粟田 賢三(あわた けんぞう、1900年9月15日 - 19… 粟田 賢三(あわた けんぞう、1900年9月15日 - 1987年2月8日)は、日本の哲学者、編集者。 1900年、長崎県で生まれた。8歳で東京に移り、幼少期を過ごした。東京府立第四中学校(現・東京都立戸山高等学校)、第一高等学校理科を卒業し、東京帝国大学文学部哲学科に進学。1925年に卒業した。 卒業後は教員となり、武蔵高等学校に勤務。1934年、日本共産党に数百円の資金提供を行ったとして治安維持法違反の疑いで夫人とともに逮捕された。1935年に出獄し、その後は岩波書店に勤務した。「K・P・A」の名で『思想』の「思想の言葉」を執筆していた。編集部副部長を務め、後に嘱託。古在由重などの哲学者と親しかった。
杉村 章三郎(すぎむら しょうざぶろう、1900年9月7日 … 杉村 章三郎(すぎむら しょうざぶろう、1900年9月7日 - 1991年12月2日)は、日本の法学者。法学博士。専門は、行政法・租税法。東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。 法学博士の一木喜徳郎(枢密院議長)の三男として東京に生まれ、1924年に医学博士杉村七太郎(東北帝国大学名誉教授)の婿養子となる。1918年東京府立第四中学校卒業。1921年第二高等学校卒業。1923年東京帝国大学法学部卒業。 1924年東京帝国大学法学部助手(指導教官は筧克彦)。1926年同法学部助教授。1935年東京帝国大学法学部教授となる。1944年学術研究会議会長。終戦後は東京大学法学部教授。1949年旧司法試験第二次試験考査委員(~1960年)。
山田 幸男(やまだ ゆきお、1900年8月14日 - 197… 山田 幸男(やまだ ゆきお、1900年8月14日 - 1975年7月6日)は日本の藻類学者である。 京都に生まれた。家族と東京に移り、東京府立一中、第一高等学校から東京帝国大学植物科で学んだ。早田文蔵に藻類の研究をすることを薦められ、海草の研究に取り組み、岡村金太郎の指導を受けた。1928年から2年間欧米留学の後、1930年に北海道大学に新たに設立された理学部の教授となった。日本における藻類研究のパイオニアとして働いた。1952年に設立された日本藻類学会の初代会長となり1965年まで会長を務めた。1962年に北海道大学理学部長も務めた。 1960年に北海道新聞文化賞、1964年に北海道文化賞を受賞した。
金田 平一郎(かねだ へいいちろう、1900年(明治33年)… 金田 平一郎(かねだ へいいちろう、1900年(明治33年)7月10日 - 1949年(昭和24年)10月7日)は、日本の法学者。日本法制史。近代債権法。商法。九州帝国大学教授。法学博士(学位論文「近世民事責任法の研究」)。茨城県出身。 茨城県行方郡玉造町出生。第二高等学校を経て、1924年(大正13年)東京帝国大学法学部法律学科(独逸法)卒業。同大学院を経て1929年(昭和4年)九州帝国大学法文学部講師に就任。1940年(昭和15年)法学部教授。1949年(昭和24年)同第13代図書館長に就任。多くの歴史資料文献を蒐集し大学の蔵書形成に貢献した。同年急逝。 日本法制史研究の第一人者として知られる。
今岡 賀雄(いまおか よしお、1900年(明治33年)6月 … 今岡 賀雄(いまおか よしお、1900年(明治33年)6月 - 1944年(昭和19年)3月14日)は、昭和時代前期の電気工学者、通信技術者、実業家。 東京府士族・今岡純一郎の長男として生まれる。1924年(大正13年)東京帝国大学物理学科を卒業後、東京電気株式会社(のちの東京芝浦電気株式会社→東芝)に入社、1935年(昭和10年)製造部長、取締役、技師長を歴任する。1944年(昭和19年)3月14日、激務による過労により川崎駅にて事故に遭い殉職した。 東京電気にて無線通信機および真空管の研究に従事し、1935年(昭和10年)に150kWの大電力放送機を完成させた。ほか、「マツダランプ」の開発および製造で培った知見をもとに、無線用真空管「サイモトロン」などを開発した。
舟橋 諄一(ふなばし じゅんいち、1900年5月31日 - … 舟橋 諄一(ふなばし じゅんいち、1900年5月31日 - 1996年11月21日)は、日本の法学者(民法)。九州帝国大学名誉教授。穂積重遠、末弘厳太郎に師事。藍綬褒章受章。 1930年には北九州市に開校された九州法学校の理事に就任、同校で民法の講義も行った。九州大学退官後は法政大学教授、創価大学教授、八幡大学社会文化研究所客員教授などを歴任した。 不動産登記法・物権法に関する研究で著名である。民法177条の「第三者」に何らかの主観的な制限をつけるべきかという問題において、舟橋は、当初悪意者排除説を主張していたが、その後、牧野英一が提唱した、単なる悪意者は含まれないが、背信的悪意者は排除されるとの背信的悪意者排除説に改説した。
