都築 忠七 (つづき ちゅうしち、1926年9月18日 - … 都築 忠七 (つづき ちゅうしち、1926年9月18日 - 2020年4月1日) は、日本の社会思想史研究者。一橋大学名誉教授、オックスフォード大学博士、ケンブリッジ大学博士。日本学士院賞・恩賜賞受賞。 一橋大学社会学部長、ケンブリッジ大学海外招聘フェロー、オックスフォード大学客員教授、シェフィールド大学客員教授等を歴任し、イギリス労働運動史研究においてヨーロッパで高い評価を得た。2020年逝去。 1992年 - 19世紀後半のイギリス社会主義思想および運動の研究で日本学士院賞・恩賜賞を受賞。1997年 - 勲二等瑞宝章
和泉 信一(いずみ しんいち、1926年7月25日 - 20… 和泉 信一(いずみ しんいち、1926年7月25日 - 2016年8月26日)は、日本の実業家、馬主。 日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は赤、白二本輪、青袖、冠名には主に「ナカヤマ」、過去には「イズミ」、「シン」を用いた。日本馬主協会連合会会長を務めたのち、同会の名誉会長となったほか、2011年現在では東日本馬主協議会・中山馬主協会の最高顧問も務めていた。 馬主となったきっかけは、大井競馬場で先に馬主となっていた弟の敬三(2005年没)の所有馬が増え持ちきれなくなり、兄である信一に所有を頼んだことで、大井競馬を経て国営競馬(現中央競馬)の馬主となる。昭和30年代には抽せん馬が大量に当たり、レースで所有馬が上位を独占したこともあった。
辻 兵吉(つじ ひょうきち、1926年(大正15年)5月26… 辻 兵吉(つじ ひょうきち、1926年(大正15年)5月26日 - 2008年(平成20年)7月5日)は、日本の実業家。辻兵グループ総帥。日本青年会議所、秋田商工会議所会頭、日本バスケットボール協会会長などを務めた。秋田県秋田市出身。 秋田県屈指の素封家である1856年(安政3年)創業の呉服店「辻兵」に生まれた。辻兵太郎の息子。秋田県立秋田中学校(現:秋田県立秋田高等学校)、東京商科大学(現:一橋大学)を卒業後、高島屋飯田(現:丸紅)に入社。 1952年(昭和27年)、五代目兵吉を襲名。以後、辻兵・辻不動産・秋田いすゞ自動車などの辻兵グループ企業のトップを務め、同グループを秋田県下有数の企業グループまでに育てた。
北田芳治(きただ よしはる、1926年5月21日- )は、日… 北田芳治(きただ よしはる、1926年5月21日- )は、日本の経済学者、東京経済大学名誉教授。元政治経済研究所理事長。 東京出身。東京商科大学(現一橋大学)卒。高島善哉ゼミ出身。1982年政治経済研究所理事長。東京経済大学経営学部助教授となり、教授。1998年定年、名誉教授となる。日本学術会議会員を務めた。
滝沢 菊太郎(たきざわ きくたろう、1926年5月17日 -… 滝沢 菊太郎(たきざわ きくたろう、1926年5月17日 - 2002年8月12日)は、日本の経営学者。 東京市(現千代田区)出身。1952年東京商科大学(現一橋大学)卒、1966年「日本工業の構造分析 日本中小企業の一研究」で名古屋大学より経済学博士の学位を取得。名古屋大学経済学部助教授、教授。1979年経済学部長、附属経済構造分析センター長。1985年第10回中小企業研究奨励賞特選出版賞受賞。1990年定年退官し、名誉教授となり、中京大学教授を務めた。1989年から1992年まで日本中小企業学会会長。
栗原 福也(くりはら ふくや、1926年2月3日 - 201… 栗原 福也(くりはら ふくや、1926年2月3日 - 2016年3月20日)は、日本の西洋史学者。 東京都生まれ。東京商科大学本科卒。同特別研究生をへて、1956年東京女子大学短期大学講師、60年助教授、67年東京女子大学教授。94年定年、名誉教授。 2006年11月瑞宝中綬章受章。
阿部 志郎(あべ しろう、1926年(大正15年)2月1日 … 阿部 志郎(あべ しろう、1926年(大正15年)2月1日 - )は、日本を代表する社会福祉実践家。学校法人明治学院理事長、東京女子大学理事長、日本社会福祉学会長、日本キリスト教社会福祉学会会長等を歴任。キリスト教功労者(2004年)。 1926年、東京に生まれる。青山学院中等部、明治学院専門学校を経て、1949年(昭和24年)、東京商科大学(現一橋大学)卒業。同年、明治学院大学に奉職、のちに助教授。1950年(昭和25年)から1952年(昭和27年)まで、米国ユニオン神学校に留学。1957年(昭和33年)、社会福祉法人横須賀基督教社会館理事および館長に就任。1985年(昭和60年)から2002年(平成14年)まで学校法人横須賀学院理事長。
