薬眞寺 克尚(やくしんじ かつひさ、1937年8月30日 -… 薬眞寺 克尚(やくしんじ かつひさ、1937年8月30日 - 2026年3月8日)は、日本の実業家。ヤクシングループの創業者。 株式会社ヤクシン運輸代表取締役社長、アート引越センター大分株式会社代表取締役社長、株式会社ヤクシン代表取締役社長、ヤクシンモーター株式会社代表取締役社長(かつてはボルボ・カーズ大分を運営していた)、株式会社ヤクシンプラス代表取締役社長、株式会社大分センチュリーホテル 代表取締役社長等を歴任。現在はヤクシングループの会長である。 1937年(昭和12年)8月30日、大分県北海部郡津久見町堅浦(現・津久見市)の生まれ。高校入学後、父の経営する家業の青果問屋を手伝っていたが、1956年(昭和31年)、臼杵市野津町に転居し父と運送業を始めた。
田中 喜八郎(たなか きはちろう、1937年7月26日 - … 田中 喜八郎(たなか きはちろう、1937年7月26日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
阿南 一成(あなん いっせい、1937年〈昭和12年〉7月1… 阿南 一成(あなん いっせい、1937年〈昭和12年〉7月18日 - )は、日本の官僚、政治家、実業家。 大分県竹田市出身。かつて中国管区警察局長や参議院議員、清和大学法学部教授。ZENTA株式会社保安顧問、 アルゼ株式会社(現ユニバーサルエンターテインメント)代表取締役社長などを歴任した。 2019年まで全国道路標識・標示業協会顧問。
稲尾 和久(いなお かずひさ、1937年6月10日 - 20… 稲尾 和久(いなお かずひさ、1937年6月10日 - 2007年11月13日)は、大分県別府市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。血液型はB型。 昭和30年代のパ・リーグを代表する本格派投手。大下弘・中西太・豊田泰光らと共に、西鉄ライオンズの3年連続日本一(1956年 - 1958年)を成し遂げるなど、「野武士軍団」と呼ばれた西鉄黄金時代の中心選手として活躍した。連投・多投の中で好成績を挙げたことから「鉄腕」の異名で呼ばれ、特に1958年の日本シリーズではチームが3連敗したあとで4連投4連勝して日本一を達成し、「神様、仏様、稲尾様」と賞賛された。 1961年に記録したシーズン42勝は、ヴィクトル・スタルヒンと並ぶNPBタイ記録。
園田 裕久(そのだ やすひさ、1937年4月6日 - )は、… 園田 裕久(そのだ やすひさ、1937年4月6日 - )は、日本の俳優、司会者、ナレーター。本名は同じ。 満洲国奉天市生まれ、大分県育ち。大分県立大分工業高等学校卒業。劇団東芸、劇団俳優小劇場、田村企画、オフィス三井を経て、三喜プロモーションに所属。 1957年に上京後、友人が芝居をやっていたことから自分も一緒に演劇の道に進む。 1968年、俳優小劇場入団(1972年退団)。 特技は動物の声帯模写。
和田 博実(わだ ひろみ、1937年3月26日 - 2009… 和田 博実(わだ ひろみ、1937年3月26日 - 2009年6月22日)は、大分県臼杵市出身(鹿児島県生まれ)のプロ野球選手(捕手、外野手)・コーチ・監督、評論家。 1955年から1956年までの登録名は和田 博美。 鹿児島で生まれたが、父親の転勤で幼少時に臼杵へ転居。小学校5年から捕手となり、臼杵高校でも野球部に入部するが、父が「息子を医者にさせたい」と考えており一旦退部。後に「血を見るのは苦手だった」という事情で野球部に復帰。捕手として2年次の1953年に秋季九州大会へ進むが、1回戦で長崎商に延長15回サヨナラ負け。3年次の1954年も夏の甲子園県予選を勝ち抜き東九州大会に進出するが、1回戦で黒木基康のいた高鍋高に完封を喫し、甲子園には届かなかった。
和田 博実(わだ ひろみ、1937年3月26日 - 2009… 和田 博実(わだ ひろみ、1937年3月26日 - 2009年6月22日)は、大分県臼杵市出身(鹿児島県生まれ)の元プロ野球選手(捕手、外野手)・コーチ・監督、評論家。
井上 信幸(いのうえ のぶゆき、1937年(昭和12年)3月… 井上 信幸(いのうえ のぶゆき、1937年(昭和12年)3月12日 - 2023年(令和5年)2月22日)は、日本の政治家。位階は正五位。元大分県別府市長。 別府市出身。1959年(昭和34年)日本大学法学部政経学科卒業。 高等学校教師、別府市議会議員、同議長を経て、1995年(平成7年)別府市長に当選した。2003年(平成15年)まで務めた。 2023年2月22日、腎不全のため、死去。85歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
