井口泰泉(いぐち たいせん、1951年- )は、日本の生物化… 井口泰泉(いぐち たいせん、1951年- )は、日本の生物化学者、基礎生物学研究所名誉教授。 岡山県生まれ。1974年岡山大学理学部生物学科卒、76年同大学院理学研究科修士課程修了、1981年「出生直後の雄性ホルモン処理によるマウス膣上皮の不可逆的変化に関する研究」で東京大学理学博士。1986年横浜市立大学文理学部助手、87年助教授、92年教授、2000年岡崎国立共同研究機構綜合バイオサイエンスセンター教授、2015年横浜市立大学生命ナノシステム科学研究科(八景キャンパス) 特任教授。2000年基礎生物学研究所教授(併任)、2016年基礎生物学研究所名誉教授。 環境ホルモンの研究で知られる。
河野 重行(かわの しげゆき、1951年 - )は、日本の生… 河野 重行(かわの しげゆき、1951年 - )は、日本の生物学者。東京大学名誉教授。日本植物形態学会会長や、日本メンデル協会会長を務めた。 埼玉県生まれ。1975年岡山大学理学部卒業。1977年岡山大学大学院理学研究科生物学専攻修士課程修了。1982年東京都立大学理学博士。基礎生物学研究所技官、基礎生物学研究所助手を経て、1988年東京大学理学部助手。1991年東京大学理学部助教授。1999年東京大学大学院新領域創成科学研究科教授。2002年日本植物形態学会会長。2016年日本植物形態学会会長。2017年東京大学名誉教授、日本メンデル協会会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
濱田 博司(はまだ ひろし、1950年7月15日 - )は、… 濱田 博司(はまだ ひろし、1950年7月15日 - )は、日本の分子生物学者、医学者。大阪大学特別教授、大阪大学生命機能研究科生命機能専攻教授、哺乳動物胚発生の遺伝子支配についての研究を専門とする。文部科学省科学研究費補助金「新学術領域研究」 シリア・中心体系による生体情報フローの制御研究代表者。 香川県善通寺市出身。香川県立丸亀高等学校を経て、1975年に岡山大学医学部医学科を卒業後、1979年に同大学院医学研究科博士課程(微生物学専攻)を修了。以後、アメリカ国立衛生研究所、アメリカ国立がん研究所、ニューファンドランドメモリアル大学、東京大学助教授、東京都臨床医学総合研究所化学療法部部長を経て、1995年より大阪大学細胞生体工学センター 教授、2002年より現職。
斎藤 恵子(さいとう けいこ、1950年2月20日 - )は… 斎藤 恵子(さいとう けいこ、1950年2月20日 - )は、日本の詩人・エッセイスト。詩誌「火片」「どぅるかまら」同人。 岡山県岡山市の生まれ。岡山県立岡山操山高校を経て、岡山大学法文学部史学科卒業。企業勤めを経て2008年から2014年まで私立高校講師。日本文藝家協会会員、日本現代詩人会会員、日本詩人クラブ会員。岡山県詩人協会会員。 2009年、詩集『無月となのはな』(思潮社、2008年)にて第50回晩翠賞、第19回日本詩人クラブ新人賞を受賞。岡山市文化奨励賞、岡山芸術文化賞グランプリなど受賞。
玉井 金五(たまい きんご、1950年2月5日 - )は、日… 玉井 金五(たまい きんご、1950年2月5日 - )は、日本の経済学者、社会政策学者。大阪市立大学名誉教授、愛知学院大学経済学部教授。専攻は社会政策。元社会政策学会代表幹事。 三重県立津高等学校の卒業生であり、2012年7月26日には同校で「少子高齢化と日本経済」の演題で講演している。また大阪三重県人会で顧問を務めている。
森田 潔(もりた きよし、1949年12月24日 - )は、… 森田 潔(もりた きよし、1949年12月24日 - )は、日本の研究者、教育者、医師(麻酔科医)、医学博士。2011年4月 - 2017年3月まで岡山大学第13代学長を務めた。岡山大学名誉教授。 専攻は医学(特に麻酔科学、蘇生学など)。岡山県倉敷市出身。
則次 俊郎(のりつぐ としろう、1949年〈昭和24年〉10… 則次 俊郎(のりつぐ としろう、1949年〈昭和24年〉10月19日 - )は、日本の研究者・教育者。京都大学工学博士、岡山大学と津山工業高等専門学校の名誉教授。制御工学やロボット工学を専門とし、空気圧アクチュエータの制御で実績がある。岡山大学病院と連携して空気圧ゴム人工筋(英語版)を応用したパワーアシストウェアも開発。岡山市や津山市を中心とした産学連携も推進した。岡山大学、同大学院修士課程出身。津山工業高等専門学校助教授、岡山大学教授、同地域共同研究センター長、同大学院自然科学研究科長、津山工業高等専門学校長、美作大学特任教授、地域生活科学研究所長を歴任。 1949年生まれ。1972年に岡山大学工学部生産機械工学科を卒業し、同大学院工学研究科生産機械工学専攻修士課程に進学。
