西銘 恒三郎(にしめ こうさぶろう、1954年〈昭和29年〉… 西銘 恒三郎(にしめ こうさぶろう、1954年〈昭和29年〉8月7日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)。 復興大臣(第12・13代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)・福島原発事故再生総括担当大臣(第1次岸田内閣・第2次岸田内閣)、経済産業副大臣(第3次安倍第3次改造内閣)、総務副大臣(第2次安倍改造内閣)、国土交通大臣政務官(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、衆議院安全保障委員長、同国土交通委員長、沖縄県議会議員(連続4期)、自由民主党幹事長代理、自由民主党副幹事長、同総務部会長、同沖縄県支部連合会長などを歴任。 父は沖縄県知事、衆議院議員、那覇市長を務めた西銘順治。
川上 好久 (かわかみ よしひさ、1954年2月 - )は、… 川上 好久 (かわかみ よしひさ、1954年2月 - )は、日本の地方公務員。沖縄県副知事を経て、沖縄県庁出身者として初めて沖縄振興開発金融公庫理事長に就任した。 沖縄県名護市出身。1972年沖縄県立名護高等学校卒業。1977年大阪大学経済学部卒業後、沖縄県庁入庁。2009年沖縄県企画部長。2012年沖縄県総務部長。2013年沖縄県副知事。2014年辞任。2015年沖縄振興開発金融公庫理事。2016年、島尻安伊子内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)に評価され、沖縄県庁出身者として初めて沖縄振興開発金融公庫理事長に就任し、2024年に任期満了で退任した。また、沖縄科学技術大学院大学評議員なども務めた。
髙良 鉄美(たから てつみ、男性、1954年1月15日 - … 髙良 鉄美(たから てつみ、男性、1954年1月15日 - ) は、日本の憲法学者、政治家。琉球大学大学院法務研究科(法科大学院)名誉教授。 参議院議員(1期)、沖縄社会大衆党委員長を歴任した。父は動物学者で第8代琉球大学学長の高良鉄夫。 琉球政府那覇市出身。那覇市教育区立松川小学校、那覇市教育区立真和志中学校、琉球政府立那覇高等学校卒業。九州大学法学部へ進学。1981年、九州大学大学院法学研究科にて法学修士号を取得。1984年、同研究科博士課程(公法学専攻)を単位取得退学。 1984年、琉球大学に着任。助手、講師を経て、1988年より法文学部助教授。1995年より教授。2019年退任。 2019年1月、沖縄社会大衆党元委員長の糸数慶子の後継として、同年7月に行われる第25回参議院議員通常選挙に沖縄県選挙区より立候補することを表明。
喜久川 政信(きくかわ まさのぶ、1954年 - )は、カナ… 喜久川 政信(きくかわ まさのぶ、1954年 - )は、カナダ在住の空手家。沖縄県宮古島宮古島市(旧・平良市)出身。沖縄小林流空手振興会・カナダ総本部の会長である。沖縄空手道小林流尚倫会の垣花恵春会長(国際沖縄小林流空手道連盟会長)より2022年一月23日に範士十段を允許される。 幼少の頃より柔道、剣道に親しみ、知花朝信の初期の弟子で池原師、仲里周五郎系統の儀武師、喜屋武系統の当間師より空手の手ほどきを受ける。 1985年に沖縄空手道小林流小林館協会を退会し、東辰徳範士十段(1952-2012)と共に沖縄小林流空手振興会を設立し、会長に就任する。1990年にアメリカ海兵隊普天間基地の武道指導員。
名嘉 睦稔(なか ぼくねん、1953年(昭和28年)12月8… 名嘉 睦稔(なか ぼくねん、1953年(昭和28年)12月8日 - )は、日本の板画家。沖縄県出身。愛称でボクネンと呼ばれる。 1953年(昭和28年)、沖縄県の離島・伊是名村勢理客に生まれる。幼少の頃から絵や工作が大好きだったボクネンは、画用紙が足りなくなると、伯母さんに頼んでセメント袋や肥料袋を切ってもらい画用紙代わりにしていた。茶色の紙を束にして小脇に抱え、何時でも何処でも絵を描いていたという。更に、田んぼの片隅で一人黙々と何かをしているボクネン少年。農作業に忙しい大人達は、片目で見守りながら好きなようにさせていた。作業を終えた伯母さんが近寄ってみると、粘土で馬や牛や魚など造形物を作って整然と並べていたという。
伊志嶺 吉盛(いしみね よしもり、1953年11月23日 -… 伊志嶺 吉盛(いしみね よしもり、1953年11月23日 - )は、沖縄県石垣市出身の高校野球指導者である。 石垣島の沖縄県立八重山農林高等学校から本島の沖縄大学に進み、準硬式野球部に所属し全国制覇。 帰島して1978年に沖縄県立八重山商工高等学校の監督に就任した。一度引退したが、石垣市の野球部監督派遣事業に伴い、2003年春に同校監督に復帰。 2006年春のセンバツに初出場し、同年夏の甲子園にも初出場。春夏連続出場を果たし全国最南端高校の偉業と注目された。主力であった大嶺祐太らを小学生時代から指導していた。そのため入学時から期待されていた世代だったが、選手のほとんどが同じ石垣島育ちの幼馴染で競争意識が無く、朝練を休んだりサボったりとのんびりした性格が災いし当初は勝ちきれずにいた。