松下竜一(まつした りゅういち、1937年(昭和12年)2月… 松下竜一(まつした りゅういち、1937年(昭和12年)2月15日 - 2004年(平成16年)6月17日 )は、日本の小説家、歌人。大分県中津市出身。大分県立中津北高等学校卒業。主要な作品は、記録文学。初期の代表作は、『豆腐屋の四季』。
三原 淳雄(みはら あつお、1937年2月14日 - 201… 三原 淳雄(みはら あつお、1937年2月14日 - 2011年2月8日)は、満洲国生まれ・大分県出身の経済評論家。 1955年、大分県立大分舞鶴高等学校卒業。1959年、九州大学経済学部卒業後、同年日興証券(株)に入社。 1970年、ノースウェスタン大学経営大学院留学(企業派遣) 、翌年スイス銀行チューリッヒ駐在。 1972年、日興証券ニューヨーク支店勤務を経て、1974年日興証券ロサンゼルス支店長に就任。 1976年、日興証券を退職後、三原淳雄事務所((株)インパルス)を設立。経済評論家として活動を開始する。さらに、日本ファイナンシャル・プランナーズ協会特別顧問、社団法人日本商品投資販売業協会、東海東京調査センター理事にも就任。
梶原 敬義(かじわら けいぎ、1937年1月2日 - 202… 梶原 敬義(かじわら けいぎ、1937年1月2日 - 2025年8月20日)は、日本の政治家。元参議院議員(3期)。 大分県別府市出身。1960年、大分大学経済学部卒業。 1983年の第13回参議院選挙に日本社会党公認で立候補し、初当選。その後、1989年の第15回参議院選挙、1995年の第17回参議院選挙でも当選し、計3期18年にわたって参議院議員を務めた。 この間、1991年9月12日に発足した社会党シャドーキャビネットでは内閣官房副長官に任じられ、1995年8月8日に発足した村山改造内閣では大蔵政務次官に就任している。また、1996年の社会民主党への党名変更後も、社民党にとどまった。1998年1月の党役員改選では、政審会長及川一夫の退任が決まると労組系の議員を背景として同会長の後任に名乗りを上げたこともある。
小石 房子(こいし ふさこ、1937年 - )は、日本の小説… 小石 房子(こいし ふさこ、1937年 - )は、日本の小説家、女性史研究家、日本ペンクラブ会員。 大分県大分市生まれ。大分県立大分上野丘高等学校を経て、青山学院女子短期大学国文科を卒業。 当初は那須辰造に師事し、トナカイ村の同人として児童文学を書き、1975年の国際婦人年を契機に作家の南原幹雄にすすめられて女性史を中心とした歴史物を手がけるようになる。 日本は男尊女卑の男社会だったので、正史に書かれなかった女帝や歪曲された女性の真相を歴史小説とし、また正史は為政者の歴史だったので、裏面史として流人史を書く。 執筆のかたわら、カルチャー教室の歴史の講師をつとめ、平成元年(1989年)に始まった横浜の教室は令和まで30年以上つづき、八丈島から始まった「歴史の旅」も31回を数える。
広瀬 徹也(ひろせ てつや、1937年 - )は日本の医学者… 広瀬 徹也(ひろせ てつや、1937年 - )は日本の医学者、精神科医。帝京大学名誉教授。医学博士。 うつ病の研究者として知られる。かつて日本に多く見られたうつ病(メランコリー親和型うつ病・内因性うつ病)とは異なる抑うつ像の研究を行い、「逃避型抑うつ(逃避型うつ病)」として提唱した。
葛城 隆雄(かつらぎ たかお、1936年12月21日 - 2… 葛城 隆雄(かつらぎ たかお、1936年12月21日 - 2013年7月27日)は、大分県大分市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。 大分上野丘高校では2年生の時、1953年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、東九州大会準決勝に進むが、佐伯鶴城高に敗れ甲子園出場はならなかった。高校の1年上に太田文高がいた。 1955年、別当薫監督率いる毎日オリオンズに入団。高卒新人ながら活躍を見せた。 1956年にはレギュラー遊撃手となり、規定打席(22位、打率.250)にも到達。 1957年は三塁手に回り、リーグ3位の91打点を記録した。 1958年は遊撃手に戻るが、1打点差で中西太(西鉄)の三冠王を阻み、打点王を獲得。
