初めて規定投球回(9位、防御率2.75)に達する。同年は11勝と2年連続で二桁勝利を挙げた。特に1963年はリーグ優勝に大きく貢献し、同年の巨人との日本シリーズでは4試合に登板。
原 好男(はら よしお、1940年3月14日 - )は、フラ… 原 好男(はら よしお、1940年3月14日 - )は、フランス文学者、立教大学名誉教授。18世紀フランス文学・思想が専門。 東京都生まれ。1958年に大分県立日田高等学校を卒業後、電気通信大学に入学するも退学し、1960年に東京大学文科2類に入学し、1964年に東京大学を卒業。1971年同大学院人文科学研究科仏文科博士課程単位取得退学、立教大学助教授、教授、2006年定年退職。
後藤 國利(ごとう くにとし、1940年(昭和15年)1月6… 後藤 國利(ごとう くにとし、1940年(昭和15年)1月6日 - )は、日本の実業家、政治家、林業家。うすき製薬株式会社代表取締役社長、臼杵市長、大分県議会議長、株式会社コアラ会長を歴任した。豊の国木造建築賞優秀賞入賞。 大分県臼杵市出身。地元の製薬会社うすき製薬の創業家の医師の子として生まれる。1964年に一橋大学社会学部を卒業し、三菱重工業神戸造船所で勤務した後、家業再建のため1966年からうすき製薬の代表取締役社長を務めた。 セメント工場建設反対の住民運動に関わったのをきっかけに、1975年から大分県議会議員を5期20年にわたって務め、1989年から約1年間は自由民主党大分県連の幹事長、1990年には県議会議長を務めた。
尾畠 春夫(おばた はるお、1939年〈昭和14年〉10月1… 尾畠 春夫(おばた はるお、1939年〈昭和14年〉10月12日 - )は、日本のボランティア活動家、元鮮魚商。大分県速見郡日出町在住。身長161cm、体重57kg。 1993年、登山道整備のボランティア活動を始めるが、経営していた鮮魚店の閉店後に活動を本格化させる。多くのボランティア活動の実績により数々の表彰を受け、後に緑綬褒章が授与された。2018年の行方不明児発見の手柄により、「スーパーボランティア」として一躍時の人となった。 大分県東国東郡安岐町(現:国東市安岐町)に生まれ、幼少時に現在の杵築市に引っ越し育つ。父は下駄職人であったが、履き物がゴム製品に変わる頃で、商売は順調ではなかった。
甲斐 靖文(かい やすふみ、1939年6月30日 - )は、… 甲斐 靖文(かい やすふみ、1939年6月30日 - )は、大分県別府市生まれの日本の作曲家・編曲家・明治大学マンドリン倶楽部音楽監督・常任指揮者・OB会会長。古賀政男音楽文化振興財団理事。 1958年、明治大学法学部入学、明治大学マンドリン倶楽部に入部する。1962年に卒業後、大学の先輩にあたる古賀政男に作曲を、佐伯亮に編曲を師事する。 1965年に日本コロムビアに専属作曲家として迎えられ、藤山一郎・島倉千代子・都はるみ・舟木一夫・大川栄策・ペギー葉山・大月みやこ・キム・ヨンジャなどの楽曲、日本相撲協会練成歌(作曲)、器楽曲アルバム、カラオケなどを合わせると、これまでに6,000曲以上の楽譜を制作。
芦刈 幸雄(あしかり ゆきお、1939年〈昭和14年〉4月2… 芦刈 幸雄(あしかり ゆきお、1939年〈昭和14年〉4月24日 - )は、日本の政治家。元大分県豊後大野市長(1期)。 大分県三重町(現・豊後大野市)出身。大分県立三重農業高等学校(現・大分県立三重総合高等学校)卒。卒業後は三重町役場に入り、建設、総務の各課長や助役を経て、三重町長を2期務める。2005年〈平成17年〉三重町は合併で豊後大野市となり、合併後の市長選挙に立候補し、当選する。2009年〈平成21年〉の市長選挙に立候補し、再選を目指したが、落選した。
豊ノ海 義美(とよのうみ よしみ、1939年3月28日 - … 豊ノ海 義美(とよのうみ よしみ、1939年3月28日 - )は、大分県宇佐郡長洲町(現役当時、現・同県宇佐市)出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は西尾 義美(にしお よしみ)。最高位は西前頭18枚目(1958年11月場所)。現役時代の体格は178cm、83kg。得意手は左四つ、寄り、内掛け、切り返しなど。 地元の中学校を卒業後上京し、同郷の元横綱・双葉山が率いる時津風部屋へ入門。1954年5月場所で初土俵を踏んだ。 同場所では番付外と新序でともに好成績を挙げたため、同年9月場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。なお、当初より四股名は、「豊ノ海」であった(由来は、大分県北部と福岡県東部地域の旧称「豊前」と「瀬戸内海」から)。