喜多野 清一(きたの せいいち、1900年5月27日 - 1… 喜多野 清一(きたの せいいち、1900年5月27日 - 1982年12月20日)は、日本の社会学者。文学博士(東北大学)。専門は、農村社会学。弟子に正岡寛司他。 和歌山県西牟婁郡田辺町(田辺市)出身。1921年、第三高等学校卒業。1925年、東京帝国大学文学部社会学科卒業。法政大学予科専任講師。1927年、東京帝国大学大学院(旧制)退学(指導教授:戸田貞三)。1933年、法政大学文学部専任講師。1942年、日本社会学会理事。仙台高等実務学校(仙台法経専門学校)副校長。1946年、連合国軍最高司令官総司令部民間情報教育局顧問。1948年、九州大学法文学部教授。1949年、同文学部教授。1949年、同産業労働研究所教授。
下村 彦一(しもむら ひこいち、1900年 <明治33年> … 下村 彦一(しもむら ひこいち、1900年 <明治33年> 5月17日 - 1995年 <平成7年> 4月18日)は、日本の地理学者。広島大学名誉教授。理学博士(東京大学)。勲三等旭日中綬章(1971年)。位階は従三位。 地形・地形区・気候・地図・地理教育などを幅広く研究した。 1900年、兵庫県に長男として生まれる。父の下村三四吉は東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)の東洋史の教授であった。第二高等学校(現・東北大学)を経て東京帝国大学理学部地理学科に入学。山崎直方・辻村太郎らの指導を受け、1925年に大学を卒業する。卒業と同時に、日本人にはほとんど知られていなかったジュンガル地方の地誌を『地理学評論』創刊号に発表した。
木下 半治(きのした はんじ、1900年5月9日 - 198… 木下 半治(きのした はんじ、1900年5月9日 - 1989年8月14日)は、日本の政治学者。右翼思想や日本の国家主義運動を研究。 兵庫県出身。東京帝国大学法学部卒。在学中新人会に入る。卒業後『無産者新聞』などに関わり、1942年読売新聞入社。戦後1954年「フランス国家主義運動史」で東大法学博士。愛知大学教授、東京教育大学教授、明治大学教授、理事。
石中 象治(いしなか しょうじ、1900年4月28日 - 1… 石中 象治(いしなか しょうじ、1900年4月28日 - 1981年11月12日)は、ドイツ文学者、九州大学名誉教授。 熊本県生まれ。東京帝国大学独文科卒、戦後九州大学教授、1964年定年退官、名誉教授、千葉商科大学教授。
村松 常雄(むらまつ つねお、1900年4月12日 - 19… 村松 常雄(むらまつ つねお、1900年4月12日 - 1981年8月30日)は、日本の医学者、精神科医。 妻は田部隆次の娘。村松剛、村松英子の父。村松えりの祖父。 東京出身。東京帝国大学医学部卒。名古屋大学助教授、1950年教授、1960年医学部長。1964年定年退官、東京都立松沢病院副院長、国立精神衛生研究所長。1971年、勲二等旭日重光章を受賞。
小山 隆(こやま たかし、1900年4月5日 - 1983年… 小山 隆(こやま たかし、1900年4月5日 - 1983年8月4日)は、日本の社会学者。 岡山県出身。1924年東京帝国大学文学部社会学科卒。長崎高等商業学校教授、高岡高等商業学校教授、大阪大学教養部教授、1964年定年退官、名誉教授、東洋大学教授。1962年「近代家族の構造分析」で大阪大学文学博士。戦前は富山・岐阜県境の村の大家族構造を調査。戦後も家族の変容などを研究した。1964年日本社会学会会長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
舟木 重彦(ふなき しげひこ、1900年(明治33年)3月1… 舟木 重彦(ふなき しげひこ、1900年(明治33年)3月15日 - 1951年(昭和26年)3月6日)は、昭和時代の日本の図書館学者。図書分類法、件名目録法の権威。 石川県金沢市にて生まれ、高知県で育つ。1924年に第四高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部文学科に入学。1927年に同学部独逸文学科を卒業。同年12月から1928年3月まで姫路高等学校講師を務めたのち、千葉高等園芸学校で英語とドイツ語の講師を勤める。1931年に帝国図書館に入り、1947年、文部省図書館職員養成所の初代所長となる。1950年に海外の図書館事業調査のため渡米し、翌年3月の帰国直後に死去。
