天野 為之(あまの ためゆき、1861年2月6日(万延元年1… 天野 為之(あまの ためゆき、1861年2月6日(万延元年12月27日) - 1938年(昭和13年)3月26日)は、明治・大正・昭和期の経済学者、ジャーナリスト、政治家、教育者、法学博士。衆議院議員、東洋経済新報社主幹、早稲田大学学長、早稲田実業学校校長を歴任した。勲三等瑞宝章受章。
東京大学:1,563人
天野 為之(あまの ためゆき、1861年2月6日(万延元年1… 天野 為之(あまの ためゆき、1861年2月6日(万延元年12月27日) - 1938年(昭和13年)3月26日)は、明治・大正・昭和期の経済学者、ジャーナリスト、政治家、教育者、法学博士。衆議院議員、東洋経済新報社主幹、早稲田大学学長、早稲田実業学校校長を歴任した。勲三等瑞宝章受章。
水之江 文二郎(みずのえ ぶんじろう、1860年11月29日… 水之江 文二郎(みずのえ ぶんじろう、1860年11月29日(万延元年10月17日)- 1929年(昭和4年)2月11日)は、明治から昭和初期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、大分県会議長、大分県宇佐郡封戸村長。旧姓・鶴田、号・孤峰。 豊前国宇佐郡、のちの大分県宇佐郡和間村鶴田新田(長洲町を経て現宇佐市)で、鶴田文左衛門(文左ヱ門)の二男として生まれる。漢学、詩学、歌道を修める。上京して独逸学校で独逸学、数学を学び、1882年(明治15年)東京大学医学部に入学したが病のため退学し、書法を研究した後に帰郷した。 1886年(明治19年)8月、宇佐郡封戸村水崎(現豊後高田市)の素封家で父の異母兄・水之江浩の養嗣子となった。
青木 磐雄(あおき いわお、1860年8月14日(万延元年6… 青木 磐雄(あおき いわお、1860年8月14日(万延元年6月28日) - 1939年(昭和14年)6月28日)は、日本の政治家(衆議院議員)。 江戸の徳島藩邸で生まれた。廃藩後、徳島県名東郡住吉島村(現徳島市)に移った。藩校長久館、洋学所などで学んだ。 東京帝国大学法科大学を卒業後、地方裁判所検事、弁護士、地方裁判所検事正、控訴院検事、京都府書記官を歴任した。1912年(明治45年)の第11回衆議院議員総選挙に立憲政友会より出馬するも一坂俊太郎に敗れ落選。しかし1915年(大正4年)の第12回衆議院議員総選挙で武市彰一と争い初当選した。 1917年(大正6年)の第13回衆議院議員総選挙にも出馬したが武市彰一に敗れ落選となった。
奥田 義人(おくだ よしと / よしんど / ぎじん、186… 奥田 義人(おくだ よしと / よしんど / ぎじん、1860年7月31日〈万延元年6月14日〉- 1917年〈大正6年〉8月21日)は、明治時代から大正時代にかけての日本の官僚・政治家・法学者。学位は、法学博士。従二位勲一等。男爵。号は秋軒。 衆議院議員(当選2回)、貴族院議員(勅選)、第1次山本内閣で文部大臣兼司法大臣を歴任したほか、晩年には請われて東京市長も務めている。また中央大学の創設者の一人で、第2代学長。 因幡国邑美郡栗谷町(現在の鳥取市栗谷町)に生まれる。幼名は留三郎。父の奥田鉄蔵は禄高300石の鳥取藩士で、作事組頭、武術師範を務めた。 7歳のとき藩の儒者坂田順蔵の門弟となり、藩校・尚徳館に入学。
高田 早苗(たかた さなえ、1860年4月4日(安政7年3月… 高田 早苗(たかた さなえ、1860年4月4日(安政7年3月14日) - 1938年(昭和13年)12月3日)は、明治時代から昭和初期にかけての日本の政治家・政治学者・教育者・文芸批評家。学位は、法学博士。号は半峰。 衆議院議員、貴族院議員、文部大臣、早稲田大学総長などを歴任した。 1860年4月4日(安政7年3月14日)、江戸・深川(現在の東京都江東区)に生まれる。神田の共立学校(現・開成中学校・高等学校)や官立の東京英語学校(のちの一高)などで英語を学び、大学予備門を経て、1882年(明治15年)に東京大学文学部哲学政治学及理財学科を卒業。文学部の授業では外山正一、中村敬宇、信夫恕軒の授業に感化され、黒川真頼の授業が一番役に立ったという。