三上 隆三(みかみ りゅうぞう、1926年1月4日 - 20… 三上 隆三(みかみ りゅうぞう、1926年1月4日 - 2019年8月18日)は、日本の経済学者。位専攻は理論経済学・貨幣史・金融論。学位は経済学博士。和歌山大学名誉教授。階は従三位。2003年瑞宝中綬章受章。 京都府出身。東京商科大学で鬼頭仁三郎に師事。和歌山大学経済学部教授、京都学園大学教授を歴任。 恩師の鬼頭仁三郎は高垣寅次郎の弟子で、高垣寅次郎の孫弟子となる。 長男は、三井住友フィナンシャルグループ取締役の三上徹。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
吉野 昌甫(よしの まさとし、1926年 - 2012年)は… 吉野 昌甫(よしの まさとし、1926年 - 2012年)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。専攻は金融論、国際金融論、国際経済学。 1926年に生まれる。旧制京華中学校(現京華中学高等学校)を経て、1948年に東京商科大学(現一橋大学)を卒業。大学では鬼頭仁三郎ゼミに所属していたが、鬼頭が死去したため小泉明ゼミナールに参加するも小泉が病気になり、中山伊知郎ゼミに入った。1953年に茨城大学文理学部助教授となり、1959年に一橋大学商学部助教授へ移籍する。1967年に同大学経済学部教授となる。1989年に定年退官した。同年に東洋大学経営学部教授となった後に、1995年に駿河台大学経済学部教授に就任する。
浜林 正夫(はまばやし まさお、1925年12月25日 - … 浜林 正夫(はまばやし まさお、1925年12月25日 - 2018年5月19日)は、日本の歴史学者。専門は、イギリス近代史でマルクス主義の立場からピューリタン革命と名誉革命を中心に研究していた。一橋大学名誉教授。日本学術会議会員、日本科学者会議代表幹事、全国革新懇代表世話人、労働者教育協会副会長、憲法改悪阻止各界連絡会議代表委員など護憲組織を歴任。 北海道小樽市生まれ。旧制小樽中学校(現北海道小樽潮陵高等学校)、仙台陸軍予備士官学校を経て、1948年東京商科大学(現一橋大学)卒業。大学在学中はボート部に所属。村松恒一郎ゼミ出身。 1947年に小樽経済専門学校(現小樽商科大学)教授を務めていた父が結核のため死去。
荒 憲治郎(あら けんじろう、1925年11月25日 - 2… 荒 憲治郎(あら けんじろう、1925年11月25日 - 2002年11月10日、76歳没)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。中山伊知郎門下で専門はマクロ経済学。1974年から1975年まで日本経済学会会長。 今上天皇の学生時代の個人教授としても知られる。 荒ゼミナール出身者としては、時子山和彦(元一橋大学教授)、鈴村興太郎(一橋大学名誉教授・文化功労者・日本学士院会員・元日本経済学会会長・紫綬褒章受章者・日本学士院賞受賞者)、美濃口武雄(一橋大学名誉教授)、伊藤隆敏(一橋大学名誉教授、東京大学名誉教授、元日本経済学会会長、紫綬褒章受章者、コロンビア大学教授)、矢吹雄平(元岡山大学教授)、高橋はるみ(参議院議員)(元北海道知事)、新田八朗(富山県知事)、金田勝年(元法務大臣、外務副大臣)、枝廣直幹(福山市長)、田中正昭(元東京国税局長)、吹野博志(元デルコンピュータ会長)、西條辰義(元一橋大学教授)、山﨑和之(国連大使、元外務審議官)、浅田統一郎(中央大学教授)、戸田学(早稲田大学教授)、鴇田忠彦(東京都立大学名誉教授)、田村紀之(東京都立大学名誉教授)、楠本捷一朗(筑波大学名誉教授)、篠塚友一(筑波大学教授)、皆川正(名古屋大学名誉教授)、武隈慎一(一橋大学名誉教授)、山崎昭(一橋大学名誉教授)、丸山雅祥(神戸大学名誉教授)、小栗誠治(滋賀大学名誉教授)、杉田定大(元経済産業省大臣官房審議官、元東京工業大学特任教授)、矢野康治(元財務事務次官)、瀧本徹(元観光庁観光地域振興部長)などがいる。
森田 誠吾(もりた せいご、本名:堀野 誠吾、1925年10… 森田 誠吾(もりた せいご、本名:堀野 誠吾、1925年10月25日 - 2008年10月16日)は、日本の小説家。 東京出身。東京府立第一商業学校(現東京都立第一商業高等学校)卒業後旧制東京商科大学(一橋大学の前身)中退。久保栄・滝沢修・薄田研二が結成した東京芸術劇場の研究生となり、特に劇作家久保栄に師事する。久保との関係は久保の死(1958年3月15日)まで続く。森田の『曲亭馬琴遺稿』には、久保の戯曲『火山灰地』(1938年)や長編小説『のぼり窯』(1951年)の影響が見受けられる。 東京芸術劇場解体後、実家の広告制作会社精美堂社長を務めていた。 1981年に『曲亭馬琴遺稿』で作家デビュー。
