斎藤 英津子(さいとう えつこ、1970年7月8日 - )は… 斎藤 英津子(さいとう えつこ、1970年7月8日 - )は、日本の元タレント、フリーアナウンサー。 大分県大分市出身。早稲田大学第一文学部卒業。趣味は料理。 大学在学中の1992年(平成4年)、テレビの情報番組『サンデーモーニング』(TBS)のオーディションを受けて合格、関口宏事務所に所属し、キャスターとして同番組にレギュラー出演した。 その後は他の番組のキャスターやラジオパーソナリティも務めたが、2001年(平成13年)に結婚してアメリカ合衆国に移住、翌年8月には男児を出産した。結婚後は芸能活動を行っていない。
遠藤 善主(えんどう よしむね、1970年6月21日 - )… 遠藤 善主(えんどう よしむね、1970年6月21日 - )は、大分県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはFW。 大分県立大分上野丘高等学校を卒業後の1989年に日本鋼管に入社して、同サッカー部に入る。以降、京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)、ヴァンフォーレ甲府を経て、佐川急便大阪SCを最後に現役を引退。 その後、指導者となり2001年より2004年まで佐川急便大阪SCの監督を務めた。2006年より北陸電力サッカー部アローズ北陸のヘッドコーチに就任。2008年よりカターレ富山に移って、ヘッドコーチなどを歴任。2015年にはJFA 公認S級コーチのライセンスを取得。
清末 隆宏(きよすえ たかひろ、1970年6月13日 - )… 清末 隆宏(きよすえ たかひろ、1970年6月13日 - )は、日本の実業家。 音楽映像制作および広告宣伝をスタートポイントとする。インターネットの発展に伴う、時代のニューメディア開発に携わる。 現在はRD分野を軸足に、様々な企業の部門戦略や新規事業開発を行う。特に産業界のITを活かしたスタートアップ事業に従事することが多い。 大分県国東市出身。大分県立国東高等学校を卒業後、1991年に防衛省(旧防衛庁)航空学生学校卒業。事業用操縦士国家資格取得。その後、エンタテインメント業界の勉強のため渡米。米東海岸の文化に影響を受ける。 1998年より、音楽映像作家の坂西伊作に師事し、演出補佐を務める。1999年、株式会社プロシードに入社、広告ディレクター、プロデューサーとして活動した。
岩男 潤子(いわお じゅんこ、1970年2月18日 - )は… 岩男 潤子(いわお じゅんこ、1970年2月18日 - )は、日本の女性声優、ナレーター、歌手。本名同じ。芸名としては、初期の頃、いわお潤、潤と名乗っていた時期もある。蓮(はちす)所属。
安達 澄(あだち きよし、1969年12月14日 - )は、… 安達 澄(あだち きよし、1969年12月14日 - )は、日本の政治家、実業家。元参議院議員(1期)。 大分県別府市生まれ。別府市立鶴見小学校、別府市立青山中学校、大分県立別府青山高等学校、上智大学法学部国際関係法学科卒業。1992年、上智大学を卒業し、新日本製鐵に入社した。1999年、新日鉄製鐵を退社し、朝日新聞社に入社。広告局、社長室、教育総合本部などで勤務。在職中、アイルランドへ3ヶ月間の短期留学をした。2014年に朝日新聞社を退社。 2015年、別府市長選挙に無所属で立候補したが、元別府市議会議員の長野恭紘らに敗れ、得票数4位で落選した(立候補者5人中4位)。同年、別府市で旅行会社を設立。
中村 康人(なかむら やすと、1969年〈昭和44年〉10月… 中村 康人(なかむら やすと、1969年〈昭和44年〉10月17日 - )は、瀬戸内海放送(KSB)の元アナウンサー、KSB・FM香川アナウンススクール校長。 大分県中津市出身。1993年に福岡大学を卒業した後、この年10月に開局した大分朝日放送(OAB)に入社。 2000年にOABを退社。その後青年海外協力隊の隊員に応募し、2001年12月から2年間ブータンに派遣された。ブータンでは現地放送局の番組の企画や演出指導も手掛けていた。 2004年1月に帰国した後、KSBに入社し、アナウンサーに復帰した。 2019年4月より、KSB・FM香川アナウンススクール校長兼務。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
