近藤 大雅(こんどう たいが、2005年9月18日 - )は… 近藤 大雅(こんどう たいが、2005年9月18日 - )は、兵庫県出身のプロ野球選手(捕手・育成選手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 中学時代は神戸市立上野中学校に在籍し、硬式野球チーム・神戸甲南ボーイズでは全国大会に出場。 専修大学北上高等学校では1年生秋から投手として公式戦に出場したが、チーム事情により2年生秋から捕手に転向。3年生夏の岩手県大会では出場全3試合でマスクを被り、打率.444・2打点を記録した。甲子園・全国大会出場は無し。 2023年10月26日に開催されたドラフト会議にて、横浜DeNAベイスターズから育成5位指名を受けた。11月17日に支度金300万円、年俸340万円で仮契約した(金額は推定)。
深沢 鳳介(ふかざわ おうすけ、2003年11月5日 - )… 深沢 鳳介(ふかざわ おうすけ、2003年11月5日 - )は、東京都江戸川区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 小学校1年生から地元の野球チーム「雷サンダース」で野球を始める。江戸川区立上一色中学校では軟式野球部に入部し、2年生の時に二塁手から投手に転向。中学では東京大会準優勝、関東大会優勝を果たす。 中学の2学年上に横山陸人がおり、横山を追って専修大学松戸高等学校へ進学。監督の持丸修一からサイドからのリリースが一番力の入る腕の高さだと見立てられ、入学後すぐにスリークォーターから横山と同じサイドスローに転向した。3年春にはエースとして第93回選抜高等学校野球大会に同校史上初出場。
西舘 昂汰(にしだて こうた、2001年6月9日 - )は、… 西舘 昂汰(にしだて こうた、2001年6月9日 - )は、福岡県筑紫野市吉木出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 吉木小学校、筑紫野中学校を経て進学した筑陽学園高等学校では3年春の第91回選抜高等学校野球大会、夏の第101回全国高等学校野球選手権大会に出場した。選抜大会ではリリーフで2試合に登板した。選手権大会では初戦の作新学院戦で先発登板したが延長戦で敗れた。高校では進藤勇也と同学年。 高校卒業後は専修大学へ進学。野球部では1・2年次までは成績を残せなかったが、3年次に臨時コーチとして指導に当たっていた同校OBの崔一彦の教えを受けて才能が開花、3年秋のリーグ戦で最優秀投手に選出された。
原 嵩(はら しゅう、1997年12月6日 - )は、茨城県… 原 嵩(はら しゅう、1997年12月6日 - )は、茨城県龍ケ崎市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 龍ケ崎市立松葉小学校、龍ケ崎市立長山中学校卒業。中学生時代は竜ケ崎シニアに所属。 専修大学松戸高校に入学すると、1年春からベンチ入りを果たすなど早い時期から頭角を現し、1年秋の新チームから背番号1を背負う。投手のほか外野手としても起用され、投打の双方でチームの中心を担った。2年夏は千葉大会決勝で東海大望洋高校に敗戦。3年夏は4番投手としてチームを牽引し、千葉大会決勝の習志野高校戦では満塁ランニング本塁打を打ち、チームを初の甲子園出場に導いた。甲子園1回戦の花巻東高校戦は5回途中で4点を失い降板し、試合も敗戦した。
渡邉 大樹(わたなべ だいき、1997年6月7日 - )は、… 渡邉 大樹(わたなべ だいき、1997年6月7日 - )は、千葉県松戸市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。 小学生時代は千葉県松戸市の小金原ビクトリーで野球を始める。 中学生時代は千葉県の硬式クラブチームの松戸リトルシニアに所属。自らの代ではキャプテンを務める。 中学3年時に200メートル走で全国大会に出ている。 専修大学松戸高等学校では1年秋から遊撃手のレギュラーに定着。3年夏に第97回全国高等学校野球選手権大会に出場し、1回戦の花巻東戦では2安打を放つも、チームは敗退。自身が最後の打者だった。高校通算17本塁打。チームメイトに原嵩がいた。 2015年10月22日に行われた2015年ドラフト会議で、東京ヤクルトスワローズから6位指名を受け、11月19日に契約金2500万円、年俸500万円で合意し、12月11日に新入団選手発表が行われた。