梅野 慶志(うめの ちかし、1939年3月18日 - )は、… 梅野 慶志(うめの ちかし、1939年3月18日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手(投手)。 日田高校では1955年秋季九州大会で準決勝まで進むが、鹿児島玉龍高の五代友和に完封を喫する。翌年夏も県予選で敗れ甲子園には出場できなかった。高校同期に外野手の財津守がいる。 1957年に毎日オリオンズへ入団。速球左腕投手として期待されるが、登板は1試合のみにとどまり、同年限りで退団。ドロップ、カーブを武器とした。
祓川 正敏(はらいかわ まさとし、1939年3月1日 - 2… 祓川 正敏(はらいかわ まさとし、1939年3月1日 - 2012年8月13日)は、大分県出身のプロ野球選手。ポジションは投手。
芹川 博通(せりかわ ひろみち、1939年(昭和14年) -… 芹川 博通(せりかわ ひろみち、1939年(昭和14年) -2025年(令和7年) )は、日本の倫理・宗教学者。淑徳短期大学名誉教授。 大分県別府市生まれ。大正大学大学院修士課程修了。1995年「近世近江商人にみられる宗教的経済倫理の研究」で大正大学より博士(文学)の学位を取得。淑徳短期大学教授。2010年定年退任、名誉教授。比較思想学会会長、日本宗教学会理事。
渡会 純男(わたらい すみお、1938年9月4日 - )は、… 渡会 純男(わたらい すみお、1938年9月4日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。
三浦 清弘(みうら きよひろ、1938年9月2日 - 201… 三浦 清弘(みうら きよひろ、1938年9月2日 - 2016年3月27日)は、大分県別府市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ。 別府鶴見丘高では1年先輩の稲尾和久と投げ合ったこともあり、3年次の1956年、エースとして夏の甲子園に出場。1回戦で足利工を降すが、2回戦では米子東高に0-1で惜敗。 卒業後の1957年、同期の右翼手の山本征良と共に南海ホークスへ入団。1年目から一軍で登板機会こそ得たものの、1961年までは目立った活躍はできなかった。 1962年には開幕から先発陣の一角に組み込まれ、生涯最高の成績となる17勝、初めて規定投球回にも達してリーグ8位の防御率2.62を記録。本人はこのシーズン、それまでのシーズンと異なり監督の鶴岡一人に安定して一軍で重用されたことが大きいと後に振り返っている。
財津 守(ざいつ まもる、1938年5月10日 - 1990… 財津 守(ざいつ まもる、1938年5月10日 - 1990年1月14日)は、大分県出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。 日田高校では左腕エース梅野慶志を擁し、1955年秋季九州大会で準決勝まで進むが、鹿児島玉龍高の五代友和に完封を喫する。翌年夏も県予選で敗れ甲子園には出場できなかった。 卒業後は日鉄二瀬に入社し、濃人渉監督の指導を受ける。1957年から4年連続で都市対抗に出場。1958年の都市対抗では井洋雄、田中喜八郎(東洋高圧大牟田から補強)らの好投もあって決勝に進出するが、日本石油の伊藤正敏に完封され準優勝にとどまる。このときのチームメートにはプロで同僚となる江藤愼一がいた。 1961年に中日ドラゴンズへ入団。
西 太一郎(にし たいちろう、1938年3月13日 - 20… 西 太一郎(にし たいちろう、1938年3月13日 - 2022年1月19日)は、日本の経営者。三和酒類社長を務めた。大分県宇佐市出身。 1960年に東京農業大学農学部を卒業し、同年に三和酒類に入社。1972年に代表取締役、1978年に専務を経て、1989年には社長に就任。1997年に会長に就任し、2009年に名誉会長を経て、2018年には相談役に就任。 2022年1月19日肺炎のために死去。83歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
