山下 勇(やました いさむ、1911年2月15日 - 199… 山下 勇(やました いさむ、1911年2月15日 - 1994年5月6日)は、日本の経営者。三井造船(現・三井E&S)社長、東日本旅客鉄道(JR東日本)初代会長を務めた。 東京都出身。1937年に東京帝国大学工学部を卒業し、同年に三井物産に入社し、造船部に配属。三井造船に転じ、1955年7月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1968年5月に副社長に就任し、1970年5月には社長に昇格。1979年6月に会長を経て、1985年6月に相談役に退く。 1980年から1986年までに経済団体連合会副会長を務め、JR東日本初代会長、最高顧問も務めた。 1994年5月6日、悪性リンパ腫のために東京都港区の病院で死去。
大塚 茂(おおつか しげる、1911年 <明治44年> 1月… 大塚 茂(おおつか しげる、1911年 <明治44年> 1月8日 - 2004年 <平成16年> 4月13日)は、日本の官僚、実業家。郵政事務次官・日本航空常務理事・新東京国際空港公団総裁を歴任した。 東京帝国大学法学部政治学科卒業。東京帝大法学部政治学科在学中に高等試験行政科を合格。1936年、逓信省入省。貯金保険局保険業務課長、資材局調整課長、大臣官房文書課長、大臣官房資材部長、名古屋郵政局長、大臣官房人事部長などを務める。1957年10月、簡易保険局長。その後は貯金局長となり、1961年6月16日、郵政事務次官。1962年5月、退官。 郵政事務次官退官後、日本航空の常務理事となるが、「次の埼玉県知事に推す」と請われて1966年に埼玉県副知事になる。
黒川 久(くろかわ ひさし、1911年1月6日 - 1990… 黒川 久(くろかわ ひさし、1911年1月6日 - 1990年1月12日)は、日本の経営者。三菱油化(後の三菱ケミカル)社長、会長を務めた。東京府(現・東京都)出身。 1932年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に三菱銀行に入行した。ロンドン駐在などの国際銀行業務に携わった。終戦後にGHQとの渉外嘱託で大蔵省に入省。1949年に三菱銀行に復帰し、1967年に専務に就任した。 1970年に三菱油化の副社長に就任し、1972年に社長に昇格した。1981年に会長に就任し、1988年から相談役を務めた。 1981年に勲二等旭日重光章を受章した。 1990年1月12日膀胱癌のために死亡。79歳没。
戸沢 芳郎(とざわ よしろう、1911年1月2日 - 199… 戸沢 芳郎(とざわ よしろう、1911年1月2日 - 1991年5月15日)は、日本の経営者。安田信託銀行社長、会長を務めた。 東京都出身。1928年に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業し、同年に安田銀行に入行。1955年11月に安田信託銀行に転じ、取締役に就任し、1965年5月には副社長に就任した。1970年5月に社長に昇格し、1976年6月には会長に就任し、1980年6月から相談役を務めた。 1975年9月に藍綬褒章を受章し、1981年5月に勲二等瑞宝章を受章した。 1991年5月15日、急性心不全のために死去。80歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
柴山 幸雄(しばやま ゆきお、1911年1月1日 - 198… 柴山 幸雄(しばやま ゆきお、1911年1月1日 - 1988年4月11日)は、日本の経営者。住友商事社長、会長を務めた。愛知県名古屋市出身。 1934年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に住友合資会社に入社した。1946年に住友商事に転じ、1951年に総務部長に就任し、常務、専務などを歴任し、1969年に副社長に就任し、1973年には社長に昇格した。1977年に会長に就任し、1983年から会長を務めた。 1971年に藍綬褒章を受章し、1981年に勲二等旭日重光章を受章した。 1988年4月11日腎不全のために死去。77歳没。
水越 達雄(みずこし たつお、1911年(明治44年)1月1… 水越 達雄(みずこし たつお、1911年(明治44年)1月1日 - 1994年(平成6年)6月12日)は、昭和時代の土木工学者、実業家。 東京市に生まれる。1936年(昭和11年)東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、大日本電力に入社。秋田県鳥海山麓の子吉川の水力開発でアーチ型コンクリート水路橋の設計施工に携わる。1939年(昭和14年)日本発送電に入社し、只見川水系宮下発電所などの調査設計および南方派遣団員としてセレベス島方面の電源調査に従事する。 ついで大日本帝国海軍嘱託の特殊建設部隊「刀水隊長」、日本発送電関東支店土木部水路課長を経て終戦を迎え、1951年(昭和26年) 電力再編成により成立した東京電力に入社。
