西宮 信安(にしのみや のぶやす、1920年2月1日 - )… 西宮 信安(にしのみや のぶやす、1920年2月1日 - )は、日本の外交官。駐アイルランド特命全権大使、駐トルコ特命全権大使、外務省参与などを歴任した。勲二等旭日重光章受章。 東京出身。1937年東京商科大学(現一橋大学)予科入学。1942年同大学学部卒業。1945年在ポルトガル外交官補。同年経済安定本部部員。在オランダ日本国大使館二等書記官、同一等書記官を経て、1956年在ジャカルタ日本国総領事館領事。1958年在インドネシア日本国大使館一等書記官兼在ジャカルタ日本国総領事館領事。1958年通商産業省通商局市場第三課長。1959年通商産業省通商局市場第一課長。1963年在スウェーデン日本国大使館参事官兼在アイスランド日本国公使館参事官。
小林 傭佶(こばやし ようきち、1920年(大正9年)1月3… 小林 傭佶(こばやし ようきち、1920年(大正9年)1月31日 - 1993年(平成5年)4月19日)は、日本の実業家・学校経営者。北海道古宇郡神恵内村生まれ。1942年(昭和17年)東京商科大学卒。「小林傭吉」「小林用吉」とも表記される。 三菱重工業勤務を経て、1946年(昭和21年)札幌文科専門学院教授。1949年(昭和24年)明和学園理事( - 1954年(昭和29年))。1950年(昭和25年)札幌短期大学商業科客員教授( - 1967年) 1957年(昭和32年)札幌日交タクシー社長。1959年(昭和34年)小樽日興交通社長。1960年(昭和35年)釧路日興交通社長。1961年(昭和36年)日交興業開発(後の小林企業)社長。
大崎 平八郎(おおさき へいはちろう、1919年12月15日… 大崎 平八郎(おおさき へいはちろう、1919年12月15日 - 2005年4月5日)は、日本の経済学者。横浜国立大学名誉教授。 1919年、福岡県飯塚市生まれ。横浜高等商業学校(現横浜国立大学)を卒業し、東京商科大学(現一橋大学)に進んだ。しかし太平洋戦争のため1942年9月に同大学を繰上げ卒業となり、入隊。機関砲中隊に配属されるが、病気のため現役免除となり、満鉄調査部に勤務。 戦後、横浜国立大学経済学部助教授となる。後に教授に昇進。1973年経済学部長。1985年に横浜国立大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は関東学院大学教授、神奈川大学教授として教鞭をとった。ユーラシア研究所名誉顧問。
李 廷煥(イ・ジョンファン、朝鮮語: 이정환、1919年11… 李 廷煥(イ・ジョンファン、朝鮮語: 이정환、1919年11月13日 - 2008年8月13日)は、大韓民国の経済学者、銀行家、実業家、政治家。 本貫は星州李氏(朝鮮語版)[要出典]。日本名星山 正雄。延世大学校教授などを経て、韓国銀行総裁や、大韓民国財務部長官、韓国産業銀行総裁、錦湖石油化学会長等を歴任した。金塔産業勲章受章。 慶尚南道東萊郡(のちの釜山広域市)出身。東萊中学校(のちの東萊高等学校(朝鮮語版))を経て、1941年東京商科大学(のちの一橋大学)予科修了。1944年同大学卒業。 釜山大学校教授、延世大学校教授を経て、1961年大韓民国財務部長官顧問。1962年農業協同組合中央会会長。
沖田 守(おきた まもる、1919年11月 - 2012年1… 沖田 守(おきた まもる、1919年11月 - 2012年1月14日)は、日本の通産官僚。通商産業省国際経済部長、中小企業庁次長を経て、東邦亜鉛代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。 広島県生まれ。1941年高等試験行政科合格。1942年東京商科大学(現一橋大学)卒業、商工省入省。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。第23特別根拠地隊に配属。1944年5月に海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。 戦後、商工省に復帰。通商産業省通商局参事官、経済企画庁調整局調整課長、通商産業大臣官房審議官等を経て、1964年福岡通商産業局長。
小関 博(こせき ひろし、1919年〈大正8年〉10月24日… 小関 博(こせき ひろし、1919年〈大正8年〉10月24日 - 2013年〈平成25年〉6月15日)は、日本の実業家。群馬銀行代表取締役頭取。 東京都豊島区巣鴨に生まれる。旧制府立五中を経て、1942年(昭和17年)旧制東京商科大学(一橋大学の前身)卒業。同年高等試験行政科に合格し、日本銀行入行。 短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業し、館山海軍航空隊付となる。同年5月、海軍省経理局第三課に転じ国防献金受付に従事。1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進み、同年6月、第四南遣艦隊付に転じ第1次糧食生産隊長(アンボン)に着任。