安部 彪(あべ たけし、1938年〈昭和13年〉1月20日 … 安部 彪(あべ たけし、1938年〈昭和13年〉1月20日 - 2025年〈令和7年〉2月1日)は日本の会計検査官僚。位階勲等は従三位瑞宝重光章。会計検査院事務総局次長、会計検査院事務総長、国民生活金融公庫副総裁(初代)などを歴任。血液型はB型。妻がいる。 大分県出身(母も大分県)。大分大学学芸学部附属中学校、大分県立大分上野丘高等学校、東京大学法学部卒業。1960年(昭和35年) 大蔵省に入省(銀行局金融制度調査官付)。1966年(昭和41年)7月 福知山税務署長。1982年(昭和57年)7月 会計検査院事務総長官房法規課長。1983年(昭和58年)6月 会計検査院事務総長官房総務課長。1984年(昭和59年)12月 会計検査院事務総局第三局審議官。
飯島 伸子(いいじま のぶこ、1938年1月3日 - 200… 飯島 伸子(いいじま のぶこ、1938年1月3日 - 2001年11月3日)は、日本の社会学者。環境社会学の研究で有名。環境社会学会初代会長。旧姓、工藤。東京大学医学部保健学科保健社会学講座助手、桃山学院大学教授、東京都立大学教授、富士常葉大学教授を歴任。日本の環境社会学のパイオニアであり、水俣病の研究でも有名である。 従兄弟に経済思想史研究者の後藤文利、哲学者・社会学者で思想の科学研究会会長代行を務めた後藤宏行がいる。 1938年1月3日、城津市にて出生。1956年3月、大分県立竹田高校卒業。1960年3月、九州大学文学部哲学科卒業。同年4月、日本パーカライジング株式会社入社。 1966年4月、東京大学大学院社会学研究科修士課程入学。
鬼塚 英昭(おにづか ひであき、1938年〈昭和13年〉 -… 鬼塚 英昭(おにづか ひであき、1938年〈昭和13年〉 - 2016年〈平成28年〉1月25日)は、日本の著作家、竹細工職人、郷土史家。 家業の傍ら、自費出版で歴史書などの執筆を始める。菊タブーや国際金融、国際情勢分野を執筆し、タブーに切り込むことを好むノンフィクション作家として知られる。 大分県別府市生まれ。大分県立別府鶴見丘高等学校卒業。別府鶴見丘高校は地元名門校として知られ、同校出身の著名人の一人としても名前が挙がる。 卒後は、上京して中央大学法学部に入学する。働きながら大学で学んでいたが学費が払えず中退。故郷の別府にて家業の竹細工職人となる。作家デビューは遅く、2002年になってからであった。
畑 隆幸(はた たかゆき、1937年12月24日 - )は、… 畑 隆幸(はた たかゆき、1937年12月24日 - )は、大分県日田市出身のプロ野球選手(投手)である。左投左打。
豊國 範(とよくに すすむ、1937年11月30日 - 20… 豊國 範(とよくに すすむ、1937年11月30日 - 2022年2月23日)は、大分県中津市出身(出生地は滋賀県、もしくは朝鮮民主主義人民共和国平安北道(旧朝鮮平安北道))で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は大塚 範(おおつか すすむ)。最高位は東張出小結(1962年5月場所)。現役時代の体格は176cm、131kg。得意手は左四つ、寄り、突き、押し、内掛け。 大分県立中津南高等学校から中央大学に進学し、同大学の相撲部では、主将を務めるなど活躍した。在学中の1960年、周囲の反対を押し切って、同郷の元横綱・双葉山が率いる時津風部屋に入門。同年5月場所に於いて、幕下付出で初土俵を踏んだ。 学生相撲出身者の角界入りは、紅陵大学(現・拓殖大学)出身の吉井改め吉井山(出羽海部屋、最高位・前頭11枚目)以降も、幾人かあった。
一代 のぼる(いちだい のぼる、1937年10月20日 - … 一代 のぼる(いちだい のぼる、1937年10月20日 - 2000年4月29日、本名:首藤正毅)は、大分県臼杵市佐志生出身の作曲家である。代表曲は、松村和子が歌った「帰ってこいよ」。 臼杵市立豊洋中学校を卒業後、津久見市の大分県柑橘試験場津久見分場で学び、家業のミカン栽培に携わった。24歳の時に上京し、流しのかたわら、作曲を独学した。 千昌夫、小林旭、水前寺清子、村田英雄らの楽曲を作曲。代表曲の「帰ってこいよ」は、1980年発売の松村和子のデビュー曲で、翌1981年の「第32回NHK紅白歌合戦」でも歌われた。「一代のぼる」の名付け親は作詞家の星野哲郎である。
阿南 準郎(あなん じゅんろう、1937年9月2日 - )は… 阿南 準郎(あなん じゅんろう、1937年9月2日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。