マッド・アマノ(1939年7月28日 - )は、東京都出身の… マッド・アマノ(1939年7月28日 - )は、東京都出身のグラフィックデザイナー、パロディスト。有限会社ビッグバン代表取締役。本名は天野 正之()。東京都立竹早高等学校を経て東京藝術大学美術学部卒。フォトモンタージュによるパロディ作品で知られる。現在は月刊誌『創』誌上において狂告の時代の後継ともいえる、風刺パロディ作品を連載している。自身は風刺やパロディ作品にについて「風刺は権力者との闘争の手段である。」と述べている。 『狂告の時代』(きょうこくのじだい)とは、写真週刊誌「FOCUS」(新潮社)に1981年10月の創刊から2001年10月の休刊まで、最終ページに掲載されていたマッド・アマノによるオマージュ写真の連載企画。
中田 直宏(なかた なおひろ、1939年6月2日 - )は、… 中田 直宏(なかた なおひろ、1939年6月2日 - )は、日本の作曲家。愛知県出身。 名古屋市に生まれる。小学校から中野二郎に音楽を学ぶ。名古屋市立菊里高等学校卒業。東京芸術大学で作曲を長谷川良夫に師事した。 東京芸大卒業後は福岡教育大学、愛知県立芸術大学、愛知教育大学で教育に携わりながら作曲活動、指揮活動を続けた。 著名な教え子には帰山栄治、中村滋延、藤掛廣幸、等がいる。 1994年ロシア・クラスノダール市芸術賞、2006年佐川吉男音楽奨励賞受賞。 福岡県公立古賀竟成館高等学校・校歌 豊田市立竜神中学校・校歌
西巻 茅子(にしまき かやこ、1939年〈昭和14年〉4月2… 西巻 茅子(にしまき かやこ、1939年〈昭和14年〉4月27日 - )は、日本の絵本作家・画家・イラストレーター。代表作は『わたしのワンピース』『ちいさなきいろいかさ』など。 1939年、東京都に生まれる。洋画家の山口猛彦を父とし、母フミとの間に次女として生まれた。 1945年9月、千葉県山武郡に転居、1946年4月に千葉で小学校に入学したが、6月には東京に戻った。1955年、東京都立駒場高等学校に入学した。 1964年、東京芸術大学美術学部工芸科を卒業し、世田谷区に子どもに絵を教える『子どものアトリエ』を開いた。大学卒業後、銀座の版画工房でリトグラフを学び、アルバイトをしながらリトグラフの作品を作っていた。
いわむら かずお(本名:岩村 和朗〈読み同じ〉、1939年4… いわむら かずお(本名:岩村 和朗〈読み同じ〉、1939年4月3日 - 2024年12月19日)は、日本の絵本作家。代表作に『14ひきのひっこし』などの「14ひきのシリーズ」。 東京都足立区に生まれる。6人兄弟で育ち、5歳の時に兄と2人で秋田県の祖父母の家に疎開。戦後東京に戻り、杉並区の8畳一間の借家で8人暮らしをした。 1958年(昭和33年)に東京都立西高等学校、1964年(昭和39年)に東京芸術大学美術学部工芸科を卒業。サラリーマン生活を経て1970年(昭和45年)『ぷくぷくの絵本』で絵本作家デビュー。1975年(昭和50年)、36歳のときに栃木県芳賀郡益子町に移住、畑を耕しながら創作活動を続ける。
前澤 義雄(まえざわ よしお、1939年3月18日[要出典]… 前澤 義雄(まえざわ よしお、1939年3月18日[要出典] - 2014年11月17日)は、カーデザイナーであり、日本の自動車評論家である。元・日産自動車チーフデザイナーとして、おもに自動車のデザインについての評論を行っていた。 東京都青梅市出身。1965年3月東京藝術大学美術学部を卒業後、同年4月プリンス自動車工業(現・日産自動車)に入社。1980年10月から1984年3月までの日産ディーゼル工業(当時)への出向期間を含め、1992年12月に日産自動車を退社するまでの長期間にわたって数々の日産車のデザインに携わった。 1993年1月、フリーランスの自動車評論家、デザインコンサルタントとして独立し、自動車関連メディア等において活動していた。
相笠 昌義(あいがさ まさよし、1939年2月18日 - )… 相笠 昌義(あいがさ まさよし、1939年2月18日 - )は、日本の画家。洋画家であり版画家である。 1972年作品の「見る人」から派生した「~をみる人」シリーズや、駅のホームを題材にした作品、日常風景を描いた作品などが主な代表作品である。 相笠 昌義は1939年、東京・日本橋で生まれた。1962年に東京芸術大学を卒業後、1960年代は版画やコラージュを中心に制作。1968年「文明嫌悪症連作」はカメラ雑誌から切り取った形体によるコラージュと、そこから展開する版画のシリーズで、人間が生み出す文明や人間の存在そのものへの嫌悪を諷刺的に表現した。 1970年、油彩による制作を再開。作風は一転して具象となり、個々の人間が時間に翻弄されながら存在するさまを描いた《時間差計画》のシリーズは、1970年代中頃から、駅や公園、動物園など、都会の中の群衆をテーマにした《日常生活》 へと移行。