金井 陽子(かない ようこ、1969年8月11日 - )は、… 金井 陽子(かない ようこ、1969年8月11日 - )は、テレビ大分の報道記者。元同局のアナウンサーである。 大分県大分市出身。大分大学卒業後、1993年4月1日にテレビ大分に入社。アナウンサー時代には、ニュース番組のキャスターを務めていた。2003年3月31日から、記者を務めている。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
穴見 陽一(あなみ よういち、1969年〈昭和44年〉7月2… 穴見 陽一(あなみ よういち、1969年〈昭和44年〉7月24日 - )は、日本の政治家、実業家。自由民主党所属の前衆議院議員(3期)、株式会社ジョイフル第2代・第5代代表取締役社長。ジョイフル創業者の穴見保雄の長男。 同社顧問(元社長)でアメイズ副社長の児玉幸子は叔母、現社長の穴見くるみは妻、アメイズ現社長の穴見賢一は実弟である。 大分県佐伯市出身(現在は大分市中島西に在住)。大分市立碩田中学校、大分県立大分上野丘高等学校卒業。一浪後法政大学経済学部に進んだが中退。 1994年に父が経営するジョイフルに入社。1997年に地域子会社の中国ジョイフル(岡山県倉敷市)の社長に就任(ジョイフル本社はこの時点で一旦退職)。
古城 隆利(こじょう たかとし、1969年6月3日 - )は… 古城 隆利(こじょう たかとし、1969年6月3日 - )は、大分県日田市出身の元アマチュア野球選手(外野手)、野球指導者。 日田高校卒業後に日本体育大学に進学して硬式野球部に所属した。日体大には一般入試で入学し、1学年に約100人もいた部員の中からレギュラーの地位を勝ち取った。3年秋には明治神宮大会に出場。 大学卒業後は、社会人野球のいすゞ自動車でプレーした。 その後はいすゞ自動車と日本体育大学でコーチを務め、2009年からは日本体育大学の監督に就任し、2017年の明治神宮野球大会ではチームを37年ぶり2度目の優勝に導いた。大学日本代表のコーチも歴任した。同大学のスポーツマネジメント学部の助教授も務めている。
清原 雄一(きよはら ゆういち、1969年5月23日 - )… 清原 雄一(きよはら ゆういち、1969年5月23日 - )は、大分県国東郡国東町(現:国東市)出身の元プロ野球選手(投手)。
土居 昌弘(どい まさひろ、1969年〈昭和44年〉5月7日… 土居 昌弘(どい まさひろ、1969年〈昭和44年〉5月7日 - )は、日本の政治家。大分県竹田市長(2期)。大分県議会議員(4期)、竹田市議会議員(2期)を歴任。 大分県立竹田高等学校、大分大学経済学部卒業、大分大学経済学研究科博士前期課程終了後、近畿日本ツーリストに就職。 竹田市議会、大分県議会議員を歴任。在籍中中央仏教学院を卒業。 2021年、竹田市長選挙に立候補。福祉政策を重点的に訴え初当選した。 2025年、新人の候補を破って再選した。
金田 政彦(かねだ まさひこ、1969年4月30日 - )は… 金田 政彦(かねだ まさひこ、1969年4月30日 - )は、大分県豊後高田市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)。 高田高等学校から社会人野球の日産自動車九州へ進むと藤井将雄と投手陣の軸となる、補強選手として都市対抗野球に出場した1992年のドラフト2位でオリックス・ブルーウェーブに入団。 1993年(1年目)から一軍で登板したが、制球難と単調になりやすい投球スタイルから中々定着できずにいたが、1995年にはウエスタン・リーグで最多勝を獲得した。 1996年、先発ローテーション入りしたが、6勝8敗と負け越した。日本シリーズ第4戦では2番手で登板した。 1997年、星野伸之以外に左の先発投手がいなかったチーム事情もあり、飛躍を期待されたが開幕は二軍スタートとなり、6月後半にやっと一軍初先発となり初登板初勝利を挙げたが、その後に3連敗を喫して二軍落ち。