アンジェラ浅丘 ( - あさおか、1936年(昭和11年)1… アンジェラ浅丘 ( - あさおか、1936年(昭和11年)12月14日 - )は、昭和期の女優・ダンサー。本名は三瀬 美絵子。大分県別府市生まれ。いとこに應蘭芳。 日劇ミュージックホールのいわゆる第2期黄金時代(1957年〜1972年頃)のスターとなった。映画にも出演している。プロ野球選手の佐藤道郎と結婚し、ともに「酒・アンジェラ」というバーを経営したこともあったが、のち離婚する。 田中小実昌は「アンジェラ浅丘の縦長ヘソはセクシー」と書いている。1969年、『血と薔薇』第3号のモデルを務める(撮影は篠山紀信)。
中谷 比佐子(なかたに ひさこ、1936年7月18日 - )… 中谷 比佐子(なかたに ひさこ、1936年7月18日 - )は日本の和装研究家、エッセイスト。大分県大分市出身。 大分県立大分上野丘高等学校を経て共立女子大学文芸学部卒業。女性雑誌『女性自身』『二人自身』の編集記者を経て、株式会社 秋櫻舎(こすもすしゃ)設立。きもの季刊誌『きもの秋櫻』発行。婦人雑誌等にきものの記事を執筆。東京都新宿区在住。
河野 正(かわの ただし、1936年5月29日 - 没年不詳… 河野 正(かわの ただし、1936年5月29日 - 没年不詳)は、大分県出身のプロ野球選手。 佐伯鶴城高校から、1955年に読売ジャイアンツへ入団。4年目の1958年に一軍公式戦初出場を果たすと、翌1959年に76試合に出場、5月30日の対中日ドラゴンズ戦で代打満塁本塁打を放つが、シーズンでは打率.160、1本塁打に留まる。その後も外野の控えとして1960年に68試合、1961年に20試合に出場するが、両年とも打率1割台に終わり、1961年限りで現役引退した。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
本田 維憲(ほんだ これのり、1936年5月6日 - )は、… 本田 維憲(ほんだ これのり、1936年5月6日 - )は、日本の政治家。元大分県速見郡日出町長(2期)。株式会社ハーモニーランド監査役、株式会社日出ハイテック代表取締役社長を歴任。 1936年(昭和11年)5月6日、大分県直入郡松本村(現・竹田市)で軍医をしていた本田文生と妻[歯科医師]千枝の三男として生まれる。 大分県立竹田高等学校、明治大学政治経済学部政治学科卒業。1960年(昭和35年)に株式会社ラジオ大分(現・株式会社大分放送)に入社。秘書部長、総務局長等を歴任し、1994年(平成6年)に大分放送を退職。この間、1975年(昭和50年)に日出町に移住。 1996年(平成8年)に民間出身として初めて日出町長に当選(一期)。
太田 文高(おおた ふみたか、1936年2月8日 - 没年不… 太田 文高(おおた ふみたか、1936年2月8日 - 没年不明)は、大分県出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。 上野丘高校では1953年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、東九州大会準決勝に進むが、佐伯鶴城高に敗れ甲子園出場はならなかった。高校の1年下に葛城隆雄がいる。 1954年に中日ドラゴンズへ入団。1957年にウエスタン・リーグで本塁打王を獲得。1959年に一軍に定着し、左翼手、中堅手として49試合に先発出場。翌年も準レギュラーとして起用されるが、その後は出場機会が減少。 1961年オフに国鉄スワローズへ移籍。1962年には主に代打として起用されるが、同年限りで引退した。
風倉 匠(かざくら しょう、1936年1月23日 - 200… 風倉 匠(かざくら しょう、1936年1月23日 - 2007年11月13日)は日本の前衛芸術家、パフォーマーである。1960年代にネオ・ダダイズムを標榜し、「ハプニングやパフォーマンスによって既成の概念を揺るがした」と評される。 1936年1月23日、橋本庄平の第5子として大分県大分市に生まれる。1944年、自宅近くが航空廠であったため一家で大野郡長谷川村(現:豊後大野市)に強制疎開させられる。1945年、川に落ちていた不発弾に触れて爆発、右手人差し指を失う。 1951年、大分県立大分工業高等学校工業化学科に入学。1952年の年末から腹膜炎を患い、さらに結核にかかる。このため1953年5月まで休学。