松川 正則(まつがわ まさのり、1953年〈昭和28年〉9月… 松川 正則(まつがわ まさのり、1953年〈昭和28年〉9月20日 - 2024年〈令和6年〉7月26日)は、日本の政治家。沖縄県宜野湾市長(2期)。 琉球政府宜野湾村(現・沖縄県宜野湾市野嵩)に生まれる。1973年(昭和48年)4月、宜野湾市役所に入庁。1976年(昭和51年)3月、琉球大学短期大学部法経学科卒業。2012年(平成24年)3月、副市長に就任。 2018年8月8日、沖縄県知事の翁長雄志が任期中に死去。翁長の死去に伴う県知事選に出馬するため、宜野湾市長の佐喜眞淳が8月18日付で辞職。9月30日に行われた宜野湾市長選挙に自民党・公明党・日本維新の会の推薦を受けて立候補。「オール沖縄」勢力が支援した沖縄県高校PTA連合会前会長の仲西春雅との一騎打ちを制し初当選した。
玉城 美智子(たまき みちこ、1953年〈昭和28年〉3月1… 玉城 美智子(たまき みちこ、1953年〈昭和28年〉3月13日 - 2006年〈平成18年〉11月17日)は琉球放送の元アナウンサー。沖縄県沖縄市出身。結婚後の本名は桑江美智子。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
南風原 朝和(はえばら ともかず、1953年 - )は、日本… 南風原 朝和(はえばら ともかず、1953年 - )は、日本の教育心理学者。東京大学名誉教授。広尾学園中学校・高等学校校長。 沖縄県那覇市出身。1972年琉球政府立那覇高等学校卒業。文系も理系も興味があったので、国費・自費沖縄学生制度で東京工業大学工学部経営工学科に進学するため、東京工業大学工学部第4類に入学。しかし、進路が機械工学科と決定されたため、半年で中退し沖縄に帰郷した。 翌1973年、東京大学理科Ⅱ類に合格して入学、その後教育学部教育心理学科に進学し、1977年に卒業。同大学院修士課程中退、1979年アイオワ大学大学院教育学研究科教育心理・測定・統計学専攻修士課程、81年同博士課程修了(Ph.D. )。
島袋 俊夫(しまぶく としお、1952年(昭和27年)10月… 島袋 俊夫(しまぶく としお、1952年(昭和27年)10月26日 - )は、日本の政治家。沖縄県うるま市長(3期)、うるま市議会議員(1期)、具志川市議会議員(4期)などを歴任した。また、県内9市の保守系市長で構成された市長連合「チーム沖縄」のメンバーである。 琉球政府具志川市(現・沖縄県うるま市天願)出身。1976年(昭和51年)3月、沖縄国際大学短期大学部経済科卒業。 1990年(平成2年)、具志川市議会議員に就任。具志川市議4期目中の2005年(平成17年)4月1日、具志川市は、石川市・勝連町・与那城町と合併してうるま市となったため消滅した。2005年4月からはうるま市議会議員となる。2006年(平成18年)10月8日のうるま市議選で当選。
照屋 寛之(てるや ひろゆき、1952年10月4日 - )は… 照屋 寛之(てるや ひろゆき、1952年10月4日 - )は、沖縄県出身の政治学者、専攻は行政学、政治学。沖縄国際大学名誉教授。 政治家、弁護士の照屋寛徳は親戚。 具志川市(現うるま市)宇前原に生まれる。高江洲小学校、高江洲中学校、前原高校、琉球大学を卒業後、日本大学大学院法学研究科博士後期課程(単位取得退学)。1999年沖縄国際大学専任講師、助教授を経て2006年教授となり、沖縄国際大学沖縄法政研究所所長、副学長、図書館長を歴任。2021年2月退職。 2021年4月うるま市長選挙に出馬。無所属新人で前市議の中村正人に敗れる。
与那覇恵子(よなは けいこ、1952年9月24日 - )は、… 与那覇恵子(よなは けいこ、1952年9月24日 - )は、日本近代文学研究者、東洋英和女学院大学教授。 沖縄県那覇市出身。専修大学文学部卒、同大学院日本文学専攻博士課程満期退学、東洋英和女学院大学短期大学助教授、東洋英和女学院大学国際社会学部教授。近現代の女性作家を中心に研究している。NHKのドラマ「ちゅらさん」で沖縄風俗考証を務めた。 名桜大学教授の与那覇恵子(1953-)は同名異人。
