伊藤 宗一郎(いとう そういちろう、1924年〈大正13年〉… 伊藤 宗一郎(いとう そういちろう、1924年〈大正13年〉3月21日 - 2001年〈平成13年〉9月4日)は、日本の政治家。位階は従二位、勲等は勲一等。勲章は旭日桐花大綬章。衆議院議員を13期務め、在任中には科学技術庁長官、防衛庁長官や第69代衆議院議長などを歴任した。宮城県名誉県民。 宮城県加美郡中新田町(現加美町)で呉服屋を営む父・宗太郎と、母・ときの長男として生まれた。少年時代には陸軍歩兵第4連隊の一日連隊長を務める機会があった。宮城県古川中学校(現・宮城県古川高等学校)、旧制第二高等学校文科甲類を経て、1947年に東北大学法学部を卒業。高校在学中に太平洋戦争が勃発、大学在学中には1年間軍務に就いて陸軍少尉に任官されていた。
本田 睦(ほんだ むつみ、1924年(大正13年)1月10日… 本田 睦(ほんだ むつみ、1924年(大正13年)1月10日-1991年(平成3年)2月16日)は、日本の工学者。専門は高速空気力学。東北大学名誉教授、工学博士。東北大学高速力学研究所(現東北大学流体科学研究所)所長を務めた。 鹿児島県日置郡串木野村(現・いちき串木野市)出身。父は後に串木野市議会議長を務める本田戸助。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)四年修了を経て、1942年(昭和17年)9月に旧制第七高等学校造士館理科を卒業。1945年(昭和20年)9月東京帝国大学第一工学部航空学科卒業。終戦直後で職がないため、卒業後一時帰郷してカライモ(サツマイモ)づくりや戦災で焼けた自宅の建て直しをおこなった。
塩澤 君夫(しおざわ きみお、1924年1月7日 - )は、… 塩澤 君夫(しおざわ きみお、1924年1月7日 - )は、日本経済史家。名古屋大学名誉教授、愛知県立大学名誉教授。 東京府東京市小石川区(現・東京都文京区)生まれ。1941年東京府立第五中学校卒業。1943年第一高等学校文科乙類卒業、東北帝国大学法文学部経済学科入学。1944年学徒動員。1945年召集解除、復学。1947年東北帝国大学法文学部卒業、東北帝国大学助手(法学部勤務)。1950年東北大学経済学部講師。1951年名古屋大学経済学部助教授。1962年「古代専制国家の構造」で経済学博士(東北大学)。1964年名古屋大学経済学部教授、1972年同大学経済学部長(1974年まで)、1973年同大学大学院経済学研究科附属国際経済政策研究センター初代センター長(1974年まで)。
大谷 邦夫(おおたに くにお、1924年(大正13年)1月5… 大谷 邦夫(おおたに くにお、1924年(大正13年)1月5日 - 2015年(平成27年)8月23日)は、日本の官僚。銀行家。協和銀行(現・りそな銀行)副頭取、德陽シティ銀行社長などを務めた。 東京で生まれ、仙台市で育つ。 仙台二中、二高を経て、東北帝国大学法文学部を卒業。1947年大蔵省入省。 昭和40年不況の折、戦後初めての赤字国債発行に際して、理財局国庫課国債発行準備室が設置されることになり、1965年10月1日、国庫課長から発行準備室長に異動した。これに伴い、竹内道雄が同局総務課長兼任で国庫課長に就いている。以降、証券局総務課長、神戸税関長、銀行局検査部長、大臣官房審議官、日銀政策委員を歴任。
千葉 和郎(ちば わろう、1923年12月23日 - 201… 千葉 和郎(ちば わろう、1923年12月23日 - 2018年1月17日)は、日本の裁判官。最高裁判所事務総局刑事局長や、東京高等裁判所部総括判事、福岡高等裁判所長官、名古屋高等裁判所長官等を歴任した。 第二高等学校で寮歌「散りにし花は」を作曲。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 東北大学卒業後、東京地方裁判所判事補、最高裁判所事務総局刑事局第二課長、東京地方裁判所部総括判事、最高裁判所事務総局秘書課長、最高裁判所事務総局刑事局長、大津地方裁判所長、東京高等裁判所部総括判事、横浜地方裁判所長、東京家庭裁判所長等を経て、1985年福岡高等裁判所長官。
