琴太豪 晃匡(ことだいごう あきまさ、1993年1月14日 … 琴太豪 晃匡(ことだいごう あきまさ、1993年1月14日 - )は、大分県日田市(旧日田郡大山町)出身で、佐渡ヶ嶽部屋所属の現役大相撲力士。本名は河津 大飛(かわづ だいき)。身長187.2cm、体重131.4kg。最高位は東幕下筆頭(2020年7月場所)。2022年3月場所より琴太豪 晃有(- こうゆう)に改名。 大分県立日田林工高等学校を卒業し、2011年5月技量審査場所で初土俵を踏む。主な実績に3年時の平成22年度全国高等学校総合体育大会相撲競技大会決勝トーナメント進出(1回戦敗退)、第65回国民体育大会相撲競技少年の部個人決勝トーナメント2回戦進出など。 2012年1月場所で三段目優勝、入門から1年で幕下まで昇進するもその後はしばらく三段目に低迷する。
嘉風 雅継(よしかぜ まさつぐ、1982年3月19日 - )… 嘉風 雅継(よしかぜ まさつぐ、1982年3月19日 - )は、大分県佐伯市出身で尾車部屋に所属した元大相撲力士。大分県立中津工業高等学校から日本体育大学体育学部武道学科卒業。本名は大西 雅継(おおにし まさつぐ)、愛称は本名の「マサツグ」。身長177cm、体重148kg、血液型はB型。現在は年寄・中村。星座は魚座、干支は戌年。好物は名古屋のうな丼。趣味はイカ釣り、睡眠、パソコン、ボウリング、相撲の話。得意技は突き・押し。尊敬する力士は千代大海。最高位は東関脇(2016年3月場所)。FacebookとTwitter、Instagramを利用している。また、2015年11月4日付けでブログを始めた。
垣添 徹(かきぞえ とおる、1978年8月12日 - )は、… 垣添 徹(かきぞえ とおる、1978年8月12日 - )は、大分県宇佐市出身で藤島部屋(入門時は武蔵川部屋)に所属した元大相撲力士。本名同じ。愛称はトオル、カッキー。身長177cm、体重139kg、血液型はA型。最高位は東小結(2004年3月場所)。得意手は突き、押し。現在は年寄・雷。趣味は音楽鑑賞とサウナ入浴。 小学校時代にはわんぱく相撲全国大会に出場し、中学時代には全国中学校相撲選手権大会で優勝して中学生横綱となり、地元ではその強さが知れ渡っていた。中学時代には相撲部でありながら陸上競技の地区大会にも出場して活躍し、100メートル走で優勝している。また、大分の同郷である横綱・双葉山の生涯がNHKにてドラマ化された際には、少年時代の垣添が少年時代の双葉山役として出演を果たしている。
千代大海 龍二(ちよたいかい りゅうじ、1976年(昭和51… 千代大海 龍二(ちよたいかい りゅうじ、1976年(昭和51年)4月29日 - )は、大分県大分市出身(出生地は北海道千歳市)で九重部屋に所属した元大相撲力士。本名は須藤 龍二(すどう りゅうじ)、旧姓は廣嶋(ひろしま)。最高位は東大関。現在は、年寄・九重。九重部屋の師匠を務めている。 オリンピック候補にまで上がった柔道家の父の下に生まれ、3歳から柔道を始め、父の下で柔道のスパルタ英才教育を受けたが、父は廣嶋が5歳の時に死去している。柔道は小学校に進学した際に一度中断し、その後小学3年生までサッカーを行っていた。4年生の時の1年間だけ野球をやり、5年生から柔道に復帰した。野球は投手か三塁手を希望していたが捕手をやらされ、サッカーは走るポジションを希望したがゴールキーパーをやらされたため、それらが不満で止めた。
琴別府 要平(ことべっぷ ようへい、1965年10月17日 … 琴別府 要平(ことべっぷ ようへい、1965年10月17日 - )は、大分県別府市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属していた元大相撲力士。最高位は東前頭筆頭(1995年3月場所)。得意手は突き、押し。現役時代の体格は178cm、193kg。本名は三浦 要平(みうら ようへい)。通称は要平さんなど。血液型はB型。 実家は別府市内の豆腐店で、父は別府市議会議員を務めた三浦俉士。別府市長から佐渡ヶ嶽部屋を紹介された際に母から送り出され、1981年3月場所初土俵。以降順調に番付を上げ1989年7月場所に十両に昇進した。しかし、その場所中に風邪をこじらせ急性腎炎に罹り途中休場を余儀なくされた。尿毒症も併発し一時は生命すら危ぶまれ、人工透析が必要となる寸前であったが、奇跡的に後遺症も残らず回復。
板井 圭介(いたい けいすけ、本名は四股名と同じ、1956年… 板井 圭介(いたい けいすけ、本名は四股名と同じ、1956年3月21日- )は、大分県臼杵市出身で、かつて大鳴戸部屋(現存せず)に所属していた元大相撲力士。最高位は西小結(1989年5月場所)。現役時代の体格は178cm、139kg。得意技は突き、押し、叩き。