市島 謙吉(いちしま けんきち、1860年3月9日(安政7年… 市島 謙吉(いちしま けんきち、1860年3月9日(安政7年2月17日) - 1944年(昭和19年)4月21日)は、日本のジャーナリスト、衆議院議員(3期)、文化事業家、随筆家、初代早稲田大学図書館長。号は春城。 安政7年(1860年)2月17日、越後国蒲原郡水原村(現在の新潟県阿賀野市)に角市市島家五代目直太郎の長男として生まれた。幼名は雄之助といい、これは病弱のため八幡宮より一時的に貰ったものである。のちに郷土の英雄・上杉謙信にあやかって謙吉と改名した。 市島家は丹波国発祥で、慶長3年(1598年)越後に移り、商業で財を成した豪農一族で、角市家は宗家三代目喜右衛門の二男次郎吉から始まる筆頭分家である。
砂川 雄峻(すながわ かつたか、1860年3月2日(安政7年… 砂川 雄峻(すながわ かつたか、1860年3月2日(安政7年2月10日) - 1933年(昭和8年)4月15日)は、日本の衆議院議員(憲政本党)、弁護士。 播磨国飾東郡姫路(現兵庫県姫路市)で、姫路藩士砂川貫一郎の二男として生まれる。1882年(明治15年)、東京大学を卒業した。同年の東京専門学校(後の早稲田大学)の創設にあたっては、創立委員として小野梓や高田早苗などと共に大隈重信を支え、最初は講師を務め、後には評議員・維持員を務めた。その後、大阪で弁護士として活動し、大阪弁護士会長も務めた。さらに関西法律学校(後の関西大学)の講師となり、後に監事、主席理事を歴任した。 また1887年(明治20年)より大阪府会議員を務め、議長にも選出された。
坪野 平太郎(つぼの へいたろう、1859年8月31日(安政… 坪野 平太郎(つぼの へいたろう、1859年8月31日(安政6年8月4日)- 1925年(大正14年)5月29日)は、日本の教育者、政治家。第2代神戸市長(在任:1901年5月27日 - 1905年3月17日)。号は南陽(なんよう)。石川県出身。 1859年(安政6年)、石川県に生まれる。1886年(明治19年)に東京帝国大学法科卒業。病気療養のために安房郡北条(現:千葉県館山市)に滞在する。北条滞在中は同地に英語学校を開校し、英語やテニスを教えた他、房州が避暑避寒、海水浴に最適であることを全国に紹介したといわれる。その後は外交官(中国副領事)、逓信省参事官、逓信大臣(後藤象二郎)秘書官、神戸郵便電信局長、日本貿易銀行支配人、兵庫県立商業学校(後の兵庫県立神戸商業高等学校)校長を経て、1901年(明治34年)に第2代神戸市長に就任した。
中川 久知(なかがわ ひさとも、1859年4月23日(安政6… 中川 久知(なかがわ ひさとも、1859年4月23日(安政6年3月21日)- 1921年(大正10年)11月12日)は、明治から大正期の博物学者、政治家。衆議院議員、九州博物学会終身会長。青年期に一時、板倉久知を名乗る。熊本県近世博物学の開拓者。 岡藩主・中川久昭の二男として生まれる。藩校・由学館で漢籍を学んだ。1871年(明治4年)上京し、丹羽家塾、逢坂学舎、東京英語学校、開成学校で学んだ。1877年(明治10年)東京大学理学部に入学。同年10月13日、旧安中藩主板倉家当主・板倉種子(板倉勝殷四女)の入夫となり家督を相続したため東大を中退。しかし、1880年(明治13年)1月17日に隠居し、同月19日に離縁となり中川家に復籍した。
土方 寧(ひじかた やすし、安政6年2月12日(1859年3… 土方 寧(ひじかた やすし、安政6年2月12日(1859年3月16日)– 昭和14年(1939年)5月18日)は、貴族院勅選議員、法学者。専門は民法学。帝国学士院会員。弟子に石坂音四郎、末延三次など。 土佐国高岡郡佐川村(現在の高知県高岡郡佐川町)に、土佐藩士土方直行の子として生まれる。1873年(明治6年)より、東京英語学校、開成学校、大学予備門で学んだ。1878年(明治11年)、東京大学法学部に入り、1882年(明治15年)に卒業した。 卒業後、文部省御用掛となり、翌年に東京大学法学部(のち東京帝国大学法科大学)助教授に任命された。また英吉利法律学校の創設発起人に名を連ね、講師も務めた。1887年(明治20年)よりイギリスのミドル・テンプルに留学した。