田島 敏弘(たじま としひろ、1919年(大正8年)10月9… 田島 敏弘(たじま としひろ、1919年(大正8年)10月9日 - 1995年(平成7年)4月17日)は日本の実業家。日本興業銀行副頭取や、富士重工業の社長や会長を務めた。 1942年に旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し、日本興業銀行入行。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。北浦海軍航空隊に配属。名古屋監督官事務所に転じ、のち造兵監督官に就任し材料関係を担当した。1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。戦後、GHQとの渉外に従事。 その後、日本興業銀行に復帰し、融資第三部長、調査本部長、常務、副頭取、顧問を歴任。
柿沼 幸一郎(かきぬま こういちろう、1919年9月29日 … 柿沼 幸一郎(かきぬま こういちろう、1919年9月29日 - 2010年8月16日)は日本の行政官。元公正取引委員会委員、元公正取引委員会事務局長。新日鉄合併事件の独占禁止法的処理にあたった。神戸税関長や日本銀行理事等も歴任。1989年勲二等瑞宝章受章。 栃木県出身。旧制足利中学校(のちの栃木県立足利高等学校)を経て、1941年12月旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を繰り上げ卒業。大学では田中誠二ゼミナールに所属。卒業論文は「法律社会学の諸問題」。 1942年1月大蔵省入省、会社部勤務(六給俸)。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、同年同月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。同年5月、経理学校を卒業し東京監査官付となる。
矢島 鈞次(やじま きんじ、1919年9月19日 - 199… 矢島 鈞次(やじま きんじ、1919年9月19日 - 1994年5月26日)は、日本の経済思想史家。東京工業大学名誉教授。 京都府出身。1942年東京商科大学(現一橋大学)経済学科卒。上田辰之助ゼミ出身。文部省在外研究員、北京大学講師を経て、1953年東京学芸大学助教授、1966年教授、1968年東京工業大学教授、1980年定年退官、名誉教授、国際事情研究センター設立、同所長、1982年青山学院大学教授、1993年東京工業大学博士(学術)。教え子に山本忠通元国際連合事務総長特別代表など。
水田 洋(みずた ひろし、1919年9月3日 - )は、日本… 水田 洋(みずた ひろし、1919年9月3日 - )は、日本の思想史家。日本の社会思想史研究の代表的人物で、世界でのアダム・スミス研究推進者の一人。1998年12月日本学士院会員に就任。18世紀スコットランド研究国際学会 (Eighteenth-Century Scottish Studies Society) 生涯業績賞を2001年に受賞[3]。名古屋大学名誉教授、名古屋大学高等研究院アカデミー会員。水田からの寄付金により名古屋大学では「水田賞」を設置し、人文・社会科学(思想史)の若手研究者を表彰している[4][5]。
黒住 忠行(くろずみ ただゆき、1919年7月16日 - 1… 黒住 忠行(くろずみ ただゆき、1919年7月16日 - 1988年9月29日)は、日本の官僚、政治家。運輸省自動車局長、参議院議員(1期)、通商産業政務次官、日本自動車ターミナル社長等を歴任した。正四位勲二等瑞宝章。 岡山県岡山市矢坂本町出身。1942年に東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し鉄道省入省。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。 東京陸運局長、運輸省自動車局長を経て1971年の第9回参議院議員通常選挙に全国区から当選。1期務めた。
渡辺 源次郎(わたなべ げんじろう、1919年5月28日 -… 渡辺 源次郎(わたなべ げんじろう、1919年5月28日 - 2008年9月17日)は日本の経済学者。専門は経済史。福島大学学長などを経て、同大学名誉教授。 1919年、福島県二本松市生まれ、安達中学校を経て、福島高等商業学校に進学、1941年に卒業、東京商科大学に進む。卒業後、東芝に入社したが、1949年、恩師小林昇に請われて、母校福島大学経済学部にもどる。以後、短期大学部主事、図書館長、学生部長、経済学部長を歴任、母校の発展に尽力する。 1976年から2期5年間、福島大学学長に就任、福島大学の統合整備計画を進め、金谷川キャンパスへの統合移転を実現させた。研究者としては、イギリス重商主義経済学研究の第一人者として活動した。
