齋藤 邦吉(さいとう くにきち、1909年6月26日 - 1… 齋藤 邦吉(さいとう くにきち、1909年6月26日 - 1992年6月18日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等、勲章は旭日大綬章。衆議院議員(12期)。 自民党内では宏池会に所属し、伊東正義、佐々木義武とともに「大平派三羽烏」と呼ばれた。また、厚生族の重鎮としても知られた。 福島県相馬郡中村町(現・相馬市)出身。相馬中学、一高、東京帝国大学法学部法律学科卒。内務省に入省。神奈川県属。その後は労働省に移り、労働事務次官等を務める。 1957年、福島県知事選に立候補するが落選する。1958年、第28回衆議院議員総選挙に旧福島3区から鈴木直人の後継者として立候補し、初当選(当選同期に竹下登・金丸信・安倍晋太郎・倉成正・谷川和穂など)。
佐々木 義武(ささき よしたけ、1909年4月3日 - 19… 佐々木 義武(ささき よしたけ、1909年4月3日 - 1986年12月13日)は、日本の政治家、官僚。位階は正三位、勲等は勲一等。衆議院議員(9期)、科学技術庁長官・通商産業大臣を歴任した。 秋田県河辺郡河辺町(後の秋田市)生まれ。秋田中学(後の秋田県立秋田高等学校)時代は野球部員として甲子園出場の経験がある。1933年東京帝国大学経済学部を卒業後、南満州鉄道に入社し、調査部に配属される。その後興亜院に転じ、ここで大蔵省出身の大平正芳、農林省出身の伊東正義らと知り合い、第二次世界大戦後も「九賢会」と称する会合を持って交流を深めた。以後企画院、大東亜省、内閣調査局にて調査官を歴任した。 戦後の1947年、経済安定本部に転じ、初代経済復興計画室長として、傾斜生産方式による政策の遂行に辣腕を振るった。
桂 珖淳(ケ・グァンスン、朝鮮語: 계광순、1909年2月1… 桂 珖淳(ケ・グァンスン、朝鮮語: 계광순、1909年2月16日 - 1990年3月19日)は、日本統治時代の朝鮮の官僚、警視、韓国の政治家、実業家。第4・5・6代韓国国会議員。本貫は遂安桂氏。 平安北道宣川郡に生まれた。1931年に東京帝国大学法学部政治科を卒業し、翌年に高等文官試験行政科に合格した。 1931年に春川郡庶務課・江原道内務部地方課勤務、1932年に淮陽郡庶務係勤務、1933年に江原道警務課勤務、1934年に平康郡守・坡州郡守、1936年に咸鏡南道警察部保安課長警視、1937年に拓務省殖産局事務官、1940年に朝鮮総督府学務局社会教育課長、同年に国民総力朝鮮連盟参事、1943年に江原道内務部長、1944年に平安北道内務部長、同年に朝鮮勤労動員援護会平安北道支部理事を歴任した。
前川 忠夫(まえかわ ただお、1909年〈明治42年〉2月1… 前川 忠夫(まえかわ ただお、1909年〈明治42年〉2月1日 - 1988年〈昭和63年〉6月25日)は日本の政治家、農学者。香川大学学長や香川県知事を務めた。位階は従三位。 1909年、香川県三豊郡上高瀬村(現・三豊市)で生まれる。旧制山形高校(現・山形大学)を経て、1935年に東京帝國大学(現・東京大学)農学部を卒業。専門は農業工学で、岩手大学教授などを務めている。1955年に香川大学農学部教授となり、農学部長を経て1964年に学長に就任。 1961年 東京大学農学博士。論文の題は「かんがい用貯水池の貯水能に関する研究」。 1974年に社会党、共産党、民社党、公明党などの推薦を得て香川県知事選挙に出馬。
千葉 元江(ちば もとえ、1909年(明治42年)1月15日… 千葉 元江(ちば もとえ、1909年(明治42年)1月15日 - 1992年(平成4年)11月5日)は日本の政治家。青森県青森市長(1期)。 青森県青森市出身。青森県立青森中学校(現・青森県立青森高等学校)、官立弘前高等学校を経て、1933年、東京帝国大学法学部を卒業する。卒業後は陸軍に入り、翌年満期除隊。1937年に高等文官試験行政科に合格、翌年台湾総督府に入り、台中妙農林課長などを歴任した。太平洋戦争中の1942年に陸軍司政官となり、ビルマに派遣され、終戦を迎えた。1946年に復員した。 1947年、青森県庁に入り、人事課長、総務、商工水産の各部長などを経て、1949年に副知事に就任した。副知事は1952年まで務め、その後は青森県北洋漁業協同組合理事、同副組合長、鮭鱒漁業協同組合理事などを務めた。
木村 俊夫(きむら としお、1909年(明治42年)1月15… 木村 俊夫(きむら としお、1909年(明治42年)1月15日 - 1983年(昭和58年)12月1日)は、日本の政治家。元衆議院議員。 1909年(明治42年)三重県東員町生まれ。後に東員町名誉町民となる。祖父・木村誓太郎、父・木村秀興はいずれも衆議院議員。津中学校、第三高等学校 (旧制)文科丙類を経て、1938年(昭和13年)東京帝国大学法学部法律学科と政治学科を卒業。高等文官試験に合格して逓信省に入省。戦時下、逓信省と鉄道省が統合した運輸通信省を経て、運輸省に移る。戦後佐藤栄作に口説かれ、運輸省海運総局総務課長から政界に転身、1949年(昭和24年)の第24回衆議院議員総選挙で旧三重1区から保守系無所属で当選。