荒川 弘(あらかわ ひろし、1925年10月3日 - 200… 荒川 弘(あらかわ ひろし、1925年10月3日 - 2003年2月12日)は、日本のジャーナリスト、経済学者。 東京出身。一橋大学卒。高島善哉ゼミ出身。産経新聞社に入り、記者、論説委員ののち1980年成城大学経済学部教授となる。1996年定年、名誉教授となる。
宮澤 健一(みやざわ けんいち、1925年9月3日 - 20… 宮澤 健一(みやざわ けんいち、1925年9月3日 - 2010年1月9日)は、日本の経済学者。学位は、経済学博士(一橋大学・1969年)。第9代一橋大学学長、一橋大学名誉教授。1997年から2010年まで日本学士院会員。元理論・計量経済学会(現日本経済学会)会長、元厚生省社会保障制度審議会会長、財団法人医療経済研究機構所長。神奈川県生まれ。 1962年エコノミスト賞、1977年日経・経済図書文化賞、1983年神戸賞、1998年勲一等瑞宝章。2010年正四位。指導学生に清水啓典(一橋大学名誉教授)などがいる。 指導学生に清水啓典(一橋大学名誉教授)、叶芳和(元国民経済研究協会理事長)、武蔵武彦(千葉大学名誉教授)、荒井一博(一橋大学名誉教授)、松水征夫(広島大学名誉教授)、野本了三(広島大学教授)、藤垣芳文(成蹊大学教授)、花井敏(南山大学名誉教授)、進藤孝生(日本製鉄会長)など。
本山 英世(もとやま ひでよ、1925年8月27日 - 20… 本山 英世(もとやま ひでよ、1925年8月27日 - 2005年11月22日)は、日本の実業家。キリンビール(現キリンホールディングス)社長・会長や、ビール酒造組合代表理事、全国清涼飲料連合会会長を務めた。通称「キリンの天皇」。勲二等瑞宝章受章。 新潟県出身。1950年に旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し、キリンビール入社、一貫して営業畑を歩んだ。1984年同社社長就任。キリン一番搾り生ビールを発売し、ヒットさせるなど、ビール市場でのシェア低下を食い止め、1991年にはシェア50パーセントを達成させた。また腎性貧血治療薬のエスポーを発売するなど、医薬部門を拡大させ、事業多角化を行ったほか、飲料部門をキリンビバレッジとして独立させるなど、組織再編も行った。
志賀 一夫(しが かずお、1925年7月28日 - 2015… 志賀 一夫(しが かずお、1925年7月28日 - 2015年4月10日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。 福島県田村郡滝根町(現・田村市)出身。東京商科大(現・一橋大学)中退。滝根町議を経て、1967年に福島県議に当選、5期務めた。1986年の総選挙で旧福島2区から立候補したが落選した。1988年の参院福島補選でも落選。1990年の総選挙で初当選。1993年の総選挙で落選した。2007年に旭日小綬章を受章。 2015年4月10日、心筋梗塞のため死去。89歳没。死没日付をもって従五位に叙された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
山崎 富治(やまざき とみじ、1925年5月30日 - 20… 山崎 富治(やまざき とみじ、1925年5月30日 - 2014年4月16日)は日本の実業家。山種証券(現SMBCフレンド証券)社長、会長、日本青年会議所会頭、山種美術館館長を歴任。「報告」「連絡」「相談」を重視する「ほうれんそう(報・連・相)経営」を提唱したことでも知られる。
堀田 一郎(ほった いちろう、1925年〈大正14年〉5月2… 堀田 一郎(ほった いちろう、1925年〈大正14年〉5月20日 - 2009年〈平成21年〉1月2日)は、日本の新聞記者、実業家。愛知県名古屋市昭和区出身。 1979年(昭和54年)2月から1985年(昭和60年)6月まで中日ドラゴンズの3代目球団社長を務めた。また中日新聞社副社長、中部日本ビルディング取締役相談役も務めた。 1925年(大正14年)5月20日生まれ。本籍地は愛知県名古屋市昭和区天神町。 1949年(昭和24年)3月に東京商科大学(現:一橋大学)を卒業、同年4月に中部日本新聞社に入社。卒業後は東京で就職したかったが、父親から「名古屋へ帰ってこい」と言われたため、中部日本新聞社へ入社したものの、入社から約2年後には東京支社へ転勤させられており、1977年時点では東京生活の方が長くなっていたという。