スカルリーパーA-ji(スカルリーパー・エイジ、1968年1… スカルリーパーA-ji(スカルリーパー・エイジ、1968年11月13日 - )は、日本の覆面レスラー、政治家、プロ雀士。立憲民主党所属の大分市議会議員。 東京都立豊島高等学校中退後、地元大分県で暴走族2代目総長となる。 暴走族2代目総長を引退後、飲食店店員などを経てアパレルメーカー社員として働いていたが退職して幼少からの憧れであったプロレスラーになることを志す。 2003年、大分AMWプロレスに入門。12月24日、大分AMW大分県立荷揚町体育館大会の対ケンドー釜山戦でデビュー。 2004年5月31日、xXXx、バトルシャーク、小松VINNIと共に大分AMWを退団。6月22日、xXXx、シャーク、小松と共にプロレスリングFTOを設立。
野村 昭彦(のむら あきひこ、1968年8月30日 - )は… 野村 昭彦(のむら あきひこ、1968年8月30日 - )は、大分県佐伯市出身の元アマチュア野球選手(投手)、野球指導者。広島で監督を務めた野村謙二郎の弟。 佐伯鶴城高校では、1986年の夏の甲子園に出場し、エースとして活躍し、チームはベスト8に進んだ。高校卒業後に駒澤大学に進学して硬式野球部に所属し、東都大学野球リーグでは2度のリーグ優勝を経験した。 大学卒業後は、社会人野球の日本石油に入団し、都市対抗野球で2度の優勝を経験した。 その後は日本石油と駒澤大学でコーチを務め、2013年から2018年までに環太平洋大学の監督を務めた。2018年からは大学日本代表のコーチを務めている。その後は父親の介護のために退任し、地元へ戻っていたが2022年より監督に復帰した。
加藤 恭子(かとう きょうこ、1968年7月24日 - )は… 加藤 恭子(かとう きょうこ、1968年7月24日 - )は、九州朝日放送のアナウンサー。大分県大分市出身。 大分県立大分上野丘高等学校を経て清泉女子大学卒業後、1991年入社。同期には武内裕之、秋山仁志。以来、2004年春から1年間スポーツ部勤務があったものの、長くアナウンサーとして勤務。 「きき酒師」の資格を持っている。引っ越しが趣味で、間取りを見て妄想するのが大好き。文庫本を1日で読破するという特技を持っているが、読み終わった時には主人公の名前が思い出せない。
大塚 純子(おおつか じゅんこ、1968年7月2日 - )は… 大塚 純子(おおつか じゅんこ、1968年7月2日 - )は、日本の女性歌手、シンガーソングライター。大分県出身。血液型はAB型。
佐伯 猛(さいき たけし、1968年5月13日 - )は、日… 佐伯 猛(さいき たけし、1968年5月13日 - )は、日本の実業家。株式会社エクシオホールディングス(証券コード:362A、TOKYO PRO Market)代表取締役社長。その完全子会社である株式会社エクシオジャパンの代表取締役も務め、婚活パーティーの運営会社として知られた同社の創業者である。 大分県大分市生まれ。兵庫県の私立白陵高校を経て、1年間の浪人生活を経て明治大学フランス文学科に入学した。浪人時代からサラリーマン時代の2年間を除き、通算15年間にわたり新聞配達を継続したとインタビューで述べている。 明治大学卒業後、大手生命保険会社に総合職として入社した。当初は内勤であったが営業職への異動を希望し、飛び込みや電話営業などの営業活動を行ったとしている。
松本 夏実(まつもと なつみ、1968年5月2日 - )は、… 松本 夏実(まつもと なつみ、1968年5月2日 - )は、日本の少女漫画家。 大分県別府市出身。大分県立芸術文化短期大学卒業。血液型はO型。1993年、「偶然じゃないよ!」(『りぼんオリジナル』(集英社)同年4月号に掲載)でデビュー。以後『りぼん』、『りぼんオリジナル』を中心に執筆活動を展開する。 いくつもの読み切り作品や短期連載を発表した後、『りぼんオリジナル』1999年10月号より『聖(せいんと)♥ドラゴンガール』の連載を開始。本作は連載期間が1年を超え、松本が商業誌においてそれまでに経験していた連載回数(全6回前後)を大きく上回った。また、続編の『聖♥ドラゴンガール みらくる』も同様に1年以上の連載となった。
岩崎 久則(いわさき ひさのり、1968年4月4日 - )は… 岩崎 久則(いわさき ひさのり、1968年4月4日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校3年の時に柔道を始めていたが、小学校4年の時に地元の少年野球チームに入って野球を始める。中学校では軟式野球部に所属。中学卒業時に勧誘されていた大分高に進学し、高校2年春に県大会優勝で九州大会でも準優勝。3年次の1986年春も県大会連覇して九州大会はベスト4、夏は県大会準決勝まで進出。 高校卒業後は、高校1年生の頃から練習参加していた社会人野球の新日本製鐵大分に入団。最初は発足したばかりの別の社会人チームへの入社を考えていたが、新日鐵大分の部長らの説得で翻意した。社会人時代の1989年には内野手との兼任ながら打率.360という成績を残した。