田中 秀穂(たなか ひでほ、1919年5月17日 - )は、… 田中 秀穂(たなか ひでほ、1919年5月17日 - )は、日本の外交官。外務省中近東アフリカ局長、在フィリピン特命全権大使等を務めた。1993年4月勲二等旭日重光章受章。 北海道札幌市出身。北海道庁立札幌第二中学校(現北海道札幌西高等学校)を経て、1943年旧制東京商科大学(一橋大学の前身)を卒業し、外務省入省。 1974年にパレスチナゲリラ及び日本赤軍の和光晴生と山田義昭の混成部隊が、シンガポール沖にあったシェル石油傘下のシンガポール・イースタン・ペトローリアム社ブクム島製油所を爆破し、警官隊と銃撃戦を展開、さらにその6日後、パレスチナ解放人民戦線が在クウェート日本大使館を占拠、石川良孝(大使)らを人質にして、和光らを送還し南イエメンへ脱出させることを日本政府に要求した事件(シンガポール・クウェート事件)に、中近東アフリカ局長として対応にあたり、人質解放後、日本政府が派遣した特別機に、犯人グループが南イエメンのアデンに脱出するまで人質の身代わりとして同乗した。
細井 卓(ほそい たかし、1919年1月22日 - 1990… 細井 卓(ほそい たかし、1919年1月22日 - 1990年12月24日)は、日本の経営学者。 東京出身。東京商科大学(現一橋大学)卒、三井本社、三井信託に勤務ののち、西南学院大学助教授、1956年名古屋大学経済学部助教授、60年教授、62年「配当政策」で名大経済学博士、69年から70年まで学部長。77年から83年まで日本経営財務研究学会初代会長。82年名大を定年退官、名誉教授となり、南山大学教授を務めた。ゼミの指導学生に岩間弘三十三フィナンシャルグループ会長など。
西堀 正弘(にしぼり まさひろ、1918年11月14日 - … 西堀 正弘(にしぼり まさひろ、1918年11月14日 - 2006年7月1日)は、日本の外交官。外務省国際連合局長や、EC大使、国連大使を務めた。1991年勲一等瑞宝章受章、2006年叙正三位。 北海道函館市出身。旧制横浜高等商業学校(横浜国立大学経済学部の前身)を経て、旧制東京商科大学(一橋大学の前身)入学。大学では井藤半彌ゼミナールに所属。 大学在学中の1940年に外交官及領事官試験に合格。しかし成績が悪いのでは出世ができないと考え、翌年の再受験を考えていたところ、門脇季光人事課長(のちに駐ソ連大使)から、外務省では試験の成績は関係ないので、一刻も早く入省すべきだとの助言を受け、1941年外務省入省。
折原 脩三(おりはら しゅうぞう、1918年11月4日 - … 折原 脩三(おりはら しゅうぞう、1918年11月4日 - 1991年2月28日)は、日本の思想や老い問題評論家。本名・伊東庫之助。 千葉県生まれ。東京商科大学(現・一橋大学)卒業。横浜正金銀行に勤務。 戦時中は陸軍二等兵として中国で従軍。 戦後、東京銀行に勤務するかたわら、評論活動を行っていたが、1973年に退職。 退職後は思想の科学研究会会長をつとめた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
河合 斌人(かわい あやと、1918年〈大正7年〉8月8日 … 河合 斌人(かわい あやと、1918年〈大正7年〉8月8日 - 2005年〈平成17年〉9月6日)は、日本の実業家、教育者。河合塾理事長、山一證券副社長。 河合逸治の長男。東京商大を経て日本勧業銀行に入行し、経済安定本部や名古屋造船、山一證券にも出向した。後に実家の河合塾を継ぎ、弟の河合邦人と共に愛知県のローカル予備校から三大予備校の一角にまで育て上げた。1992年、フランス教育功労章オフィシエ受章。 静岡県生まれ。愛知一中(現・愛知県立旭丘高等学校、59回卒業)、名古屋高商(現・名古屋大学経済学部)を経て、1941年12月、東京商科大学(現・一橋大学)繰り上げ卒業(井藤半彌ゼミ)。卒業論文は「国際租税論の基本問題」。
村井 勉(むらい つとむ、1918年3月31日 - 2008… 村井 勉(むらい つとむ、1918年3月31日 - 2008年10月31日)は、日本の実業家。アサヒビール代表取締役社長、東洋工業(現:マツダ)代表取締役副社長、住友銀行(現:三井住友銀行)代表取締役副頭取、JR西日本代表取締役会長等を歴任した。1988年勲二等旭日重光章受章。 福岡県小倉市堺町(現:北九州市小倉北区)で円応寺住職の二男として生まれ、その後村井家に養子に出された。旧制小倉中学(現:福岡県立小倉高等学校)を経て、1942年9月、戦時中の半年繰り上げで東京商科大学(現:一橋大学)を卒業。当時の住友グループにおける一括採用試験に合格。内定者面接にて、「銀行に行くのが嫌な人は手を挙げなさい」と言われ挙手したにも関わらず住友銀への配属となるが、出社することなく召集となり10月に小倉歩兵連隊に入隊。