古屋 亨(ふるや とおる、1909年1月6日 - 1991年… 古屋 亨(ふるや とおる、1909年1月6日 - 1991年6月20日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士、政治家。衆議院議員、自治大臣兼国家公安委員会委員長。正三位勲一等旭日大綬章。
壬生 基泰(みぶ もとやす、1909年〈明治42年〉1月2日… 壬生 基泰(みぶ もとやす、1909年〈明治42年〉1月2日 - 1979年〈昭和54年〉5月14日)は、日本の政治家、華族。貴族院伯爵議員。位階は従四位。勲等は勲六等。 陸軍軍人・壬生基義の長男として生まれる。父の死去に伴い1936年(昭和11年)12月15日、伯爵を襲爵した。 1932年(昭和7年)東京帝国大学文学部を卒業。1935年(昭和10年)陸軍騎兵少尉に任官。騎兵第1連隊留守隊付、陸軍兵器本部付兼陸軍省整備局付、軍需省軍需官、商工省嘱託などを歴任。陸軍騎兵大尉に昇進して退官した。その後、大建産業嘱託、鉄鋼統制会勤務などを務めた。 1946年(昭和21年)6月27日、貴族院伯爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
森田 正義(もりた まさよし、1908年12月13日 - 2… 森田 正義(もりた まさよし、1908年12月13日 - 2004年12月2日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。栃木県岩舟町名誉町民。 栃木県下都賀郡寒川村(間々田町を経て現小山市)出身。1932年、東京帝国大学経済学部卒業。生家は地元の名家であった。寒川村長などを務めた。応召して日中戦争に従軍し陸軍主計曹長となる。 1942年の第21回衆議院議員総選挙において帝国議会当時の旧衆議院栃木2区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬して当選、1期活動した。在任中は内務省委員などを務めた。1945年(昭和20年)12月1日に衆議院議員を辞職。戦後は公職追放を経て、追放解除後は岩舟町長となり、1964年から1980年までの4期在職した。
青柳 盛雄(あおやぎ もりお、1908年11月11日 - 1… 青柳 盛雄(あおやぎ もりお、1908年11月11日 - 1993年1月22日)は、日本の弁護士、政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、2期)。日本共産党中央委員会顧問、日本民主法律家協会理事、日本国際法律家協会顧問などを歴任した。 長野県東筑摩郡坂北村(現・筑北村)出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校文科甲類、東京帝国大学法学部を経て、1931年弁護士登録すると共に布施辰治法律事務所入所。自由法曹団員として三・一五事件や四・一六事件など、治安維持法違反事件を弁護するも、1933年には布施と共に検挙され執行猶予判決を受ける。また、この件により同年弁護士資格が剥奪されたのみならず、終戦まで活動停止を余儀なくされる。
宮本 顕治(みやもと けんじ、1908年〈明治41年〉10月… 宮本 顕治(みやもと けんじ、1908年〈明治41年〉10月17日 - 2007年〈平成19年〉7月18日)は、日本の政治家・共産主義者・文芸評論家。通称ミヤケン。 戦前の非合法政党時代からの日本共産党の活動家であり、戦後、1958年に党の書記長に就任してから40年間、日本共産党を指導した。参議院議員(2期)を務め、日本共産党書記長、同委員長、同議長を歴任。国会に議席を持つ国政政党の党首でありながら、国会議員ではなかった時期がある。 山口県熊毛郡光井村(現・光市)出身。父は、隣の島田村で米穀、肥料、雑貨などの小売商を営んでいたが、中学入学当時に破産状態になり、都濃郡富田村(現・周南市)にあった母の実家に預けられ、そこから中学に1年くらい通った。
石破 二朗(いしば じろう、1908年〈明治41年〉7月29… 石破 二朗(いしば じろう、1908年〈明治41年〉7月29日 - 1981年〈昭和56年〉9月16日)は、日本の内務・建設官僚、政治家。位階は正三位。勲章は勲一等瑞宝章。 参議院議員(2期)、鳥取県知事(第39代)。鈴木善幸内閣において、自治大臣(第28代)兼国家公安委員会委員長(第38代)を務めた。 第102-103代内閣総理大臣、第28代自由民主党総裁である石破茂の父。 太宰治、永井荷風の著作物を好む。 田中角栄元首相は友人である。安田貞栄境港市長(第3代)が石破に「あなたは元気である限り、本県県政を担当願うことが県民のためになると思う。それほどあなたを高くかっておるが東京では(自民党の)田中派に属しておることが釈然としませんね」と言った時「君は田中という人を知らんからだ。