鶴羽 佳子(つるは よしこ、1968年3月31日 - )は、… 鶴羽 佳子(つるは よしこ、1968年3月31日 - )は、日本の政治家。北海道議会議員(1期)。元北海道放送のアナウンサー。社会福祉法人札幌恵友会理事。政治活動時の名前は鶴羽 芳代子(読み同じ)。現在の本名は佐藤 佳子(さとう よしこ)。 大分県佐伯市出身。大分県立佐伯鶴城高等学校、千葉大学教育学部小学校教員養成課程国語科専攻を卒業後、北海道放送にアナウンサーとして入社。番組中の料理コーナーでのハプニング「ささみとささげの勘違い」はハプニング大賞を受賞。同社を退社後、フリーアナウンサーとしてテレビ番組の司会やキャスター、研修講師などを行う。 その後、テレビ番組制作会社「オフィス鶴羽」(現・株式会社ボウス)を設立し、NHKの情報番組の制作を中心にテレビの仕事を行う。
吉野 ゆりえ(よしの ゆりえ、1968年3月6日 - 201… 吉野 ゆりえ(よしの ゆりえ、1968年3月6日 - 2016年7月30日)は、日本の元ダンサー。本名は吉野 由起恵(よしの ゆきえ)。 大分県竹田市出身。大分県立大分雄城台高等学校、筑波大学第三学群国際関係学類卒業。東京アナウンスアカデミー・アナウンス専攻科修了。大学在学中に「ミス日本」を獲得。大学卒業後、社交(競技)ダンスのプロとしてダンスの本場イギリスに10年間留学。その後、日本テレビ放送網の番組「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」の「芸能人社交ダンス部」コーチを歴任。2002年に現役引退。 2005年、筋肉に発生する非上皮性悪性腫瘍の一つ平滑筋肉腫に冒されていることを知る。その後、視覚障害者のためのブラインドダンスの大会を世界で初めて開催。
古森 剛(こもり つよし、1968年 - )は、日本の人事・… 古森 剛(こもり つよし、1968年 - )は、日本の人事・経営コンサルタント。マーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティング極東地域代表兼日本法人代表取締役社長等を経て、CORESCO代表取締役、一般社団法人はなそう基金代表理事。 福岡県生まれ。大分県育ち。大分県立大分雄城台高等学校を経て、1991年一橋大学社会学部卒業、日本生命保険入社。1998年ペンシルバニア大学ウォートン・スクール修了、経営学修士(MBA)。2000年マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社し、東京オフィス及びニュージャージー州オフィスで勤務。 2005年マーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティングに入る。2007年マーサー ジャパン代表取締役社長。
原 靖(はら やすし、1967年12月4日 - )は、大分県… 原 靖(はら やすし、1967年12月4日 - )は、大分県出身の元サッカー選手、サッカー指導者、サッカークラブのフロントスタッフ。 大分県立大分上野丘高等学校、大分大学卒。大学卒業後は教職に就きながら高校のOBチームでサッカーを続けていたが、溝畑宏に誘われて大分トリニティ(1999年以降は大分トリニータ)に選手として加わる。同クラブが創設された1994年から1996年までプレーし、主将も務めた。1997年には北米2部に相当するUSLのオーランド・サンドッグス(英語版)でプレーした。1998年から1999年まで大分大学大学院スポーツ科学学科修士課程に在籍。 大分トリニータのサッカースクールや育成年代の指導者を経て強化部へ移り、2005年より強化部長を務めた。
安部 徹也(あべ てつや、1967年〈昭和42年〉11月 -… 安部 徹也(あべ てつや、1967年〈昭和42年〉11月 - )は、日本の政治家、実業家。大分県日出町長(1期)。日出町議会議員(2期)を務めた。 ※当日有権者数:23,021人 最終投票率:54.66%(前回比:-1.04pts)