加藤 恒忠(かとう つねただ、安政6年1月22日(1859年… 加藤 恒忠(かとう つねただ、安政6年1月22日(1859年2月24日) - 大正12年(1923年)3月26日)は、日本の外交官、政治家。旧姓は大原。号は拓川。衆議院議員、貴族院勅選議員、松山市長、錦鶏間祗候。三男忠三郎は阪急電鉄の車掌、阪急百貨店の職員で、俳人正岡子規の妹リツの養子となり正岡家の祭祀を嗣いだ。 伊予国(現・愛媛県松山市)に伊予松山藩の儒者大原観山の三男として生まれる。父の死後、上京し、1876年(明治9年)給費の官吏養成所である司法省法学校(現在の東京大学法学部)に入学、フランス語とフランス法を学んだ。1879年1月廃絶していた縁戚の加藤家を興し加藤家戸主になった。同年2月校長の方針に反対し退学、中江兆民の塾に入る。
鷲田 土三郎(わしだ つちさぶろう、1858年11月19日(… 鷲田 土三郎(わしだ つちさぶろう、1858年11月19日(安政5年10月14日)- 1929年(昭和4年)10月27日)は、明治から昭和初期の薬剤師、実業家、政治家。衆議院議員、福井県会議長。 越前国足羽郡福井木田中町(福井県足羽郡福井木田中町、福井市木田中町を経て現:福井市西木田3丁目)で、茶商、薬種業・鷲田杏菀の長男として生まれた。1871年12月2日(明治4年10月20日)に家督を相続した。1881年(明治14年)東京大学医学部製薬学科を卒業した。 1882年(明治15年)福井県医学校教諭に就任。福井市豊(みのり)学区会議員、福井市会議員、同参事会員を務めた。1897年(明治30年)9月、福井県会議員に選出され、1903年(明治36年)9月まで2期在任し、第16代県会議長(1899年10月-1903年9月)も務めた。
堀田 連太郎(ほった れんたろう、安政5年4月29日(185… 堀田 連太郎(ほった れんたろう、安政5年4月29日(1858年6月10日) - 大正4年(1915年)12月20日)は、日本の衆議院議員(進歩党→憲政党→憲政本党)。農商務官僚。 信濃国埴科郡松代(現在の長野県長野市)出身。開拓使学校を経て、1881年(明治14年)に東京大学理学部採鉱冶金学科を卒業。1882年(明治15年)、三菱会社に入り、1896年(明治29年)に退社するまで鉱山長、支配人を務めた。1897年(明治30年)、農商務省に入って鉱山技監となり、足尾鉱毒事件に対する予防工事の設計・監督を担当した。その後、製鉄所長官心得、鉱山局長心得を歴任した。 1898年(明治31年)、第5回衆議院議員総選挙(東京府第10区)で当選。
元田 肇(もとだ はじめ、1858年2月28日〈安政5年1月… 元田 肇(もとだ はじめ、1858年2月28日〈安政5年1月15日〉- 1938年〈昭和13年〉10月1日)は、明治、大正、昭和期の日本の政治家。立憲政友会の長老。号は国東。第25代衆議院議長、逓信大臣、鉄道大臣(初代)を歴任した。中央大学創立者18人の内の一人。杵築藩(大分県)の儒学者の養子。 豊後国国東郡来浦(現在の大分県国東市国東町来浦)に医師・猪俣栄造の子として生まれる。杵築藩の藩儒・元田直の養子となる。1880年(明治13年)、東京大学法科を卒業。弁護士となる。第1回衆議院議員総選挙に当選し、以後当選16回、議員生活は40有余年に渡った。当初は大成会・国民協会・帝国党に所属した後に立憲政友会の結成に参加、衆議院副議長に3度選出された他、第1次山本権兵衛内閣の逓信大臣、原内閣の鉄道大臣(初代)として入閣している。
