髙木 丈太郎(たかぎ じょうたろう、1927年〈昭和2年〉4… 髙木 丈太郎(たかぎ じょうたろう、1927年〈昭和2年〉4月10日 - 2016年〈平成28年〉3月5日)は、日本の実業家。三菱地所取締役社長・取締役会長、日本空手道松濤會理事長などを歴任した。 東京生まれ。1950年中央大学経済学部卒業後、三菱地所入社。三菱重工本社ビル爆破事件では管理部長として、事態収拾の指揮を執った。1987年取締役社長、1994年取締役会長、1997年相談役、2015年名誉顧問。 1993年に藍綬褒章を受章、2003年に旭日重光章を受章。 この間、1994年から2014年まで日本ビルヂング協会連合会会長(のち名誉会長)、1994年から2015年まで東京ビルヂング協会会長(のち名誉会長)を歴任した。
浅井 東兵衛(あさい とうべえ、1927年(昭和2年)2月2… 浅井 東兵衛(あさい とうべえ、1927年(昭和2年)2月25日 - 2019年(平成31年)3月16日)は、昭和から平成期の実業家、政治家。一関市長。 岩手県一関市出身。1950年(昭和25年)中央大学専門部中退。郷里に帰り、石油製品販売業を営む。1995年(平成7年)岩手県議会議員に当選、1期務めた。1999年(平成11年)の一関市長選に立候補して初当選した。2003年(平成15年)でも再選。2005年(平成17年)に一関市は近隣の6町村と合併し、新一関市が発足。合併直後の一関市長選挙では無投票で当選した。2009年(平成21年)に引退した。2010年(平成22年)に建設事業関係功労者として国土交通大臣表彰を受賞。
金井 大(かない だい、1927年〈昭和2年〉1月29日 -… 金井 大(かない だい、1927年〈昭和2年〉1月29日 - 2001年〈平成13年〉6月17日)は、日本の俳優、声優。 長男は俳優の金井節。 群馬県高崎市出身。中央大学専門部法科中退。舞台芸術学院卒業。 劇団群芸、劇団泉座、新協劇団、劇団中芸、東京芸術座、劇団三期会、劇団青俳を経て、小川企画、現代制作舎、東京俳優生活協同組合、中里事務所などに所属していた。 小学校の教員をしていたがまもなく俳優に転向。劇団河童座の設立に参加。小川四郎の芸名で活動した後、高崎演劇サークル設立を経て、劇団群芸に入団。群芸退団後は上京し、劇団泉座に参加。 初舞台は『明るい部屋』の鋼鉄工役。 新藤兼人監督の『第五福竜丸』『竹山ひとり旅』などの映画に出演した他、テレビドラマや舞台などで主に脇役として活躍。
坂川 山輝夫(さかがわ さきお、1927年 - )は、日本の… 坂川 山輝夫(さかがわ さきお、1927年 - )は、日本のコミュニケーション専門家、ビジネスコーチ。 電気通信大学・中央大学法学部卒業。エンジニア、営業マン、業界紙記者、国家公務員を経て、1968年、株式会社現代コミュニケーション・センターを設立。数多くの企業・官公庁の研修を担当。 1973年から2002年まで30年にわたり、現代コミュニケーション・センター所長として春にその年の新入社員のタイプをネーミングとして発表していた。2003年から2017年は日本生産性本部の「職業のあり方研究会」が、2018年以後は産労総合研究所が新入社員タイプを発表している。 2015年10月の時点で埼玉県さいたま市在住。
所 雄章(ところ たけふみ、1927年 - 2012年)は、… 所 雄章(ところ たけふみ、1927年 - 2012年)は、日本の哲学研究者、中央大学名誉教授。デカルト研究が専門。
穴井 太(あない ふとし、1926年12月28日 - 199… 穴井 太(あない ふとし、1926年12月28日 - 1997年12月29日)は、日本の俳人。 大分県玖珠郡(現・九重町)に生まれる。幼時に福岡県戸畑に転居。中央大学専門部経済科卒業後、肺浸潤のため帰省、療養ののち中学校教師の職に就く。1954年、横山白虹の「自鳴鐘」入会。1956年、北九州市で益田清らと「未来派」を創刊。1963年金子兜太の「海程」同人。1965年「天籟通信」をハガキ版で発行(のち俳誌形態となる)。1968年第4回海程賞受賞。1974年第20回現代俳句協会賞受賞。石牟礼道子を俳句に導き『天』(1986)を刊行したことでも知られる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
石井 庄八(いしい しょうはち、1926年9月20日 - 1… 石井 庄八(いしい しょうはち、1926年9月20日 - 1980年1月4日)は、千葉県市川市出身の元レスリング選手。