木村有香(きむら ありか、1900年(明治33年)3月1日 … 木村有香(きむら ありか、1900年(明治33年)3月1日 - 1996年(平成8年)9月1日)は、日本の植物学者。 ヤナギ科の分類を大成した植物学者として知られているとともに、旧制第七高等学校造士館に在学中に原始的な形態を持ち生きている化石として知られるキムラグモを発見したことでも著名である。様々な地域の野生のヤナギを個体識別し、季節ごとに標本を採集し、同一個体から得られた標本を比較することで葉の形態の季節変異の著しいヤナギ科の分類の確立に努めた。 1958年(昭和33年)8月、昭和天皇の採集品を鑑定するために那須御用邸に招かれる。翌月には、他の有識者とともに天皇から植物に関する質問を受けたほか座談会に参加。
高野 一夫(たかの かずお、1900年〈明治33年〉2月25… 高野 一夫(たかの かずお、1900年〈明治33年〉2月25日 - 1980年〈昭和55年〉2月23日)は、日本の薬学者、政治家。参議院議員(2期)、薬学博士。 鹿児島県肝属郡垂水村(後の垂水町、垂水市)出身。勝目家の二男として生まれ、鉱業家の高野今彦の養子となる。小学校を卒業後に上京し、旧制東京府立第一中学校(現東京都立日比谷高等学校)、旧制第一高等学校で学ぶ。1924年(大正13年)東京帝国大学医学部薬学科を卒業した。 満洲稲畑産業専務、海南薬品工業社長、高野薬品社長、九州大学講師、徳島大学講師などを務めた。 1953年(昭和28年)4月の第3回参議院議員通常選挙に全国区から自由党所属で出馬して当選。
小宮 義孝(こみや よしたか、1900年2月18日 - 19… 小宮 義孝(こみや よしたか、1900年2月18日 - 1976年2月4日)は、日本の寄生虫学者。 埼玉県出身。旧制熊谷中学校、第一高等学校をへて、1925年東京帝国大学医学部卒、同衛生学教室助手。国崎定洞の影響を受けて社会医学を志す。1931年上海自然科学研究所に入所、寄生虫を研究。1932年「鐵筋コンクリート建病室に於ける換気に関する研究」で医学博士(東京帝国大学)。 戦後は、1949年群馬大学医学部教授、1952年目黒寄生虫館評議員、1966年国立予防衛生研究所長、1967年日本寄生虫学会名誉会員。1964年第8回野口英世記念医学賞を受賞。 戦前はマルクス主義者で、戦後も早くから中華人民共和国をたびたび訪れた。
内藤 吐天(ないとう とてん、1900年2月5日 - 197… 内藤 吐天(ないとう とてん、1900年2月5日 - 1976年5月12日)は、岐阜県出身の俳人、薬学者。本名は多喜夫。別名に龍膽寺旻、別号に萱雨亭(けんうてい)がある。 岐阜県大垣市生まれ。東京帝国大学薬学科卒。のち名古屋市立大学薬学部長、名城大学薬学部教授などを歴任。岡山六高時代より志田素琴、大須賀乙字に俳句を学び、「獺祭」「草上」「東炎」などに関わる。1946年に「早蕨」を創刊・主宰。「野薊にぴしりぴしりと夕立来ぬ」「あたたかな案山子を抱いて捨てにゆく」など、格調の高い句風で知られたが、晩年はより自由な作風になった。句集に『落葉松』『雨滴声』『早蕨』『鳴海抄』『点心』『臘八』など。また詩を日夏耿之介に師事し、海外の小説や詩集の翻訳もある。
佐藤 孝二(さとう こうじ、1900年(明治33年)1月17… 佐藤 孝二(さとう こうじ、1900年(明治33年)1月17日 - 1972年(昭和47年)2月2日)は、日本の物理学者。専門は建築音響工学および騒音。また、実業家でもあり、補聴器メーカー・リオンを創始した。 1900年1月17日、大分県生まれ。1925年3月、東京帝国大学理学部物理学科卒業。1929年2月、同大学助教授。同年5月、理学博士。1941年8月、東京帝国大学教授。1948年12月、小林理学研究所理事長。1949年5月、学習院大学教授・理学部長。1960年4月、東京大学教授を停年退職、同大学名誉教授。1960年5月、リオン取締役会長。同年11月、東京都都市公害対策審議会委員。1970年11月、紫綬褒章を受章。
安田 幹太(やすだ みきた、1900年1月2日 - 1987… 安田 幹太(やすだ みきた、1900年1月2日 - 1987年5月16日)は、日本の法学者、政治家。九州国際大学(元・八幡大学)名誉学長。法学博士。衆議院議員。末弘厳太郎門下。 国立国会図書館 NDL 安田幹太 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
