樋口 時彦(ひぐち ときひこ、1941年6月10日 - )は… 樋口 時彦(ひぐち ときひこ、1941年6月10日 - )は、神奈川県出身の元バレーボール選手。1964年東京オリンピックバレーボール男子銅メダリスト。法政二高を経て、法政大学卒業。
法政大学:2,189人
樋口 時彦(ひぐち ときひこ、1941年6月10日 - )は… 樋口 時彦(ひぐち ときひこ、1941年6月10日 - )は、神奈川県出身の元バレーボール選手。1964年東京オリンピックバレーボール男子銅メダリスト。法政二高を経て、法政大学卒業。
中山 大三郎(なかやま だいざぶろう、1941年2月15日 … 中山 大三郎(なかやま だいざぶろう、1941年2月15日 - 2005年4月7日)は、日本の作詞家、作曲家。 主に演歌、歌謡曲を中心に作詞、作曲を行っていた。 宮崎県北諸県郡高崎町(現・都城市)出身。1995年に結婚した三佐子夫人は、アナウンサー小川宏の次女。 宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業。法政大学在学中、作詞家の星野哲郎に師事、作曲家としての活動を始める。 クラウンレコードの専属作曲家を経て、尾形大作の『無錫(むしゃく)旅情』、島倉千代子の『人生いろいろ』、天童よしみの『珍島(ちんど)物語』などの大ヒット曲を作詞、作曲した。 また、別名義に水沢圭吾・なかやま和郎・山下孝一郎がある。 テレビのワイドショーのコメンテーター(TBSテレビ『3時にあいましょう』『スーパーワイド』など)としても活躍する一方で、1989年から日本作詩家協会の常務理事を務めていたが、1999年に癌であることを公表した。
河原崎 次郎(かわらさき じろう、本名:河原崎 労作、194… 河原崎 次郎(かわらさき じろう、本名:河原崎 労作、1941年1月18日 - 2020年7月)は、日本の俳優。東京都有楽町出身。 1951年、今井正監督の『どっこい生きてる』に子役で映画デビューする。法政大学経済学部卒業後、俳優座養成所に15期生として入所。同期には原田芳雄、夏八木勲、前田吟、地井武男らがおり、後に「花の15期生」とうたわれた。 1966年法政大学卒業後、劇団俳優座に入座。その後も舞台活動を続ける一方、映画やテレビドラマにも多数出演する。1970年代から1980年代にかけての刑事ドラマ・アクションドラマでは凶悪犯役も数多く演じ、凄みのある演技を見せた。近年はテレビの時代劇作品において、黒幕的な大物悪役として活躍。
広瀬 幸司(ひろせ こうじ、1941年 - )は、兵庫県出身… 広瀬 幸司(ひろせ こうじ、1941年 - )は、兵庫県出身の野球選手(捕手)。 芦屋高校では、同期のエース安藤敏雄とバッテリーを組む。2年次の1958年に秋季近畿大会準決勝へ進み、平安高の藤野隆司に抑えられ敗退するが、3年次の1959年春の選抜出場を決める。大会では1回戦で三浦和美のいた広陵高を降すが、2回戦で浪華商に敗れる。同年夏は県予選準々決勝で滝川高に敗退、甲子園には届かなかった。他の高校同期に一塁手の西岡浩史らがいる。 高校卒業後は1960年に法政大学へ進学し、東京六大学野球リーグでは4回の優勝を経験。2年次の1961年から正捕手となり、2年上の新山彰忠、同期の山崎武昭・龍隆行らとバッテリーを組む。
松本 孝利(まつもと たかとし、1941年-)は北海道出身の… 松本 孝利(まつもと たかとし、1941年-)は北海道出身の経済人。1966年、法政大学工学部電気工学科を卒業。その後、日本電子開発株式会社に入社し、1975年、日本ディジタル・イクイップメント株式会社(日本DEC)入社。横浜営業所所長、東京第一営業部長などを歴任した。1984年に独立し、インサイト・インターナショナル株式会社を設立、社長に就任。UNIXの開発者であるビル・ジョイ氏との交流を図った。1986年、日本サン・マイクロシステムズ株式会社社長に就任した。さらに、1990年、株式会社システム・ソフトウェア・アソシエイツを設立し、社長に就任した。1992年には日本シスコシステムズ株式会社社長に就任した。
増田 壽男(ますだ としお、1941年 - )は、日本の経済… 増田 壽男(ますだ としお、1941年 - )は、日本の経済学者。法政大学名誉教授・前総長。東京都出身。
