美田 長彦(みた おさひこ、1933年(昭和8年)11月2日… 美田 長彦(みた おさひこ、1933年(昭和8年)11月2日 - )は、日本の政治家。元埼玉県三郷市長(第7代 – 第9代)。旭日中綬章受章。 埼玉県三郷市出身。東京都立小石川高等学校(現・東京都立小石川中等教育学校)を経て、学習院大学政経学部卒。卒業後は埼玉県庁に入り、1975年、埼玉県議会議員(自由民主党)に当選する。県議を5期務め、1994年、三郷市長に当選する。市長を3期務め、2006年の市長選挙では、元三郷市議会議員で前市長の実子である木津雅晟に敗れた。このほか三郷市国際交流協会会長、住みよい三郷をつくる会の代表を務めた。
酒井 通子(さかい みちこ、1933年〈昭和8年〉9月4日 … 酒井 通子(さかい みちこ、1933年〈昭和8年〉9月4日 - )は、日本の旧皇族。久邇宮朝融王と同妃知子女王の第3王女子。旧名、通子女王(みちこじょおう)。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。今上天皇の従伯母にあたる。 1933年(昭和8年)9月4日、久邇宮朝融王と同妃知子女王の第3王女子として誕生。御七夜の9月10日に「通子」と命名された。1947年(昭和22年)10月14日、皇室典範第11条1項により、皇籍離脱。皇籍離脱後は、「久邇 通子(くに みちこ)」と名乗った。その後は、大協石油(現・コスモ石油)に勤務。学習院大学時代の同級生だった永岡義久と結婚するも4年で離婚。その後、酒井省吾と知り合い結婚。
野田 昌宏(のだ まさひろ、1933年8月18日 - 200… 野田 昌宏(のだ まさひろ、1933年8月18日 - 2008年6月6日)は、日本の小説家、SF作家、翻訳家、宇宙開発評論家、テレビディレクター、プロデューサー、経営者。元日本テレワーク株式会社代表取締役社長(後に相談役)。株式会社ガイナックスの元監査役。 1960年代には主に本名の野田宏一郎(のだ こういちろう)名義を用い、1970年代以降は野田昌宏名義を用いた。また、作詞家としては「山本圭一」の変名も使用した。 1933年8月18日、野田健三郎とツヤ子の長男として福岡県で生まれる。1946年、福岡第一師範学校男子部附属国民学校(現在の福岡教育大学附属福岡小学校)を卒業。泰星中学校・高等学校入学。
松尾 文夫(まつお ふみお、1933年8月12日 - 201… 松尾 文夫(まつお ふみお、1933年8月12日 - 2019年2月25日)は、日本のジャーナリスト。東京都出身。 祖父は、二・二六事件で岡田啓介内閣総理大臣の身代わりとなった岡田の義弟、松尾伝蔵大佐。よって岡田は大伯父にあたる。父は、元陸軍大佐で東京ピアノ工業創業者の松尾新一。伯父に政治家の迫水久常や伊藤忠会長の瀬島龍三がいる。 上皇明仁の学友でもあり、学習院では一年間を清明寮(東京・白金の学習院大学キャンパス内に戦後、高等科に進学した皇太子(上皇)のために造られた学生寮)の二人部屋で暮らしたが、生前に周囲にそのことを明かすことはほとんどなかったという。1956年3月、学習院大学政経学部政治学科卒業。
小峰 顕一(こみね けんいち、1933年7月10日 - 20… 小峰 顕一(こみね けんいち、1933年7月10日 - 2012年3月20日)は、日本の経営者。セコム社長を務めた。東京都出身。 神奈川県立湘南高等学校を経て、1956年に学習院大学政経学部を卒業し、同年に日本勧業銀行に入行。 1970年に日本警備保障(のちのセコム)に転じ、1976年12月に取締役に就任し、1981年3月に常務、1986年2月に専務を経て、1990年2月に社長に就任。1995年6月に取締役相談役に就任。 2012年3月20日食道がんのために死去。78歳没。
