加藤 麻衣(かとう まい、1994年8月7日 - )は、日本… 加藤 麻衣(かとう まい、1994年8月7日 - )は、日本の政治家、人権活動家。性的少数者(LGBTなど)の団体「いわてレインボーマーチ」代表。2019年、盛岡市議会議員選挙にレズビアンを公表して立候補し、25歳で初当選した。 岩手県盛岡市出身。盛岡市立桜城小学校、盛岡市立城西中学校、岩手県立不来方高等学校芸術学系美術・工芸コース卒業。岩手大学教育学部芸術文化課程美術・デザインコース在学中に性的少数者(LGBTなど)の居場所づくりを目的とした団体を設立。2017年(平成29年)3月、同大学卒業。同年4月、グラフィックデザイナーとして建設会社に就職。 2018年(平成30年)5月、岩手県男女共同参画センターで働き始める。
中平 均(なかたい ひとし、1971年〈昭和46年〉12月3… 中平 均(なかたい ひとし、1971年〈昭和46年〉12月3日 - )は、日本の政治家。岩手県久慈市長(1期)。元岩手県議会議員(5期)。 岩手県久慈市生まれ。岩手県立久慈高等学校、岩手大学人文社会科学部卒業後、建設省東北地方建設局勤務を経て小沢一郎衆議院議員秘書を務める。2003年、岩手県議会議員に初当選。以後、1度の落選を挟み通算5期務める。 2026年3月、久慈市長選挙に立候補し、初当選した
進藤 金日子(しんどう かねひこ、1963年7月7日 - )… 進藤 金日子(しんどう かねひこ、1963年7月7日 - )は、日本の政治家、農林水産官僚。自由民主党所属の参議院議員(2期)。 財務大臣政務官、総務大臣政務官兼内閣府大臣政務官、全国土地改良政治連盟顧問を歴任した。 秋田県協和町(現・大仙市)船岡出身。現在は千葉県在住。農家の家に4人兄弟の次男として産まれる。「金日子」の名前は町議も務めた父親が雷が鳴った時に産まれた子供の名前には「金」の字をつけるという習わしと、7月7日の七夕の日に産まれたことから「彦」の字をつけ、「金彦」としようとしたがどちらの字も「剛」であることから、農家にとって重要な「日」と位の高い人物につける字である「子」を合わせたという。
大石 満雄(おおいし みつお、1958年(昭和33年)6月2… 大石 満雄(おおいし みつお、1958年(昭和33年)6月27日 - )は、日本の政治家。元岩手県花巻市長(2期)。 岩手県花巻市出身。岩手大学大学院を修了後、旧花巻市議会議員を3期務め、2006年の合併による花巻市長選挙に立候補して当選する。2010年の選挙でも再選。2014年の選挙で上田東一に敗れ、落選した。
新関 茂(にいぜき しげる、1957年(昭和32年)4月9日… 新関 茂(にいぜき しげる、1957年(昭和32年)4月9日 - )は、日本の政治家。山形県天童市長(1期)。 山形県天童市山口に生まれる。天童市立第二中学校、山形県立山形東高等学校を経て、岩手大学農学部卒業。卒業後は天童市役所に入る。市役所では市長公室長、政策調整監などを歴任、2014年(平成16年)に天童市副市長に就任。 2024年(令和6年)8月、天童市長の山本信治が次期市長選に出馬しないと表明。副市長の新関は11月24日告示、12月1日投票の天童市長選挙に立候補することを表明。市長選挙には元市議も立候補を表明し、16年ぶりの選挙戦となった。選挙は元市議を破り、当選した。 ※当日有権者数:50,127人 最終投票率:53.14%(前回比:pts) 2024年12月1日投開票の市長選挙における選挙公報において、①モンテディオ山形の新スタジアムを活用した若者が集まりやすいまちづくり、②小中学校給食費の完全無償化等の実施、③新たな工業団地の整備、④高齢化社会に対応した公共交通網の再構築、⑤新たな防災センターの整備や住宅地の整備促進などを掲げた。