早川 泰正(はやかわ やすまさ、1918年1月21日 - 2… 早川 泰正(はやかわ やすまさ、1918年1月21日 - 2010年12月26日)は、日本の経済学者。北海道大学名誉教授。第5代千葉商科大学学長。 北海道札幌市生まれ。1935年札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)卒業。1941年東京商科大学(現一橋大学)卒業。杉本栄一ゼミ出身。同年末永隆甫とともに企画院嘱託となる。同年東京商科大学経済研究所員。1947年北海道大学法文学部助教授。1957年北海道大学経済学部教授。1960年理論・計量経済学会理事。1961年北海道同大学経済学博士。1965年北海道大学経済学部長。1968年北海道地方労働委員会公益委員、北海道開発委員会委員。1969年北海道地方最低賃金審議会委員。
田中 修平(たなか しゅうへい、1918年1月1日 - 19… 田中 修平(たなか しゅうへい、1918年1月1日 - 1992年4月20日)は、日本の経営者。大阪建物(現在のダイビル)社長を務めた。 三重県出身。1948年に東京商科大学を卒業し、同年に住友銀行に入行。1972年5月に大阪建物常務に就任し、1973年6月には社長に昇格。1981年6月に会長を経て、1986年6月から相談役を務めた。 1992年4月20日急性心筋梗塞のために死去。74歳没。
金井 多喜男(かない たきお、1918年 <大正7年> - … 金井 多喜男(かない たきお、1918年 <大正7年> - 2000年 <平成12年> 3月14日)は、日本の通産官僚。中小企業庁次長や、通商産業省繊維雑貨局長を経て、東亜石油代表取締役社長や、伊藤忠商事取締役副会長などを務めた。位階は正四位。 東京生まれ。福岡県立門司中学校(現福岡県立門司高等学校)、東京商科大学(現一橋大学)予科を経て、1941年に同大学学部を繰り上げ卒業。井藤半彌ゼミ出身。同年高等試験行政科合格。1942年商工省入省。1953年通商産業大臣官房調査統計部化学統計課長。同年通商産業大臣官房調査統計部動態統計課長。1954年通商産業省繊維局綿業課長。1956年通商産業省繊維局綿麻業課長。
西川 元彦(にしかわ もとひこ、1918年 - 没年不明) … 西川 元彦(にしかわ もとひこ、1918年 - 没年不明) は、日本の経済学者 、日本銀行監事。 名古屋高等商業学校で宮田喜代蔵 の指導を受け、「最も理論的なものは、最も実践的である。」という言葉で、経済に対する関心を深める。宮田の勧めもあり、東京商科大学に進学、中山伊知郎の門を叩く。 1941年(昭和16年)東京商科大学卒業後、日本銀行入行。統計局長、調査局長、監事を歴任、一橋大学の講師も務めた。1978年(昭和53年)1月に前川春雄副総裁を委員長とする日本銀行百年史編纂委員会が発足すると、吉野俊彦、呉文二と共に日本銀行百年史編纂委員会の委嘱委員を務めた。 中央銀行の理論と歴史に関する権威として知られ、多くの論文、専門書を執筆・監訳した。
魚本 藤吉郎(うおもと とうきちろう、1917年 <大正6年… 魚本 藤吉郎(うおもと とうきちろう、1917年 <大正6年> 11月29日 - 1988年 <昭和63年> 3月31日)は、日本の外交官。在ソビエト連邦特命全権大使、財団法人交流協会理事長を務めた。位階は正三位。 愛媛県出身。山口高等商業学校を経て、1941年に東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し、外務書記生就任。大学では中山伊知郎ゼミナールに所属。卒業論文は「景気変動に関する二つの研究」。 外務省中近東アフリカ局長を経て、在ソビエト連邦特命全権大使、財団法人交流協会理事長などを歴任。 西堀正弘(国連大使)、内田宏(駐仏大使)、吉野文六(駐独大使)、奈良靖彦(駐加大使)、人見鉄三郎(駐コスタリカ大使)など。
小松原 俊一(こまつばら しゅんいち、1917年10月15日… 小松原 俊一(こまつばら しゅんいち、1917年10月15日 - 2007年3月9日)は、日本の実業家。元三井鉱山(現 日本コークス工業)社長。元三井鉱山会長。元三井鉱山相談役。栃木県出身。 旧制栃木県立栃木中学校(現・栃木県立栃木高等学校)を経て、東京商科大学(現 一橋大学)を卒業。三井鉱山(現・日本コークス工業)社長、同会長および相談役を歴任。 2007年、急性呼吸不全のため89歳で死去。
塩谷 忠男(しおたに ただお、1917年 <大正6年> 9月… 塩谷 忠男(しおたに ただお、1917年 <大正6年> 9月17日 - 2017年 <平成29年> 9月23日)は、日本の経営者。太陽神戸銀行頭取を務めた。位階は従四位。 石川県松任市出身。1939年に高文行政科に合格し、1941年に東京商科大学を卒業し、同年に大蔵省に入省。東海財務局長、大臣官房財務調査官、日本銀行政策委員会代表委員などを歴任。1966年11月に日本相互銀行常務に就任し、1968年12月に普通銀行に転換した太陽銀行(のちの太陽神戸銀行)常務に就任し、1972年11月に取締役に就任し、常務、専務、副頭取を経て、1978年12月に頭取に就任。1983年6月に会長に就任し、1987年6月に取締役相談役を経て、1991年6月にさくら銀行相談役に就任し、1997年10月には名誉顧問に就任。
