内藤 恒方(ないとう つねかた、1934年 8月17日ー20… 内藤 恒方(ないとう つねかた、1934年 8月17日ー2020年6月7日 )は、日本の建築家。ランドスケープアーキテクト。建築設計と造園設計をおこなう建築士事務所およびランドスケープコンサルタントのALP(アルプ)設計室を主宰。京都市生まれ。
東京芸術大学:1,956人
内藤 恒方(ないとう つねかた、1934年 8月17日ー20… 内藤 恒方(ないとう つねかた、1934年 8月17日ー2020年6月7日 )は、日本の建築家。ランドスケープアーキテクト。建築設計と造園設計をおこなう建築士事務所およびランドスケープコンサルタントのALP(アルプ)設計室を主宰。京都市生まれ。
奥谷 博(おくたに ひろし、1934年8月12日 - )は、… 奥谷 博(おくたに ひろし、1934年8月12日 - )は、日本の洋画家。勲等は文化勲章。日本芸術院会員、文化功労者。 愛知県立芸術大学美術学部講師、愛知県立芸術大学美術学部助教授、東京芸術大学美術学部客員教授などを歴任した。 高知県出身の洋画家である。独立美術協会に所属し、神奈川県三浦郡葉山町に居住している。愛知県立芸術大学では講師を経て助教授を務め、東京芸術大学では客員教授を務めるなど、後進の育成にも力を注いだ。1996年には日本芸術院の会員に選出されている。2007年には文化功労者として顕彰された。2017年には文化勲章を受章した。 1934年高知県幡多郡宿毛町(現在の宿毛市)に生まれる 。
小川 京子(おがわ きょうこ、1934年8月1日 - )は、… 小川 京子(おがわ きょうこ、1934年8月1日 - )は、日本のピアニスト。桐朋学園大学名誉教授。夫は音楽学者の海老沢敏。 北海道小樽市に生まれ、札幌市で育つ。東京藝術大学に進んで、井口秋子やハンス・カンの下で学び、1952年の第21回毎日音楽コンクール(後の日本音楽コンクール)のピアノ部門で入選し、以降、第25回、第26回にも入選した。東京藝術大学卒業後、ウィーン国立音楽アカデミー(後のウィーン国立音楽大学)へ留学し、ブルーノ・ザイドルホーファー (Bruno Seidlhofer) などに師事し、1960年に卒業した。 帰国後の演奏活動では、モーツァルトの演奏で知られるが、そのほかにもルートヴィヒ・シュッテのピアノ協奏曲の世界初録音、フランツ・クサーヴァー・モーツァルトのピアノ協奏曲の日本初演など、演奏機会の少ないピアノ曲に対する取り組みでも高く評価されている。
中井延也(なかい のぶや、1934年5月16日 - 1999… 中井延也(なかい のぶや、1934年5月16日 - 1999年5月6日)は、日本の彫刻家。 北海道上川郡愛別町出身。1958年東京藝術大学彫刻科卒業。多摩美術大学助教授、教授を歴任。1991年より彫刻科長。 1999年、肝臓癌のため死去。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
飯山 恵巳子(いいやま えみこ、1934年〈昭和9年〉4月1… 飯山 恵巳子(いいやま えみこ、1934年〈昭和9年〉4月16日 - )は日本の声楽家(ソプラノ)、音楽教育者。東京都港区[要出典]出身。 (ヤマハ新人演奏会) (神奈川県立音楽堂) ピアノ伴奏:小池ふさ (銀座ヤマハホール) ピアノ伴奏:小池ふさ “Ah,lo previdi” K272 ピアノ伴奏:小池ふさ (オーストリア放送局) ピアノ伴奏:Walter Moore (コンツエルトハウス定期演奏会) (Konzerthaus) オーケストラ:ウイーン室内管弦楽団合唱:ウイーン室内合唱団指揮:Hanns Gillesberger (コンツエルトハウス定期演奏会) (Konzerthaus) (ソプラノソロと室内楽) アンサンブル:die reihe 指揮:Friedrich Cerha (20世紀美術館ホール) アンサンブル:die reihe指揮:F.Cerha (オーストリア放送局) (クラーゲンフルト) Drei Lieder Op.23 Rudenaue: Lieder “Tanka” ピアノ伴奏:Walter Moore ↓ 29日 Russe(1/23)Stara Zagola(1/25,1/30,2/1)Bourgas(1/29) 蝶々夫人役で5回の客演 (Musikverein grober Saal) オーケストラと合唱:Wiener Kluturgesellschaft-Orchester u.Chor 指揮:Josef.M.Muller (20世紀美術館ホール) B.Dimov:“Incantaziones Ⅱ”M.Rudenauer:Lieder “Tanka”アンサンブル:die reiheピアノ:K.Wittlich指揮:F.Cerha アムステルダム(コンセルトヘボウ) ブリュッセル(フィルハーモニーホール) マインツアクイラ(テアトロ・オリンピコ)