小野 達郎(おの たつろう、1910年11月14日 - 19… 小野 達郎(おの たつろう、1910年11月14日 - 1994年11月30日)は、日本の経営者。山形県出身。 1934年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、1941年に日本製鋼所に入社。 1961年11月に取締役に就任し、1965年11月に常務、1967年11月に専務を経て、1969年11月に副社長に就任し、1973年11月には社長に昇格。1979年6月には相談役に就任。 1976年4月に藍綬褒章を受章し、1983年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1994年11月30日心不全のために死去。84歳没。
曽根 嘉年(そね よしとし、1910年11月3日 - 200… 曽根 嘉年(そね よしとし、1910年11月3日 - 2003年10月22日)は、日本の経営者、技術者。三菱自動車工業社長を務めた。 愛媛県出身。1933年に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年に三菱航空機名古屋製作所に入社。堀越二郎率いる軍用機設計チームで堀越の補佐を務め、九六艦戦や零戦、烈風などの機体設計に従事した。 1967年5月に三菱重工業取締役に就任し、1970年5月には常務に就任。1974年1月に三菱自動車工業副社長に就任し、1979年6月に社長に昇格。1981年6月から相談役を務めた。三菱重工業相談役も務めた。 1977年4月に藍綬褒章を受章し、1982年11月に勲二等瑞宝章を受章。
木野 二郎(きの じろう、1910年10月17日 - 197… 木野 二郎(きの じろう、1910年10月17日 - 1976年12月19日)は、日本の経営者、工学博士。藤倉電線(現在のフジクラ)社長を務めた。 福島県会津若松市出身。1933年に東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、同年に藤倉電線に入社。 1957年11月に取締役に就任し、1962年に常務、1965年11月に副社長を経て、1973年11月に社長に就任。 1976年12月19日、くも膜下出血のために死去。66歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
鈴木 義雄(すずき よしお、1910年(明治43年)10月3… 鈴木 義雄(すずき よしお、1910年(明治43年)10月3日 - 1999年(平成11年)7月23日)は、日本の実業家、通産省官僚。通産省重工業局長、日揮社長・会長、日本輸出入銀行理事などを歴任した。位階は正四位。 神奈川県三浦郡葉山町生まれ。昭和8年(1933年)に東京帝国大学法学部を卒業し、同年商工省に入省。大阪通産局総務部長や横浜通商事務所所長、在英国日本国大使館商務参事官、札幌鉱山監督局局長を経て、昭和29年(1954年)通商産業省重工業局長に就任した。通産省を退官後は、昭和32年(1957年)に日本輸出入銀行理事、昭和41年(1966年)に日本揮発油(現・日揮)社長に就任。昭和55年(1980年)からは日揮会長を務めた。
吉田 四郎(よしだ しろう、1910年9月 - 1997年1… 吉田 四郎(よしだ しろう、1910年9月 - 1997年12月18日)は、日本の実業家・技術者。旭硝子株式会社(現・AGC株式会社)で常務取締役を務め、戦後のブラウン管テレビ用ガラスの国産化および量産体制の確立に貢献。日本の高度経済成長を支えた素材産業の技術系経営者の一人である。 鳥取県八頭郡安井宿(現八頭町)に生まれ、鳥取県立鳥取中学校(旧制)、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学工学部応用化学科を卒業。 卒業後、旭硝子株式会社(現・AGC)に入社し、技術者としてガラス製造現場に携わる。1950年代、白黒テレビの急速な普及を背景に、テレビ用ブラウン管ガラス(バルブ)の国産化プロジェクトに参画。
門脇 吉一(かどわき よしかず、1910年8月28日 - 1… 門脇 吉一(かどわき よしかず、1910年8月28日 - 1978年7月12日)は、日本の経営者。香川県出身。 1934年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に大日本麦酒に入社。1949年に日本麦酒(のちのサッポロビール)に移り、1958年に人事部長に就任し、経理部長、取締役、常務、専務を経て、1973年に社長に就任。1978年には会長に就任した。 1978年7月12日胃がんのために死去。67歳没。