相沢 晋(あいざわ すすむ、1987年6月3日 - )は、新… 相沢 晋(あいざわ すすむ、1987年6月3日 - )は、新潟県西蒲原郡岩室村 (現在の新潟市西蒲区)出身の元プロ野球選手(投手)。 小学校4年の時に野球を始め、岩室中学校から新潟県立巻高等学校に進学。2年の秋から投手となり、先輩からはスライダーを教わった。3年時にはチームのエースとなり、同年の新潟県大会では、新潟明訓高等学校戦で12回2/3を投げたが、最後はサヨナラ負けを喫した。甲子園出場経験は無し。 その後、石巻専修大学に進学し宮城県石巻市に移住。2年の秋には、JR東日本東北時代の攝津正よりカーブとシンカーを教わった。4年春の南東北大学リーグでは、全11試合に先発し8勝の成績でMVPを獲得、最多勝、ベストナインも受賞。
土本 恭平(つちもと きょうへい、1985年10月13日 -… 土本 恭平(つちもと きょうへい、1985年10月13日 - )は、岐阜県土岐市出身の元プロ野球選手(投手)。 岐阜県立土岐商業高等学校から本格的に投手を始め、3年夏は県大会ベスト4となり、専修大学に進学。大学4年時の2007年春季のみだったが、1部リーグ通算7試合に登板、3勝3敗、防御率3.47、45奪三振、2部通算は8試合、2勝3敗をマーク。大学の1年先輩には後に読売ジャイアンツでもチームメートになる松本哲也、福岡ソフトバンクホークスの長谷川勇也、BREATHEの宮田慧がいる。社会人では、主に中継ぎ・抑えとして活躍。三菱自動車岡崎の補強選手として第80回都市対抗野球大会に救援登板した。 2009年のドラフト会議で読売ジャイアンツに3位で指名され、メジャー移籍した上原浩治の背番号19を引き継いだ。
長谷川 勇也(はせがわ ゆうや、1984年12月22日 - … 長谷川 勇也(はせがわ ゆうや、1984年12月22日 - )は、山形県鶴岡市出身の元プロ野球選手(外野手、右投左打)、プロ野球コーチ。 小学校に入る前に5歳上の兄が所属する少年野球の練習を見たことをきっかけに野球に興味を持ち、鶴岡市立大泉小学校3年生時に両親の許可が下りて大泉スポーツ少年団で軟式野球を始めた。鶴岡市立鶴岡第四中学校でも軟式野球部に所属し、主に投手としてプレーしていた。 酒田南高等学校に進学すると、1年秋に外野手に転向し、2年夏、3年春・夏と3季連続で甲子園出場を果たした。1学年下の後輩に元オリックス・バファローズの小林賢司がいた。 専修大学では1年春からレギュラーに定着し、3年秋には東都大学リーグ2部首位打者、4年秋には41打数14安打で打率.341、6本塁打を打ちMVPを獲得した。
芦沢 明(あしざわ あきら、1983年11月11日 - )は… 芦沢 明(あしざわ あきら、1983年11月11日 - )は、山梨県甲州市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 山梨県の日本航空高等学校3年夏には、八木智哉らと共に甲子園に出場。東都の専修大学に進学し、レギュラーで活躍。1部通算4試合4打数1安打、打率.250。その後、社会人野球のシダックスで野球を続けた。 2006年11月に行われた読売ジャイアンツの新人テストに合格し、育成選手ドラフト5巡目で指名され入団。同年限りで廃部となったシダックスが最後に輩出したプロ選手の一人だった。 二軍では16試合に出場したが打率.208と結果を残せず、また試合中に右手人さし指を剥離骨折。
深澤 季生(ふかざわ としお、1983年7月30日 - )は… 深澤 季生(ふかざわ としお、1983年7月30日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(捕手)、元コーチ。右投右打。現役引退後は横浜DeNAベイスターズのブルペン捕手を務めた。 藤嶺学園藤沢高校ではエースで4番打者を務め、専修大学進学後も1年の秋から主戦で活躍し、大学でもエースを務めた。2年春に2部リーグ優勝に貢献して最優秀投手となり、入替戦では2試合に先発するも那須野巧が3連投した日本大学に敗れた。4年生のときにはイップスに陥ってしまう。 大学卒業後は地元のクラブチーム・神奈川BBトリニティーズ(現:横浜ベイブルース)に入団後、投手から捕手に転向。ちょうどチームに捕手が不足していたことと、打撃や肩に自信があったことから転向を決意した。