荒 憲一(あら けんいち、1939年1月3日 - 2020年… 荒 憲一(あら けんいち、1939年1月3日 - 2020年6月6日)は、日本出身のピアノ奏者。 福島県相馬市出身。東京芸術大学付属高校を経て東京芸術大学に進学し、田村宏と永井進にピアノを師事。1954年に全日本学生音楽コンクールの高校の部で第1位を獲得。 1963年、東京交響楽団との協演でデビュー。また、東京でデビューリサイタルの後に渡独し、国立ベルリン芸術大学に学びヘルムート・ロロフに師事。1966年にベルリン放送交響楽団と協演しドイツデビューを行ない、その成功によりベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との協演、ベルリン・フィルハーモニーホールにおけるリサイタルが続き、これらの演奏会はドイツの高名な批評家ハンス・ハインツ・シュトゥッケンシュミットに認められ、高い評価を得て国際ピアニストとしての地位を確立した。
伊藤 隆道(いとう たかみち、1939年1月2日 - )は日… 伊藤 隆道(いとう たかみち、1939年1月2日 - )は日本の造形家。「動く彫刻」の第一人者。東京芸術大学名誉教授。環境芸術学会会長、道都大学客員教授等も歴任。 北海道札幌市に生まれる。北海道札幌南高等学校を経て、東京芸術大学美術学部工芸科で金属工芸を専攻。ショーウィンドウディスプレイのデザインを皮切りに、彫刻、照明など幅広く立体造形の作品を手がける。鏡面のステンレスパイプを曲げ、モーター駆動により優美な造形を動かす作品を制作する。
藤原 義久(ふじはら よしひさ、1939年〈昭和14年〉1月… 藤原 義久(ふじはら よしひさ、1939年〈昭和14年〉1月 - 2025年〈令和7年〉6月3日)は、日本の作曲家。山形大学名誉教授。 東京都出身。学習院初等科、学習院中・高等科を経て、1962年(昭和37年)に東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業後、パリ国立高等音楽院で作曲を学ぶ。 学習院中・高等科教諭、山形大学教育学部教授、学習院大学文学部哲学科非常勤講師、聖霊女子短期大学非常勤講師、東北芸術工科大学非常勤講師、東京音楽大学非常勤講師を経て、山形大学名誉教授。 2025年(令和7年)6月3日18時45分、東京都内の自宅で死去。86歳没。死没日付で従四位に叙され、瑞宝中綬章を受章した。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
荘司 貴和子(しょうじ きわこ、1939年 - 1979年6… 荘司 貴和子(しょうじ きわこ、1939年 - 1979年6月5日)は日本画家、抽象画家。 兵庫県神戸市生まれ。東京都立駒場高等学校芸術科を経て、1963年に東京芸術大学日本画科を卒業。高校の非常勤講師として絵画を教える傍ら制作活動に取り組み、新制作協会日本画部に出品、1973年と1974年には春季展賞を受賞した。1971年に結婚、夫の母である日本画家の荘司福とは共に取材旅行を行い制作に励む。1974年に結成された創画会にも出品を重ね、4年連続で春季展賞を受賞するなどしたが、1979年に腸癌で死去。享年39歳。 その作品は、加山又造により「稀有の才能に満ち」「日本画という制約の多いとも思える素材、技法で、日本画のみが可能と思える抽象作品を、地道に、しかも才能豊かに、一貫して発表しぬいて居られ」「胸をときめかして見たのである」と評された。
塩見 允枝子(しおみ みえこ、1938年12月13日 - )… 塩見 允枝子(しおみ みえこ、1938年12月13日 - )は、作曲家、造形作家、詩人。 1938年に岡山県岡山市で生まれる。1961年に東京藝術大学楽理科を卒業。作曲を長谷川良夫、音楽理論を柴田南雄に師事。在学中より「グループ音楽(英語版)」の一員として小杉武久、水野修孝、刀根康尚等と作曲・演奏活動を開始している。ナム・ジュン・パイクにフルクサスを紹介され、1964年に渡米しフルクサスに参加した。翌年帰国、1970年の結婚後は大阪を拠点にした。1990年代以降は電子テクノロジー音楽に傾倒。音楽と視覚、言語表現を融合させた藝術を追求し続けている。2014年(平成24年)4月京都市立芸術大学芸術資源研究センター特別招聘研究員。
眞理 ヨシコ(まり ヨシコ、1938年〈昭和13年〉12月4… 眞理 ヨシコ(まり ヨシコ、1938年〈昭和13年〉12月4日 - )は、日本の童謡歌手、声優、女優、東洋英和女学院大学名誉教授。本名、佐藤 美子(さとう よしこ)。旧芸名は真理ヨシコ。東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。 岐阜県で生まれ、間もなく親の転勤で東京都へ転居。東京都立駒場高等学校芸術科(後に東京都立芸術高等学校として分離独立するも閉校)在学中より、東京芸術大学の講師だった酒井弘に師事。その後、深緑夏代にシャンソンの指導を受ける。東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業。1961年、東京芸大2年の時NHKのオーディションに合格し、NHK『歌の広場』のニュー・ボイスとなる。 その後、『おかあさんといっしょ』(当時はうたのえほん)の初代うたのおねえさんに就任。