三代目 貴音 三郎助(さんだいめ きおん さぶろうすけ、19… 三代目 貴音 三郎助(さんだいめ きおん さぶろうすけ、1934年(昭和9年)3月25日 - 2025年(令和7年)11月30日)は、長唄唄方、人間国宝。本名は宮田 哲男(みやた てつお)。長らく東音宮田哲男(とうおん みやた てつお)を名乗っていたが、2009年に「貴音三郎助」の名跡を三代目として襲名した。
池田 満寿夫(いけだ ますお、1934年〈昭和9年〉2月23… 池田 満寿夫(いけだ ますお、1934年〈昭和9年〉2月23日 - 1997年〈平成9年〉3月8日)は、日本の画家・版画家・挿絵画家・彫刻家・陶芸家・作家・映画監督などの従来の芸術の枠にとどまらず多彩に活躍した芸術家。エロスの作家といわれるように、官能的な作風が多い。しかし、多岐にわたる活動や多才さは、かえって“池田芸術”の高い知名度にふさわしい正当な評価を困難にしている。 旧満洲国奉天市(現在の瀋陽市)に生まれ、戦後長野県長野市で育つ。長野市立柳町中学校、長野北高等学校(現・長野県長野高等学校)定時制課程卒業。高校在学中に絵画が入選、画家を志し上京するが、東京芸術大学の受験に3度失敗し大学進学を断念。
笠木 茂(かさぎ しげる、1934年2月 - )は、岐阜県出… 笠木 茂(かさぎ しげる、1934年2月 - )は、岐阜県出身の洋画家。ル・サロン会員、日本美術連盟会員。 岐阜県中津川市に生まれる。東京芸術大学卒業。特許庁を経て、東京芸術大学大学院修了。伊藤廉、中根寛、フランス国立高等装飾美校・デピェール教授に師事。安宅賞受賞。ル・サロン、サロン・ドートンヌなどに出品。資生堂ギャラリー、梅田画廊などで個展を開く。 地元の恵那山など、古里の中津川市を描いた作品を多く手掛ける。かつてはカラフルな、柔らかいタッチの油彩画や、シルクスクリーンを使用した花を描いたものが多かった。近年では油彩でありながら水彩画のような風合いのものを、海洋を主題として描くことが多い。 2012年、岐阜県各界功労者表彰(文化・芸術)を受けた。
馬越 陽子(まこし ようこ、1934年(昭和9年)1月27日… 馬越 陽子(まこし ようこ、1934年(昭和9年)1月27日 - )は、日本の洋画家。本名は瀬谷陽子。現在の東京都港区青山出身。 独立美術協会会員、女流画家協会委員、多摩美術大学大学院客員教授、2014年より日本美術家連盟洋画部理事。 1934年(昭和9年)1月27日、東京府東京市赤坂区青山に生まれる。 1952年(昭和27年)東京都立三田高等学校卒業 1964年(昭和39年)東京芸術大学油画科卒業、同年独立美術協会の独立展へ初出品、初入選。1966年(昭和41年)東京芸術大学大学院を修了。翌1967年(昭和42年)、「夜明けをまつ人達」が女流画家協会展でH夫人賞を受賞。 1973年(昭和48年)、文化庁芸術家在外研修員のうち初の女性芸術家としてヨーロッパの10カ国およびアメリカ合衆国、旧ソビエト連邦など欧米各国200箇所以上の美術館で1974年(昭和49年)まで1年間に渡って研修を行った。
早川 正昭(はやかわ まさあき、1934年1月7日 - 20… 早川 正昭(はやかわ まさあき、1934年1月7日 - 2024年8月20日)は、日本の作曲家、指揮者。広島大学名誉教授、新ヴィヴァルディ合奏団常任指揮者。 千葉県市川市出身。早くから音楽の才能を示し、6歳で最初の曲を書いた。東京都立両国高等学校を経て、東京大学で農学を学んだ後、東京芸術大学で長谷川良夫に作曲を、渡邉暁雄に指揮を学び、1960年に卒業した。 1961年に東京ヴィヴァルディ合奏団を創立し、日本のみならずヨーロッパ各地で公演を行った。 1978年にはウィーンとミュンヘンに留学し、バロック音楽を研究した。 1979年、東京ヴィヴァルディ合奏団のトップメンバーらとともに新ヴィヴァルディ合奏団を設立。
小松 敏明(こまつ としあき、1934年 - 2021年3月… 小松 敏明(こまつ としあき、1934年 - 2021年3月29日)は、日本のデザイナー。東京芸術大学名誉教授。長野県出身。 1953年(昭和28年)、長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1959年(昭和34年)、東京芸術大学美術学部デザイン科、同大学院修了。 東京芸術大学美術学部助教授、教授を務めた後、2002年(平成14年)定年退官。東京芸術大学名誉教授。 小松のデザインは、通信機器や登山・スキー用具などのデザインにはじまり、 教育・研究の場においては、"はたらきと美の統合"をテーマとして、工業デザインを軸に幅広いフィールドで展開されてきた。 東京芸術大学大学美術館で開催された退官記念展では、1980年代以降のデザインに関わった製品及び試作的作品を中心に、 その一端を"生活のどうぐ"、"生産のどうぐ"に大別し、「どうぐデザイン展」と題して展示紹介された。