野知 浩之(のち ひろゆき、1908年(明治41年)7月2日… 野知 浩之(のち ひろゆき、1908年(明治41年)7月2日 - 1994年(平成6年)9月9日)は、昭和期の農林技官、政治家。参議院議員(1期)、農学博士。 福島県出身。1935年(昭和10年)東京帝国大学農学部を卒業した。 福島県農地部耕地課長、農林省農地局開墾建設課長、同かんがい排水課長、農林省仙台農地事務局長などを歴任した。 1962年(昭和37年)7月の第6回参議院議員通常選挙で全国区に自由民主党公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。この間、参議院農林水産委員長などを務めた。 その他、全国土地改良事業団体連合会顧問、全国農業土木技術連盟顧問、全国農業土木コンサルタンツ顧問などを務めた。
石川 義雄(いしかわ よしお、1908年(明治41年)6月9… 石川 義雄(いしかわ よしお、1908年(明治41年)6月9日 - 1994年(平成6年)3月26日)は、昭和時代の政治家。北海道名寄市長。 名寄市出身。東京帝国大学経済学部卒業。大野土建専務取締役。 1974年(昭和49年)より名寄市長に3選し、1986年(昭和61年)まで務めた。ほか、名寄軟式庭球連盟、名寄将棋連盟各会長などを歴任した。
立花 敏男(たちばな としお、1908年(明治41年)5月7… 立花 敏男(たちばな としお、1908年(明治41年)5月7日 - 1994年(平成6年)3月13日)は、昭和期の労働運動家、地方公務員、政治家。衆議院議員。 兵庫県淡路島出身。1936年(昭和11年)東京帝国大学文学部哲学科を卒業した。 1930年(昭和5年)『第二無産者新聞』の編集に加わる。1931年(昭和6年)逮捕投獄された。小岩井浄、木下半治らの「日本政治経済研究所」に参加。1936年(昭和11年)人民戦線事件で検挙された。 1946年(昭和21年)神戸市役所に入所し、同年、日本共産党に入党。神戸市役所書記、神戸労働保険組合書記、神戸市職員組合副委員長、神戸市労働組合連合会書記長などを歴任。
並木 芳雄(なみき よしお、1908年(明治41年)4月20… 並木 芳雄(なみき よしお、1908年(明治41年)4月20日 - 1975年(昭和50年)1月19日)は、昭和期の政治家。位階は従四位。 東京府西多摩郡西多摩村(羽村町を経て現羽村市)で、並木俊蔵の息子として生まれる。1931年(昭和6年)東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業した。 大阪商船に入社。アメリカに留学し、ニューヨーク・ナショナル・シティ銀行に入社し英語と事務管理を研究した。同行マニラ支店に転じマニラ軍政部通訳を兼務した。その後、比島留日学生寄宿舎監、駐日比島大使館に出向して終戦を迎え、銀行を退社した。 戦後、郷里で農村文化の向上に尽力し、民間側の通訳も担った。1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙に東京都第7区から民主党公認で立候補して当選し、その後、1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙まで連続して再選され、衆議院議員に連続5期在任した。
沼賀 健次(ぬまが けんじ、1908年〈明治41年〉3月30… 沼賀 健次(ぬまが けんじ、1908年〈明治41年〉3月30日 - 1988年〈昭和63年〉5月5日)は、日本の教育者、政治家。元高崎市長(4期)、群馬県立高崎商業高等学校校長、上武大学副学長。旧姓は反町。位階は従五位。 群馬県群馬郡京ヶ島村大字京目(現・高崎市京目町)に、反町延太郎・チウ夫妻の三男として生まれる。生家の反町家は庄屋の家柄で、父・延太郎は京ケ島村長・群馬県会議員などを務める傍ら実業補習学校を設置するなど教育面に熱心だった。祖父・反町覚哉は群馬県会議員、長兄・反町久弥も群馬県議会議員・京ヶ島村長・群南村長を務めた。 地元の京ヶ島小学校を経て、1926年(大正15年)旧制高崎商業学校を卒業。
石谷 憲男(いしたに のりお、1908年(明治41年)1月1… 石谷 憲男(いしたに のりお、1908年(明治41年)1月10日 - 1966年(昭和41年)9月20日)は、昭和期の農林官僚、政治家。林野庁長官、参議院議員。鳥取県会議長を務めた石谷源蔵の孫。 鳥取県八頭郡智頭町出身。 1931年(昭和6年)東京帝国大学農学部卒業後、農林省に入り、秋田営林局を最初に一貫して林政に努め、鳥取営林署長も務めた。以後、経済安定本部林産課長、林野庁計画課長、同業務部長などを歴任。1955年(昭和30年)11月、林野庁長官に就任し1958年(昭和33年)6月まで在任した。 1959年(昭和34年)6月、第5回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で立候補して当選し1期在任。
小林 国司(こばやし くにじ、1908年(明治41年)1月1… 小林 国司(こばやし くにじ、1908年(明治41年)1月10日 - 1993年(平成5年)7月9日)は、昭和期の農業技術者、農林官僚、政治家。参議院議員(3期、自由民主党)。 鳥取県出身。1936年(昭和11年)東京帝国大学農学部農業土木科を卒業。農林省に入り、農地局設計課長、同建設部長、北陸農政局長、八郎潟新農村建設事業団理事、全国土地改良事業団連合会副会長などを歴任した。 1968年(昭和43年)7月の第8回参議院議員通常選挙で全国区から自由民主党公認で立候補して初当選。1974年(昭和49年)7月の第10回通常選挙(全国区、自由民主党公認)でも再選され、参議院議員を連続2期務めた。1980年(昭和55年)の第12回通常選挙には立候補しなかったが、翌1981年(昭和56年)11月、石破二朗の死去に伴う第12回通常選挙鳥取県地方区補欠選挙に自民党公認で立候補して当選し。