佐伯 進(さえき すすむ、1925年5月13日 - 2021… 佐伯 進(さえき すすむ、1925年5月13日 - 2021年7月1日)は、日本の実業家。ノリタケカンパニーリミテド社長・会長や、中部経済同友会代表幹事、学校法人名城大学理事長を務めた。勲三等瑞宝章、スリランカラトナ勲章、藍綬褒章受章。 愛知県で佐伯卯四郎(のちに日本陶器社長・会長)の子として生まれる。 旧制愛知一中(のちの愛知県立旭丘高等学校)を経て、1943年東京商科大学(のちの一橋大学)予科入学、1945年陸軍予備士官学校卒業。1948年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し、日本陶器入社。大学では古川栄一ゼミナールに所属。 日本陶器では一貫して営業畑を歩み、本社での営業やニューヨークに通算17年駐在を経て、1971年取締役、1973年常務取締役、1981年専務取締役、1985年代表取締役副社長。
向井 武文(むかい たけふみ、1925年5月1日 - ?)は… 向井 武文(むかい たけふみ、1925年5月1日 - ?)は、日本の経営学者、東京経済大学教授を長く務め、おもに経営管理論の分野で業績を残した。 広島県安芸郡音戸町に生まれ、戦時下の1943年に広島県立呉第二中学校(後の広島県立呉宮原高等学校の前身)を卒業し、1944年に東京産業大学附属工業経営専門部に入学したが同年12月に徴兵され、陸軍第1航空軍第13航空教育隊に入隊し、以降、水戸市の陸軍航空通信学校学生などを経るが、軍隊生活の中で健康を害し、陸軍病院に入院する。 戦後、1947年に東京商科大学附属商学専門部に入学し、1949年に東京商科大学に入学、病気による休学を挟み1954年に卒業し、さらに一橋大学大学院商学研究科に進み、1956年に修士課程を修了した。
西田 誠哉 (にしだ せいや、1925年4月 - 2003… 西田 誠哉 (にしだ せいや、1925年4月 - 2003年8月20日)は、日本の外交官。国連大使、駐スイス特命全権大使、駐イタリア特命全権大使、外務省参与、愛知県顧問等を歴任。 鳥取県鳥取市出身。1945年旧制東京産業大学(のちの一橋大学)卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1946年外務省入省、経済部総務課。1951年-1952年ジョンズ・ホプキンス大学高等国際関係大学院留学。1952年欧米局第一課。 1955年在連合王国大使館三等書記官、1958年国際連合局政治課、1962年大臣官房書記官、1963年在米国日本大使館一等書記官、1964年在イラン大使館一等書記官、1966年大臣官房書記官、1967年経済局スターリング地域課長。
速水 優(はやみ まさる、1925年3月24日 - 2009… 速水 優(はやみ まさる、1925年3月24日 - 2009年5月16日)は日本の銀行家である。称号は名誉法学博士(LLD・聖学院大学)。
古沢 友吉(ふるさわ ともきち、1925年3月11日 - 2… 古沢 友吉(ふるさわ ともきち、1925年3月11日 - 2010年8月1日)は、日本の経済学者。 神奈川県出身。東京商科大学卒。横浜市立大学講師、助教授、教授。1990年定年退官、名誉教授。2002年、勲三等旭日中綬章受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
井上 周八(いのうえ しゅうはち、1925年〈大正14年〉3… 井上 周八(いのうえ しゅうはち、1925年〈大正14年〉3月9日 - 2014年〈平成26年〉9月26日)は、日本の経済学者。専攻は農業経済学。立教大学名誉教授。チュチェ思想国際研究所名誉理事長。 マルクス経済学における地代論で知られる。立教大学在職中より北朝鮮と朝鮮労働党のチュチェ思想の宣伝工作に熱意を燃やし、日本におけるチュチェ思想宣伝の旗振り役として知られる。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
田邉 昇(たなべ のぼる、1925年2月26日 - 2018… 田邉 昇(たなべ のぼる、1925年2月26日 - 2018年2月14日)は、日本の大蔵官僚。近畿財務局長や、大蔵省大臣官房審議官を経て、西武化学工業社長、オールステート自動車・火災保険社長などを歴任した。 東京府生まれ。1947年高等文官試験行政科に2番の成績で合格。1948年東京商科大学(現一橋大学)卒業。同年に大蔵省入省後、ハーバード大学ハーバード・ロー・スクール留学。1949年金融検査官。1951年札幌国税局室蘭税務署長。1952年金沢国税局総務部総務課長。 国税庁長官官房審議官補佐を経て、1963年国税庁長官官房審議官。1964年大蔵省為替局局付、国際通貨基金シニア・エコノミスト。1967年大蔵省主税局税制第二課長。