佐々木 理(ささき ただし、1900年1月1日 - 1991… 佐々木 理(ささき ただし、1900年1月1日 - 1991年8月30日)は、日本の西洋古典学者。神話学者。 長野県生まれ。1924年東京帝国大学文学部英文科卒。宮城県女子専門学校教授、第二高等学校教授、1950年、名古屋大学文学部教授となり、1964年定年退官し名誉教授、その後、帝塚山大学教授を務め、1968年椙山短期大学教授となる。
有松 昇(ありまつ のぼる、1900年(明治33年)- 19… 有松 昇(ありまつ のぼる、1900年(明治33年)- 1974年(昭和49年))は、日本の官僚、法学者。 東京府出身。麹町小学校、府立一中、旧制第一高等学校を経て、大正13年(1924年)東京帝国大学法学部卒業。内務省に入省。神奈川県属。地方府部長・拓務書記官などを歴任。その後、衆議院書記官・内務省警察講習所教頭・行政裁判所評定官・衆議院専門員などを務めた。その間、各国の議会制度、地方制度、警察制度などを研究のため、欧米各国を視察。愛知学院大学法学部教授・昭和女子大学教授を歴任した。 父は法制局長官などを務めた有松英義。
赤尾 晃(あかお あきら、1900年 - 没年不明)は、日本… 赤尾 晃(あかお あきら、1900年 - 没年不明)は、日本の医化学者。専門は、家蚕の成長、吐糸、体液成分、また絹糸の縫合糸材料への応用など。カイコの卵巣を用いた先駆的な実験により生体における亜鉛の必須性に言及したことでも知られる。 1900年大阪府生まれ。1925年東京帝国大学(現在の東京大学)医学部卒業。1926年7月19日京城帝国大学医学部医化学教室助教授、1938年3月31年免官。以降、農林省(現在の農林水産省)蚕糸試験場嘱託として活動。
三輪 知雄(みわ ともお、1899年12月27日 - 197… 三輪 知雄(みわ ともお、1899年12月27日 - 1979年12月27日)は、日本の植物学者、生化学者。筑波大学初代学長。 長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)出身。旧制諏訪中学(現長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1922年(大正11年)に東京高等師範学校理科第三部卒業。千葉県の旧制中学校教諭を経て、同12年(1923年)東京帝国大学理学部植物学科入学、昭和2年(1927年)卒業。 昭和4年(1929年)東京高師講師、同5年(1930年)東京文理科大学助教授、同15年(1940年)教授を経て、同24年(1949年)東京教育大学理学部教授に就任。同29年(1954年)理学部長、同37年(1962年)学長を歴任した。
鳥羽 正雄(とば まさお、1899年12月13日 - 197… 鳥羽 正雄(とば まさお、1899年12月13日 - 1979年4月18日)は、日本の林業史学者、城郭研究家。 東京市市谷生まれ。高千穂小学校、東京高等師範学校附属中学校、第一高等学校卒、1924年東京帝国大学文学部国史学科卒。農林省林制沿革調査嘱託、神宮皇學館教授、内務省考証官、神祇院考証課長、林業経済研究所研究員。1951年から鹿児島大学教授、1956年から東洋大学教授。1961年、東洋大学にて文学博士の学位を取得。中京大学教授。1974年退任。1966年日本城郭協会設立に参加し、理事。 甲冑研究家の山上八郎とは小学校以来の交友があり、山上が「日本甲冑論考」で東洋大学より文学博士号を取得したのも鳥羽の推薦があったためという。
末延三次(すえのぶ さんじ、1899年 <明治32年> 12… 末延三次(すえのぶ さんじ、1899年 <明治32年> 12月5日 - 1989年 <平成元年> 7月24日)は、日本の法学者。専門は英米法。学位は法学博士。東京大学名誉教授。立教大学法学部元教授。末延道成の養子(旧姓・平井)。日本学士院会員。末延財団設立者、同初代理事長。位階は正四位。土方寧、高柳賢三に師事。弟子に海原文雄、伊藤正己、土屋喜平、大木雅夫、田中英夫など。 熊本県熊本市西唐人町の坪井川沿いで蝋燭・マッチ商を営んでいた平井茂八の三男として生まれる。五高、東京帝国大学を出て、東京帝国大学助手を経て助教授となり、1928年英国留学、ケンブリッジ大学で学んだのち渡米し、イエール大学、ハーバード大学で研究。
辻 直四郎(つじ なおしろう、1899年11月18日 - 1… 辻 直四郎(つじ なおしろう、1899年11月18日 - 1979年9月24日)は、日本の古代インド学者・言語学者で、日本におけるインド古典学研究を開拓し、業績は海外の学会でも高く評価された。 ヤジュル・ヴェーダ サーマ・ヴェーダ アタルヴァ・ヴェーダ (アーラニヤカ) (ウパニシャッド)