島津 忠広(しまづ ただひろ、1933年〈昭和8年〉6月27… 島津 忠広(しまづ ただひろ、1933年〈昭和8年〉6月27日 - )は、玉里島津家の第4代当主。学習院大学卒業後、中越パルプに勤務。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 忠久????-1227 | 忠時1227-1265 | 久経1265-1284 | 忠宗1284-1318 | 貞久1318-1363 | 総州家と奥州家に分裂 師久1363-1376 | 伊久1376-1404 | 守久1404-???? | 久世????-1417 | 久林1417-1430 | 断絶 氏久1363-1387 | 元久1387-1411 | 久豊1411-1425 | 忠国1425-1470 | 立久1470-1474 | 忠昌1474-1508 | 忠治1508-1515 | 忠隆1515-1519 | 勝久1519-1526 | 貴久1526-1566 | 義久1566-1587 | 義弘1587-1602 | 家久1602-1638 | 光久1638-1687 | 綱貴1687-1704 | 吉貴1704-1721 | 継豊1721-1746 | 宗信1746-1749 | 重年1749-1755 | 重豪1755-1787 | 斉宣1787-1809 | 斉興1809-1851 | 斉彬1851-1858 | 忠義1858-1897 | 忠重1897-1968 | 忠秀1968-1996 | 修久1996-2024 | 忠裕2024- 久長1281-1317 | 宗久1317-1354 | 親忠1354-1371 | 久義1371-1422 | 勝久1422-1433 | 教久1433-1442 | 犬安丸1442-1458 | 久逸1458-???? | 善久????-1494 | 忠良1494-1526 | 相州家相続
橋本 明(はしもと あきら、1933年5月24日 - )は、… 橋本 明(はしもと あきら、1933年5月24日 - )は、日本のジャーナリスト、評論家。
田辺 礼一(たなべ れいいち、1933年5月22日 - 20… 田辺 礼一(たなべ れいいち、1933年5月22日 - 2006年9月20日)は、日本の実業家(紀伊國屋書店相談役)。元NHKアナウンサー。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
志村 建世(しむら たけよ、1933年5月18日 - )は、… 志村 建世(しむら たけよ、1933年5月18日 - )は、日本の著作家。父は野ばら社の社主だった志村文蔵。 武蔵高等学校(旧制の尋常科に入学し新制で卒業)を経て、1956年に学習院大学英文科を卒業。レジナルド・ブライス教授から禅の思想を学んだ。 卒業後に家業の野ばら社で編集を担当するが、結婚を機に独立した。 1959年から1965年までNHKに在職し、初期の『みんなのうた』を担当して「線路は続くよどこまでも」の作詞などにも参加した。 その後、映像・音楽制作の日教研株式会社を創業し、次いで家庭教育ビデオ教材のにっく映像株式会社を1988年に設立した。 2005年に最初の著書『おじいちゃんの書き置き』を出版し、この年からインターネット上で「志村建世のブログ」の執筆を開始し、以後、社会的発言とともに、歌の訳詞・作詞を含む創作発表の場としても利用している。
河合 秀和(かわい ひでかず、1933年4月28日 - )は… 河合 秀和(かわい ひでかず、1933年4月28日 - )は、日本の政治学者。学習院大学名誉教授。専門は比較政治、イギリス政治。 1933年、京都市生まれ。1952年京都府立鴨沂高等学校卒業。1956年に東京大学法学部を卒業した。1961年東京大学大学院社会科学研究科国際関係論専攻修了。1962年オックスフォード大学セント・アントニーズ・カレッジに留学。1966年学習院大学法学部助教授。1970年学習院大学法学部教授をつとめた。2000年学習院大学東洋文化研究所長。2004年学習院大学を退任後に、中部大学国際関係学部特任教授として教鞭をとった。2008年3月末を以て、中部大学特任教授を退任。 この他に、1991年から1992年に放送大学客員教授。
服部 公一(はっとり こういち、1933年4月24日 - )… 服部 公一(はっとり こういち、1933年4月24日 - )は日本の作曲家、随筆家、音楽評論家。神奈川県鎌倉市在住。 昭和8年(1933年)、山形県山形市生まれ。音楽教師であった祖母の指導で幼少時よりピアノを始める。 山形県立山形東高等学校卒業後、学習院大学文学部哲学科に入学し、久野収ゼミに所属。大学では皇太子・明仁親王と同学年。学部が違ったためいわゆる「ご学友」ではなかったが、「美術史」など一般教養科目をともに履修し、親しく言葉を交わすこともあったという。現在も宮中の茶会などに招かれる間柄である。学生時代からアマチュアの音楽家として活動し、中田喜直・山田耕筰・團伊玖磨らの知遇を得る。同大学4年の時NHKのオーディションに合格。