前新 健(まえあら けん、1952年9月2日 -)は、沖縄県… 前新 健(まえあら けん、1952年9月2日 -)は、沖縄県八重山郡竹富町出身。父親(前新透)は沖縄県の教育者である。 現在は、学校法人KBC学園 専修学校インターナショナルデザインアカデミー校長、社会福祉法人憲章会理事、沖縄県専修学校・各種学校協会理事を務める。 昭和27年沖縄県八重山郡竹富町に生まれ、昭和26年沖縄県立八重山高等学校を卒業し、昭和52年中央大学法学部法律学科を経て、沖縄県八重山支庁県税課へ就職する。 その後、昭和54年から県内の小中高校の教諭を務め、那覇西高等学校や首里高等学校校長の経歴を経て、平成25年から学校法人KBC学園 専修学校インターナショナルデザインアカデミー校長を務める。
上田 正則(うえだ まさのり、1952年8月26日 - )は… 上田 正則(うえだ まさのり、1952年8月26日 - )は、沖縄県出身の元プロ野球選手(投手)。 那覇商業高では、2年生からエースを任された。 沖縄大学では、1972年と1973年に全国大学準硬式野球選手権大会で全国制覇を達成。1974年にドラフト外にてロッテオリオンズに入団した。翌1975年に上田と同じくロッテに入団した池畑満也と共に準硬式野球の中心選手だった。 変則的なフォームから速球とカーブを投げ分ける投球が持ち味だったが、一軍公式戦の出場がないまま1976年に退団した。 その後、沖縄県唯一の女子硬式野球クラブ、沖縄ティーダバルの監督を務めた。 2015年からは、沖縄県還暦野球連盟の「琉球ベースボールクラブ」で投手として活躍中。
池畑 満也(いけはた みつや、1952年4月11日 - )は… 池畑 満也(いけはた みつや、1952年4月11日 - )は、沖縄県出身の元プロ野球選手(外野手)。 浦添高から沖縄大学に進学。大学時代は、1972年と1973年に全国大学準硬式野球選手権大会で全国制覇を達成。1975年オフに、ドラフト外でロッテオリオンズに入団。 1974年に池畑と同じくロッテに入団した上田正則と共に準硬式野球の中心選手で、自身は4番打者を務めていた。 粗けずりながら将来の大物と期待されたが、一軍公式戦の出場がないまま在籍1年で退団した。
フリッパー上原(フリッパーうえはら、1952年2月8日 - … フリッパー上原(フリッパーうえはら、1952年2月8日 - )は、日本のプロボクサー。本名は上原 晴治(うえはら はるじ)。沖縄県那覇市出身。興南高校卒、日本大学文理学部体育学科中退。協栄ボクシングジム所属。元日本フェザー級王者。 WBA世界ジュニアライト級王者・上原康恒は実兄である。 日大一年1970年、全日本アマチュアボクシング選手権大会・フェザー級で優勝を果たした。同年、兄・康恒もライトウェルター級で優勝している。 大学を3年で中退して協栄ボクシングジムに入門、1973年1月11日、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスでプロデビュー。ロサンゼルスで4戦4勝し、同年10月28日に5戦目で日本デビュー。
ハリケーン照(ハリケーンてる、本名照喜名 俊三(てるきな し… ハリケーン照(ハリケーンてる、本名照喜名 俊三(てるきな しゅんぞう)、1952年2月3日 - 2014年1月)は、日本の元プロボクサー。第34・36代日本バンタム級王者。プロ現役時代は石川ボクシングジム所属。 沖縄県那覇市出身。沖縄県立沖縄工業高等学校卒業。 沖縄工業高校在学中はアマチュアで活動。 卒業後に上京し、1970年9月23日、石川ジムよりプロデビュー。 1979年7月16日、阿南弘生を2回KOで倒し日本バンタム級王座奪取。 初防衛戦で阿南とのダイレクトリマッチを返り討ちにする。 1980年1月28日、モントリオールオリンピック日本代表からプロ転向した石垣仁に判定で敗れ王座陥落。 リングネームをハリケーン・テルからハリケーン照に改め、ダイレクトリマッチで9回KO勝利し王座に返り咲く。
安里 猛(あさと たけし、1952年〈昭和27年〉1月29日… 安里 猛(あさと たけし、1952年〈昭和27年〉1月29日 - )は、日本の政治家。元沖縄県宜野湾市長(1期)。 現在の沖縄県宜野湾市普天間出身。琉球政府立普天間高等学校卒。1972年宜野湾市役所に入る。教育委員会勤務、企画部次長などを経て、2004年助役、2008年副市長に就任。 2010年の宜野湾市長選挙に立候補し、初当選する。市長選では普天間飛行場の国外移設を掲げ、市長就任後もオスプレイの配備計画に抗議する市役所前の座り込みに自ら参加するなどしていた。2011年7月に心臓疾患で緊急入院し、9月に手術を受けたが、同年末には辞職の意向を固め、2012年1月に任期半ばで市長を退任した。 2014年7月に闘病を続けていた東京大学医学部附属病院で移植手術を受け、翌年2月に沖縄に戻った。
屋良 朝助(やら ちょうすけ、1952年1月14日 - )は… 屋良 朝助(やら ちょうすけ、1952年1月14日 - )は、日本の政治活動家、かりゆしクラブ(旧名琉球独立党)党首、衣料品加工印刷会社代表。沖縄県那覇市出身、那覇高等学校卒業。