伊賀 章(いが あきら、1949年(昭和24年)1月5日- … 伊賀 章(いが あきら、1949年(昭和24年)1月5日- 2017年(平成29年))は、研究者、実業家である。ソニー入社後、非接触カード(FeliCa)フェリカを開発した。FeliCaは、iD決済やSuicaやPASMO等の交通系決済へ多く採用されている。入退場管理や公共交通機関のチケットをICカード化しデジタル化した。岡山県高梁市出身の技術者。 1949年(昭和24年)岡山県上房郡有漢町(現:高梁市)で出生する。1964年(昭和39年)に地元の岡山県立高梁高等学校へ入学する。同期には、東芝副社長を務めた田井一郎、岡山大学医学部教授になる三村哲重がいる。卒業後、1967年(昭和42年)関西大学工学部に入学し、1971年(昭和46年)同大学電子工学科を卒業、すぐに北辰電機製作所(現:横河電機)へ入社する。
藤森 文雄 (ふじもり ふみお、1949年1月5日 - )は… 藤森 文雄 (ふじもり ふみお、1949年1月5日 - )は、日本の技術者、実業家。アイシン精機代表取締役社長や、同社代表取締役副会長を務めた。藍綬褒章受章。 三重県出身。1971年岡山大学工学部機械工学科卒業、アイシン精機入社。一貫して現場での製品開発を担当し、1994年技術企画室副室長に就任。1997年取締役第一開発部長。2005年取締役副社長。2009年から代表取締役社長を務め、中国に開発拠点の設置を行うなどした。2012年秋の叙勲で藍綬褒章受章。2015年豊田幹司郎代表取締役会長の下、アイシン精機代表取締役副会長に就任。
三村 哲重(みむら てつしげ、1949年(昭和24年)1月4… 三村 哲重(みむら てつしげ、1949年(昭和24年)1月4日 - )は、日本の医学者であり、教育者でもある。済生会西条病院、国立がん研究センターで研修を経て、岡山済生会総合病院に勤務。岡山大学医学部教授、日本肝胆膵外科学会の高度技能指導医となる。岡山県出身。 1949年(昭和24年)岡山県に生れる。その後、1964年(昭和39年)岡山県立高梁高等学校へ進学する。同期には、ソニー常務取締役となるFeliCaを開発した伊賀章、東芝副社長を務めた田井一郎がいる。1967年(昭和42年)同校を卒業する。同年、岡山大学医学部へ進学し、1973年(昭和48年)同大学を卒業する。 岡大医学部を卒業後、岡山済生会総合病院外科で研修医として勤務する。
平井 義一(ひらい よしかず、1949年 - )は日本の医学… 平井 義一(ひらい よしかず、1949年 - )は日本の医学者。主な専門は細菌学、臨床微生物学、感染制御学。自治医科大学医学部感染・免疫学講座主任教授、自治医科大学附属病院臨床感染症センター長。 細菌学を中心に幅広い研究活動を行い、特に院内感染防止などの感染制御研究の第一人者として有名である[要出典]。自治医科大学附属病院臨床感染症センターを設立し、実践的な感染制御研究および教育に従事している。その業績において医師の高度専門教育ならびに感染制御の第一線で活躍するインフェクションコントロールドクターの資格講習会講師なども多数行っている。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
田井 一郎(たい いちろう、1948年(昭和23年)11月1… 田井 一郎(たい いちろう、1948年(昭和23年)11月16日 - )は、日本の実業家、元東芝取締役代表執行役・副社長。岡山県高梁市出身。先端技術学生論文表彰の審査委員を務める。 1948年(昭和23年)岡山県高梁市に生まれる。その後、地元の岡山県立高梁高等学校へ進学し、同期には、ソニー常務取締役となるFeliCaを開発した伊賀章、岡山大学医学部教授になる三村哲重がいる。その後、東京大学へ入学。元JR北海道社長の小池明夫や弁護士の濱田俊郎は、高梁高校から東京大学へ進学した2歳年上の先輩として深い親交があった。東京大学工学部を卒業後、同大学工学系研究科原子力工学専攻を経て東芝へ入社した。大学での研究は、原子力高速炉の計測装置の開発である。