内藤 喜之(ないとう よしゆき、1936年 - 2011年)… 内藤 喜之(ないとう よしゆき、1936年 - 2011年) は、日本の工学者。専門は電磁波工学。東京工業大学学長・大分大学学長・国立高等専門学校機構理事長:電子情報通信学会会長・文部科学省教科用図書検定調査審議会会長等を歴任。 大分県出身。1955年大分県立別府鶴見丘高等学校卒業。1959年東京工業大学理工学部電気工学課程卒業。川上正光に師事し、1964年東京工業大学大学院修了、工学博士。1980年東京工業大学工学部教授。1993年東京工業大学工学部長。1997年東京工業高等専門学校校長。同年東京工業大学学長、東京工業大学名誉教授。1999年にはボンで行われた日独学長会議に中嶋嶺雄東京外国語大学学長、石弘光一橋大学学長と参加して知り合い、帰国後如水会館のレストランで話し合ったことがきっかけとなり、その後四大学連合が結成された。
野上修市(のがみ しゅういち、1936年- )は、日本の法学… 野上修市(のがみ しゅういち、1936年- )は、日本の法学者。専門は、憲法・教育法学。大分県別府市出身。 1960年3月 明治大学法学部卒業。1965年3月 同大学院法学研究科公法学専攻博士課程単位取得退学。1965年4月 明治大学法学部助手。1967年4月 同法学部専任講師。1973年4月 同法学部助教授。1978年4月 同法学部教授。1990年10月 明治大学法学部法律学科長に就任(1991年12月まで)。1996年2月 明治大学評議員(2000年2月まで)。2001年4月 明治大学図書館長に就任(2005年3月まで)。2004年4月 同法科大学院教授。2007年3月 明治大学定年退職。2007年4月 明治大学名誉教授。
阿南 馨(あなん かおる、1935年(昭和10年)10月8日… 阿南 馨(あなん かおる、1935年(昭和10年)10月8日 - )は、日本の政治家。元大分県竹田市長(3期)。 竹田市出身。1954年(昭和29年)大分県立三重農業高等学校卒業。 竹田市役所に入り、同市助役を経て、1996年(平成8年)竹田市長に当選した。2000年(平成12年)と2004年(平成16年)の市長選挙はいずれも無投票当選だった。 竹田市は2005年(平成17年)に合併し、新しい竹田市が発足したが、合併後の市長選挙には不出馬だった。
玉響 克巳(たまひびき かつみ、1935年10月3日 - 没… 玉響 克巳(たまひびき かつみ、1935年10月3日 - 没年不明 )は、大分県別府市向浜出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は新川 克巳(しんかわ かつみ)→灘 克巳(なだ -)。最高位は東前頭2枚目(1959年9月場所・1960年7月場所)。得意手は右四つ、寄り、上手投げなど。現役時代の体格は178cm、98kg。 大分県立水産高校を中退後、同郷の玉乃海(後、年寄・片男波)がいた二所ノ関部屋に入門。なお、角界入りする前は、捕鯨船の乗組員を志していたという。1954年1月場所で初土俵を踏み、翌3月場所、本名でもある「新川」の四股名で序ノ口に付いた。 体格にはあまり恵まれていなかったが比較的順調に出世し、1958年5月場所で十両へと昇進。
御手洗 冨士夫(みたらい ふじお、1935年9月23日 - … 御手洗 冨士夫(みたらい ふじお、1935年9月23日 - )は、日本の経営者・実業家。キヤノン代表取締役会長。 第6代、第8代キヤノン社長を経て、同会長。第2代日本経済団体連合会会長を務め、現在は名誉会長。内閣府経済財政諮問会議議員。若者の人間力を高めるための国民会議議長。鉄道貨物協会会長。読売新聞グループ本社監査役。ラグビーワールドカップ2019組織委員会会長。2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会名誉会長。 大分県立佐伯鶴城高等学校から転入して東京都立小山台高等学校、中央大学法学部卒業。「財界総理」といわれる日本経済団体連合会会長職に私立大学出身者として初めて就任した。
原田 清人(はらだ きよと、1935年9月2日 - )は、日… 原田 清人(はらだ きよと、1935年9月2日 - )は、日本の俳優。本名は同じ。 大分県日田市出身。大分県立日田林工高等学校卒業、日本大学卒業。劇団俳優座に所属していた。 現日田市長、原田啓介は甥にあたる。[要出典] 1958年、俳優座養成所(10期生)に入り、その後、劇団俳優座に入団。 舞台出演のほか、テレビドラマ、映画にわき役として多数出演した。一時期、原田樹世土名義で活動していた時期もある。 1968年、連続テレビ小説『あしたこそ』に主人公の兄、香原大輔役で出演。 1998年、舞台『遅咲きの花のワルツ』を最後に俳優座を退団。