田川 融(たがわ とおる、1926年(大正15年)9月18日… 田川 融(たがわ とおる、1926年(大正15年)9月18日 - )は、日本の実業家。 熊本県民テレビ元社長。日本テレビ放送網元常務取締役。甥は第36代長崎市長の鈴木史朗。 長崎市長を務めた田川務の長男として生まれる。1951年(昭和26年)中央大学法学部法学科を卒業。1970年(昭和45年)12月日本テレビ放送網人事局長、1973年(昭和48年)5月同社取締役、1981年(昭和56年)6月同社常務取締役に就任。1982年(昭和57年)6月日本テレビ放送網を退職。のち熊本県民テレビ社長を務める。 妻のおじに小説家で天台宗僧侶の今東光や、作家・評論家で初代文化庁長官を務めた今日出海(ひでみ)がいる。
森田 一哉(もりた かずや、1926年〈大正15年〉9月9日… 森田 一哉(もりた かずや、1926年〈大正15年〉9月9日 - 2007年〈平成19年〉5月19日)は、神奈川県横浜市出身の宗教家。 1926年、創価学会理事(財務部長)の森田悌二とカヤの長男として生まれる。 1942年、創価教育学会(後の創価学会)に入会する。少年の頃、創価教育学会会長・牧口常三郎(創価学会初代会長)の謦咳に接している。戦後、1951年、中央大学卒業。在学中から創価学会の活動を行う。創価学会第2代会長の戸田城聖の時代から、池田大作(後の同会第3代会長、現・名誉会長)と共に草創期に尽力する。 2007年5月19日、慢性腎不全のため死去。享年80。葬儀は本人の意向により、家族葬で行われた。
古瀬 卓男(ふるせ たくお、1926年(大正15年)9月5日… 古瀬 卓男(ふるせ たくお、1926年(大正15年)9月5日 - 2007年(平成19年)11月10日)は、日本の教育者・教育学者・教育法学者・元学校経営者。北海道女子短期大学元学長。北海道女子短期大学の草創期を教職員として支えた一人。 北海道生まれ。旧制中学校卒業後、戦時中は赤紙によって徴兵。復員後、旧制中学校の事務職員。中央大学校外生制度を経て、1948年中央大学法学部通信教育課程に入学。1948年札幌市立商業高等学校常勤講師(非常勤教員)。1952年(昭和27年)中央大学法学部卒業。1956年(昭和31年)北海道大学教育学部卒業。1956年札幌創成商業高等学校教諭。1960年北海道札幌旭丘高等学校社会科教諭。
奥山 則男(おくやま のりお、1926年 <大正15年> 8… 奥山 則男(おくやま のりお、1926年 <大正15年> 8月29日 - 2016年 <平成28年> 4月29日)は日本の政治家。練馬区議会議員(2期)、東京都議会議員(8期)、第34代東京都議会議長を歴任した。位階は正五位。 1926年8月29日、山形県新庄市に生まれる。東京学芸大学卒業後、1950年、中央大学経済学部卒業し、日本経済新聞社に入社する。営業部長を経て、1963年に練馬区議会議員に当選し、2期6年務める。1964年、広放社を設立し、代表となる。1971年4月11日の東京都議会議員補欠選挙に練馬区選挙区から立候補し、初当選する。都議会では、公害首都整備委員会委員長(1974年、1975年から1976年)、都市計画公害委員会委員長(1976年)、予算特別委員会委員長(1983年)、東京都監察委員(1983年から1984年)、全都道府県監察委員協議会連合会会長(1983年から1984年)、都議会自民党幹事長(1985年から1986年)、議会運営委員会委員長(1985年から1986年)を歴任した。
阿部 三郎(あべ さぶろう、1926年7月6日 - 2010… 阿部 三郎(あべ さぶろう、1926年7月6日 - 2010年9月8日)は、日本の弁護士。日本弁護士連合会会長や、中央大学理事長を歴任した。阿部法律事務所主宰。1996年より宗教団体オウム真理教の破産管財人。 1926年宮城県生まれ。宮城県石巻商業高等学校出身、中央大学法学部卒業。 司法修習第六期を経て1954年4月に弁護士登録、東京弁護士会入会。 1960年代には社会問題化した売血制度の廃止を働きかけ、弁護士会人権擁護委員会の建議書を通じ売血制度の廃止を実現。 1970年以降、東京弁護士会副会長、日本弁護士連合会事務総長、東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長、日本弁護士連合会会長を歴任。 1996年3月、宗教団体オウム真理教の破産宣告を受けて破産管財人に就任。