高橋 成人(たかはし のりんど、1923年11月14日 - … 高橋 成人(たかはし のりんど、1923年11月14日 - 2014年3月16日)は、日本の植物学者。位階は従四位。東北大学名誉教授。農学博士。専門は植物遺伝育種学。 神奈川県生まれ。1950年(昭和25年)、東北大学農学部農産学科卒業。同年、同大学農学研究所勤務。1961年、農学博士。1968年、同研究所講師、1971年、助教授、1977年、教授、1984年、所長、1987年、同大学名誉教授。この間、同大学評議員を併任。主な研究分野は、栽培植物の生理遺伝と環境適応性。1972年、「稲の発芽性に関する生理遺伝学的研究」で日本育種学会賞受賞。 父は歌人の髙橋俊人、次女は同じく歌人の髙橋みずほ、その夫・吉野裕之も歌人。
北澤 博(きたざわ ひろし、1923年10月10日- 20… 北澤 博(きたざわ ひろし、1923年10月10日- 2007年10月17日)は、日本の経営学者。 長野県上伊那郡赤穂村(現駒ヶ根市)生まれ。昭和23年(1948年)東北大学法学部卒業、三菱電機入社。昭和50年(1975年)経営情報本部情報システム部長、同52年(1977年)情報管理部長、同53年(1978年)三菱総合研究所取締役、同54年(1979年)常務取締役。同63年(1988年)長野大学教授に就任、平成7年(1995年)同学長。 専門は物流と情報システム、ビジネスネットワークシステムなど。昭和61年(1986年)通商産業大臣賞受賞。弟の北沢正啓は、名古屋大学名誉教授・中京大学元学長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
中村 啓一(なかむら けいいち、1923年(大正12年)8月… 中村 啓一(なかむら けいいち、1923年(大正12年)8月30日 - 1987年(昭和62年)7月7日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、自由民主党)。 北海道出身。1946年東北帝国大学法文学部法律学科卒。香川県財政課長、秋田県、北海道各総務部長、自治省選挙課長、同選挙部長、北海道副知事などを歴任する。1977年の第11回参議院議員通常選挙において北海道選挙区から自由民主党で立候補して当選した。鈴木善幸内閣北海道開発政務次官、自民党都市局次長などを務めた。1983年の参院選には出馬しなかった。1987年7月7日死去、63歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈、正八位から従四位に叙される。
津軽 芳三郎(つがる よしさぶろう、1923年8月26日 -… 津軽 芳三郎(つがる よしさぶろう、1923年8月26日 - 2021年1月28日)は、日本の地方公務員。宮城県副知事。 1923年、宮城県栗原郡金田村(現・栗原市)に生まれる。旧制宮城県築館中学、第二高等学校、東北帝国大学法文学部(法)卒。大学卒業後宮城県庁入り。企画、財政、人事の各部門を歴任し、教育長、総務部長を務めた。その後宮城県副知事、宮城県美術館館長を歴任。1994年、勲三等旭日中綬章を受章。2021年1月28日死去。従七位から従四位に進階。
楠 兼敬(くすのき かねよし、1923年7月12日 - 20… 楠 兼敬(くすのき かねよし、1923年7月12日 - 2020年9月16日 )は、日本の自動車技術者。トヨタ自動車取締役副社長や、日野自動車工業取締役会長、中部インダストリアル・エンジニアリング協会会長等を歴任した。 福岡県福岡市生まれ。1946年東北帝国大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業入社。大野耐一に師事し、1972年トヨタ自動車工業取締役特殊部品製造企画室長に昇格。1975年トヨタ自動車工業取締役生産管理部長。1978年トヨタ自動車工業常務取締役衣浦工場長、生産管理部、安全環境部担当。1982年トヨタ自動車工業専務取締役生産関係部門統括。 1984年からトヨタ自動車取締役副社長として、生技生産部門を統括し、好川純一を生産調査室トップに起用するなどし、工場でのトヨタ生産方式の徹底を推し進めた。
石田 雄(いしだ たけし、1923年6月7日 - 2021年… 石田 雄(いしだ たけし、1923年6月7日 - 2021年6月2日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。 父は神奈川県知事や警視総監を務めた石田馨。母方の祖父は茨城県知事を務めた大塚貢。長男は東京大学名誉教授の石田浩。次男は千葉大学教授の石田憲。義兄(姉の夫)は東京都知事を務めた鈴木俊一。 内務省神社局長、警視総監、高松宮別当、宮内省御用掛などを歴任した石田馨の二男として、父の青森県警察部長時代に青森市で生まれる。旧制成蹊高校から東京帝国大学を受験したが不合格となり、東北帝国大学法文学部へ入学。在学中に学徒出陣を受け、東京湾要塞重砲兵連隊に入隊した。 敗戦で復員した後は、特例措置で東京大学法学部政治学科へ転じて丸山眞男ゼミに参加。