藤田 清太郎(ふじた せいたろう、1967年〈昭和42年〉1… 藤田 清太郎(ふじた せいたろう、1967年〈昭和42年〉10月5日 - )は、日本の郵政・総務官僚。 大分県大分市出身。大分県立大分上野丘高等学校を経て、1991年(平成3年)、早稲田大学政治経済学部を卒業。同年4月、郵政省に入省。入省後、郵政省・総務省のほか、岡山県高梁郵便局、岐阜県庁、衆議院法制局、独立行政法人情報通信研究機構パリ事務所、金融庁、内閣サイバーセキュリティセンターなどで勤務し、情報流通行政局地上放送課長、同局郵政行政部郵便課長、同局郵政行政部企画課長、総務省大臣官房会計課長などを歴任。岐阜県庁に出向した際には、知事公室情報政策課長を務め、岐阜県の情報化施策推進を担当した。 2021年(令和3年)7月1日、経済産業省大臣官房審議官(IT戦略担当)、商務情報政策局付に就任。
今泉 清(いまいずみ きよし、1967年9月13日 - )は… 今泉 清(いまいずみ きよし、1967年9月13日 - )は、大分県大分市出身の日本の元ラグビー選手。天衣無縫ともいえるプレーぶりから、多くのファンの支持を集めた。 東京都世田谷区生まれ。1971年に大分県に移り、6歳でラグビーを始める。一浪を経て入学した大分県立大分舞鶴高校では、2年生の時に飛騨誠(後に明治大学で副主将を務め、神戸製鋼で活躍)を擁する大分水産高校に敗れて全国高校ラグビー大会出場を逃す屈辱を味わうも、ナンバー8、フランカーとして活躍。早稲田大学進学後、木本建治監督によりウィング(WTB)にコンバートされ、その後フルバック(FB)に転向し、早稲田を代表する選手として活躍した。 ゴールキックを蹴る際には、一歩、二歩とゆっくり後進する歩調に合わせて、スタンドから「1、2、3、4、5!」と掛け声がかかり、それが競技場全体を包む空気となった。
十一代目 桂 文治(かつら ぶんじ、1967年8月25日 -… 十一代目 桂 文治(かつら ぶんじ、1967年8月25日 - )は、落語家。東西に存在する桂派の宗家の名跡「桂文治」の当代。落語芸術協会理事。出囃子は『武蔵名物』。大分県立四日市高等学校卒業。静岡文化芸術大学非常勤講師、京都芸術大学客員教授。
弓長 起浩(ゆみなが たつひろ、1967年7月5日 - )は… 弓長 起浩(ゆみなが たつひろ、1967年7月5日 - )は、大分県東国東郡国東町(現:国東市)出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 国東高から亜細亜大学へ進学し同大学硬式野球部所属。大学ではプロでも同僚となる川尻哲郎や小池秀郎、高津臣吾が1年下、2年上に与田剛、同期に黒子孝善らが投手陣にいた。東都大学リーグで通算17試合に登板し3勝3敗。1990年に大学卒業後、社会人野球の熊谷組に入社。入れ替わりでプロ入りしたパンチ佐藤とは大学・社会人で同じ経歴を辿った。1年目の東京スポニチ大会で優勝に貢献し、新人賞。都市対抗野球は1年目に東芝府中の補強選手として登板、2年目は初戦で先発するも敗退。 1991年のプロ野球ドラフト会議にて阪神タイガースから3位指名を受けて入団。
渡辺 洋香(わたなべ ようこ、1967年2月11日 - )は… 渡辺 洋香(わたなべ ようこ、1967年2月11日 - )は、女性プロ雀士(最高位戦日本プロ麻雀協会所属)。 友人である漫画家倉田真由美の作品『だめんず・うぉ〜か〜』(扶桑社)に登場するヨーコ会長としても有名。その他麻雀プロ以外に、著書やヘアヌード写真集、Vシネマ主演等があり、活動は多岐にわたっていた。しかし2006年に自らの雀荘「fairy」をオープンして以降は、ほぼ、そちらに専念するようになった。 写真集発売時(2004年)に『だめんず・うぉ〜か〜』などで30代であることがほのめかされている。
後藤 玄利(ごとう げんり、1967年2月4日 -)は、日本… 後藤 玄利(ごとう げんり、1967年2月4日 -)は、日本の実業家。ジャクール株式会社代表取締役、一般社団法人タグフィット代表理事、ケンコーコム株式会社創業者・元代表取締役社長。 大分県臼杵市出身。地元の製薬会社うすき製薬の創業家に生まれる。父の後藤國利は、うすき製薬の代表取締役のほか、1997年から2009年まで臼杵市長を務めた。1989年3月に東京大学教養学部基礎科学科を卒業した後、アンダーセンコンサルティング(現・アクセンチュア)勤務。 その後、1994年5月にうすき製薬に取締役として入社。当時、うすき製薬で取り扱っていた霊芝飲料「喜喜萬年」の通信販売のために、1994年11月に株式会社ヘルシーネット(後のケンコーコム→Rakuten Direct)を設立し、代表取締役に就任した。