山本 賢一(やまもと けんいち、1954年10月11日 - … 山本 賢一(やまもと けんいち、1954年10月11日 - )は、日本の政治家。岩手県軽米町長(5期)。 岩手県九戸村戸田生まれ。岩手大学卒業。岩手北部農業共済組合二戸家畜診療所長を経て、2003年(平成15年)の軽米町長選挙に立候補し初当選。2月2日、町長就任。2007年(平成19年)は無投票で再選。2011年(平成23年)は元町議を退けて3選。2015年(平成27年)は新人2人を制して4選。 2018年(平成30年)6月15日、町内で飲食店を経営する女性から強制わいせつ容疑で岩手県警二戸署に告訴状を提出された。二戸署は同年11月26日までに山本を強制わいせつ容疑で盛岡地検に書類送検した。2019年12月27日に盛岡地検は山本を不起訴処分とした。
鈴木 俊夫(すずき としお、1950年(昭和25年)8月11… 鈴木 俊夫(すずき としお、1950年(昭和25年)8月11日 - )は、日本の政治家。元秋田県湯沢市長(3期)。 秋田県湯沢市出身。秋田県立湯沢高等学校(2学年先輩に菅義偉がいる)、岩手大学農学部農学別科畜産専攻科を卒業。大学在学中に日本共産党へ入党し、1983年(昭和58年)から湯沢市議会議員、1991年(平成3年)から秋田県議会議員をそれぞれ2期務める(1999年落選)。その後、2001年(平成13年)の第19回参議院議員通常選挙(落選)をへて、翌2002年に行われた旧湯沢市長選に出馬表明する。 「開かれた市政をつくるみんなの会」を支持母体として、黒塗り公用車の廃止や市長報酬3割カット、市長交際費半減などを公約に掲げ選挙戦を展開。
熊谷 泉(くまがい いずみ、 (1947-08-25) 19… 熊谷 泉(くまがい いずみ、 (1947-08-25) 1947年8月25日 - )は、日本の政治家、獣医師。岩手県紫波町長(第12代、2014年 - 2026年)。有限会社熊谷牧場代表取締役を務めた。公民連携によるまちづくりを推進し、「オガールプロジェクト」などの再開発事業で知られる。 1947年(昭和22年)8月25日、岩手県紫波町片寄に生まれる。 岩手県立盛岡第一高等学校を経て、岩手大学農学部を卒業後、1971年(昭和46年)に家畜医院を開業した。 1999年(平成11年)、有限会社熊谷牧場代表取締役に就任。 2003年(平成15年)、紫波町議会議員に当選(2006年12月まで)。 2007年(平成19年)、岩手県議会議員に当選(2013年12月まで)。
桑島 博(くわしま ひろし、1932年8月14日 - 202… 桑島 博(くわしま ひろし、1932年8月14日 - 2021年12月16日)は、日本の政治家。元盛岡市長(2期)。 岩手県盛岡市出身。岩手県立盛岡高等学校を経て、1955年、岩手大学農学部農業工学科卒。同年盛岡市役所に入る。市役所では土木課長、財政課長、財政部次長、同部長を歴任し、1987年から助役を務めた。 1995年に盛岡市長選挙に立候補して初当選し、2期務めた。 2003年の市長選では3選を目指したが、元岩手県議会議長の谷藤裕明に敗れた。 ※当日有権者数:221,269人 最終投票率:53.67%(前回比:+19.0pts) 2021年12月16日、老衰のため盛岡市内の病院で死去。89歳没。
柳田 弘(やなぎだ ひろし、1931年(昭和6年)4月18日… 柳田 弘(やなぎだ ひろし、1931年(昭和6年)4月18日 - 2018年(平成30年)6月4日)は、日本の政治家。秋田県本荘市長(4期)、由利本荘市長(1期)。 秋田県由利郡大内町(現・由利本荘市)出身。1954年、岩手大学農学部農工学科卒。同年秋田県庁に入る。土地改良事務所長、農政部農業課長補佐、農業水利課、農地整備課各参事、仙北農林事務所長、農政部農地整備課長と農政畑を歩く。のち、由利地方部長、生活環境部長を歴任した。1991年、本荘市長選挙に立候補して当選する。本荘市長を4期務め、2005年に合併して誕生した由利本荘市長選挙に立候補し、元秋田県議の長谷部誠を700票余りで下した。由利本荘市長を1期務め、2009年に市長を退任した。