石川 才顯(いしかわ わざあき、1935年8月10日 - 1… 石川 才顯(いしかわ わざあき、1935年8月10日 - 1996年11月28日)は、日本の法学者。専門は刑事法。元日本大学法学部教授。大分県中津市出身。 日沖憲郎に師事し、刑事法、特に、刑事訴訟法分野においての業績で著名。その著書、論文は多くの刑事訴訟法学者や法律実務家に影響を与え、立命館大学教授の井戸田侃とともに捜査手続の訴訟的構造化に基づいて、捜査機関の攻撃的捜査活動に対して、被疑者側の防御活動捜査活動を対等なものとして位置づけた。その当事者主義的捜査構造から導かれる捜査訴訟構造説(捜査独自性説)の有力な推進者として知られる。それら研究の集大成である主論文『捜査における弁護の機能』に対しては、慶應義塾大学より博士(法学)の学位が授与された。
筑紫 哲也(ちくし てつや、1935年〈昭和10年〉6月23… 筑紫 哲也(ちくし てつや、1935年〈昭和10年〉6月23日 - 2008年〈平成20年〉11月7日)は、日本のジャーナリスト、ニュースキャスター。長年にわたって新聞・雑誌・テレビ報道の第一線に立ちつづけ、日本のテレビジャーナリズムの確立に多大な貢献をした業績により日本記者クラブ賞を受賞。朝日新聞社政治部記者、ワシントン特派員、テレビ朝日『日曜夕刊!こちらデスク』メインキャスター、朝日ジャーナル編集長などを経て、TBSテレビ『筑紫哲也NEWS23』キャスター編集長を18年あまり務めた。 大分県日田郡小野村(現在:日田市)で筑紫和臣・文子夫妻の長男として生まれた。静岡県立沼津東高等学校、東京都立小山台高等学校を経て、早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業。
中山 忠彦(なかやま ただひこ、1935年3月20日 - 2… 中山 忠彦(なかやま ただひこ、1935年3月20日 - 2024年9月24日)は、日本の洋画家、日本芸術院会員。日展元理事長 (現在は顧問)。白日会会長。福岡県小倉市(現・北九州市)生まれ。 9歳で大分県に疎開。1950年に15歳で県展に入選。 中津西高校(現・大分県立中津南高等学校)卒業後上京して伊藤清永に入門。アルバイトのかたわら三輪孝主宰の阿佐ヶ谷洋画研究所に学ぶ。1965年の結婚以来は、良江夫人をモデルにした美人画を描き続けた。結婚を機に1966年に市川市市川1丁目の小島鉦治方に転居。1970年に市川市国府台に画室を新築して転居。
芝原 拓自(しばはら たくじ、1935年1月10日 - 20… 芝原 拓自(しばはら たくじ、1935年1月10日 - 2024年1月11日)は、日本の歴史学者、大阪大学名誉教授。 大分県宇佐市出身。1958年京都大学文学部国史学科卒。1963年同大学院博士課程満期退学、1968年「明治維新の権力基盤」で京大文学博士。日本福祉大学講師、1969年名古屋市立大学助教授、1973年教授、1989年大阪大学文学部教授。1999年定年退官、名誉教授、岐阜聖徳学園大学教授。 1982年「日本近代化の世界史的位置」で日経・経済図書文化賞受賞。世界史の視点で明治維新、日本の近代化を研究した。 2024年1月11日、老衰のため死去。89歳没。
広瀬道貞(ひろせ みちさだ、1934年11月12日 - )は… 広瀬道貞(ひろせ みちさだ、1934年11月12日 - )は、大分県出身の株式会社テレビ朝日顧問。第13代日本民間放送連盟(民放連)会長(2006年~2012年)。
時枝 正昭(ときえだ まさあき、1934年〈昭和9年〉10月… 時枝 正昭(ときえだ まさあき、1934年〈昭和9年〉10月30日 - 2016年〈平成28年〉11月29日)は、日本の政治家、内科医。医学博士、大分県宇佐市長(3期)。 大分県宇佐市出身。1959年、九州大学医学部卒業。1967年「飲泉の胆汁分泌におよぼす影響に関する研究」により九州大学から医学博士号を授与された。九州大学温泉治療学研究所講師を務めた。1970年、地元で内科医院を開業する。2000年宇佐市長選挙に立候補し、初当選する。2004年には無投票で再選。翌2005年宇佐市は宇佐郡院内町と安心院町と合併し、新たな宇佐市が発足。合併後の市長選挙に立候補し、無投票で当選した。合併後の宇佐市長を2009年まで1期務めた。