古瀬 大六(こせ たいろく、1917年(大正6年)6月26日… 古瀬 大六(こせ たいろく、1917年(大正6年)6月26日 - 2007年(平成19年)4月11日)は、日本の経済学者。元東北大学経済学部教授、一橋大学商学博士。四女の漫画家、山下和美の作品『天才柳沢教授の生活』の主人公・柳沢良則のモデル。なお、良則は大六の父、つまり山下の祖父の名である。 1917年(大正6年)6月26日、父・古瀬良則(英語学者・一橋大学名誉教授)、母・要(旧姓、鷲田)の長男として、石川県金沢市に生まれる。 1940年(昭和15年)、東京商科大学(現在の一橋大学)を卒業後、東京芝浦電気に入社。短期現役海軍主計科士官(4期)を志願し、同年5月、海軍経理学校に入学して海軍主計中尉に任官。
川崎 文治(かわさき ふみはる、1917年6月17日 - 2… 川崎 文治(かわさき ふみはる、1917年6月17日 - 2002年7月30日)は、日本の経営学者。大阪市立大学(現大阪公立大学)名誉教授。元北九州大学(現北九州市立大学)学長。 福岡市生まれ。1942年9月東京商科大学(現・一橋大学)卒業、同年10月三井化学工業(現・三井化学)入社。 1950年3月三井化学工業を退職し、1951年9月より1953年3月にかけて福岡県立修猷館高等学校で講師を務め、その傍ら九州大学大学院に学ぶ。1970年大阪市立大学商学博士。 1953年4月久留米大学商学部助教授、1956年10月長崎大学経済学部教授、1964年4月大阪市立大学商学部教授、1974年4月同商学部長、1976年同名誉教授、1979年4月山口大学経済学部教授、1981年4月北九州大学(現・北九州市立大学)大学院経営学研究科教授を経て、1984年7月北九州大学学長に就任。
奈良 靖彦(なら やすひこ、1917年4月28日 - 201… 奈良 靖彦(なら やすひこ、1917年4月28日 - 2013年9月6日)は、日本の外交官。駐シンガポール特命全権大使や駐カナダ特命全権大使を務めた。位階は従三位。 大分県出身。旧制京北中学校を経て、1941年に旧制東京商科大学(一橋大学の前身)を卒業し、外務省入省。同期に西堀正弘(国連大使)、魚本藤吉郎(駐ソ連大使)、内田宏(駐仏大使)、吉野文六(駐独大使)、人見鉄三郎(駐コスタリカ大使)など。 1943年、外務省弘報部で勤務し、戦時体制下で、ジャパンタイムズの監督を行った。 1965年5月シカゴ総領事に就任。着任時に、総領事公邸が外交に使うにはあまりに貧弱なものだったため、筋向いの邸宅を購入しようと考え、東京銀行のシカゴ支店長と交渉し購入資金の融資を受け、また当時大蔵事務次官を務めていた石野信一も案内した末購入し、新しい公邸とした。
竹内 春海 (たけうち はるみ、1917年3月28日 - 2… 竹内 春海 (たけうち はるみ、1917年3月28日 - 2005年8月20日)は、日本の外交官。外務省アメリカ局長や、儀典長、駐イタリア特命全権大使などを歴任した。 東京商科大学(現一橋大学)在学中、高等試験に合格し、1938年外務省に入省。米国留学、1940年アムハースト大学卒、1941年ハーバード大学大学院修了。 大日本帝国陸軍少尉、1947年内閣総理大臣秘書官、1949年調査局第二課長、米国在勤、1953年アジア第二課長、1954年欧米第一課長、1958年カルカッタ総領事、1959年在ドイツ連邦日本国大使館参事官、1961年アメリカ局外務参事官を経て、1963年アメリカ局長。1965年駐フィリピン特命全権大使。
小島 慶三(こじま けいぞう、1917年(大正6年)3月11… 小島 慶三(こじま けいぞう、1917年(大正6年)3月11日 - 2008年(平成20年)8月30日)は、日本のエコノミスト、思想家、教育者、実業家、官僚、政治家、俳人。参議院議員(1期)。
石井 正巳(いしい まさみ、1917年2月28日 - 199… 石井 正巳(いしい まさみ、1917年2月28日 - 1997年9月12日)は日本の実業家。元三井物産会長。クリスチャン。マレーシアタンスリ受章、スペインイサベル女王勲章上級エンコミエンダ章受章。 兵庫県出身。旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業。中尉、大尉として中支、サイゴン等で従軍。サイゴンで八尋俊邦(のちに三井物産社長・会長)との交友を得る。1946年5月に日本に帰国。 三井物産副社長等を経て、1982年三井物産副会長、経済同友会幹事、1984年三井物産会長、三越顧問。1985年三井業際問題研究所運営委員長。 マレーシア経済協議会会長を務め、1994年には日本・マレーシアの友好関係、経済の相互発展に功績があったとして、民間人に授与される最高勲章「タンスリ」をジャファール・アブドル・ラーマン国王から授与された。
