三浦 義男(みうら よしお、1895年(明治28年)1月8日… 三浦 義男(みうら よしお、1895年(明治28年)1月8日 - 1965年(昭和40年)2月8日)は、日本の政治家。参議院議員、宮城県知事を歴任した。 宮城県の大崎地方(旧古川市域)生まれ。宮城県立古川中学校、第二高等学校を経て、1920年(大正9年)に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業、鉄道省に入省した。 1943年(昭和18年)、運輸省(現在の国土交通省)施設局長に就任。1953年(昭和28年)、参議院議員選挙に全国区から無所属で立候補し初当選、参議院議員となった。翌1954年(昭和29年)、日本民主党に入党、国会対策委員長などを務めた。1950年から1951年までは、土木学会の会長職にもあった。
青山 勝一(あおやま かついち、1895年 - 1977年)… 青山 勝一(あおやま かついち、1895年 - 1977年)は、日本の内務官僚、政治家。 島田大井川農業水利事業所事務官、静岡県小笠郡菊川町長などを歴任した。 1895年、静岡県城東郡(のちの小笠郡)六郷村にて生まれた。上京して東京帝国大学に入学して農学を学び、1920年に卒業した。当時の東京帝国大学は分科大学制から学部制に移行する端境期であり、卒業する一年前の1919年には東京帝国大学の農科大学が農学部に改組されている。 大学卒業後は、内務省に入省する。内務省では地方小作官を経て、のちに農地開発営団主事を務めるなど、主として農政分野に携わった。太平洋戦争終結後は農林省にて農林技官を務め、島田大井川農業水利事業所事務官などを歴任した。
王 謨(おう ぼ/おう も、1895年 - 1958年)は、… 王 謨(おう ぼ/おう も、1895年 - 1958年)は、中華民国の教育者・地理学者・政治家。字は献芻。南京国民政府(汪兆銘政権)の要人。 民国初期に日本へ留学し、1919年(民国8年/大正8年)3月に東京高等師範学校理科第三部乙班を卒業している。次いで東京帝国大学理学部地理学科に入学し、1922年(民国11年/大正11年)3月に卒業、理学士の称号を取得した。 帰国後は、国立武昌大学、国立北京師範大学、国立清華大学、国立北京大学女子文理学院などの地理学系教授や講師を歴任し、北京政府時代には参議院議員もつとめた。1942年(民国31年)まで北京師範学院院長をつとめ、その後に北京師範大学教授をつとめる。
森山 鋭一(もりやま えいいち、1894年(明治27年)12… 森山 鋭一(もりやま えいいち、1894年(明治27年)12月17日 - 1956年(昭和31年)6月9日)は、大正から昭和前期の法制官僚、政治家、弁護士。貴族院勅選議員、法制局長官。 現在の三重県桑名市で、伊藤伊右衛門の三男として生まれ、森山兵介の養子となる。1914年(大正3年)7月、第八高等学校一部丙を首席で卒業。1919年(大正8年)7月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業し、同月、内務省に入り内務属・土木局工営課に配属された。1920年(大正9年)10月、高等試験行政科試験に合格。 その後、兼警察講習所教授、埼玉県視学官、帝都復興院計画局制度課、復興局事務官・長官官房計画課などを歴任。
三輪 寿壮(みわ じゅそう、1894年(明治27年)12月1… 三輪 寿壮(みわ じゅそう、1894年(明治27年)12月15日‐1956年(昭和31年)11月14日)は日本の法律家、政治家。労働農民党書記長、日本労農党書記長、第二東京弁護士会会長、衆議院議員。
内藤 友明(ないとう ともあき、1894年(明治27年)12… 内藤 友明(ないとう ともあき、1894年(明治27年)12月8日 - 1992年(平成4年)3月14日)は、大正から昭和期の農業技術者、政治家。衆議院議員、富山県新湊市長。 富山県射水郡新湊町(新湊市を経て現射水市)出身。1917年(大正6年)東京帝国大学農科大学実科を卒業した。 1932年(昭和7年)1月、新湊町会議員に選出され1期在任。帝国農会参事、富山県農会技師兼幹事、産業組合中央金庫(現農林中央金庫)秘書課長、石黒忠篤農林大臣秘書官、農地開発営団常任幹事、農村更生協会常任理事、農山漁村文化協会監事などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で富山県第2区に国民協同党公認で出馬して初当選し、以後1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続5期在任した。
柳沢 徹隆(やなぎさわ てつりゅう、1894年(明治27年)… 柳沢 徹隆(やなぎさわ てつりゅう、1894年(明治27年)11月30日 - 1972年(昭和47年)9月9日)は、日本の政治家。新潟県直江津市(現・上越市)長(2期)。 新潟県中頸城郡直江津町(のち直江津市、現・上越市)に生まれる。1921年、東京帝国大学法学部卒。1929年、直江津町会議員となり、1947年、同議長となる。1954年、直江津町の市制施行により直江津市議会となり、初代議長となる。1955年、直江津市長選挙に立候補し、当選する。市長は1962年まで2期務めた。 このほか公民館長や消防団長、上越医療連合会会長、南部海区漁業調査委員会会長、新潟県漁業調査委員会副会長なども歴任した。