甲斐 説宗(かい せっしゅう、1938年11月15日 - 1… 甲斐 説宗(かい せっしゅう、1938年11月15日 - 1978年10月31日)は、日本の現代音楽の作曲家。兵庫県三田町(現在の三田市)出身。 東京藝術大学作曲科で長谷川良夫に師事。卒業後、当時の西ドイツのベルリン音楽大学で主にボリス・ブラッハー、ヨーゼフ・ルーファーに師事。ブラッハーと合作をするほどの仲のよさであった。ジェルジ・リゲティのレッスンも受けた。後に東京学芸大学で教え、嶋津武仁や井上郷子などの優れた後進を指導した。1969年、ヴィオッティ国際音楽コンクール入賞。1970年、ベルリン国際作曲コンクール入賞。 寡作ながらも評価の高い作品を作り続けたが、1978年に心不全及び甲状腺癌の肺転移により39歳で世を去る。
石井 幹子(いしい もとこ、1938年10月15日 - )は… 石井 幹子(いしい もとこ、1938年10月15日 - )は、日本の照明デザイナー。石井幹子デザイン事務所主宰。 日本に「ライトアップ」という文化を根付かせたパイオニア的存在であり、東京タワーやレインボーブリッジの照明を手がけるなど、日本の都市夜景に変革をもたらした人物として知られる。 東京都出身。幼稚園から高校までお茶の水女子大学附属に通い、1962年に東京芸術大学美術学部図案計画科を卒業。デザイン会社で照明器具のデザインに携わり、1965年から1967年にかけてフィンランドとドイツの照明設計事務所に助手として勤務する。 帰国後の1968年に石井幹子デザイン事務所を設立し、1970年に開催された大阪万博、1975年に開催された沖縄国際海洋博覧会の照明デザインを手がけるが、オイルショックの影響で照明デザインは電力の浪費と受け取られ日本国内では不遇の時期を過ごす一方、日本の建築雑誌で作品を見たミノル・ヤマサキの目に留まったことをきっかけに「日本に仕事がなくても、地球上のどこかにはあるはず」とオイルマネーで建設ラッシュに沸く中東をはじめ海外での仕事をこなし実績を作っていった。
八村義夫(はちむら よしお、1938年10月10日 - 19… 八村義夫(はちむら よしお、1938年10月10日 - 1985年6月15日)は、日本の現代音楽の作曲家。東京都出身。 9歳よりヴァイオリンを習い始め、「桐朋学園子供のための音楽教室」に入室。柴田南雄、入野義朗らに聴音、音楽理論、ソルフェージュ等の指導を受ける。中学より作曲とピアノを松本民之助に師事。1954年に東京都立駒場高等学校芸術科にヴァイオリン専攻として入学。 1957年に東京芸術大学作曲科に入学。在学中に、「オーケストラのためのレントとアレグロ」が第29回音楽コンクールにて第3位を受賞。島岡譲に師事し、1961年に東京藝術大学を卒業。芸大卒業後は都立高校の非常勤講師、東京理科大学のオーケストラ部の指導などで生計を立てていたが、和声への研鑽を深めるべく、東京芸大大学院に入学。
飯沼 信義(いいぬま のぶよし、1938年9月20日 - )… 飯沼 信義(いいぬま のぶよし、1938年9月20日 - )は、日本の作曲家。 長野県南安曇郡豊科町(現在の安曇野市)出身。長野県松本深志高等学校を卒業後、東京芸術大学音楽学部作曲科に進学、同専攻科修了。作曲を石桁眞禮生、ピアノを安藤仁一郎、小田雪江、遠山ゆや、指揮法を山田一雄にそれぞれ師事。 第32回日本音楽コンクール入賞。1964年より桐朋学園大学にて教鞭をとる。現在、桐朋学園大学名誉教授。日本現代音楽協会、日本作曲家協議会、作曲家の会《環》各会員。 学校向けの合唱作品が多い。
汐澤 安彦(しおざわ やすひこ、1938年9月3日 - 20… 汐澤 安彦(しおざわ やすひこ、1938年9月3日 - 2025年1月7日)は、日本の指揮者。新潟県上越市出身、東京吹奏楽団名誉指揮者、東京音楽大学名誉教授。本名、飯吉靖彦。 これまで、新星日本交響楽団など全国各主要オーケストラを指揮しているが、特に吹奏楽での活動が顕著であり、東京吹奏楽団、シエナ・ウインド・オーケストラ、東京佼成ウインドオーケストラ、東京アカデミック・ウインドオーケストラ(現:ジャパンスーパーバンド)、フィルハーモニア・ウィンド・アンサンブル(現:ニューフィルハーモニア・ウィンド・オーケストラ)、東京音楽大学シンフォニックウインドアンサンブル、その他多くのアマチュア吹奏楽団を指揮し、演奏会、録音など幅広く演奏活動を行った。
丹羽 勝海(にわ かつうみ、1938年(昭和13年)8月2日… 丹羽 勝海(にわ かつうみ、1938年(昭和13年)8月2日 - 2019年(平成31年)1月29日)は、日本のテノール歌手。レオ・やまもとの名義でカウンターテナーとしても活動していた。 日本大学芸術学部音楽学科元主任教授。日本声楽発声学会元理事長(1989年から2000年まで)。優秀外国映画輸入配給賞審査員、アメリカ歌曲研究会名誉会員、芸研連オブザーバー、COMET会員、二期会会員、NATS会員。 1938年、神奈川県横浜市に生まれる。芝高等学校を卒業後、東京芸術大学に入学する。東京芸術大学では、磯谷威、古沢淑子、中山悌一、ロドルフォ・リッチに師事。1961年、東京芸術大学音楽学部を卒業。1961年から1966年にかけてアメリカに留学し、UCLA大学院、ジュリアード音楽院でヤン・ポッパー、ロッテ・レーマン、ジェニー・トゥーレルに師事する。