大塚 武(おおつか たけし、1917年(大正6年)1月9日 … 大塚 武(おおつか たけし、1917年(大正6年)1月9日 - 1983年(昭和58年)8月30日頃)は、日本の銀行家。北洋相互銀行取締役社長、日本銀行事務管理部長、北海道経営者協会会長などを歴任した。 静岡県静岡市出身。静岡県立静岡中学校を経て、1941年東京商科大学(現・一橋大学)を卒業。卒業と同年に日本銀行に入行する。学生時代は年間百日以上も山登りに費やしたが、高橋泰蔵ゼミナールでは抜群の成績で、入行後も、2度ぐらい大学に戻らぬかといわれた逸材であった。 1953年に通商産業省に出向する。日銀に戻って外国為替局次長、新潟支店長を歴任後、1964年から札幌支店長を務め、大学同窓の森鼻武芳(のちに北海道銀行頭取)とゴルフや囲碁を嗜み、交遊を持つようになる。
佐伯 孝(さえき たかし、1916年9月27日 - 2009… 佐伯 孝(さえき たかし、1916年9月27日 - 2009年12月16日)は、日本の実業家。日清製粉(現日清製粉グループ本社)社長や、同社会長を務めた。藍綬褒章受章。 長崎県佐世保市出身。1941年旧制東京商科大学(現一橋大学)卒業後、日清製粉(現日清製粉グループ本社)入社。 同社入社後は製粉事業部門で営業、生産、秘書、調査、経理などを担当し、1969年取締役に昇格。1978年常務取締役。1981年から社長を務め、五分無償増資などを行った。1983年藍綬褒章受章。1986年会長に就任。 2009年肺炎のため死去。享年93。
長谷川 達海(はせがわ たつみ、1916年〈大正5年〉8月3… 長谷川 達海(はせがわ たつみ、1916年〈大正5年〉8月30日 - 没年不明)は、日本の実業家。チッソ興産(現:日祥)元代表取締役社長。チッソコーナーカーム コンサルタント元代表取締役社長。孫は元フジテレビアナウンサーの長谷川豊。次男は関西右翼の重鎮として活動してきた政治活動家(一日会主宰)の長谷川潤(中山嶺雄)。 現在の東京都出身。茨城県、長谷川信吉・ナミ夫妻の次男に生まれる。1939年(昭和14年)東京商科大学(現:一橋大学)附属商学専門部(高等商業学校に相当する課程、修業年限3年)を卒業。 同年3月日本窒素肥料(現:チッソ)に入社し、1945年(昭和20年)当時朝鮮半島最大の肥料工場であった興南工場(戦後北朝鮮政府に接収され、現在は興南肥料連合企業所として運営)に勤務。
大井 敏夫(おおい としお、1916年7月21日 - 200… 大井 敏夫(おおい としお、1916年7月21日 - 2006年8月29日)は、日本の実業家。前郁文堂社長。 1916年(大正5年)7月、東京市本郷区森川町に大井久五郎四男に生まれる。1940年(昭和15年)東京商科大学卒。日本郵船入社。旧帝国陸軍中尉。1945年(昭和20年)3月、大井一族の郷里である長野県佐久市岩尾の大井静江と結婚。 1946年(昭和21年)3月、日本郵船を退社し、父久五郎の創業した郁文堂書店を継いだ。1949年(昭和24年)10月、郁文堂出版有限会社社長。『郁文堂 独和辞典』などドイツ語の学習参考書やドイツ文学関連書籍を数多く刊行した。引退後は郷里佐久の大井氏の家系を研究し、岩尾家譜(現代語訳)を出版した。
林 栄夫(はやし よしお、1916年7月11日 - 1983… 林 栄夫(はやし よしお、1916年7月11日 - 1983年1月21日)は、日本の経済学者。東京都立大学名誉教授。専門は財政学。経済学博士(東京大学、1962年)。栃木県宇都宮市生まれ。
苫米地 俊博(とまべち としひろ、1916年6月30日 - … 苫米地 俊博(とまべち としひろ、1916年6月30日 - 2010年10月20日)は、日本の実業家。三菱商事副社長、米国三菱商事社長、三菱自動車工業副会長、国際大学理事長、ニューヨーク日本商工会議所会頭などを歴任した。 北海道小樽市出身。1941年東京商科大学(現一橋大学)卒業、三菱商事入社。大学在学中、日米学生会議に参加し、宮澤喜一(のちに内閣総理大臣)、奈良靖彦(のちに駐カナダ大使)、山室勇臣(のちに三菱銀行副頭取)らと交遊を持った。財閥解体後、奈良らとともに、野間省一講談社社長の協力を得て貿易会社・飛鳥(「奈良」から「飛鳥」を連想して命名)を設立し、宮澤の弟宮澤泰(のちに駐西ドイツ大使)なども参画したが、1年で倒産した。
馬淵 辰郎(まぶち たつお、1916年6月20日 - 199… 馬淵 辰郎(まぶち たつお、1916年6月20日 - 1995年9月28日)は、日本の実業家。三菱石油(のちのENEOS)の社長や会長、石油連盟副会長を務めた。勲二等瑞宝章受章。 岐阜県出身。旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業。大学では排球部に所属し、のちに東京商科大学排球部監督も務めた。部の後輩に村井勉(元アサヒビール社長)、米倉功(元伊藤忠商事社長)、荒川和夫(元サッポロビール社長)、川勝堅二(元三和銀行頭取)などがいる。 三菱石油では経理畑を歩む。常務を経て、1978年、水島製油所原油流出事故で辞任した渡辺武夫前社長の後任として三菱石油社長に就任。約190億円の累積赤字を一掃したが、健康問題もあり、1983年に社長を退任し会長に就任。