首藤 伸夫(しゅとう のぶお、1934年(昭和9年)9月10… 首藤 伸夫(しゅとう のぶお、1934年(昭和9年)9月10日 - )は、日本の土木工学者。東北大学名誉教授。 大分県大分市出身。東京大学工学部土木工学科卒業後、建設省土木研究所の研究員を経て、1961年(昭和41年)、中央大学助教授、1966年(昭和46年)に中央大学教授に就任。1977年(昭和52年)から東北大学教授となる。後、岩手県立大学教授を経て日本大学教授に転籍。津波の挙動を数値解析手法で確定し、国内外の津波災害を数量的に明らかにするなど「津波工学」の確立に努める。2014年(平成26年)日本学士院賞を受賞。
後藤 重巳(ごとう しげみ、1934年(昭和9年)9月7日 … 後藤 重巳(ごとう しげみ、1934年(昭和9年)9月7日 - 2014年(平成26年)4月23日)は、大分県直入郡入田村(現・竹田市)出身の歴史学者(日本近世史)。別府大学名誉教授。位階は正五位。大分県の近世史研究における第一人者とされる。 1934年(昭和9年)9月7日、大分県直入郡入田村(現・竹田市)に生まれた。父は入田村長を務めた後藤千代巳、母はハツ子。 1953年(昭和28年)3月に大分県立竹田高等学校を卒業し、1957年(昭和32年)3月に國學院大學史学科を卒業した。1961年(昭和36年)には別府大学助手と別府大学附属高等学校(現・明豊中学校・高等学校)教諭に就任した。その後別府大学文学部教授に就任し、史学科と文化財学科で教鞭を取った。
鈴木 一郎(すずき いちろう、1934年6月23日 - 20… 鈴木 一郎(すずき いちろう、1934年6月23日 - 2013年3月10日)は、日本の政治家、農林官僚。大分県中津市長(4期16年間)。 大分県中津市出身の医師、鈴木圭吉の長男。圭吉は京都帝国大学卒業後、1939年に杵築市で医院開業。一郎は杵築市で育つ。杵築小学校、杵築中学校から東京都立日比谷高等学校に入学。東京大学法学部を卒業後、1957年農林省入省。水産庁参事官、通産省貿易局農水産課長、構造改善局課長、九州農政局次長、東京営林局長、東北農政局長などを歴任。1987年、中津市長に当選。2003年まで4期16年間、財政再建、教育文化施設の整備、中津港の拡充、ダイハツの誘致などに努めた。ダイハツ九州は中津を本社とし、工場は2004年に操業を開始して雇用を生み出している。
梅木 恒明(うめき・つねあき 1934年3月24日 - 20… 梅木 恒明(うめき・つねあき 1934年3月24日 - 2013年10月29日)は、日本のラグビーフットボール指導者。玖珠農在学中ラグビー部に所属している。当時は二足の草鞋を履いて、複数の部活に所属する事は普通であった。 1934年3月24日、大分県玖珠郡玖珠町出身。大分県立玖珠農業高等学校時代は野球部に入り、高校球児として甲子園を目指した経歴を持つ。高校卒業後は法政大学に進学し、法政卒業後に保健体育教師の教員免許を取得するべく日本体育大学に入学した。 教員免許取得後、1961年に私立目黒高等学校に教師として赴任。同校ラグビーフットボール部監督に就任する。同校ラグビーフットボール部監督時代に当時、多摩川べりに在った自宅に部員を下宿させ、毎朝10㎞をランニングさせたり、多摩川の河川敷で真夜中まで練習をさせ、又は梅木の実家がある玖珠町の陸上自衛隊玖珠駐屯地で夏合宿を敢行するなど、「常軌を逸した」(松尾雄治の述懐)猛特訓を行ったという。
近藤 和義(こんどう かずよし、1934年1月5日 - )は… 近藤 和義(こんどう かずよし、1934年1月5日 - )は、日本の政治家。大分県議会議員(4期)、おおいた森林組合組合長、社団法人大分県畜産協会会長、株式会社大分県畜産公社取締役、自由民主党大分県支部連合会党紀委員長。 大分県監査委員、大分県議会副議長(第88代)、大分県議会議会運営委員長などを歴任した。2019年、旭日小綬章受章。 1934年、大分県大分郡湯布院町(現由布市)にて生まれた。1952年に大分県立玖珠高等学校を卒業した。 湯布院町農業協同組合の理事を務めた。また、湯布院町農業委員会委員を2期にわたって務めるとともに、湯布院町青年団の団長や湯布院町消防団の副団長に就任するなど、地域社会にて活躍する。
久保 徳雄(くぼ とくお、1933年11月17日 - )は、… 久保 徳雄(くぼ とくお、1933年11月17日 - )は、日本の経営者。東京エレクトロンの共同創業者。 大分県宇佐市出身。1956年に大分大学経済学部を卒業し、同年に日商に入社。 1963年に東京放送(TBS)の出資を得て、小高敏夫氏らと東京エレクトロン研究所を創業。1964年に取締役に就任し、1965年に常務を経て、1974年に社長に就任。1980年12月に会長に就任し、1984年12月に相談役に就任。1986年10月に再び会長に就任し、1990年12月に取締役相談役を経て、1996年6月には相談役に就任。 1991年4月に藍綬褒章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