三崎 亀之助(みさき かめのすけ、1858年2月15日(安政… 三崎 亀之助(みさき かめのすけ、1858年2月15日(安政5年1月2日) - 1906年(明治39年)3月16日)は、日本の政治家、官僚、銀行家。衆議院議員、貴族院議員、横浜正金銀行副頭取。 1858年(安政5年1月2日)2月15日、讃岐国丸亀に生まれる。東京大学法科を卒業し、忠愛社に入り、『明治日報』記者となる。1884年(明治17年)に外務省御用掛となり、外務省書記官として米国公使館駐在、さらに公使館書記官としてワシントン駐在、次いで外務省参事官を務める。 その後、京都で『中外電報』で論説を執筆、弁護士業などを経て、1890年(明治23年)に第1回衆議院議員総選挙で香川県から出馬し、衆議院議員に当選する(以後4回連続当選)。
山根 正次(やまね まさつぐ、安政4年12月23日 (185… 山根 正次(やまね まさつぐ、安政4年12月23日 (1858年2月6日) - 大正14年(1925年)8月29日)は、日本の衆議院議員(中正倶楽部→大同倶楽部→立憲同志会)、医学者。 長門国阿武郡椿郷東分村(現在の山口県萩市)出身。長州藩の医学館であった好生堂で蘭学を、中学校でドイツ人教師からドイツ語を学んだ。東京大学医学部を卒業し、長崎医学校一等教諭に任じられた。1885年(明治18年)、長崎でコレラが大流行すると、検疫委員として防疫に尽力した。 1887年(明治20年)よりドイツ・オーストリアに留学し、法医学を学んだ。帰国後は、警察医長、医務局長、警視庁第三部長を歴任した。 1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。
大谷木 備一郎(おおやぎ びいちろう、1858年(安政5年6… 大谷木 備一郎(おおやぎ びいちろう、1858年(安政5年6月)- 1892年(明治25年)2月7日)は、明治時代の政治家、弁護士。衆議院議員(1期)。 幕臣・大谷木吉之丞(のちに一と称す)、と母の下田氏の子として江戸牛込若宮町(東京府牛込区若宮町、東京市牛込区若宮町を経て現東京都新宿区若宮町)に生まれる。11歳にして聖堂に入り漢学を修める。ついで北門社で英学を学び、外国語学校に入り、大学南校に学び、大学予備門を経て1879年(明治12年)東京大学法律科を卒業した。 代言人となり同期の高橋一勝らと攻法館(専修大学の前身)を設立し、1886年(明治19年)には代言事務所を日本橋区本町(現東京都中央区日本橋本町)に開業した。
佐藤 三吉(さとう さんきち、1857年12月30日(安政4… 佐藤 三吉(さとう さんきち、1857年12月30日(安政4年11月15日) - 1943年(昭和18年)6月17日)は明治〜昭和期の外科医、医学博士、貴族院議員。美濃国大垣藩(現岐阜県大垣市)出身。 東京帝国大学教授、東京帝国大学医科大付属医院長、東京帝国大学医科大学長として、同じ岐阜県出身の青山胤通とともに、日本近代医学の創生期に活躍した。 佐藤三吉は1857年(安政4年)に大垣藩士佐藤只五郎の三男として生まれた。1870年(明治3年)父が死去し、義兄安藤就高の援助を受け上京し勉学の場を与えられた。 妻の滋子(1871年生)は小崎利準の長女。 実弟に東京興信所所長の佐藤正美、興業主の米山米吉がいる。
白石 直治(しらいし なおじ、安政4年10月29日(1857… 白石 直治(しらいし なおじ、安政4年10月29日(1857年12月15日) - 1919年(大正8年)2月17日)は、明治から大正時代の土木技術者、土木工学者、東京帝国大学教授、衆議院議員、実業家。旧姓は久家。 土佐藩儒で漢学者の久家種平(忘斎)、峰の長男として土佐国長岡郡十市村(現・高知県南国市十市)に生まれ、1874年(明治7年)白石栄の養嗣子となる。13歳の時、土佐藩校・致道館に学ぶ。母の弟・中島信行の影響により勤王論に刺激され、長州に走ったこともあったが、維新後上京し後藤象二郎家に寄寓する。 1881年(明治14年)東京帝国大学工科大学土木学科卒業。農商務省を経て、東京府勤務となる。1882年(明治15年)竹内綱の二女・菊と結婚。
