矢来 舞香(やぎ まいか、1999年1月21日 - )は、日… 矢来 舞香(やぎ まいか、1999年1月21日 - )は、日本の競歩選手。 2022年アジア競技大会の混合35kmに出場し、銀メダルを獲得した。2024年日本選手権の35km競歩(高畠競歩)で3位、2025年の日本選手権の35km競歩で4位となった。 2025年世界陸上競技選手権大会の女子35kmに出場予定。 兵庫県宝塚市出身。兵庫県立西宮高等学校、中京大学卒。千葉興業銀行勤務。
川端 魁人(かわばた かいと、1998年8月17日 - )は… 川端 魁人(かわばた かいと、1998年8月17日 - )は、日本の教育者、陸上競技選手である。 中京大学スポーツ科学部に学ぶ。在学中は中京大学陸上競技部の主将を務めた。 大学を出た後は教育者として活躍した[要説明]。 2021年6月、記録によるランキングで東京五輪出場を目指すトライアルとして設定された日本グランプリシリーズ第8回木南道孝記念大会の混合1600メートルリレーに日本チームのアンカーとして出場、日本新記録を樹立した。 2021年7月2日、東京オリンピック代表内定が発表された。 2021年8月の東京オリンピックでは男子マイルリレーに出場。予選2組で第2走者を務めた。日本は組で5着、予選総合10位(3分00秒76)という成績(日本タイ記録)を残した。
瀬古 優斗(せこ ゆうと、1998年3月16日 - )は、日… 瀬古 優斗(せこ ゆうと、1998年3月16日 - )は、日本の陸上選手。走高跳を専門とする。 2024年アジア室内陸上競技選手権大会において2.19mを記録し銀メダルを獲得した。 2025年のAthlete Night Gamesにおいて日本歴代2位タイとなる2.33mの記録を出し世界選手権参加標準を突破した。同年の世界陸上に出場し、決勝で2.20mの記録を出し10位となった。 滋賀県大津市出身。大津市立瀬田北中学校、滋賀県立草津東高等学校、中京大学卒。2026年3月までFAAS所属。2026年4月よりヤマダホールディングス所属。 競技ではいつもメガネを着用しているため「メガネジャンパー」という名で話題になっている。
園田 世玲奈(そのだ せれな、1996年9月10日 - )は… 園田 世玲奈(そのだ せれな、1996年9月10日 - )は、日本の元競歩選手。 滋賀県出身。大津市立田上中学校、滋賀県立草津東高等学校、中京大学卒。NTN所属。 2022年世界陸上競技選手権大会と2023年世界陸上競技選手権大会の35km競歩に出場した。2022年の日本選手権(全日本競歩輪島)で優勝している。 2025年5月に開催された中部実業団対抗大会で競技引退した。
中村 麻衣(なかむら まい、1993年12月9日- )<旧姓… 中村 麻衣(なかむら まい、1993年12月9日- )<旧姓:荘司>は、日本の元陸上競技選手。長距離走。中京大学卒業。愛知県瀬戸市出身。 2020年にデンソーからユニクロに移籍した。結婚を機に2022年秋から現姓で出場していた。2024年3月10日に行われた名古屋シティハーフマラソンをもって引退。
神野 大地(かみの だいち、1993年9月13日 - )は、… 神野 大地(かみの だいち、1993年9月13日 - )は、愛知県津島市出身の陸上競技選手・指導者、スポーツ解説者、YouTuber。専門は駅伝競走・長距離走・マラソン。中京大学附属中京高等学校、青山学院大学総合文化政策学部総合文化政策学科、各卒業。 2015年正月開催の箱根駅伝競走では、往路・第5区の山登り区間において区間新記録(当時)を打ち立て、「三代目山の神」「山の神野」とも呼ばれた。大学卒業後は、実業団(コニカミノルタ)→プロランナー(セルソース)を経て、現在はプレイングマネージャー(選手兼任監督・M&Aベストパートナーズ所属)として活動中。 2025年6月26日木曜日ジストニアの手術を受けた。