種瀬 茂(たねせ しげる、1925年(大正14年)1月18日… 種瀬 茂(たねせ しげる、1925年(大正14年)1月18日 - 1986年(昭和61年)6月17日)は、日本の経済学者。マルクス経済学専攻。一橋大学学長、国立大学協会副会長、経済理論学会代表幹事等を歴任した。 神奈川県横浜市生まれ。横浜市立横浜小学校、神奈川県立横浜第一中学校(現神奈川県立希望ヶ丘高等学校)、東京商科大学(現一橋大学)予科を経て、東京商科大学では杉本栄一ゼミナールに所属。1948年の卒業後、助手として大学に残る。助手時代は、杉本の『近代経済学の解明』において質問者の一人として貢献する。 1953年講師、57年助教授、65年教授。79年より2年間学部長。83年から2年間、野々村一雄一橋大学名誉教授の後任として経済理論学会代表幹事。
並木 俊守(なみき としもり、1925年 1月13日- )は… 並木 俊守(なみき としもり、1925年 1月13日- )は、日本の法学者、弁護士、公認会計士。専攻は商法。日本大学教授、警視庁刑事部顧問等を歴任。 陸軍中央幼年学校を経て、陸軍士官学校卒業。賜銀時計。1949年東京商科大学(現一橋大学)卒業。大学在学中は陸上競技部に所属し、関東学生陸上競技対校選手権大会においてハンマー投で優勝した。田中誠二に師事。東京経済大学講師、日本大学教授、一橋大学非常勤講師、警視庁刑事部顧問等を歴任。 商法研究者や弁護士として著名であったが、顧問先であった加商株買取の相手方会社から1億円を超える謝礼を受けたことが、弁護士法に違反すると指摘された。これを受け自ら弁護士を登録抹消したため、弁護士会からの懲戒処分は受けなかった。
佐藤 定幸(さとう さだゆき、1925年 - 2015年)は… 佐藤 定幸(さとう さだゆき、1925年 - 2015年)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。一橋大学経済研究所長や、大東文化大学学長等を歴任。専門は多国籍企業論、アメリカ経済論で、日本で先駆け的に多国籍企業の研究を行うなどした。多国籍企業学会名誉会員。 東京生まれ。旧制芝中学校を経て、1943年旧制東京商科大学(現一橋大学)予科入学。1945年陸軍機甲整備学校に特甲幹(特別甲種幹部候補生)として入学。終戦後復学し、1948年大学学部卒業。高橋泰蔵ゼミ出身。大学在学中は日本共産党シンパの学生らで組織された民主主義科学研究会(民研)に、岡稔(のちに一橋大学教授)、本間要一郎(のちに横浜国立大学名誉教授)、韮沢忠雄(のちに日本共産党赤旗編集局長)などとともに主要メンバーとして参加。
伊藤 善市(いとう ぜんいち、1924年12月15日 - 2… 伊藤 善市(いとう ぜんいち、1924年12月15日 - 2007年2月16日)は 日本の経済学者。息子は伊藤真市(宮城大学准教授、デザイン情報学)。キリンHD社長の磯崎功典は次女潤子の夫。 1924年(大正13年)に山形県酒田市に生まれ、1929年(昭和4年)より同県余目町で育つ。余目小学校、酒田商業学校、横浜高等商業学校を経て、1947年(昭和22年)に東京商科大学(現・一橋大学)を卒業する。1950年(昭和25年)に山形大学文理学部助手、1952年(昭和27年)に同学部講師、1955年(昭和30年)に同学部助教授となる。 1956年(昭和31年)に東京女子大学文学部助教授、1965年(昭和40年)に同学部教授、1970年(昭和45年)に経済学博士(慶應義塾大学)、1975年(昭和50年)に文理学部長、1990年(平成2年)に東京女子大学比較文化研究所長となる。
渡辺 金一(わたなべ きんいち、1924年12月14日 - … 渡辺 金一(わたなべ きんいち、1924年12月14日 - 2011年2月6日)は日本の歴史学者、経済学者。主専攻は東ローマ帝国史、古典古代史。一橋大学名誉教授。
関 恒義(せき つねよし、1924年(大正13年)9月27日… 関 恒義(せき つねよし、1924年(大正13年)9月27日 - 2013年(平成25年)10月23日)は、日本のマルクス経済学者。一橋大学名誉教授。日教組大学部執行委員長、行財政総合研究所副理事長、日本科学者会議『日本の科学者』編集委員長等を歴任した。 1924年、長野県長野市生まれ。長野師範学校附属小学校(現信州大学教育学部附属長野小学校)、旧制長野中学(現長野県長野高等学校)、東京府立第十中学校(現東京都立西高等学校)を経て、1942年に旧制東京商科大学(現一橋大学)予科入学。同期の川勝堅二(元三和銀行頭取)や本間要一郎(横浜国立大学名誉教授)とともに小平市の一橋寮に入寮したが、ストームで小便を飲まされ退寮する。