池田 明良(いけだ あきら、1933年11月2日 - 200… 池田 明良(いけだ あきら、1933年11月2日 - 2009年12月31日)は、日本のバリトン歌手、合唱指揮者。
土屋 邦雄(つちや くにお、1933年9月3日 - 2023… 土屋 邦雄(つちや くにお、1933年9月3日 - 2023年8月20日)は、日本のヴィオラ奏者、指揮者。1959年、東洋人初のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の団員となり、40年以上にわたって在籍した。妻はピアニストの元井美幸。
越部 信義(こしべ のぶよし、1933年8月21日 - 20… 越部 信義(こしべ のぶよし、1933年8月21日 - 2014年11月21日)は、日本の作曲家、編曲家。東京都出身。 子ども向けの楽曲や童謡をはじめ、テレビ・CM・舞台など幅広いジャンルで活躍。NHKのテレビ番組『おかあさんといっしょ』で楽曲制作を約40年にわたり担当したほか、テレビアニメ『サザエさん』の劇伴(BGM)を作曲したことでも知られた。代表作は「おもちゃのチャチャチャ」など。 中学生の頃からピアノのバイエルをはじめる。本人いわく「普通の音楽家より始める時期は遅かった」とのこと。その後、高校在学時にクラシック音楽の作曲家を志す。 1957年、東京藝術大学作曲科卒業。在学時は池内友次郎に師事する。
栗林 義信(くりばやし よしのぶ、1933年8月15日 - … 栗林 義信(くりばやし よしのぶ、1933年8月15日 - )は、クラシック音楽の声楽家(バリトン)。東京音楽大学名誉教授、日本藝術院会員。公益社団法人日本演奏連盟常任理事、特定非営利活動法人世界芸術文化振興協会副会長。二期会会員。 佐賀県生まれ。佐賀県立佐賀西高等学校から、東京都立大泉高等学校へ転出し、東京芸術大学へ進学。 学生の頃の日本はドイツオペラが主流だったが、芸大在学中にイタリアオペラを連日聞いて感銘を受け、大学の恩師藤原義江に「君はイタリアオペラ向きだ」と言われたこともあり、イタリアオペラを志すようになる。 1956年、大学在学中の23歳で初めて受けた第25回毎日音楽コンクール声楽部門で、第1位となる。
藤井 久仁江(ふじい くにえ、1933年〈昭和5年〉8月15… 藤井 久仁江(ふじい くにえ、1933年〈昭和5年〉8月15日 - 2006年〈平成18年〉9月12日) は、箏曲家。 生田流箏曲・地歌の第一人者。人間国宝。元東京芸術大学客員教授。 幼少より母・阿部桂子に箏を学び、のちに宮城道雄に学ぶ。また、九州系地歌を川瀬里子から学んだ。 1955年NHK邦楽技能者育成会第一期卒業。2002年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。 研究熱心で曲の解釈に優れ、堅実で正確な地歌の演奏家として知られる。 文化庁芸術祭大賞の他、受賞多数。海外での演奏もフランス・ドイツ・イタリア、アメリカをはじめ各地で行った。 98年まで東京芸術大学客員教授、また一門の「銀明会」を主催し、後進の育成にも努めた。
長野 羊奈子(ながの よなこ、本名:若杉 羊奈子、1933年… 長野 羊奈子(ながの よなこ、本名:若杉 羊奈子、1933年(昭和8年)7月17日 - 2014年(平成26年)10月20日)は、日本の声楽家(メゾソプラノ)、音楽教育者。夫は指揮者の若杉弘。夫の父は外交官の若杉要。 東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。1958年(昭和33年)西ドイツ政府給費留学生としてベルリン国立音楽大学に留学。 4年後、卒業と同時にベルリン・ドイツ・オペラ研究生。1963年(昭和38年)日本人として初めてベルリン・ドイツ・オペラの正団員となり、モーツァルト『フィガロの結婚』ケルビーノ、プッチーニ『蝶々夫人』スズキ、ビゼー『カルメン』、モーツァルト『魔笛』、リヒャルト・シュトラウス『サロメ』など多くのオペラに出演。
有馬 礼子(ありま れいこ、1933年5月5日 - )は、東… 有馬 礼子(ありま れいこ、1933年5月5日 - )は、東京府出身の作曲家、編曲家。東京音楽大学名誉教授。本名は日暮禮子。師匠は下総皖一、伊福部昭。祖先に有馬晴信。著名な教え子に作曲家の神山奈々、福島弘和らがいる。 1933年5月5日に東京市中野区に生まれる。家族と満州に移住したが、1946年に帰国した。高校在学時に演劇部で作曲した曲が評価されたことを契機に、東京芸術大学音楽部作曲科に入学し、下総皖一に師事する。卒業後に東京音楽大学へ勤務し、学長に就任した伊福部昭に弟子入りした。1965年から1968年に日本コロムビアのディレクターを兼務する。音楽理論、民俗音楽の研究を行い、戦後日本の女性作曲家の先駆的存在として数多くの作品を手掛けた。