松田 利之(まつだ としゆき、1940年12月22日 - 2… 松田 利之(まつだ としゆき、1940年12月22日 - 2020年5月6日)は、日本の実業家。公益財団法人小田急財団顧問。小田急電鉄では代表取締役社長・顧問を歴任した。 1940年(昭和15年)12月22日、愛媛県松山市生まれ。1965年(昭和40年)、法政大学経済学部を卒業し、小田急電鉄入社。 2005年(平成17年)6月、小田急グループによる有価証券報告書虚偽記載問題の責任をとって引責辞任した。文化シヤッター、西松建設、ビックカメラの社外監査役を務めた。 2020年 (令和2年) 5月6日午前3時、虚血性心不全のため自宅で死去。79歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
新 克利(あたらし かつとし、1940年〈昭和15年〉12月… 新 克利(あたらし かつとし、1940年〈昭和15年〉12月4日 - )は、日本の俳優・声優。 東京市に鳶職の子として生まれる。 都立三田高校を卒業後、1959年に法政大学法学部に進んだが、2年で中退。 俳優座養成所に13期生として入所し、1964年3月の卒業と同時に団員となる。 1968年、『肝っ玉かあさん』に医師役で初のテレビドラマレギュラー出演を果たして人気を獲得。 石井ふく子プロデュース作品に常連出演し、誠実なイメージの役が多かっただけに、一部週刊誌で長山藍子との不倫スキャンダルが報じられて以降、出演が減った[要出典]。 『必殺仕置屋稼業』の印玄役も当たり役であり、悪人を屋根から突き飛ばす際に悪人が言う「止めて!助けて!」のセリフが流行した。
大木 淳吉(おおき じゅんきち、1940年11月23日 - … 大木 淳吉(おおき じゅんきち、1940年11月23日 - 1996年12月13日)は、日本の映画監督。別名:大木 淳。法政大学経済学部卒。 1964年、サンケイ映画社でのドキュメンタリーなどを経て円谷特技プロダクションに入社。円谷英二に師事し、『ウルトラQ』で本編班演出部助監督と『マグマ大使』で特撮助監督、『ウルトラマン』で特撮班助監督を手掛け、『快獣ブースカ』で特殊技術デビュー。 実相寺昭雄とコンビを組むことが多く(『無常』『曼陀羅』などでは助監督にもついている)、デビュー作の『ウルトラセブン』第8話「狙われた街」、現在欠番作品となった第12話「遊星より愛をこめて」のほか、映画『帝都物語』(1988年、東宝)のビジュアルスーパーバイザー、『ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説』の特技監督を手がけた。
山田 誠浩(やまだ よしひろ、1940年9月5日 - )は、… 山田 誠浩(やまだ よしひろ、1940年9月5日 - )は、元NHKエグゼクティブアナウンサーで、現在はフリーランスアナウンサー(ムーブマン業務提携)。京都市出身。 滋賀県立膳所高等学校、法政大学卒。1963年NHKにアナウンサーとして入局。山口、長野、広島、仙台、東京の各局を歴任。「大河ドラマ・おんな太閤記」、数々の「NHKスペシャル」のナレーション、「私の本棚」「ラジオ文芸館」の朗読、「ラジオ深夜便」アンカーなどを務めた。 2000年からはフリーランスアナウンサーとして「こころの時代」「知るを楽しむ」など主にNHKの番組のインタビュアー、ナレーターとして活躍している。 NHKの朗読番組「ラジオ文芸館」の演出と語りは13年にわたって担当、数多くの作品を放送すると共に、ライブの朗読にも積極的に取り組んできた。
鵜木 洋二(うのき ようじ、1940年4月28日 - 202… 鵜木 洋二(うのき ようじ、1940年4月28日 - 2021年2月23日)は、日本の実業家。学校法人福岡工業大学理事長、福岡ダイエーホークス社長。 1940年、宮崎県都城市に生まれる。1964年に法政大学法学部法律学科を卒業し、ダイエーに入社する。米国ダイエー副社長、ユニードダイエー常務、福岡ダイエーホークス社長などを歴任する。1994年に学校法人福岡工業大学理事・評議員、1997年に理事長に就任する。2021年2月23日、肺癌のため死去。80歳没。 中内功の懐刀として、企業買収に手腕を発揮し、1988年のダイエーによる南海ホークスの買収と福岡移転に深く関わり、初代球団社長に就任する。日本初の開閉式福岡ドームの建設に尽力し、球団強化のために当時、西武ライオンズの球団管理部長だった根本陸夫を招き、福岡ダイエーホークスの基礎を作った。