原 彪(はら ひょう / たけし、男性、1894年(明治27… 原 彪(はら ひょう / たけし、男性、1894年(明治27年)11月24日 - 1975年(昭和50年)12月17日)は、日本の政治家、政治学者。衆議院副議長。本名は彪之助。 岡山県小田郡金浦村(現・笠岡市)に生まれる。岡山一中、第一高等学校を経て、1921年東京帝国大学法学部政治学科を卒業。その後は文部省嘱託、鉄道省鉄道講習所講師、明治大学講師を経て、1928年法政大学教授に就任。政治学・政治史を講じていた。 学生時代より社会主義に共鳴し、1924年安部磯雄らと社会主義研究団体「日本フェビアン協会」を結成する。以後安部に付き従い、1932年安部を委員長とする社会大衆党が結成されると原も入党し中央執行委員になる。
中山 輔親(なかやま すけちか、1894年〈明治27年〉11… 中山 輔親(なかやま すけちか、1894年〈明治27年〉11月13日 - 1980年〈昭和55年〉4月23日)は、日本の政治家、華族。貴族院侯爵議員。中山忠能の曾孫で、大正天皇のはとこに当たる。勲二等瑞宝章。 東京府出身。侯爵・中山孝麿の五男として生まれる。父・孝麿の死去に伴い、1919年(大正8年)12月20日、家督を相続し侯爵を襲爵。同年12月22日、貴族院侯爵議員に就任し、火曜会に属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。 東京帝国大学経済学部を修了。1942年(昭和17年)以降、商工省参与、内閣委員、軍需省委員、取引所資産評価委員会委員などを務めた。 忠親 - 兼宗 - 忠定 - 基雅 - 家親 - 定宗 - 親雅 - 満親 - 定親 - 親通 - 宣親 - 康親 - 孝親 - 親綱 - 慶親 - 元親 - 英親 - 篤親 - 兼親 - 栄親 - 愛親 - 忠尹 - 忠頼 - 忠能 - 忠愛 - 孝麿 - 輔親 - 忠敬 -
木崎 為之(爲之、きざき ためゆき、1894年(明治27年)… 木崎 為之(爲之、きざき ためゆき、1894年(明治27年)9月1月 - 1980年(昭和55年)10月15日)は、日本の弁護士、政治家、右翼活動家。衆議院議員。旧姓・伊賀。 兵庫県菟原郡本山村(武庫郡本山村を経て現神戸市東灘区本山)で、伊賀平内左衛門の二男として生まれ木崎新逸の養子となる。1920年(大正9年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した。 1921年(大正10年)から1923年(大正12年)女子学習院(現学習院女子大学)教授を務めた。1924年(大正13年)大阪市で弁護士を開業。 1940年(昭和15年)10月、大日本翼賛壮年団総務に就任。則天塾から1942年(昭和17年)4月、第21回衆議院議員総選挙に兵庫県第5区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬して当選し翼賛政治会に参加し、その後、無所属倶楽部に所属して衆議院議員を1期務めた。
大久保 教尚(おおくぼ のりたか、1894年(明治27年)6… 大久保 教尚(おおくぼ のりたか、1894年(明治27年)6月3日 - 1959年(昭和34年)11月26日)は、大正から昭和期の宮内官、教育者、政治家、華族。貴族院子爵議員。 子爵・大久保教正の長男として生まれる。父の死去に伴い、1900年(明治33年)9月24日、子爵を襲爵した。 1921年(大正10年)東京帝国大学経済学部、1923年(大正12年)同大法学部をそれぞれ卒業し、さらに同大大学院で社会法学を研究した。 1925年(大正14年)宮内省に入省し宮内属に任官。宗秩寮勤務、式部官などを務めて1933年(昭和8年)に退官した。その後、東京商工学校講師、東京農業大学講師、日本西班牙協会理事、東京日本洪牙利協会理事などを務めた。
2代 江原 桂三郎(えばら けいざぶろう、1894年〈明治2… 2代 江原 桂三郎(えばら けいざぶろう、1894年〈明治27年〉5月9日 - 1967年〈昭和42年〉9月28日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。群馬県前橋市長。初名・亮次。 のちに前橋市長を務める先代・江原桂三郎の次男として前橋市新町(現在の朝日町2丁目)に生まれる。1919年(大正8年)東京帝国大学法学部政治科を卒業し、三菱合資会社銀行部(三菱銀行)に勤務する。東京電燈前橋支店勤務、群馬中央銀行調査部長、同行常務取締役、群馬県農工銀行取締役などを歴任。さらに群馬大同銀行(現・群馬銀行)常務取締役となった。1929年(昭和4年)に桂三郎の名を襲名。 1933年(昭和8年)12月24日、前橋市長に就任。
安倍 寛(あべ かん、旧字体: 安倍 寬、1894年〈明治2… 安倍 寛(あべ かん、旧字体: 安倍 寬、1894年〈明治27年〉4月29日 - 1946年〈昭和21年〉1月30日)は、日本の政治家、木材商。衆議院議員(通算2期。第20、21期)。戦後は日本進歩党に所属した。 政治家の安倍晋太郎(外務大臣を務めた)は長男。安倍寛信(経営者)、安倍晋三(衆議院議員、第90・96・97・98代内閣総理大臣)、岸信夫(衆議院議員、防衛大臣)は孫。妻・静子は陸軍軍医監本堂恒次郎の娘(後に離婚)。 1894年、山口県大津郡日置村蔵小田(現・長門市油谷蔵小田渡場)に安倍彪助・タメの長男として生まれる。4歳までに両親が相次いで死亡したため、伯母のヨシに育てられる。父・彪助は郡内で名門として知られる椋木(むくのき)家からの婿養子であり、母・タメは安倍家の“中興の祖”となった安倍慎太郎の妹である。