菊池 明(きくち あきら、1899年(明治32年)11月8日… 菊池 明(きくち あきら、1899年(明治32年)11月8日 - 1973年(昭和48年)8月29日)は、昭和時代の土木工学者、内務官僚、建設技監。 香川県に生まれる。1925年(大正14年)東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、内務省土木局に入り、下関土木出張所、興亜院勤務を経て、1945年(昭和20年)国土局道路課長となる。戦後は、近畿土木出張所、建設院地政局長、建設省道路局長を経て、1952年(昭和27年)建設技監に進む。1956年(昭和31年)退官し、日本道路公団理事となり1960年(昭和35年)まで務めた。ほか、地崎組副社長、地崎道路会長、橋梁コンサルタント社長、日本道路協会会長、道路緑化協会会長、第13回国際道路会議議長、土木学会会長などを歴任した。
久米 又三(くめ またぞう 1899年10月21日 - 19… 久米 又三(くめ またぞう 1899年10月21日 - 1976年5月9日)は、日本の生物学者。教育者。 1899年、兵庫県神戸市に生まれる。1924年、東京帝国大学理学部動物学科で動物発生学を専攻して卒業後、東京女子高等師範学校を経てお茶の水女子大学教授、同大学付属図書館長、理学部長を経て1960年から1965年までお茶の水女子大学の学長を務めた。学長時代には大学院の設置に尽力した。 学外では、大学基準等研究協議会、大学設置審議会、公立大学調査委員会の各委員を務めた。 1976年5月9日、肺線維症のため聖路加国際病院で死去。76歳。墓所は台東区寛永寺。
仁田 勇(にった いさむ、1899年(明治32年)10月19… 仁田 勇(にった いさむ、1899年(明治32年)10月19日 - 1984年(昭和59年)1月16日)は、日本の物理化学者。東京都文京区小石川生まれ。大阪大学名誉教授、関西学院大学名誉教授。 1923年3月東京帝国大学理学部化学科を卒業(卒業研究は松原行一教授の指導の下で有機化学を専攻)、直ちに理化学研究所(現在の独立行政法人理研)に入り、西川正治博士の研究室で結晶によるX線回折の研究を始めた。当時はX線回折は純粋に物理学の領域であったが、西川は仁田に有機化合物にX線回折の方法を応用してみることを勧めた。これが後に日本で結晶化学の大きな分野を開く端緒となった。西川はどんな有機化合物が適当かは仁田が自分で決めるように指示した。
古野 清人(ふるの きよと、1899年10月6日 - 197… 古野 清人(ふるの きよと、1899年10月6日 - 1979年3月1日)は、日本の宗教社会学者。 1899年、福岡県生まれ。1921年(大正10年)3月、第三高等学校卒業。1926年、東京帝国大学文学部宗教学科を卒業。卒業後は、1928年11月から翌2月まで東京帝国大学付属図書館嘱託となる。1929年3月からは帝国学士院事務嘱託として勤務していたが、1940年10月に南満州鉄道東亜経済調査局嘱託となる。1943年1月18日に勅令第20号「民族研究所官制」によって民族研究所が文部省傘下の研究施設として設立されると移籍し、第3部(中部・西部アジア)・第5部部長(東南アジア・インド太平洋圏)を兼任した。
堀 豊彦(ほり とよひこ、1899年9月24日 - 1986… 堀 豊彦(ほり とよひこ、1899年9月24日 - 1986年4月9日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。日本基督教団の会員。オランダ通詞・堀達之助の曾孫。子に倫理学者・英学者の堀孝彦がいる。 山口県赤間に村田豊作、ナリの三男として生まれる。1912年に母方の姓の堀になる。1913年鹿児島のバプテスト教会で青木澄十郎から洗礼を受ける。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)および第七高等学校造士館 (旧制)卒業。1924年東京帝国大学法学部を卒業する。1926年よりイギリスのオックスフォード大学とドイツに留学し、1929年帰国後に台北帝国大学教授に就任する。 1942年より九州帝国大学教授になる。
野口 弥吉(のぐち やきち、1899年9月14日 - 200… 野口 弥吉(のぐち やきち、1899年9月14日 - 2002年2月23日)は、日本の作物学者、東京大学名誉教授。