河村 英文(かわむら ひでふみ、1933年8月30日 - 2… 河村 英文(かわむら ひでふみ、1933年8月30日 - 2005年2月16日)は、大分県出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・解説者。 「英文」は「えいぶん」という読み方もさせており、著書の著作権表示にも「Hidefumi Kawamura」ではなく、「Eibun Kawamura」の表記が見られる。 本名・旧登録名(1953年 - 1958年、1962年 - 1963年、1972年 - 1973年)は河村 久文(かわむら ひさふみ)。 別府緑丘高校では小嶋仁八郎監督の指導を受けた。4年後輩に後の同僚となる稲尾和久がいる。卒業後は東洋高圧大牟田でプレーしていたたが、1952年オフに西鉄ライオンズから勧誘を受ける。
長谷雄 幸久(はせお ゆきひさ、1933年8月14日 ‐ 2… 長谷雄 幸久(はせお ゆきひさ、1933年8月14日 ‐ 2013年12月3日) は、日本の政治家。公明党衆議院議員(2期)。弁護士。 大分県別府市出身。1961年日本大学法学部卒。卒業後は東京銀行に勤務する。その後、司法試験に合格し、弁護士になる。1976年の第34回衆議院議員総選挙で東京11区から公明党公認で立候補して初当選。2期務める。1980年の第36回衆議院議員総選挙で落選。政界を引退した。落選後は特許事務所を開いた。 2007年3月に中央選挙管理会予備委員、その後2013年3月より中央選挙管理会委員に任命されたが、同年12月3日に死去した。80歳没 。
工藤 和男(くどう かずお、1933年 - )は、日本の画家… 工藤 和男(くどう かずお、1933年 - )は、日本の画家、洋画家。大分県大分市出身。漁師など海、働く人物をテーマに描く作品が多い。
溝口 薫平(みぞぐち くんぺい、1933年 - )は、大分県… 溝口 薫平(みぞぐち くんぺい、1933年 - )は、大分県由布市の由布院温泉で旅館由布院玉の湯を経営する実業家。株式会社玉の湯代表取締役会長。大分県豊の国づくり塾運営委員長、湯布院商工会長、財団法人人材育成ゆふいん財団理事長。 1966年に妻の実家であった由布院玉の湯の経営に参加。 1970年7月にゴルフ場建設計画が持ち上がると、『由布院の自然を守る会』を結成して反対運動を行い、ゴルフ場建設を阻止。1971年には、亀の井別荘の中谷健太郎らとともに50日間にわたりヨーロッパ各地の観光地や温泉保養地を私費で視察してまちづくりを学んだ。 1975年4月21日の大分県中部地震により、実際には被害が小さかった由布院温泉が風評被害を受け、観光客が低迷すると、ゆふいん音楽祭、湯布院映画祭、牛喰い絶叫大会等のイベントを企画するとともに、由布院のまちづくりに貢献し、由布院温泉を国内有数の温泉地に育てた。
谷川 禎次郎(たにかわ ていじろう、1932年〈昭和7年〉1… 谷川 禎次郎(たにかわ ていじろう、1932年〈昭和7年〉12月20日 - 2025年5月13日)は、日本の元競泳選手。1952年ヘルシンキオリンピック男子800mフリーリレー銀メダリスト。大分県出身。メディアによっては谷川 禎治郎とも表記される。日本大学経済学部卒業。 1952年のヘルシンキオリンピック男子800mフリーリレーで鈴木弘、浜口喜博、後藤暢とともに銀メダルを獲得。 2025年5月13日、急性大動脈解離により死去。92歳没。
巴 里夫(ともえ さとお、1932年11月22日 - 201… 巴 里夫(ともえ さとお、1932年11月22日 - 2016年7月1日)は、日本の漫画家。本名:磯島 重二(いそじま しげじ)。大分県中津市出身。血液型はO型。 関西大学経済学部在学中の1952年にカバヤキャラメルの景品のオマケ漫画を描く漫画家の募集に応募し作品を描いて収入を得る。 1954年、日の丸文庫『母を呼ぶ歌』で貸本漫画家としてデビュー。1956年に上京し、若木書房の社長の勧めで巴里夫に改名。以後、若木書房より貸本少女漫画を多数発表する。 1965年に初の作品『さよなら三角』(『りぼん』)で雑誌デビュー。以後は『りぼん』などで学園系作品の少女漫画を発表する。1978年頃より集英社の編集者として新人漫画家の育成に携わるようになる。