谷嵐 久(たにあらし ひさし、1952年4月16日 - 20… 谷嵐 久(たにあらし ひさし、1952年4月16日 - 2010年10月19日)は、大分県中津市出身(出生地は福岡県北九州市)で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は山口 久(やまぐち ひさし)。現役時代の体格は181cm、128kg。最高位は西前頭4枚目(1979年3月場所)。得意手は突き、押し、寄り。 次男は元プロ野球選手の山口俊。 大分県立中津工業高校に入学してから相撲を始め、3年生の時には全国大会に出場し上位入賞するなど活躍した。高校卒業直前に、知人の紹介で時津風部屋へ入門。1971年1月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名と同一の「山口」。 序ノ口に付いた翌3月場所で7勝0敗と好成績を残して序ノ口優勝を果たすなど、入門直後から周囲の期待が高かった。
豊ノ海 義美(とよのうみ よしみ、1939年3月28日 - … 豊ノ海 義美(とよのうみ よしみ、1939年3月28日 - )は、大分県宇佐郡長洲町(現役当時、現・同県宇佐市)出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は西尾 義美(にしお よしみ)。最高位は西前頭18枚目(1958年11月場所)。現役時代の体格は178cm、83kg。得意手は左四つ、寄り、内掛け、切り返しなど。 地元の中学校を卒業後上京し、同郷の元横綱・双葉山が率いる時津風部屋へ入門。1954年5月場所で初土俵を踏んだ。 同場所では番付外と新序でともに好成績を挙げたため、同年9月場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。なお、当初より四股名は、「豊ノ海」であった(由来は、大分県北部と福岡県東部地域の旧称「豊前」と「瀬戸内海」から)。
豊國 範(とよくに すすむ、1937年11月30日 - 20… 豊國 範(とよくに すすむ、1937年11月30日 - 2022年2月23日)は、大分県中津市出身(出生地は滋賀県、もしくは朝鮮民主主義人民共和国平安北道(旧朝鮮平安北道))で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は大塚 範(おおつか すすむ)。最高位は東張出小結(1962年5月場所)。現役時代の体格は176cm、131kg。得意手は左四つ、寄り、突き、押し、内掛け。 大分県立中津南高等学校から中央大学に進学し、同大学の相撲部では、主将を務めるなど活躍した。在学中の1960年、周囲の反対を押し切って、同郷の元横綱・双葉山が率いる時津風部屋に入門。同年5月場所に於いて、幕下付出で初土俵を踏んだ。 学生相撲出身者の角界入りは、紅陵大学(現・拓殖大学)出身の吉井改め吉井山(出羽海部屋、最高位・前頭11枚目)以降も、幾人かあった。
玉響 克巳(たまひびき かつみ、1935年10月3日 - 没… 玉響 克巳(たまひびき かつみ、1935年10月3日 - 没年不明 )は、大分県別府市向浜出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は新川 克巳(しんかわ かつみ)→灘 克巳(なだ -)。最高位は東前頭2枚目(1959年9月場所・1960年7月場所)。得意手は右四つ、寄り、上手投げなど。現役時代の体格は178cm、98kg。 大分県立水産高校を中退後、同郷の玉乃海(後、年寄・片男波)がいた二所ノ関部屋に入門。なお、角界入りする前は、捕鯨船の乗組員を志していたという。1954年1月場所で初土俵を踏み、翌3月場所、本名でもある「新川」の四股名で序ノ口に付いた。 体格にはあまり恵まれていなかったが比較的順調に出世し、1958年5月場所で十両へと昇進。
豊光 重信(とよひかり しげのぶ、1925年9月28日 - … 豊光 重信(とよひかり しげのぶ、1925年9月28日 - 1962年8月6日)は、立浪部屋、時津風部屋(当初は双葉山相撲道場)に所属した元大相撲力士。元若者頭。本名は和間 重信(わま しげのぶ)(旧姓清水)。現在の大分県中津市出身。183cm、84kg。最高位は東十両18枚目。得意技は右四つ、上手投げ。 1941年1月場所に初土俵。1954年3月場所に十両昇進。しかし、連続負け越しで幕下陥落。1957年1月場所に引退し、若者頭に転じた。
玉ノ川 正行(たまのかわ まさゆき、1924年3月6日 - … 玉ノ川 正行(たまのかわ まさゆき、1924年3月6日 - 没年不明)は、二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は恵良 正行(えら まさゆき)。現在の大分県宇佐市出身。176cm、92kg。最高位は西十両7枚目。得意技は右四つ、押し。 1943年5月場所に初土俵。1950年5月場所に十両昇進。自己最高位まで番付を上げた1951年1月場所は初日から休場し、この場所限りで廃業した。廃業後はプロレスラーに転向した。