三木 與志夫(みき よしお、1923年4月2日 - 1994… 三木 與志夫(みき よしお、1923年4月2日 - 1994年5月16日)は、日本の地方公務員。東京都交通局長、東京都副知事、東京都競馬代表取締役社長、東京都住宅供給公社理事長などを歴任した。 1946年東北帝国大学法文学部法科卒業、東京都入庁、調査室。1960年東京都企画室副参事。1961年東京都総務局副主幹。1962年東京都財務局管財部都有財産調査課長。1963年東京都財務局経理部検収課長。1964年東京都総務局総務部庶務課長。1967年東京都企画調整局参事(企画調査担当)。1969年東京都清掃局作業部長。1972年東京都住宅局総務部長。1974年東京都住宅局次長。1975年東京都清掃局長。
佐藤 博(さとう ひろし、1923年3月18日 - 1991… 佐藤 博(さとう ひろし、1923年3月18日 - 1991年10月26日)は、日本の病理学者、専門は、実験腫瘍学、実験動物。 岡山県に生まれ、旧制松山高校から1947年東北大学医学部卒業、同大学病理学教室助手、薬理研究所所員を経て、1956年12月 東京大学 医学博士 論文の題は 「吉田肉腫の移植性に關する研究」。 1957年佐々木研究所研究員となり、吉田富三所長の下、制がん剤のスクリーニング試験に従事、のち同所病理・臨床病理部長。吉田肉腫、腹水肝癌などを用いた膨大な実験に基づき、癌に個性があることを強調した。平成3年、心筋梗塞のため急逝、享年68。
石田 名香雄(いしだ なかお、1923年〈大正12年〉3月6… 石田 名香雄(いしだ なかお、1923年〈大正12年〉3月6日 - 2009年〈平成21年〉12月4日)は、日本の医学者、ウイルス学者。元東北大学学長。仙台市名誉市民。二男は分子生物学者の石田直理雄。 新潟県上越市生まれ。旧制仙台一中、旧制二高、東北帝国大学医学部卒業。ウイルスベクターとして知られるセンダイウイルス、また、制癌抗生物質ネオカルチノスタチンを発見した。野口英世記念医学賞、日本学士院賞などを受賞。お酒が好きなことで知られており、利酒が趣味だった。学生に抜群の人気があった。 ミシガン大学ウイルス研究所留学
桜田 勝義(さくらだ かつよし、1923年(大正12年)3月… 桜田 勝義(さくらだ かつよし、1923年(大正12年)3月 - 1974年(昭和49年))は、日本の法学者。宮城県生まれ。1949年東北帝国大学法学部卒、1951年東北大学経済学部卒業、1965年法学博士(東北大学)(学位論文「少数意見制の研究」)。1954年山形大学講師、助教授、1966年新潟大学教授。
小川 徹(おがわ とおる、1923年2月25日-1991年2… 小川 徹(おがわ とおる、1923年2月25日-1991年2月10日)は、日本の映画・文芸評論家。 東京生まれ。学徒出陣を経験。1946年東北帝国大学法文学部経済科卒。1946年から時事通信社に勤務、同人誌「世代」に参加。1961年「映画評論」編集部に移り、のち「映画芸術」編集長。『新日本文学』にもしばしば寄稿した。映画芸術新社社長。日活ロマンポルノ裁判特別弁護人、日活ビデオ、黒い雪裁判検定で証人として出廷、いずれも勝訴となった。
早坂 泰次郎(はやさか たいじろう、1923年2月20日 -… 早坂 泰次郎(はやさか たいじろう、1923年2月20日 - 2001年10月8日)は、日本の心理学者。立教大学名誉教授。専攻は実存心理学、人間関係の心理学、看護学。 宮城県仙台市生まれ。幼いころから台北で過ごし、台北帝国大学を経て、1949年東北大学文学部卒。東北大学講師、立教大学助教授、社会学部教授。1989年定年退任、名誉教授。 2001年10月8日、出血性脳梗塞のため死去。
小栗 了之(おぐり りょうし、1923年2月19日 - 20… 小栗 了之(おぐり りょうし、1923年2月19日 - 2004年7月31日)は、日本の歴史学者、北海道教育大学名誉教授。フランス近代史専攻。兄はドイツ文学者の小栗浩。 北海道函館市生まれ。1949年東北大学文学部西洋史学科卒業。北海道教育大学講師、助教授、教授、1987年定年退官、名誉教授。1999年秋、勲三等旭日中綬章受勲。 2004年7月31日、多臓器不全のため死去。