榎本 和平(えのもと わへい、1926年6月23日 - 20… 榎本 和平(えのもと わへい、1926年6月23日 - 2006年4月24日)は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員。1996年勲三等旭日中綬章。2006年従五位。 山形県天童市出身。中央大学経済学部卒業後、山形新聞に入社。整理部記者などを歴任。木村武雄秘書を経て、山形県議会議員を4期務め、自民党県連幹事長、県議会副議長等を担った。 1983年の衆議院議員総選挙山形1区で木村武雄の後継として田中角栄派(木曜クラブ)から出馬。67300票を獲得し初当選。 1985年1月27日、竹下登は田中に「若手といっしょに勉強会をやりたい」と告げた。田中は「いいだろう」と答え、竹下らは翌日から入会勧誘を開始した。
土屋 義彦(つちや よしひこ、1926年〈大正15年〉5月3… 土屋 義彦(つちや よしひこ、1926年〈大正15年〉5月31日 - 2008年〈平成20年〉10月5日)は、日本の政治家。 参議院議員(5期)、参議院議長(第17・18代)、環境庁長官(第11代)、埼玉県知事(第54・55・56代)、埼玉県議会議員(2期)、自由民主党最高顧問、自由民主党参議院議員会長を歴任した。 土屋家は大工を営んでおり、父・澄男は家業から技術を習得し、内務省技師として茨城県行方郡潮来町(現:潮来市)に赴任していた頃に義彦が生まれた。次弟は昭二(大正製薬会長)、三弟は祐三。 義彦が6歳の時に父が急性肺炎で死去。母・初江は義彦らを残して家を去ったため、義彦と祐三は東京府北豊島郡高田町(現:東京都豊島区高田)で大工を自営していた父方の祖父母である土屋仁作・たつも夫妻に引き取られた。
大原 光憲(おおはら みつのり、1926年5月1日 - 19… 大原 光憲(おおはら みつのり、1926年5月1日 - 1992年7月23日)は、日本の政治学者。中央大学名誉教授。 福島県会津若松市出身。1948年水戸高等学校 (旧制)卒業。1953年中央大学法学部卒業、1955年同大学院法学研究科政治学専攻修士課程。1956年明治大学大学院政治経済研究科政治学専攻博士課程中退。1956年中央大学法学部助手。1960年同法学部助教授。1967年同法学部教授。中央大学では「政治学原論」「政治過程論」「地域政治」の講義を担当していた。1982年中央大学学生部長。1983年中央大学にて法学博士受く。1991年東京都知事選挙に日本社会党推薦で出馬。横山桂次、篠原一、吉武輝子らの推薦を受けたが落選。
宮井 勝成(みやい かつなり、1926年4月14日 - )は… 宮井 勝成(みやい かつなり、1926年4月14日 - )は、中央大学硬式野球部総監督。元中央大学硬式野球部監督、元早稲田実業学校硬式野球部監督。
鈴木 満 (すずき みつる、1926年3月3日 - 2017… 鈴木 満 (すずき みつる、1926年3月3日 - 2017年5月29日) は、東京市深川区 (現:東京都江東区) 出身の詩人である。 3人兄弟 (妹1人、弟1人) の長男として東京市深川区で生まれた。太平洋戦争中は現在の茨城県稲敷市に疎開していた一方、1945年3月10日の東京大空襲で父母および弟が亡くなった。 1948年に中央大学経済学部を卒業し 、茨城県庁に入庁して県職員として勤務した。1969年に茨城文芸家協会 (現:茨城文芸協会) が創設され理事に就任、1991年より同協会の副会長に就任した。 褒章としては1981年に詩集『吉野』で茨城文学賞、1987年に詩集『翅』で第20回日本詩人クラブ賞をそれぞれ受賞。
筑後山 一政(ちくごやま かずまさ、1926年1月8日 - … 筑後山 一政(ちくごやま かずまさ、1926年1月8日 - 1978年3月12日)は、福岡県柳川市(旧福岡県山門郡)出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は石橋 一政(いしばし かずまさ)。185cm、106kg。最高位は東十両2枚目。得意技は右四つ、寄り。 福岡県柳川市の中學伝習館(現在の福岡県立伝習館高等学校)から中央大学法学部に進み、卒業直前に召集、大きな体に合う軍服が無かったため、陸軍気象部に配属され終戦を迎えた。卒業後は農林省に入省。 官僚時代に横綱・羽黒山政司一行が巡業で柳川に来た際に勧誘されて立浪部屋に入門することになり、その翌年1948年5月場所に初土俵を踏む。1954年3月場所に十両に昇進。