畠山 和洋(はたけやま かずひろ、1982年〈昭和57年〉9… 畠山 和洋(はたけやま かずひろ、1982年〈昭和57年〉9月13日 - )は、岩手県花巻市出身の元プロ野球選手(内野手・外野手、右投右打)、コーチ。 小学校から野球を始め、4年時には地元の少年団チームに加入した。当時は野球だけでなくバスケットボールなど他のスポーツも楽しんでいた。進学した中学校にはバスケ部が無かったため、野球に集中する。ずば抜けた飛距離の打撃で活躍したが、フォームは我流であった。中学3年の時に県大会で優勝している。その後、実兄がエースを務めており、1972年に実父も投手として所属し選抜出場を果たしている、専修大学北上高等学校に進学した。1年から三塁のレギュラーに定着し、打撃フォーム矯正にも成功した。
江草 仁貴(えぐさ ひろたか、1980年9月3日 - )は、… 江草 仁貴(えぐさ ひろたか、1980年9月3日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(投手)。妻は元バレーボール日本代表の竹下佳江。マネジメント契約先はスポーツビズ。
高橋 敏郎(たかはし としろう、1980年7月19日 - )… 高橋 敏郎(たかはし としろう、1980年7月19日 - )は、山形県新庄市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 高校では2、3年夏は県大会ベスト4。大学では4年春に南東北大学野球リーグ三冠王、最優秀選手を獲得。当時全国では無名であったが、チーム初出場の大学選手権でもセカンドへの送球が1.7秒台を記録するなど、強肩強打の捕手としてプロスカウトに注目される。ベストナイン3回。 いち早く、読売ジャイアンツが目を付け、リーグ戦などにも通ったが[要出典]、最終的に2002年のドラフト会議でヤクルトスワローズから7巡目で指名され入団。 入団当初は環境に馴染むのに苦労したが、2005年には二軍でレギュラー級の活躍を重ねた。
杉山 春樹(すぎやま はるき、1980年5月7日 - )は、… 杉山 春樹(すぎやま はるき、1980年5月7日 - )は、茨城県北相馬郡利根町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は埼玉西武ライオンズプロスカウト。 竜ヶ崎第一高校時代からプロ注目の投手であったが、卒業後は専修大学に進学。大学時代は、1年上に酒井泰志、同期に江草仁貴らの投手陣が揃っており主戦格ではなかった。1部リーグは1年春と4年秋のみで、通算2試合に登板、0勝0敗、防御率0.00。 大学では1年夏に右ひじを手術後あまり登板機会はなく、4年以降は大学に籍を置き1年間アルバイト生活をしながら、プロ入りを目指し練習を行なっていた。2003年のドラフト会議にて西武ライオンズから8巡目の指名を受け入団。
酒井 泰志(さかい やすし、1979年4月25日 - )は、… 酒井 泰志(さかい やすし、1979年4月25日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手(投手)。 大宮東高では2年夏の県大会準優勝も控え。専修大学に進学。2年春までの3季は1部で、東都大学1部リーグ通算16試合に登板、4勝6敗、防御率3.07、40奪三振を記録。4年時はエースで主将を務めて春秋優勝、秋は最優秀投手となり入替戦も初戦は完封勝利するがチームは2連敗。2部では通算20勝。1年下に江草仁貴がいた。卒業後は、いすゞ自動車に入社。 2002年には、いすゞ自動車入社1年目に第73回都市対抗野球大会で優勝に貢献し、若獅子賞を獲得。いすゞ自動車は同年限りでの活動休止が決まっており、この年のオフにドラフト7巡目で千葉ロッテマリーンズに入団。
萩原 多賀彦(はぎわら たかひこ、1975年9月9日 - )… 萩原 多賀彦(はぎわら たかひこ、1975年9月9日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。