伊波 洋一(いは よういち、1952年(昭和27年)1月4日… 伊波 洋一(いは よういち、1952年(昭和27年)1月4日 - )は、日本の政治家。沖縄県選出の参議院議員(2期)、会派「沖縄の風」幹事長。 沖縄県宜野湾市長(2期)、沖縄県議会議員(2期)を歴任した。 琉球臨時中央政府中頭郡宜野湾村(現・沖縄県宜野湾市)生まれ。琉球政府立普天間高等学校、琉球大学理工学部物理学科卒業。1974年、宜野湾市役所に就職。宜野湾市職労委員長、中部地区労事務局長を経て、1996年、沖縄県議会議員選挙に出馬し、初当選。2000年に再選。2003年、2期目の任期途中で辞職し、宜野湾市長選挙に出馬して当選する。2007年、宜野湾市長再選。市長在職中、沖縄県内の地方自治体で初めて中学生までの病院への入院費の無料化を実現した。
仲井真 重次(なかいま しげじ、1952年 - )は、沖縄県… 仲井真 重次(なかいま しげじ、1952年 - )は、沖縄県石垣市出身のボクシングトレーナーである。琉球ボクシングジム会長。 中学校卒業後、プロ野球選手を目指しプロテストを受験したが不合格だったため、就職浪人の末大阪の電気メーカーに就職。その後沖縄に戻り、1年浪人扱いで那覇の興南高校に入学。後の世界王者上原康恒の実家に下宿したのを機にボクシングの世界へ入る。高校ではボクシング部で主将を務め、金城真吉監督の指導の下国体にも出場した。 その頃、石垣島時代の幼馴染である具志堅用高と再会。ボクシングに誘った。具志堅の高校時代から具志堅のサポート役であった。 高校卒業後、具志堅とともに上京し、上原が所属する協栄ボクシングジムでトレーナーとして彼を世界王座へと導いた。
神山 昂(かみやま たかし、1951年12月4日 - )は沖… 神山 昂(かみやま たかし、1951年12月4日 - )は沖縄県で高校野球の指導を長らく務めている指導者である。監督として3回、コーチとして4回の甲子園出場経験を持つ。 1951年糸満市に生まれる。1967年沖縄県立糸満高等学校に入学し、高校3年の夏、甲子園の県予選の決勝で糸満高校対興南高校と火花を散らした。この試合の興南高校には、後に興南高校野球部の監督に就任する我喜屋優もいた。決勝戦では惜しくも僅差で興南高校に敗れた。高校卒業後は、琉球大学に進学する。 大学卒業後、非常勤講師として沖縄高校(現在の沖縄尚学高校)やコザ高校を2年ほど勤め、1978年沖縄県立豊見城高等学校野球部にコーチ就任。糸満高校で監督をしていた栽弘義監督から声を掛けられ、1983年沖縄県立沖縄水産高等学校野球部にコーチ就任する。
城間 幹子(しろま みきこ、1951年〈昭和26年〉1月20… 城間 幹子(しろま みきこ、1951年〈昭和26年〉1月20日 - )は、日本の教育者、政治家。沖縄県那覇市長を2期務めた。 1951年(昭和26年)、島尻郡伊是名村生まれ。那覇教育区立松川小学校、那覇教育区立真和志中学校、琉球政府立那覇高等学校を経て、宮城教育大学教育学部中学校教員養成課程国語専攻卒業。なお、城間の前任の那覇市長である翁長雄志は真和志中学校及び那覇高校の同級生だった。 1973年(昭和48年)、公立学校教員(地方公務員)となり、千葉県の市川市立第四中学校で教職に就き、その後沖縄に帰還し、1980年(昭和55年)4月から那覇市立中学校に勤める。2009年(平成21年)まで36年間、学校教員を務めた。
佐渡山 豊(さどやま ゆたか、1950年12月8日 - )は… 佐渡山 豊(さどやま ゆたか、1950年12月8日 - )は、日本のシンガーソングライターである。 学習研究社が1981年に刊行した『NEW MUSIC'81 ニューミュージック事典』の「アーティスト名鑑」での「佐渡山豊」の項目には「生年月日・出身地とも不詳」と書かれている。沖縄県コザ市出身。琉球大学農学部で農芸科学を専攻。 吉田拓郎、加川良、泉谷しげる、岡林信康のファン。琉球大学1年のとき、沖縄にも若者の新しいオリジナル・フォークを作ろうと「沖縄フォーク村」を結成。一年で約40人になったが、半分は女性だった。返還前の沖縄はロックが盛んでフォークを発表する場は那覇市に2カ所ホールがある程度でレベルも低く、マイクやスピーカーなどの機材も放送局からの借り物を使った。
譜久山 當則(ふくやま まさのり、1950年(昭和25年)1… 譜久山 當則(ふくやま まさのり、1950年(昭和25年)11月8日 - )は、日本の特殊法人役員。沖縄振興開発金融公庫理事長を務めた。 沖縄県出身。琉球政府立那覇高等学校を経て、1973年埼玉大学経済学部卒業、沖縄振興開発金融公庫入庫。2003年融資第一部長。2007年理事に昇格。2009年副理事長。2012年から理事長を務め、日本貿易振興機構との業務提携を行うなどした。2016年退任。2018年6月より株式会社琉球銀行社外取締役。