山下 千代雄(やました ちよお、1857年10月27日〈安政… 山下 千代雄(やました ちよお、1857年10月27日〈安政4年9月10日〉 - 1929年〈昭和4年〉2月4日)は、衆議院議員(自由党→立憲政友会)、弁護士。 出羽国米沢出身。藩校興譲館で学んだ後、司法省法学校(現・東京大学法学部)を卒業。明道館を創立し、自由民権を主張した。1890年(明治23年)の第1回衆議院議員総選挙は大同倶楽部から、1892年(明治25年)の第2回総選挙は立憲自由党から山形県第2区で立候補したが、いずれも落選している。 1894年(明治27年)、第3回総選挙に出馬し、当選。同年9月の第4回総選挙でも再選された。1898年(明治31年)、第1次大隈内閣が成立すると内務省地方局長に任命されたが、内閣の崩壊とともに野に下り弁護士業務に従事した。
伊東 重(いとう しげる、1857年10月26日(安政4年9… 伊東 重(いとう しげる、1857年10月26日(安政4年9月9日) - 1926年(大正15年)8月5日)は、日本の明治より大正期にかけての医師・政治家・思想家。現在の青森県出身で、青森県医師会会長や弘前市長、衆議院議員を歴任した。今東光の母方の伯父にあたる。 1857年(安政4年)旧暦9月9日の重陽節句の日に、現在の弘前市元長町において、津軽藩典医伊東家久・もと夫妻の次男として生まれる。幼名は滝次郎と称した。 1865年(慶応元年)、原子塾に入塾。後に黒滝学校に転じ、1868年(明治元年)藩校稽古館に入学。1871年(明治4年)藩命により英学修行を命じられ、英学塾(翌年東奥義塾と改名)に入塾。
木戸 孝正(きど たかまさ、1857年9月14日〈安政4年7… 木戸 孝正(きど たかまさ、1857年9月14日〈安政4年7月26日〉- 1917年〈大正6年〉8月10日)は、日本の宮内官、政治家、華族(侯爵)。貴族院侯爵議員。旧姓は来原、幼名は彦太郎。 長州藩士・来原良蔵、治子(木戸孝允の妹)夫妻の長男として生まれる。木戸孝允の養嗣子であった弟木戸正二郎の死去に伴い、木戸家を継承し1884年(明治17年)11月18日、侯爵を襲爵()。1890年(明治23年)2月、貴族院令施行により貴族院侯爵議員に任じられ死去するまで在任した。 1871年(明治4年)、アメリカ合衆国に留学。帰国後、開成学校、東京大学理学部、大阪専門学校を修了。1882年(明治15年)以降、山口師範学校教諭兼同山口中学校教諭、駅逓局属、農商務省御用掛、主猟官などを経て、1902年(明治35年)に東宮侍従長兼式部官、1908年(明治41年)に宮中顧問官式部官兼閑院官別当となる。
関 直彦(せき なおひこ、1857年9月4日〈安政4年7月1… 関 直彦(せき なおひこ、1857年9月4日〈安政4年7月16日〉- 1934年〈昭和9年〉4月21日)は、日本のジャーナリスト、政治家、弁護士。東京日日新聞社長、衆議院議員、貴族院議員。 江戸で紀州藩士関平兵衛の次男として生まれる。築地の立教学校(立教大学の前身の一つ)で学ぶ。 1883年(明治16年)、東京大学法学部法律科を卒業後、東京日日新聞入社。東京専門学校・英吉利法律学校の各講師、東京日日新聞記者、日報社社長などを務め、後に弁護士となり東京弁護士会長も務めた。さらに、東京日日新聞・大阪日日新聞・帝国石油の各社長などを歴任。 政界にも進出し、麹町区会議員、東京市会議員、同参事会員、東京府会議員を歴任。
仙石 貢(せんごく みつぎ/せんごく みつぐ、1857年7月… 仙石 貢(せんごく みつぎ/せんごく みつぐ、1857年7月22日〈安政4年6月2日〉- 1931年〈昭和6年〉10月30日)は、日本の鉄道官僚、実業家、政治家。工学博士。 没後勲一等旭日大綬章追贈(昭和6年10月30日付)。 土佐国高知出身。1872年(明治5年)、高知藩病院附属吸江学校に入学し、英語を学ぶ。1878年(明治11年)7月、東京大学理学部土木工学科卒業。同年9月、東京府土木掛。1884年(明治17年)、工部省鉄道局勤務、日本鉄道、甲武鉄道工事を担当した。1891年(明治24年)8月、工学博士学位を取得している。 1896年(明治29年)10月、逓信省鉄道技監を最後に退官し、実業界に転じ筑豊鉄道社長となる。