尾崎 真義(おざき まさよし、1940年4月12日 - 20… 尾崎 真義(おざき まさよし、1940年4月12日 - 2004年11月9日 )は、日本の元ラグビー選手。 村野工業高校から法政大学へと進学。大学では1年目から活躍し、関東リーグ戦初優勝に貢献。 卒業後はトヨタ自動車に入社した。1963年のBCカナダ戦で初キャップを獲得。 1968年にオールブラックスジュニアを敵地で破った時の日本代表の主将であった。 元トヨタ自動車副部長。
竜崎 勝(りゅうざき かつ、1940年(昭和15年)3月25… 竜崎 勝(りゅうざき かつ、1940年(昭和15年)3月25日 - 1984年(昭和59年)12月18日)は、日本の俳優・グルメレポーター。本名および旧芸名は高島 史旭(たかしま ふみあき)。長男は元俳優の高島郷、長女はフリーアナウンサーの高島彩。 東京都世田谷区出身。出生地は高知県高知市で、法政大学経済学部卒業。 法政大学4年在学中、日活ニューフェイス(第5期)に合格。第5期の同期に高橋英樹や中尾彬がいた。 その後、劇団俳優座付属養成所を経て文学座の研究生となる。俳優座養成所には1963年に第15期生として入所しており、同期は夏八木勲、栗原小巻、原田芳雄、前田吟、林隆三、地井武男、高橋長英、秋野太作、浜畑賢吉、赤座美代子、太地喜和子、小野武彦、村井国夫、柴田侊彦、溝口舜亮らがおり、後に「花の15期生」と呼ばれた。
小林 辰興(こばやし たつおき、1940年3月17日 - 2… 小林 辰興(こばやし たつおき、1940年3月17日 - 2023年5月2日)は、日本の実業家。(株)栃木銀行相談役会長。前取締役会長。元頭取。公益社団法人栃木県経済同友会筆頭代表理事。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
石橋 直(いしばし ただし、昭和15年(1940年)1月2日… 石橋 直(いしばし ただし、昭和15年(1940年)1月2日 - )日本の実業家。準大手ゼネコン西松建設の代表取締役社長兼執行役員社長。愛媛県出身。 小沢一郎民主党代表側への違法献金事件に関する同社の社内調査で不正が確認され、事件当時に代表権を持っていた石橋社長は6月末の株主総会時に退任する見通しとなった。石橋社長は、一部の会社トップの専権事項として、小沢代表側との関係が長年にわたって築かれていたと強調した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
芦原 信孝(あしはら のぶたか、1940年 - )は、日本の… 芦原 信孝(あしはら のぶたか、1940年 - )は、日本の建築家である。 アメリカ合衆国ニューヨークに拠点「Nobutaka Ashihara Architect」を構える。アメリカ建築家協会会員。日本建築家協会会員。 東京都生まれ。法政大学工学部建築学科卒業。1965年「鹿島建設」に入社。翌年渡米し「Kajima Associates Los Angeles」に勤務。その後、ハーバード大学大学院を修了し、1978年「Nobutaka Ashihara Architect」を設立。2011年現在、日本にはまだ芦原が設計に携わった建造物はなく、一度は設計したい、それが夢だという。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