上原 康恒(うえはら やすつね、1950年10月12日 - … 上原 康恒(うえはら やすつね、1950年10月12日 - )は、日本の元プロボクサー。沖縄県那覇市出身。元日本スーパーフェザー級王者。元WBA世界スーパーフェザー級。元リングマガジン世界スーパーフェザー級王座。 沖縄中央高校3年時にインターハイ優勝、日本大学在学時にはライト級、ライトウェルター級の2階級を制覇し専修大学のエース風間清と数回対戦。国際大会でも1970年アジア大会ライトウェルター級銅メダルを獲得。アマチュア通算117勝(87RSC)8敗と抜群の成績を残し、協栄ボクシングジムと当時日本プロボクシング史上最高となる契約金1,000万円で契約した。実弟であるフリッパー上原も元プロボクサー。
翁長 雄志(おなが たけし、1950年〈昭和25年〉10月2… 翁長 雄志(おなが たけし、1950年〈昭和25年〉10月2日 - 2018年〈平成30年〉8月8日)は、日本の政治家。沖縄県那覇市長(4期)、沖縄県知事(本土復帰後第7代)を歴任した。 1985年から2018年まで政治家としての活動を続けてきた。那覇市議会議員(2期)→沖縄県議会議員(2期)を経て、那覇市長(4期)、沖縄県知事(1期)を歴任した。 父は元沖縄県真和志市長の翁長助静、兄は沖縄県副知事・沖縄県議会議員を務めた翁長助裕。次男は元沖縄県議会議員の翁長雄治である。 沖縄県議時代は普天間米軍基地の辺野古移設を推進した。 平成11年10月の県議会の定例会で、普天間飛行場の移設問題を取り上げ、「私たちがなにゆえにこの県内移設を早期にやらきゃならぬかという見地に立ったのは、県全体の立場に立っての危険性の軽減であります」と強調。
我喜屋 優(がきや まさる、1950年6月23日 - )は日… 我喜屋 優(がきや まさる、1950年6月23日 - )は日本の野球選手(外野手)、野球監督、教育者。沖縄県島尻郡玉城村出身で、2007年より興南高等学校野球部監督を務める。
尾辻 吉兼 (おつじ よしかね、1950年2月 - 2005… 尾辻 吉兼 (おつじ よしかね、1950年2月 - 2005年7月25日)は、日本の政治家。元与那国町長(第16代)。 沖縄県八重山郡与那国町久部良に生まれる。琉球政府立沖縄水産高等学校を卒業後、与那国町漁業協同組合長を務める。 1982年より1999年まで与那国町議会議員を5期務め、1999年4月25日投開票の与那国町長選挙において自民党の公認を受け当選。4年ぶりに保守町政を奪還する。2003年4月27日の町長選挙で再選された。 任期中は石垣市、竹富町との市町村合併を目指したが2004年10月16日に行われた与那国町の住民投票では合併反対が賛成を大きく上回ったため、与那国町は法定合併協議会からの脱退を余儀なくされた。
上原 昭(うえはら あきら、1950年(昭和25年)1月7日… 上原 昭(うえはら あきら、1950年(昭和25年)1月7日 - )は、日本の政治家。元沖縄県糸満市長(1期)。県内9市の保守系市長で構成された市長連合「チーム沖縄」のメンバー。 現在の沖縄県糸満市出身。琉球政府立糸満高等学校を経て、1974年(昭和48年)3月、東京大学経済学部卒業。同年4月、沖縄県庁に入庁。2009年(平成21年)4月、沖縄県信用保証協会の専務理事に就任。2013年(平成25年)6月から2015年(平成27年)6月まで、那覇空港ビルディング株式会社の非常勤会長を務めた。 2015年(平成27年)11月26日、糸満市長選挙に立候補する意向を表明。 2016年(平成28年)6月5日に行われた市長選挙に自由民主党とおおさか維新の会の推薦を受けて無所属で出馬。
西銘 順志郎(にしめ じゅんしろう、1950年1月2日 - … 西銘 順志郎(にしめ じゅんしろう、1950年1月2日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期)を務めた。 沖縄県島尻郡与那原町生まれ。琉球政府立那覇高等学校、立正大学経済学部卒業。元衆議院議員で沖縄県知事も務めた西銘順治の長男。三男は衆議院議員の西銘恒三郎という政治家一族の生まれである。1973年に琉球海運に入社し、1979年からは父(県知事)の秘書を務めた。 1983年の第13回参議院議員通常選挙に出馬したが落選。以後2回の衆院選落選を経て、2001年の第19回参議院議員通常選挙で沖縄県選挙区から出馬し初当選。2007年の第21回参議院議員通常選挙では元職の糸数慶子に敗れ落選。 2022年8月、同年9月投開票の沖縄県議会議員補欠選挙に立候補を表明したが、他の自民党系の候補者が立候補に意欲を示したため辞退した。