坂本 幸男(さかもと ゆきお、のち改名して坂本日深(にちじん… 坂本 幸男(さかもと ゆきお、のち改名して坂本日深(にちじん)、1899年(明治32年)9月12日 - 1973年(昭和48年)2月10日)は、日蓮宗系の仏教学者、僧侶。 1899年、岡山県津島生まれ。日蓮宗不受不施派の家系。東京帝国大学文学部印度哲学科を卒業する。卒業後は東洋大学教授となる。1948年より立正大学仏教学部教授となり、翌1949年には学部長を務める。1954年、「慧苑の華厳教学の研究 特に教判論を中心として」で東北大学より文学博士の学位を取得。身延山久遠寺第84世・深見日円の弟子となり日深と改名。1966年立正大学に法華経文化研究所を設立して所長となる。1968年、立正大学学長に就任。
不破 武夫(ふわ たけお、1899年9月 - 1947年12… 不破 武夫(ふわ たけお、1899年9月 - 1947年12月27日)は、日本の法学者。 東京府東京市出身。第一高等学校を卒業し、1923年東京帝国大学法学部法律科を卒業。1925年3月に司法官試補となり、1926年11月に東京地方裁判所判事・東京区裁判所判事となる。同助手(恩師:牧野英一)を経て、1929年2月、京城帝国大学助教授に着任。1930年6月に教授昇進。1939年、九州帝国大学教授となり、同法文学部長をつとめた。1947年、学習院次長。1948年、「未必の故意」を九州帝国大学に提出して法学博士号を取得。
間 直之助(はざま なおのすけ、1899年(明治32年)8月… 間 直之助(はざま なおのすけ、1899年(明治32年)8月20日 - 1982年(昭和57年)1月20日)は、日本の動物学者、フィールドワーカー(動物生態学)、株式会社間組取締役。理学博士。 日本の霊長類学研究の黎明期より、京都大学理学部の研究員として活動し、その研究史上に大きな功績を残した。20年以上ニホンザルと生活を共にし、人間とサルとの共存の道を、生涯をかけて模索し続けた。遠藤周作の長編小説『彼の生きかた』(新潮社〈新潮文庫〉、1975年)の主人公・福本一平のモデルとして知られる。 1899年(明治32年)間組創業者・間猛馬の次男として熊本県に生まれた。 4歳のときに母が死去し、父も日露戦争後に流行した疫病を患い、事業を引退して本拠の下関から別府へ転地した。
風早 八十二(かざはや やそじ、1899年8月10日(戸籍上… 風早 八十二(かざはや やそじ、1899年8月10日(戸籍上は8月24日) - 1989年6月19日)は、日本の法学者、弁護士(登録は1949年12月8日)。専門は刑事法、社会政策。衆議院議員(1949年1月-1952年7月)。岡山県都窪郡山手村(現・総社市)出身。1922年、東京帝国大学法学部卒業。 日本の刑事法学において、罪刑法定原則(罪刑法定主義)復活の重要性をいち早く唱えた。ベッカリーアの不朽の名著『犯罪と刑罰』の完訳を成し遂げたことで有名である(単独翻訳は1929年出版の刀江書院版。後1938年、岩波文庫の一冊として出版。戦後の1959年、妻・風早二葉との共訳として改版された)。 日本における新派刑法学(近代派)の巨頭・牧野英一の刑法研究室(東京帝国大学法学部)の助手になる(1922年-1924年3月)も、師説から離れ、日本における、いわゆるマルクス主義法学の先駆者の一人となる。
西原 寛一(にしはら かんいち、1899年8月2日 - 19… 西原 寛一(にしはら かんいち、1899年8月2日 - 1976年2月29日)は、日本の法学者。専門は商法。関西学院大学教授。 日本を代表する商法学者。第六高等学校時代の恩師であり法哲学者であった三谷隆正の紹介で、田中耕太郎に師事する。その最大の功績は「商法企業法論」の確立である。また大阪市立大学法文学部(現在は法学部と文学部に分離)や神戸学院大学法学部の創設にも関与している。妻はアララギ派の歌人である西原須磨。親族に法学者が多く、民法学者の西原道雄は息子、刑法学者の西原春夫は親戚である。 商法企業法論とは、実質的意義の商法を、企業に特有の生活関係を対象とする私法と考え、体系化する立場である。 京城帝国大学赴任当時、実質的意義の商法をどう定義するかに関しては、師である田中耕太郎博士が提唱した商的色彩論が通説であった。
江崎 悌三(えさき ていぞう、1899年(明治32年)7月1… 江崎 悌三(えさき ていぞう、1899年(明治32年)7月15日 - 1957年(昭和32年)12月14日)は、日本の昆虫学者。杉田玄白の子孫。