西村 実造(にしむら じつぞう、1894年(明治27年)4月… 西村 実造(にしむら じつぞう、1894年(明治27年)4月19日 - 1950年(昭和25年)8月7日)は、日本の政治家。兵庫県生まれ。公選初代埼玉県知事。1947年(昭和22年)カスリーン台風被害、1948年(昭和23年)埼玉県庁舎焼失など乗り切り、西村県政と謳われた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
安倍 源基(あべ げんき、1894年〈明治27年〉2月14日… 安倍 源基(あべ げんき、1894年〈明治27年〉2月14日 - 1989年〈平成元年〉10月6日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。警視庁特別高等警察部長、警視総監、内務大臣を歴任した。山口県出身。 1894年(明治27年)、山口県熊毛郡曾根村(現平生町)に生まれた。山口県士族安倍半次郎の長男。 山口県立山口中学校、山口県立徳山中学校、第六高等学校を経て、東京帝国大学法学部入学。 1920年、東京帝国大学法学部法律学科卒業、内務省入省(警保局配属)。 1932年、警視庁において初代特別高等警察部長となり、赤色ギャング事件や日本共産党スパイ査問事件を通じて「赤狩り安倍」の名 が付いた。安倍が特高部長であった1933年には、19人が特高警察の過酷な取調べで死亡しており(19人は戦前で最多)、その中にはプロレタリア文学作家の小林多喜二も含まれている。
入江為常(いりえ ためつね、1894年2月7日 - 1969… 入江為常(いりえ ためつね、1894年2月7日 - 1969年3月3日)は、日本の貴族院議員。子爵。入江為守の子。 東京府出身。学習院を経て1914年(大正3年)、東京府立一中卒業。家業である歌道を極める道には進まず、東京帝国大学に進学して理学部化学科を卒業。台湾総督府中央研究所技師を経て、1928年(昭和3年)に陸軍技師、次いで理化学研究所技師となった。1938年(昭和13年)から1947年(昭和22年)まで貴族院議員を務めたほか、東京女学館で講師も務めた。 妹の高木邦子は崇仁親王妃百合子の母。弟に入江相政。母・信子は柳原前光伯爵の長女で、柳原白蓮の異母姉、かつ大正天皇の生母・柳原愛子の姪にあたる。
田口 政五郎(たぐち まさごろう、1894年(明治27年)2… 田口 政五郎(たぐち まさごろう、1894年(明治27年)2月3日 - 1964年(昭和39年)2月8日)は、大正末から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)、兵庫県明石市長、同明石郡垂水村長、同垂水町長。 兵庫県明石郡、のちの明石市で生まれる。1919年(大正8年)東京帝国大学経済学部を卒業した。 1923年(大正12年)兵庫県会議員に選出された。その後、垂水村長、垂水町長(2期)を務めた。1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙で兵庫県地方区から民主党公認で出馬して当選(補欠、任期3年)した。次の第2回通常選挙には出馬せず、参議院議員に1期在任した。この間、第3次吉田内閣大蔵政務次官などを務めた。
江原 三郎(えはら さぶろう、1894年(明治27年)1月3… 江原 三郎(えはら さぶろう、1894年(明治27年)1月30日 - 1965年(昭和40年)3月4日)は、日本の政治家、弁護士。栃木県宇都宮市長、衆議院議員などを歴任。 栃木県下都賀郡絹村(桑絹村、桑絹町を経て現小山市)に塚原金吾の三男として生まれ、衆議院議員江原節の養子となった。東京帝国大学独法科を卒業し弁護士となる。宇都宮市会議員を経て、1935年(昭和10年)9月から1937年(昭和12年)5月まで宇都宮市選出の栃木県会議員を務める。1937年から栃木1区選出の立憲政友会の衆議院議員を1期務めた。 1944年(昭和19年)12月31日、宇都宮市長に就任。1945年(昭和20年)7月、宇都宮大空襲により同市は甚大な被害を受け市役所も焼失した。
鈴木 義男(すずき よしお、1894年1月17日 - 196… 鈴木 義男(すずき よしお、1894年1月17日 - 1963年8月25日)は、日本の政治家、法学者、弁護士。位階は正三位、勲等は勲一等。 衆議院議員(7期)、司法大臣・法務総裁を歴任。日本国憲法における生存権の制定・平和主義の誕生に寄与した。 1894年(明治27年)1月17日に福島県西白河郡白河町で生まれる。その後、東北学院普通科に進学し、同学校の第2代院長のD.B.シュネーダーら宣教師たちからキリスト教に基づく教育を受けた。同校卒業後は、仙台の第二高等学校(旧制二高)に進学した。そして1915年に東京帝国大学法科大学法律学科に進学し、美濃部達吉・吉野作造・牧野英一らのもとで学んだ。卒業後は同大の助手を務め、任期満了後の1921年(大正10)年から2年8ヶ月にわたり、欧米留学に向かった。