伊達 慎一郎(だて しんいちろう、1907年(明治40年)1… 伊達 慎一郎(だて しんいちろう、1907年(明治40年)12月6日 - 1994年(平成6年)10月11日)は、日本の政治家、地方公務員、弁護士。島根県知事(1期)。知事退任後、弁護士に登録。 島根県松江市生まれ。旧制松江高等学校を経て東京帝国大学法学部、大同学院を卒業。満洲国政府に勤務し、西安県副県長、鉄鋼司弁事などを歴任する。 終戦で引き揚げ、1947年(昭和22年)島根県職員となる。漁政、財政各課長、総務部長を経て、田部長右衛門知事の女房役として、1960年(昭和35年)から10年間副知事を務め、3期知事を務めた田部の後継者として選ばれ、1971年(昭和46年)4月の島根県知事選挙に立候補した。
藤枝 泉介(ふじえだ せんすけ、1907年〈明治40年〉12… 藤枝 泉介(ふじえだ せんすけ、1907年〈明治40年〉12月3日 - 1971年〈昭和46年〉6月6日)は、日本の政治家、内務官僚。 衆議院副議長(第48代)、自治大臣(第13・14代)、国家公安委員会委員長(第22・23代)、運輸大臣(第34代)、防衛庁長官(第14代)、総理府総務長官(第4・5代)、衆議院議員(8期)などを歴任した。 「船田三兄弟」の末弟。長兄は第51・56代衆議院議長の船田中、次兄はローマ法学者の船田享二。所属政党は民主自由党→自由党→日本民主党→自由民主党。自民党での所属派閥は岸信介派→川島正次郎派→椎名悦三郎派(十日会→交友クラブ)。 1907年(明治40年)、船田兵吾の三男として栃木県宇都宮市に生まれる。
古内 広雄(古内 廣雄、ふるうち ひろお、1907年10月2… 古内 広雄(古内 廣雄、ふるうち ひろお、1907年10月24日 - 1972年11月5日)は、日本の外交官、政治家。衆議院議員(2期)。位階は正三位。勲等は勲二等。 宮城県岩沼市生まれ。伊達忠宗の家老職を務めた古内家の末裔である。第二高等学校文科乙類から東京帝国大学法学部に進み、大学在学中に高等試験外交科合格。外務省に入省してからはドイツに赴任して経験を積み1941年に本省に戻る。終戦直後は進駐軍との終戦連絡の折衝にあたるも、いわゆる「Y項パージ」で一時期省外へ出され公正取引委員会事務局総務部長、公正取引委員会事務局長などを務めた。 1953年に外務省に戻るとレバノン、オーストリア、パキスタン、インドネシアの各国大使を歴任し、池田勇人首相の奨めもあって1964年に退官して自由民主党公認で1965年の参院選に宮城県選挙区から立候補するが、地元組織の分裂から次点に終わる。
愛知 揆一(あいち きいち、1907年〈明治40年〉10月1… 愛知 揆一(あいち きいち、1907年〈明治40年〉10月10日 - 1973年〈昭和48年〉11月23日)は、日本の大蔵官僚、政治家。参議院議員から衆議院議員に転じ、内閣官房長官(第18・29代)や外務大臣(第92-93代)、大蔵大臣(第77代)などを歴任した。 東京市麹町区(現在の東京都千代田区)に、愛知敬一・祥夫妻の長男として生まれた。父・敬一は物理学者で、1911年に東北帝国大学理科大学物理学科の教授に就任したため、一家は仙台市へ移った。母・祥の実家も代々漢学者の系統という家柄で、一家を挙げての学者家庭だったという。 愛知は旧制宮城県第二中学校(現在の仙台第二高等学校)、旧制第二高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学法学部政治学科に入学、1931年に卒業した。
飯田 高央(いいだ たかお、1907年〈明治40年〉9月18… 飯田 高央(いいだ たかお、1907年〈明治40年〉9月18日 - 没年不明)は、日本の政治家、東京板橋の素封家、地主、家主。東京市会議員、板橋区会議員。 東京府北豊島郡板橋町大字下板橋出身。飯田宇兵衛の長男。父・宇兵衛は病を得て夭逝、母の薫陶を享け人となった。 東京帝国大学経済学部卒業。1914年、家督を相続した。金融業を営んだ。趣味は読書。住所は東京市板橋区板橋八丁目。 飯田家は板橋の旧家・名門である。先祖は大坂冬の陣に大坂方に組し、今福の合戦で関東方をなやませた飯田左馬允貞秀である。代々「宇兵衛」を襲名し、板橋宿中宿の名主で脇本陣を務めた。幕末には14代将軍家茂へ降嫁する皇女和宮が宿泊した。
寺本 広作(てらもと こうさく、1907年〈明治40年〉8月… 寺本 広作(てらもと こうさく、1907年〈明治40年〉8月29日 - 1992年〈平成4年〉4月7日)は日本の政治家、官僚。熊本県知事(公選第4-6代)、参議院議員(2期)、労働事務次官。 熊本県宇土郡不知火町(現宇城市)出身。旧制熊本県立宇土中学校(現熊本県立宇土中学校・高等学校)、旧制第五高等学校を経て、1932年に東京帝国大学法学部を卒業し、内務省に入省。高知県属。内務大臣(兼任)東條英機の秘書官や、情報局の新聞課長などを務め、終戦後は1950年8月1日に労働事務次官に就任した。次官時代の1952年2月、女子及び年少者の人身売買に関する件で衆議院行政監察特別委員会に証人喚問された。情報局時代に上司だった緒方竹虎との交流もあり、1953年に官僚を辞して改進党より参議院議員選挙に出馬、熊本県地方区で初当選。
