向原 祥隆(むこはら よしたか、1957年(昭和32年)2月… 向原 祥隆(むこはら よしたか、1957年(昭和32年)2月16日 - )は、日本の実業家・社会運動家。鹿児島や奄美に関した書籍を出版する株式会社南方新社の創業者・代表取締役。反原発・かごしまネットの事務局長。 1957年(昭和32年)2月16日鹿児島県日置市生まれで、1976年(昭和51年)鹿児島県立鶴丸高等学校を経て、1980年(昭和55年)京都大学農学部を卒業後、広告出版会社に就職。1993年(平成5年)、株式会社南方新社を設立し、自ら代表取締役に就任した。1996年(平成8年)、反原発・かごしまネットの創設に参加し、自ら事務局長となる。 川内原子力発電所の再稼動阻止そして廃炉を目指した内容その他を軸とした公約を掲げ2012年(平成24年)6月21日、鹿児島県知事選挙(同年7月8日投開票)に出馬。
増元 照明(ますもと てるあき、1955年(昭和30年)10… 増元 照明(ますもと てるあき、1955年(昭和30年)10月5日 - )は、日本の政治活動家。北朝鮮による拉致被害者である増元るみ子の実弟。政治団体「照明会」代表。北朝鮮による拉致被害者家族連絡会事務局長を歴任。 鹿児島県鹿児島市池之上町出身。父の増元正一は営林署勤めで、屋久島のスギを搬送する仕事に就いていた。四人兄弟(二男二女)の次男で末っ子。1974年(昭和49年)3月に鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校を卒業、「南の生まれだから、雪の中で暮らしてみたい」と同年4月、北海道大学水産類に入学した。 幼いときから照明は厳格な父親に叱られ、殴られることも多かったが、2歳年上の姉るみ子(次女、4人兄弟の3番目)はよく照明を庇い、ときには一緒に泣いてくれる、優しくて憧れの姉であった。
川野 純治(かわの じゅんじ、1954年〈昭和29年〉9月2… 川野 純治(かわの じゅんじ、1954年〈昭和29年〉9月22日 - )は、日本の政治家、社会運動家。かつて存在した沖縄解放同盟準備会メンバー、一坪反戦地主会北部ブロック幹部(事務局次長)、ヘリ基地反対協議会元事務局次長、一般財団法人わびあいの里理事、前沖縄県名護市議会議員(3期)。 1975年、沖縄解放同盟準備会のメンバーとして、沖縄を訪問した皇太子明仁親王・皇太子妃美智子(現、上皇・上皇后)の車列に対し、ガラス瓶やスパナや石などを投げつける、白銀病院事件を起こし逮捕され、懲役1年6ヶ月の実刑判決を受け服役した。 その後は、社会民主党の推薦・公認を受け、名護市議会議員に当選し、3期議員として活動したが、2022年の市議選で落選した。
田中 勇一(たなか ゆういち、1952年-)は、日本の政治活… 田中 勇一(たなか ゆういち、1952年-)は、日本の政治活動家。
岩重 慶一(いわしげ けいいち、1947年 - )は、日本の… 岩重 慶一(いわしげ けいいち、1947年 - )は、日本の社会運動家。NGOのHAB21イルカ研究会を設立し、代表を務める。メコン川イルカ保護と地域振興における海洋政策研究、イルカと人間の心の成長を科学する(イルカセラピー)研究者。東京海洋大学研究者学者、西南学院大学研究者。鹿児島県出身。 岩重英子郎の長男として生まれる。鹿児島市立荒田小学校、甲南中学、鹿児島県立甲南高等学校卒業後、1968年、下関市立大学経済学部に入学後退学し、西南学院大学経済学部に入学。1972年三菱信託銀行に入行。神戸支店などを経て財務相談部ライフプラン企画営業推進役・財務コンサルタントを務める。イルカ研究者として、後に日本鯨類研究所大隅清治顧問、国立博物館館長・山階鳥類研究所所長林良博教授に従事してメコン川イルカ調査研究に携わる。