荒井 致徳(あらい よしのり、1940年 - 2018年11… 荒井 致徳(あらい よしのり、1940年 - 2018年11月29日〈78歳没〉)は、日本のアマチュア野球指導者。息子は元プロ野球選手の荒井修光。 成田高校から法政大学に進み、1962年から2年間成田高校の監督を務めた。1970年からは千葉県立我孫子高等学校硬式野球部監督に就任し、甲子園に2回出場。1991年の甲子園出場時には息子・荒井修光(1995年のドラフト会議で日本ハムファイターズから2位指名を受け入団、元新庄剛志専属広報、現同球団事業統轄本部コミュニティリレーション部ディレクター)との親子鷹出場で話題を呼んだ。1994年、中央学院高等学校硬式野球部監督に就任。1996年秋季千葉県大会優勝、1998年、エース安原政俊(後に1998年のドラフト会議で読売ジャイアンツから4位指名を受け入団)を擁して夏の甲子園東千葉大会ベスト4に進出。
永野 為光(ながの ためみつ、1939年(昭和14年)12月… 永野 為光(ながの ためみつ、1939年(昭和14年)12月2日 - 2018年4月5日)は、日本の実業家。東北放送で社長、会長を務めた。 1939年(昭和14年)12月2日に生まれる。1965年(昭和40年)に法政大学工学部電気工学科を卒業し、東北放送に入社する(同期に小野忠一郎、船坂徐郭、松田健一)。1994年(平成6年)にテレビ局業務部長、1998年(平成10年)にテレビ局長、1999年(平成11年)に取締役、2002年(平成14年)に常務、2004年(平成16年)に専務と重役を歴任。 2005年(平成17年)に代表取締役社長に就任し、2010年(平成22年)に代表取締役会長に就任する。 2018年4月5日、心不全のために逝去。
三宅 義信(みやけ よしのぶ、1939年11月24日 - )… 三宅 義信(みやけ よしのぶ、1939年11月24日 - )は、宮城県柴田郡村田町出身のオリンピックにも出場した元重量挙げ選手、元陸上自衛官。現在は東京都在住。
室山 皓之助 (むろやま こうのすけ、1939年11月16日… 室山 皓之助 (むろやま こうのすけ、1939年11月16日 - )は岡山県出身の元プロ野球選手。
武元 文平(たけもと ぶんぺい、1939年(昭和14年)11… 武元 文平(たけもと ぶんぺい、1939年(昭和14年)11月15日 - )は、日本の政治家、司法書士。元石川県七尾市長(旧1期、2期)。 1939年(昭和14年)、石川県七尾市に生まれる。法政大学経済学部卒業。北陸電力を経て、司法書士事務所を開業する。1985年(昭和60年)に七尾市議会議員に補欠当選(5期)し、2001年(平成13年)10月に(旧)七尾市長選に出馬し、当選する。2004年(平成16年)9月に市町合併に伴い失職し、同年11月の七尾市長選に当選し、初代市長に就任する。2008年(平成20年)11月に再選を果たす。2012年の市長選には出馬せず引退。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
岸田 森(きしだ しん、1939年10月17日 - 1982… 岸田 森(きしだ しん、1939年10月17日 - 1982年12月28日)は、日本の俳優、声優、劇作家、演出家。
斎藤 次郎(さいとう じろう、1939年9月3日 - )は、… 斎藤 次郎(さいとう じろう、1939年9月3日 - )は、日本の教育評論家、漫画評論家、漫画原作者。個人紙『まんがコミュニケーション』主宰。斉藤次郎と表記される場合もある。 埼玉県飯能市生まれ。1963年法政大学文学部日本文学科卒業。子ども調査研究所を経て、教育評論活動を開始。真崎守の漫画『共犯幻想』『寂光院蝉しぐれ 甦春記・京都大原』『紫陽花寺・流謫 甦春記・鎌倉明月院』では原作者を担当。『COM』で漫画評を連載し、村上知彦や米澤嘉博らの「私語り」漫画論に大きな影響を与えたとされる。1987年から、子供や子供文化に係るミニコミ誌『三輪車疾走』『子どもプラス』『子どもプラスmini』の編集代表を務める。
鴨田 勝雄(かもだ かつお、1939年8月27日 - 200… 鴨田 勝雄(かもだ かつお、1939年8月27日 - 2002年10月27日)は日本の野球監督。新居浜商高や法政大学で監督を務め、1980年代の法政全盛期を支えた。
辻 重五郎(つじ じゅうごろう、1939年(昭和14年)7月… 辻 重五郎(つじ じゅうごろう、1939年(昭和14年)7月11日 - )は、日本の政治家、教諭。元兵庫県丹波市長(3期)。