清田 真央(きよた まお、1993年9月12日 - )は、日… 清田 真央(きよた まお、1993年9月12日 - )は、日本の陸上選手(専門は長距離走・マラソン)。スズキアスリートクラブに所属中。 愛知県田原市(旧・渥美郡渥美町)出身。2006年4月、田原市立福江中学校入学。同中学卒業後の2009年4月、中京大学附属中京高等学校入学。 小学校時代に友人と陸上クラブに入ったのを機に、陸上競技を始める。中学3年生時には愛知駅伝で田原市の中学女子代表として出場、2.9Kmの距離の区間賞を獲得。 高校生時は、のちに第91回箱根駅伝競走(2015年1月)で「三代目山の神」と言われ、青山学院大学3年生時に5区の山登りで区間新記録を達成した神野大地(現・プロランナー)とは同期生で、かつ同高校の陸上部に所属していた。
湯上 剛輝(ゆがみ まさてる、1993年4月14日 - )は… 湯上 剛輝(ゆがみ まさてる、1993年4月14日 - )は、滋賀県甲賀市出身の男子陸上競技選手。専門は円盤投。自己ベストは65m38(日本記録・世界ろう記録)。身長183cm。 生まれて間もなく先天性難聴と診断され、小学6年時に人工内耳の埋め込み手術を受ける。滋賀県立守山高等学校で陸上競技の投てき種目を始め、中京大学時代に円盤投げで頭角を現す。 トヨタ自動車入社後、2017年のサムスンデフリンピックで代表入り。55m58で銀メダルを獲得した。 2018年6月の第102回日本陸上競技選手権大会円盤投の3投目で、日本人として史上初めての61メートル台となる61m02の日本新記録を樹立、さらに4投目で62m03、5投目でも62m16と立て続けに日本記録を更新した。
山本 聖途(やまもと せいと、1992年3月11日 - )は… 山本 聖途(やまもと せいと、1992年3月11日 - )は、日本の陸上競技選手、専門は棒高跳。ロンドンオリンピック日本代表、リオデジャネイロオリンピック代表。2012年から2013年にかけて男子棒高跳の学生記録を続けて更新した。2013年世界陸上モスクワ大会男子棒高跳6位入賞、2018年アジア競技大会棒高跳で金メダル。 元短距離選手の父・久義と元跳躍選手の母の間に三男として生まれる。父は100m10秒47の記録を保持しており、「オリンピックの聖火台に向かって一途に頑張れ」という意味を込めた聖途という名前の名付け親でもある。次兄も400mHで全国入賞の経験がある。 小学校時代から中学2年まではサッカーをしていたが、進学先の岡崎市立岩津中学校にサッカー部がなかったため陸上部に入部する。
安部 孝駿(あべ たかとし、1991年11月12日 - )は… 安部 孝駿(あべ たかとし、1991年11月12日 - )は岡山県岡山市出身の元陸上競技選手。中京大学体育学部卒業、ヤマダホールディングス所属。専門はハードル走。 岡山市立箕島小学校6年の時から陸上競技を始めた。倉敷ジュニア陸上クラブに所属したが、ソフトボールチームにも所属していたので、毎週必ず練習や試合に行くというわけではなかった。 岡山市立妹尾中学校に進学してから本格的に陸上競技を始め、短距離・長距離・ハードルなど色々な種目を経験した。 2007年に岡山県立玉野光南高等学校へ進学してからハードルを専門とした。同年10月、国体の少年B110mハードルで3位入賞を果たした。 2年になってから400mハードルでも頭角を現し、インターハイでは400mハードルで3位、110mハードルで6位になり、2種目で入賞を果たした。
市川 華菜(いちかわ かな、1991年1月14日 - )は、… 市川 華菜(いちかわ かな、1991年1月14日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は短距離。 愛知県豊田市出身。豊田市立豊南中学校、岡崎城西高等学校、中京大学を経て、ミズノ所属。 中学時代に陸上競技を始め、高校3年時には高校総体で女子100m7位、同200m4位に入るなどそれなりの好成績をあげてはいたが、当時は本人曰く「ダイエットを兼ねての部活」程度の意識であったという。 ←打ち消し線(2023年6月にご本人様が訂正) 2009年に中京大学に進学すると、同大陸上部の青戸慎司コーチの指導の下急成長を遂げ、同年の第93回日本陸上競技選手権大会において女子200mで決勝進出(決勝8位)。2010年には世界ジュニア陸上競技選手権大会の日本代表に選ばれ、女子200mで日本人初となる決勝進出を果たす(決勝8位)。