山本 浩二(やまもと こうじ、1967年〈昭和42年〉1月2… 山本 浩二(やまもと こうじ、1967年〈昭和42年〉1月29日 - )は、日本の実業家。現在スタートアップOEMのEMTの最高技術責任者(CTO)とEMT R&DのCEOを兼務している。 大分県日田市出身。大分大学工学部を卒業し、1989年に日産自動車へ入社。電気自動車のプログラムダイレクター、自動運転・コネクティッドカー事業本部長等を歴任。2018年5月より株式会社J.D.パワージャパンで代表取締役社長、2025年4月より株式会社EMTにて最高経営責任者(CTO)、2026年3月よりEMT R&DのCEOを務めている。 様々な講演や記事、インタビューで自身の考えを述べている。
西出 博子(にしで ひろこ、1967年 - )は、日本のマナ… 西出 博子(にしで ひろこ、1967年 - )は、日本のマナー講師、マナーコンサルタント。講演及び、社員研修、人財育成の分野で活動するほか、執筆、メディア出演、NHK大河ドラマや映画などの映像分野においても、女優や俳優、タレントなどへのマナー指導をおこなっている。 大分県別府市生まれ。大分市立中島小学校、大分市立碩田中学校、大分県立大分上野丘高等学校、大妻女子大学文学部国文学科卒業。21歳頃にマナー講師としての道を志す。大学卒業後、参議院議員などの秘書を経て、マナー講師として独立。 英国の民間企業WitH Ltd.ウイズ・リミテッド日本支社代表を務めたのち、ウイズ株式会社・HIROKO ROSE株式会社・一般社団法人マナー教育推進協会代表理事。
盛田 賢司(もりた けんじ、1966年12月5日 - )は、… 盛田 賢司(もりた けんじ、1966年12月5日 - )は、日本の漫画家。大分県佐伯市出身。
野村 謙二郎(のむら けんじろう、1966年9月19日 - … 野村 謙二郎(のむら けんじろう、1966年9月19日 - )は、元プロ野球選手(内野手)、元監督、野球評論家。
吉田 豊彦(よしだ とよひこ、1966年9月4日 - )は、… 吉田 豊彦(よしだ とよひこ、1966年9月4日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督。左投左打。 小学3年時に野球を始める。大分県立国東高等学校に進学し、高校1年秋からエース。2年生時には1983年夏の甲子園大分大会決勝に進出するが、中津工に延長11回2-4で敗退し、甲子園行きはならなかった。当時の監督は、内川聖一の父である内川一寛。1学年下には吉田と同じサウスポーの弓長起浩がいる。卒業後は本田技研熊本に進む。1987年の都市対抗にニコニコドーの補強選手として出場。 同年のドラフト会議で立浪和義を外した南海ホークスにドラフト1位で指名され、契約金5500万円、年俸600万円(いずれも推定)で入団(ただし、スポーツニッポンの選手名鑑においては、契約金の項目が2800万円と記されている)。
徳丸 純子(とくまる じゅんこ、1966年〈昭和41年〉6月… 徳丸 純子(とくまる じゅんこ、1966年〈昭和41年〉6月26日- )は、日本のモデルであり、元アイドル歌手、元女優である。大分県大分市出身。 1982年、TDKコア主催の「TDK金の椅子オーディション」歌手部門に出場、全国大会・決勝で河合奈保子の「夏のヒロイン」を歌い、総数34,854人の中から優勝。11月に出身地大分県から単身上京、翌年の1983年3月21日「聖・ファーストラブ」でアイドル歌手デビュー。デビュー時のキャッチフレーズは「はばたけ'83のプリンセス」。レコード会社TDKコア、事務所オフィスジュニアに所属。 初夏かけてハウス「フルーチェ」のTVCMに出演。7月~8月には「チャレンジします3485.4マイル この夏、純子はPICA-PICA」と銘打った全国縦断キャンペーンを敢行し日本各地を巡る。
石田 純治(いしだ じゅんじ、1966年4月8日 - )は、… 石田 純治(いしだ じゅんじ、1966年4月8日 - )は、日本の建築家、アーキテクツパーク代表。 ノーマライゼーションの原理を研究し、建築に応用、実践している[要出典]。