安藤 正則(あんどう まさのり、1975年5月21日 - )… 安藤 正則(あんどう まさのり、1975年5月21日 - )は、千葉県千葉市出身の元プロ野球選手(投手)。 専大松戸高では速球投手として注目されたが、当初は野球を続けるつもりはなかった。そのため一般入学で専修大学に進むが、2年上に小林幹英、1年先輩に黒田博樹がいたため、4年から主戦投手となった。4年秋には最優秀投手、ベストナインに選ばれた。1部リーグ通算22試合8勝7敗防御率3.36、2部通算3試合1勝0敗、防御率6.75。1997年度ドラフト会議にて西武ライオンズから1位指名を受け、入団。当時高橋由伸をマークしていたが獲得が難しくなっての指名だったという。 スライダーを軸とした変化球に加え150kmを超える速球を持ち、即戦力右腕として期待されていたが、一年目のキャンプでフォーム改造を勧められ取り組んだが失敗し、制球難に苦しみ、結局一軍での登板機会がないまま2002年シーズンオフに退団。
黒田 博樹(くろだ ひろき、1975年2月10日 - )は、… 黒田 博樹(くろだ ひろき、1975年2月10日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。野球解説者。
小林 幹英(こばやし かんえい、1974年1月29日 - … 小林 幹英(こばやし かんえい、1974年1月29日 - )は、広島県生まれ、新潟県新潟市東区育ちの元プロ野球選手(投手、右投右打)、コーチ。現在は広島東洋カープの三軍投手育成強化コーチを務めている。 父が国家公務員であったため、幼少期は転勤で全国を転々とする。小学4年時から新潟市東区に定住。新潟東リトルリーグで本格的にプレーを開始し、新潟市立藤見中学校3年時の1988年、新潟市営鳥屋野公園球場で開催されたヤクルトスワローズ対中日ドラゴンズ戦の試合前には始球式を務めた。 新潟明訓高校では3年時に同校初となる第73回全国高等学校野球選手権大会に出場するも開幕戦で岡本克道を擁した柳ヶ浦高校に敗れた。
須田 喜照(すだ よしてる、1970年10月13日 - )は… 須田 喜照(すだ よしてる、1970年10月13日 - )は、社会人野球の選手(投手)。東芝硬式野球部に所属していた。
伏島 良平(ふせじま りょうへい、1970年4月10日 - … 伏島 良平(ふせじま りょうへい、1970年4月10日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(捕手、内野手)。 千葉県の市立船橋高校では、立石尚行とバッテリーを組んで3年春にセンバツ出場。 専修大学への進学と言われるなか、1988年のドラフト外で巨人に入団。 一軍公式戦出場のないまま、内野手に転向した1996年限りで引退。 引退後は千葉商科大学でコーチを務める。
町田 公二郎(まちだ こうじろう、1969年12月11日 -… 町田 公二郎(まちだ こうじろう、1969年12月11日 - )は、高知県高知市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)、野球指導者。2013年より三菱重工広島硬式野球部のヘッドコーチ、2015年からは監督を務めている。
武藤 潤一郎(むとう じゅんいちろう、1969年3月15日 … 武藤 潤一郎(むとう じゅんいちろう、1969年3月15日 - )は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手(投手)。 吉原商業高卒業後、専修大学に進学。岡林洋一(元ヤクルト)、杉山賢人(元西武など)が同期。1年後輩に町田公二郎(元広島など)がいた。東都リーグ最多となる31回目の優勝に貢献。1部リーグ通算35試合に登板、6勝8敗、防御率3.54。 大学卒業後、プリンスホテルでは1992年に都市対抗野球で完封や好リリーフにより優秀選手賞、1992年度ドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから1位指名を受けて入団。ドラフト指名時は、千葉マリンスタジアム近くに建設中の幕張プリンスホテルで工事用のヘルメットを着用して写真撮影に応じた。
杉山 賢人(すぎやま けんと、1968年12月12日 - )… 杉山 賢人(すぎやま けんと、1968年12月12日 - )は、静岡県沼津市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者、日本女子プロ野球機構ノース・レイア元監督。 バルセロナオリンピック野球の銅メダリスト。 静岡県沼津市で化学工場を営む家庭に生まれる。賢い人間になってほしいとの願いから「賢人」と命名され、スーパーマンのクラーク・ケントからもヒントを得たという。摘んできた花を飾るような繊細な性格であったが、小学校3年生の時にバッティングセンターで大人向けの速球を打ち返し、親の勧めで翌年から野球を始めた。小柄ながら優れた打撃を見せ、少年野球の県大会では特別敢闘賞を受賞している。 沼津市立金岡中学校では、2年生の夏にエースが負傷したのをきっかけに投手に転向した。