溝口 三郎(みぞぐち さぶろう、1893年〈明治26年〉11… 溝口 三郎(みぞぐち さぶろう、1893年〈明治26年〉11月26日 - 1962年〈昭和37年〉9月10日)は、日本の農業土木学者、農林技官、政治家。参議院議員(1期)、農学博士。 長野県、現在の上田市で溝口多門司の長男として生まれる。1920年(大正9年)東京帝国大学農学部農学科を卒業した。新潟県産業技師となり、青森県耕地課長を経て、1928年 (昭和3年)農林省農務局に転じた。1938年(昭和13年)青森県三本木原開墾国営事務所長兼秋田県田沢疎水開墾国営事務所長に就任した。1941年(昭和16年)農林省耕地課長に転じ、農地開発法の制定や、戦時下の食糧増産政策の推進を担った。 戦後、1945年(昭和20年)農林省開拓局第二部長に就任し、復員者などの生活支援と、切迫した食糧不足に対応するため開拓事業を進めた。
阿部 千一(あべ せんいち、1893年(明治26年)11月2… 阿部 千一(あべ せんいち、1893年(明治26年)11月23日 - 1972年(昭和47年)9月3日)は、日本の政治家。衆議院議員(1952-1953)、岩手県知事(1955年-1963年)などを務めた。 1893年(明治26年)11月23日、岩手県稗貫郡湯口村大字中根子(現在の花巻市中根子)に、小学校教員(後に湯口村村長)の父・晁(ちょう)と母・テルの長男として生まれた。仮死状態で生まれ、家族は一時あきらめたが、祖母が千に一つの望みに、と医師を呼んで手当をしてもらって奇跡的に助かったことから、その医師・三又与次郎の発案で千一と名付けられた。1912年に盛岡中学校、1916年に第一高等学校を卒業。
横山 四郎(横山 四朗、よこやま しろう、1893年〈明治2… 横山 四郎(横山 四朗、よこやま しろう、1893年〈明治26年〉11月13日 - 没年不明)は、日本の薬剤師、地主、政治家、神奈川県多額納税者、実業家。神奈川県議会議員、横浜市会議員。第85代神奈川県議会議長横山哲夫の父。 神奈川県橘樹郡旭村(現・横浜市)出身。横山秀民の長男。1916年、東大農科実科を卒業。1919年、薬剤師試験合格。日本大学法科卒業。農業を営む。横浜市方面委員、土地賃貸価格調査委員を経て1938年以来横浜市会議員に2回当選する。 横浜市功労者となり、同市学務委員、所得調査委員、家屋賃貸価格調査委員を歴任する。1955年4月以降3回神奈川県議会議員に当選する。1965年11月、勲五等を受く。
永井 英修(ながい えいしゅう、1893年(明治26年)11… 永井 英修(ながい えいしゅう、1893年(明治26年)11月7日 - 1967年(昭和42年)2月19日)は、大正から昭和期の鉱山技術者、実業家、政治家。衆議院議員。戦後の炭鉱開発を担った。 佐賀県小城郡多久村(現多久市多久町西ノ原)で永井英迅の長男として生れる。1920年(大正9年)東京帝国大学工学部採鉱学科を卒業した。 1920年、高取鉱業(佐賀県)に入社し、杵島炭鉱長、大鶴炭鉱長、鉱業部長、常務取締役を歴任。その他、湘南製作所取締役、住ノ江造船取締役、西日本坑木取締役、大日鉱業常務取締役、杵島炭礦専務取締役、大日鉱業社長、佐賀相互銀行社長、花菱商事社長、自由文化出版社代表者などを務めた。
平沢 長吉(平澤、ひらさわ ちょうきち、1893年(明治26… 平沢 長吉(平澤、ひらさわ ちょうきち、1893年(明治26年)10月5日 - 1960年(昭和35年)6月14日)は、大正・昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 秋田県南秋田郡土崎港町本山町(現秋田市土崎港中央)で、平沢喜一郎の長男として生まれる。1915年(大正4年)東京帝国大学農科大学実科を卒業した。 木材業を営み、出羽林業を設立して取締役に就任。土崎木材商業組合長、秋田県木材業統制組合理事長、同森林組合連合会副会長、同木材業林産組合長、秋田合同運送社長、三協木材社長、東北興業監事などを務めた。 政界では、土崎港町会議員、秋田市会議員、秋田県会議員、同参事会員、同議長を務めた。1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で秋田県第1区から秋田県民主党公認で出馬して初当選。
加藤 成之(かとう よしゆき、1893年(明治26年)9月6… 加藤 成之(かとう よしゆき、1893年(明治26年)9月6日 - 1969年(昭和44年)6月30日)は、大正から昭和期の音楽教育者、音楽学者、政治家、華族。貴族院男爵議員。日本での音楽史研究、音楽美学の開拓者の一人。 医師・加藤照麿の二男として東京で生まれる。父の死去に伴い、1925年(大正14年)11月2日、男爵を襲爵した。 1920年(大正9年)東京帝国大学文学部を卒業し、さらに同大学院を修了した。1922年(大正11年)から1924年(大正13年)までフランス、ドイツに留学する。帰国して、東京美術学校講師、東京高等音楽院講師、女子美術専門学校講師、東北帝国大学法文学部講師などを務めた。
西岡 広吉(廣吉、にしおか こうきち、1893年 <明治26… 西岡 広吉(廣吉、にしおか こうきち、1893年 <明治26年> 9月2日- 1961年 <昭和36年> 3月22日)は、日本の内務官僚、政治家。公選による初代の岡山県知事を務めた。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。 1893年、山口県柳井市で生まれる。1924年に東京帝國大学(現・東京大学)を卒業し、官選の岡山、福岡県知事を務めた。1947年の第一回岡山県知事選挙に当選。同年12月に岡山県内で行われた昭和天皇の戦後巡幸では、随行役を務めた。その後は、県知事を1期4年務めた。1961年3月22日、胃癌のため67歳で逝去。死没日付をもって正五位から従四位に進階し、勲三等旭日中綬章を追贈された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