石岡 瑛子(いしおか えいこ、1938年7月12日 - 20… 石岡 瑛子(いしおか えいこ、1938年7月12日 - 2012年1月21日)は、東京府出身のアートディレクター、テキスタイルデザイナー。 妹は同じくアートディレクター、イラストレーターの石岡怜子。米国映画芸術科学アカデミー協会 (Academy of Motion Picture Arts and Sciences) 会員。 お茶の水女子大学附属中学校・ お茶の水女子大学附属高等学校を経て、東京藝術大学美術学部図案計画科を卒業後、資生堂宣伝部に入社。村瀬秀明、中村誠らとともにグラフィックデザイナー、アートディレクターとして活動した。 1970年、石岡瑛子デザイン室として独立し、パルコや角川書店などの広告で1970年代の日本で活躍。
三林 輝夫(さんばやし てるお、1938年〈昭和13年〉7月… 三林 輝夫(さんばやし てるお、1938年〈昭和13年〉7月2日 - 2025年〈令和7年〉11月14日)は、日本の声楽家(テノール)、音楽教育者、合唱指揮者、公演監督。 新潟県出身。1961年(昭和36年)東京芸術大学音楽学部声楽科卒業、1963年(昭和38年)同校声楽専攻科修了。木下保、渡邊高之助、古沢淑子に師事。デビューは1963年の東京労音のオペラ『フィガロの結婚』でのバジリオ役で、これ以降二期会や東京室内歌劇場他で数多くのオペラ、オペレッタ、創作歌劇に活躍している。 また、日本におけるフランス歌曲の第一人者として十数回にわたるリサイタルで高い評価を得ている。日本歌曲の演奏でも、その明瞭なディクションと深い表現には定評があり「ビロードのような」と定評のある美しい声を披露してきた。
宮澤 利昭 (みやざわ りしょう、1938年5月28日 - … 宮澤 利昭 (みやざわ りしょう、1938年5月28日 - )は、日本の画家、イラストレーター、テレビ美術家。長野県安曇野市出身。 長野県松本県ヶ丘高等学校を経て東京芸術大学美術学部図案計画科卒業後、TBSに入社し、昭和を時代背景にした名作を数多く残した作家で脚本家の向田邦子、作家で演出家の久世光彦のテレビドラマの美術を担当する。 サロン・ド・プランタン賞受賞。パリ国際青年ビエンナーレ展出品ほか、個展9回、グループ展に多数出品。 サンケイ新聞婦人欄にイラストを連載したほか、池田弥三郎著『わが街銀座』等の挿絵、TV番組「日本レコード大賞」、水曜劇場「ムー一族」、「世界・ふしぎ発見!」等の美術を担当する。
二代目 野坂 操壽(にだいめ のさか そうじゅ、1938年4… 二代目 野坂 操壽(にだいめ のさか そうじゅ、1938年4月18日 - 2019年8月27日)は、日本の箏曲家、作曲家。位階は従四位。勲等は旭日中綬章。学位は音楽修士(東京芸術大学)。文化功労者。本名、および、旧芸名は野坂 惠子(のさか けいこ)。名の「壽」「惠」は旧字体のため、二代目 野坂 操寿(にだいめ のさか そうじゅ)、野坂 恵子(のさか けいこ)と表記されることもある。 日本音楽集団団員、東京芸術大学音楽学部講師、桐朋学園芸術短期大学芸術科教授、生田流箏曲松の実會主宰、生田流協会理事、公益社団法人日本三曲協会常任理事などを歴任した。 1938年4月生まれ、東京府出身。母である箏曲家の初代野坂操壽から指導を受けた。
森田 恒之(もりた つねゆき、1938年4月18日 - )は… 森田 恒之(もりた つねゆき、1938年4月18日 - )は、日本の博物学者。専攻は博物館学・保存科学・色彩材料学。国立民族学博物館名誉教授。愛知県立芸術大学客員教授。祖父は洋画家の森田恒友。 東京都出身。東京芸術大学美術学部芸術学科卒業後、同美術専攻絵画修士課程修了。ベルギー国王立文化財研究所研究生、埼玉県立博物館学芸員、東京都美術館学芸員を経て、1979年より国立民族学博物館に勤務。同第5研究部助教授を経て、1993年に教授。1998年に同博物館民族学研究部教授、2000年に同民族学研究開発センター教授を経て、2002年3月末をもって国立民族学博物館を定年退職、同名誉教授。
山田 真巳(やまだ まさみ、1938年2月22日 - )は、… 山田 真巳(やまだ まさみ、1938年2月22日 - )は、日本の日本画家。東京都出身。本名同じ。
鳥居 清光(とりい きよみつ、1938年1月27日 -202… 鳥居 清光(とりい きよみつ、1938年1月27日 -2021年5月24日)は、日本の女性画家、浮世絵師、舞台美術家。鳥居派9代目当主。本名は、鳥居せつ子。鳥居派8代目・5代清忠の娘で、鳥居派で初の女性浮世絵師である。東京都町田市在住。日本舞台美術家協会会員、国際浮世絵学会会員、日本演劇協会会員木版画や鳥居派伝統の歌舞伎絵看板だけでなく、歌舞伎の衣裳や舞台美術も手がけ、舞台装置図のような立体図も制作。鈴本演芸場番組表の表紙絵も描いていた。 東京都出身。鳥居派8代目・5代清忠(言人)の娘として生まれる。幼少より家業の手伝いをしていたが、兄・元宏が映画監督の道に進んだため、鳥居派を滅ぼすまいとした父から画法を伝授された。