知念 栄治(ちねん えいじ、1939年5月10日 - 202… 知念 栄治(ちねん えいじ、1939年5月10日 - 2023年12月16日)は、日本の実業家。沖縄セルラー電話株式会社代表取締役会長。公益財団法人沖縄県産業振興公社理事長。法政大学経済学部卒業。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
高橋 美徳(たかはし よしのり、1939年4月26日 - 2… 高橋 美徳(たかはし よしのり、1939年4月26日 - 2018年5月23日)は、日本のプロボクサー・プロボクシング・トレーナー経験者、プロモーターである。青森県黒石市出身。現役時代は三迫ボクシングジム所属。階級はウェルター級、2017年3月まで国際ボクシングスポーツジム会長、東日本ボクシング協会副会長兼事務局長も務めた。 青森商業高校では1957年全日本高校選手権ライト級で優勝。 法政大学でも1961年、全日本大学ウェルター級優勝。 同年、三迫ジムに入門し、8月1日の奥山利夫戦でプロデビュー。 2戦目にKO負けを経験したが、その後は17連勝をマークする。 1963年3月9日、ウェルター級の世界ランク入り目指してアメリカの強豪ガーランド・ランドールと対決したが、2回KOに敗れた。
熊田 克隆(くまだ よしたか、1939年3月19日 - )は… 熊田 克隆(くまだ よしたか、1939年3月19日 - )は、日本の実業家。JTCメディアグループの現代表取締役、名古屋アナウンサーアカデミーの現理事長、元ラジオ岐阜のアナウンサー、元中京テレビ放送のアナウンサー。岐阜県岐阜市出身。法政大学卒業。 大学卒業後、ラジオ岐阜に入社。その後、1969年に中京テレビが開局するのに合わせて移籍し、同局第1期のアナウンサーとして入社(同期に山崎正)。中京テレビでは主に報道とスポーツ関連の番組を担当し、ワイドニュース『6時のNEWS』の初代キャスターを務めた。また、第2回NNSアナウンス大賞で大賞を受賞。これは地方局のアナウンサーとしては初の受賞例である。その後、報道部へ異動。
田中 八郎(たなか はちろう、1939年3月9日 - 201… 田中 八郎(たなか はちろう、1939年3月9日 - 2010年12月17日)は、日本の実業家、馬主。 眼鏡の販売を展開するメガネスーパーの創業者であるほか、プロレス団体・SWSの設立者としても知られる。 1939年、東京都出身。法政大学社会学部を卒業する。1973年2月に神奈川県小田原市にて有限会社ニュー湘南眼鏡を設立し眼鏡用品の小売を開始。1979年5月に有限会社セントラル商事を設立し代表取締役社長となり、翌1980年9月にセントラル商事を株式会社に組織変更。1987年5月に旧株式会社メガネスーパーの代表取締役社長となり、2000年1月にはセントラル商事が旧メガネスーパーおよび有限会社三栄商事を吸収合併、株式会社メガネスーパーに商号変更し田中は会長に就任。
原田 力男(はらだ いさお、1939年3月1日 - 1995… 原田 力男(はらだ いさお、1939年3月1日 - 1995年3月22日)は日本の音楽プロデューサー、ピアノ調律師。 山口県防府市に生まれ、1943年、義父を結核で失う。1957年に山口県立防府高等学校を卒業し、浜松市の日本楽器KK(ヤマハ)本社工場で徒弟制度の下、ピアノ調律の修業を開始。1959年にヤマハ調律師養成システム(委嘱制度)を終え、防府市の実家に帰り、同市内の玉重楽器店に勤務。1961年8月に同店を辞職して上京。1962年、法政大学夜間部に入学。ヤマハピアノ杉並サービスセンターに勤務しつつ同大学に3年余り通学するも、ピアノ調律師としての本業が多忙となり中退。1968年10月、独立して「原田ピアノ調律工房」を設立。
小泉 剛康(こいずみ よしやす、1939年〈昭和14年〉2月… 小泉 剛康(こいずみ よしやす、1939年〈昭和14年〉2月25日 - 2011年〈平成23年〉8月1日)は、日本の政治家、福井県武生市(現・越前市)長(2期)。福井県議会議員(3期)。行政書士。 福井県出身。1963年〈昭和38年〉法政大学法学部卒。福井県内の高等学校の教員を経て、製図会社を設立し、社長となる。また、新日本ツーリストを設立し、社長となる。1970年〈昭和45年〉から武生市議会議員を務め、議長にもなった。1989年〈平成元年〉武生市長笠原武死去による市長選挙に立候補し、初当選する。1993年〈平成5年〉に無投票で再選。1997年〈平成9年〉に三選を目指したが、医師の三木勅男に敗れた。