坂本 三十次(さかもと みそじ、1923年〈大正12年〉1月… 坂本 三十次(さかもと みそじ、1923年〈大正12年〉1月22日 - 2006年〈平成18年〉3月19日)は、日本の政治家。 衆議院議員(11期)。内閣官房長官(第53代)、労働大臣(第46代)を歴任。位階勲等は正三位勲一等旭日大綬章。 石川県鳳至郡(現鳳珠郡)穴水町出身。金沢一中、四高、1947年東北帝国大学法学部卒。1948年に石川県教育委員となる。 1967年、第31回衆議院議員総選挙に初当選(当選同期に山下元利・増岡博之・加藤六月・塩川正十郎・河野洋平・中尾栄一・藤波孝生・武藤嘉文・塩谷一夫・山口敏夫・水野清など)。以来連続当選11回。自民党内では傍流と呼ばれた三木→河本派に所属。三木武夫直系の硬骨漢、河本敏夫の側近として派内で重きをなす。
富田容甫(とみた よすけ、1923年1月3日 - 1984年… 富田容甫(とみた よすけ、1923年1月3日 - 1984年6月23日)は、昭和期の北海道を代表する政治学者・行政学者。恩師は尾形典男。 千葉県安房郡北条町(現・館山市)出身。1943年旧制第二高等学校文科卒業。東北帝国大学法学部に入学するも、同じ年に召集令状によって大日本帝国陸軍戦車連隊に入隊。1945年復員。1947年東北帝国大学法学部卒業。 北海道帝国大学法文学部助手。1952年北海道学芸大学学芸学部札幌分校岩見沢分教場助教授に就任。1954年北海道学芸大学学芸学部札幌分校助教授。1957年北海道大学法学部助教授。1962年北海道大学法学部教授。1965年北海道大学評議員に就任。1976年北海道大学評議員に再度就任。
小林政吉(こばやし まさきち、1923年-?)は、日本の宗教… 小林政吉(こばやし まさきち、1923年-?)は、日本の宗教学者、東北大学名誉教授。 山形市生まれ。1945年東北帝国大学法文学部文科(教育学専攻)卒業。1962年「教養と実存」で、文学博士の学位を取得。東北大学教育学部助教授、教授、1987年定年退官、名誉教授、東洋英和女学院大学教授。
井坂 英彦(いさか ひでひこ、1922年10月31日 - 1… 井坂 英彦(いさか ひでひこ、1922年10月31日 - 1997年1月24日)は、日本の病理学者。専門は、実験腫瘍学・細胞遺伝学・組織培養。医学博士(東京大学・論文博士・1957年)(学位論文「腹水肝癌の銀線維」)。鹿児島大学教授等を歴任。 茨城県生まれ、旧制水戸高等学校から1946年東北帝国大学医学部卒業、同大大学院第1期特別研究生修了後、同大病理学教室副手。1949年、 佐々木研究所研究員となり、吉田富三所長の下、腹水肝癌などの細胞遺伝学的研究、組織培養法に関する研究に従事。1957年、東京大学より医学博士の学位を取得、学位論文の題は「腹水肝癌の銀線維」。 1958年、同研究所病理部長。1974年、鹿児島大学医学部第一病理学教室教授。
西田 秀穂(にしだ ひでほ、1922年(大正11年)10月1… 西田 秀穂(にしだ ひでほ、1922年(大正11年)10月19日 - 2019年2月16日)は、西洋美術史学者、東北大学名誉教授。 大阪市生まれ。学徒出陣をへて、1949年東北帝国大学法文学部文学科卒。ドイツ・ボン大学美術史研究所にて西洋近代美術(カンディンスキー、ドイツ表現主義)を研究。東北大学文学部助手、1950年(昭和25年)講師、1954年(昭和29年)助教授、1972年(昭和47年)教授、1981-1983年文学部長、1986年(昭和61年)定年退官、名誉教授、実践女子大学教授。1993年(平成5年)退職。 1990年(平成2年)「カンディンスキー研究 非対象絵画の成立 :その発展過程と作品の意味」で東北大学文学博士。
葛西 森夫(かさい もりお、1922年〈大正11年〉9月29… 葛西 森夫(かさい もりお、1922年〈大正11年〉9月29日 - 2008年12月8日)は、青森県市浦村(現・五所川原市)生まれの小児外科医。旧制第二高等学校・東北帝国大学(現・東北大学)出身。胆道閉鎖症に対する手術・肝門部腸吻合術(英語版)を開発したことで知られ、この術式は葛西の名前を取って葛西手術(英: Kasai's procedure)とも呼ばれる。 葛西は1922年に青森県市浦村(現・五所川原市)で生まれ、函館で育った。1935年に旧制函館中学校(現北海道函館中部高等学校)に進学し、1940年に卒業した。葛西の父は近代教養を重んじる敬虔なクリスチャンであり、この影響を受けた彼は、グリム童話やアンデルセンに親しんで育ったのだという。