山口 森三(やまぐち しんぞう、1907年〈明治40年〉8月… 山口 森三(やまぐち しんぞう、1907年〈明治40年〉8月15日 - 2002年〈平成14年〉2月23日)は、昭和時代戦後の政治家、初代藤枝市長。藤枝市名誉市民。勲四等旭日小綬章受章。 1907年8月、静岡県志太郡大富村中新田の大畑貞吉の三男として生まれる。1920年(大正9年)大富小学校尋常科卒業。1925年(大正14年)静岡県立静岡中学校卒業。静岡高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学を卒業。1932年(昭和7年)代議士山口忠五郎の養子となる。同年、陸軍経理部幹部候補生として、名古屋歩兵第6連隊に入隊。年末除籍。1933年(昭和8年)大同電力に入社。1941年(昭和16)年召集、名古屋停車場司令部、名古屋地区鉄道司令部を経て、1945年(昭和20年)12月召集解除(陸軍主計大尉)。
内田 常雄(うちだ つねお、1907年〈明治40年〉6月30… 内田 常雄(うちだ つねお、1907年〈明治40年〉6月30日 - 1977年〈昭和52年〉12月29日)は、日本の政治家。厚生大臣(第47代)、経済企画庁長官(第24代)、衆議院議員(9期)。 旧制松本高等学校文科甲類、東京帝国大学経済学部卒。1930年、大蔵省入省。入省同期に河野一之(大蔵事務次官)、渡辺武(財務官)ら。管財局属。 戦後、経済安定本部財政金融局長、大蔵省管財局長などを経て、1952年に山梨全県区から衆院選に立候補し初当選。自民党内派閥は宏池会(池田勇人→前尾繁三郎→大平正芳派)に所属。1970年1月、第3次佐藤内閣の厚生大臣として初入閣。第2次田中角栄第1次改造内閣で経済企画庁長官をつとめる。
任 文桓(イム・ムンファン、イム・ムナン、朝鮮語: 임문환、… 任 文桓(イム・ムンファン、イム・ムナン、朝鮮語: 임문환、日本名豊川文夫、1907年6月11日 - 1993年6月19日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の官僚、政治家、実業家。本貫は豊川任氏。 東京帝国大学を卒業した後、高等試験に合格して、朝鮮総督府のキャリア官僚として勤務した。独立後の韓国でも次官や閣僚など要職を歴任し、後に企業経営者に転じて全経連副会長を務めた。 2008年に発表された民族問題研究所の親日人名辞典収録予定者名簿の中の官僚部門に選ばれた。 回顧録である「日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想」(朝鮮語版1974年、日本語版2011年)を残した。 1960年代初めに生地の錦山の困窮学生のために奨学金を創設した。
坂口 昇(さかぐち のぼる、明治40年(1907年)5月28… 坂口 昇(さかぐち のぼる、明治40年(1907年)5月28日 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。米子市会議員を務めた。 実業家2代坂口平兵衛の義弟。 昭和5年(1930年)、東京帝国大学法学部卒業。日本製糸株式会社の取締役を経て、戦時中に三菱軽合金株式会社の資材課長に就いていたが、坂口合名会社を設立し、代表社員となる。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
岡田 修一(おかだ しゅういち、1907年5月27日 - 1… 岡田 修一(おかだ しゅういち、1907年5月27日 - 1971年11月29日)は、日本の政治家・実業家。衆議院議員(1期、自由民主党)。 東京都出身。1927年第六高等学校 (旧制)文科甲類卒業。1930年東京帝国大学法学部政治学科卒。逓信省に入り、姫路郵便局長、朝鮮総督府逓信局海事課長、逓信省竿船局沿岸課海務員、運航部港運、第一輸送各課長、大東亜省南方事務局交通産業課長、企画院書記官、運輸省海運総局総務企画課長、神戸海運局(現神戸運輸監理部)管理部長、同局長、運輸省海運局長などを歴任する。 1956年の第4回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で立候補したが落選した。1960年の第29回衆議院議員総選挙において兵庫3区から自由民主党公認で立候補して当選した。
始関 伊平(しせき いへい、1907年4月7日 - 1991… 始関 伊平(しせき いへい、1907年4月7日 - 1991年11月26日)は、昭和期の商工官僚・政治家・弁護士。建設大臣などを歴任した。