及川 勉(おいかわ つとむ、1930年〈昭和5年〉10月29… 及川 勉(おいかわ つとむ、1930年〈昭和5年〉10月29日 - 2011年〈平成23年〉6月23日)は、日本の政治家。江刺市(現在の奥州市)長(5期)。 現在の奥州市に生まれる。1951年(昭和26年)盛岡農林専門学校(現在の岩手大学農学部)を卒業。同年農林省に入る。1979年(昭和54年)江刺市助役に就任。 1983年(昭和58年)の江刺市長選挙に立候補し、菊地喜久男を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 同年3月に就任した。5期務めた。2003年(平成15年)3月12日、江刺市長を退任した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
水野 好路(みずの こうじ、1930年〈昭和5年〉4月17日… 水野 好路(みずの こうじ、1930年〈昭和5年〉4月17日 - 1998年〈平成10年〉6月9日)は、昭和から平成時代の政治家。青森県十和田市長。 初代十和田市長の水野陳好の二男としてのちの十和田市に生まれる。1954年(昭和29年)岩手大学農学部を卒業し、青森県に出仕。青森県農林部土地改良二課長、同農林部次長などを経て、1981年(昭和56年)十和田市に出向し助役に就任する。退官後は日本基礎技術青森所長を経て、1992年(平成4年)10月、十和田市長に就任した。1996年(平成8年)再選したが、1998年(平成10年)在任中に死去した。 任期中は、農林業の振興、高森山周辺の観光開発、稲生川周辺整備、生活道路整備、国際交流の推進などに尽力した。
佐藤 清吉(さとう せいきち、1929年(昭和4年)11月2… 佐藤 清吉(さとう せいきち、1929年(昭和4年)11月26日 - 2018年(平成30年)1月23日)は、日本の政治家。宮城県角田市長(3期)、宮城県議会議員(4期)。全国森林組合連合会の会長も務めた。位階は従四位。 現在の宮城県角田市で農家に生まれた。盛岡農林専門学校(現岩手大学農学部)を卒業。角田市農業協同組合理事を経て、宮城県議会議員を4期務めた。 1996年に角田市長に出馬し当選。2000年に無投票再選、2004年新人との一騎打ちで再選。市長を3期12年務めた。在任中の2003年には丸森町との市町村合併協議などもあったが、独立を選び、現在も角田市は存続している。 2009年(平成21年)、旭日中綬章叙勲。
沢藤 礼次郎(さわふじ れいじろう、戸籍上は澤藤禮次郎 19… 沢藤 礼次郎(さわふじ れいじろう、戸籍上は澤藤禮次郎 1928年12月14日 - 2004年8月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 岩手県和賀郡黒沢尻町(現・北上市)出身。沢藤幸治・ウメの長男。父親は同町の町長であった。黒沢尻中学校を経て海軍兵学校(77期)に進んだ。在学中に広島市への原子爆弾投下による犠牲者を見て反戦の意識が強まったという。戦後、盛岡農林専門学校(現・岩手大学農学部)に入り、1948年に卒業。1951年に母校の黒沢尻高校で定時制教諭になり、その後花巻農業高校の教諭などを務めた。また、沢令二のペンネームで執筆活動を行なっている。1961年に岩手県高教組の書記長、1968年同委員長に就任。
鈴木 雅廣(すずき まさひろ、1928年(昭和3年)9月14… 鈴木 雅廣(すずき まさひろ、1928年(昭和3年)9月14日 - 2002年(平成14年)10月25日)は、日本の政治家。山形県天童市長(3期)。 山形県出身。盛岡農林専門学校(現岩手大学農学部)卒。卒業後は岩手県農業試験場に入り、技師となる。その後、帰郷し、天童市役所に入り、農業委員会事務局長、農林、総務各課長を経て、助役となる。1985年、天童市長小座間泰蔵が死去。これに伴う市長選挙に立候補し、無投票で初当選する。1989年、1993年と連続で無投票当選。1997年の市長選挙では市内に大型商業施設の設置が争点となり、市民の間から1万人規模の反対署名運動が起きた。これを受けて元衆議院議員の遠藤登が「そうした運動が起こるのは市民の声が届いていない証拠であり、無競争のうえにあぐらをかいている市政を変えなければならない」と市長選挙に名乗りを挙げ、就任以来初の選挙戦となった結果、鈴木は遠藤に敗れた。