佐藤 巧(さとう たくみ、大正11年(1922年)9月20日… 佐藤 巧(さとう たくみ、大正11年(1922年)9月20日 - 平成30年(2018年)3月9日)は、日本の工学者、建築学者。東北大学名誉教授。 飯田須賀斯に師事する。専門は古建築学で、日本住宅および集落史、東北地方を中心とした中近世の古民家、社寺、城郭建築などの調査、保存研究で知られる。戦災で焼失した伊達政宗の霊廟瑞鳳殿の再建、仙台城復元計画なども業績の一部である。宮城県、山形県、岩手県、仙台市それぞれの文化財保護審議委員を長く務めた。
鈴木 三郎助(すずき さぶろうすけ、1922年8月24日 -… 鈴木 三郎助(すずき さぶろうすけ、1922年8月24日 - 2012年1月25日)は、日本の実業家。味の素創業者二代目鈴木三郎助の孫で、同社会長や名誉会長、日本食品添加物協会会長等を歴任した。 東京都港区出身。旧名鈴木重明。学習院高等科を経て、1946年東北大学法文学部卒業。1949年味の素入社。1961年取締役に昇格。1965年常務取締役。1969年専務取締役。1973年取締役副社長、日本油脂協会会長。1974年紺綬褒章受章。1975年取締役会長。1982年日本食品添加物協会会長。1988年レジオン・ドヌール勲章受章、全日本広告連盟理事長、日本宣伝クラブ理事長。1989年東京広告協会理事長。
山田 野理夫(やまだ のりお、1922年7月16日- 201… 山田 野理夫(やまだ のりお、1922年7月16日- 2012年1月24日)は、日本の小説家、詩人。 宮城県仙台市出身。本名・徳郎(のりお)。東北大学文学部で、国史を専攻し、農林省統計調査員、宮城県史編纂委員、東北大学付属農学研究所員などを経て作家へ。1962年『南部牛追唄』で第6回農民文学賞を受賞。東北地方、みちのく、特に岩手県をテーマにすることが多い。 2012年1月24日、急性心不全のため死去。89歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
石川 次夫(いしかわ つぎお、1922年(大正11年)6月1… 石川 次夫(いしかわ つぎお、1922年(大正11年)6月1日 - 2011年(平成23年)2月21日)は、昭和から平成時代の政治家。宮城県名取市長。 名取市出身。東北帝国大学卒業。 1955年(昭和30年)名取町収入役、1958年(昭和33年)名取市収入役、1971年(昭和46年)助役を経て、1980年(昭和55年)名取市長に当選。6期24年務めた。
瀬長 浩(せなが ひろし、1922年5月6日 - 1997年… 瀬長 浩(せなが ひろし、1922年5月6日 - 1997年10月21日)は、日本の銀行家。 沖縄県出身。1944年に東北帝国大学理学部物理科を経て、1949年にハワイ大学を卒業。琉球貿易庁、琉球政府での勤務を経て、後に中部製糖社長に就任。1972年に沖縄銀行頭取に就任し、1983年には会長に就任。 1997年10月21日に腎不全のために死去。75歳没。
白鳥 常男(しらとり つねお、1922年4月14日 - 20… 白鳥 常男(しらとり つねお、1922年4月14日 - 2012年10月16日)は、宮城県出身の医学者。奈良県立医科大学名誉教授。 宮城県築館中学校(現・宮城県築館高等学校)出身。陸軍航空士官学校を経て、東北帝国大学医学部へ進学、1950年に卒業。大学に勤務し、1959年日本平滑筋学会の前身、平滑筋・筋電図研究会の設立発起人となる。1961年東北大学医学部第一外科学講師、1971年同教室助教授となる。翌1972年初代中島佐一教授の後を受けて、奈良県立医科大学第一外科学教室教授。1979年 - 1981年、厚生省特定疾患「炎症性腸管障害」調査研究班班長。1980年同大学附属病院長。1988年同大学定年退職、叙名誉教授。
青木 昌治(あおき まさはる、1922年3月6日 - 199… 青木 昌治(あおき まさはる、1922年3月6日 - 1991年9月29日)は、日本の電子工学者。 東京出身。東北帝国大学理学部物理学科卒業。1960年7月より東京大学工学部電子工学科助教授、1963年6月より教授を務め、1982年に定年退官。その後、東京理科大学工学部電子工学科の教授を務めた。第12期日本学術会議会員。 1940年代末以降、熱電変換素子の研究で顕著な業績を挙げた。東京大学工学部電子工学科では化合物半導体の発光ダイオードの材料の研究を進めた。 1991年9月29日、甲状腺癌のため死去。