平野 友輔(ひらの ともすけ、1857年2月3日〈安政4年1… 平野 友輔(ひらの ともすけ、1857年2月3日〈安政4年1月9日〉 - 1928年〈昭和3年〉4月3日)は、日本の医師、政治家。衆議院議員。 相模国高座郡藤沢宿(のち神奈川県高座郡藤沢大坂町、現:藤沢市)で、薬種商・平野六三郎、ツル夫妻の長男として生まれる。読書院(後の耕余塾)に通い小笠原東陽に漢学を学んだ。1875年(明治8年)10月、第十八大区小学校(現藤沢市立藤沢小学校)の代用教員となる。1880年頃から自由民権運動に加わる。1883年8月、東京大学医学部別課を卒業した。 1884年、神奈川県南多摩郡八王子に移住し医院を開業して、診療は午前のみで、午後には民権運動の活動を行う。八王子でキリスト教に入信。
鶴原 定吉(つるはら さだきち、1857年1月10日(安政3… 鶴原 定吉(つるはら さだきち、1857年1月10日(安政3年12月15日) - 1914年(大正3年)12月2日)は、日本の官僚、実業家、政治家。第2代大阪市長。韓国統監府初代総務長官。衆議院議員。
千頭 清臣(ちかみ きよおみ、1856年12月5日(安政3年… 千頭 清臣(ちかみ きよおみ、1856年12月5日(安政3年11月8日) - 1916年(大正5年)9月9日)は、日本の教育者、内務官僚、政治家。官選県知事、貴族院議員、錦鶏間祗候。幼名・徳馬。 土佐藩士・千頭清雄の二男として生まれる。1880年、東京大学文学部を卒業。1881年7月、東京大学予備門教諭に就任。1886年、イギリスに留学。帰国後、第一高等中学校教諭となり、さらに、鹿児島高等中学造士館教授、高知県尋常中学校長、第二高等学校教授を歴任。 1896年8月、内務省に転じ、内務書記官兼内務省参事官に就任。1897年11月、栃木県知事(「栃木県知事一覧」参照)に就任。以後、宮城県・新潟県・鹿児島県の各知事を歴任。
末延 道成(すえのぶ みちなり、1855年11月28日(安政… 末延 道成(すえのぶ みちなり、1855年11月28日(安政2年10月19日) - 1932年(昭和7年)5月24日)は、日本の実業家・政治家。東京海上火災保険取締役会長、貴族院議員。 土佐国(高知県)香美郡夜須村出身。医師の末延立誠(1827-1896)の長男として生まれる。15歳で藩校・到道館に入り、1872年(明治5年)に大阪に出て英語を学んだ後、上京して立教学校(立教大学の前身の一つ)で学ぶ。その後、開成学校を経て1879年(明治12年)に東京大学法学部を卒業。翌年磯野計とともに岩崎弥太郎の給費留学生に選ばれて英国留学後、三菱入社。三菱汽船支配人や取締役ほか、日本郵船の重役を務め、1887年(明治20年)には明治生命、東京海上の取締役を務めた。
丹後 直平(たんご なおへい、1855年11月18日(安政2… 丹後 直平(たんご なおへい、1855年11月18日(安政2年10月9日)- 1920年(大正9年)3月17日)は、日本の実業家、篤農家、政治家。衆議院議員(立憲政友会)。族籍は新潟県平民。 越後国蒲原郡本郷村(後の北蒲原郡中条町大字本郷、現新潟県胎内市)で、丹後宗民の十二男として生まれ、1882年、丹後宗淳の後を相続した。家は医業を営む。 漢学塾に入り漢籍を学ぶ。経伝諸子百家の書を渉猟する。1873年、大学南校に入学する。東京大学文学部で学び、第一科を修める。病により退学して帰郷する。 帰郷後、町村会議員、北蒲原郡会議員、新潟県会議員、学務委員、徴兵参事員などを務めた。実業界では、農業、絵具塗料製造・販売を営み、蚕糸業組合長、中条共立銀行取締役などを務めた。
高橋 健三(たかはし けんぞう、1855年10月27日(安政… 高橋 健三(たかはし けんぞう、1855年10月27日(安政2年9月17日) - 1898年(明治31年)7月22日)は、明治期のジャーナリスト・官僚・政治家。英吉利法律学校(中央大学の前身)創立者の一人。岡倉天心とともに『国華』を創刊のほか、『官報』の創刊(1883年)にも尽力した。別称に自恃居士(じじこじ)。 江戸で元尾張藩士、書道家になった高橋石斎の子として生まれる。後に父が戸田氏に仕官して下総国曾我野藩士となる。明治3年(1870年)曾我野藩の貢進生に選ばれて大学南校(東京大学の前身の一つ)に入学し、法律を学ぶ。明治11年(1878年)、東京大学を中退し、翌年官途につく。以後、駅逓局・文部省を経て、明治16年(1883年)に太政官官報報告掛に任じられて官報の創刊に参画する。