北村 昭斎(きたむら しょうさい、1938年1月19日 - … 北村 昭斎(きたむら しょうさい、1938年1月19日 - 2023年7月7日)は、漆芸家。元奈良文化女子短期大学客員教授。螺鈿の重要無形文化財保持者(人間国宝)。本名、北村謙一。 1938年、漆芸家の北村大通の長男として奈良県に生まれる。東京藝術大学美術学部工芸科卒業後、早川電機工業(現在のシャープ)工業デザイン部門を経て、父のもとで漆芸の制作と文化財修理を行う。1998年、紫綬褒章受章。1999年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。2008年、旭日小綬章受章。 2023年7月7日、クモ膜下出血のため、奈良市の自宅で死去した。85歳没。 紫綬褒章、文部大臣賞、日本工芸会賞、朝日新聞社賞他。
細谷 泰茲(ほそや やすじ、1938年 - )は、日本の彫刻… 細谷 泰茲(ほそや やすじ、1938年 - )は、日本の彫刻家。子供や母子をモチーフにしたモニュメントを中心に屋内外展示作品を多数発表している。 1938年、静岡市に生まれる。1957年、静岡県立静岡高等学校卒業。1963年、東京芸術大学美術学部専攻科彫刻修了。1967年、静岡大学教育学部助手。1968年、新制作協会会員。1972年、イタリア政府給費留学生 ローマ美術学校 ペリクレ・ファッツィーニ教室に学ぶ(〜1973年)。1984年、静岡大学教育学部教授。1991年、静岡大学教育学部附属浜松小学校校長(〜1994年)。2004年、静岡大学名誉教授。2018年、瑞宝中綬章受章。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
渡部 一二(わたべ かずじ、1938年 - )は、日本の水辺… 渡部 一二(わたべ かずじ、1938年 - )は、日本の水辺研究家、建築家。多摩美術大学名誉教授。農学博士。全国各地の水辺、運河、用水路の研究と水空間の計画・デザインに多く携わる。世田谷区在住。 1938年、北海道小樽市生まれ。その後愛媛県で育つ。 1965年に前橋工業短期大学(現前橋工科大学)を卒業後、日本大学理工学部に進学。1967年に同校建築学科を卒業し、内井昭蔵建築設計事務所に入所。 その後東京藝術大学大学院に進学し、1972年同大学院修士課程修了後、都市計画コンサルタント創造社に勤務及多摩美術大学専任講師。1992年、同大学教授。東京農工大学より農学博士授与。論文の題は「農業用水路の再生に関する多面利用形態と空間構造の研究」。
沢井 忠夫(さわい ただお、1937年12月16日 - 19… 沢井 忠夫(さわい ただお、1937年12月16日 - 1997年4月1日)は、日本の箏曲家、作曲家。沢井箏曲院の創始者。妻は沢井一恵で、息子は沢井比河流。 愛知県中島郡(現在の一宮市)で尺八家の名家に生まれ、箏を始めたのは小学5年生だった(一度、宮城道雄に師事するが、その後すぐに宮城が亡くなる)。1960年に東京芸術大学邦楽科を、1962年に専攻科を卒業。大学在学中にNHK「全国今年のホープ」に選ばれた。 高校時に作曲を始め(最初に形がなった曲が"雪ものがたり"であった)その後、清水脩の元で作曲を師事した。 1964年に青木鈴慕・伊藤松博・高野和之・杵屋栄三郎・山本邦山と「民族音楽の会」を結成。
佐々木 襄(ささき じょう、1937年11月16日 - 20… 佐々木 襄(ささき じょう、1937年11月16日 - 2015年7月22日)は、日本の声楽家、歌手、ミュージカル俳優。本名は常田哲司(つねだ・てつじ)。 1937年11月16日、東京都大島町波浮出身。 1959年、東京芸術大学声楽科在学中にくすのせ堅志、舟田均、舟田勝とともにロイヤルナイツを結成。 のちに、ソロの声楽家、ミュージカル俳優として活動。東芝EMIよりレコードを発表している。 2015年7月22日、誤嚥性肺炎により死去。77歳没。
川口 真(かわぐち まこと、1937年11月5日 - 202… 川口 真(かわぐち まこと、1937年11月5日 - 2021年10月20日)は、日本の作曲家、編曲家。兵庫県神戸市出身。本名:川口 眞弘(かわぐち まさひろ)。 幼少期は岡山県倉敷市、岡山市育ち。岡山県立岡山操山高等学校を卒業後、東京芸術大学に進学した。 東京芸術大学音楽学部楽理科に2年在籍したのち、作曲科へ転科。在学中から越路吹雪のバックバンド「クレール・ド・シャルム」のピアニストとして活動。その傍らでいずみたくの事務所で編曲のアルバイトも行っており、ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』で編曲家としてデビュー。そのまま本業となったため、大学は4年で中退。 1966年、ザ・ベンチャーズが作曲した「二人の銀座」(歌:和泉雅子・山内賢)の編曲を担当。