水野 正一(みずの しょういち/まさいち、1924年9月16… 水野 正一(みずの しょういち/まさいち、1924年9月16日 - 2008年11月17日)は、日本の経済学者。専門は財政学。名古屋大学名誉教授。理論・計量経済学会常任理事、国税庁税理士審査会会長、総理府税制調査会委員などを歴任した。 香川県出身。1948年東京商科大学(現一橋大学)卒業。財政学専攻。1951年名古屋大学助教授。1962年名古屋大学より経済学博士の学位を取得。1963年経済企画庁経済研究所主任研究官(総理府事務官)。名古屋大学教授就任後、1970年名古屋大学経済学部長に選出された。 1977年総理府税制調査会委員。1981年名古屋大学経済学部附属経済構造分析センター長、理論・計量経済学会常任理事。
岡 稔(おか みのる、1924年8月31日 - 1973年9… 岡 稔(おか みのる、1924年8月31日 - 1973年9月19日)は、日本の経済学者。滋賀県出身。一橋大学経済研究所ソ連経済研究部門教授在任中、49歳で死去した。第6回日経・経済図書文化賞受賞。 1942年東京商科大学(現一橋大学)予科入学。クラスの同級生に速水優(元日本銀行総裁)、川勝堅二(元三和銀行頭取)、本間要一郎(横浜国立大学名誉教授)などが、他クラスの同期に俳優の久米明や関恒義(一橋大学名誉教授)がいた。 大学では高島善哉ゼミに所属。また日本共産党シンパの学生らで組織された民主主義科学研究会(民研)に、本間や、佐藤定幸(のちに一橋大学名誉教授)、韮沢忠雄(のちに日本共産党赤旗編集局長)らとともに、主要メンバーとして参加した。
大陽寺 順一/菅 順一(たいようじ じゅんいち/すが じゅん… 大陽寺 順一/菅 順一(たいようじ じゅんいち/すが じゅんいち、1924年8月18日 - 1995年5月5日)は、日本の社会政策学者。一橋大学名誉教授。元社会政策学会代表幹事。 東京市芝区白金で菅礼之助の四男として生まれ、のち菅礼之助義兄 大陽寺順儀に跡取りがいなかったため同家の養子となる。1942年、府立第一中学校(現 都立日比谷高校)卒業。1947年、旧制東京商科大学(現 一橋大学)卒業。中山伊知郎ゼミ出身。井藤半彌門下。1950年一橋大学社会学部助手。1953年講師。1956年助教授。1966年教授。1988年定年退官、名誉教授、八千代国際大学政治経済学部教授。1992年同図書館長。 社会政策本質論、ドイツ社会政策史などを研究し、1976年から1978年まで社会政策学会代表幹事も務めた。
阿部 裕正(あべ ひろまさ、1924年5月9日 - 1998… 阿部 裕正(あべ ひろまさ、1924年5月9日 - 1998年10月29日)は、日本の経営者。富士紡績社長、会長を務めた。東京都出身。 1949年に東京商科大学を卒業し、同年に三菱銀行に入行。1978年12月に取締役に就任し、1980年7月に富士紡績に転じ、1984年4月に常務を経て、1984年6月に社長に就任。1991年6月に会長に就任。 1998年10月29日、心不全のために死去。74歳没。
弓削 達(ゆげ とおる、1924年3月31日 - 2006年… 弓削 達(ゆげ とおる、1924年3月31日 - 2006年10月14日)は、日本の歴史学者。専攻は古代ローマ史。東京大学名誉教授、フェリス女学院大学名誉教授。経済学博士。元日本学術会議会員。
田中 正司(たなか しょうじ、1924年3月19日 - 20… 田中 正司(たなか しょうじ、1924年3月19日 - 2020年1月26日)は、日本の社会思想史家、経済学史家。横浜市立大学名誉教授。 横浜市立大学図書館長を経て、一橋大学社会科学古典資料センター第3代主任教授。1970年経済学博士(専修大学)。ジョン・ロックやアダム・スミスを中心とするイギリス思想について研究をおこなった。 東京生まれ。昭和第一商業学校(現 昭和第一高等学校)を経て、戦時中の1943年、横浜市立横浜商業専門学校 (旧制)(現 横浜市立大学)を繰り上げ卒業、三菱石油に入社。1945年3月に召集されるが、まもなく終戦。1946年、三菱石油を退社し、東京商科大学(現一橋大学)本科に入学。
久米 明(くめ あきら、本名:同じ、1924年2月8日 - … 久米 明(くめ あきら、本名:同じ、1924年2月8日 - )は、日本の俳優、声優、ナレーター。元日本大学芸術学部教授。1992年紫綬褒章。