仲條 正義(なかじょう まさよし、1933年5月4日 - 2… 仲條 正義(なかじょう まさよし、1933年5月4日 - 2021年10月26日)は、日本のグラフィックデザイナー、女子美術大学客員教授。 東京都生まれ。千葉県立匝瑳高等学校、東京芸術大学美術学部図案科卒業。大学時代の同級生に福田繁雄、江島任がおり、芸大三羽烏と呼ばれた。1956年に資生堂宣伝部に入社。 1959年、資生堂を退社し河野鷹思を中心に八幡製鐵(現・新日本製鐵)との共同出資で設立されたデスカに福田繁雄、江島任、森下俊彦、日下弘らとともに参加。 翌年にフリーランス。1961年に仲條デザイン事務所を設立。以降、グラフィックデザインを領域に資生堂、松屋銀座、東京都現代美術館など中心に様々なクライアントで活躍する。
萩原 英彦(はぎはら ひでひこ、1933年3月30日 - 2… 萩原 英彦(はぎはら ひでひこ、1933年3月30日 - 2001年10月16日)は、日本の作曲家。東京都生まれ。元武蔵野音楽大学作曲科教授。 1947年より、團伊玖磨の下で和声法、作曲法を学ぶ。その後、東京芸術大学音楽学部作曲科に入学し、1956年卒業。作曲を池内友次郎に、ピアノを永井進に師事。 「光る砂漠」「白い木馬」「抒情三章」など合唱の分野で盛んに活動する。破綻のない演奏しやすい音楽が特徴で、調性感のあるいわゆる保守的作風を示す。フォーレの「レクイエム」をはじめとして、フランスのピアノ曲、歌曲、合唱曲の校訂にもたずさわった。 ()内の人物は作詩者。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。
三浦 小平二(みうら こへいじ、1933年3月21日 - 2… 三浦 小平二(みうら こへいじ、1933年3月21日 - 2006年10月3日)は日本の陶芸家。1997年に人間国宝に認定された。 新潟県佐渡郡相川町(現在の佐渡市)出身。生家は佐渡無名異焼の窯元であり、三代常山の孫、三浦小平の長男として生まれた。1955年東京芸術大学美術学部彫刻学科を卒業後、加藤土師萌の元で青磁の伝統技法を学ぶ。 1969年に中近東や東アフリカ、1978年に中国・モンゴルなどアジア各国を巡り、各国の磁器の研究や自らの作品への投影に励んだ。特に、古代中国の皇室御用達であった国営陶磁器製作所が生み出す南宋官窯に強い影響を受け、目標としながら研究を重ねた。その末に佐渡の朱色の土を下地とした器に青磁釉をかけるという独特な技法を開発する。
山口 五郎(やまぐち ごろう、1933年2月26日 - 19… 山口 五郎(やまぐち ごろう、1933年2月26日 - 1999年1月3日)は日本の尺八奏者。元東京芸術大学教授、人間国宝。 昭和8年(1933年)東京・本郷にて、琴古流尺八家1世川瀬順輔門下の山口四郎と千枝(本名ヤエ。地歌箏曲家川瀬里子の姪)との間に生まれる。11歳より琴古流尺八を、父・四郎に師事。
遠藤 雅古(えんどう まさひさ、1933年2月15日 - 1… 遠藤 雅古(えんどう まさひさ、1933年2月15日 - 1999年4月10日)は、日本の指揮者。 東京都出身。1956年、東京藝術大学声楽科を卒業後、東京藝術大学大学院指揮研究科に進み、1960年大学院前期博士課程修了、1962年東京藝術大学専攻科修了。指揮法を山田一雄、渡辺暁雄に師事。また、1982年~1983年、文化庁派遣芸術家在外研修員としてミュンヘンに派遣され、セルジュ・チェリビダッケの下で研鑽を積んだ。 群馬交響楽団指揮者、札幌交響楽団副指揮者、東京音楽大学講師を経て、1963年東京藝術大学指揮科助教授、1997年東京藝術大学指揮科教授に就任、後進の育成にあたったが、1999年に死去。
原 博(はら ひろし、1933年1月24日 - 2002年2… 原 博(はら ひろし、1933年1月24日 - 2002年2月13日)は、日本の作曲家。 埼玉県熊谷市の材木商の家に生まれる。友人の伝手で池内友次郎に師事し、東京芸術大学に入学、1957年に同大を卒業。1958年、日本音楽コンクール室内楽部門第3位。1961年から渡仏し、パリ国立高等音楽院でシモーヌ・プレ=コサード、ジャン・リヴィエに師事、ニースでアレクサンドル・チェレプニン、アンリ・デュティユーにも師事した。1962年、クラリネット五重奏曲がニース国際作曲コンクール第1位。1963年の冬からヴェネツィアに移るも、1964年3月に帰国した。その後、作品発表会等をはじめとして活発な音楽活動をする。
辻 成史(つじ しげぶみ、1933年1月6日- )は、日本の… 辻 成史(つじ しげぶみ、1933年1月6日- )は、日本の美術史家。大阪大学名誉教授。専門は古代末期、ビザンティン・中世美術、図像学。 1933年、東京で生まれた。東京芸術大学美術学部芸術学科で学び、1958年に卒業。立教大学大学院文学研究科組織神学専攻に進学し、修士課程を修了。プリンストン大学に留学して1966年に博士号を取得。 清泉女子大学教授を経て、1977年大阪大学文学部助教授に就任。1989年、同文学部教授に昇格。1996年に大阪大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は金沢美術工芸大学教授として教鞭を執り、2000年からは大手前大学人文科学部教授をつとめた。また、西宮市大谷記念美術館館長を務める。