玉木 泰男(たまき やすお、1910年8月22日 - 200… 玉木 泰男(たまき やすお、1910年8月22日 - 2007年3月21日)は、日本の経営者。横浜ゴム社長、会長を務めた。東京都出身。 1935年に東京帝国大学法学部法科を卒業し、同年に第一銀行に入行。1963年3月に横浜ゴムに転じ、1963年8月に取締役に就任し、1965年8月に常務、1967年8月に専務、1971年8月に副社長を経て、1977年12月に社長に就任。1981年3月に会長に就任し、1983年3月に取締役相談役を経て、1985年に相談役に就任。 1984年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2007年3月21日、心不全のために死去。96歳没。
大隈 武雄(おおくま たけお、1910年6月22日 - 20… 大隈 武雄(おおくま たけお、1910年6月22日 - 2000年2月8日)は、日本の経営者。大隈鐵工所(現在のオークマ)社長を務めた。岐阜県出身。 1936年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に大隈鐵工所に入社。 取締役、常務を経て、1948年8月に副社長に就任し、1978年2月には社長に昇格。1988年6月に相談役に就任。テレビ愛知取締役も務めた。 1969年10月に藍綬褒章を受章し、1981年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2000年2月8日心不全のために死去。89歳没。
松尾 泰一郎(まつお たいいちろう、1910年6月7日 - … 松尾 泰一郎(まつお たいいちろう、1910年6月7日 - 2001年12月17日)は、日本の経営者。兵庫県出身。 1935年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に通商産業省に入省し、通商局長などを歴任した。 1960年に丸紅の顧問に就任し、常務、専務を経て、1971年に副社長に就任し、1975年6月に社長に昇格した。ロッキード事件で揺れていた会社の立て直しに尽力した。1981年6月に会長に就任し、1987年6月から相談役に就任した。 2001年12月17日心不全のために死去。91歳没。
弥富 武(いやとみ たけし、1910年4月19日 - 197… 弥富 武(いやとみ たけし、1910年4月19日 - 1975年5月28日)は、日本の経営者。東京建物社長を務めた。 佐賀県佐賀市出身。1932年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に安田銀行に入行。1955年に取締役に就任し、1959年10月に常務を経て、1963年2月に東京建物副社長に就任し、同年8月には社長に昇格した。 1975年5月28日、急性心不全のために在任中に死去。65歳没。
鍋島 綱利(なべしま つなとし、1910年4月14日 - 1… 鍋島 綱利(なべしま つなとし、1910年4月14日 - 1969年9月26日)は、日本の実業家。住友電気工業元社長。佐賀県鹿島市出身。 朝鮮総督府通信技手・鍋島鋼三の長男。1927年(昭和2年)に第五高等学校に入学、弓道部で主将を務めた。 1933年に東京帝国大学法学部を卒業し、住友電気工業に入社した。翌年には、高校の後輩でのち住友ゴム工業社長となる下川常雄も入社し、下宿先を貸し出した。1939年4月1日、第2期経理部甲種幹部候補生として陸軍経理学校に入学し、同年9月23日卒業。歩兵第56連隊(55連隊とも)附主計少尉として太平洋戦争を迎える。淡路山丸よりコタバル上陸作戦に参加。翌年2月のジョホール水道上陸作戦では自ら戦線を志願し、背中に銃創を負う。
植村 實(うえむら みのる、1910年4月13日 - 196… 植村 實(うえむら みのる、1910年4月13日 - 1966年5月31日)は、日本の経営者。東京都出身。 1933年に東京帝国大学法学部法科を卒業。住友合資、住友本社での勤務を経て、1955年に住友林業社長に就任。 1966年5月31日在職中に心筋梗塞のために死去。56歳没。
菅沢 英夫(すがさわ ひでお、1910年3月29日- 199… 菅沢 英夫(すがさわ ひでお、1910年3月29日- 1999年4月28日 )は、日本の経営者。大成建設社長、会長を務めた。 茨城県出身。1935年に東京帝国大学工学部建築学科を卒業し、同年に大倉土木(のちの大成建設)に入社した。1961年5月に取締役に就任し、1969年5月に常務、1971年5月に専務を経て、1974年5月に副社長に就任し、1975年5月には社長に昇格。1979年6月に会長に就任し、1981年6月には相談役に就任。 1999年4月28日、気管支喘息のために横浜市の病院で死去。89歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