壷井 宗一(つぼい そういち、1916年(大正5年)6月5日… 壷井 宗一(つぼい そういち、1916年(大正5年)6月5日 - 没年不明)は、日本の実業家。国鉄広報部長を経てJR東海の関連会社である中央リネンサプライ社長・会長・顧問となる。岡山県高梁市出身。 1916年(大正5年)岡山県高梁町(現:高梁市)に生まれる。1929年(昭和4年)に旧制高梁中学校(現・岡山県立高梁高等学校)へ進学した。同期には、宮原正吾、三宅真助がいた。1934年(昭和9年)同校を卒業して、1936年(昭和11年)に山口県にある旧制山口高等学校へ入学した。1939年(昭和14年)3月、同高校を卒業し、4月に東京商科大学(現:一橋大学)へ入学する。大学の研究室は、米谷ゼミナールに所属した。
李 東煥(イ・ドンファン、1916年5月19日 - 1991… 李 東煥(イ・ドンファン、1916年5月19日 - 1991年11月11日)は、大韓民国の官僚、外交官。内務省次官や、駐日本首席代表、駐オーストラリア大使などを務めた。日本名は森山 辰雄。 日本統治時代の朝鮮の咸鏡南道端川郡出身。元山公立商業学校を経て、1940年京城高等商業学校卒業。高等文官試験行政科に受かり、1942年に東京商科大学(現一橋大学)卒業後は、朝鮮総督府に入庁した。金東祚は高等商業学校時代の同期。朝鮮総督府江原道属、朝鮮総督府逓信事務官を経て、日本の降伏を迎えた。 大韓民国逓信部郵務局長等を経て、1960年内務省次官。1961年には大平正芳内閣官房長官や、小坂善太郎外務大臣の同窓であることなどから、大使館設置前の駐日韓国代表部首席代表・公使を務め、大学の先輩にあたる足立正日本商工会議所会頭などと接触し、日韓国交正常化に向け尽力した。
小宮山 量平(こみやま りょうへい、1916年5月12日 -… 小宮山 量平(こみやま りょうへい、1916年5月12日 - 2012年4月13日)は、日本の編集者、元理論社社長。 長野県上田市の酒屋に生まれる。2歳で母、10歳で父と死別。父の死後まもなく酒屋は破産し、一家離散となる。小学校5年生のとき、親戚(叔母)を頼り東京に転校。小学校卒業後は、第一銀行で渋沢敬三の給仕をして働きながら大倉商業学校(東京経済大学の前身)の夜間部に通う。在学中、左翼運動サークルを結成。しかし、特別高等警察に勾留され拷問を受けて転向。釈放後、特高警官(給仕時代の先輩の父親)から支援を受け、旧制中学校への編入と卒業資格を得て、東京商科大学(現一橋大学)専門部に進学。在学中から雑誌「統制と経済」の編集を手掛ける。
増淵 龍夫(ますぶち たつお、1916年3月3日 - 198… 増淵 龍夫(ますぶち たつお、1916年3月3日 - 1983年5月12日)は、日本の経済学者・東洋史学者。専門は東洋経済史。一橋大学名誉教授。 1916年、栃木県那須郡生まれ。旧制栃木県立烏山中学校(現栃木県立烏山高等学校)を経て、1940年旧制東京商科大学(現一橋大学)本科を卒業。大学では上原専禄や三浦新七に師事し西洋経済史を研究したが、後に東洋経済史に転向。教育召集により歩兵1712連隊[疑問点 – ノート]、次いで歩兵第66連隊に入隊。終戦時には二等兵として召集解除。 戦後は、1945年より東京産業大学東亜経済研究所参事。1947年に東京商科大学副手となり、1948年より同大経済研究所研究員、1949年より同大経済研究所助教授。
伊藤 達二(いとう たつじ、1916年(大正5年)2月28日… 伊藤 達二(いとう たつじ、1916年(大正5年)2月28日 - 2000年(平成12年)12月11日)は日本の実業家。元三菱地所社長。 神田生まれ。旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業後、三菱合資会社入社。大学の同期に水上達三(のちに三井物産社長)がいる。1953年三菱地所に転籍し、主に営業畑を歩む。 副社長等を経て、1980年社長就任。従来のオフィスビル事業、住宅事業に加え、新たに大型商業施設事業に参入。また三菱重工業横浜造船所跡地を取得し、横浜みなとみらい21の開発を行った。1987年取締役相談役。 2000年12月11日、神奈川県鎌倉市の病院で死去、享年84。