長谷高 成泰(はせだか なりやす、1968年7月20日 - … 長谷高 成泰(はせだか なりやす、1968年7月20日 - )は、大阪府出身のアマチュア野球選手(内野手)・監督。
岡林 洋一(おかばやし よういち、1968年4月11日 - … 岡林 洋一(おかばやし よういち、1968年4月11日 - )は、元プロ野球選手(投手)。現在は東京ヤクルトスワローズスカウト。
佐野 心(さの こころ、1967年1月23日 - )は、静岡… 佐野 心(さの こころ、1967年1月23日 - )は、静岡県浜松市出身の元プロ野球選手(外野手)。2004年4月に常葉学園菊川高等学校硬式野球部の部長に就任し、一時は監督を務めた。
宮里 太(みやざと ふとし、1965年3月7日 - )は、沖… 宮里 太(みやざと ふとし、1965年3月7日 - )は、沖縄県中頭郡美里村(現・沖縄市)出身の元プロ野球選手。
西 俊児(にし しゅんじ、1965年1月17日 - )は、和… 西 俊児(にし しゅんじ、1965年1月17日 - )は、和歌山県海南市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。 叔父に元プロ野球選手の西五十六・西三雄兄弟がいる。 和歌山・大成高は川の近くにある学校で、グラウンドに岩が出ている時もあった。ノックを受けると、球がイレギュラーして体に当たるため、球に体で向かってゆくようになった。3年次の1982年、遊撃手として春の選抜に出場。静岡市立高を降し2回戦に進むが、中京高の野中徹博投手に0-1で完封負けを喫する。同年夏の県予選では準々決勝に進むが、新宮高に9回サヨナラ負けを喫し、甲子園には届かなかった。 高校卒業後は1983年に専修大学へ進学し、関清和・畝龍実両投手に宮里太捕手と同期になるが、東都大学野球リーグでは二部降格も経験。
関 清和(せき きよかず、1964年9月26日 - )は、茨… 関 清和(せき きよかず、1964年9月26日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 鉾田一高時代から速球投手として有名な存在だった。2年時の1981年秋季関東大会では準々決勝に進むが、横浜商業高の三浦将明と投げ合い0-1で惜敗、春の選抜出場を逸する。翌1982年夏の甲子園県予選は、決勝で羽生田忠克のいた土浦日大高を降し、甲子園出場を決める。しかし本大会では2回戦(初戦)で広島商業高に2-6で敗退した。 高校卒業後は、専修大へ進学。東都大学リーグでは1983年秋季リーグで二部に降格するが、1985年春季は最優秀投手、秋季リーグも2季連続で二部優勝、翌季から一部に復帰した。1986年秋季リーグで、当時の東都大学野球の記録上円子宏に次ぐ2位となるシーズン81奪三振を記録。
畝 龍実(うね たつみ、1964年6月21日 - )は、広島… 畝 龍実(うね たつみ、1964年6月21日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(投手)。1992年の登録名は畝 辰実(読み同じ)。
大野 雄次(おおの ゆうじ、1961年2月2日 - )は、千… 大野 雄次(おおの ゆうじ、1961年2月2日 - )は、千葉県富津市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。
定岡 徹久(さだおか てつひさ、1960年7月23日 - )… 定岡 徹久(さだおか てつひさ、1960年7月23日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手、俳優。
山沖 之彦(やまおき ゆきひこ、1959年7月26日 - )… 山沖 之彦(やまおき ゆきひこ、1959年7月26日 - )は、高知県幡多郡黒潮町出身の元プロ野球選手(投手)・野球指導者、野球解説者。 中学校ではバスケットボール部に所属。すぐにレギュラーとなったが「練習がきつくて」2年生時に野球部に移るも、活躍はできなかった。野球を続ける気はなかったが、進学先の中村高校で熱心に勧誘され、入部するとたちまち頭角を現す。1977年の春の選抜にエースとして出場(チームメンバー12名で「二十四の瞳」と称された)。1回戦第1試合で戸畑高を完封し波に乗る。準々決勝では天理高の福家雅明に投げ勝った。決勝まで勝ち進み、石井雅博や上川誠二のいた箕島高と対戦。左腕エース東裕司(三菱自動車水島)と投げ合うが0-3で完封を喫し、準優勝にとどまった。