村川 千秋(むらかわ ちあき、1933年(昭和8年)1月1日… 村川 千秋(むらかわ ちあき、1933年(昭和8年)1月1日 - 2025年(令和7年)6月25日)は、山形県村山市出身の男性オーケストラ指揮者。江戸前期に活躍した俳人・村川素英の子孫にあたり、弟は映画監督の村川透。娘はヴァイオリニストの村川千尋。 山形県立山形南高等学校、東京芸術大学音楽学部器楽科を卒業後、同大学音楽学部作曲科に入学、作曲を池内友次郎に師事、同大学作曲科卒業。 1963年にアメリカ合衆国へ渡航し、インディアナ大学大学院で理論科助手として勤める。かたわら指揮を専攻。マスター・オブ・ミュージックを授けられる。さらにニューヨークにてレオポルド・ストコフスキーのもとで研鑽を積む。 1966年に帰国。
白木 秀雄(しらき ひでお、本名:柏倉 秀康、1933年1月… 白木 秀雄(しらき ひでお、本名:柏倉 秀康、1933年1月1日 - 1972年8月22日頃)は、日本のジャズ・ドラマー。 東京府東京市神田区(現・東京都千代田区)の酒屋に生まれる。錦城高校ではハーモニカ・バンドに所属してドラムを担当し、ハーモニカを川口章吾、ドラムを奥田宗宏に師事した。やがてプロのジャズミュージシャンを志すようになり、1951年に東京芸術大学音楽学部打楽器科に進学した(のちに中退)。この年の東京芸大打楽器科の新入生は2名だけで、もう1人は後に指揮者となる岩城宏之であった。 東京芸大在学中からプロのジャズ・ドラマーとして活動を始めた。大学側が学生の学外演奏活動を表向きは禁じていたため芸名で活動することとし、本名の「柏倉」の「柏」の字を分けて「白木」とした。
齋藤 鶴吉(さいとうつるきち、1933年1月[要出典] - … 齋藤 鶴吉(さいとうつるきち、1933年1月[要出典] - )は日本のチェロ奏者(チェリスト)、音楽家、音楽活動家。NHK交響楽団団友、横浜室内楽協会代表、一般社団法人横浜音楽文化協会特別顧問。妻は横浜市助役を務めた齋藤龍。 東京に三兄弟の末子として生まれる。長野県大町高等学校を卒業。[要出典] 9歳年長の次兄で作曲家の筆名斎藤高順(本名齋藤孝順)の影響でチェロを始め、堀内静雄、広田幸夫、吉田貴壽、小沢弘に師事。[要出典] 1957年に東京芸術大学音楽学部器楽科を卒業。海野義雄らと、アカデミー弦楽四重奏団を結成。絶大な人気を博し全国で華々しい演奏活動を行う。[要出典] 1958年、東京芸術大学音楽学部音楽専攻科修了。
斎藤 誠治(さいとう せいじ、1933年 - )は栃木県宇都… 斎藤 誠治(さいとう せいじ、1933年 - )は栃木県宇都宮市出身の彫刻家、石彫作家。 1933年に栃木県宇都宮市に生まれる。東京芸術大学彫刻科に入学し、石井鶴三教室にて素描、彫像、木彫を学ぶ。1958年東京芸術大学専攻科で昭和の名工の一人である明石亀太郎に石彫を学ぶ。1960年大晦日に貨客船でアメリカに向かう。ブルックリン美術学校(ニューヨーク)に奨学金を得て入学し、イタリアの彫刻家オデリオ・ベッジに御影石による彫刻技法を学ぶ。全米彫刻協会の特別会員(Fellow of NSS)、アート・スチューデンツ・リーグのインストラクターを務める。現在もニューヨーク、ブルックリンのスタジオにて制作を続けている。
河上 恭一郎(かわかみ きょういちろう、1933年 - )は… 河上 恭一郎(かわかみ きょういちろう、1933年 - )は、日本のガラス工芸家、デザイナー。伝統的な江戸切子や現代ガラス工芸の分野で国際的に活動し、日本の伝統美と現代デザインを融合させた作品で高く評価されている。毎日産業デザイン賞や日本クラフト賞など受賞多数。 千葉県出身。東京藝術大学美術学部工芸科で図案(デザイン)を学び、1957年に卒業。卒業後は保谷硝子(現・HOYA)に入社し、クリスタルガラスのデザインや商品開発に従事した。 1970年代に独立し、以降はフリーランスのガラスデザイナー、工芸家として活動を開始。日本の伝統的なカットガラス(切子)の技法を再解釈し、現代のライフスタイルに調和する器やオブジェを多数発表。
中川 和義(なかがわ かずよし、1933年 - 2021年)… 中川 和義(なかがわ かずよし、1933年 - 2021年)は日本の音楽家。ピアニスト。国立山形大学名誉教授である。専門は音楽教育。 令和元年秋の叙勲で瑞宝中綬章を授章、位階は正四位。 1933年(昭和8年)大阪市に生まれる。1956年(昭和31年)東京芸術大学音楽学部卒業。ピアノ専攻。 卒業後 ジョン・ハント教授及びマックス・エッガー教授(※マックス・エッガー(1916 - 2008) スイス・ロールシャハの生まれ。チューリヒ大学音楽部を卒業後、1943年スイス音楽協会賞を受賞。同年チューリヒ音楽院のピアノ科主任教授となり、多くの優れたピアニストを養成し、コンクールの審査員やピアノ奏者として活躍した。