中村 明彦(なかむら あきひこ、1990年10月23日 - … 中村 明彦(なかむら あきひこ、1990年10月23日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は十種競技、現在日本歴代2位。ロンドンオリンピック代表、リオデジャネイロオリンピック代表。
山城 美貴(やましろ みき、1986年6月19日 ‐ )は、… 山城 美貴(やましろ みき、1986年6月19日 ‐ )は、日本の陸上競技選手。専門はハンマー投、円盤投。沖縄県久米島町出身。沖縄県立中部商業高等学校、中京大学卒業。プロバスケットボール選手の山城吉超は実兄。 2004年、日本ジュニア選手権で日本高校新記録を樹立して優勝。 高校卒業後、中京大学体育学部に進学し、室伏重信中京大学教授に指導を受ける。 2005年、ハンマー投で日本ジュニア新記録を樹立した。 2007年、日本選手権で綾真澄に次ぐ2位に入る。綾が世界選手権代表に決定したため、世界選手権代表は逃したが、綾が辞退したアジア選手権への出場権を獲得した。本大会では、ハンマー投に出場して4位に入賞する健闘を見せた。
土井 宏昭(どい ひろあき、1978年12月2日 - )は、… 土井 宏昭(どい ひろあき、1978年12月2日 - )は、日本の陸上競技選手。専門はハンマー投。大阪世界選手権日本代表。釜山アジア大会ハンマー投げ銀メダリスト、ドーハアジア大会ハンマー投げ銅メダリスト。千葉県印西市出身。身長180cm、体重113kg。 本埜中学校、東京学館総合技術高等学校、中京大学体育学部卒業。2003年4月にファイテン株式会社に入社。その後2008年12月31日付でファイテン陸上部が廃部になり、チームミズノアスレティックを経て、千葉陸上競技協会に所属。2011年シーズンはITカンファー投擲部所属。。2012年4月より流通経済大学に職員として勤務。 2000年から日本インカレ3連覇。
中田 有紀(なかた ゆき、1977年3月10日 - )は京都… 中田 有紀(なかた ゆき、1977年3月10日 - )は京都府出身の日本の陸上競技選手。七種競技および五種競技日本記録保持者。中京大学大学院、日本保育サービス所属。2004年のアテネオリンピックでは五輪の七種競技史上初の日本人選手として出場。2002年~2009年の日本選手権では七種競技で8連覇を果たす。身長167cm。愛称は「カメ」。
室伏 由佳(むろふし ゆか、1977年〈昭和52年〉2月11… 室伏 由佳(むろふし ゆか、1977年〈昭和52年〉2月11日 - )は、日本の元陸上競技選手、大学教員。女子ハンマー投の日本歴代2位記録保持者。 日本選手権で円盤投げ:優勝12回、ハンマー投:優勝5回。父はアジアの鉄人室伏重信、兄は2004年アテネオリンピック金メダリスト室伏広治。 愛知県豊田市出身。2004年アテネオリンピックハンマー投げ 金メダリストの室伏広治の実妹。豊田市立東保見小学校、豊田市立西保見小学校(新設のため校区変更により自動転校)、豊田市立保見中学校、名古屋経済大学市邨高等学校、中京大学を経て、現在はミズノ所属。 円盤投を専門とし、名経大市邨高校から中京大学に進むと、日本インカレを4連覇(1995年-1998年)、日本学生選手権を2連覇(1997年-1998年)するなど、学生・ジュニアのタイトルを次々に獲得した。
室伏 広治(むろふし こうじ、Koji Murofushi、… 室伏 広治(むろふし こうじ、Koji Murofushi、1974年〈昭和49年〉10月8日 - )は、日本のハンマー投選手、スポーツ科学者、陸上競技指導者。スポーツ庁長官(第2代)、東京科学大学教授・副学長。 2004年アテネオリンピックハンマー投金メダリスト。陸上・投擲種目で金メダルを獲得したのはアジア人史上初の快挙。ハンマー投のアジア記録・日本記録保持者。日本選手権で前人未到の20連覇を達成している。父親の室伏重信もアジア大会5連覇、日本選手権10連覇している。 1984年に室伏重信がハンマー投の日本記録をマークして以来、重信から広治へと室伏親子が日本記録を保持し続けている(重信は広治に次ぐ日本歴代2位の75m96)。