中川 俊一(なかがわ しゅんいち、1927年(昭和2年)7月… 中川 俊一(なかがわ しゅんいち、1927年(昭和2年)7月17日 - 2019年(平成31年)3月5日)は、日本の政治家。元宮城県古川市(現・大崎市)長(2期)。位階は正五位。 宮城県志田郡古川町(旧・古川市、現・大崎市古川)出身。小牛田農林高等学校、1948年、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)卒。1967年、古川市議会議員に当選し、議長も務める。1988年の古川市長選挙に立候補したが千坂侃雄に敗れ、落選した。1992年の市長選挙に再び立候補して現職の千坂侃雄を破って当選した。1996年の市長選挙でも再選。2000年の市長選挙では元市議会議長の佐々木謙次に敗れた。 2019年3月5日、老衰のため死去、91歳。
伊藤 孝二郎(いとう こうじろう、1923年12月17日 -… 伊藤 孝二郎(いとう こうじろう、1923年12月17日 - 2003年7月28日)は日本の政治家。新潟県北蒲原郡黒川村(現胎内市)の村長を約半世紀にわたり務めた人物である。 新潟県北蒲原郡黒川村出身。盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)卒業。 黒川村議会議員を経て、1955年伊藤は先憂後楽の精神のもと、31歳のときに「胎内川総合開発」「道路網の整備」「農業の近代化」の公約を掲げ黒川村村長に当選し、在任中は胎内スキー場、胎内高原ビール園、ロイヤル胎内パークホテルなど観光事業を発展させ雇用を拡大し、農業を活性化させて人口流失による黒川村の過疎化を防いだ。全国市町村会副会長、県市町村会会長を務めた。
崔 容根(チェ・ヨングン、朝鮮語: 최용근、1919年11月… 崔 容根(チェ・ヨングン、朝鮮語: 최용근、1919年11月9日 - 1969年8月25日または1973年1月29日)は、大韓民国の教育者、政治家。第3・4代韓国国会議員。本貫は江陵崔氏(朝鮮語版)。 日本統治時代の江原道江陵郡出身。江陵公立農業学校(現・江陵中央高等学校(朝鮮語版))、春川公立農業学校農林科、盛岡高等農林学校林学科卒。 江陵農高教員、水原農科大学(現・ソウル大学校農科大学)講師、江陵公立農業学校校長、東国大学校講師、大韓教育連合会(現・韓国教員団体総連合会)中央代議員を経て、1954年の第3代総選挙と1958年の第4代総選挙で自由党の候補として2回連続当選し、自由党江陵甲区党委員長、国会財政経済委員長・予算決算委員長を歴任した。
岩持 静麻(いわもち しずま、1919年(大正8年)2月25… 岩持 静麻(いわもち しずま、1919年(大正8年)2月25日 - 2005年(平成17年)11月9日)は、日本の政治家。全国農業協同組合中央会(JA全中第六代)会長。岩手県議会議員(5期)。1989年(平成元年)勲二等旭日重光章受賞。旧姓沼倉。 岩手県西磐井郡萩荘村(現・一関市)に生まれる。3歳の時に父を事故で失い、以後、母は女手一つで7人の子供を育てる。1933年(昭和8年)市野々尋常高等小学校卒。1937年(昭和12年)宮城県農学校(現・宮城県農業高等学校)入学。1941年(昭和16年)同校卒業。同年官立盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)入学。1943年(昭和18年)同校卒業。同年農林省(現・農林水産省)に入り、農政局農業保険課に勤務する。