石黒 五十二(いしぐろ いそじ、1855年7月23日(安政2… 石黒 五十二(いしぐろ いそじ、1855年7月23日(安政2年6月10日) - 1922年(大正11年)1月14日)は、明治時代の官僚、土木技術者、政治家。 加賀藩士・石黒千尋の二男として加賀国石川郡金沢に生まれる。明治維新前は、藩校で修めた西洋砲術を教授していたという。 維新後は、加賀藩主の命を受けて大学南校(開成学校を経て、後に東京大学)に進み、1878年(明治11年)、土木工学科を卒業。同年、神奈川県土木課に出仕したが、翌1879年(明治12年)、文部省の選抜によりイギリスに留学した。留学中は、アレキサンドリア港の水道工事をはじめ多数の工事に携わったほか、ジョン・フレミングとともにインシュライトの発明を行うなどもした。
梅津 清中(うめつ せいちゅう、1854年11月5日(安政元… 梅津 清中(うめつ せいちゅう、1854年11月5日(安政元年9月25日)- 1940年(昭和15年)7月27日)は、日本の政治家。元山形県南村山郡上山町長。 山形県南村山郡上山町(現上山市)出身。上山藩医の梅津清明の三男として生まれる。幼少の頃、上山藩の漢学者浅野普平から漢学を学ぶ。1870年(明治3年)から、東京帝国大学東校に学ぶ。 1880年(明治13年)8月に山形県議会議員改選に初当選、1884年(明治17年)5月満期退任。1899年(明治42年)3月に山形県議会議員補欠選挙に当選、1901年(明治44年)9月満期退任。1923年(大正12年)6月8日から1926年(大正15年)7月22日まで上山町長を務めた。
岡山 兼吉(おかやま けんきち、1854年7月31日(嘉永7… 岡山 兼吉(おかやま けんきち、1854年7月31日(嘉永7年7月7日) - 1894年(明治27年)5月28日)は、明治時代の弁護士、衆議院議員(当選1回)。東京専門学校(早稲田大学の前身)および英吉利法律学校(中央大学の前身)の創設に参画したことでも知られる。号は梧堂。 遠江国城東郡横須賀(現在の静岡県掛川市)生まれ。初名重吉。父の定基は横須賀藩の元締役。1865年(慶応元年)に同藩の三好左衛の養子となり、このとき兼吉と改名。維新後いったん実家に戻り、横須賀藩は安房国の花房藩に転封となったため、1869年移住する。同藩士の赤岩亀六の養子となるが、勉学で身を立てるに伴い解消している。藩の家老であった永富謙八の助けで、新潟英語学校に入学し、東京開成学校を経て、1882年に東京大学を卒業。
鈴木 充美(すずき みつよし/すずき じゅうび、安政元年6月… 鈴木 充美(すずき みつよし/すずき じゅうび、安政元年6月16日(1854年7月10日)- 昭和5年(1930年)5月23日)は、日本の政治家、外交官、弁護士。旧姓・木村。 伊勢国河曲郡神戸(現三重県鈴鹿市)で、神戸藩士・木村家の二男として生まれ、鈴木公充の養子となる。藩選抜により上京し、慶應義塾を経て、1881年(明治14年)、東京大学法学部を卒業。 学習院教授兼監事、外務省御用掛などを務める。1886年(明治19年)2月、朝鮮国仁川在勤領事に就任。1889年(明治22年)3月、香港在勤領事に転じ、1890年(明治23年)2月まで務めた。 第9代内務次官として1898年(明治31年)7月から10月まで勤める。