金原亭 伯楽(きんげんてい はくらく、1939年2月16日 … 金原亭 伯楽(きんげんてい はくらく、1939年2月16日 - 2026年3月28日)は、神奈川県横浜市出身の落語家。本名∶津野 良弘。落語協会所属。出囃子∶「鞍馬」。紋∶「鬼蔦」。 1961年3月に法政大学法学部を卒業し、4月に十代目金原亭馬生に入門。前座名は「桂太」。 1964年9月に二ツ目昇進。1969年6月から12月に『セイ!ヤング』(文化放送)でパーソナリティを務める。 1973年9月に林家木久蔵、三遊亭好生、桂文平、四代目三遊亭歌笑、三遊亭生之助、橘家三蔵、柳家小きん、三遊亭歌雀、柳家さん弥と共に真打昇進。1980年3月に「伯楽」と改名。 2026年3月28日、肺炎のため死去。87歳没。
萩原 津年武(はぎわら つとむ、1939年1月1日 - )は… 萩原 津年武(はぎわら つとむ、1939年1月1日 - )は放送作家。埼玉県熊谷市生まれ。法政大学英米文学科卒。株式会社トマホーク代表取締役でもある。
宗国 旨英(むねくに よしひで、1938年(昭和13年)9月… 宗国 旨英(むねくに よしひで、1938年(昭和13年)9月21日 - )は、日本の実業家。元本田技研工業会長、元日本自動車工業会会長。 広島県庄原市出身。1961年に法政大学経済学部を卒業し、1966年に本田技研工業に入社する。米国法人アメリカンホンダモーター社長などを経て、1984年に取締役、1987年に常務、1989年に代表取締役専務、1990年に代表取締役副社長に就任する。1997年6月から代表取締役会長に就任し、退任後、特別顧問を務める。2002年5月、ホンダ出身者で初めて日本自動車工業会会長に就任する。同年、日本自動車研究所理事長。 北米におけるホンダブランドを確立し、また早くから中国市場開拓を強力に推進した。
清川 新吾(きよかわ しんご、1938年8月30日 - 20… 清川 新吾(きよかわ しんご、1938年8月30日 - 2012年7月25日)は日本の俳優。本名は峰 新吾。 東京都渋谷区幡ヶ谷出身。法政大学卒業。 松竹出身。エヌ・エー・シー、細谷事務所に所属していた。 父は元東宝プロデューサーの清川峰輔。妻は女優の千曲里子。元妻は女優の泉京子。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
井坂 義雄(いさか よしお、1938年8月22日 - )は、… 井坂 義雄(いさか よしお、1938年8月22日 - )は、日本の英文学者。法政大学名誉教授。 東京生まれ。1965年法政大学文学部英文科卒、1970年同大学院博士課程中退。1971年芝浦工業大学専任講師、1973年法政大学第一教養部専任講師、1974年助教授、1976年教授、2000年国際文化学部教授、2009年定年退任、名誉教授。ペンネームは三仏生葦生。 2017年4月、瑞宝中綬章を受章。
ジャッキー吉川(ジャッキー よしかわ、1938年8月1日 -… ジャッキー吉川(ジャッキー よしかわ、1938年8月1日 - 2020年4月20日)は、ジャッキー吉川とブルー・コメッツのメンバーでドラムを担当。東京都出身。 本名は板岡公一(いたおか こういち)。ジャッキーの由来はジャッキのように力強い腕が由来。 小中学校時代を八王子市で過ごした。その後、法政大学第一中・高等学校(現:法政大学中学高等学校)を経て、法政大学経済学部に入学。高校時代、ジーン・クルーパへの憧れから独学でドラムを始める。最初は歌手希望であったが、高校2年の時、法政の先輩でブルー・コメッツのリーダーだった大橋道二(後に大橋プロを設立)の紹介で同バンドのバンドボーイとなった。 高校3年の時に母が癌で亡くなり(父も7年後に亡くなる)、間もなくそれまでのアルバイトから本業としてバンドボーイ兼ドラマー扱いでメンバーの一員となるが程無くして一時的にバンドを離れ、新宿のキャバレー専属バンドへ参加、しかし相変わらずの貧乏生活に加え、バンドの女性歌手からドラミングを酷評されたことをきっかけにブルー・コメッツへ戻り、再びバンドボーイをこなしながらドラムの演奏技術を磨き続けた。