玉乃海 太三郎(たまのうみ だいさぶろう、1923年1月2日… 玉乃海 太三郎(たまのうみ だいさぶろう、1923年1月2日 - 1987年9月27日)は、大分県大分市出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は三浦 朝弘(みうら ともひろ)。最高位は東関脇。全盛期の体格は181cm、120kg。得意手は右四つ、櫓投げ、外掛け。栃若時代の実力者の一人で、長谷川や琴錦と並んで、最強関脇との見方もある。 引退後は年寄・12代片男波を襲名し、片男波部屋を興した。 1923年1月、料亭の板前の家に六人兄弟の長男として生まれる。小学校時代は野球に熱中しており、大分県立商業学校(現大分県立大分商業高等学校)からの誘いもあったが中学には進学せず、玉錦(二所ノ関部屋)の一行が巡業に来たのを見て力士になることを志望した。
二豊山 光良(にほうざん みつよし、1922年3月23日 -… 二豊山 光良(にほうざん みつよし、1922年3月23日 - 没年不明 )は、現在の大分県津久見市出身で立浪部屋、時津風部屋(当初は双葉山相撲道場)に所属した元大相撲力士。本名は金丸 光良(かねまる みつよし)。175cm、95kg。最高位は東十両8枚目。得意技は右四つ、上手投げ。 1938年1月場所に初土俵。出世は早くなかったが、1952年5月場所の幕下優勝を機に1953年1月場所に十両昇進。12場所連続で在位し、十両下位で4勝11敗と大きく負け越した1955年9月場所に廃業した。
宇佐ノ山 英策(うさのやま えいさく、1921年1月11日 … 宇佐ノ山 英策(うさのやま えいさく、1921年1月11日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。立浪部屋→双葉山道場→時津風部屋所属。本名は永松 英策。最高位は十両9枚目。 大分県宇佐郡四日市町(現宇佐市)出身。立浪部屋に入門し、1938年5月本名の「永松」で初土俵を踏む。同郷で部屋の横綱双葉山が独立し、双葉山道場(のち時津風部屋)を興すと移籍した。1943年5月で十両に昇進したが、一度も勝ち越すことなく最後の十両だった1947年5月で廃業した。
双見山 一夫(ふたみやま かずお、1915年8月4日 - 1… 双見山 一夫(ふたみやま かずお、1915年8月4日 - 1974年3月5日)は、大分県佐伯市(津久見市とする文献もあり)出身(生まれは愛媛県西宇和郡三崎町(現・伊方町))で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は大星 一夫。現役時代の体格は身長171cm、体重118kg。最高位は東前頭筆頭。得意手は左四つ、寄り。 1937年1月場所、本名の大星の四股名で幕下付出とされて初土俵を踏んだ。天竜三郎らが率いた関西角力協会に入門していたための措置だったが負け越したため、当時の協会内規で翌5月場所は序二段に降格されてしまった。 初土俵から3年後の1940年1月場所に新十両、1941年1月場所に13勝2敗で十両優勝、翌5月場所双見山又五郎の名(1943年1月から下の名を本名の一夫に改名)で入幕を果たした。
豊錦 規矩雄(とよにしき きくお、1912年10月4日 - … 豊錦 規矩雄(とよにしき きくお、1912年10月4日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。井筒部屋→九重部屋→朝日山部屋所属。本名は上田 菊男(うえだ きくお)。最高位は東十両8枚目。得意技は突っ張り、右四つ、寄り。 大分県宇佐市出身。井筒部屋に入門し、1927年1月場所に初土俵を踏む。その後、同郷の大関・豊國福馬が独立した際に九重部屋に移籍した(その後朝日山部屋に移籍)。1934年1月場所に十両に昇進したが、2場所続けて負け越し、幕下に陥落。「祝洋」に改名後の1937年1月場所に廃業した。
双葉山 定次(ふたばやま さだじ、1912年2月9日 - 1… 双葉山 定次(ふたばやま さだじ、1912年2月9日 - 1968年12月16日)は、大分県宇佐郡天津村布津部(現:大分県宇佐市下庄)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。第35代横綱。位階は従四位。本名は龝吉 定次(あきよし さだじ)。 現在も破られていない69連勝の大相撲記録を樹立し、太平洋戦争前の日本で国民的人気を得た。横綱在任時代に双葉山相撲道場を創立して指導者(親方)となり後進力士を育て時津風一門を形成、日本相撲協会理事長として運営の改善にも取り組んだ。 1912年2月9日に大分県宇佐郡天津村布津部(現:大分県宇佐市下庄)で生まれる。5歳の時に吹き矢が自身の右目に直撃して負傷し、右目が半失明状態になった。
片ノ濱 軍平(かたのはま ぐんぺい、1902年 - 没年不明… 片ノ濱 軍平(かたのはま ぐんぺい、1902年 - 没年不明)は、大分県別府市出身で千田川部屋に所属した元大相撲力士。本名は尾割 軍平。最高位は十両9枚目。 大阪相撲の千田川部屋に入門する。1924年5月に新入幕、翌1925年1月には西前頭筆頭まで進んだ。1927年1月、東西合併により西十両9枚目に付出されたが、この場所と翌3月場所は全休し、5月に幕下に落ちて廃業した。