今野 武雄(こんの たけお、1907年〈明治40年〉3月17… 今野 武雄(こんの たけお、1907年〈明治40年〉3月17日 - 1990年〈平成2年〉3月29日)は、日本の教育者、数学者、科学史家、政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、1期)。イギリスの動物学者・ランスロット・ホグベンの『百万人の数学』を翻訳したことでも知られる。 東京都出身。東京帝国大学理学部数学科を卒業後、東京物理学校(現・東京理科大学)や慶應義塾大学、法政大学などで教鞭を執る傍ら、1933年(昭和8年)に日本共産党へ入党。1940年1月の「唯研事件」第2次一斉検挙をはじめ、戦前は3度の逮捕・投獄を余儀なくされたが、その間も数学・科学史関連の著書・訳書を多数発表した。 戦後は読売新聞論説委員を経て、1946年には民主主義科学者協会(民科)設立に関わり、常任幹事や事務局長に就く。
平等 文成(びょうどう ぶんじょう、1907年(明治40年)… 平等 文成(びょうどう ぶんじょう、1907年(明治40年)3月17日 - 1970年(昭和45年)12月12日))は、衆議院議員(日本社会党)、歴史学者。選挙には「びょうどう ぶんせい」の読みで出馬した。 神奈川県横浜市出身。1929年、新潟高等学校卒業。東京帝国大学文学部卒業。東京で新聞・雑誌記者として勤めたのち、中国大陸に渡り高橋公館、興亜院華北連絡部に勤務。のち、新民学院や北京大学(農学院)教授などを歴任し、東洋史の研究に従事する。第二次世界大戦後、長野県北佐久郡軽井沢町の浅間山麓に入植し、農民運動を始め、全日本農民組合中央常任委員、同国際部長、同長野県連合会委員長、日本社会党長野県本部統制委員長、私学新報社長などを歴任した。
久保田 藤麿(くぼた ふじまろ、1907年(明治40年)2月… 久保田 藤麿(くぼた ふじまろ、1907年(明治40年)2月17日 - 1993年(平成5年)5月8日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。衆議院議員(2期)。 1907年(明治40年)、三重県鈴鹿市にて出生。 旧制福岡高校を経て、東京大学法学部政治学科卒業。文部省各課長。内閣総理大臣・文部大臣秘書官。文部省施設局長・管理局長・調査局長。自由民主党の文教調査副会長となり万国著作権条約会議・諸外国の教育事情を視察するために欧米各国に出張する。九州大学助教授、日本短波研究所理事長も務めた。 1955年(昭和30年)の第27回衆議院議員総選挙と1958年(昭和33年)の第28回衆議院議員総選挙に三重1区から無所属で出馬するが、落選。
山田 久就(やまだ ひさなり、1907年1月13日 - 19… 山田 久就(やまだ ひさなり、1907年1月13日 - 1987年12月15日)は、日本の外交官、政治家。位階は正三位。 第9代環境庁長官。衆議院議員(4期)。 父は高岡新報(現在の北日本新聞)元社長の山田久太郎。 1907年京都市生まれ。富山県東礪波郡広塚村(後の福野町、現在の南砺市)出身。旅順中学校、第四高等学校卒業。1929年に東京帝国大学法学部を卒業した後、外務省に入る。同期に朝海浩一郎(駐米大使)や大野勝巳(駐英大使)など。外務事務次官や駐ソ連特命全権大使等を務めた後、1967年の第31回衆議院議員総選挙に旧東京8区から立候補し当選する。 1973年に外務政務次官となり、1977年発足の福田赳夫改造内閣において環境庁長官となる。
天坊 裕彦(てんぼう ひろひこ、1907年(明治40年)1月… 天坊 裕彦(てんぼう ひろひこ、1907年(明治40年)1月7日 - 1984年(昭和59年)8月23日)は、日本の鉄道官僚、政治家。日本国有鉄道副総裁、参議院議員(2期)。 京都府で天坊幸彦の長男として生まれる。第三高等学校を経て、1929年(昭和4年)3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1928年(昭和3年)10月、高等試験行政科試験に合格。1929年4月、鉄道省に入省して鉄道属に任官し大臣官房に配属された。 以後、松阪駅長、大阪鉄道局庶務課文書掛長、鉄道省事務官、中支那派遣軍特務部附、興亜院事務官、鉄道局参事、鉄道調査部書記官・鉄道調査部第一課長、業務局事業課長、運輸通信省自動車局業務部監理第三課長、華中鉄道参事、運輸省鉄道総局勤務、北海海運局長、運輸省大臣官房長、大阪鉄道局長などを歴任。
佐治 誠吉(さじ せいきち、1907年(明治40年)1月2日… 佐治 誠吉(さじ せいきち、1907年(明治40年)1月2日 - 1995年(平成7年)9月17日)は、昭和期の官僚、政治家。衆議院議員、滋賀県大津市長。 滋賀県甲賀郡、のちの甲南町(現甲賀市甲南町)で生まれた。1932年(昭和7年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業。大同元年(1932年)10月、満州国の大同学院を卒業した。 以後、満州国総務庁属官、同人事処弁事、泰康県参事官、北満特別区公署事務官、三江省事務官・警務庁司法科長、同国境警察科長、黒山県副県長兼地籍整理局事務官、三江省理事官、錦州省長官房地方科長、興安東省長官房総務科長兼人事科長、大同学院教官・第一錬成部長、綏化県副県長などを歴任した。