本間 要一郎(ほんま よういちろう、1924年1月5日- )… 本間 要一郎(ほんま よういちろう、1924年1月5日- )は、日本のマルクス経済学者。横浜国立大学名誉教授。高島善哉門下。 新潟県出身。1942年旧制東京商科大学(現一橋大学)予科入学。小平市の一橋寮に入寮し食堂部長などを務めた。寮の同期に関恒義(一橋大学名誉教授)がいる。クラスの同級生に速水優(元日本銀行総裁)、川勝堅二(元三和銀行頭取)、岡稔(元一橋大学教授)などが、他クラスの同期に久米明などがいた。岡とは報国団哲学研究班でともに学び、学部進学後も岡の入隊まで同じ下宿に住んだ。1944年に寮を軍に明渡し国立市の一橋寮に移転し、勤労動員で日野重工業の社宅に住んだ。その後北海道派遣勤労報国隊の飛行場建設や、浜名湖周辺での乾田化作業に従事。
加藤 勝康(かとう かつやす、1924年1月 - )は、日本… 加藤 勝康(かとう かつやす、1924年1月 - )は、日本の経営学者。東北大学名誉教授、元経営学史学会理事長。2004年瑞宝中綬章。
蓼沼 謙一(たでぬま けんいち、1923年10月26日 - … 蓼沼 謙一(たでぬま けんいち、1923年10月26日 - 2011年10月28日)は、日本の法学者。専門は労働法。一橋大学名誉教授。元一橋大学学長、日本労働法学会代表理事などを歴任。吾妻光俊門下。 元一橋大学学長蓼沼宏一は子。澤和樹第10代東京藝術大学学長は娘婿。 茨城県水戸市生まれ。1940年3月東京府立第四中学校(現東京都立戸山高等学校)4年修了、同年4月東京商科大学(現一橋大学)予科入学。1943年学徒出陣により横須賀第2海兵団入団、1944年2月飛行専修海軍予備学生・急降下爆撃機操縦士、1944年12月大日本帝国海軍少尉、1945年4月神風特別攻撃隊隊員、1945年8月大日本帝国海軍中尉。
山根 太郎(やまね たろう、1923年10月22日 - 19… 山根 太郎(やまね たろう、1923年10月22日 - 1979年1月6日)は、日本および米国の経済学者、統計学者。 1923年(大正12年)10月22日アメリカ合衆国ニューヨーク市で生まれる。アメリカ合衆国で小学校を終え帰国し、半年の日本語の補習ののち、1937年(昭和12年)青山学院中学部(旧制)1年に入学した。 昭和16年青山学院中学部 4年修了ののち、海軍兵学校(73期、昭和19年3月22日卒業)に進んだ。海軍特攻隊のパイロットとして出撃する直前に終戦を迎えた。終戦後の1946年東京産業大学(現一橋大学)本科に入学、49年に東京商科大学(1947年に東京産業大学から1944年以前の東京商科大学に名称を変更)を卒業した。
角田 彦三(つのだ ひこぞう、1923年 <大正12年> 1… 角田 彦三(つのだ ひこぞう、1923年 <大正12年> 10月2日 - 2005年 <平成17年> 2月27日)は、日本の経営者。澁澤倉庫社長、会長を務めた。位階は正五位。 東京都出身。1948年に東京商科大学を卒業し、同年4月に澁澤倉庫に入社。1971年に取締役に就任し、1975年5月に常務、1982年6月に副社長を経て、1985年6月には社長に就任。1991年6月に会長を経て、1995年6月から1996年6月までに再び社長を務め、2000年6月までに会長を務めた。 1994年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2005年2月27日心不全のために死去。81歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
渡辺 美智雄(わたなべ みちお、1923年〈大正12年〉7月… 渡辺 美智雄(わたなべ みちお、1923年〈大正12年〉7月28日 - 1995年〈平成7年〉9月15日)は、日本の政治家。 千葉県習志野市生まれ、栃木県那須郡川西町(黒羽町を経て2005年以降大田原市)育ち。 自由民主党政務調査会長(第33代)。衆議院議員(11期)、厚生大臣(第54代)、農林水産大臣(第2代)、大蔵大臣(第81代)、通商産業大臣(第45代)、副総理兼外務大臣(第114代)を歴任。中曽根派を継承して渡辺派を率いた。従二位勲一等旭日桐花大綬章。「ミッチー」の愛称で親しまれた。 長男は、元参議院議員、元衆議院議員、第7・8代内閣府特命担当大臣(金融担当)、第7代内閣府特命担当大臣(規制改革担当)、初代みんなの党代表の渡辺喜美。