馬場 勇(ばば いさむ、1910年〈明治43年〉2月26日 … 馬場 勇(ばば いさむ、1910年〈明治43年〉2月26日 - 1974年〈昭和49年〉1月11日)は実業家。近畿日本ツーリスト(初代・旧会社)の副社長を務め、同社の前身企業の一つである日本ツーリスト株式会社の創設者でもある。業界発展に貢献した人物の一人で旅行業界の野武士と称される。近鉄航空サービス、箱根高原ホテル、近鉄エクスプレスの社長も務めた。 資産家の父親が親戚に騙されたあと朝鮮に渡ったため、朝鮮で生まれる。朝鮮の中学校から数学の教師とともに指宿に渡る。東京帝国大学経済学部卒業後の1934年(昭和9年)に朝鮮銀行に入行し、中国に設立された中国連合準備銀行にも出向。その後朝鮮銀行の東京や京城に勤務し、京城在勤時、銀行総裁秘書をしていた女性と結婚する。
林 静(はやし しずか、1910年2月20日 - 1998年… 林 静(はやし しずか、1910年2月20日 - 1998年2月18日 )は、日本の経営者。キャタピラー三菱社長を務めた。 宮崎県出身。1932年に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年に三菱造船に入社した。1965年に三菱重工業取締役に就任し、1967年9月に常務、1973年5月に副社長を経て、1975年2月にキャタピラー三菱社長に就任し、1979年6月までに務めた。 1975年4月に藍綬褒章を受章し、1980年10月に勲二等瑞宝章を受章。 1998年2月18日、老衰のために死去。87歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岩田 弍夫(いわた かずお、1910年2月18日 - 199… 岩田 弍夫(いわた かずお、1910年2月18日 - 1992年10月22日)は、日本の経営者。東芝社長、会長を務めた。 愛知県知多郡西浦町(現在の常滑市)出身。1934年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に東京芝浦電気(現在の東芝)に入社した。1964年5月に取締役に就任し、1966年3月に専務、1968年5月に副社長を経て、1976年6月に社長に就任した。1980年6月から1984年6月までに会長を務め、1984年6月から相談役を務めた。1988年4月から1992年6月までに日本たばこ産業会長も務めた。 日本電子工業振興協会会長、政府税制調査会委員なども歴任した。 1980年11月に勲二等旭日重光章を受章し、1985年にハンガリーのオーダー・オブ・スター・ウイズ・ゴールデン・リーフを授賞し、1987年に常滑市名誉市民に選ばれ、1989年11月に勲一等瑞宝章を受章した。
橋本 正一(はしもと しょういち、1910年2月6日 - 1… 橋本 正一(はしもと しょういち、1910年2月6日 - 1978年7月21日)は、日本の経営者。東京都出身。 1934年に東京帝国大学工学部機械学科を卒業。 日本国有鉄道での勤務を経て、1960年5月に近畿車輛常務に就任し、1966年5月に専務を経て、1970年5月から1978年6月までに社長を務めた。 1978年7月21日胃ガンのために死去。68歳没。
東條 猛猪(とうじょう たけい、1910年(明治43年)1月… 東條 猛猪(とうじょう たけい、1910年(明治43年)1月29日 - 1991年(平成3年)5月23日)は、日本の大蔵官僚、実業家。大蔵省銀行局長、北海道拓殖銀行頭取、北海道旅客鉄道初代会長を務めた。 高知県高知市出身。旧制高知高等学校を経て、1931年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。大蔵省に入省。専売局長官官房兼主計局属。1946年9月21日に主計局予算課長。1947年7月2日に主計局第一部長(大蔵、歳入、国会、裁判所、会計検査院、司法、外務、皇室、内閣、内務、地方財政、文部、厚生担当)。1948年7月5日に主計局第一部長(大蔵、歳入、国会、裁判所、会計検査院、司法、外務、皇室、内閣、内務、地方財政、文部、厚生担当)兼主計局第一部第二課長(国会、裁判所、会計検査院、司法、外務担当)。
松山 彬(まつやま あきら、1910年 <明治43年> 1月… 松山 彬(まつやま あきら、1910年 <明治43年> 1月24日 - 1995年 <平成7年> 9月3日)は、日本の経営者。東亜燃料工業社長を務めた。位階は従四位。 長崎県出身。1935年に東京帝国大学工学部応用化学科を卒業し、1939年に東亜燃料工業に入社。1959年に取締役を経て、1966年に副社長に就任し、1976年3月には社長に昇格。1986年3月に会長を経て、1988年3月から相談役を務めた。 1973年11月に藍綬褒章を受章し、1982年11月に勲二等瑞宝章を受章した。 1995年9月3日心不全のために死去。85歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