経塚 作太郎(きょうづか さくたろう、1925年12月31日… 経塚 作太郎(きょうづか さくたろう、1925年12月31日 - 2013年2月19日)は、日本の法学者、中央大学名誉教授。専門は国際法。 新潟県出身。1945年中央大学予科修了。1948年3月中央大学法学部英法科卒業、1948年9月同大学院(旧制)中退、1948年9月中央大学日本比較法研究所助手。1953年6月中央大学法学部助教授。1962年9月中央大学法学部教授。1966年米国・エール大学客員教授。1972年11月中央大学通信教育学部長。1974年4月中央大学学生部長。1977年「条約法の研究」で中央大学にて法学博士。1996年定年退職、名誉教授。1996年名城大学法学部教授、1998年退職、日本学術会議会員。
太田 谷山(おおた こくざん、1925年12月6日 - 20… 太田 谷山(おおた こくざん、1925年12月6日 - 2011年4月19日)は長野県岡谷市出身。書家、教育者。本名は太田 正二。 雅号の"谷山"は、出身地岡谷市(岡→山と谷)を由縁とする(上條信山)。 長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、中央大学法学部卒業。文部省・東京芸術大学共催高校書道科教員養成長期講座修了。金子鷗亭、上條信山、續木湖山、清水無儘に師事。 1950年から1984年にかけて長野県内高等学校にて社会科・書道科教諭として勤務。多数の役職を務め、県下を中心に書道教育を牽引した。また自身も研鑽に励み、日中友好書道で訪中(1978年)する等、書道による海外交流にも積極的に励んだ。
大川 清幸(おおかわ せいこう、1925年〈大正14年〉11… 大川 清幸(おおかわ せいこう、1925年〈大正14年〉11月6日 - 2014年〈平成26年〉12月18日)は、日本の政治家。 墨田区議会議員(1期)、東京都議会議員(5期)、参議院議員(1期)、参議院法務委員長、参議院協会副会長、公明党顧問などを歴任した。 東京都墨田区の下町に生まれる。実家は日本酒やビール、焼酎、洋酒などを扱う酒屋を営んでいた。旧海軍甲種飛行予科練習生(14期前期)を経て、1949年3月に中央大学商学科を卒業。1952年3月には中央大学経済学部を卒業する。創価学会が初めて政界に進出した1955年の第3回統一地方選挙では、杉並区議会議員選挙における藤原行正の選挙スタッフとして活動した。
野地 二見(のじ ふたみ、1925年10月30日 - 201… 野地 二見(のじ ふたみ、1925年10月30日 - 2018年3月9日)は日本の実業家。フジテレビ勤務を経て、産経新聞社取締役、日本工業新聞社副社長、第二電電常任顧問、ツーカーセルラー東海社長などを歴任。同台経済懇話会常任幹事。 福島県二本松町生まれ。仙台陸軍幼年学校および陸軍士官学校(59期)を卒業。戦後、中央大学を卒業。日本の復興推進のための陸士・陸幼出身の経営者団体の必要性を感じ、同台経済懇話会を創立し、常任幹事に就任する。 2018年3月9日、末期腎不全のため死去。92歳没。
鈴木 重生(すずき しげお、1925年10月29日 - )は… 鈴木 重生(すずき しげお、1925年10月29日 - )は、日本のフランス文学者、作家、中央大学名誉教授。
新井正男(あらい まさお、1925年10月4日 - 2019… 新井正男(あらい まさお、1925年10月4日 - 2019年1月6日)は、日本の法学者・弁護士。英米法学者。中央大学名誉教授。埼玉県熊谷市出身。 1949年司法試験合格。1950年、中央大学法学部卒業。1950年同大学院法学部助手(指導教授:守屋善輝)。この後、司法修習修了。1955年、同法学部助教授。1962年、中央大学法学部教授。1963年イギリス・ロンドン大学、アメリカ・ミシガン大学ロースクールに研究留学(~1965年)。1967年中央大学通信教育学部部長、1975年同日本比較法研究所長、1985年中央大学附属中学校・高等学校校長を歴任。1996年中央大学定年退職。同名誉教授。弁護士登録(第二東京弁護士会所属)。