武 建一(たけ けんいち、1942年 - )は、日本の政治運… 武 建一(たけ けんいち、1942年 - )は、日本の政治運動家。全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部執行委員長、組織内シンクタンク「社会資本政策研究会」代表理事を務めた。 1942年、鹿児島県大島郡天城町生まれ。北中学校卒業後、島内の商店に住み込みで働いていたが、19歳の時に大阪府に移住し、三生運送に就職。 1965年6月、23歳の時に連帯労組関西地区生コン支部の発足準備委員会発足に伴い、委員長に選出され、4ヶ月後の同年10月17日、関西地区生コン支部を結成し、初代委員長に就任。 ミキサー車の運転手から、専従組合員となる。同社内に全国自動車運輸労働組合所属の労組が別々に組織しており、同社内の組織の統一機関となる。
大藏 律子(おおくら りつこ、旧姓・中釜(なかがま)、193… 大藏 律子(おおくら りつこ、旧姓・中釜(なかがま)、1939年4月19日 - )は、日本の政治家、市民活動家。元神奈川県平塚市長(2期)、元平塚市議会議員(4期)。 鹿児島県川辺郡万世町小湊(現・南さつま市加世田小湊)に生まる。万世町立小湊小学校、加世田市立小湊中学校(加世田市立万世中学校に統合され現・南さつま市立万世中学校)、鹿児島県立加世田高等学校を経て、1958年鹿児島大学文理学部理学科(現・理学部)に入学し、2年次秋に化学科の専門課程へ進む。1962年、鹿児島大学文理学部を卒業して栗田工業に入社し、横浜市にある中央総合研究所に勤務。入社翌年の春頃から労働組合活動にかかわる。結婚退職後、1967年(昭和42年)3月に平塚市に転居。
上西 和郎(かみにし かずろう、1931年11月23日 - … 上西 和郎(かみにし かずろう、1931年11月23日 - 2001年12月11日)は、日本の政治家、労働運動家。衆議院議員(1期、日本社会党)。社会保障問題について造詣が深く、その市民密着型の政治スタイルが、石橋政嗣の「ニュー社会党」路線において、一つの取るべき方向性を示すモデルケースとして注目を集めた。 北海道釧路市に生まれる。1950年鹿児島県立鹿屋高等学校を卒業、九州配電(九州電力の前身)に入社する。直ちに労働運動に入り、少数派組合の総評系「全九電」で活動する。1969年から2年間本部書記長を務める。 1973年より、旧鹿児島3区にて衆院選に立候補を続ける。二階堂進、山中貞則、橋口隆(いずれも自由民主党)の強豪に当選を阻まれてきたがこの間、有権者の年金、福祉や生活問題の相談、解決に熱心に取り組み、少しずつ支持層を開拓していった。
肥後 亨(ひご とおる、1926年〈大正15年〉3月25日 … 肥後 亨(ひご とおる、1926年〈大正15年〉3月25日 - 1964年〈昭和39年〉3月8日)は、日本の政治活動家。広義の行動右翼に該当するが任侠系人士ではない。東京商科大学(現・一橋大学)中退。 1950年代から1960年代にかけて、各地の選挙に出馬して奇怪なパフォーマンスを繰り広げた右翼活動家である。個人的な信念によって選挙に出馬しているように見えたが、実際は政界の大物から資金の提供を受け、革新陣営に対する選挙妨害を目的とした政治ゴロであった。保守・革新の対立する時代(55年体制)において、「権力の選挙」「金力の選挙」の象徴的人物。 最終的に、1963年4月のニセ証紙事件に関連して発覚した「はがき横流し事件」で1963年5月に逮捕された。