一萬田 尚登(いちまだ ひさと、1893年(明治26年)8月… 一萬田 尚登(いちまだ ひさと、1893年(明治26年)8月12日 - 1984年(昭和59年)1月22日)は、日本の銀行家、政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。姓は新字体で一万田とも表記される。 日本銀行総裁(第18代)、大蔵大臣(第58・59・60・63代)、衆議院議員(5期)。 日本銀行総裁としての在任期間3115日間は黒田東彦に次ぐ歴代2位である。一萬田自身の鋭い眼光の目つきと彫りの深い容貌もあいまって「法王」の異名を取り、戦後の金融界、経済界に重きを成した。 太平洋戦争後、連合国軍最高司令官総司令部占領下のインフレと資金不足の困窮経済のなか、大蔵省ではなく金融政策を掌る日本銀行が実質的に金融行政を掌握していたことが一萬田の力の背景にあった。
淵上 房太郎(ふちがみ ふさたろう、1893年(明治26年)… 淵上 房太郎(ふちがみ ふさたろう、1893年(明治26年)6月2日 - 1976年(昭和51年)2月28日)は、日本の政治家、内務官僚。衆議院議員、官選沖縄県知事。 福岡県出身。淵上仁七郎の長男として生まれる。第一高等学校を経て、1918年、東京帝国大学法科大学政治科を卒業。大蔵省に入省し専売局書記、同副参事を務める。1920年10月、高等試験行政科試験に合格。 1923年、内務省に転じ兵庫県明石郡長に就任。以後、同県川辺郡長、長崎県地方課長、石川県商工水産課長、宮崎県地方課長、三重県学務部長、青森県書記官・警察部長、岩手県書記官・総務部長、大分県書記官・総務部長、広島県書記官・総務部長などを歴任。
松延 弥三郎(まつのぶ やさぶろう、1893年3月19日 -… 松延 弥三郎(まつのぶ やさぶろう、1893年3月19日 - 1956年11月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 福岡県出身。1918年東京帝国大学政治科卒。三井物産(株)に入り、東京市主事となる。その後帰郷し、松延製粉(株)取締役、福岡県議、同参事会員、鉄道大臣官房事務嘱託、福岡バス(株)代表取締役、福島町(現・八女市)外十二町村土木組合長、県藁工品卸商業組合理事長、八女郡翼賛壮年団長となる。 1942年の第21回衆議院議員総選挙では福岡3区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。戦後は日本進歩党に入ったが、推薦議員のため公職追放となった。1951年追放解除。1956年死去。
黒川 武雄(くろかわ たけお、1893年3月5日 - 197… 黒川 武雄(くろかわ たけお、1893年3月5日 - 1975年3月8日)は、日本の実業家、政治家。位階は正三位。虎屋15代当主、参議院議員(3期)、厚生大臣(第19代)。旧姓は福田。 熊本県出身。製菓業、虎屋・黒川家の養子となる。第一高等学校を経て、1917年(大正6年)、東京帝国大学法学部英法科を卒業し、第一銀行に入社。1919年(大正8年)、家業に専念し虎屋店主、さらに同会長を務め、東京和生菓子商工業協同組合理事長、全国生菓子協会会長となる。 1947年(昭和22年)4月、第1回参議院議員通常選挙に東京地方区で日本自由党から出馬し当選。のち自由党、自由民主党に所属。第3回、第5回参議院議員通常選挙で再選され3期務め、1965年(昭和40年)7月、第7回参議院議員通常選挙には出馬せず引退した。
井川 忠雄(いかわ ただお、男性、1893年2月15日 – … 井川 忠雄(いかわ ただお、男性、1893年2月15日 – 1947年2月18日)は、日本の大蔵官僚、政治家。太平洋戦争開戦前、日米民間人交渉に携わった人物として知られる。 島根県出身。(旧制)仙台一中、一高、1917年東京帝国大学法科大学政治科を卒業後、大蔵省に入省。東京税務監督局兼理財局属。近衛文麿と近しく、近衛や後藤隆之助らが設立した「昭和研究会」の初期のメンバーでもあった。1936年、門司税関長を最後に退官し、産業組合中央金庫(現・農林中央金庫)理事となった。 1940年、ニューヨーク州のカトリック外国伝道協会のジェームズ・E・ウォルシュ、ドラウト両神父が井川のもとを訪れ、日米国交の調整問題について意見交換を行ったことを契機に、陸軍省の岩畔豪雄大佐とともに日米交渉を進め「日米諒解案」を作成するが、蚊帳の外に置かれていた松岡洋右外相の逆鱗に触れ、事実上握り潰された。
野中 徹也(のなか てつや、1893年(明治26年)1月29… 野中 徹也(のなか てつや、1893年(明治26年)1月29日 - 1943年(昭和18年)2月27日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党→国民同盟)。 埼玉県北埼玉郡大越村(現在の加須市)出身。東京帝国大学法科大学を卒業し、ドイツ・フランス・イギリス・アメリカ合衆国に留学し、政治学と経済学を学んだ。帰国後、高千穂高等商業学校(現在の高千穂大学)講師、時事新報記者などの職に就いた。 1928年、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は5回を数えた。その間、濱口内閣・第2次若槻内閣で安達謙蔵内務大臣の秘書官を務め、平沼内閣では文部参与官を務めた。