川北 博(かわきた ひろし、1925年8月1日 - 2018… 川北 博(かわきた ひろし、1925年8月1日 - 2018年12月9日)は、日本の公認会計士、税理士、不動産鑑定士、司法書士、会計学者(監査論)。階級は陸軍少尉。学位は博士(会計学)(中央大学・2000年)。 公認会計士・税理士川北事務所代表、山梨学院大学教授、日本公認会計士協会会長、アジア太平洋会計士連盟会長、サンワ・等松青木監査法人会長、監査法人トーマツ会長、デロイトトウシュトーマツインターナショナル代表者会議議長、公認会計士川北・徳永事務所代表社員、東亜大学大学院総合学術研究科教授、日本内部統制研究学会会長、有限責任中間法人日本IPO実務検定協会理事長、宗和税理士法人代表社員などを歴任した。
石倉 孝昭(いしくら たかあき、1925年(大正14年)6月… 石倉 孝昭(いしくら たかあき、1925年(大正14年)6月23日 - 2019年(令和元年)11月19日)は、昭和から平成初期の地方公務員、政治家。松江市長。 島根県松江市出身。中央大学法学部卒。1945年、松江市役所に入る。総務部長を経て、助役に就任する。1986年松江市総合文化センター館長になる。1989年の松江市長選挙に立候補して当選する。1993年の市長選挙で再選を目指したが、宮岡寿雄に敗れた。2011年、旭日双光章受章。 2019年11月19日、内臓疾患のため自宅で死去。94歳没。死没日をもって正六位に叙される。
川添 利幸(かわぞえ としゆき、1925年〈大正14年〉6月… 川添 利幸(かわぞえ としゆき、1925年〈大正14年〉6月11日 - 2022年〈令和4年〉8月22日)は、日本の法学者。専門は憲法。中央大学名誉教授。元中央大学学長。指導学生に山下威士、畑尻剛、石川敏行、工藤達朗らがいる。 新潟県出身。1950年中央大学法学部卒業。 同法学部助手。1954年同法学部専任講師。1954年同法学部助教授。1962年同法学部教授。1964年同大学院法学研究科教授。1966年ドイツ・エバーハルト・カール大学テュービンゲンにて在学研究。1969年中央大学評議員。1973年中央大学法学部長・同大学院法学研究科委員長。中央大学理事。1977年同法学部長( - 1979年)。
岩波 一寛(いわなみ かずひろ、1925年6月5日 - 没年… 岩波 一寛(いわなみ かずひろ、1925年6月5日 - 没年不詳)は、日本の経済学者。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、陸軍士官学校、中央大学経済学部卒業。1950年立正大学助手、のち助教授を経て、1963年中央大学経済学部助教授、1966年教授。同大学多摩キャンパス移転時に経済学部長を務めていた。法政大学や武蔵大学の講師を兼任した。定年退官後、同大学名誉教授。門下生に緒方俊雄中央大学名誉教授がいる。
富岡 幸雄(とみおか ゆきお、1925年3月20日 - 20… 富岡 幸雄(とみおか ゆきお、1925年3月20日 - 2023年3月4日)は、日本の租税学者、中央大学名誉教授。日本における税理士の第一号。長男は文芸評論家の富岡幸一郎。 横浜高等商業学校(現・横浜国立大学経済学部)在学中に学徒出陣を経験し、復員後国税庁に勤務。そのかたわら中央大学法学部の夜間部に通い、第1回公認会計士試験及び第1回税理士試験に合格する。在職中に日本初の節税指南書を出版。その後中央大学助教授に転じ、1965年より教授。政府税制調査会特別委員などを歴任。1995年に退任後、冨岡総研を主宰。2007年瑞宝中綬章受章。 2023年3月4日、老衰のため死去。98歳没。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
工藤 万砂美(くどう まさみ、男性、1925年2月22日 -… 工藤 万砂美(くどう まさみ、男性、1925年2月22日 - 1996年8月27日)は、日本の実業家。政治家。参議院議員(1期、自由民主党)。北海道議会議員(通算4期)。 北海道歌志内市出身。1943年早稲田実業学校卒。翌年陸軍に召集される。中央大学法学部に入るも中退。戦後、空知建設工業株式会社を創立し、代表取締役となる。ほか空知物産(株)、丸美大道通商(株)の各代表取締役に就任し、歌志内商工会議所会頭を務めた。1971年から北海道議を3期務め、1983年の第13回参議院議員通常選挙で北海道選挙区から自民党公認で立候補し当選。1986年の第3次中曽根内閣で法務政務次官、1988年の竹下改造内閣で北海道開発政務次官に就任。