飯田 毅(いいだ たけし、1918年<大正7年>11月2日 … 飯田 毅(いいだ たけし、1918年<大正7年>11月2日 - 1989年<平成元年>12月6日)は、昭和時代の政治家。千葉県東葛飾郡鎌ヶ谷町第2代町長、鎌ケ谷市初代市長。位階は従五位。 1918年11月2日、千葉県東葛飾郡鎌ヶ谷村(現:鎌ケ谷市)中沢に飯田粲・いゐ夫妻の長男として生まれる。旧制東葛飾中学校卒業後、盛岡高等農林学校(現:岩手大学農学部)に進学し1939年(昭和14年)に卒業。1947年(昭和22年)4月、鎌ヶ谷村議会議員に就任し、以後鎌ヶ谷町議会議員・社会教育委員を務めた。 1967年(昭和42年)5月、鎌ヶ谷町長に初当選した。その後市制施行による初代市長就任を経て1983年(昭和58年)4月まで連続4期16年間にわたり首長を務めた。
小川 仁一(おがわ じんいち、1918年2月1日 - 200… 小川 仁一(おがわ じんいち、1918年2月1日 - 2002年11月24日)は、日本の政治家。日本社会党に所属し衆議院議員(2期)、参議院議員(2期)を歴任。 岩手県和賀郡東和町(現花巻市)生まれ。岩手師範学校(現岩手大学教育学部)卒業。小学校教諭を経て、1959年に岩手県教職員組合委員長。1961年(昭和36年)に中学生の全国一斉学力テストの反対闘争を組織し、地方公務員法違反容疑で逮捕される。ほかに日本教職員組合副委員長、総評副議長、公務員共闘事務局長などを務めた。 1971年の第9回参議院議員通常選挙と1974年の第10回参議院議員通常選挙に岩手県選挙区から日本社会党公認で出馬したが、落選。
北村 正哉(きたむら まさや、1916年 <大正5年> 5月… 北村 正哉(きたむら まさや、1916年 <大正5年> 5月3日 - 2004年 <平成16年> 1月26日)は、日本の政治家。青森県で県議会議員・副知事を各3期、その後知事を4期にわたって務めた。位階は正四位。 正哉の哉の文字は、本来は旁にノが付かないものだが、異体字でコンピュータ上で表現できないケースがあるため、「〓」として註釈するか、「哉」で代用するか、「まさや」とひらがなで表記されるケースがある。 上北郡三沢村(現・三沢市)で、牧場主の長男として生まれた。先祖の北村豊三は元会津藩士で、会津戦争敗北後に同藩が斗南藩として現在のむつ市へ転封された際に移住し、広沢安任と共に日本初の西洋式牧場である「開牧社」の経営に参加した。
中村 直(なかむら ただし、1912年11月27日 - 19… 中村 直(なかむら ただし、1912年11月27日 - 1996年8月3日)は日本の政治家。衆議院議員(1976年~)、岩手県知事(1979年~1991年)を務めた。身長180センチ、体重80キロ(1984年の記録)と大柄だった。 1912年、岩手県紫波郡紫波町で生まれる。岩手県農学校、産業組合学校を卒業後、産業組合職員などを経て1938年に岩手県職員となる。岩手県副知事や岩手銀行専務を経て、1976年の第34回衆議院議員総選挙で岩手県第1区から出馬し当選。2年3ヶ月の代議士生活の後、1979年に岩手県知事となって3期12年間を務めた。 鈴木善幸を政治の師と仰ぎ、知事在任中は三陸鉄道を鉄道としては全国で初の第三セクターにしているほか、岩手めんこいテレビの開局に尽力した。
山中 吾郎(やまなか ごろう、1910年(明治43年)7月2… 山中 吾郎(やまなか ごろう、1910年(明治43年)7月23日 - 1983年(昭和58年)6月2日)は、昭和期の教育者、地方公務員、政治家。衆議院議員。 和歌山県伊都郡名倉村(高野口町を経て現橋本市高野口町)出身。1933年(昭和8年)東京高等師範学校文科を卒業した。 山形県立山形中学校(現山形県立山形東高等学校)教諭、三重県師範学校教諭、京都府師範学校教諭などを歴任。1943年(昭和18年)7月、高等試験行政科試験に合格。1945年(昭和20年)岩手県庁に入庁。学務課長兼厚生課長、労働部長、教育部長を歴任し、1948年(昭和23年)岩手県教育委員会教育長に就任。その後、公共企業体等労働委員会地方調停委員、岩手大学講師、私立修紅短期大学助教授などを務めた。