勝又 浩(かつまた ひろし、1938年7月24日 - )は、… 勝又 浩(かつまた ひろし、1938年7月24日 - )は、日本の文学者、文芸評論家。法政大学文学部名誉教授。 神奈川県生まれ。法政大学文学部卒業。学部生時代に「山月記」を読んだことがきっかけで中島敦の研究に取り組み始める。卒論指導教官の小田切秀雄の薦めで大学院に進学し、研究者となる。「我を求めて―中島敦による私小説論の試み」で、1974年に群像新人文学賞評論部門を受賞する。2004年、『中島敦の遍歴』でやまなし文学賞を受賞する。法政大学文学部日本文学科教授を務め、『私小説研究』を刊行、2009年3月に退職し、名誉教授となる。 2016年、『私小説千年史 日記文学から近代文学まで』(勉誠出版)により第28回和辻哲郎文化賞(一般部門)を受賞する。
山本 一義(やまもと かずよし、1938年7月22日 - 2… 山本 一義(やまもと かずよし、1938年7月22日 - 2016年9月17日)は、広島県広島市出身のプロ野球選手(外野手)・監督、野球評論家。
山崎 正之(やまざき まさゆき、1938年6月18日 - 1… 山崎 正之(やまざき まさゆき、1938年6月18日 - 1991年11月20日)は、埼玉県出身のプロ野球選手(投手、外野手)。 法政第一高校では、1956年夏の甲子園都予選で準々決勝に進むが、エース並木輝男を擁する日大三高に敗退。卒業後は法政大学へ進学。東京六大学野球リーグでは、4年生時の1960年春季リーグにおいて、1年下の新山彰忠と投の二本柱を組んで優勝を飾り、自身もベストナインに選ばれた。同年の全日本大学野球選手権大会でも、決勝で同志社大のエース山尾孝雄に投げ勝ち、法大の初優勝に貢献。リーグ通算36試合12勝8敗、防御率2.50、87奪三振。同期に捕手の鈴木孝雄、一塁手の田中和男、外野手の山本一義がいる。
西川 清(にしかわ きよし、1938年(昭和13年)6月7日… 西川 清(にしかわ きよし、1938年(昭和13年)6月7日 - 2005年(平成17年)7月9日)は日本の実業家、馬主。東証1部上場企業で駐車場運営・管理の最大手であるパーク24株式会社(資本金55億9,499万6,528円)の創業者。2004年(平成16年)1月からは取締役会長を務めていた。東京府(現・東京都)出身、法政大学第二高校、法政大学経済学部卒業。 1971年(昭和46年)、9年間勤めた会社を退職して独立。モータリゼーションの進展を予感し自動車関連事業を志す。資本金100万円で株式会社ニシカワ商会(パーク24)を設立し、最初に手がけたのは駐車禁止表示看板の販売事業であった。ある日彼は看板の営業に出かけた中華料理店で、無人の駐車場管理を可能にするパークロックシステム(駐車すると地面からロック板が上がってきて車が出られなくなる機械)が設置されているのを見つける。
高貫 亘弘(たかぬき のぶひろ、1938年5月9日 - 19… 高貫 亘弘(たかぬき のぶひろ、1938年5月9日 - 1978年12月1日)は、日本競輪選手会神奈川支部に所属していた競輪選手。 法政大学第二高等学校時代の1955年、全国高等学校総合体育大会自転車競技大会・ミス&アウトレースで優勝。 法政大学時代、1960年のローマオリンピック・4000m団体追抜に出場し10位。 その後、日本競輪学校第15期生として競輪選手となった。 1978年12月1日、入院先の病院で死去。同年12月2日選手登録削除。
野澤 正平(のざわ しょうへい、1938年(昭和13年)4月… 野澤 正平(のざわ しょうへい、1938年(昭和13年)4月3日 - )は、日本の実業家。1997年(平成9年)に廃業した山一證券の最後の社長として知られる。 長野県出身。長野県屋代東高等学校を経て、法政大学経済学部卒業後、山一證券に入社。 1997年(平成9年)7月に山一證券の社長に就任したが、その僅か4ヵ月後の同年11月に廃業に追い込まれた。その記者会見の席で「私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから!」と号泣する野澤の姿は繰り返し報じられた。 山一證券の清算後には日産センチュリー証券社長およびユニコムグループホールディングス取締役副会長を歴任。その後は営業や経営の経験に基づき山一證券出身の企業家等の指導・教育をしているほか、ピーアールコンビナート株式会社が主催する「評判づくり研究会」の運営顧問およびブレーン(マーケティング分野担当)を務めている。