橋本 俊明(はしもと としあき、1948年9月27日 - )… 橋本 俊明(はしもと としあき、1948年9月27日 - )は、日本の医師、実業家である。 岡山県岡山市で生まれる。1973年に岡山大学医学部を卒業、岡山大学医学部第一外科医局を経て、消化器専門の外科医として1981年に橋本胃腸科外科医院(現・岡山光南病院)を開業。1991年に病院の後方施設としてリハビリ主体の老人保健施設を始め、1994年に医療法人自由会を設立した後、1995年にケアハウス、グループホームを始めた。 1997年に株式会社メッセージを設立。2000年から施行された介護保険制度で、今まで相部屋だったグループホームが補助対象から外れたことを機に、介護付有料老人ホーム「アミーユ」を展開して急成長し、2004年4月にジャスダック上場を果たした。
槇野 博史(まきの ひろふみ、1948年7月29日 - )は… 槇野 博史(まきの ひろふみ、1948年7月29日 - )は、日本の医学者、教育者、医師(内科医)、医学博士、岡山大学教授で、第14代岡山大学学長(任期:2017年4月1日から6年間)を務めた。岡山大学名誉教授。 専攻は内科学(特に腎、免疫、内分泌)。岡山県岡山市北区出身。
大森 青児(おおもり せいじ、1948年 - )は、日本のテ… 大森 青児(おおもり せいじ、1948年 - )は、日本のテレビドラマ演出家。映画監督。 岡山県岡山市出身。同志社大学を卒業し、1972年にNHK入社。2006年に退職後、(株)花三代表取締役就任。 2010年には役者育成の「艸星塾」(そうせいじゅく)を立ち上げた(代表)。
勢田 勝郭(せた かつひろ、1948年〈昭和23年〉 - )… 勢田 勝郭(せた かつひろ、1948年〈昭和23年〉 - )は、中世日本文学を専門とする日本の研究者、教育者。博士(文学)。奈良工業高等専門学校名誉教授。和歌・連歌・俳諧の検索システム「Keiko」を開発し、データベースは国際日本文化研究センターに寄贈されている。連歌研究にコンピュータを応用した先駆者であり、著書に『連歌の新研究』がある。奈良工業高等専門学校では将棋部を強豪として育てるとともに、2007年から2011年までロボコンプロジェクトの指導教員を務め、NHK高専ロボコンにおける同校の躍進を支えた。和歌山県橋本市の前田邸所蔵資料の調査研究も進め、橋本市文化財保護審議会委員や講演会講師、施設紹介でも活動した。
熊野 實 (くまの みのる、1948年 - 2021年9月1… 熊野 實 (くまの みのる、1948年 - 2021年9月10日)は、日本の実業家。香川県高松市塩江町(旧香川郡塩江町)出身。株式会社カマタマーレ讃岐の設立者であり、同クラブの代表取締役会長である。 1972年、岡山大学を卒業し高松市役所に入庁。大学時代にサッカーに魅せられ、市役所のサッカーチームでプレーしながら少年サッカーの指導に当たった。市民部長と総務部長を計6年務め、定年1年前となる2007年に市役所を退職した。 2008年1月に山下憲一や住谷幸伸と共に4,000万円を出資して当時NPO法人であったカマタマーレ讃岐を株式会社化し、自ら代表取締役社長に就任した。2011年1月、社長を退任し代表取締役会長に就任。
長岡 哲次(ながおか てつじ、1947年7月26日 - 20… 長岡 哲次(ながおか てつじ、1947年7月26日 - 2011年2月6日)は、日本の元裁判官。東京高等裁判所部総括判事(第12刑事部)で依願退官。主に刑事裁判を担当。岡山大学卒業。岡山県出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
川田 稔(かわだ みのる、1947年(昭和22年)6月21日… 川田 稔(かわだ みのる、1947年(昭和22年)6月21日 - )は、日本の歴史学者・政治学者。名古屋大学名誉教授、前日本福祉大学教授。専攻は、政治外交史・政治思想史。 近代日本の政治外交史、政治思想史を専門とし、原敬・濱口雄幸・山縣有朋など主に大正期の政治家・政党政治家や永田鉄山をはじめとする昭和陸軍を中心に研究を行っている。また、民俗学者として知られる柳田國男を政治思想史的観点から研究している。2012年、『昭和陸軍の軌跡』で第21回山本七平賞受賞。 高知県生まれ。1971年岡山大学法文学部卒業、1978年名古屋大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学、1987年法学博士(名古屋大学)(学位論文「柳田国男の思想史的研究」)。