竹本 孫一(たけもと まごいち、1906年12月21日 - … 竹本 孫一(たけもと まごいち、1906年12月21日 - 2002年5月30日)は、日本の政治家。元民社党衆議院議員。 山口県に生まれる。第五高等学校を経て1931年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。国際労働機関嘱託として浅利順四郎の下で働いた後、1935年に内閣調査局に入局。奥村喜和男らと経済統制政策の立案に関わり、4年後に企画院調査官となる。企画院調査官として「新政治体制確立要綱(試案)」等を作成し近衛文麿らの新体制運動の政策策定に関与した。その後大政翼賛会制度部副部長・情報局出版課長を経て、1943年12月に満州国国務院総務庁参事官に就任。 戦後、逓信省嘱託から片山内閣での首相秘書官になるが、1947年に公職追放。
松井 道夫(まつい みちお、1906年(明治39年)11月1… 松井 道夫(まつい みちお、1906年(明治39年)11月1日 - 2014年(平成26年)9月19日)は、日本の弁護士、裁判官、政治家。緑風会所属参議院議員。都市計画家・早稲田大学教授の松井達夫は兄。 新潟県出身。1929年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業し、弁護士となる。 その後、判事に任官。長野地方裁判所、千葉地方裁判所、松山地方裁判所、甲府地方裁判所で判事を務めた。満洲国に転じ、ハルビン地方法院審判官、牡丹江高等法院審判官、チャムス地方法院次長を歴任。帰国後、甲府地方裁判所部長を務めた。 1947年4月、第1回参議院議員通常選挙において全国区に出馬し当選(任期3年)。1950年6月、第2回通常選挙で落選したため、参議院議員を一期のみ務めた。
福田 篤泰(ふくだ とくやす、1906年10月13日 - 1… 福田 篤泰(ふくだ とくやす、1906年10月13日 - 1993年8月7日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(10期)、総理府総務長官、行政管理庁長官、郵政大臣などを歴任した。 東京府出身。府立第三中学校、旧制浦和高等学校を経て、1930年東京帝国大学経済学部を卒業後、外務省に入省。情報局秘書課長などを経て吉田茂首相秘書官となる。吉田の名代として林譲治や益谷秀次との折衝を任されるなど信頼を得ていた。 1949年第24回衆議院議員総選挙に旧東京7区から民主自由党公認で立候補し当選、以後当選10回で、吉田政権時代の中央官僚出身政治家にしては珍しく、保守合同後は大野伴睦派-村上勇派-三木武夫派と、党人派系の派閥を遍歴している。
鴨田 宗一(かもだ そういち、1906年(明治39年)9月1… 鴨田 宗一(かもだ そういち、1906年(明治39年)9月17日 - 1979年(昭和54年)2月8日)は、日本の政治家、実業家。位階は従三位勲一等。衆議院議員(7期)、熊谷市長(3期)。熊谷市名誉市民。1953年3月熊谷商工信用組合を設立し、初代理事長に就任。その後、自由民主党より国政へ進出し、商工部会長、中小企業調査会長、政調審議委員、副幹事長、池田内閣建設省政務次官、佐藤内閣経済企画政務次官、衆議院大蔵委員長などを歴任。専門は中小企業問題、経済企画。地元、熊谷駅への新幹線開通を実現した。衆議院議員の鴨田利太郎は息子。
橋本 龍伍(はしもと りょうご、1906年(明治39年)6月… 橋本 龍伍(はしもと りょうご、1906年(明治39年)6月2日 - 1962年(昭和37年)11月21日)は、日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員(6期)。位階勲等は正三位勲一等瑞宝章。称号は法学士。 大日本麦酒の常務を務めた橋本卯太郎の五男で、第82代・第83代内閣総理大臣の橋本龍太郎および高知県知事を務めた橋本大二郎の父、衆議院議員橋本岳の祖父である。 少年の頃に結核性の腰椎カリエスに罹って11年に及ぶ闘病生活を送り、生涯杖を離せない身体となった。苦学して第一高等学校、東京帝国大学法学部を卒業、大蔵官僚や内閣官房次長を経て吉田学校の一員として文部大臣、厚生大臣等を歴任した。 1906年6月2日、東京府荏原郡目黒村に大日本麦酒(現・サッポロビール)社員の橋本卯太郎・マツの五男として生まれた。
小澤 太郎(おざわ たろう、1906年(明治39年)5月24… 小澤 太郎(おざわ たろう、1906年(明治39年)5月24日 - 1996年(平成8年)2月16日)は、日本の政治家。山口県知事(2期)、衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)。 1906年(明治39年)山口県萩市にて生まれる。再興旧制官立山口高等学校を卒業し、1930年(昭和5年) 東京帝国大学法学部英法科を修了。のちに台湾総督府に勤務。総督官房文書課長、同人事課長、警務局警務課長などを歴任する。 1948年(昭和23年)山口県副知事に就任。1953年(昭和28年)山口県知事に初当選を果たす。1957年(昭和32年)山口県知事に2期目当選。 1960年(昭和35年)知事任期途中で辞職し、第29回衆議院議員総選挙に旧山口2区から自由民主党公認で立候補し当選(4期)。