杉本 龍勇(すぎもと たつお、 1970年11月25日 - … 杉本 龍勇(すぎもと たつお、 1970年11月25日 - )は、日本の陸上競技選手、サッカー指導者(フィジカルコーチ)。静岡県沼津市出身。血液型はO型。静岡県立浜松北高等学校、法政大学(卒業後、ドイツ留学)、中京大学大学院博士課程修了。 現在は法政大学経済学部教授を務める。 182cm、80kgと恵まれた体型から、日本人離れしたパワータイプのスプリンターであった。 インターハイ、インカレの実績ですでに日本のトップスプリンターの1人であったが、日本選手権のタイトルや日本記録はならず、また、25歳を越してから活躍が乏しく、オリンピック代表も22歳でのバルセロナに終わった。バルセロナでは4×100mリレーのアンカーとして、日本の戦後初のオリンピックでのリレー種目決勝進出に貢献。
竹井 秀行(たけい ひでゆき、1970年11月19日 - )… 竹井 秀行(たけい ひでゆき、1970年11月19日 - )は、日本の元棒高跳選手。1991年と1995年のアジア陸上競技選手権大会で2度優勝している。1991年世界陸上競技選手権大会に日本代表で出場し、1992年IAAFワールドカップにアジア代表で出場した。 国内においては1995年に国民体育大会で優勝し、日本陸上競技選手権大会で2度優勝している。 田原本町立田原本中学校、興誠高等学校(現在の浜松学院興誠高等学校)、中京大学卒。ミキハウスに所属していた。
鈴木 久嗣(すずき ひさつぐ、 1970年- )は、日本の陸… 鈴木 久嗣(すずき ひさつぐ、 1970年- )は、日本の陸上競技選手。愛知県知立市出身。知立市立竜北中学校、中京大中京高校、中京大学卒業。 中学時代には全日本中学校選手権の 走り幅跳びで優勝している。またジュニア・オリッピックにおいても7m15cmの大会タイ記録を樹立し優勝を果たした。中学3年生時、走り幅跳びに出場した全ての大会において優勝している。 当初は走り幅跳びの選手だったが、高校入学後に100mに転向した。1986年、高校1年生のみで開催された1年生大会に於いてリレーの名門・名古屋学院に僅差で敗れはしたものの、他校のアンカー4人を抜き2位でゴールした走力を持ち、そのレースから短距離にのめり込んで行った。
笠原 隆弘(かさはら たかひろ、1967年7月31日 - )… 笠原 隆弘(かさはら たかひろ、1967年7月31日 - )は、日本の短距離走選手である。1988年ソウルオリンピック日本代表選手。 三重高等学校時代の1985年に、100メートルで手動計時10秒6を出す。 中京大学に進学し、1988年の第72回日本陸上競技選手権大会の100メートルに10秒60で優勝した。同年のソウルオリンピックには男子100メートルと400メートルリレーに出場した。同じ中京大学に所属していた青戸慎司も揃って代表となっている。
青戸 慎司(あおと しんじ、1967年5月7日 - )は、和… 青戸 慎司(あおと しんじ、1967年5月7日 - )は、和歌山県和歌山市出身の陸上競技(短距離)・ボブスレー選手、スポーツ指導者。スポーツコメンテーター、中京大学スポーツ振興部課長、スポーツ科学部非常勤講師、体育会陸上競技部副部長を務める。男子100メートル競走の元日本記録保持者である。2012年早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程で修士(スポーツ科学)を修了。大学院では平田竹男教授(内閣官房参与、東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部事務局長)の指導を受ける。平田研究室7期生には三浦俊也や瀧本誠、大橋未歩などがいる。修士論文の題目は「小学校授業におけるかけっこ指導法の改善に関する研究」。