山野 明男(やまの あきお、1947年 - )は、日本の地理… 山野 明男(やまの あきお、1947年 - )は、日本の地理学者、博士(岡山大学)。愛知学院大学教授。 香川県丸亀市生まれ。1969年駒澤大学文学部地理学科卒業。1974年駒澤大学大学院人文科学研究科地理学専攻博士課程満期退学。同年、名古屋市立高等学校教諭。1993年愛知学院短期大学助教授を経て1998年同教授に就任。2005年岡山大学大学院文化科学研究科博士課程修了(文学)。同年、愛知学院大学教授。日本うどん学会理事などを歴任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
高原 亮治(たかはら りょうじ、1947年 - 2013年7… 高原 亮治(たかはら りょうじ、1947年 - 2013年7月18日)は、日本の厚生労働技官、医師。防衛庁参事官等を経て、厚生労働省健康局長を最後に退官し、上智大学総合人間科学部教授、日本医療機能評価機構副理事長、厚生労働統計協会会長などを務めた。位階は正四位。瑞宝中綬章。 岡山県玉野市出身。岡山県立玉野高等学校を経て、1972年岡山大学医学部医学科卒業。1976年厚生省入省。1980年テキサス大学大学院公衆衛生大学院修士課程修了、公衆衛生学修士。厚生省大臣官房企画官、国民医療対策本部事務局次長、外務省在フィリピン日本国大使館一等書記官、岡山県環境保健部長、厚生省児童家庭局母子衛生課課長、厚生省環境衛生局食品衛生課長、厚生省保健医療局国立病院経営指導課長、厚生省保健医療局地域保健健康増進課長、厚生省大臣官房厚生科学課長、防衛庁参事官、厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部長、厚生労働省健康局長などを経て、2003年退官。
菅波 茂(すがなみ しげる、1946年12月29日 - )は… 菅波 茂(すがなみ しげる、1946年12月29日 - )は、広島県深安郡神辺町(現・福山市)出身の医学博士、医師、福祉事業家。国際医療ボランティアAMDA創設者、理事長。医療法人アスカ会・創設者、元理事長。アスカ国際クリニック(旧・菅波内科医院)元院長。社会福祉法人遊々会創設者、理事長。 アジアを中心に以下のような世界中の災害発生地に医師を派遣している。
藤本 建夫(ふじもと たてお、1946年12月24日 - )… 藤本 建夫(ふじもと たてお、1946年12月24日 - )は、日本の経済学者、甲南大学名誉教授。 高知県生まれ。1969年岡山大学法文学部経済学科卒業、1974年京都大学大学院経済学研究科博士課程満期退学。1985年「ドイツ帝国財政の社会史」で経済学博士。1978年甲南大学経済学部助教授、1983年教授。2015年名誉教授。 2025年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
宇京 頼三(うきょう らいぞう、1946年 - )は、日本の… 宇京 頼三(うきょう らいぞう、1946年 - )は、日本のフランス文学者、三重大学名誉教授。 1968年、岡山大学仏文科卒。1970年、九州大学大学院修士課程修了。岡山大学教養部助教授を経て、1984年、三重大学人文学部助教授、教授、2010年に定年退任、名誉教授。
原田 環(はらだ たまき、1946年 - )は、日本の歴史学… 原田 環(はらだ たまき、1946年 - )は、日本の歴史学者。県立広島大学名誉教授。専門は朝鮮近現代史、近代東アジア国際関係史。博士(文学)(広島大学、1994年)。 岡山県落合町出身。岡山大学法文学部卒業。広島大学大学院博士課程修了。京都大学、東京外国語大学などの非常勤講師、ソウル大学客員研究員、島根大学教育学部助教授、広島女子大学国際文化学部教授、県立広島女子大学国際文化学部教授、同人間文化学部教授を歴任。2012年定年退職。 この他学外では、第1期日韓歴史共同研究委員会(2002年〜2005年)委員、第2期日韓歴史共同研究委員会(2007年〜2010年)委員などを務める。 1994年 広島大学 文学博士 論文の題は「朝鮮の開国と近代化」。