西宮 弘(にしみや ひろし、1906年5月14日 - 200… 西宮 弘(にしみや ひろし、1906年5月14日 - 2003年11月22日)は、日本の官僚、政治家。陸軍司政官。 茨城県水戸市出身。東京帝国大学法学部卒。内務省、戦後に自治省係長、岩手県出納長、宮城県副知事、日本社会党所属の衆議院議員。 岩手県出納長を経て、1956年10月に新たに宮城県知事に就任した大沼康の副知事に任命される。1959年3月、大沼の急逝を受けて知事選に立候補したが、落選。翌1960年の第29回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で宮城1区から出馬し初当選。1963年に再度、宮城県知事選に立候補するが落選。同年の第30回衆議院議員総選挙に再出馬し当選した。 全金本山労働組合争議では、支援共闘会議議長を担う。
秋田 大助(あきた だいすけ、1906年(明治39年)1月1… 秋田 大助(あきた だいすけ、1906年(明治39年)1月14日 - 1988年(昭和63年)11月29日)は、昭和期の政治家。衆議院議員(12期)、自治大臣(第17代)、法務大臣(第27代)。父は衆議院議長を務めた秋田清。「策士」と称された父親と対照的に、地味で穏健な学究肌の政治家であった。 徳島県三好郡足代村(現東みよし町)に生まれる。旧制高知高等学校を経て、1932年(昭和7年)東京帝国大学法学部経済学科を卒業、東邦電力に入社する。戦前は実業界で活躍し、西樺太商事取締役、土佐電気専務取締役、大阪プレス製作所専務取締役、松本鋳造鉄工所専務取締役、田中鉄工所取締役社長、太陽通商取締役、日東海運産業取締役、日東自動車監査役などを務めた。
李 孝祥(イ・ヒョサン、朝鮮語: 이효상、1906年1月14… 李 孝祥(イ・ヒョサン、朝鮮語: 이효상、1906年1月14日 - 1989年6月18日)は、大韓民国の詩人、哲学者、教授、政治家。第6・7代国会議長、参議員、第6・7・9・10代韓国国会議員。 本貫は星山李氏(朝鮮語版)。号はハンソル。カトリック教徒。 1906年に大邱で生まれた。1930年に東京帝国大学(現・東京大学)文学部独文学科卒、帰国後は嶠南学校で教職を務め、1940年に校長に就任した。解放後は慶尚北道学務局長を経て、1952年に慶北大学校文理科大学教授に着任した。1954年にルーヴェン・カトリック大学で哲学と文学を修学し、帰国後は慶北大学校文理科大学の初代学長を務めた。他には大倫教育財団理事、嶺南大学校財団理事長、国際新聞編集者協会・アジア新聞編集者協会韓国代表、大邱毎日新聞社理事など教育・新聞界でも活動した。
安中 忠雄(あんなか ただお、1905年 <明治38年> 1… 安中 忠雄(あんなか ただお、1905年 <明治38年> 12月27日 - 1999年 <平成11年> 8月17日)は、日本の内務・厚生官僚、政治家。宮崎県知事。位階は従四位。 新潟県出身、東京帝国大学卒。1928年内務省に入省。厚生省大臣官房会計課長を経て1945年宮崎県知事(官選)に就任。 1947年に知事が公選となったのに伴い、初の知事選挙に出馬。一位の二見甚郷が法定得票数に届かず、二見との決選投票となったが、二見の公職追放により無投票当選した。知事を1期務めた後1951年に郷里・新潟県の知事選に鞍替え出馬するが落選。翌1952年の総選挙において新潟2区から自由党公認で立候補したが落選。1959年に返り咲きを目指して再度宮崎県知事選に出馬するも黒木博に敗れた。
前尾 繁三郎(まえお しげさぶろう、1905年12月10日 … 前尾 繁三郎(まえお しげさぶろう、1905年12月10日 - 1981年7月23日)は、日本の政治家、官僚。宏池会第二代会長。第58代衆議院議長。
朽木 綱博(くつき つなひろ、1905年(明治38年)11月… 朽木 綱博(くつき つなひろ、1905年(明治38年)11月13日 - 1963年(昭和38年)6月13日)は、昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・池田、旧名・博久。 陸軍将校・池田仲博の三男として生まれ、陸軍少将・朽木綱貞の養子となる。養父の死去に伴い、1930年4月1日、子爵を襲爵した。 1931年、東京帝国大学文学部を卒業。松竹興業社長秘書、東京宝塚劇場嘱託、参謀本部嘱託などを務めた。 1946年(昭和21年)8月22日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
星子 敏雄(ほしこ としお、1905年(明治38年)11月9… 星子 敏雄(ほしこ としお、1905年(明治38年)11月9日 - 1995年(平成7年)7月13日)は、日本の政治家。熊本市長(4期)。位階は正五位。 熊本県鹿本郡稲田村(鹿本町を経て現山鹿市)出身。旧制五高を経て1928年東京帝国大学法学部政治学科卒。同年満洲に渡り、関東庁に勤務する。その後奉天省、満州国総務庁で勤務し、1945年満州国警務総局長に就任した。同年、ソ連軍が満州に侵入し、星子はソ連軍に拘束され、シベリアに抑留される。1956年帰国。1963年熊本市助役に就任。1970年熊本市長選挙に立候補して当選、4期16年務めた。1986年に引退。1987年、勲二等瑞宝章受章。1995年死去。