篠島 秀雄(しのじま ひでお、1910年1月21日 - 19… 篠島 秀雄(しのじま ひでお、1910年1月21日 - 1975年2月11日)は、日本の実業家、サッカー選手。三菱化成工業(現在の三菱ケミカル)の社長などを歴任した。 栃木県上都賀郡日光町(現:日光市)出身。東京府青山師範学校附属小学校から東京高等学校尋常科、東京高等学校高等科文科乙類を経て、1928年に東京帝国大学に入学。東京帝大ではア式蹴球部に入部して主将も務めた。また、在学中の1930年(昭和5年)に開催された第9回極東選手権のサッカー日本代表に選出され、2試合に出場して優勝に貢献した。 1931年に東京帝国大学法学部を卒業して三菱鉱業(現・三菱マテリアル)に入社。1941年3月、田邊五兵衛商店(現在の田辺三菱製薬)に転じて専務取締役に就任。
下川 常雄(しもかわ つねお、(1910年(明治43年)1月… 下川 常雄(しもかわ つねお、(1910年(明治43年)1月5日 - 2003年(平成15年)7月22日)は、日本の実業家。住友ゴム工業二代目社長・会長、兵庫県教育委員長。 福岡県嘉穂郡二瀬村(現:飯塚市)片島出身。地主・村長の下川久次郎の三男。1928年(昭和3年)に第五高等学校に入学、柔道部に属した。東京帝国大学商業学科を経て、1934年(昭和9年)、住友電気工業に入社。高校の1年先輩の鍋島綱利宅に下宿、その後も家族ぐるみでの交流を続けた。 日中戦争勃発後は内地の歩兵第24連隊留守隊に応召し、1937年(昭和12年)12月、歩兵少尉に任官。翌1938年夏、補充要員として上海に上陸し、歩兵第124連隊の連隊旗手となり、杭州、ついで南支方面に転じ、バイアス湾上陸作戦に参加した。
安藤 太郎(あんどう たろう、1910年(明治43年)1月3… 安藤 太郎(あんどう たろう、1910年(明治43年)1月3日 - 2010年(平成22年)5月9日)は、日本の実業家。住友銀行副頭取、住友不動産社長・会長・相談役を務めた。第1次・第2次オイルショックの際に住友不動産を黒字化した実績から、「救世主」「中興の祖」と賞された。 安藤源治郎の長男として宮城県刈田郡七ヶ宿町で出生した。仙台二中、旧制水戸高校を経て、1934年(昭和9年)東京帝国大学法科を卒業して、住友銀行へ入行する。 住友銀行では、東京副支店長、東京事務所次長、本店営業部次長、そして銀座・日本橋の各支店長を歴任し、1959年(昭和34年)6月には東京事務所長、同11月取締役に就任する。
佐竹 利彦(さたけ としひこ、1910年(明治43年) - … 佐竹 利彦(さたけ としひこ、1910年(明治43年) - 1998年(平成10年)7月24日)は、日本の技術者・実業家。広島県東広島市出身。 サタケ二代目社長。おいしくて光沢のある白米ができる精米機を発明し、精米理論を体系化した。またヤシ・ソテツ類植物の収集・分類において権威であった。東京大学で農学博士号を取得(近代精米技術に関する研究)、東京農業大学名誉博士(ヤシの研究)、広島大学名誉博士(近代精米およびヤシの研究)。 1910年(明治43年)、佐竹利市の長男として生まれる。旧制山陽中学校(現・山陽高等学校)で優秀な成績を収め、旧制広島高等工業学校(現・広島大学工学部)への推薦入学が決まっていた。
大石 良世(おおいし よしつぐ、1909年 <明治42年> … 大石 良世(おおいし よしつぐ、1909年 <明治42年> 12月17日 - 1976年 <昭和51年> 2月2日)は、日本の経営者。日産火災海上保険社長を務めた。 島根県松江市出身。1932年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に日産火災海上保険に入社。 1953年に取締役に就任し、1956年に常務、1960年6月に専務を経て、1963年11月に副社長に就任し、1966年6月には社長に就任。1974年3月には会長に就任。 1972年9月に藍綬褒章を受章。 1976年2月2日、胃癌のために死去。66歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
長谷川 茂(はせがわ しげる、1909年11月24日 - 2… 長谷川 茂(はせがわ しげる、1909年11月24日 - 2001年7月4日)は、日本の実業家。 福岡市に生まれる。1929年、福岡県中学修猷館を経て、1934年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業し大阪商船に入社。 1947年10月、関西汽船に転じ、1957年8月取締役となり、1958年6月常務、1959年8月東京支店長、1962年8月専務を経て、1966年8月社長に就任する。1973年8月相談役、1974年8月顧問となる。
岩崎 信彦(いわさき のぶひこ、1909年11月7日 - 1… 岩崎 信彦(いわさき のぶひこ、1909年11月7日 - 1987年8月25日)は、日本の経営者。東京都出身。 1933年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に住友合資に入社。1948年に住友機械工業(のちの住友重機械工業)に転じ、1955年5月に取締役に就任し、1959年11月に常務、1964年5月に専務を経て、1969年6月に副社長に就任し、1970年5月には社長に昇格。1973年11月に会長に就任し、1976年6月には相談役に就任。 1987年8月25日心不全のために死去。77歳没。