高内秀剛(たかうち しゅうごう、1937年(昭和12年)10… 高内秀剛(たかうち しゅうごう、1937年(昭和12年)10月17日 - )とは、栃木県芳賀郡益子町の陶芸家。 窯の名称は「百童窯」。 大胆かつ力強く豪快で荒っぽい作風を持ち、織部や志野を中心とした釉薬使いと、そして独特な造りの手桶と手付鉢で知られ、その独特な織部釉作品は「高内織部」と呼ばれている。 1937年(昭和12年)10月17日、東京都に生まれる。 東京都立文京高等学校時代には、3年間ずっと同じクラスの同級生であり、高内とは無二の親友となり長い付き合いとなる、後に版画家となり東京芸術大学名誉教授となる中林忠良と同じ美術部に入部し、代替わりを契機として2人で共に「活気溢れる新しい美術部」を作った。
柘植 元一(つげ げんいち、1937年9月23日 - )は、… 柘植 元一(つげ げんいち、1937年9月23日 - )は、日本の音楽学者、東京藝術大学名誉教授。東洋音楽学会会長、国際伝統音楽学会(ICTM)理事。 愛知県生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、1963年同専攻科修了、ウェズリアン大学大学院民族音楽学博士課程修了、音楽学博士。ウェズリアン大学助教授、国立音楽大学助教授、教授、東京藝術大学教授、2001年名誉教授。
福井 爽人 (ふくい さわと、1937年9月20日 - )は… 福井 爽人 (ふくい さわと、1937年9月20日 - )は、日本画家。平山郁夫門下。北海道旭川市生まれ、小樽市育ち。 旭川市新町で福井貞一・チエの長男として生まれる。1939年より小樽市潮見台、1954年より琴似町字東牧場に住む。 北海道小樽潮陵高等学校から北海道札幌北高等学校に転入して卒業後、日本大学芸術学部に進学するが、東京芸術大学助手だった平山郁夫との出会いから芸大進学を決意。1961年に東京芸術大学美術学部日本画専攻に進学。芸大時代はボクシング部に所属するなどスポーツマンだった。同大学院修士課程修了後、芸大助手となり法隆寺金堂壁画再現模写に参加。1973年、イタリア初期ルネサンス壁画調査団員として初渡欧。
中林 忠良(なかばやし ただよし、1937年(昭和12年)9… 中林 忠良(なかばやし ただよし、1937年(昭和12年)9月17日 - )は、日本版画界を代表する版画家の1人。東京芸術大学名誉教授、紫綬褒章・瑞宝中綬章受章。日本における銅版画の第一人者。 銅版の腐蝕と自分を含めた全てのものの腐蝕を重ね合わせ、「すべて腐ちないものはない」という思想のもとに、白と黒を基調とする銅版腐蝕版画(エッチング)による製作を続けている。 1937年 東京・品川区大井山中町に産まれる。1941年江東区に、1943年品川区に、1944年目黒区に転居。目黒区立中目黒小学校入学直後に、新潟県蒲原郡加茂町(現加茂市に戦時児童疎開。4年間を過ごす。この少年時代の疎開生活は、のちの作品に影響をあたえた。
森本 草介(もりもと そうすけ、1937年8月14日 - 2… 森本 草介(もりもと そうすけ、1937年8月14日 - 2015年10月1日)は、日本の洋画家である。 1937年(昭和12年)、画家・森本仁平の長男として朝鮮全羅北道に生まれる。アジア・太平洋戦争中の1943年(昭和18年)に内地へ帰ったものの再度朝鮮へ戻り、1945年(昭和20年)に日本が敗戦すると、一家での逃避行を強いられた。岩手・東京で育つ。子の森本純(1970- )も画家で美人画を描く。 1951年(昭和26年)墨田区立堅川中学校へ転入学。 1958年(昭和33年)、東京芸術大学絵画科油画専攻に入学し、在学中の1961年(昭和36年)に安宅賞を受賞した。 1962年(昭和37年)に大学を卒業すると専攻科に進んで翌年に修了、東京芸術大学の助手となった。
香西 隆男(こうざい たかお、1937年7月26日 - 2… 香西 隆男(こうざい たかお、1937年7月26日 - 2024年4月29日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。香川県出身。東京芸術大学卒。 漆職人を目指して、高松工芸高等学校へ。しかし漆にかぶれる体質から、東京芸術大学彫刻科へ進学する。卒業後は、東映動画(現:東映アニメーション)に入社。アニメのことを全く知らずに、東映で実写映画のスタッフになろうと入社試験を受けての入社だったという。アニメ映画『西遊記』を経て、アニメーターとなる。入社4年後の1964年に、永樹凡人、我妻宏、小泉謙三らと共に退社し、ハテナプロの設立に参加。同プロでは東映動画作品の『魔法使いサリー』などの作画を担当した。