石田 忠(いしだ ただし、1916年2月3日 - 2011年… 石田 忠(いしだ ただし、1916年2月3日 - 2011年1月25日)は、日本の社会学者。一橋大学名誉教授。専門は社会調査。長崎被爆者調査を組織し、日本原水爆被害者団体協議会専門委員等を務めた。 島根県邑智郡吾郷村(現美郷町)大字奥山出身。旧制東京商科大学(現一橋大学)で山中篤太郎に師事。 1965年に厚生省による第1回原子爆弾被爆者実態調査に、隅谷三喜男や中鉢正美とともに参加。その後厚生省調査を批判し、独自に一橋大学に社会調査室を組織。伊東壮(元山梨大学学長)や、門下の濱谷正晴とともに長崎県の被爆者調査に従事。被爆者に生き残ったことに対する罪意識が存在することなどを明らかにした。 日本原水爆被害者団体協議会専門委員等を歴任し、日本被団協調査の企画分析を担当。
足立 龍雄(あだち たつお、大正5年(1916年)1月12日… 足立 龍雄(あだち たつお、大正5年(1916年)1月12日 - 2000年(平成12年)3月15日)は日本の実業家。中村屋社長・会長。東京商科大学(現一橋大学)卒業。 王子製紙社長、日本商工会議所会頭などを歴任した足立正の次男である。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
及川 完(おいかわ まさる/かん、1916年 – 1947年… 及川 完(おいかわ まさる/かん、1916年 – 1947年4月10日)は日本の歴史学者。専門は日本経済史。東京商科大学助教授、東亜経済研究所員。 岩手県江刺郡岩谷堂町(現:奥州市)出身。岩手県立盛岡中学校を卒業後、1930年、東京商科大学大学予科に入学。1933年に卒業し、大学学部に入学する。同期入学に大平正芳がいた。村松恒一郎のゼミで学び、1936年3月に学士試験合格。1937年から1939年まで京城高等商業学校助教授 。その後、日本工業倶楽部調査室勤務を経て、1941年に東京商科大学助手に任命される。同大学では、日本経済史担当の後継者として、川上多助の指導を受けていたが、1943年に応召。
脇坂 貞夫(わきざか さだお、1916年 - 1945年4月… 脇坂 貞夫(わきざか さだお、1916年 - 1945年4月19日)は、日本のフィールドホッケー選手。 滋賀県出身。東京商科大学(現在の一橋大学)在学中、1936年ベルリンオリンピックでホッケー競技に出場した。ポジションは右ウイング。 1939年に大学を卒業すると、満洲中央銀行に入行。まもなく日本帝国陸軍に召集され、第16師団(京都)に配属。 1944年4月、フィリピンのサマール島ネニタ (ceb:Nenita (lungsod sa Pilipinas)) 付近で死去(当時、歩兵第9連隊所属の陸軍大尉)。脇坂は病死であったとみられ、戦後に各種組織で行われた「戦没オリンピアン」の調査では、「戦没」の定義(あるいは「戦死」「戦病死」「病死」の定義)をめぐって、脇坂の名が挙げられている場合と挙げられていない場合がある。
石沢 芳次郎(いしざわ よしじろう、1915年11月26日 … 石沢 芳次郎(いしざわ よしじろう、1915年11月26日 - 2019年11月2日)は、日本の経済学者。位階は従四位。 三木内閣首席参事官、拓殖大学学長、防衛大学校名誉教授、拓殖大学名誉教授。財団法人産業経済研究協会理事長等を歴任した。 1915年、栃木県宇都宮市生まれ。1944年、旧制東京商科大学(現一橋大学)を卒業した。大学では赤松要に師事した。 率朝護は、大倉経済専門学校(現東京経済大学)教授となった。社団法人日本貿易会調査課長の後、防衛庁防衛研修所所員、内閣国防会議事務局参事官、防衛大学校教授となった。拓殖大学教授、拓殖短期大学学長、拓殖大学学長、財団法人産業経済研究協会理事長をつとめた。
片野 饗一(かたの きょういち、1915年(大正4年)11月… 片野 饗一(かたの きょういち、1915年(大正4年)11月16日 - 2002年(平成14年)2月24日)は、日本の銀行家。北都銀行取締役相談役、秋田あけぼの銀行頭取を歴任した。 秋田県湯沢市出身。東京商科大学(現一橋大学)卒業後、三菱商事入社。 1949年(昭和24年)には、父である片野重脩が設立を主導した秋田無尽に入社。その後、秋田相互銀行社長に就任した。 社長在任時は、1976年(昭和51年)の事務センターの開館、翌年にはオンラインシステムの稼動開始など事務のOA化を促進し体制の整備にあたった。また、1982年(昭和57年)には現在の北都ビルディングにあたる「新本店ビル」の竣功にこぎ着けた。
森鼻 武芳(もりはな たけよし、1915年(大正4年)9月9… 森鼻 武芳(もりはな たけよし、1915年(大正4年)9月9日 - 1998年(平成10年)10月6日)は日本の大蔵官僚、銀行家。北海道銀行頭取を17年間務めたほか、全国地方銀行協会副会長や日本カーリング協会会長、北海道公安委員会委員長等も務めた。 東京出身。1941年に旧制東京商科大学(一橋大学の前身)を卒業し、大蔵省入省。理財局属。入省同期には柏木雄介(東京銀行頭取、財務官)、加治木俊道(関西電力副社長、証券局長)、塩崎潤(総務庁長官、経済企画庁長官、主税局長、国税庁次長)らがおり、のちにこれらのメンバーとともに太平洋戦争開戦に備えた敵産管理法案の策定作業をおなこなった。1942年2月、ジャワ軍政監部財務部に転任。