今田 智憲(いまだ ちあき、1923年7月20日 - 200… 今田 智憲(いまだ ちあき、1923年7月20日 - 2006年6月23日)は、日本の映画プロデューサー。東映アニメーションの社長と会長、東映ビデオの社長を務めた。広島県東広島市西条町出身。 東映社長だった岡田茂の盟友。自宅も近所の幼馴染で、今田の家も酒樽の製造元であった。岡田と小学校から進学・就職とともに歩み、旧制広島一中(現・広島国泰寺高校)、東京商科大学(現・一橋大学)予科を経て1946年東京産業大学(1944年に東京商科大学から改称、現一橋大学)卒業、1947年東京急行電鉄に入り同郷の先輩・黒川渉三が社長を務めていた東横映画(東映の前身の一つ)に誘われて移籍。東映では営業畑を歩き、東映動画(現・東映アニメーション)に移動すると、同社製作のテレビアニメや劇場アニメ作品(東映まんがまつり)の多くに製作・企画などで携わった。
倉田 隆文(くらた たかふみ、1923年5月15日 - 19… 倉田 隆文(くらた たかふみ、1923年5月15日 - 1998年5月9日)は、日本の実業家。伊勢電子工業(のちのノリタケ伊勢電子)社長として同社を再建したのち、ノリタケカンパニーリミテド社長・会長や中部経済同友会代表幹事を務めた。スリランカラトナ勲章受章。 東京都出身。神田の本屋街で育つ。1948年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業、日本陶器入社。 ニューヨーク支店、社長室、海外事業部長、常務等を経て、1974年から1981年まで経営悪化に陥っていた伊勢電子工業(のちのノリタケ伊勢電子)の社長を兼務。工場や従業員を半減するなど減量経営を行い、6年で再建を果たす。 1981年1月専務、1981年8月副社長を経て、1982年、杉本悌二郎の後任としてノリタケカンパニーリミテド社長就任。
今野 国雄(こんの くにお、今野國雄、1923年3月18日 … 今野 国雄(こんの くにお、今野國雄、1923年3月18日 - 2001年5月23日)は、日本の歴史学者。西洋史専攻。 宮城県生まれ。1950年旧制東京商科大学(現一橋大学)で上原専禄に師事。同大を卒業後、関東学院大学経済学部助教授、教授を経て、1983年青山学院大学文学部史学科教授。1991年退任。 妻は歌人の今野さなへ(国語学者山田孝雄の子女)、子息に日本語学者の今野真二(清泉女子大学教授)がいる。
金井 紀年(かない のりとし、1923年(大正12年)2月2… 金井 紀年(かない のりとし、1923年(大正12年)2月25日 - 2017年(平成29年)4月22日)とは、日本の実業家。共同貿易元社長。アメリカ合衆国における寿司ブームの仕掛人とされる。日本食海外普及功労者表彰・農林水産大臣賞受賞。また在外日本人選挙権訴訟原告団長を務め、日本国籍の在外投票実現に尽力した。 東京府豊多摩郡落合村 (現東京都新宿区下落合) で文部省官僚の父と、教員の母の下に3男として生まれる。10歳から柔道を始める。講道館柔道4段。 東京府立第九中学校(現東京都立北園高等学校)を経て、1941年東京商科大学(現一橋大学)予科入学。予科在学中の1943年に学徒出陣し、栃木県宇都宮市の大日本帝国陸軍東部第40砲兵連隊に入営。
武山 泰雄(たけやま やすお、1923年2月1日 - 200… 武山 泰雄(たけやま やすお、1923年2月1日 - 2005年4月20日)は、日本のジャーナリスト。 東京都生まれ。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年(昭和19年)2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、光海軍工廠に配属され、会計部材料課員として製鋼原料入手を担当。同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年(昭和20年)4月、海軍航空本部出仕・海軍艦政本部出仕・広島監督官兼呉運輸部員に転じた。同年8月6日、広島駅で被爆し負傷したが命を取り留め、同年9月に主計中尉に進み、同年11月予備役に編入され解員(復員)した。 1946年(昭和21年)東京商科大学卒。
長谷川 正安(はせがわ まさやす、1923年1月24日 - … 長谷川 正安(はせがわ まさやす、1923年1月24日 - 2009年8月13日)は、日本の法学者(憲法・フランス近代憲法)。名古屋大学名誉教授。日本科学者会議代表幹事、原水爆禁止日本協議会理事長、世界科学者連盟副会長等を歴任した。田上穣治門下。 1923年茨城県土浦市で、4人兄弟の末っ子として生まれる。関東大震災後に品川区武蔵小山の長屋に家族で移住。1943年徴兵。1945年乗船中の輸送船が機雷により大破、舞鶴のドックで終戦を迎える。この戦争体験から日本軍に反感を持ち、軍隊、組織嫌いとなり、企業就職を拒否し、研究者の道を歩むことを決意するようになる。 1946年(昭和21年)東京商科大学(現一橋大学)卒業後、1949年同窓の酒井正兵衛学部長の下、26歳で新設の名古屋大学法経学部助教授に就任。