宮沢 次郎(みやざわ じろう、1909年(明治42年)10月… 宮沢 次郎(みやざわ じろう、1909年(明治42年)10月22日 - 1999年(平成11年)7月3日)は、日本の実業家。満洲国官吏、大蔵官僚を経て、トッパン・ムーア会長。静岡県出身。 静岡県立静岡中学校に学ぶ。1933年(昭和8年)、東京帝国大学法学部卒業。満洲国政府に入り、1941年(昭和16年)、日本政府に派遣され、内閣総力戦研究所に入所。1942年(昭和17年)、満洲国に帰任、役職を歴任。終戦後、大蔵省国有財産局総務課勤務を経て、1949年(昭和24年)、高松財務局国有財産部長。高松財務部次長を経て、本省理財局管理課長、印刷局業務課長を歴任。1953年(昭和28年)5月、凸版印刷に転じ、取締役総務部長。
鈴木 善照(すずき よしてる、1909年 <明治42年> 1… 鈴木 善照(すずき よしてる、1909年 <明治42年> 10月8日 - 1993年 <平成5年> 8月18日)は、日本の経営者、工学博士。同和鉱業社長を務めた。位階は正四位。 千葉県出身。東京帝国大学に学ぶ。在学中は漕艇部に所属して活動。ベルリンオリンピックの漕艇競技のエイト種目では、東京帝大クルーが日本代表に選ばれたため、鈴木もその一員としてオリンピックに出場した(敗者復活戦で敗退)。鈴木はクルーのバウ(舳手)を務めた。 1936年に東京帝国大学工学部採鉱科を卒業、同年に同和鉱業に入社。1960年11月に取締役に就任し、1963年5月に常務を経て、1971年に副社長に就任し、1973年5月には社長に昇格。
昌谷 忠(さかや ただし、1909年10月3日 - 1991… 昌谷 忠(さかや ただし、1909年10月3日 - 1991年11月27日)は、日本の経営者。ダイセル化学工業社長、会長を務めた。東京都出身。 1933年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に三井銀行に入行。1965年に常務、1969年に専務を経て、1971年1月にダイセル化学工業社長に就任。1979年9月に会長を経て、1987年に相談役に就任。 1981年に勲二等瑞宝章を受章。 1991年11月27日、動脈硬化症のために死去。82歳没。
市田 禎蔵(禎藏、いちだ ていぞう、1909年 <明治42年… 市田 禎蔵(禎藏、いちだ ていぞう、1909年 <明治42年> 9月30日 - 1992年 <平成4年> 7月27日)は、日本の経営者、銀行家。位階は正五位。 滋賀県出身。1932年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に日本銀行に入行。1959年4月に日本開発銀行理事を経て、1966年5月に常陽銀行副頭取に就任し、1967年11月には頭取に昇格。1975年7月に会長、1979年12月に取締役相談役を経て、1981年6月には相談役に退いた 1980年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1992年7月27日心不全のために死去。82歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
平岡 敏男(ひらおか としお、1909年(明治42年)9月1… 平岡 敏男(ひらおか としお、1909年(明治42年)9月18日 - 1986年(昭和61年)8月6日)は、日本のジャーナリスト、実業家。 毎日新聞社社長(1976年2月 - 1980年12月)。 北海道旭川市出身(留萌市生まれ)。弘前高等学校では新聞部に所属し、一期下の太宰治とも親交があった。1932年に東京帝国大学経済学部を卒業し、東京日日新聞社(後の毎日新聞東京本社)に入社。経済部記者、東京本社経済部長、論説委員、ロンドン支局長などを経て、1963年取締役。1966年西部本社代表、1968年常務。 1976年2月、巨額の負債を抱え、経営危機に瀕していた毎日新聞社の社長に就任。永野重雄に救済を仰ぎ、翌年「新旧分離方式」の経営再建の方針を固め、登記上の本社で発行部門を担当していた大阪本社を、負債の整理・清算に専念させ(「株式会社毎日(旧社)」)、東京本社(編集部門)と経営を一本化させる形で、新たに東京に新会社「毎日新聞株式会社(新社)」を設立した。
渡辺 武夫(わたなべ たけお、1909年8月2日 - 198… 渡辺 武夫(わたなべ たけお、1909年8月2日 - 1984年8月9日)は、日本の経営者。 静岡県出身。1934年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に三菱商事に入社。1944年に三菱石油に転じ、1964年5月に取締役に就任し、1967年5月に常務を経て、1973年5月には社長に就任した。1978年6月には会長に就任。 1984年8月9日、急性肺炎のために死去。75歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