小山田 七次郎(おやまだ しちじろう、1904年(明治37年… 小山田 七次郎(おやまだ しちじろう、1904年(明治37年)6月19日 - 1976年(昭和51年))は、昭和時代の政治家。青森県十和田市長。 青森県上北郡藤坂村(後の三本木市、現・十和田市)に生まれる。 貧農の7番目の末子として生まれ、小学校3年の時、一家は北海道石狩に渡る。1927年(昭和2年)盛岡高等農林学校を卒業後、農林省に出仕し、奥羽種畜牧場勤務となる。洞内小学校(現在、十和田市立)、青森師範学校教諭、上北地方事務所経済課長、五所川原農林学校長、青森県教育委員長を経て、1956年(昭和31年)10月、十和田市長に就任する。 県南内陸部の中心都市としての地位確立や北里大学の誘致に尽力した。
佐藤 哲郎(さとう てつろう、1901年〈明治34年〉3月1… 佐藤 哲郎(さとう てつろう、1901年〈明治34年〉3月1日 - 1995年〈平成7年〉1月4日)は、日本の政治家。元岩手県水沢市(現・奥州市)長(3期)。 岩手県胆沢郡水沢町(のち水沢市、現・奥州市)出身。1920年(大正9年)、岩手県師範学校(現・岩手大学教育学部)卒。岩手県内の小学校の訓導や校長を経て、戦後、中学校校長となる。岩手県社会教育主事、水沢町教育長となった。 1956年(昭和31年)、水沢市長に立候補して新人1人を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 同年1月29日に就任した。 1960年(昭和35年)の市長選も新人1人との争いになったが、これを破って再選を果たした。
金子 与重郎(旧字体: 金子 與重郞、かねこ よじゅうろう、… 金子 与重郎(旧字体: 金子 與重郞、かねこ よじゅうろう、1901年(明治34年)1月27日 - 1954年(昭和29年)10月9日)は、大正から昭和期の農業経営者、政治家。衆議院議員(3期)。 群馬県勢多郡粕川村大字室沢(現・前橋市粕川町室沢)で、金子新作の長男として生まれる。群馬県立勢多農林学校(現・群馬県立勢多農林高等学校)を経て、1919年(大正8年)盛岡高等農林学校農学科別科を卒業した。 帰郷して農業を営む。また、県下の産業組合の組織化に尽力し、組合厚生病院を設けて農村の保健衛生の向上に尽くした。群馬蚕糸会社の設立に参画し、蚕糸業の振興を図った。その他、粕川村会議員、粕川信用販売利用組合長、群馬県購買販売利用組合専務理事、同購買販売利用組合連合会総務部長、群馬蚕糸製造監査役などを務めた。
佐々木 家寿治(ささき かずじ / かじゅじ、1886年12… 佐々木 家寿治(ささき かずじ / かじゅじ、1886年12月7日 - 1954年3月2日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、宮城県知事(1期)。「百姓知事」と呼ばれた。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身。宮城県古川高等学校、盛岡高等農林学校農学科(現・岩手大学農学部)で学ぶ。 志田郡志田村(のち古川市、現大崎市)助役、同村長、同村会議員、宮城県会議員、同議長、同参事会員、志田村、志田郡、宮城県各農会長となる。 1930年、仙台市長選挙に立候補したが、市会(市議会)での得票数は4位に終わり、落選した。1932年2月の第18回衆議院議員総選挙に宮城県第1区から出馬して当選。1936年の第19回衆議院議員総選挙の再選時は投票のための買収があり、虚偽の約束手形を手に入れてそれに合わせた証言が行われた偽証証憑偽造偽造証憑使用教唆事件で1937年11月4日、大審院は上告棄却し佐々木は懲役4か月の実刑判決が確定。