谷山治雄(たにやま はるお、1925年2月16日-2009年… 谷山治雄(たにやま はるお、1925年2月16日-2009年4月30日)は、税制学者。 東京生まれ。本名・三浦誠。中央大学卒業、大蔵省に入る。静岡大学講師などをへて、1962年に株式会社税制経営研究所を創立、所長。金沢大学講師。
下村康正(しもむら やすまさ、1925年2月10日 - 20… 下村康正(しもむら やすまさ、1925年2月10日 - 2009年8月18日)は、日本の法学者。刑法学者。学位は、法学博士(中央大学)。元司法試験考査委員。中央大学名誉教授。東京都生まれ。 旧制巣鴨中学校卒業。1947年中央大学法学部卒業。恩師は草野豹一郎。1948年中央大学法学部助手。1951年中央大学法学部助教授。1959年中央大学法学部教授。1963年中央大学通信教育部長に就く。1979年中央大学大学院法学研究科長・中央大学評議員に就任。1981年フランス・エクスマルセイユ第3大学客員教授(1982年まで)。1995年中央大学定年退職。同名誉教授。弁護士登録(第一東京弁護士会)。2002年、勲三等瑞宝章受章。
新藤 貞文(しんどう さだふみ、1925年1月24日 - 没… 新藤 貞文(しんどう さだふみ、1925年1月24日 - 没年不明)は、埼玉県出身のプロ野球選手。 旧制浦和中学から中央大学を経て1950年に阪急ブレーブスへ入団。1951年に退団し、その後は鐘淵化学でプレーした。
白羽 祐三(しらは ゆうぞう、1925年-2005年)は、日… 白羽 祐三(しらは ゆうぞう、1925年-2005年)は、日本の法学者・弁護士。専門は民法。学位は、法学博士(中央大学・1983年)(学位論文「現代契約法の理論」)。中央大学名誉教授。静岡県出身。 1948年司法試験合格。1950年中央大学法学部卒業。同法学部助手。1955年同法学部助教授。1962年同法学部教授。1965年ドイツ・アルベルト・ルートヴィヒ大学フライブルクに留学。1968年中央大学法学部長(~1973年)。1968年中央大学大学院法学研究科委員長(~1969年)。1969年中央大学評議員(~1992年)。1972年学校法人中央大学理事(~1973年)。1972年中央大学大学院法学研究科委員長(~1973年)。
秋山 恒雄(あきやま つねお、1924年11月1日 - 19… 秋山 恒雄(あきやま つねお、1924年11月1日 - 1996年4月24日)は、日本の経営者。東急百貨店社長を務めた。福島県出身。 1948年に中央大学経済学部を中退し、同年に東横百貨店(現在の東急百貨店)に入社。 1981年4月に取締役に就任し、1986年2月に常務、1987年4月に専務、1990年5月に副社長を経て、1992年4月には社長に就任。1995年4月には取締役相談役に退いた。 1996年4月24日心不全のために死去。71歳没。
中村 長芳(なかむら ながよし、1924年9月19日 - 2… 中村 長芳(なかむら ながよし、1924年9月19日 - 2007年10月18日)は、日本の政治家秘書・プロ野球チーム経営者。山口県山口市出身。 旧制山口中学校では安倍晋太郎と同級生であり野球部で活動、一塁手としてプレーし、甲子園を目指した。最終学歴は中央大学法学部卒業。 同郷であり、安倍の岳父であった岸信介の秘書となり、岸の内閣総理大臣在任中には内閣総理大臣秘書官を務めた。 1969年の第32回衆議院議員総選挙で、岸の側近の1人である今松治郎の秘書だった森喜朗は自由民主党の公認を得られず、無所属新人として出馬する際、岸の応援を中村に懇願した。中村は森の要望を快諾した。森を応援するため、岸は多忙な合間を縫って石川県小松市に赴いた。
荻島 秀夫(おぎしま ひでお、1924年9月9日 - 201… 荻島 秀夫(おぎしま ひでお、1924年9月9日 - 2012年9月22日)は、埼玉県出身のプロ野球選手。 浦和商業学校、中央大学、日本コロムビアを経て1949年に大陽ロビンスへ入団。 1950年はこの年に創設された国鉄スワローズへ移籍。同年退団。
中平 和水(なかひら かずみ、1924年8月27日 - 19… 中平 和水(なかひら かずみ、1924年8月27日 - 1993年12月29日)は、日本の警察官僚。元警察庁刑事局長。 高知県土佐市出身。1952年に中央大学法学部を卒業後、国家地方警察本部(現・警察庁)入庁。 徳島・三重・神奈川・大阪各警察本部刑事部捜査第二課長などを歴任して1966年に警察庁刑事局捜査第二課理事官に就く。 1967年に神奈川県警察本部刑事部長に就任した際には翌年に国鉄大船駅付近で発生した横須賀線電車爆破事件を解決に導いた。 1971年に佐賀県警察本部長、1972年に警察庁刑事局捜査第二課長、1974年に同捜査第一課長にそれぞれ就任。 1975年になると2月に警察庁長官官房総務課長、同年8月警視庁刑事部長にそれぞれ就任。