高野 保彦(たかの やすひこ、1966年3月28日 - )は… 高野 保彦(たかの やすひこ、1966年3月28日 - )は男性の元お笑い芸人。大分県臼杵市出身。近畿大学卒。八木正幸と1989年にお笑いコンビ「チェリーズ」(1992年より「ちぇりぃず」と表記)を結成。1993年にコンビを解消し芸能界を引退した。ボケ担当。プライムワンに所属していた。
佐藤 美枝子(さとう みえこ、1966年(昭和41年)3月1… 佐藤 美枝子(さとう みえこ、1966年(昭和41年)3月14日 - )は、日本のソプラノ歌手。藤原歌劇団団員。 1966年、大分県大分市で生まれた。大分県立芸術文化短期大学附属緑丘高等学校音楽科声楽専攻(現大分県立芸術緑丘高等学校)を卒業し、武蔵野音楽大学音楽学部声楽学科に進学した。卒業後、日本オペラ振興会オペラ歌手育成部第9期生を修了。 安部洋子、土谷正公、浦野りせ子、菊池英美、南條年章、松本美和子、L.フランカルディ、N.ボナヴォロンタ、G.パスティネ、S.クライマーに師事。
工藤 洋史(くどう ひろふみ、1966年3月5日 - )は、… 工藤 洋史(くどう ひろふみ、1966年3月5日 - )は、大分放送 (OBS) の社員で、元アナウンサー。大分県大分市出身。中央大学卒業後1989年にOBS入社。妻は元同局アナウンサーで現在は化粧品販売会社社長の工藤由美(旧姓・佐藤)。
岡口 基一(おかぐち きいち、1966年〈昭和41年〉2月2… 岡口 基一(おかぐち きいち、1966年〈昭和41年〉2月28日 - )は、日本の元裁判官(法曹資格喪失)。大分県出身。 2024年4月に裁判官弾劾裁判において罷免判決を受けて裁判官を罷免され、同時に法曹資格を喪失した(弁護士登録ができない、検察官として採用されることもない)。同制度で罷免された元裁判官としては8人目である(後述)。 岡口は、SNSの一つであるTwitter上に、縄で縛られた上半身裸の男性の画像や「これからも、エロエロツイートとか頑張るね」などの投稿を行い、裁判所から幾度も指導を受けていたもののこれに従わなかったため、戸倉三郎東京高等裁判所長官から口頭で厳重注意を受けていたと2016年6月27日に報道された。
きど ゆういち(本名:城戸 雄一(読み同じ)、1966年2月… きど ゆういち(本名:城戸 雄一(読み同じ)、1966年2月27日 - )は大分県を拠点に活動するローカルタレント、お笑い芸人。 日田市出身、血液型はA型。大分県立日田林工高等学校出身。 高校卒業後に大阪に移り、オール巨人の一番弟子となる。実際は巨人の弟子としては2番目なのだが、1人目はしばらくして辞めたため、「正式に卒業した最初の弟子」という意味である。 弟子期間を終了後、吉本興業の芸人として、1989年に桂文珍の弟子である落語家の桂珍念と漫才コンビ「未来世紀01・02」を組んで、数々のコンクールで新人賞を受賞した。解散後は吉本興業福岡事務所に移り、数々の一発ギャグを考案。しかしギャグに対する評価は低く、RKBテレビ『夕方どんどん』のレポーターの仕事を持ったものの、「ギャグが寒い」という理由で降板させられたこともあった。
財前 直見(ざいぜん なおみ、1966年1月10日 - )は… 財前 直見(ざいぜん なおみ、1966年1月10日 - )は、日本の女優。
琴別府 要平(ことべっぷ ようへい、1965年10月17日 … 琴別府 要平(ことべっぷ ようへい、1965年10月17日 - )は、大分県別府市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属していた元大相撲力士。最高位は東前頭筆頭(1995年3月場所)。得意手は突き、押し。現役時代の体格は178cm、193kg。本名は三浦 要平(みうら ようへい)。通称は要平さんなど。血液型はB型。 実家は別府市内の豆腐店で、父は別府市議会議員を務めた三浦俉士。別府市長から佐渡ヶ嶽部屋を紹介された際に母から送り出され、1981年3月場所初土俵。以降順調に番付を上げ1989年7月場所に十両に昇進した。しかし、その場所中に風邪をこじらせ急性腎炎に罹り途中休場を余儀なくされた。尿毒症も併発し一時は生命すら危ぶまれ、人工透析が必要となる寸前であったが、奇跡的に後遺症も残らず回復。