風間 力三(かざま りきぞう、1922年2月7日 - )は、… 風間 力三(かざま りきぞう、1922年2月7日 - )は、日本の国語学者、甲南大学名誉教授。 岡山県津山市生まれ。1947年東北帝国大学法文学部文学科国語専攻卒、甲南大学助教授、教授、1986年定年退任、名誉教授、大手前女子大学文学部教授。
船田 章(ふなだ あきら、1922年(大正11年)1月11日… 船田 章(ふなだ あきら、1922年(大正11年)1月11日 - 2021年(令和3年)2月15日)は、日本の政治家。医師。医学博士。栃木県小山市長(3期)。 栃木県下都賀郡豊田村(のち美田村、現・小山市)卒島出身。1944年、東北帝国大学専門部卒。卒業後は軍医として台湾に赴任する。戦後、帰国し、小山市で開業した。1988年、小山市長選挙に立候補し初当選。1992年と1996年は無投票当選。市長を3期務めた。2021年2月15日、老衰のため死去、99歳。死没日をもって正八位から従五位に叙される。
勘解由小路 資淳(かでのこうじ すけあつ、1922年〈大正1… 勘解由小路 資淳(かでのこうじ すけあつ、1922年〈大正11年〉1月4日 - 2019年〈平成31年〉2月2日)は、室町時代に栄えた日野家分家である烏丸家の分家に当たる勘解由小路家11代目の当主、子爵。山口県に在住し、日本一長い五文字の名字を持つ人物の一人であることでも知られていた。山形県山形市生まれ。 出生時の名は松村淳二。大分県知事や貴族院勅選議員を務めた松村義一の次男であり、戸籍上の父である勘解由小路資承は母方の祖父にあたる。4歳で資承の養嗣子となり、資淳に改名し、勘解由小路家11代目当主となった。 母の松村好子(まつむら いつこ)は子爵勘解由小路資承の長女であり、副島種臣の外孫でもあった。
鈴木 幸寿(鈴木 幸壽、すずき ゆきとし・こうじゅ、1922… 鈴木 幸寿(鈴木 幸壽、すずき ゆきとし・こうじゅ、1922年1月2日 - 2009年8月1日)は、日本の社会学者。東京外国語大学名誉教授。 福島県出身。東北帝国大学法文学部社会学科卒、同大学院特別研究生修了。東京外国語大学助教授、教授、学長を務め、名誉教授、明星大学教授、和洋女子大学学長を歴任。
小林 清志(こばやし きよし、1922年〈大正11年〉1月1… 小林 清志(こばやし きよし、1922年〈大正11年〉1月1日 - 2013年〈平成25年〉10月28日)は、日本の機械工学者。東北大学教授を経て、豊田工業大学学長や、日本伝熱学会会長、日本熱物性研究会会長等を歴任した。 長野県長野市生まれ。旧制長野商業学校(長野県長野商業高等学校)、旧制横浜高等工業学校、東北帝国大学工学部を経て、1949年同大学院修了。1959年文部省の在外研究員としてアルゴンヌ国立研究所留学。1960年東北大学教授。1970年静岡大学教授。1981年日本伝熱学会会長。1983年日本熱物性研究会会長。1984年 豊田工業大学教授、豊田工業大学副学長。1990年豊田工業大学第3代学長就任。
須崎 勝彌 (すさき かつや、1922年1月1日 - 201… 須崎 勝彌 (すさき かつや、1922年1月1日 - 2015年1月9日)は、日本の脚本家・小説家。日本統治時代の朝鮮京城府生まれ。鹿児島県いちき串木野市串木野地域出身。別名義に須崎 勝弥。 父が三菱鉱業に勤め、京城支社にいる頃に生まれる。市来尋常高等小学校(現いちき串木野市立市来小学校)在学を経て、1939年(昭和14年)旧制京城中学校卒業。1942年(昭和17年)旧制第一高等学校卒業。東北帝国大学法学部在学中の1943年(昭和18年)に学徒出陣となり、1944年(昭和19年)に卒業扱い。学徒出陣では出水海軍航空隊に少尉で任官され、沖縄戦線に出撃するなどをして茨城県百里海軍航空隊で終戦を迎えた。
荒木 繁(あらき しげる、1922年 - )は、日本の国文学… 荒木 繁(あらき しげる、1922年 - )は、日本の国文学者。和光大学名誉教授。 茨城県生まれ。1947年東北帝国大学法文学部国文科卒。同大学副手。東京都立西高等学校教諭在職中の1952年、「血のメーデー」事件で逮捕され、長く裁判で戦う(都立高校は休職扱いで給与は据え置かれたままだったという)。その後、和光大学人文学部教授。93年定年退任、名誉教授。語り物文芸、国語教育を専門とする。