新城 俊昭(あらしろ としあき、1950年 - )は、日本の… 新城 俊昭(あらしろ としあき、1950年 - )は、日本の教師、沖縄大学客員教授。沖縄県の県立高等学校に歴史教師として長年勤務し、沖縄史教育の普及や平和教育に関わる社会的活動で知られ、沖縄歴史教育研究会代表、顧問、沖縄県平和祈念資料館の監修委員、運営委員、米軍人・軍属による事件被害者の会の代表世話人などを務めた。 沖縄県本部町生まれ。1956年3月、新城が5歳のときに、当時28歳だった父親が米兵の運転する自動車に轢かれて事故死し、その後、母親が妹たちを連れて家を出たため一家は離散し、新城は祖母や親族のもとで育った。 高校時代の1968年には、陸上競技400メートル競走の選手として高校総体にも出場したが、広島県で行なわれた大会の際に、他県の選手などから向けられた沖縄についての質問の多くに答えられなかったことが、沖縄の歴史に取り組むひとつの契機となった。
座喜味 一幸 (ざきみ かずゆき、1949年(昭和24年)1… 座喜味 一幸 (ざきみ かずゆき、1949年(昭和24年)12月15日 - )は、日本の政治家。第3代宮古島市長(1期)。元沖縄県議会議員(3期)。 1949年、アメリカ統治下の沖縄(宮古民政府)平良市(現・沖縄県宮古島市平良字西仲宗根)に生まれる。平良市立北小学校(現・宮古島市立北小学校)、平良市立平良中学校(現・宮古島市立平良中学校)、琉球政府立宮古高等学校(現・沖縄県立宮古高等学校)卒業。1972年、琉球大学農学部卒業。同年、沖縄の本土復帰(沖縄返還)に伴い設置された沖縄総合事務局に入局。 1995年、宮古土地改良区事務局長就任。 2008年、沖縄県議会議員選挙に自由民主党公認で立候補し初当選。
石嶺 伝一郎(いしみね でんいちろう、1949年4月26日 … 石嶺 伝一郎(いしみね でんいちろう、1949年4月26日 - )は、沖縄電力相談役。沖縄県那覇市出身。琉球大学法文学部商学科卒業。 沖縄県那覇市出身。沖縄県立那覇高等学校を経て、1972年に琉球大学法文学部商学科卒業後、琉球電力公社入社。2001年、沖縄電力取締役に就任。2005年に副社長、2007年に社長、2013年に会長に就任するとともに、一般社団法人南西地域産業活性化センターの会長に就任した。2019年会長を退任、相談役。 この間、2016年から那覇商工会議所会頭、沖縄県経済団体会議議長を務めた他、沖縄県商工会議所連合会会長、那覇空港拡張整備促進連盟会長、沖縄県振興審議会副会長、日本電気協会沖縄支部長なども歴任した。
山里 勝己(やまざと かつのり、1949年4月12日 - )… 山里 勝己(やまざと かつのり、1949年4月12日 - )は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。名桜大学学長。琉球大学名誉教授。 沖縄県本部町出身。1972年、琉球大学法文学部英語英文科卒業。1974年、ハワイ大学マノア校大学院英米文学修士課程修了。1987年、カリフォルニア大学デービス校大学院英米文学専攻博士課程修了。 1975年より琉球大学法文学部助手、教授、副学長。日本文学環境学会会長、九州アメリカ文学会会長などを歴任。2013年、名桜大学教授および国際文化研究科長に就任。2014年、同大学学長に就任。 著書『琉大物語 1947-1972』では、アメリカ合衆国政府によって創立された琉球大学の歴史を詳細に記述した。
松本 文明(まつもと ふみあき、1949年3月25日 - )… 松本 文明(まつもと ふみあき、1949年3月25日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(4期)。 内閣府副大臣(第3次安倍第1次改造内閣・第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣)、総務大臣政務官兼内閣府大臣政務官(第2次安倍内閣)、衆議院内閣委員長、東京都議会議員(4期)などを歴任した。 広島県世羅郡東村生まれ(現住所は東京都中野区沼袋3丁目)。広島県甲山町立東小学校、世田谷区立奥沢中学校、世田谷高等学校、明治大学政治経済学部第二部政治学科を卒業。衆議院議員高橋一郎秘書を務めた。 1985年、自民党から東京都議会議員選挙に立候補し初当選。都議を4期務め、都議会自民党幹事長等を歴任。
上原 裕常(うえはら ひろつね、1949年〈昭和24年〉1月… 上原 裕常(うえはら ひろつね、1949年〈昭和24年〉1月27日 - )は、日本の政治家。元沖縄県糸満市長(2期)。 現在の沖縄県出身。琉球政府立糸満高等学校卒。沖縄大学中退。1967年〈昭和42年〉糸満町役場に入る。総務企画部長、中央図書館長などを務める。 2007年〈平成19年〉に市役所を退職。翌2008年〈平成20年〉の糸満市長選挙に立候補し現職の西平賀雄を破って、初当選する。2012年〈平成24年〉の市長選挙で再選。2016年〈平成28年〉に三選を目指したが、元那覇空港ビルディング会長の上原昭に敗れた。