川島 博(かわしま ひろし、1933年 - 2018年2月1… 川島 博(かわしま ひろし、1933年 - 2018年2月18日)は、日本の作曲家。 栃木県足利市出身。東京芸術大学で長谷川良夫に作曲を師事した後、桐朋学園大学研究生指揮科を修了した。愛知教育大学教授と名古屋音楽大学教授を歴任し、現在は愛知教育大学名誉教授。 2013年11月瑞宝中綬章受章。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
金光 威和雄(こんこう いわお、1933年 - 2022年3… 金光 威和雄(こんこう いわお、1933年 - 2022年3月21日)は日本の作曲家。東京都生まれ。 1957年、東京芸術大学作曲科卒業。翌年同専攻科修了。 日本音楽コンクールにおいて、第26回、第27回の作曲・管弦楽の部で第2位受賞。 1964年、第1回エレクトーンコンクール作曲部門で第3位入賞。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
山本 正美(やまもと まさみ、1932年〈昭和7年〉12月2… 山本 正美(やまもと まさみ、1932年〈昭和7年〉12月25日 - 2003年〈平成15年〉4月12日)は、日本の作曲家。山本直純の妻。作曲家の山本純ノ介は長男、チェリストの山本祐ノ介は二男。東京藝術大学作曲科卒業。1981年、48歳にして長男の純ノ介と共に東京藝術大学大学院に入学し、話題となった。 岡本 正美(おかもと まさみ)名義で交響曲から歌曲・合唱曲まで幅広く手がけたが、その作風は、夫・直純の大衆に幅広く受け入れられるような作風とは違い、やや難解と見られがちな前衛風な響き、構成の作品が多い。上皇后美智子の詞に曲づけした「ねむの木の子守歌」が一般的によく知られている。 遠縁に吉永小百合がいる(山本正美の妹の夫の母が、吉永の母の従兄弟の妻と姉妹同士)という情報があるが、事実ではない。
山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - … 山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - 2002年6月18日)は、日本の作曲家、編曲家、指揮者。東京都出身。 東京五反田の至誠病院に生まれ、中野区や大田区や豊島区などを転々として育つ。幼児期から父の山本直忠、山田和男(一雄)らによって徹底した早期音楽英才教育を施されたほか、自由学園で羽仁協子や久山恵子、林光、三善晃などと共に早期音楽教育を受ける。自由学園時代の学友の一人に渡辺岳夫がいる。指揮は高校時代から自由学園を借りて毎週日曜に開かれていた齋藤秀雄指揮教室で齋藤秀雄に師事。同時期の同門に、尾高忠明、飯守泰次郎、秋山和慶、小澤征爾、村方千之、久山恵子らがいる。小澤は後に、「自分は日本に留まって音楽の底辺を広げる。
角倉 一朗(すみくら いちろう、1932年10月27日 - … 角倉 一朗(すみくら いちろう、1932年10月27日 - )は、日本の音楽学者、東京藝術大学音楽学部名誉教授、バッハを中心とする西洋音楽史や音楽理論の研究の第一人者。 東京生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒、同研究科修了。桐朋学園大学助教授、東京藝術大学教授を歴任し、多くの音楽学者を育てた。多くの門下生が全国の大学で音楽史関連講義の教鞭をとっている。退官後神戸女学院大学特任教授に着任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
石田 勝心(いしだ かつむね、1932年(昭和7年)10月2… 石田 勝心(いしだ かつむね、1932年(昭和7年)10月20日 - 2012年(平成24年)2月2日)は日本の映画監督。東京都駒込動坂町出身。 東京都立両国高等学校から東京芸術大学芸術学部美術学科に入学。1957年、卒業と同時に東宝撮影所の製作係に入社。当初は編集者を務めていたが、助監督に転向。1970年『喜劇 頑張れ!日本男児』で監督デビュー。 センチメンタリズムあふれる喜劇やホームドラマを得意としたが、東宝の主流分野ではないこともあり、後年はパニック映画、アクションものも手がけている。テレビ作品も多く手掛けた。 2012年2月2日、肺炎のため死去。79歳没。