木野崎 吉郎(きのさき よしお、1899年6月2日 - 19… 木野崎 吉郎(きのさき よしお、1899年6月2日 - 1981年10月1日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。東京府東京市本郷区(現在の東京都文京区)生まれ。 東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)、第八高等学校(現・名古屋大学)を経て、東京帝国大学理学部地質学科に入学。加藤武夫教授の指導を受け、朝鮮安岳鉄山で卒業研究を行う。1924年卒業し、理学部助手に就任。1925~26年陸軍の軍務につく。 1926年から朝鮮総督府地質調査所勤務となり、1944年京城帝国大学(現在のソウル大学)理工学部教授となるも終戦を迎える。1946~48年北海道帝国大学理学部講師嘱託。1948年朝鮮摩天嶺地方の鉱床の研究により理学博士(東京大学)(論文表題は「摩天嶺系中の主要鉱床における共生鉱物の研究」)。
中根 不覊雄(なかね ふきお、1899年6月 - 1983年… 中根 不覊雄(なかね ふきお、1899年6月 - 1983年9月)は、日本の法学者、教育者、翻訳家。立教大学経済学部教授、亜細亜大学初代法学部長、満州国司法部司法学校教授、英文法令社創業者。 1899年(明治32年)6月、中根斎と妻・武免の長男として生まれる。 1923年(大正12年)、東京帝国大学経済学部卒業、1925年(大正14年)、東京帝国大学法学部政治科卒業。 安田保善社(安田財閥本社)に入り、安田信託会社(後の安田信託銀行、現・みずほ信託銀行)の創立時より事務方を務め、1930年(昭和5年)まで同社に在職 1931年(昭和6年)、立教大学経済学部教授に就任し、信託法、手形法、破産法を講じた。
小保内 虎夫(おぼない とらお、1899年4月25日 - 1… 小保内 虎夫(おぼない とらお、1899年4月25日 - 1968年12月21日)は、日本の心理学者。 岩手県二戸郡福岡町(現在の二戸市)出身。旧制福島中学、旧制第七高等学校造士館を経て、1924年東京帝国大学文学部心理学科卒業。東京高等学校教授、日本大学教授、1945年東京文理科大学教授、1949年東京教育大学教授、1963年日本大学文理学部教授を歴任。 1952年「認識錯誤の法則に関する研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。視知覚の研究で小保内学説と呼ばれる感応理論を創設。
正宗 厳敬(まさむね げんけい、1899年(明治32年)4月… 正宗 厳敬(まさむね げんけい、1899年(明治32年)4月22日 - 1993年(平成5年)6月18日)は、日本の植物学者。理学博士。 岡山県和気郡伊里村穂浪(現在の備前市穂浪)に生まれる。旧制第七高等学校を経て、1929年(昭和4年)、東京帝国大学理学部植物学科を卒業後、台北帝国大学理農学部助手となり、1934年(昭和9年)には同大助教授兼農林専門部教授となった。太平洋戦争後は、一時、横浜国立大学で勤務した後、1950年(昭和25年)金沢大学に赴任。金沢大学理学部(現・金沢大学理工学域)植物分類・地理学講座の初代教授を務めた。 ボルネオと台湾の植物誌の編纂、ラン科植物の分類などを行うと同時に、植物地理学的な研究も行った。
黒川 真武(くろかわ またけ、明治32年(1899年)3月2… 黒川 真武(くろかわ またけ、明治32年(1899年)3月23日 - 昭和57年(1982年)2月5日)は、日本の化学者、工業技術院長。化学、特に燃料工学に関する本邦屈指の権威として知られ、試験研究に関する技術行政の分野でも大きな足跡を残した。学位は工学博士(東京帝国大学)。 大正12年(1923年)東京帝国大学工学部応用化学科卒業後、農商務省燃料研究所へ入所する。昭和9年(1934年)燃料研究のため欧米を視察、帰国後『燃料協会誌』に「獨逸に於ける代用燃料の現況及将来」を寄稿する。昭和12年(1937年)に竹内寛との共同論文で『水性ガス反応における触媒の研究』を発表、昭和21年(1946年)に『石炭の水素添加に関する研究』で東京帝国大学より工学博士の学位を授与される。
水島 三一郎(みずしま さんいちろう、1899年3月21日 … 水島 三一郎(みずしま さんいちろう、1899年3月21日 - 1983年8月3日)は、日本の化学者。東京大学名誉教授。専門は構造化学・分子構造・分子科学。分子構造論の世界的先駆者。日本学士院会員。