森本 義夫(もりもと よしお、1893年〈明治26年〉1月2… 森本 義夫(もりもと よしお、1893年〈明治26年〉1月27日 - 1954年〈昭和29年〉12月6日)は、大正後期から昭和期の鉄道官僚、政治家。衆議院議員。 福岡県京都郡白川村(現・苅田町)で生まれる。1912年(明治45年)豊津中学校(現・福岡県立育徳館中学校・高等学校)を卒業。第五高等学校(現・熊本大学)を経て、1919年(大正8年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した。 法制局に入り法制局属に任官したが、鉄道省に転じ鉄道属となる。以後、鉄道局副参事、在外研究員、国際観光局書記官、鉄道局参事、鉄道省大臣官房保健課長、新潟鉄道局長を歴任し、鉄道調査部長で退官した。 その後、鉄道省嘱託、陸軍省嘱託、華中鉄道公司嘱託、大日本労務報国会厚生局長、同理事、恩給金庫評議員、鉄道会議議員などを務めた。
東 龍太郎(あずま りょうたろう、1893年〈明治26年〉1… 東 龍太郎(あずま りょうたろう、1893年〈明治26年〉1月16日 - 1983年〈昭和58年〉5月26日)は、日本の政治家、医学者、厚生官僚。東京大学名誉教授。位階は正三位。東京都知事(第4・5代)、日本赤十字社社長(第10代)などを歴任した。 位階勲等は正三位勲一等旭日桐花大綬章。学位は医学博士(東京帝国大学)。称号は東京都名誉都民、日本赤十字社名誉社長など。 父は医師の東藤九郎。弟は野球選手の東武雄。武雄は東大野球部の投手として活躍し、龍太郎はボート部の選手として活躍した。妻は東京帝国大学総長を務めた山川健次郎(枢密顧問官、男爵)の三女・照子。 大阪府大阪市中央区久太郎町に、医師の東藤九郎の長男として生まれる。
桃原 茂太(とうばる / ももはら しげた、1892年(明治… 桃原 茂太(とうばる / ももはら しげた、1892年(明治25年)11月18日 - 1955年(昭和30年)2月28日)は、沖縄県出身の弁護士、実業家、政治家。衆議院議員。 宜野湾間切大謝名(現宜野湾市)で、桃原正裕の長男として生まれる。沖縄県第一中学校、第五高等学校を経て、1918年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。その後、東洋拓殖 (株) に入社。同参事、同監事、同太田及び釜山支店支配人、日蘇石油販売 (株) 専務取締役などを務めた。 1934年、帰郷して那覇市松山町で弁護士を開業。1942年4月の第21回衆議院議員総選挙で沖縄県選挙区から出馬し、翼賛政治体制協議会の非推薦候補であったが当選し衆議院議員を一期務めた。
杉溪 由言(杉渓、すぎたに よしとき、1892年(明治25年… 杉溪 由言(杉渓、すぎたに よしとき、1892年(明治25年)11月13日 - 1965年(昭和40年)5月3日)は、大正・昭和期の政治家、奈良華族。貴族院男爵議員。旧名・冷泉為由。 華族・冷泉為勇の長男として生まれ、男爵・杉溪言長の養子となる。1915年(大正4年)6月16日、由言と改名。養父の隠居に伴い、1929年(昭和4年)10月1日、男爵を襲爵した。 1919年(大正8年)7月、東京帝国大学文学部史学科(国史学)を卒業し、さらに1922年(大正11年)同法学部政治学科を卒業した。同年、東京電燈に入社した。また、歌会始講師、同奉行、御歌所参候などを務めた。 1932年(昭和7年)7月10月、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して活動し、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで二期在任した。
亀井 貫一郎(かめい かんいちろう、明治25年〈1892年〉… 亀井 貫一郎(かめい かんいちろう、明治25年〈1892年〉11月10日 ‐ 昭和62年〈1987年〉4月7日 )は、日本の外務官僚、政治家。社会民衆党・大政翼賛会所属の衆議院議員。財団法人聖戦技術協会理事長。 旧津和野藩主亀井伯爵家分家・亀井茲迪の長男として東京に生まれる。弟は亀井凱夫(海軍少将、戦死)。茲迪の父(貫一郎の祖父)は谷田部藩第9代藩主細川興貫で、亀井家分家の養子となり、亀井家分家を継いだ。 東京高等師範学校附属小学校、東京高等師範学校附属中学校、旧制第一高等学校を経て東京帝国大学進学。1917年7月、東京帝国大学法科大学政治学科卒業。同年10月、外交官及領事官試験合格、外務省入省。
山川 建(やまかわ たける、1892年(明治25年)10月1… 山川 建(やまかわ たける、1892年(明治25年)10月18日 - 1944年(昭和19年)2月22日)は大正時代から昭和初期にかけての日本の官僚、政治家。山川浩男爵家当主。 東京府出身。父は山川健次郎でその四男である。長兄の山川洵は東京帝国大学教授。1913年(大正2年)、従兄弟にあたる山川廉の跡を継いで伯父の山川浩家を承継した。七高を経て、1918年(大正7年)、東京帝大を卒業し高等文官試験に合格。千葉県警視、同理事官、静岡県地方事務官を経たのちは文部官僚として終始する。普通学務局庶務課、専門学務局学務課、大臣官房体育課、同文書課、同会計課の各課長を歴任。この間欧米視察に派遣された。社会教育局長を経て専門学務局長在任中に京都帝国大学で横領事件や清野事件が発生し濱田耕作総長が辞意を表明したが、山川は荒木貞夫文相の意を受けて、辞意撤回の説得を行った。