竹田 真砂子(たけだ まさこ、1938年3月21日 - )は… 竹田 真砂子(たけだ まさこ、1938年3月21日 - )は、日本の小説家。本名、川俣昌子。時代小説を得意とする。 東京都神楽坂出身。法政大学文学部教育学科卒。1982年『十六夜に』で第61回オール讀物新人賞、2003年『白春』で第9回中山義秀文学賞、2011年『あとより恋の責めくれば-御家人南畝先生』で第30回新田次郎文学賞を受賞した。また、邦楽を軸にした舞台作品も多く、国立劇場、新橋演舞場、紀尾井ホールなどで上演されている。舞踊詞として作られた「蛍」はその後コンサートホールなどで演奏され、CD「今藤政太郎作品集1」に収録されている。 2007年から2017年まで中山義秀文学賞選考委員を務めた。
石黒 正男(いしぐろ まさお、1938年2月15日 - 20… 石黒 正男(いしぐろ まさお、1938年2月15日 - 2000年8月31日[要出典])は、日本の俳優、声優。東京都出身[要出典]。法政大学中退[要出典]。エム・スリーに所属していた[要出典]。
井口 克己(いぐち かつみ、1938年2月5日 - 2017… 井口 克己(いぐち かつみ、1938年2月5日 - 2017年2月19日)は、日本の詩人。 岡山県生まれ。法政大学大学院博士課程満期退学。法政大学講師。1992年『幻郷鳥獣虫魚譜』で農民文学賞受賞。日本農民文学会議長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
三階 徹(さんがい とおる、1938年 - ?)は、日本の社… 三階 徹(さんがい とおる、1938年 - ?)は、日本の社会学者。 法政大学社会学部社会学科、法政大学大学院社会科学研究科博士課程出身。中京女子大学生涯学習研究所教授。芝田進午の一番弟子。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
吉田 敬一(よしだ けいいち、1938年 - )は日本の工学… 吉田 敬一(よしだ けいいち、1938年 - )は日本の工学者。元静岡大学・日本大学・浜松学院大学教授。専門は情報科学。 1938年(昭和13年)、北海道増毛町に生まれる。1963年(昭和38年)に法政大学工学部電気工学科を卒業し、日本電気(NEC)勤務を経て、静岡大学教授、日本大学教授、浜松学院大学教授を歴任する。1990年(平成2年)に『文脈保存を利用したコンパイラ構文解析部の自動生成の研究』で工学博士(慶應義塾大学)を取得する 。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
こずかた 治(こずかた おさむ、1938年 - 2025年)… こずかた 治(こずかた おさむ、1938年 - 2025年)は、日本の小説家、コピーライター、演出家。岩手県出身。岩手県立大東高等学校、法政大学法学部卒業。作家としては経済小説を主に執筆する。
原田 和夫(はらだ かずお、1937年(昭和12年)11月1… 原田 和夫(はらだ かずお、1937年(昭和12年)11月15日 - )は、日本の銀行家。みちのく銀行頭取を務めた。 秋田県出身。1961年(昭和36年)、当時の弘前相互銀行に入行。 労働組合副委員長、各支店長、企画調整、業務推進部長等を歴任する。また、海外出張は百回を超え特に中国、ロシアには50回以上訪れるなど、精力的な行動力には定評があった。 2000年(平成12年)、増田孝介頭取が健康上の理由で退任したため、副頭取から後任として昇格した。しかし、2005年(平成17年)5月20日に金融庁、東北財務局から業務改善命令と個人情報保護法に基づく勧告措置を受け、5月30日付で原田と大道寺小三郎会長は、引責辞任した上、ほとんどの役員も退任に追い込まれた。