木村 九兵衛(きむら くへえ、安政元年2月28日(1854年… 木村 九兵衛(きむら くへえ、安政元年2月28日(1854年3月26日) - 昭和8年(1933年)7月28日)は、日本の明治初頭から昭和にかけて活動した大地主、両羽農工銀行と荘内貯蓄銀行の創業者、電力会社役員、政治家。山形県田川郡水沢村(現:鶴岡市)出身、東京大学農学部卒。 伊藤知正の4男として田川郡水沢村(後の上郷村)に生まれ、民吉と名付けられる。明治18年(1985年)に矢馳村(のちの大泉村)の豪農である木村九兵衛の婿養子に入る。明治24年(1891年)に家督相続。九兵衛を襲名した。 耕地整理事業に取り組んでいた九兵衛は東大卒業後、耕作地の水不足を解消するためにドイツからドイツ製の15馬力の電動機を輸入し、石川島造船所(IHI)製のポンプと組み合わせた「電力揚水機」を設置した。
鳴瀧 幸恭(なるたき ゆききよ、1849年2月5日(嘉永2年… 鳴瀧 幸恭(なるたき ゆききよ、1849年2月5日(嘉永2年1月13日)- 1925年(大正14年)10月31日)は、日本の政治家。初代神戸市長(在任:1889年5月21日 - 1901年5月20日)。市営の上水道事業実現に取り組み、「水道市長」と呼ばれた。京都府出身。 1849年(嘉永2年)、京都に生まれる。生家は寺侍であった。東京帝国大学卒業後、1873年から兵庫県で小学校教員、県警視課職員、検事補(1881年(明治14年))などを務める。その後兵庫県知事内海忠勝の下で庶務課長として頭角を現した鳴瀧は内海の懐刀と呼ばれるようになり、神戸区長に任命された。この時内海からは市制施行への準備を指示されており、市制施行後の1889年(明治22年)5月にそのまま神戸市初代市長に就任した。
三宅 秀(みやけ ひいず、嘉永元年11月17日(1848年1… 三宅 秀(みやけ ひいず、嘉永元年11月17日(1848年12月12日) - 昭和13年(1938年)3月16日)は、日本の医師・洋学者・医学者・貴族院議員。東京大学で最初の医学博士、のち名誉教授。幼名は復一(またいち)。
高松 智之 は、日本の政治家。
小田原 潔 は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員(5… 小田原 潔 は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員(5期)。
河西 宏一 は、日本の政治家。中道改革連合所属の衆議院議員(… 河西 宏一 は、日本の政治家。中道改革連合所属の衆議院議員(3期)、中道改革連合選挙対策委員長代行。
西野 太亮 は、日本の政治家、大蔵・財務官僚。自由民主党所属… 西野 太亮 は、日本の政治家、大蔵・財務官僚。自由民主党所属の衆議院議員(3期)。
本井 健吾(もとい けんご)はテレビ朝日健康保険組合所属の議… 本井 健吾(もとい けんご)はテレビ朝日健康保険組合所属の議員。元テレビプロデューサー。東京大学卒。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
山岸 一生 は、日本の政治家、新聞記者。
山田 美樹 は、日本の政治家、通産官僚。自由民主党所属の衆議… 山田 美樹 は、日本の政治家、通産官僚。自由民主党所属の衆議院議員(5期)。
鳩山 紀一郎 は、日本の政治家、工学者(交通工学、都市工学)… 鳩山 紀一郎 は、日本の政治家、工学者(交通工学、都市工学)。博士(工学)(東京大学、2007年)。政治団体日本先進会代表。
後藤 祐一 は、日本の政治家、通産・経産官僚。中道改革連合所… 後藤 祐一 は、日本の政治家、通産・経産官僚。中道改革連合所属の衆議院議員(7期)。立憲民主党幹事長代理。
黒岩 宇洋 は、日本の政治家。
田嶋 要 は、日本の政治家。中道改革連合所属の衆議院議員(9… 田嶋 要 は、日本の政治家。中道改革連合所属の衆議院議員(9期)、立憲民主党環境・エネルギー総合調査会長。
重徳 和彦 は、日本の政治家、自治・総務官僚。中道改革連合所… 重徳 和彦 は、日本の政治家、自治・総務官僚。中道改革連合所属の衆議院議員(6期)、中道改革連合国会対策委員長、直諫の会会長、立憲民主党愛知県連代表。
丸川 珠代 は、日本の政治家、元テレビ朝日アナウンサー。自由… 丸川 珠代 は、日本の政治家、元テレビ朝日アナウンサー。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。