小山田 正直(おやまだ まさなお、1892年〈明治25年〉6… 小山田 正直(おやまだ まさなお、1892年〈明治25年〉6月15日 - 没年不明)は、大正から昭和時代の政治家。公吏。静岡県沼津市長。 福島県出身。小山田直三の四男として生まれ、のち小山田重四郎の養子となり、1922年(大正11年)分家し一家を創立する。1917年(大正6年)東京帝国大学法科大学商業科を卒業し、東京火災保険会社に入り、1918年(大正7年)大阪基督教青年会主事となり、1919年(大正8年)東京市に奉職し電気局電車課勤務、同局労働課長、同経理課長を経て、1931年(昭和6年)沼津市助役となった。その後、1933年(昭和8年)10月に同市長に就任した。1935年(昭和10年)7月まで務めた。
宮崎 高四(みやざき たかし、1892年4月14日 - 19… 宮崎 高四(みやざき たかし、1892年4月14日 - 1932年5月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 大阪府出身。1917年、東京帝国大学経済科卒。阪堺電鉄、大阪土地建物、高松百貨店各(株)取締役、木津川土地運河、門司築港各(株)監査役となる。 1930年の第17回衆議院議員総選挙において熊本2区から立憲国民党公認で立候補して当選した。衆議院議員を1期務めた。1932年の第18回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。同年5月に死去した。
星野 直樹(ほしの なおき、1892年〈明治25年〉4月10… 星野 直樹(ほしの なおき、1892年〈明治25年〉4月10日 - 1978年〈昭和53年〉5月29日)は、日本の大蔵官僚、政治家、実業家。 満洲国では国務院総務長官として腕を振るい、満洲国の実力者「弐キ参スケ」の一角を占める。第2次近衛内閣の企画院総裁、東條内閣では内閣書記官長を務め、終戦後にA級戦犯として起訴された。終身禁固刑を受けるも釈放され、その後は旭海運社長、ダイヤモンド社会長などを歴任した。 1892年(明治25年)4月10日に横浜市で生まれた。当時の高等科二年時(現在の小学校6年)、府立一中(現在の日比谷高校)へ願書を持って行ったところ、その年、中学校に入れるのは1892年4月2日以前の生まれの者に限られるとして、断られた。
小池 四郎(こいけ しろう、1892年(明治25年)3月21… 小池 四郎(こいけ しろう、1892年(明治25年)3月21日 - 1946年(昭和21年)3月11日)は、日本の社会事業家、政治家。衆議院議員。 東京市神田区神田錦町(現東京都千代田区)で、書家・小池淡(学山)の四男として生まれる。1917年7月、東京帝国大学工学部採鉱学科を卒業。 卒業後、鈴木商店に入社。帝国炭業木屋瀬鉱業所長となり、1924年、社会運動に加わるため退社し、上京して出版社クララ社を立ち上げた。 1926年、社会民衆党の結成に加わり、中央執行委員、福岡県支部連合会会長を務めた。1932年2月、第18回衆議院議員総選挙に福岡県第四区から出馬して当選。同年5月、赤松克麿が結成した国家社会主義政党・日本国家社会党に参加し中央執行委員、組織部長、福岡県支部連合会会長に就任。
塩月 学(學、しおつき まなぶ、1892年(明治25年)3月… 塩月 学(學、しおつき まなぶ、1892年(明治25年)3月10日 - 1966年(昭和41年)12月17日)は、大正から昭和期の雑誌編集者、政治家。衆議院議員。 大分県大野郡三重村(三重町を経て現豊後大野市)で、塩月古五郎の長男として生まれる。故郷や大分の呉服店に奉公後、19歳で上京。苦学して、第七高等学校造士館を経て、1922年(大正11年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業した。 安田保善社に入社し、その後、秘書課長に就任。政界入りを目指して安田保善社を退職し、第一出版社を経営し、日本青年社を創立し雑誌『青年日本』を発刊した。 1929年(昭和4年)東京市疑獄事件を受けて実施された東京市会議員選挙に出馬して最高点で当選。
團 伊能(だん いのう、1892年〈明治25年〉2月21日 … 團 伊能(だん いのう、1892年〈明治25年〉2月21日 - 1973年〈昭和48年〉2月9日)は、日本の実業家、政治家、美術史家。男爵。 1892年(明治25年)、三井合名会社理事長團琢磨の長男として、福岡県大牟田市に生まれる。 東京帝国大学文学部美術史学科で瀧精一に師事。ハーヴァード大学、ロンドン大学およびリヨン大学に学ぶ。東京帝国大学文学部美術史学科助教授時代の門人に坂倉準三、富永惣一、今泉篤男などがいる。デビュー作『パリ万国博覧会日本館』を設計する機会を坂倉に与えたのは團だった。また、坂倉の初期の代表作で昭和期の代表的な住宅建築である飯箸邸(東京都世田谷区等々力)は、1941年(昭和16年)に團の都内別邸として建てられたものである。