益田 哲夫(ますだ てつお、1913年9月13日 - 196… 益田 哲夫(ますだ てつお、1913年9月13日 - 1964年7月10日)は日本の労働組合運動活動家。第二次大戦後、自動車産業の労働組合として結成された全日本自動車産業労働組合(略称全自:1948〜1954)およびその支部である日産自動車分会(略称日産分会)で指導者として活躍し、マステツの愛称で知られる。益田の指導で行われた職場闘争や、1952年に起草した全自の「賃金原則」は現在でも高い評価を受けている。著書に『明日の人たち』(五月書房, 1954年)がある。 鹿児島県徳之島出身。鹿児島県立第一鹿児島中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)から第七高等学校造士館を経て、東京帝国大学法学部卒。在学中に高等文官試験(高文)に合格したとの伝説もある。
原 全五(はら ぜんご、1912年3月21日 - 2003年… 原 全五(はら ぜんご、1912年3月21日 - 2003年7月17日)は、昭和から平成時代の社会運動家。日本共産党中央委員候補。 鹿児島県熊毛郡南種子村(現南種子町)生まれ。小学校卒業。17歳のとき大阪に来て鉄工所の見習工となり、1932年3月大阪砲兵工廠に旋盤工として入社。大阪で同郷の先輩で、全協日本金属労働組合で非合法活動をしていた山田六左衛門から影響を受け、同年4月に全協日本金属労働組合大阪支部砲兵工廠分会を結成。同年5月には日本共産党に入党、共青・党関西地方委員会専従オルグとなった。1933年検挙、起訴猶予。1934年宮内勇らの日本共産党「多数派」に参加。1935年検挙、1937年起訴猶予。
竪山 利忠(たてやま としただ、1907年1月15日-199… 竪山 利忠(たてやま としただ、1907年1月15日-1993年12月6日)は、日本の労働運動家・社会学者(労働社会学)。創価大学名誉教授・拓殖大学元教授。戦前は社会主義運動から日本共産党で活動し、転向後は寧ろ反共・右派の労働運動の理論家となった。電機労連委員長から民間連合会長になった竪山利文は弟。 鹿児島県谷山村(現・鹿児島市の一部)松崎に生まれる。1924年3月、鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を卒業。1926年3月に第七高等学校造士館 (旧制)文科を卒業し、同4月に東京帝国大学経済学部経済学科入学。帝大入学と同時に新人会に入り、浜松日本楽器大争議に派遣される。新人会幹事長を経て日本共産青年同盟に加盟。
赤路 友蔵(友藏、あかじ ともぞう、1904年(明治37年)… 赤路 友蔵(友藏、あかじ ともぞう、1904年(明治37年)12月1日 - 1987年(昭和62年)9月16日)は、昭和期の農民運動家、実業家、政治家。衆議院議員(6期)。 鹿児島県鹿児島市で生まれる。1925年(大正14年)大阪市民労働学院を卒業した。 実業界では、鹿児島鉄工常務取締役、高千穂電機工場長、汎東亜工業常務取締役などを務めた。戦後、鹿児島県専門委員、同県農地委員、同県地方労働委員を歴任した。 1947年(昭和22年)8月の第1回参議院議員通常選挙補欠選挙に鹿児島県地方区から日本社会党公認で立候補して落選し、1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙に鹿児島県第3区から立候補したが落選した。
川﨑 祐宣(かわさき すけのぶ、1904年(明治37年)2月… 川﨑 祐宣(かわさき すけのぶ、1904年(明治37年)2月22日 - 1996年(平成8年)6月2日)は、日本の医師・医学教育家・学校経営者・慈善家。総合社会福祉施設を設立して心身障害者の福祉のために尽力した。 鹿児島県姶良郡横川村(後の横川町、現霧島市の一部)出身。旧制鹿児島県立加治木中学校、旧制第七高等学校造士館を経て、旧制岡山医科大学(現・岡山大学医学部)を卒業後、勤務医を経て、川崎病院、社会福祉施設旭川荘、医療系学校法人川崎学園などを設立した。後に川崎医科大学附属川崎病院(現・川崎医科大学総合医療センター)病院長を務めた[要出典]。 岡山県の名誉県民、倉敷市の名誉市民をはじめ、中国において首都医学院(現・首都医科大学)、上海中医学院(現・上海中医薬大学)名誉教授の称号を受けている[要出典]。