大城 貞俊(おおしろ さだとし、1949年 - )は、沖縄県… 大城 貞俊(おおしろ さだとし、1949年 - )は、沖縄県大宜味村生まれの日本の詩人、作家、沖縄国際大学・沖縄女子短期大学非常勤講師である。 詩誌「EKE」同人、個人詩誌「詩と試論・貘」主宰、現代文学・思想を読む会「グループZO」同人である。 1973年、琉球大学法文学部国語国文学科を卒業した。県立高校教諭、県教育庁県立学校教育課指導主事等を経て、琉球大学教育学部教授に就任した(後に定年退職)。 その他、沖縄タイムス芸術選賞文学部門(小説)大賞、沖縄タイムス教育賞を受賞した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
大城 利弘(おおしろ としひろ、1949年 -)は米国占領下… 大城 利弘(おおしろ としひろ、1949年 -)は米国占領下の沖縄(沖縄民政府)羽地村出身の武道師範。 6歳で空手を学び始め、後に柔道と剣道を併せて学んだ。 10代の頃、知念正美の直接の弟子で沖縄に残っていた唯一の流派師範である喜舎場朝義に、西銘清らと共に山根流(または山根知念流)を学び始めた。島派松林流九段、山根流八段。 1978年に沖縄県警刑事を引退した後、アメリカに移住。 2019年の夏、沖縄に帰郷。 1985年、彼と喜舎場は沖縄武道の研究開発を専門とする組織RBKD(琉球武術研究道会)を設立した。彼は国内外でセミナーを開催している。
高良 勉(たから べん、1949年 - )は、沖縄県出身の日… 高良 勉(たから べん、1949年 - )は、沖縄県出身の日本の詩人、沖縄県史料編集室主任専門員。本名は、高嶺朝誠(たかみね ちょうせい)であり、沖縄県史料編集室紀要に掲載される学術論文は、本名で発表されている。 沖縄県島尻郡玉城村生まれ。1976年に静岡大学理学部化学科を卒業し、沖縄で県立高校の教師となる。1984年に発表した詩集『岬』により、第7回山之口貘賞を受賞。1990年、フィリピン大学大学院へ留学。1990年代半ばには沖縄県立普天間高等学校教諭として反基地運動に参加し、しばしばメディアにも露出した。日本文藝家協会、日本現代詩人会会員。 沖縄・一坪反戦地主会の運動に参加し、嘉手納基地内に土地を共有している。
大工 哲弘(だいく てつひろ、 (1948-10-13) 1… 大工 哲弘(だいく てつひろ、 (1948-10-13) 1948年10月13日(77歳)- )は沖縄県石垣市新川出身の八重山民謡の唄者(歌手)。琉球民謡音楽協会所属。現在は那覇市在住。[要出典] 八重山農林高校卒業後[要出典]、沖縄本島に渡り八重山民謡の大家・山里勇吉に師事。八重山民謡を基本にしながら世界の様々な音楽要素を取り入れて奥行きのある音楽世界を作り出し、海外公演歴も数多い。本州・北海道・九州など日本領内の他の島にも積極的に民謡教室を開き、教育面での功績も大きい。[要出典] またNHK沖縄放送局の『うちなぁジョッキー』にもレギュラー出演し、八重山民謡の解説などを担当していた[要出典]。
邊土名 求(へんとな もとむ、1948年7月15日 - )は… 邊土名 求(へんとな もとむ、1948年7月15日 - )は、沖縄県具志川市(現・うるま市)出身のシニアプロゴルファー。 沖縄県立前原高等学校卒業。「PAPA辺土名」名義で歌手活動もしている。 父親がアイリッシュ系アメリカ人、母親が日本人のハーフ。長女は里中茶美、長男はISSA(邊土名一茶)。次男はプロゴルファーの邊土名二茶。三男は辺土名茶三海であり、ティアラ(母の従孫)は従姪に当たる。
里見 進(さとみ すすむ、1948年6月18日 - )は、日… 里見 進(さとみ すすむ、1948年6月18日 - )は、日本の医学者。医学博士。専門は、外科学一般、移植外科、消化器外科。独立行政法人日本学術振興会理事長、日本外科学会名誉理事長。沖縄県那覇市生まれ。 第21代東北大学総長、国立大学協会会長、日本外科学会初代理事長等を歴任。 1948年6月18日、沖縄県那覇市で生まれる。1967年3月、那覇高等学校を卒業。国費・自費沖縄学生制度に応募するも進学先が選べなかったため、沖縄から遠い東北大学に進学した。在学中、東京で祖国復帰運動に参加。 1974年3月、東北大学医学部医学科を卒業。同年4月からは東京都済生会中央病院で勤務し、同年7月に医師免許を取得。
喜納 昌吉(きな しょうきち、1948年〈昭和23年〉6月1… 喜納 昌吉(きな しょうきち、1948年〈昭和23年〉6月10日 - )は、沖縄出身の日本人音楽家、平和活動家、政治家である。米軍占領下の中頭郡越來村(現・沖縄県沖縄市)生まれ。 琉球民謡を現代風にアレンジしたウチナー・ポップを確立した。バンド・喜納昌吉&チャンプルーズを率い、ヴォーカル、ギター、三線、作詞作曲を主に担当する。 参議院議員(1期)、元民主党沖縄県総支部連合会代表。 父は琉球民謡の第一人者喜納昌永。11人兄弟の四男。 琉球民謡を元にした独特のメロディとウチナーグチ(沖縄方言)が特徴的なポップスを歌ってきた。実妹らと共に結成したバンド「喜納昌吉&チャンプルーズ」の音楽は、りんけんバンド、ネーネーズ等のものと共に「ウチナー・ポップ」とも呼ばれる。