井上 正康(いのうえ まさやす、1945年〈昭和20年〉12… 井上 正康(いのうえ まさやす、1945年〈昭和20年〉12月23日 - )は、日本の医学者、大阪市立大学医学部名誉教授。岡山大学大学院を修了後、熊本大学医学部助教授などを経て、1992年より大阪市立大学医学部教授。2011年に定年退官し、同大名誉教授となった。医学博士(岡山大学)。 健康科学研究所 現代適塾 塾長。参政党外部アドバイザー、チーム日本アドバイザー。子どもへのワクチン接種を慎重に考える会共同代表。ワクチンハラスメント救済センター 代表理事。パンデミック条約・改悪IHR反対国民連合会長。WHOから命をまもる国民運動共同代表。超党派WCH(ワールドカウンシルフォーヘルス)議員連盟学術委員。
川本 一之(かわもと かずゆき、1944年4月23日 - 2… 川本 一之(かわもと かずゆき、1944年4月23日 - 2024年2月20日)は、日本の経営者。中国新聞社社長を務めた。 広島県出身。1968年に岡山大学法文学部史学科を卒業し、同年に中国新聞社に入社した。1999年3月に取締役、2003年3月に常務、2005年3月に専務を経て、2006年3月に社長に就任した。2012年3月に副会長に退いた。 2024年2月20日午後11時3分、間質性肺炎のため広島市内の病院で死去。79歳没。
青江 茂(あおえ しげる、1944年 - )は、日本の科学技… 青江 茂(あおえ しげる、1944年 - )は、日本の科学技術官僚。科学技術庁研究開発局長、科学技術庁原子力局長、文部科学審議官、日本原子力研究所副理事長、文部科学省宇宙開発委員会委員長代理等を歴任した。 岡山県出身。1968年岡山大学法文学部卒業、科学技術庁入庁。1983年科学技術庁原子力局調査国際協力課原子力調査室長。1985年科学技術庁原子力局動力炉開発課長等を経て、1997年科学技術庁研究開発局長。1998年科学技術庁原子力局長。1999年科学技術庁科学技術政策局長。2000年科学技術庁科学技術政策研究所所長。2001年文部科学審議官。2002年日本原子力研究所副理事長。退任後、文部科学省宇宙開発委員会委員長代理、文部科学省宇宙開発委員会推進部会長、文部科学省宇宙開発委員会安全部会長代理、文部科学省宇宙開発委員会調査部会長代理に就任。
田中 森一(たなか もりかず、1943年(昭和18年)6月8… 田中 森一(たなか もりかず、1943年(昭和18年)6月8日 - 2014年(平成26年)11月22日)は、日本の検察官、弁護士(1988年2月 弁護士登録〈大阪弁護士会〉、2008年1月に禁錮以上の刑の確定により法曹資格喪失)。 長崎県平戸市(現)出身。生家は貧しく、苦学の末に岡山大学法文学部在学中に司法試験に一発合格し、検察官となった。 上司の土肥孝治(後に検事総長)から検事としての捜査能力を評価され、出世コースである大阪地検特捜部検事、東京地検特捜部検事を歴任し、「特捜のエース」と謳われて数々の汚職事件を担当した。 1987年(昭和62年)のバブル景気絶頂期に弁護士へ転身。山口組などの暴力団幹部や仕手筋、総会屋など、いわゆる裏社会の人間の顧問弁護士を多く務めたほか、許永中や中岡信栄などの裏社会の人物との親交も深く、「闇社会の守護神」、「闇社会の代理人」などと呼ばれていた。
中桐 伸五(なかぎり しんご、1943年6月4日 - 201… 中桐 伸五(なかぎり しんご、1943年6月4日 - 2016年2月12日)は、日本の政治家、医師。衆議院議員(2期)を務めた。 岡山県児島郡灘崎町(のち岡山市)出身。岡山大学医学部卒業。岡山大学助手等を経て、自治労常任顧問医。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に民主党公認で岡山2区から出馬。自由民主党から出馬した熊代昭彦に敗れるも比例復活し、初当選。2000年の第42回衆議院議員総選挙では再び熊代昭彦に敗れ比例復活もできず落選。落選後、「若い人に道を譲りたい。」と述べ、引退を表明。しかし、2003年8月に比例中国ブロックで当選していた山田敏雅が福山市長選挙出馬のため辞職したため、繰り上げ当選した。
谷口 義幸(たにぐち よしゆき、1943年(昭和18年)5月… 谷口 義幸(たにぐち よしゆき、1943年(昭和18年)5月6日 - 2017年(平成29年)1月8日)は、日本の政治家。宮崎県日南市長(新市制、1期)。 宮崎県立日南高等学校、岡山大学農学部卒業。衆議院議員公設秘書を15年つとめたのち、学生支援にとりくむ民間企業に勤務。 2004年(平成16年)、旧日南市長選挙に出馬し当選。同年7月20日に第15代旧日南市長に就任。2008年(平成20年)6月29日執行の同市長選において2期目の当選。 2009年(平成21年)3月30日、旧制の日南市が北郷町、南郷町と合併して新しい日南市が誕生する。それに伴って同年4月26日執行の日南市長選挙に出馬し、当選。 2013年(平成25年)4月14日執行の日南市長選挙に出馬するも、前宮崎県職員の崎田恭平に敗れ、落選。