有村 祐輔(ありむら ゆうすけ、1932年10月14日-)は… 有村 祐輔(ありむら ゆうすけ、1932年10月14日-)は、日本の音楽家、指揮者、音楽学者。都留文科大学名誉教授。専門はルネッサンス音楽と合唱で、日本古楽界の第一人者。 鹿児島県出身。鹿児島県立甲南高等学校を経て、東京藝術大学音楽学部声楽科を1958年に卒業。NHKの「歌のメリーゴーランド」のレギュラーや都留文科大学の講師を務めた。1972年、ノッティンガム大学大学院音楽学専攻修士課程修了。1983年~1984年、再度渡英してオクスフォード大学に留学。都留文科大学文学部教授を経て、上野学園大学国際文化学部教授。 日本合唱指揮者協会会員、日本古楽協会代表。東京プロ・ムジカ・アンティカ指揮者を務めた。
望月 好夫(もちづき よしお、1932年10月14日 - 2… 望月 好夫(もちづき よしお、1932年10月14日 - 2019年3月10日)は、日本の産業工芸分野のインダストリアルデザイナー、技術者。工芸品を普段の生活で使えるものとしてデザインし、青森県の産業として定着させた。 静岡市に生まれる。1952年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1956年、東京芸術大学美術学部工芸科漆芸専攻卒業。同年、青森県工業試験場漆工課勤務。1986年、青森県木工指導所所長。1988年、青森県工業試験場場長。1993年、同試験場停年退官。1994年、弘前工芸協会理事長。青森県技術アドバイザー、社団法人日本クラフトデザイン協会会員。 2019年3月10日、慢性閉塞性肺疾患のため死去。
永冨 正之(ながとみ まさゆき、1932年10月13日-20… 永冨 正之(ながとみ まさゆき、1932年10月13日-2020年12月17日)は、日本の現代音楽の作曲家、音楽教育家。東京芸術大学名誉教授。永富正之とも表記される。妻はピアニストの永冨和子。 1932年兵庫県西宮市生まれ。東京芸術大学音楽学部作曲科に学び、池内友次郎、伊福部昭に師事。一級下に作曲家の助川敏弥がいる。1954年に管弦楽作品「演奏会用アレグロ」が第23回日本音楽コンクール作曲部門第3位に入選する。1955年卒業。 1959年フランスに留学、パリ国立高等音楽院に学び、トニー・オーバン、アンリエット・ピュイグ=ロジェに師事。ピュイグ=ロジェに師事した外国人学生は永冨が第1号であった。同時期に留学していた作曲家には篠原眞がいる。
佐々木 英也(ささき ひでや、1932年〈昭和7年〉10月3… 佐々木 英也(ささき ひでや、1932年〈昭和7年〉10月3日 - )は、日本の西洋美術研究者。東京芸術大学名誉教授。 岩手県江刺市(現・奥州市)に生まれる。1951年、岩手県立水沢高等学校卒業。1956年、東京藝術大学美術学部専攻科卒業。1958年、イタリア政府給費留学生としてローマ大学に学ぶ。1961年、国立西洋美術館研究員。1972年『ザ・ヌード』で日本翻訳出版文化賞受賞。1976年、東京藝術大学美術学部助教授、1985年同教授。1990年『ジョットの藝術』でマルコ・ポーロ賞受賞。2000年定年退官、名誉教授。2001年岩手県立美術館館長に就任、2010年退任。
川崎 祥悦(かわさき しょうえつ、1932年(昭和7年)9月… 川崎 祥悦(かわさき しょうえつ、1932年(昭和7年)9月29日 - )は、日本の作曲家。青森県出身。東京藝術大学音楽部作曲科卒業。多くの合唱曲を作曲している。作曲家の川崎絵都夫は息子にあたる。
杉浦 康平(すぎうら こうへい、1932年9月8日 - )は… 杉浦 康平(すぎうら こうへい、1932年9月8日 - )は、日本のグラフィックデザイナー、アジアの図像学研究者、神戸芸術工科大学名誉教授、同大学アジアンデザイン研究所(RIAD)所長。 意識領域のイメージ化で多元的なデザイン宇宙を切り開き、レコードジャケット、ポスター、ブックデザイン、雑誌デザイン、展覧会カタログデザイン、ダイアグラム、切手などの第一線で先端的かつ独創的な活躍を展開。また、「マンダラ 出現と消滅」展や「アジアの宇宙観」展、「花宇宙・生命樹──アジアの染め・織り・飾り」展など、アジアの伝統文化を展覧会企画構成および斬新なカタログデザインで紹介するとともに、マンダラ、宇宙観を中核とする自らの図像研究の成果を『かたち誕生』ほかの幾多の著作をとおして精力的に追究している。
岩城 宏之(いわき ひろゆき、1932年9月6日 - 200… 岩城 宏之(いわき ひろゆき、1932年9月6日 - 2006年6月13日)は、日本の指揮者。位階は正五位。 指揮法を渡邉暁雄と齋藤秀雄に師事した。 東京府にて、専売局(後の日本専売公社)技師・岩城與一(1895年〈明治28年〉生、魚津中学校〈現:富山県立魚津高等学校〉・第四高等学校・東京帝国大学農学部農芸化学科 卒業、名古屋地方専売局長、1946年〈昭和21年〉に退官)の第5子(末子)として生まれた。小学校に入学して間もなく父の転任で京都に転居、9歳で木琴を始める。小学4年生の3学期で東京に戻る。当時は病弱で、小学5年生と6年生の2年間に10か月間病欠し、骨膜炎で片脚切断の寸前まで行ったことがある。