川田 熊太郎(かわだ くまたろう、1899年3月15日 - … 川田 熊太郎(かわだ くまたろう、1899年3月15日 - 1981年3月31日)は、日本の仏教学・比較思想学者。 1899年、香川県(旧:大川郡長尾村前山来栖。現:さぬき市前山)生まれ。1922年に東京帝国大学法学部を卒業したが、同じ頃に哲学を研究したいとの希求が高まり、同年、東京帝国大学文学部に入学し、1925年同文学部哲学科を卒業し、直ちに同大学大学院に入る。1927年日本女子大学教授に就任し、西洋哲学、特にプラトンの研究に傾注した。 1941年、『プラトン弁証法の研究』(河出書房、1940年刊)によって東京帝国大学から文学博士の学位が授与された。同年、東京文理科大学助教授に、1943年には同大学教授に任ぜられて、戦後にも及び、1950年には東京大学教養学部教授に就任して、比較哲学の講義や東西思想の比較研究を行った。
宮澤 俊義(みやざわ としよし、1899年〈明治32年〉3月… 宮澤 俊義(みやざわ としよし、1899年〈明治32年〉3月6日 - 1976年〈昭和51年〉9月4日)は、日本の法学者。専攻は憲法。東京大学名誉教授。立教大学法学部元教授。貴族院議員。日本野球機構(プロ野球)コミッショナー。位階は従二位。日本国憲法の制定に寄与し、憲法学の権威と謳われた。美濃部達吉門下。弟子に佐藤功、高柳信一、小嶋和司、芦部信喜、深瀬忠一など。 1899年(明治32年)3月6日、長野県長野市に生まれる。旧制長野中学、東京府立四中、第一高等学校を卒業。 1923年、東京帝国大学法学部卒業後、美濃部達吉の助手(弟子)となり、1925年、同大学法学部助教授となる。1930年から1932年にかけて、フランス、ドイツ、アメリカへ留学。
菊井 維大(きくい つなひろ、旧姓田中、1899年(明治32… 菊井 維大(きくい つなひろ、旧姓田中、1899年(明治32年)2月19日 - 1991年(平成3年)11月15日)は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。東京大学名誉教授。日本学士院会員。長崎県長崎市出身。学習院大学教授の水野謙は長女の子(外孫)。加藤正治門下。弟子に三ケ月章、斎藤秀夫、大須賀虔、木澤克之など。 1923年(大正12年)東京帝国大学法学部卒業。 その後、東京帝国大学法学部助教授を経て、1932年(昭和7年)東京帝国大学法学部教授。1947年(昭和22年)東京大学法学部教授。 1959年(昭和34年)4月、立教大学法学部法学科教授に就任。1967年(昭和42年)立教大学総長事務取扱。
栗原 嘉名芽(くりはら かなめ、1899年2月16日 - 1… 栗原 嘉名芽(くりはら かなめ、1899年2月16日 - 1990年5月1日)は、日本の音響学者。 東京出身。東京帝国大学理学部物理学科卒業。東京高等商船学校教授。日本大学教授。東京学芸大学教授。日本女子大学文学部国文科教授。聖徳学園短期大学教授、同名誉教授。歌人として『青影』同人。日本科学協会顧問。
小山 栄三(こやま えいぞう、1899年2月12日 - 19… 小山 栄三(こやま えいぞう、1899年2月12日 - 1983年8月16日)は、日本の社会学者、新聞学者。立教大学名誉教授、立教大学社会学部長、国立世論調査所初代所長、日本世論調査協会会長、日本広報協会理事長。世論調査を日本で初めて行った第一人者として知られるとともに、日本の新聞学の基礎も築いた。 1899年2月12日、北海道小樽市に生まれる。 1924年、東京帝国大学文学部社会学科卒業。翌1925年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。東京帝国大学新聞研究室の第1回生であり、研究室の助手などを務めた。1935年には、三省堂から「新聞学」を出版。 1938年、立教大学教授に就任する。翌1939年、厚生省人口問題研究所研究官、1943年には、文部省民族研究所員兼企画院調査官を歴任する。
佐藤 得二 (さとう とくじ、1899年1月30日 - 19… 佐藤 得二 (さとう とくじ、1899年1月30日 - 1970年2月5日)は、日本の仏教学者、作家。哲学研究者として朝鮮の水原高等農林学校(現・ソウル大学校農業生命科学大学)、京城帝国大学予科教授、第一高等学校教授を歴任。『仏教の日本的展開』は名著として知られる。その後、文部省督学官、社会教育局長、国際文化会館参与などを務めた。 岩手県胆沢郡金ケ崎村(現金ケ崎町)出身。盛岡中学校、第一高等学校を経て東京帝国大学文学部哲学科卒。 戦後は結核に罹患し、貧困にも苦しむが再起し、1963年には親戚の女性の話をもとにした初の小説『女のいくさ』を刊行、直木賞を受賞。当時64歳という最高齢での受賞であり、「老人の新人」出現として話題をよんだ(のち、記録は古川薫の65歳での受賞に破られる)。