村尾 薩男(むらお さつお、1902年(明治35年)8月25… 村尾 薩男(むらお さつお、1902年(明治35年)8月25日 - 1970年(昭和45年)1月5日)は、昭和期の社会運動家、政治家、実業家。衆議院議員。 鹿児島県薩摩郡、のちの川内町(川内市を経て現薩摩川内市)で、鹿児島市の山形屋呉服店常務取締役の息子として生まれる。鹿児島県立第一鹿児島中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)を経て第七高等学校造士館に入学。是枝恭二、喜入虎太郎らと文芸、哲学、社会問題の研究会を立上げ、ロシア飢饉救済運動にも加わった。1923年(大正12年)東京帝国大学文学部社会学科に進み、新人会に加入して活動したが、京都学連事件で検挙され、第1審で禁固1年の判決を受け、1926年(大正15年)1月に大学を中退した。
山田 六左衛門(やまだ ろくざえもん、1901年2月28日 … 山田 六左衛門(やまだ ろくざえもん、1901年2月28日 - 1978年3月24日)は、共産主義活動家。 鹿児島県熊毛郡南種子村(現在の南種子町)字平山生まれ。早稲田高等学院政経科中退。1927年(昭和2年)に日本労働組合評議会に加盟。1928年(昭和3年)に日本共産党に入党。同じ年の3月15日の三・一五事件などで検挙。 戦後は1946年(昭和21年)日本共産党に再入党。1949年1月、第24回衆議院議員総選挙において和歌山県第1区から日本共産党公認で立候補して落選した。1950年(昭和25年)の日本共産党の分裂時に関西の「国際派」の指導者となったため、除名された。1955年(昭和30年)に日本共産党が統一した際に復党し、1958年(昭和33年)に中央委員となった。
有馬 四郎助(ありま しろすけ、1864年3月9日(文久4年… 有馬 四郎助(ありま しろすけ、1864年3月9日(文久4年2月2日) - 1934年(昭和9年)2月4日)は、日本の刑務官、社会事業家。 監獄改良と行刑制度の確立に努め、少年釈放者の保護事業として家庭学園(横浜家庭学園)を設立。 現在の鹿児島県鹿児島市荒田町に生まれる。鍛冶を営む益満家の4男で、1869年(明治2年)に士族・有馬家の養子となる。1879年(明治12年)に鹿児島師範学校付属小学校訓導補助、1881年(明治14年)には京都府二等巡査となり、1885年(明治18年)には鹿児島県刑務補。翌1886年(明治19年)、北海道集治監での看守募集に応募し、看守長兼書記となる。 1898年(明治31年)、東京都港区赤坂の霊南坂教会で牧師の留岡幸助から受洗し、「クリスチャン典獄」と呼ばれた。
松永 信也(まつなが のぶや、1957年 - )は、社会福祉… 松永 信也(まつなが のぶや、1957年 - )は、社会福祉活動家。幼少期から罹患していた網膜色素変性症の悪化により40歳頃に失明。見えない世界を伝えるため、学校や企業などで講演活動をおこなっている。 鹿児島県阿久根市生まれ。1975年、鹿児島県立川内高等学校卒業。1980年、佛教大学社会福祉学科卒業。 その後16年間児童福祉施設に勤務したが、失明のため退職。京都ライトハウスにて1年間生活訓練を受け社会復帰。 四天王寺大学、京都福祉専門学校、京都YMCA国際福祉専門学校、長尾谷高校、枚方なぎさ高校、大阪医療福祉専門学校などで非常勤講師、特別講師などを勤める。その他、各地の小学校・中学校で、福祉特別授業を担当。