三野徹(みつの とおる、1943年4月12日 - )は、日本… 三野徹(みつの とおる、1943年4月12日 - )は、日本の環境学者、元鳥取環境大学環境マネジメント学科教授、京都大学名誉教授。
春成 秀爾(はるなり ひでじ、1942年12月15日 - )… 春成 秀爾(はるなり ひでじ、1942年12月15日 - )は、日本の考古学者。国立歴史民俗博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。専攻は日本考古学。主たる研究領域は旧石器時代から古墳時代にかけての儀礼・祭り・社会構造。学位は、文学博士(九州大学・論文博士・2003年)(学位論文「縄文社会論究」)。日本第四紀学会評議員。考古学研究会会員。 2003年(平成15年)、弥生時代の始まりが従来の一般的な年代観よりも500年さかのぼる可能性があるとの見解を発表したが、これについては異論も多い。また、佐原真の没後、その業績をまとめた『佐原真の仕事』(全6巻)を金関恕とともに編集しており、2005年(平成17年)より岩波書店から刊行されている。
古家野 泰也(こやの やすなり、1942年12月6日 - 2… 古家野 泰也(こやの やすなり、1942年12月6日 - 2017年9月5日)は、日本の弁護士、経営者。京都放送社長を務めた。岡山県出身。 1965年に岡山大学法文学部を卒業。1968年に司法試験に合格し、1971年に弁護士を登録。1990年に京都弁護士会副会長に就任。1994年11月にイトマン事件で経営危機に陥っていた近畿放送(のちの京都放送)の更生管財人となり、1995年11月には社長に就任し、経営再建に尽力した。2002年に会長に就任。 2017年9月5日肺癌のために死去。74歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
中原 とほる(なかはら とほる、1942年5月30日 - )… 中原 とほる(なかはら とほる、1942年5月30日 - )は日本の漫画家、医師。 山口県出身。父は社会科教師。中原は双子として生まれたが、双子の弟は生後半年で腸閉塞により死去。弟も漫画家になりたかったようでもし自分もなるならペンネームは中原とほるにすると決めていた。 1966-1967年のときに『COM』に初めて漫画『かえるになった次郎』を投稿、選外だったが講評のちばてつやから構図のユニークさや台詞回しの良さが挙げられていた。当初、大学の教育学部で学んでいたが嫌になり、計10年かけて1971年、岡山大学医学部卒業。四国の病院で働きだして間もない頃、漫画賞に応募するようになって10年、5回目にして1981年、39歳のときに『点とり虫のサンバ』がちばてつや賞佳作を受賞、特選ではなく佳作なことには残念だったが、これで漫画家を目指すようになる。
谷﨑 眞行(たにざき まさゆき、1942年5月 - )は、日… 谷﨑 眞行(たにざき まさゆき、1942年5月 - )は、日本の医師。元国立病院機構岡山医療センター副院長。専門は心臓血管外科。
川端 正男(かわばた まさお、1941年(昭和16年)3月2… 川端 正男(かわばた まさお、1941年(昭和16年)3月21日 - 2018年(平成30年)6月22日 )は、日本の実業家である。大手非鉄金属メーカーであるフジクラ代表取締役・副社長を務めた。岡山県高梁市出身。 1941年(昭和16年)岡山県上房郡高梁町(現:高梁市)に生れる。高梁北小学校時代は、1学年上に、ANAホールディングス会長になる大橋洋治がいた。大橋は途中で岡大附属小学校へ転校するが、以降生涯に渡り仲が良かった。その後、市立高梁中学校を経て、地元の岡山県立高梁高等学校へ進学、1959年(昭和34年)同校を卒業する。同年、岡山大学文学部へ進学し、1963年(昭和38年)同大学を卒業する。
大倉 徹彦(おおくら てつひこ、1941年 - )は、日本の… 大倉 徹彦(おおくら てつひこ、1941年 - )は、日本の経営者。山陽放送社長を務めた。 岡山県出身。1963年に岡山大学教育学部を卒業し、1964年10月に山陽放送に入社した。1995年2月に取締役に就任し、2002年2月に常務、同年6月に山陽放送取締役、2001年6月に専務を経て、2002年1月に副社長に就任し、同年6月には社長に昇格。2007年6月に相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