村沢 牧(むらさわ まき、1924年8月1日 - 1999年… 村沢 牧(むらさわ まき、1924年8月1日 - 1999年9月8日)は、日本の政治家、参議院議員(4期)。 長野県南信濃村(現飯田市)出身。大学入学資格検定を経て1954年中央大学法学部卒業。1949年から長野県下伊那地方事務所に勤務。1954年神稲(くましろ)森林組合常任理事となり、1963年長野県議会に初当選し、以後3期務めた。1975年社会党長野県本部書記長を経て、1977年第11回参議院議員通常選挙で日本社会党公認で初当選。予算委員、農業水産委員各理事、災害対策特別委員長などを歴任。 1992年社会党シャドーキャビネットでは農水相(後任は辻一彦)。1993年8月細川内閣で農水政務次官就任したが同年12月コメ自由化に反対し辞任。
板垣 正(いたがき ただし、1924年(大正13年)7月1日… 板垣 正(いたがき ただし、1924年(大正13年)7月1日 - )は、日本の政治家。元自由民主党所属参議院議員。日本遺族会顧問。日本会議代表委員。板垣征四郎の次男。
坂本 秀夫(さかもと ひでお、1924年5月20日 - )は… 坂本 秀夫(さかもと ひでお、1924年5月20日 - )は、日本の教育評論家。 栃木県出身。中央大学法学部卒業。東京都立桜水商業高等学校教諭、全国高等学校教育法研究会長、日本教育法学会理事、のち名誉理事。東京都立大学 (1949-2011)・中央大学非常勤講師などを務める。管理教育批判で論陣を張る。
金 命潤(キム・ミョンユン、朝鮮語: 김명윤、1924年5月… 金 命潤(キム・ミョンユン、朝鮮語: 김명윤、1924年5月3日 - 2016年2月1日)は、大韓民国の検察官、弁護士、政治家。第5・9・15代韓国国会議員。 本貫は義城金氏(朝鮮語版)。仏教徒。元国会議員の金光俊は兄、呉俊碩は妹の夫。元韓国住宅金融公社社長の金璟浩は息子、元大韓医師協会会長の秋武辰は娘婿。また、元公報処次官・青瓦台政務首席秘書官の李源宗のおばの夫である。 日本統治時代の江原道(現・慶尚北道)蔚珍郡平海邑出身。1943年中央大学予科卒。1944年満洲国高等考試司法科合格、1945年朝鮮弁護士試験合格。1946年京城帝国大学法文学部(現・ソウル大学校法科大学)卒。司法要員養成所修了。
小林 丈児(こばやし じょうじ、1924年3月30日-198… 小林 丈児(こばやし じょうじ、1924年3月30日-1985年8月6日)は、日本の政治学者。専門は、政治学・比較政治学。元中央大学教授。北海道釧路市出身。 1952年中央大学法学部(旧制)卒業。1952年中央大学法学部助手。1957年中央大学法学部助教授。1964年中央大学法学部教授。1985年在職中に心不全で逝去。 この他に、日本比較法研究所副所長、日本政治学会理事、東京外国語大学外国語学部・明治大学法学部・早稲田大学法学部・立教大学法学部の非常勤講師を務めた。 専門は、政治学・比較政治学。特に、政治原論、平和学、地方自治論、アメリカ政治史、イギリス政治史などを研究。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
朴 容万(パク・ヨンマン、朝鮮語: 박용만/朴容萬、1924… 朴 容万(パク・ヨンマン、朝鮮語: 박용만/朴容萬、1924年3月15日 - 1996年10月19日)は、大韓民国の政治家。第9・10・12・13代大韓民国国会議員。本貫は密陽朴氏。号は嶺岩(ヨンアム、영암/嶺岩)。 日本統治時代の慶尚北道豊基郡(現・栄州市)に生まれた。1942年、金泉高を卒業後に内地に渡り、1944年に中央大学専門部法科を卒業した。1945年に早稲田大学文学部英文学科を中退し、翌年にソウル大学校文理科大学に編入し、1949年に卒業。 光復後、ソウルで留学生同盟本部委員長を務め、1946年7月に李哲承などと共に全国学生総連盟を組織し、共同議長を務めた。反共・反託闘争を通じて李承晩の信任を得たため、その後は李の大統領秘書官を務めた。