中尾 孝義(なかお たかよし、1956年2月16日 - )は… 中尾 孝義(なかお たかよし、1956年2月16日 - )は、兵庫県加西郡北条町(現:加西市)出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督・スカウト。愛称は「一休さん」。
金島 正彦(かねしま まさひこ、1953年11月29日 - … 金島 正彦(かねしま まさひこ、1953年11月29日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 武相高等学校ではエース根建忍を擁し、遊撃手、一番打者として1970年秋季関東大会に進むが、1回戦で木更津中央高に敗れる。翌1971年夏の甲子園県予選では決勝に進むが、桐蔭学園の大塚喜代美、土屋恵三郎のバッテリーに抑えられ敗退、甲子園出場を逸する。卒業後は専修大学へ入学。大学同期に大屋好正がいたが、1年で大学を中退し読売ジャイアンツの練習生となる。 1973年のドラフト7位で読売ジャイアンツに指名され入団。1974年のジュニア・オールスターにも選出されるが、一軍公式戦に出場しないまま1978年限りで引退。
大屋 好正(おおや よしただ、1953年10月26日 - )… 大屋 好正(おおや よしただ、1953年10月26日 - )は、和歌山県海南市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
宮崎 剛(みやざき たけし、1953年9月12日 - )は、… 宮崎 剛(みやざき たけし、1953年9月12日 - )は、元アマチュア野球選手である。ポジションは内野手。 父親は西鉄で監督も務めた宮崎要。佼成学園高校卒業後に専修大学に入学する。 大学卒業後は、社会人野球の東芝のチームに入団し、1981年の都市対抗野球では大会優秀選手に選ばれ、同年の社会人ベストナインにも選ばれた。 1983年の都市対抗野球では親子二代に渡って、橋戸賞を受賞し、首位打者にも受賞した。同年のベストナインにも選ばれた。同年のアジア野球選手権大会の全日本メンバーにも選ばれた。
吉武 正成(よしたけ まさのり、1953年1月2日 - )は… 吉武 正成(よしたけ まさのり、1953年1月2日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 山口県防府市で生まれ、その後は広島県広島市への転居に伴い広島商へ進む。しかしまたも転居により山口県桜ヶ丘高等学校に移った。エースとして1年下の山形和幸とバッテリーを組む。1970年春季中国大会県予選準決勝に進むが、早鞆高に敗退。同年夏の甲子園県予選でも、準決勝で松崎泰治のいた防府商に敗退した。高校時代には完全試合を達成した事もある[要出典]。卒業後は専修大学に入学。当時の専大は東都大学野球リーグ二部に低迷していたが、1年下の大屋好正と投の二本柱を組み、1974年春季リーグに二部優勝。入替戦で青学大を降し一部リーグ昇格に貢献する。
米山 哲夫(よねやま てつお、1948年4月27日 - )は… 米山 哲夫(よねやま てつお、1948年4月27日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 横浜高校では、1965年秋季関東大会準決勝に進むが大宮高に敗退。翌1966年夏の甲子園県予選は準々決勝で慶應高に敗れ、甲子園には届かなかった。卒業後は専修大学に進むが1年で中退。浜田産業を経て東芝に入社、1970年の産別大会に日立製作所の補強選手として出場。 同年のドラフト5位で西鉄ライオンズへ入団。1年目から一軍に上がり、6月からは二塁手、三塁手として31試合に先発出場。1972年にはジュニアオールスターにも選出された。その後も内野の準レギュラーとして起用されるが、1975年に西沢正次、松林茂とのトレードで三輪悟と共に広島東洋カープへ移籍。
芝池 博明(しばいけ ひろあき、1946年6月21日 - )… 芝池 博明(しばいけ ひろあき、1946年6月21日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。