原 晋(はら すすむ、1967年〈昭和42年〉3月8日 - … 原 晋(はら すすむ、1967年〈昭和42年〉3月8日 - )は、日本の陸上競技指導者、大学教員、タレント、コメンテーター、評論家、スポーツ解説者、コンサルタント、パネリスト、司会者、元陸上競技選手、元中国電力営業職員。妻は青学大町田寮・寮母の原美穂。 青山学院大学陸上競技部・男子長距離ブロック監督、青山学院大学相模原キャンパス・地球社会共生学部・地球社会共生学科教授、関東学生陸上競技連盟・駅伝対策委員長、GMOアスリーツ・EKIDENダイレクター、三原市・ふるさと大使、埼玉医科大学・客員教授、スポーツ産業化推進議員連盟・アドバイザリーボード、アディダス・キャンペーンアンバサダー、プロ・フィッツ名誉監督、HLBスポーツ・顧問、バディ企画研究所・社外取締役、アスリートキャリアセンター・会長(三重県桑名市と連携協定)、日本トライアスロン連合・理事、ジョリーグッド・社外取締役、神奈川県相模原市・スポーツ宣伝大臣、熊本県球磨郡水上村・アドバイザー、タスキホールディングス・PR大使、鈴廣かまぼこ・魚肉たんぱく戦略アドバイザー、ユニクロ女子陸上部・スペシャルアドバイザー、東北高等学校・教育アドバイザー、株式会社RUNDY・アドバイザー、RUNDY Athlete Club・クラブアドバイザー。
松井 江美(まつい えみ、1963年2月20日 - )は、日… 松井 江美(まつい えみ、1963年2月20日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門はやり投。オリンピックの日本代表に3度選ばれた(出場は2回)。2017年時点での氏名は藤本 江美(ふじもと えみ)。 高校時代の1980年、5月31日の8か国大会代表選考会に高校新記録で優勝。この年、日本が不参加となった1980年モスクワオリンピックの日本代表に選ばれる。母校の岡山県美作高等学校には、松井のオリンピック代表選出記念碑が建立されている。全国高等学校総合体育大会陸上競技大会(インターハイ)では、1979年と1980年に連覇を達成した。 中京大学に進み、卒業後は中京大職員を経て大京に就職する。この時期、日本陸上競技選手権大会では、1981年(第65回)から1984年(第59回)までと、1986年(第61回)から1988年(第63回)まで、1990年(第65回)の合計8回、優勝を達成した。
本田 陽(ほんだ よう、1959年4月29日 - 2018年… 本田 陽(ほんだ よう、1959年4月29日 - 2018年10月2日)は、日本の陸上競技解説者・陸上競技選手・体育学者。中京大学 スポーツ科学部競技スポーツ科学科准教授。 西和中3年時に、第1回全日本中学校陸上競技選手権大会において三種競技B優勝。なお三種競技はこの年度より発足。 静岡・浜松北高を経て慶大に進学。1980年に西ドイツ(当時)・マインツ大に留学してコーチングを学ぶ。1997年に中京大に赴任。1998年から陸上部コーチを務め、2006年監督に就任する。 中田有紀、桐山智衣、中村明彦らのコーチとして指導。
高橋 卓巳(たかはし ともみ、1956年1月29日 - )は… 高橋 卓巳(たかはし ともみ、1956年1月29日 - )は、日本の男子陸上競技(棒高跳)選手。名前については、現役時代のマスコミ報道で「高橋卓己」と表記されていた例が複数あり、2015年の時点でもそのように表記されていた。 香川県三豊郡大野原町(現:観音寺市)出身。香川県立三豊工業高等学校3年時の1973年、全国高等学校総合体育大会陸上競技大会(インターハイ)の棒高跳で準優勝。この時の優勝者は、同じ高校の1学年後輩である木川泰弘だった。 中京大学卒業後は香川県教職員となる。1978年、日本陸上競技選手権大会で初優勝。バンコクアジア大会棒高跳に出場し、5メートル (m)10で金メダルを獲得。 1980年、日本選手権で2年ぶり2回目の優勝。
吉本 敏寿(よしもと としひさ、1953年7月 - )は、日… 吉本 敏寿(よしもと としひさ、1953年7月 - )は、日本の陸上競技選手。専門は跳躍競技。 広島県佐伯郡能美町(現在の江田島市能美町)出身。能美中学校から山陽高等学校、中京大学に進み、1975年にアジア陸上競技選手権大会(ソウル)で三段跳金メダル(15m87)。大学在学中には、走幅跳で7m61の記録も残している。 山陽高等学校に教員として勤める。 1980年、第14回織田幹雄記念国際陸上競技大会の走幅跳で7m98の記録を出す。1980年モスクワオリンピックで代表選手に選ばれたが、日本のボイコットにより不参加となった。