相浦 紀一郎(あいうら きいちろう、1924年2月11日 -… 相浦 紀一郎(あいうら きいちろう、1924年2月11日 - 2012年12月26日)は、日本の実業家。大阪商船三井船舶代表取締役社長や、日本船主協会会長等を歴任した。 長崎県佐世保市生まれ。1942年陸軍士官学校卒業。大日本帝国陸軍大尉で日本の降伏を迎え、第一皇宮衛士隊左近隊第四寮第一班長衛士監任官。1949年中央大学経済学部卒業。1984年から大阪商船三井船舶取締役社長を務め、海運不況下の経営にあたった。 1987年日本船主協会会長。2012年胆管閉塞のため死去。
小島 信一(こじま しんいち、1924年1月3日 - )は、… 小島 信一(こじま しんいち、1924年1月3日 - )は、日本の詩人、文芸評論家。 東京出身。中央大学卒。佐藤春夫に師事。1954年からエッソ・スタンダード石油に11年間勤務。万葉集を現代詩化した『万葉集―運命の歌』で1971年芸術選奨新人賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
矢山 有作(ややま ゆうさく、1924年1月1日 -2017… 矢山 有作(ややま ゆうさく、1924年1月1日 -2017年3月27日)は、日本の政治家。元衆議院議員・参議院議員。日本社会党中央執行委員教宣局長、衆議院石炭対策特別委員長、参議院社会労働委員長を務めた。 岡山県津山市小桁に生まれる。旧制岡山県津山商業学校(現・岡山県立津山商業高等学校)を経て、1949年中央大学法学部卒業、会計検査院事務官となる。1951年に退職後、津山市議会議員を1期、岡山県議会議員を2期務めた。1962年の第6回参議院議員通常選挙に岡山県選挙区から出馬し、トップ当選。参議院社会労働委員長などを歴任し、2期務めた。その後1976年の第34回衆議院議員総選挙に黒田寿男の後継として出馬し、当選した。
木川統一郎(きがわ とういちろう、1924年-2020年10… 木川統一郎(きがわ とういちろう、1924年-2020年10月22日)は、日本の法学者・弁護士・弁理士。専門は民事手続法、特に民事訴訟法・民事執行法・民事保全法。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1974年)。元中央大学教授。千葉県香取郡多古町出身。 中央大学法学部助手。1953年中央大学法学部助教授。1962年中央大学法学部教授。1968年中央大学理事。1970年旧司法試験第二次試験考査委員。1971年中央大学依願退任。中央大学法学部非常勤講師(~1994年)。1973年弁護士・弁理士登録。1975年早稲田大学大学院法学研究科客員講師・同法学部客員講師(~1994年)。最高裁判所規則制定諮問委員(1975~1994年)。
工藤 正(くどう ただし、1923年12月17日 - 198… 工藤 正(くどう ただし、1923年12月17日 - 1989年3月22日)は、日本の政治家。元青森市長(3期、当選は4回)。 青森県青森市出身。1948年、中央大学法学部卒業。同年、青森県庁に入庁し、2年後の1950年総理府に転じ、事務官となった。その後1961年に栃木県庁に勤務。1965年に自治省に出向した。翌1966年、青森県庁に復帰し、税務課長、総務部次長などを歴任し、1972年八戸市助役に就任し1975年まで務めた。退任後は保護司となった。 1975年、青森市長選挙に立候補するも落選。 1979年、青森市長選挙に再挑戦し初当選した。 1983年、再選。1984年、青森総合流通団地詐欺事件にからみ、助役が受託収賄容疑で逮捕される。
佐川 美代太郎(さがわ みよたろう、1923年12月1日 -… 佐川 美代太郎(さがわ みよたろう、1923年12月1日 - 2009年10月30日)は日本の漫画家、絵本作家。本名、小林 仁(こばやし じん)。 茨城県真壁郡真壁町(現在の桜川市)に生まれる。茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)を経て、弁護士を目指し中央大学法学部に入学。在学中の1943年に学徒出陣し、陸軍少尉として朝鮮で終戦を迎えた。復員後、大学に復学したが、「これからは経済の時代だ」として、法学部から商学部に転部した。 大学卒業後、電機メーカーを経て、卸売会社・ぬ利彦で経理の仕事につく。1952年より、社業のかたわら、自由出品制の美術展「読売アンデパンダン展」に漫画の投稿を開始。