水野 信男(みずの のぶお、1937年(昭和12年)7月9日… 水野 信男(みずの のぶお、1937年(昭和12年)7月9日 - )は、日本の民族音楽研究者、兵庫教育大学名誉教授。 1937年、岐阜県生まれ。東京藝術大学大学院修士課程を修了。 島根大学教育学部助教授となり、兵庫教育大学教授に就いた。国立民族学博物館教授を併任。2001年に兵庫教育大学を定年退官し、名誉教授となった。2003年、学位論文『ウンム・クルスーム:ウンマのなかの音』を大阪大学に提出して文学博士号を取得。 2024年(令和6年)8月26日、正四位に叙された。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
平 義久(たいら よしひさ、1937年6月3日 - 2005… 平 義久(たいら よしひさ、1937年6月3日 - 2005年3月13日)は、日本の作曲家。生涯の大半をパリで過ごした。 1937年、東京都生まれ。東京藝術大学を経て、フランスのパリ音楽院でアンリ・デュティユー、アンドレ・ジョリヴェ、オリヴィエ・メシアンらに作曲を学ぶ。1971年に作曲クラス一等賞を得て同院を卒業し、同年リリー・ブーランジェ賞を受賞してパリの楽団にデビューする。その後そのままパリに居住し、作曲活動を続けた。またエコール・ノルマル音楽院の作曲科教授として多くの後進の指導に当たった。日本人生徒では山下恵、斉木由美、三浦則子、法倉雅紀、岸野末利加、岡谷かおりなどが挙げられる。台湾人生徒では連憲升、楊金峯、王思雅、陳兪州などが挙げられる。
杉山 卓(すぎやま たく、1937年5月8日 - )は、日本… 杉山 卓(すぎやま たく、1937年5月8日 - )は、日本の男性アニメーター、アニメ演出家、アニメ監督。造形表現研究所所長及びタクプロダクション代表(株式会社デック)。京都アニメーション共同創業者の八田陽子(旧姓: 杉山)は実妹。2019年現在は静岡県浜松市北区に在住。妻も東映動画の元アニメーター(入社は杉山より3年後)である。 東京府(後の東京都)出身。太平洋戦争末期は山形県に疎開していた。東京都立豊多摩高等学校卒業。高校時代は山岳部に所属していた。宮崎駿夫人となる大田朱美とは中学高校で同窓だったという。 1956年5月、浪人生として東京芸術大学油絵科を目指していた時に、新聞に載った東映動画の募集広告を見た姉の勧めで採用申込に応じ、東映動画(現・東映アニメーション)に1期生として入社する。
佐野 光司(さの こうじ、1937年4月1日 - )は、日本… 佐野 光司(さの こうじ、1937年4月1日 - )は、日本の音楽学者、現代音楽研究の第一人者。スクリャービン研究で名高い音楽学者。桐朋学園大学名誉教授。 東京藝術大学音楽学部楽理科卒業後、同大学大学院音楽研究科音楽学専攻修了、同大助手に就任。母校で講師を務めつつ、桐朋学園大学音楽学部教授を務める。 京都賞など数ある権威ある賞の選考委員を務めている。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
末吉 保雄(すえよし やすお、1937年3月6日 - 201… 末吉 保雄(すえよし やすお、1937年3月6日 - 2018年8月20日)は、日本の現代音楽の作曲家。 東京出身。東京芸術大学、パリ・エコールノルマル音楽院作曲科卒業。作曲を石桁真礼生、ピアノを豊増昇に師事。1965年フランス国立放送音楽研究所講習生。 作曲に加えて、東京芸術大学、桐朋学園大学などの教員として、またNHK音楽教育番組への出演、企画などによる教育活動に携わった。 日本現代音楽協会名誉会員、日本フォーレ協会会員、日本セヴラック協会会員、OTOの会顧問を務めた。 2018年8月20日、十二指腸がんのため死去。81歳没。
鈴木 八朗(すずき はちろう、1937年2月25日 - 20… 鈴木 八朗(すずき はちろう、1937年2月25日 - 2005年12月29日)は、日本のアートディレクター。 1937年香川県生まれ。 高松市立二番丁小学校、高松市立紫雲中学校、香川県立高松高等学校卒業。1961年マッキャンエリクソン博報堂入社。コカ・コーラの日本上陸キャンペーンに従事。1963年桑沢デザイン研究所卒業。1968年東京芸術大学美術学部インダストリアルデザイン科卒業。同年電通クリエイティブ局入社。電通のアートディレクターとして多数の作品を手がける。17年担当した日本国有鉄道(JNR)の各種キャンペーンでは「エキゾチックジャパン」や「フルムーン」などのキャッチコピーを生み出した。1997年電通退職、八朗ART&AD設立。
五月女 幸雄 Saotomé Yukio(さおとめ ゆきお、… 五月女 幸雄 Saotomé Yukio(さおとめ ゆきお、1937年2月18日 - )は、前衛美術出身、フランス在住の画家。 栃木県宇都宮市に生まれる。教師であった両親の下で、幼少時より絵を描き始める。栃木県立石橋高等学校に進み、社会科教諭・大島清次に出会う。後に栃木県立美術館および世田谷美術館の館長となる大島は、当時の社会状況や現代思想について、ことあるごとに生徒たちに語って聞かせていた。社会の実相を見つめる目、美術への志向がこうして養われていく。 蕨画塾(埼玉県蕨市)に入り、彫刻を長谷秀雄に、絵画を寺内萬次郎、金子徳衛に学ぶ。同じ頃彫刻家・石井鶴三に出会ってその芸術観に感動し、東京芸術大学彫刻科の石井教室を目指して数度の受験に臨むが入学は叶わず、最後に合格通知を受け取った埼玉大学教育学部の美術科に入学することとなった。