大原 総一郎(おおはら そういちろう、1909年(明治42年… 大原 総一郎(おおはら そういちろう、1909年(明治42年)7月29日 - 1968年(昭和43年)7月27日)は、日本の実業家。倉敷レイヨン(現・クラレ)社長、倉敷紡績社長などを務めた。正式な表記は大原 總一郎(読みは同じ)。 大原家は、児島から倉敷に移住してきた旧家で、総一郎の曽祖父大原壮平のころには、新興の富豪地主として庄屋も務めていた。祖父の大原孝四郎は、1888年、倉敷紡績の前身である倉敷紡績所を創立。従来、農業経営を主体としていた大原家は、ここに近代産業への第一歩を踏み出したのである。これを地盤として、父の大原孫三郎は事業拡大に乗り出した。 孫三郎は、27歳で倉敷紡績の社長に就任し、さらに中国銀行の前身である倉敷銀行を設立したほか、電気・電鉄・織物・土地会社など、種々の関連事業や地方の開発に貢献し、その広い見識と正確な洞察力は高く評価された。
関根 太郎(せきね たろう、1909年7月19日 - 199… 関根 太郎(せきね たろう、1909年7月19日 - 1992年8月23日)は、日本の銀行家、経営者。足利銀行頭取を務めた。 埼玉県出身。1933年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に日本銀行に入行。1960年5月に国庫局長、1962年9月に九州石油専務、1965年10月に副社長を経て、同年11月に足利銀行副頭取に就任し、1972年5月には頭取に昇格。1974年4月には顧問に就任。 1992年8月23日胸部大動脈瘤破裂のために死去。83歳没。
川口 利朗(かわぐち としろう、1909年 <明治42年> … 川口 利朗(かわぐち としろう、1909年 <明治42年> 7月7日 - 1997年 <平成9年> 2月20日)は、日本の経営者。本州製紙社長を務めた。位階は従四位。静岡県出身。 1936年に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年に王子製紙に入社。 1958年5月に本州製紙に転じ、1964年11月に取締役に就任し、1966年に常務、1969年に専務を経て、1970年11月に副社長に就任し、1971年11月には社長に昇格。1974年11月から1982年6月までに会長を務めた。 1979年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1997年2月20日心不全のために死去。87歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
飛田 勇(とびた いさむ、1909年6月1日 - 1975年… 飛田 勇(とびた いさむ、1909年6月1日 - 1975年11月17日)は、日本の経営者。千葉興業銀行頭取を務めた。愛知県出身。 1935年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。 輸出入銀行、日本銀行での勤務を経て、1962年10月に千葉興業銀行専務に就任し、1965年5月に副頭取を経て、1969年4月には頭取に昇格。 1975年11月17日脳出血のために死去。66歳没。
仙石 永博(せんごく ながひろ、1909年4月20日 - 2… 仙石 永博(せんごく ながひろ、1909年4月20日 - 2001年1月20日)は、日本の経営者。住友倉庫社長、会長を務めた。大阪府大阪市出身。位階は従四位。 1934年に東京帝国大学法学部法科を卒業し、同年に住友倉庫に入社。1956年5月に取締役に就任し、1961年3月に常務、1966年11月に専務を経て、1970年11月には社長に就任。1976年6月に会長、1981年6月に取締役相談役を経て、1983年6月に相談役に就任。 1973年11月に藍綬褒章を受章し、1974年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2001年1月20日肺炎のために死去。91歳没。死没日付をもって従四位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
鳥居 保治(とりい やすじ、1909年3月31日 - 199… 鳥居 保治(とりい やすじ、1909年3月31日 - 1996年3月9日)は、日本の実業家。三井石油化学工業(現在の三井化学)社長および会長を務めた。愛知県宝飯郡御津町出身。孫は植物学者の鳥居啓子。 旧制愛知県豊橋中学校、旧制第八高等学校を経て、1932年に東京帝国大学工学部応用化学科を卒業し、三井鉱山に入社した。1941年に三井化学工業に転じ、1954年に取締役に就任し、1969年に三井石油化学工業社長に就任。1977年に会長に就任し、1982年から相談役を務めた。 1971年4月に藍綬褒章を受章し、1979年4月に勲二等瑞宝章を受章した。 1996年3月9日狭心症のために東京都府中市の病院で死去。