志生野 温夫(しおの はるお、1932年11月4日 - )は… 志生野 温夫(しおの はるお、1932年11月4日 - )は、大分県竹田市出身のフリーアナウンサー。シオノ事務所社長を務める。 國學院大學卒業後の1956年、日本テレビへ入社。同期に本多当一郎、赤木孝男がいる。1972年、アナウンス部副部長を最後にフリーへ転身。現在も地上波やCSなどで活躍し、日本テレビアナウンスカレッジ講師や結婚式の司会業(椿山荘)なども担当する。元NHKアナウンサーの山川静夫は大学時代の同級生である。 「〜であります!」調の実況が特徴であり(後輩の徳光和夫も影響を受けている)、倒産した全日本女子プロレスではWWWA2代目コミッショナーを務めた。
佐藤 精一(さとう せいいち、1932年9月10日 - )は… 佐藤 精一(さとう せいいち、1932年9月10日 - )は、日本のプロゴルファー。大分県杵築市出身。左利き右打ち。1955年プロ入り。我孫子ゴルフ倶楽部出身。プレーの早さから「早撃ちマック」との異名をとる。好物はあんぱんとハンバーガー。 現在、出演番組なし。 この項目は、ゴルフに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト ゴルフ)。
三好 信浩(みよし のぶひろ、1932年8月18日 - 20… 三好 信浩(みよし のぶひろ、1932年8月18日 - 2024年1月24日)は、日本の産業教育史学者、広島大学・比治山大学名誉教授。 大分県日田市生まれ。1961年広島大学大学院教育学研究科博士課程満期退学、1966年「英国公教育制度成立課程の研究 ケイ・シャトルワースを中心にして」で教育学博士。茨城大学講師、助教授、大阪市立大学助教授、広島大学教育学部助教授をへて、教授、1996年定年退官、名誉教授となり、甲南女子大学教授、比治山大学学長を務め、名誉教授となった。 2013年4月瑞宝中綬章受章。 2024年1月24日に悪性リンパ腫のため、広島県福山市の病院で死去。91歳没。
長谷川 清(はせがわ きよし、1932年6月26日 - 20… 長谷川 清(はせがわ きよし、1932年6月26日 - 2017年6月1日)は、日本の政治家、元民主党参議院議員(2期)。 旧朝鮮・釜山生まれ。1952年、大分県立大分工業高等学校卒業。同年東京電力に入社。東京同盟書記長、電電労組委員長、電力労連副会長、電力総連副会長を歴任する。1992年の第16回参議院議員通常選挙で比例区に民社党から立候補して当選。1994年の新進党結党に参加。その後新党友愛を経て民主党に合流。2期務め、2004年の第20回参議院議員通常選挙に立候補せず、引退。 2002年、勲二等瑞宝章受章。 2017年6月1日20時46分、腎不全のため狭山市で死去。84歳没。
吉村 益信(よしむら ますのぶ、1932年5月22日 - 2… 吉村 益信(よしむら ますのぶ、1932年5月22日 - 2011年3月15日)は、昭和後期に活動した美術家。大分県大分市出身。1960年に登場した過激な前衛芸術集団「ネオ・ダダ」の発案者であり、主宰者。 実家は大正初期創業の医薬品卸売の吉村薬品という裕福な環境で育つ。大分第一高等学校(現在の大分県立大分上野丘高等学校)在学中の17歳のときに河北倫明が著した青木繁の画集を見て美術にのめり込む。昼は学校の美術室に、夜は地元大分の画材店キムラヤの美術サークル「新世紀群」で活動した。ここには、同郷の磯崎新、赤瀬川隼(両者は同じ高校の1年先輩)風倉匠らが集っていた。当時から鷹揚で人をひきつけ、親分肌で面倒見がよくスポーツ万能。
磯崎 新(いそざき あらた、1931年(昭和6年)7月23日… 磯崎 新(いそざき あらた、1931年(昭和6年)7月23日 - 2022年(令和4年)12月28日)は、日本の建築家、一級建築士、アトリエ建築家。日本芸術院会員。 大分県大分市出身。父は実業家で俳人の磯崎藻二。妻は彫刻家の宮脇愛子。茨城・つくばセンタービルや米国・ロサンゼルス現代美術館などで知られ、ポストモダン建築をリードして国際的に活躍した。 CIAM以降、さまざまな現象へ分裂解体しつつあった世界の建築状況を整理し、改めて総合的な文化状況の中に位置づけ直し、全体的な見通しと批評言語を編纂した役割において、磯崎はポストモダン建築を牽引した建築家の一人であると言われる。特に日本では丹下健三以降の世代にとって、1970年以降の建築言説の展開の大凡は磯崎によって編成されてきたと見なされている。