川崎 清貴(かわさき きよたか、1950年7月11日 - )… 川崎 清貴(かわさき きよたか、1950年7月11日 - )は、日本の陸上競技選手。男子円盤投元日本記録保持者。中京大学体育学部卒業。身長198cm、体重100kg。 日本選手権6回優勝。日本記録を6回更新した選手で、1979年4月22日に出した60m22cmは、2017年まで陸上競技最古の日本記録として残っていた。 広島県呉市出身。広島県立広高等学校~中京大学卒業。中京大時代の1970年からインカレ3連覇。大学卒業後は大昭和製紙に入社し活躍。1973年から日本選手権2連覇。 1974年には梁川昌三が樹立した52m22の日本記録を10年ぶりに更新する52m86の日本新記録をマーク。1975年、53m18の日本新記録を樹立。
宮本 悦子(みやもと えつこ、1943年8月23日 - )は… 宮本 悦子(みやもと えつこ、1943年8月23日 - )は、日本の陸上競技(短距離走)選手。1964年東京オリンピックで女子400メートルリレー走に出場した。 出身高校は西遠女子学園高等学校(静岡県浜松市)。同校は「陸上の西遠」の名で呼ばれた陸上競技の強豪校であった。1961年のインターハイでは、100m走と200m走で優勝した。 中京大学に進学。1964年5月10日の神奈川県選手権大会の100m走で11秒8(手動計時)を記録、これは当時の日本学生記録であり、また生涯ベストタイムとなっている。1964年7月の日本陸上競技選手権大会では100m走で優勝。同年10月に開催された1964年東京オリンピックでは、400mリレー(井口任子・江副令子・宮本悦子・依田郁子)の第三走者を務めたが、予選突破はかなわなかった。
安田 矩明(やすだ のりあき、1935年12月11日 - 2… 安田 矩明(やすだ のりあき、1935年12月11日 - 2004年4月16日)は、日本の陸上競技選手・指導者・研究者、新聞記者。専門は棒高跳で元・日本記録保持者。中京大学名誉教授。日本統治時代の台湾生まれ、鳥取県出身。 安田の現役時代は棒高跳のポールの進化が続いていた頃であり、竹、スチール、グラスファイバーの3種を手に競技を行った。 1935年(昭和10年)12月11日、日本統治下の台湾の台北県樹林鎮(現・新北市樹林区)に安田家7人兄弟の5番目として生まれた。当時の樹林は台北市の郊外にある田舎町であり、父は台湾で国民学校の校長を務め、自宅は学校の裏にあった。高いところに登るのが好きで、2歳の頃に学校の樋を伝って10 mほどの高さの屋根まで登り、母をひやひやさせた経験があるという。
綾 真澄 は、日本の陸上競技選手。元ハンマー投日本記録保持者… 綾 真澄 は、日本の陸上競技選手。元ハンマー投日本記録保持者。2001年世界陸上選手権エドモントン大会、世界陸上競技選手権大会パリ大会および世界陸上競技選手権大会大阪大会女子ハンマー投日本代表。アジア陸上競技選手権大会神戸大会女子ハンマー投金メダリスト。香川県出身。
林 香代子(はやし かよこ)は、日本の陸上競技選手、砲丸投選… 林 香代子(はやし かよこ)は、日本の陸上競技選手、砲丸投選手。 日本人女子としてはじめて16メートルプットを達成。日本陸上競技選手権大会10連覇を達成するなど、1970年代を代表する名選手として知られた。 長洲町立長洲中学校時代の1967年、中学女子用で16m16の大記録を樹立して注目を集めた。熊本県立熊本工業高等学校時代も14m43をマーク。インターハイ3連覇(広島、群馬、和歌山)、2、3年次は砲丸投げ・円盤投げの2冠王。その後、中京大学、熊本陸上競技協会に所属。熊本県立熊本高等学校、熊本県立大津産業高等学校では教師を務めた。日本陸上競技選手権大会では、砲丸投で昭和47年(1972年)第56回大会から昭和56年(1981年)第65回大会まで10連覇を達成した[リンク切れ]。