飯沼 一省(いいぬま かずみ、1892年(明治25年)2月1… 飯沼 一省(いいぬま かずみ、1892年(明治25年)2月15日 - 1982年(昭和57年)11月14日)は、日本の内務官僚、貴族院議員。戦前から戦後にかけ、日本の都市計画行政を牽引した人物の一人である。妻は南弘の娘・櫂子。 福島県会津若松市生まれ。父は白虎隊士飯沼貞吉の弟で会津松平家家令・飯沼関弥。東京小石川の旧黒田小学校(現在の文京五中の敷地)、府立四中、一高を経て、東京帝国大学法科大学を卒業後、内務省に入省。土木局属。神社局総務課長、都市計画課長、埼玉県知事、紀元二千六百年式典の事務局長を務めた後、静岡県知事、広島県知事、神奈川県知事、内務省神社局長、神祇院副総裁を歴任。 第二次世界大戦後の1946年3月12日に貴族院議員に勅選され、交友倶楽部に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任。
大矢 半次郎(おおや はんじろう、1892年〈明治25年〉1… 大矢 半次郎(おおや はんじろう、1892年〈明治25年〉1月9日 – 1977年〈昭和52年〉12月7日)は、大正から昭和期の大蔵官僚、弁護士、政治家。参議院議員、農林中央金庫副理事長。旧姓は佐々木。 岩手県紫波郡、のちの都南村(現盛岡市)で、佐々木定吉の三男として生まれ、政治家大矢馬太郎の養子となり1918年(大正7年)に分家した。盛岡中学校(現岩手県立盛岡第一高等学校)を経て、第一高等学校を卒業し、1917年(大正6年)10月、文官高等試験行政科試験に合格。1918年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した。同年、大蔵省に入省し参事官室属となる。 以後、富山税務署長、品川税務署長、永代税務署長、仙台税務監督局直税部長、大阪税務監督局直税部長、銀行検査官、大蔵省主税局国税課長兼主税局臨時土地調査課長、東京税務監督局長、日本銀行監理官、大蔵省主税局長などを歴任。
篠原 義政(しのはら よしまさ、1892年(明治25年)1月… 篠原 義政(しのはら よしまさ、1892年(明治25年)1月9日 – 1943年(昭和18年)7月16日)は、衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。旧名は文治。 群馬県碓氷郡八幡村(現在の高崎市)出身。旧制高崎中学卒業。1916年(大正5年)に高等文官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学法律科を卒業した。内務省に入り、長野県属、東京府属、内務属を歴任した。1919年(大正8年)に内閣軍需局事務官となり、翌年には国勢院事務官に任命された。1922年(大正11年)に退官した後は弁護士・弁理士事務所を開業した。 1932年(昭和7年)、第18回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。4回連続当選を果たした。
大達 茂雄(おおだち しげお、1892年(明治25年)1月5… 大達 茂雄(おおだち しげお、1892年(明治25年)1月5日 - 1955年(昭和30年)9月25日)は、日本の内務官僚、政治家。内務大臣(小磯内閣)、文部大臣(第5次吉田内閣)。参議院議員(1期)。 島根県那賀郡浜田町(現・浜田市)に、酒造業・大達新作の次男として生まれる。浜田中学から一高に進み、1916年(大正5年)に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業、内務省に入る。宮城県属。 内務省では地方局財務課長を経て1932年(昭和7年)福井県知事となる。福井師範学校整理問題で県会と衝突し、それに対する内務省の扱いに不満を抱いて辞表を提出した。 1934年に満洲国に招かれて満洲国国務院総務庁法制処長、1936年同国務院総務庁長を歴任。
窪井 義道(くぼい よしみち、1892年(明治25年)1月4… 窪井 義道(くぼい よしみち、1892年(明治25年)1月4日 - 1949年(昭和24年)11月13日)は、日本の政治家・弁護士・実業家。立憲政友会→昭和会→政友会革新同盟→日本進歩党所属の衆議院議員で内務政務次官や海軍参与官を務めた。 山口県熊毛郡三丘村(現・周南市)出身。1918年(大正7年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業した。大倉商事に入社したが、1922年(大正11年)に法律研究のためドイツに留学した。1924年(大正13年)に帰国し、弁護士を開業した。 1924年(大正13年)、衆議院補欠選挙に出馬し当選。さらに第18回衆議院議員総選挙から第21回衆議院議員総選挙まで4期連続当選を果たした。
松平 康春(まつだいら やすはる、1892年〈明治25年〉1… 松平 康春(まつだいら やすはる、1892年〈明治25年〉1月2日 - 1972年〈昭和47年〉3月18日)は、大正から昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。旧名・正二郎。 旧津山藩主家当主、子爵・松平康民の二男として生まれる。1917年(大正6年)1月29日、康春と改名。父の死去に伴い、1921年(大正10年)3月22日、子爵を襲爵した。 学習院を経て、1920年(大正9年)に東京帝国大学理学部植物学科を卒業。朝鮮銀行監事を務めた。 1925年(大正14年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され、研究会に所属して活動し、1946年(昭和21年)4月25日に辞任するまで3期在任した。この間、地方制度調査会委員、商工省委員、農商省委員を務めた。