佐々木 喜久治(ささき きくじ、1921年11月25日 - … 佐々木 喜久治(ささき きくじ、1921年11月25日 - 2008年5月6日)は、日本の内務官僚、自治官僚、政治家。秋田県知事を務めた。 1921年、秋田県小坂町に生まれる。秋田県第三中学校(現:秋田県立横手高等学校)、東北帝国大学法文学部法学科(現:東北大学法学部)を卒業。1946年3月 内閣戦争調査会事務局、同年 東京都経済局、1948年 秋田県総務部地方課長、1950年4月 地方財政委員会事務局税務部、1955年 大阪府総務部庶務課長、1959年 自治省財政局公営企業課長、1965年10月 自治省税務局財務課長、1966年7月 徳島県副知事、1971年9月 自治省税務局長等を歴任。 1973年11月に消防庁長官に就任。
松浦 高雄(まつうら たかお、1921年11月8日 - 20… 松浦 高雄(まつうら たかお、1921年11月8日 - 2005年4月12日)は、日本の経営者。小糸製作所社長、会長を務めた。 北海道出身。1945年に東北帝国大学工学部を卒業し、1946年にトヨタ自動車工業に入社。1972年5月に小糸製作所常務に就任し、1976年4月に専務、1979年6月に副社長を経て、1985年6月には社長に就任。1992年7月に会長、1995年6月に取締役相談役を経て、1997年6月に相談役に就任。 1988年に藍綬褒章を受章し、1993年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2005年4月12日腸閉塞のために死去。83歳没。
井倉 和也(いくら かずや、1921年〈大正10年〉10月1… 井倉 和也(いくら かずや、1921年〈大正10年〉10月11日 - 2010年〈平成22年〉1月30日 )は、日本の銀行家、経営者。滋賀銀行頭取を務めた。 東京都出身。194年に東北帝国大学法文学部法科を卒業し、1946年9月に日本銀行に入行。1972年8月に預金保険機構理事を経て、1974年11月に滋賀銀行副頭取に就任し、1979年6月には頭取に昇格。1989年6月には取締役相談役に退き、1992年4月に日本銀行政策委員会委員を経て、1996年4月には滋賀銀行特別顧問に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章。 2010年1月30日、癌のために死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
丸井 文男(まるい ふみお、1921年9月29日 - 199… 丸井 文男(まるい ふみお、1921年9月29日 - 1996年3月17日)は日本の精神医学者。専門は精神発達障害に関する研究。 長野県小県郡丸子町(現上田市)出身。昭和22年(1947年)東北帝国大学医学部卒業。昭和26年(1951年)名古屋大学医学部付属病院助手、同30年(1955年)同教育学部講師、同34年(1959年)助教授、同43年(1968年)教授。同58年(1983年)愛知教育大学学長、平成2年(1990年)長野大学学長。同7年(1995年)勲二等旭日重光章。昭和34年(1959年)名古屋大学より医学博士を取得(論文タイトルは『TATに関する研究』)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
佐藤 利三郎(さとう りさぶろう、1921年9月23日 - … 佐藤 利三郎(さとう りさぶろう、1921年9月23日 - 2011年4月12日)は、日本の工学者、工学博士。東北大学名誉教授。東北学院大学名誉教授。宮城県古川市(現大崎市古川)に生まれる。東京タワー(日本電波塔)の放送アンテナや、新幹線の通信システムの設計、開発に従事。通信工学の権威。 専門は通信工学、電気回路学、情報伝送工学、環境電磁工学で著書も多い。主な業績として次のものが挙げられる。