城間 繁(しろま しげる、1937年1月8日 - 2005年… 城間 繁(しろま しげる、1937年1月8日 - 2005年11月17日)は昭和時代の日本およびアメリカ合衆国(米国)施政権下の沖縄で活動した声楽家、作曲家。琉球大学教授。 1937年(昭和12年)、沖縄県首里市(現在の那覇市首里)に生まれる。1961年(昭和36年)に東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業の後、東京混声合唱団に所属した。 1966年(昭和41年)に東京混声合唱団を退団し米国施政権下の沖縄へ帰郷、琉球大学教育学部教授に着任する。1967年(昭和42年)、琉球放送の公開番組『オキコワンワンチャンネル』内のコーナー「みんなで歌おう」内の楽曲を監修。1972年(昭和47年)5月15日の沖縄返還(本土復帰)と同日に制定された「沖縄県民の歌」を始め、県内の市町村歌や校歌、イベントのテーマソングなどを精力的に作曲し、沖縄県内の音楽文化振興に務めた。
有賀 誠門(あるが まこと、1937年1月5日 - )は、日… 有賀 誠門(あるが まこと、1937年1月5日 - )は、日本の打楽器奏者。元NHK交響楽団首席奏者、東京藝術大学名誉教授。 長野県東筑摩郡塩尻町(現塩尻市)出身。長野県桔梗ヶ原高等学校を卒業後、東京藝術大学音楽学部に入学しティンパニーを専攻。1958年NHK交響楽団に入団しパーカッションを担当、1960年東京パーカッションアンサンブル設立。1963年から翌年までニューイングランド音楽院に留学。1976年退団後、母校助教授。1993年同教授に就任。アメリカ・スタイルの日本を代表するティンパニ奏者といわれる。
浜中 浩一(はまなか こういち、1937年1月2日 - 20… 浜中 浩一(はまなか こういち、1937年1月2日 - 2013年11月7日)は、日本のクラリネット奏者。兵庫県出身。妻はクラリネット奏者で桐朋学園大学講師の二宮和子。 六甲学院中学校・高等学校卒業。吹奏楽部に所属していた。東京芸術大学卒業。北爪利世、ジャック・ランスロに師事した。1959年第28回日本音楽コンクール管楽器部門1位。1960年にNHK交響楽団に入団。1962年にフランスに渡り、1964年に国立ルーアン音楽院を卒業し、ルーアン歌劇場管弦楽団に入団。1969年に帰国した後はNHK交響楽団で24年間首席奏者を務める。1989年第9回NHK交響楽団有馬賞を受賞。1993年NHK交響楽団を56歳で定年。
竹内 邦光(たけうち くにみつ、1937年 - )は、日本の… 竹内 邦光(たけうち くにみつ、1937年 - )は、日本の作曲家。 東京都出身。長野県諏訪郡豊平村(現・茅野市)育ち。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。同大学在学中にNHK洋楽オーディションに合格しピアニストとして活動を始める。NHK学校放送番組「ことばと文学 浄瑠璃寺の春」の附帯音楽の作曲を手がけ作曲活動を始める。1968年信州大学教育学部教授。その後、昭和音楽大学音楽学部作曲学科(現・音楽芸術表現学科作曲・音楽デザインコース)教授として長年、ピアノ、楽曲分析、楽式論、対位法、和声等の講義を担当。「音楽旬報」の評論スタッフとして多くの演奏家評論を著した。門下生に、岩下哲也、横島浩、若林千春がいる。
佐藤 允弥(さとう まさひろ、1937年 - 2015年2月… 佐藤 允弥(さとう まさひろ、1937年 - 2015年2月)は、日本のインダストリアルデザイナー。CB400FOUR(1974年)、CBX400F、タクト、フュージョンなどをデザインした。元本田技術研究所ECE(主席研究員)。 静岡市に生まれる。1956年、静岡県立静岡高等学校卒業。1962年、東京芸術大学卒業。同年、本田技術研究所造形室入社。シャリー、ハミング、タクト、フュージョンなどのファミリーバイク、スクーターから、SS50、CB50、CB90、CB125、CB400FOUR、CBX400Fなどホンダの主力となるCBシリーズまで広くデザインした。1992年よりミュージアム・プロジェクトのリーダーとして活躍。
山崎 孝(やまざき たかし、Takashi Yamazaki… 山崎 孝(やまざき たかし、Takashi Yamazaki、1937年 - )は大阪府出身の日本のクラシック音楽のピアニスト。 東京藝術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻卒業。東京藝術大学音楽学部専攻科修了。ハンガリー共和国文化勲章授与。 バルトーク《ミクロコスモス》全曲を録音している。業績としては、非常に早い段階でフレデリック・ショパンの練習曲op.10とop.25の原典版の出版に尽力した点が挙げられる。80歳を過ぎてもリサイタルをおこなう。くらしき作陽大学名誉教授。 かつては国際ピアノコンクール審査員の常連だった。