上畑 鉄之丞(うえはた てつのじょう、1940年(昭和15年… 上畑 鉄之丞(うえはた てつのじょう、1940年(昭和15年)10月2日 - 2017年(平成29年)11月9日)は、日本の医学者、旧国立公衆衛生院名誉教授。過労死研究の第一人者であり、過労死という言葉の生みの親である。 滋賀県生まれ。1965年岡山大学医学部卒業。同大学大学院修了。1970年「脳卒中の発生要因に関する衛生学的知見」で医学博士。1973年杏林大学医学部衛生学教室助教授。1978年の研究で「過労死」という言葉を初めて使用した。当初は学会では受け入れられなかったという。1985年ストレス疾患労災研究会を設立し、全国規模の過労死研究を推進した。1987年から国立公衆衛生院疫学部成人病室長、栄養生化学部長を経て、1997年国立公衆衛生院次長。
竹崎 克彦(たけざき かつひこ、1940年8月7日 - )… 竹崎 克彦(たけざき かつひこ、1940年8月7日 - )は、日本の経営者。百十四銀行頭取を務めた。 岡山県出身。1963年に岡山大学法文学部を卒業し、同年4月に百十四銀行に入行した。1997年6月に取締役に就任し、2000年6月に常務、2002年6月に専務を経て、2004年6月に頭取に就任。2009年6月に会長に就任し、2018年11月には相談役に就任。 2018年4月に旭日中綬章を受章した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
立岡脩二(たつおか しゅうじ、1940年(昭和15年)3月2… 立岡脩二(たつおか しゅうじ、1940年(昭和15年)3月20日 - )は、岡山県邑久郡(現・瀬戸内市)出身の映画プロデューサー、地方政治家。元山陽映画プロデューサー、元岡山県瀬戸内市長。 災い転じて福となす。常にプラス思考。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
遠藤 紀勝(えんどう のりかつ、1940年 - )は、日本の… 遠藤 紀勝(えんどう のりかつ、1940年 - )は、日本の写真家、民俗・民族学者。 兵庫県加東郡滝野町(現:加東市)出身。1963年、岡山大学を卒業。のちに5年間、スウェーデンのストックホルムに遊学する。写真家として活動しながら世界各地の民俗に関心をもち、著作をなす。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
森田 安一(もりた やすかず、1940年 - )は、日本の歴… 森田 安一(もりた やすかず、1940年 - )は、日本の歴史学者、日本女子大学名誉教授、放送大学客員教授。スイス史が専門。
辰巳 信哉(たつみ しんや、1940年 - 2007年12月… 辰巳 信哉(たつみ しんや、1940年 - 2007年12月27日)は、日本の造園系地方公務員。位階は従六位。瑞宝双光章。 兵庫県赤穂郡上郡町に生まれる。岡山大学農学部園芸学科を卒業後、1962年から兵庫県庁に勤務し、一貫して公園部門を歩み、県立公園の整備や管理に携わる。1993年から公園緑地課長を務める。 2000年に定年退職後、兵庫県園芸・公園協会常務理事や、日本造園修景協会およびランドスケープコンサルタンツ協会の理事を務めた。 2002年に、第24回日本公園緑地協会北村賞を受賞した。 2005年に有限会社パークサービス研究所を設立した。 2007年12月死去。死没日付をもって従六位に叙され、瑞宝双光章を追贈された。
三宅 忠明(みやけ ただあき、1939年3月7日 - )は、… 三宅 忠明(みやけ ただあき、1939年3月7日 - )は、日本の英文学者、岡山県立大学名誉教授。 岡山県長船町出身。1962年岡山大学法文学部卒、岡山県立成羽高等学校(現岡山県立高梁城南高等学校)、岡山県立金川高等学校、岡山県立岡山操山高等学校教諭、1974年岡山就実短期大学講師、1975年助教授、1979年就実女子大学助教授、1983年教授、1990年京都女子大学教授、1993年岡山県立大学教授、1999 - 2001年同附属図書館長、2004年定年退官、名誉教授、岡山商科大学教授、2007年退職。 スコットランド、アイルランドの民話のほか、比較民話研究、デアドラ伝説の翻訳などを行う。