伊地知 重威(いじち しげたけ、1921年8月24日 - 2… 伊地知 重威(いじち しげたけ、1921年8月24日 - 2007年3月16日)は、日本の銀行家。埼玉銀行頭取を務めた。 埼玉県出身。1944年に東北帝国大学法文学部経済学科を卒業し、1945年に埼玉銀行に入行。 1973年5月に取締役に就任し、1975年10月に常務、1978年6月に専務を経て、1981年6月に副頭取に就任し、1976年4月には頭取に昇格。1987年6月に会長に就任し、1989年3月から1990年6月まで社長も兼任した。1991年4月に取締役相談役、同年6月に相談役、1998年4月に特別顧問を経て、同年12月には名誉顧問に就任。 1986年11月に藍綬褒章を受章。 2007年3月16日肺炎のために死去。
河本 國雄(かわもと くにお、1921年 <大正10年> 8… 河本 國雄(かわもと くにお、1921年 <大正10年> 8月1日 - 2011年 <平成23年> 9月25日)は、日本の経営者。第一証券社長、平和不動産社長を務めた。位階は正五位。 東京都出身。1944年に東北帝国大学法文学部経済学科を卒業し、1945年10月に日本勧業銀行に入行した。1952年12月に日本長期信用銀行に転じ、1964年11月に第一証券専務に就任し、1966年11月には社長に昇格。1975年11月から1986年11月までに東京証券取引所副理事長を務め、1987年6月から1994年6月までに平和不動産社長を務めた。 1993年4月に勲三等瑞宝章を受章した。 2011年9月25日、前立腺がんのために死去。
高橋 富雄(たかはし とみお、1921年7月28日 - 20… 高橋 富雄(たかはし とみお、1921年7月28日 - 2013年10月5日)は、日本の日本史学者。東北大学名誉教授。福島県立博物館名誉館長。 東北古代史研究の第一人者である。永年歴史上の謎とされて来た前九年の役の古文書に記述されている阿久利川事件発生地の比定に携わり、地道な郷土史研究と発掘作業により宮城県栗原市志波姫の迫川流域(阿久戸)の地域同定に至った。[要出典] 岩手県北上市生まれ[要出典]。旧制黒沢尻中学校(現岩手県立黒沢尻北高等学校)卒業[要出典]、1943年、東北帝国大学法文学部国史学科卒業。同大学大学院特別研究生を経て、旧制第二高等学校講師。1949年、東北大学教養部講師、その後同大助教授、教授となる。
楠 正弘(くすのき まさひろ、1921年7月10日-2009… 楠 正弘(くすのき まさひろ、1921年7月10日-2009年7月20日)は、日本の宗教学者。東北大学名誉教授。 京都府綾部市出身。浄土真宗の寺に生まれる。東北大学大学院文学部特別研究生博士課程修了。東北大学教養部助教授、文学部日本文化研究施設教授。79年「信仰の形成と本質構造」で東北大学文学博士。85年定年退官、名誉教授、武蔵野女子大学教授。堀一郎に師事し、宗教学から民間信仰へと研究を進めた。
酒井 高男(さかい たかお、1921年6月28日 - 202… 酒井 高男(さかい たかお、1921年6月28日 - 2022年4月25日)は、日本の機械工学者、東北大学名誉教授。 おもちゃ工学で知られた。 長野県上伊那郡西春近村(現伊那市)生まれ。旧制伊那中学(長野県伊那北高等学校)を経て、1944年東北帝国大学工学部航空工学科卒。同特別研究生。1949年東北大学工学部機械工学科助教授、1957年東北大学工学博士。1961年工学部機械工学科教授、1985年定年退官、名誉教授、山形大学工学部教授。1996年勲三等旭日中綬章受勲。1998年東北大学機械系同窓会会長。
伊江 朝雄(いえ ともお、1921年5月17日 - 2007… 伊江 朝雄(いえ ともお、1921年5月17日 - 2007年5月14日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員。北海道開発庁長官、沖縄開発庁長官。沖縄県出身者初の国務大臣として知られる。
星野 安三郎(ほしの やすさぶろう、1921年5月6日 - … 星野 安三郎(ほしの やすさぶろう、1921年5月6日 - 2010年3月13日)は、日本の法学者。専門は、憲法学・教育法。東京学芸大学名誉教授、立正大学名誉教授。 1921年、栃木県日光市に生まれる。旧制第二高等学校を経て、1943年に東北帝国大学法文学部法学科入学。入学直後に入営することとなり、戦後復員後に復学。1947年に同校を卒業し、東北大学特設研究科に進学して1948年に修了。同年、東京第三師範学校長の田中保房に誘われて同校の講師に就任。学制改革に伴い、東京学芸大学講師、助教授、教授として研究・教育活動を継続。1975年に日本学術会議中央選挙管理委員長、1981年に定年まで1年残して退任。