山田 助作(やまだ すけさく、1886年2月28日 - 19… 山田 助作(やまだ すけさく、1886年2月28日 - 1947年9月3日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 新潟県出身。1908年、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)卒。農業を営み、西蒲原郡農会長、所得税調査委員、新潟県農工銀行監査役、北越商業銀行、新潟電鉄各(株)取締役、新潟新聞社長となる。 1924年の第15回衆議院議員総選挙において新潟4区(小選挙区制)から憲政会公認で立候補して初当選。1928年の第16回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1932年の第18回衆議院議員総選挙では新潟1区から立憲民政党公認で立候補して(無投票)4年ぶりに復帰した。1936年の第19回衆議院議員総選挙には立候補せず引退した。
米倉 龍也(よねくら りゅうや、1885年(明治18年)8月… 米倉 龍也(よねくら りゅうや、1885年(明治18年)8月6日 - 1980年(昭和55年)10月24日)は、日本の政治家。衆議院議員、参議院議員。 長野県南安曇郡烏川村(現安曇野市)出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、盛岡高等農林学校卒業。在学中に「平民新聞」を愛読し、河上肇の著作に感銘を受け、産業組合運動に強い関心を持つ。1907年に卒業後は千葉県農業会技師から1916年南安曇郡北部農業学校(長野県穂高商業高等学校)校長となり、烏川信用購買組合創立に参加し、理事となる。1920年から長野県農商課産業組合理事、1925年に長野県信連主事となり、昭和初期の金融恐慌に緊急貸し出しで手腕を発揮し、県下各地の産業組合や農協の充実に奔走し、各農業団体の最高責任者を歴任する。
小泉 多三郎(こいずみ たさぶろう、1883年〈明治16年〉… 小泉 多三郎(こいずみ たさぶろう、1883年〈明治16年〉1月10日 - 1952年〈昭和27年〉8月12日)は日本の政治家。岩手県盛岡市長。 岩手県東和賀郡十二鏑村(のち和賀郡土沢町→東和町現・花巻市)出身。盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)を経て、1906年、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)卒。樺太民政署に入り、東京営林局などに勤務した。その後、1908年に母校の盛岡高等農林学校の助教授となり、1918年に教授となった。同年に退職後、岩手林業に入り、常務取締役となった。 1929年、盛岡市会議員となり、18年務めた。 盛岡市長選挙に立候補して、社会党の新人を破って初当選を果たした。
川村 精之(かわむら せいし、1869年1月2日(明治元年1… 川村 精之(かわむら せいし、1869年1月2日(明治元年11月20日) - 1927年(昭和2年)5月1日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 岩手県出身。1887年、岩手県尋常師範学校卒。小学校訓導、同校長、稗貫郡亀ヶ森村(のち大迫町→花巻市)長、稗貫郡会議員、岩手県会議員、稗貫郡産馬畜産組合長となる。 1917年の第13回衆議院議員総選挙において岩手県郡部から憲政会公認で立候補して当選する。1920年の第14回衆議院議員総選挙では岩手5区から立候補したが落選した。1927年死去。
桜井 勝延 は、日本の政治家、元南相馬市議会議員(3期)、元… 桜井 勝延 は、日本の政治家、元南相馬市議会議員(3期)、元福島県南相馬市長(2期)、元原町市議会議員(1期)。