山本 真一(やまもと しんいち、1946年4月5日 - )は… 山本 真一(やまもと しんいち、1946年4月5日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
佐野 真樹夫(さの まきお、1943年12月20日 - )は… 佐野 真樹夫(さの まきお、1943年12月20日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。
大輪 弘之(おおわ ひろゆき、1943年 - 2024年6月… 大輪 弘之(おおわ ひろゆき、1943年 - 2024年6月)は、東京都出身の高校野球指導者。 高校は専修大学附属京王高等学校でプレー。 大学は東都大学野球の亜細亜大学に進学。 大学卒業後は長野県の武蔵工業大学付属信州工業高等学校(後の武蔵工業大学第二高等学校で現在の東京都市大学塩尻高等学校)に赴任。野球部の監督として菊池涼介ら数多くのプロ野球選手を育てた。 監督退任後の2008年から2018年までは長野朝日放送の解説者を務めた。その後はボーイズリーグの「諏訪ドリーム」のコーチを務めていた。 2024年6月に死去。80歳没。
寺岡 孝(てらおか たかし、1942年9月13日 - 201… 寺岡 孝(てらおか たかし、1942年9月13日 - 2011年2月4日)は、宮崎県出身のプロ野球選手(外野手、一塁手)、野球指導者。
前川 芳男(まえかわ よしお、1941年11月20日 - 2… 前川 芳男(まえかわ よしお、1941年11月20日 - 2024年4月26日)は元プロ野球審判員。2010年まで審判部特命顧問。 横浜市立桜丘高等学校から専修大学、興亜電工、横浜ナショナルサービスを経て1967年パシフィック・リーグ審判部入局。後に審判部副部長となった五十嵐洋一(1998年退職)とは同期生である。審判員袖番号は25(1977年初採用から。ただし、審判員指導員に転じた1998年以降は空き番。当時パ・リーグでは審判は指導員に転じると袖番号を返上するという暗黙のルールがあったため)。 順調にキャリアを積み、1978年から1995年までほぼ毎年、パリーグの審判の代表として日本シリーズの審判を務め、そのうち1979年は江夏の21球で有名となった第7戦の球審を務めたり、1988年の10.19第2試合で球審を務めたりして後年にも語り継がれている。
堀込 基明(ほりごめ もとあき、1939年10月31日 - … 堀込 基明(ほりごめ もとあき、1939年10月31日 - 1997年2月16日)は、長野県小諸市出身のプロ野球選手(外野手)。愛称は「モーやん」。 小諸商業高校から専修大学へ進学。東都大学野球リーグでは1959年春季リーグで優勝。直後の全日本大学野球選手権大会では、エース坂井勝二を擁し準決勝に進出するが、木次文夫、近藤昭仁らのいた早大に敗退。1960年秋季リーグでも山本兵吾の好投もあって在学中2回目の優勝を飾った。大学の1年上には坂井(3年で中退)、山本の他に、後にプロで同僚となる小池兼司がいた。1961年春季リーグでは首位打者を獲得。リーグ通算89試合出場、288打数95安打、打率.330、4本塁打、35打点。
小池 兼司(こいけ けんじ、1939年2月5日 - )は、静… 小池 兼司(こいけ けんじ、1939年2月5日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。内野手。
山本 兵吾(やまもと ひょうご、1938年8月31日 - 1… 山本 兵吾(やまもと ひょうご、1938年8月31日 - 1999年9月16日)は、広島県出身のプロ野球選手(投手)。 福山誠之館高校、備後通運から専修大学へ進学。東都大学リーグでは在学中4回優勝。同期のエース坂井勝二の陰に隠れがちだったが、坂井は3年で中退しプロ入り。その後はエースの座を引き継ぎ、4年生時は1960年春季リーグで8勝2敗を記録。チームは2位に終わるが最優秀投手、ベストナインに選出される。同年秋季リーグでは8勝3敗を挙げて優勝に貢献、最高殊勲選手とベストナインを受賞。リーグ通算36試合登板し18勝6敗、防御率1.59、141奪三振。坂井以外の大学同期に小池兼司、1年下に堀込基明がいる。
興津 立雄(おきつ たつお、1936年5月19日 - )は、… 興津 立雄(おきつ たつお、1936年5月19日 - )は、静岡県焼津市出身の元プロ野球選手(三塁手)。旧名は「達雄」。