富川 盛武(とみかわ もりたけ、1948年1月13日 - )… 富川 盛武(とみかわ もりたけ、1948年1月13日 - )は、日本の経済学者、地方公務員。沖縄国際大学学長や、沖縄県政策参与を経て、沖縄県副知事、沖縄国際大学名誉教授。 沖縄県中頭郡北谷町生まれ。1971年琉球大学法文学部経済学科卒業。1974年明治大学大学院政治経済学研究科経済学専攻修士課程修了。1976年沖縄国際大学商経学部専任講師。1981年北海道大学で研修。1985年沖縄国際大学商経学部教授。1990年ハワイ大学客員研究員。2001年「台湾の工業化と企業適応に関する研究 : 企業適応のネットワーク機能を中心に」で明治大学より博士(経済学)の学位を取得。 2003年沖縄銀行監査役。2004年沖縄国際大学産業情報学部長。
金城 恵子(きんじょう けいこ、1948年??月??日- )… 金城 恵子(きんじょう けいこ、1948年??月??日- )は、沖縄県出身の民謡歌手、唄者。沖縄民謡における情歌の歌い手として知られ、1971年に川田松夫作詞・作曲の「想い」でレコードデビューした。 1948年、沖縄県具志川市塩屋(現・うるま市)に生まれる。幼少期から歌に親しみ、のちに沖縄民謡歌手の大城志津子に師事した。 1971年、川田松夫が作詞・作曲した「想い」でレコードデビューした。同曲はヒットし、金城は沖縄民謡における情歌の歌い手として知られるようになった。その後も「あぬよーたいふー」「我ーが判かゆん」「風車情話」などを歌い、沖縄民謡における艶歌的な表現を確立した歌手と紹介されている。 宜野湾市の民謡スナック「おとめ」を拠点に活動し、長年にわたり舞台や民謡酒場で歌い続けた。
糸数 慶子(いとかず けいこ、1947年10月11日 - )… 糸数 慶子(いとかず けいこ、1947年10月11日 - )は、日本のバスガイド、政治家。オール沖縄共同代表。 参議院議員(3期)、沖縄社会大衆党委員長(第11代)、沖縄県議会議員(3期)を務めた。 1947年、中頭郡読谷村生まれ。米軍統治下で育ち、米軍基地・読谷補助飛行場で実施されたパラシュート演習で投下されたトレーラーに小学生の少女が圧殺された事件(1965年6月11日)をきっかけにはじまった米軍抗議集会に初参加。 1966年に琉球政府立読谷高等学校卒業後、琉球放送の番組「土曜ワイド」アシスタントや、沖縄バス・東陽バス等のバスガイドに勤務。沖縄県の歴史や現状を県外、国外の人に伝えるバスガイド経験は20年以上におよぶ。
高良 倉吉(たから くらよし、1947年10月1日 - )は… 高良 倉吉(たから くらよし、1947年10月1日 - )は、日本の歴史学者。琉球大学名誉教授。主に琉球王国史を専門としている。 1947年、米国軍政下の沖縄・島尻郡伊是名村生まれ。同郡南大東村の小中学校を卒業後、1963年琉球政府(現:沖縄県)立首里高等学校に入学、1967年国費沖縄留学生として愛知教育大学に入学。1971年同大学教育学部中学校教員養成課程卒業。1973年沖縄史料編集所専門員、1987年沖縄県立博物館主査、1988年浦添市立図書館長を経て、1993年、「琉球王国史の基礎的研究」で九州大学から博士(文学)の学位を取得。1993年前期放送のNHK大河ドラマ『琉球の風』の監修者でもあった。
安里 カツ子(あさと カツこ、1947年6月16日 - 20… 安里 カツ子(あさと カツこ、1947年6月16日 - 2013年12月5日)は日本の実業家、政治家(沖縄県副知事)。沖縄県名護市屋我地出身。 1947年(昭和22年)6月16日生まれ。 那覇商業高校(現:沖縄県立那覇商業高校)、商業実務専門学校卒業。1967年、琉球石油(現:りゅうせき)に入社。1987年、りゅうせきビジネスサービス設立に参画。1993年、りゅうせき社長、その後専務などを経て2006年からりゅうせき副社長。また、1996年には県経営者協会の女性リーダー部会を立ち上げた。2007年から4年間沖縄県副知事を務めた。 2013年12月5日11時40分、心不全により死去。享年66歳。
喜納 昌春(きな まさはる、1947年6月10日 - )は、… 喜納 昌春(きな まさはる、1947年6月10日 - )は、日本の政治家。沖縄県議会議員(6期)、沖縄県議会議長、沖縄社会大衆党委員長などを務めた。沖縄県中頭郡西原町出身。 琉球大学卒業。1988年の第6回沖縄県議会議員選挙で中頭郡選挙区より立候補し初当選。以後、5期連続当選し2004年に沖縄社会大衆党(社大党)委員長に就任。同年の第20回参院選で民主党・社民党・共産党と共に野党共闘体制を構築し、社大党の副委員長・糸数慶子を無所属の野党統一候補として出馬、当選させた。2008年の第10回県議選においては県政の与野党を逆転させたものの自身は落選し、社大党も議席を減らす結果となったが委員長職を続投した。