鈴木 恭二(すずき きょうじ、1909年3月18日 - 19… 鈴木 恭二(すずき きょうじ、1909年3月18日 - 1998年5月3日)は、日本の実業家。味の素創業家三代目鈴木三郎助の娘婿で、同社代表取締役社長を務めた。京都の政財界に君臨した田中源太郎の孫。 田中源太郎の長男・一馬(貴族院議員・京都織物株式会社会長)の子として京都市に生まれる。東京帝国大学法学部政治科卒業後、第一銀行(現みずほ銀行)入行。1938年鈴木商店(現味の素)入社。1948年取締役に昇格。1949年常務取締役。1959年副社長。1965年から第5代社長務め、「大企業病」の打破を訴え、組織改革などにあたった。1968年藍綬褒章を受章。1973年会長に就任。1975年監査役。次女の睦子はヒゲタ醤油代表の浜口勝久(12代浜口吉右衛門)に嫁ぐ。
桂 珖淳(ケ・グァンスン、朝鮮語: 계광순、1909年2月1… 桂 珖淳(ケ・グァンスン、朝鮮語: 계광순、1909年2月16日 - 1990年3月19日)は、日本統治時代の朝鮮の官僚、警視、韓国の政治家、実業家。第4・5・6代韓国国会議員。本貫は遂安桂氏。 平安北道宣川郡に生まれた。1931年に東京帝国大学法学部政治科を卒業し、翌年に高等文官試験行政科に合格した。 1931年に春川郡庶務課・江原道内務部地方課勤務、1932年に淮陽郡庶務係勤務、1933年に江原道警務課勤務、1934年に平康郡守・坡州郡守、1936年に咸鏡南道警察部保安課長警視、1937年に拓務省殖産局事務官、1940年に朝鮮総督府学務局社会教育課長、同年に国民総力朝鮮連盟参事、1943年に江原道内務部長、1944年に平安北道内務部長、同年に朝鮮勤労動員援護会平安北道支部理事を歴任した。
村井 順(むらい じゅん、1909年〈明治42年〉2月5日 … 村井 順(むらい じゅん、1909年〈明治42年〉2月5日 - 1988年〈昭和63年〉1月12日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。初代京都府警本部長、初代内閣総理大臣官房調査室長(現・内閣情報調査室)、綜合警備保障の創業者で、社長・会長。 東京出身。東京高等学校 (旧制)を経て東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1935年(昭和10年)内務省に入省し、1939年(昭和14年)に福岡県警防課長から、汪兆銘の南京政府を実質的に支配していた上海の興亜院に転出し、中国大陸における特高警察活動や、思想文化統制に従事。 敗戦後は、青森県警察部長を務めている最中に吉田茂に才気を見出され、第1次吉田内閣で内閣総理大臣秘書官に抜擢されるも、のちに内務省に戻り、廃止された特高警察の代わりとして設立された、内務省警保局公安一課(公安警察)の課長として、情報関係業務に従事。
森山 喜由(もりやま きよし、1909年1月25日 - 19… 森山 喜由(もりやま きよし、1909年1月25日 - 1977年2月1日)は、日本の経営者。エスエス製薬社長を務めた。福岡県久留米市出身。 1932年に東京帝国大学経済学部を卒業。髙島屋、秋葉原デパート等での勤務を経て、1960年にエスエス製薬取締役に就任し、1962年に専務、1964年に副社長を経て、1970年には社長に就任。1976年12月に相談役に退いた。 1977年2月1日呼吸不全のために死去。68歳没。
藤本 一郎(ふじもと いちろう、1909年1月21日 - 1… 藤本 一郎(ふじもと いちろう、1909年1月21日 - 1998年8月27日)は、日本の経営者。川崎製鉄社長、会長を務めた。 和歌山県新宮市出身。1928年に東京帝国大学工学部冶金学科を卒業し、同年に川崎造船所に入社。1950年8月に川崎製鉄に転じ、1953年10月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1964年6月に副社長に就任した。1966年7月に社長に昇格し、1977年6月には会長に就任し、1981年6月から相談役を務めた。社長在任時には、千葉製鉄所や水島製鉄所などの臨海大型製鉄所の建設と溶鉱炉の大型化を推進し、1974年にはブラジルにツバロン製鉄を設立し、川崎製鉄の基盤を築いた。 日本鉄鋼協会会長も務めた。
横山 治助(よこやま じすけ、1909年 <明治42年> 1… 横山 治助(よこやま じすけ、1909年 <明治42年> 1月5日 - 1992年 <平成4年> 8月17日 )は、日本の経営者。肥後銀行頭取を務めた。位階は正五位。 熊本県出身。1930年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、高文行政科にも合格し、同年に朝鮮総督府に入庁した。1950年に鹿本製糸社長、1953年に熊本県教育長、1963年6月に同県出納長を経て、1965年5月に肥後銀行に転じ、常任監査役に就任し、1967年4月に常務、1968年10月に専務を経て、1971年5月に副頭取に就任し、同年11月には頭取に昇格した。1984年4月に会長に就任し、1990年6月には顧問に就任。 1979年4月に勲三等瑞宝章を受章。