松本 英一郎(まつもと えいいちろう、1932年7月8日 -… 松本 英一郎(まつもと えいいちろう、1932年7月8日 - 2001年6月17日)は、日本の洋画家である。 福岡県久留米市出身、福岡県立明善高等学校から東京芸術大学に進学、卒業時に大橋賞を受ける。独立展を拠点に活動する。東京都立駒場高等学校で教鞭をとり、その後多摩美術大学に転じ、教授職をつとめ、後進の指導に力を注いだ。 風景画を中心に描き、〈平均的肥満体 1965~1970〉〈退屈な風景 1971~1986〉〈さくら・うし 1987~1996〉〈花と雲と牛 1997~2001〉の連作をのこす。 義父は教育学者の石川謙、義兄に石川松太郎がいる。 青森県立美術館、栃木県立美術館、東京都現代美術館、府中市美術館、多摩美術大学美術館、八王子市夢美術館、青梅市立美術館、佐久市立近代美術館、池田20世紀美術館、愛知県美術館、京都国立近代美術館、広島市現代美術館、高松市美術館、北九州市立美術館、福岡県立美術館、福岡市美術館、久留米市美術館、熊本県立美術館、宇城市不知火美術館、都城市立美術館
日下 弘(くさか ひろし、1932年6月1日 - 1989年… 日下 弘(くさか ひろし、1932年6月1日 - 1989年2月13日)は、日本のデザイナー、装丁家。 東京生まれ。東京芸術大学美術学部卒業。1956年、同研究科修了。 1950年代、デザイン事務所「デスカ・DESKA (DESigners Kono Associates)」(河野鷹思と、河野の妻の静子が創設)に参加。仲條正義、福田繁雄、江嶋任、森下俊彦らがメンバーだった。 60年代~70年代、創元推理文庫のブックデザインを多数担当した。また、角川文庫のJ・D・サリンジャー作品、アルベルト・モラヴィア作品のデザインも担当。 1961年東京芸術大学講師、1964年女子美術大学講師、1966年日本エディタースクール講師、1969年愛知県立芸術大学講師を経て、後に東京学芸大学教育学部教授を務めた。
端山 貢明(はやま こうめい、1932年〈昭和7年〉4月28… 端山 貢明(はやま こうめい、1932年〈昭和7年〉4月28日 - 2021年〈令和3年〉5月11日)は、日本(東京都出身)の作曲家、メディア研究者、東北芸術工科大学名誉教授。 1932年、東京に生まれる。東京藝術大学音楽学部在学中に、『ヴィオラ協奏曲』(1955)を作曲し文化庁芸術祭文部大臣賞を受賞。同大学卒業後、1957年、フランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立音楽院でオリヴィエ・メシアンらに学ぶ。 1959年帰国し作曲を続ける。NHKの放送音楽、映画音楽なども手掛ける。また、芸術的表現と社会的コミュニケーションのメディアとしてのコンピュータに着目した研究活動に取り組む。1969年、『ピアノと管弦楽のための交響的変容』が文化庁芸術祭ラジオ音楽の部優秀賞を受賞。
田中 瑤子(たなか ようこ、1932年4月22日 - 199… 田中 瑤子(たなか ようこ、1932年4月22日 - 1999年9月11日)は、日本のピアニスト。鳥取県出身。夫は合唱指揮者で東京混声合唱団の桂冠指揮者である田中信昭。日本演奏連盟、日本現代音楽協会所属。 アンサンブル・ピアニストとして合唱団と共演することも多く、数多くの合唱組曲の初演にピアニストとして関わった。特に三善晃からの信頼は厚く、「五つの童画」や「オデコのこいつ」、「交聲詩 海」など、多くの三善晃の作品の初演のピアノを担当している。 3歳の時からピアノやソルフェージュを学ぶ。東京藝術大学ピアノ科に入学し、藤村るり子、福井直俊、ハンス・カンに師事。大学入学直後に肺結核に罹患するも、病と戦いながら1956年に同大学を卒業。
江口 週(えぐち しゅう、1932年(昭和7年)4月3日 -… 江口 週(えぐち しゅう、1932年(昭和7年)4月3日 - )は、日本の彫刻家である。 京都市の生まれ。東京芸術大学で彫刻科を専攻する。スケール感が強い技術を用いた斬新な技法を使った木彫を基本とした。卒業後の1963年(昭和38年)に東京国立近代美術館で開催された展示会において初めて彼の作品が出品された。この業績により、1965年(昭和40年)に山口県宇部市で開催された記念すべき第一回現代日本彫刻展にて受賞した。 また1974年(昭和49年)に平櫛田中賞、1977年(昭和52年)には中原悌二郎賞をそれぞれ受賞し、一躍有名な彫刻家となった。 海外にも進出しており、1965年にニューヨーク近代美術館で出品され、以後アントワープ、インドのトリエンナーレでのそれぞれの展示会でも出品された。
水野 敬三郎(みずの けいざぶろう、1932年3月29日- … 水野 敬三郎(みずの けいざぶろう、1932年3月29日- )は、日本の仏像美術史学者、東京芸術大学名誉教授、新潟県立近代美術館名誉館長。