五島 正規(ごとう まさのり、1939年3月5日 - 201… 五島 正規(ごとう まさのり、1939年3月5日 - 2016年11月14日)は、日本の政治家、医師。衆議院議員(6期)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長、衆議院環境委員長を務めた。 京都府京都市出身。岡山大学医学部卒業。1979年11月に医療法人防治会四国勤労病院を設立。 1990年の第39回衆議院議員総選挙で、日本社会党から高知県全県区に出馬し初当選。以降、連続当選6回。 1996年、旧民主党結党に参画。 小選挙区比例代表並立制が導入された同年の第41回衆議院議員総選挙以降は、高知1区から立候補した。この選挙では日本共産党の山原健二郎に、2000年の総選挙からは3回連続で自由民主党の福井照に敗れ、すべて比例四国ブロックで復活しての当選である。
佐々木 赫子(ささき かくこ、1939年1月16日 - )は… 佐々木 赫子(ささき かくこ、1939年1月16日 - )は日本の児童文学作家。日本児童文学者協会会員。 兵庫県神戸市生まれ。岡山大学教育学部卒業。 教職を経て子育て中、巡回図書館の蔵書のなかで児童文学に出会った。1970年夏、日本児童文学者協会主催「幼児教育と幼年文学の講座」を受講して創作活動を開始。1971年大石真らが主宰する 同人誌「子どもの町」掲載の「あしたは雨」が翌年の日本童話会賞を受賞。1973年関英雄を師とする 同人誌「てんぐ」に掲載された「旅しばいの二日間」は日本児童文学者協会新人賞を受賞した。「旅しばいの二日間」を長編化した『旅しばいのくるころ』が処女出版となった。 岡山の農村での疎開体験を素材にした上記2作は、逆境のなかでたくましく生きる子どもたちを描いて感動を呼ぶ作品であるが、一方であっけらかんとしたユーモアを見せる『きらくにいこうぜキックオフ』『勉強しないでいい点とれます』、怪談集「月夜に消える」などの作品もあり、創作の幅は広い。
岡 隆夫(おか たかお、1938年11月 - )は、日本の詩… 岡 隆夫(おか たかお、1938年11月 - )は、日本の詩人、英米文学者。本名は古川 隆夫(ふるかわ たかお)。 岡山県浅口郡船穂村(現・倉敷市船穂町)に生まれる。1962年岡山大学法文学部文学科卒業。岡山県立岡山東商業高等学校教諭を務めた。『火片』『詩脈』に所属。古川隆夫名義で英米詩の研究・翻訳も行う。1999年定年となり、以降、詩作活動を展開。2006年『ぶどう園崩落』で農民文学賞受賞。2017年『馬ぁ出せぃ』で日本詩人クラブ賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
豊田 昌倫(とよた まさのり、1938年3月31日 - )は… 豊田 昌倫(とよた まさのり、1938年3月31日 - )は、日本の英語学者、京都大学名誉教授、関西外国語大学名誉教授。専門は、英語文体論。 1938年、岡山県岡山市生まれ。岡山大学法文学部を卒業し、京都大学大学院へ進んだ。1964年、京都大学大学院博士課程を単位修得退学。1974年から1976年までロンドン大学に留学。 帰国後、大阪大学教養部助教授に着任。その後、京都大学教養部助教授となった。同大学文学部助教授となり、1993年に教授昇進。2004年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は、関西外国語大学教授として教鞭をとり、退任後名誉教授となった。関西外国語大学国際文化研究所所長を歴任。
塩見 鮮一郎(しおみ せんいちろう、1938年2月6日 - … 塩見 鮮一郎(しおみ せんいちろう、1938年2月6日 - )は、日本の作家。岡山市生まれ。本名同じ。 岡山大学法文学部独文科卒。大学在学中から小説・評論を手がける。河出書房新社で編集者を務めたのち、専業の作家となる。 1960年代には新日本文学会に所属。このころ、被差別部落における自殺や放火や近親相姦を描いた小説『黄色い国の脱出口』を『部落』誌に発表し、「部落の人間像を異様にデフォルメしている」(井上俊夫)との批判を受け、「状況を変革するためには、とことんまで小説を『作る』というのも一つの方法ではないでしょうか」と反論した。その反論に対し、北川鉄夫は「文学前衛気どり」と批判している。この作品は新日本文学会の第1回文学賞で最終選考まで残り、野間宏から高く評価されたが、同和教育の実践家の福地幸造はそのこと自体を「とほうもない痴呆状態の典型」と批判した。