池永 康晟(いけなが やすなり、 (1965-10-03) … 池永 康晟(いけなが やすなり、 (1965-10-03) 1965年10月3日(60歳) - )は、日本画家。大分県津久見市生まれ。 自身が染め上げた麻布に岩絵具で描く美人画が特徴。竹久夢二以来の天才美人画家、現代美人画の祖、と称される。 1984年、大分県立芸術短大付属緑丘高校(現、大分県立芸術緑丘高等学校)美術科を卒業する。高校卒業後、上京して独学で日本画を描き始める。2012年、〈うつふせて泣いたるきみは未だ夏果の微匂ひ・樹子(なつこ)〉で第8回菅楯彦大賞展佳作賞一席・百花堂賞受賞。 作品の発表は2005年からと遅かったが「自分の色を見つけるために、十数年色見本を作り続けたため」と説明している。
渡辺 典子(わたなべ のりこ、1965年7月22日 - )は… 渡辺 典子(わたなべ のりこ、1965年7月22日 - )は、日本の女優、歌手。福岡県北九州市出生、大分県大分市出身。身長153cm。B80cm、W60cm、H84cm(1984年1月)。 福岡県北九州市八幡西区生まれ。2歳の時に建設省職員の父の転勤に伴い大野川中流域の大分県大分市に転居する。その後も9年間に三重町(現在の豊後大野市)など大野川流域を2回転居して大分市に戻る。 1981年、第6回ホリプロタレントスカウトキャラバンの九州地区代表に選ばれ、決勝まで進出し、河合奈保子の「スマイル・フォー・ミー」を歌ったが合格とはならず、審査員奨励賞を受賞。1982年3月、高校生だった渡辺は『週刊朝日』の表紙(撮影:篠山紀信)を飾る。
清原 正博(きよはら まさひろ、1965年4月30日 - )… 清原 正博(きよはら まさひろ、1965年4月30日 - )は、TBSテレビのアナウンサー。 大分県出身。大分県立杵築高等学校、早稲田大学第一文学部美術史学専修卒業後、1988年4月TBSにアナウンサー24期生として入社。 以後、主にスポーツ中継(野球、ゴルフ、競馬、競輪、サッカー)を担当。 2025年4月30日に60歳の誕生日および正社員定年を迎えたが、翌日以降もアナウンサーのまま嘱託社員として引き続き勤務。TBSでは正社員定年後の嘱託雇用自体は珍しくないものの、「アナウンサーのまま嘱託移行」という例は過去にほぼ皆無だった。
広瀬 真二(ひろせ しんじ、1965年3月17日 - )は、… 広瀬 真二(ひろせ しんじ、1965年3月17日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手(投手)。 臼杵高から、九州産業大学へ進むも中退し社会人野球のあけぼの通商入りするが、解散し九州三菱自動車を経て、1988年オフにドラフト外で福岡ダイエーホークスへテスト入団。 一軍公式戦への出場がないまま、1990年限りで現役を引退。引退後は、球団に残り打撃投手を務めた。 2005年に大分ソーリンズ野球倶楽部のテストに合格し、最年長選手となった。2006年に酒気帯び運転などの罪で逮捕。
森 純太(もり じゅんた、1965年3月10日 - )は、大… 森 純太(もり じゅんた、1965年3月10日 - )は、大分県別府市出身の音楽家、ギタリスト、ソングライター、音楽プロデューサー、DJ。 1980年、JUN SKY WALKER(S)を結成。 1988年5月、トイズファクトリーよりJUN SKY WALKER(S) 1stアルバム『全部このままで』でメジャー・デビュー。 1997年6月、JUN SKY WALKER(S)を解散。解散後、自主レーベル『BEPPU SPRING RECORDS』を立ち上げ、ソロ活動を開始。 1999年、大槻真希のプロデュースを担当。 2000年3月、初のソロアルバム『WHAT'S UP?』をリリース。 2001年、Sepaのプロデュースを担当。
今賀 俊(いまが しゅん、1965年3月5日 - )は、日本… 今賀 俊(いまが しゅん、1965年3月5日 - )は、日本の漫画家。大分県出身。 大分県立大分上野丘高等学校、九州産業大学卒業。量販店に就職するが5ヶ月で辞職し、春日光広に師事した。 1990年、『雷蛇』で第19回小学館新人コミック大賞児童部門藤子不二雄賞佳作受賞。その後上京し、徳田ザウルスのアシスタントを担当。以後は児童漫画で活動。『月刊コロコロコミック』『別冊コロコロコミック』(いずれも小学館)1995年9月号から2001年12月号まで連載された『爆球連発!!スーパービーダマン』は、従来のデザインであったボンバーマン型のビーダマンとは全く異なるオリジナルデザインのビーダマンが登場し話題を呼んだ。