飯田 亮(いいだ まこと、1933年4月1日 - 2023年… 飯田 亮(いいだ まこと、1933年4月1日 - 2023年1月7日)は、日本の実業家。従四位。セコム創業者、取締役最高顧問。 東京市日本橋区馬喰町(後の東京都中央区日本橋馬喰町)に、酒問屋「岡永」を経営する父・紋治郎の五男として生まれる。神奈川県立湘南中学(後の神奈川県立湘南高等学校)では、石原慎太郎や江藤淳らと同期であり、「太陽族」のモデルとなった遊び仲間のひとりであったとされる。学習院大学政経学部経済学科に進み、1956年に卒業して、父が経営する株式会社岡永に入社した。 1962年に独立して、学生時代以来の「飲み友達」であった戸田壽一とともに日本初の警備保障会社とされる日本警備保障株式会社を設立し、代表取締役社長となる。
利光 哲夫(としみつ てつお、1933年3月10日 - 20… 利光 哲夫(としみつ てつお、1933年3月10日 - 2003年3月14日)は、日本の演劇評論家、翻訳家。 東京生まれ。学習院大学大学院仏文学専攻修士課程修了。演劇雑誌『テアトロ』編集長のほか、フランス演劇の翻訳などをおこなう。
安田 弘(やすだ ひろし、1933年(昭和8年)3月8日 -… 安田 弘(やすだ ひろし、1933年(昭和8年)3月8日 - 2023年(令和5年)7月31日)は、日本の実業家、学校法人理事長。ジャーディン・マセソン(ジャパン)取締役。安田不動産顧問。学校法人安田学園教育会(安田学園中学校・高等学校)理事長。JPモルガン・アセット・マネジメント取締役相談役。マンダリン・オリエンタル東京取締役上席相談役。セコム監査役などを務めた。 安田財閥創始者である安田善次郎の曾孫。 安田一の長男として東京に生まれる。 学習院大学経済学部卒業後、ボストン大学に留学。旧安田財閥系の沖電気工業に入社。 1979年(昭和54年)1月、ジャーディン・マセソンアンド カンパニー(ジャパン)リミテッド取締役に選任され、1986年2月社長、1989年4月会長に就く。
オノ・ヨーコ(小野 洋子、1933年〈昭和8年〉2月18日 … オノ・ヨーコ(小野 洋子、1933年〈昭和8年〉2月18日 - )は、日本の前衛芸術家、音楽家、平和運動活動家。1969年にビートルズのメンバーだったジョン・レノンと結婚。共に平和活動、音楽、創作活動を行ったことでも知られている。ニュースクール大学でジョン・ケージが開いた作曲講座の出席者らと1960年代の前衛運動を主導し、「フルクサス」の関係者でもあった。 1933年(昭和8年)2月18日、小野英輔・磯子の長女として東京で出生した。兄弟姉妹は、洋子(ヨーコ)・啓輔・節子の3人であった。 父・英輔は、日本興業銀行総裁を務めた小野英二郎の三男であり、ピアニストから銀行員に転じ、ヨーコが生まれたときは横浜正金銀行サンフランシスコ支店に勤務していた。
藤島 泰輔(ふじしま たいすけ、1933年(昭和8年)1月9… 藤島 泰輔(ふじしま たいすけ、1933年(昭和8年)1月9日 - 1997年(平成9年)6月28日)は、日本の小説家、評論家、新聞記者。ポール・ボネ名義の著作も多数刊行。ジャニーズ事務所元名誉会長のメリー喜多川は内縁の妻で、のちに先妻・高浜朋子と離婚が成立し再婚。同事務所元社長の藤島ジュリー景子は娘。 日本銀行監事の藤島敏男・孝子夫妻の長男として東京府東京市に生まれる。生母・孝子の死後、継母・紀子(父・敏男の後妻)に育てられる。 初等科から大学まで学習院に学ぶ。皇太子明仁親王の学友の一人で、共にエリザベス・ヴァイニング(ヴァイニング夫人)の教育を受けている。ただ大学卒業後は疎遠であったという。
堀内 茂男(ほりうち しげお、1933年― )は日本の劇作家… 堀内 茂男(ほりうち しげお、1933年― )は日本の劇作家、放送作家。 東京府生まれ。学習院大学経済学科卒業。 大学在学中に、演劇集団「マスカラ」の旗揚げに参加し、脚本を担当した。以後、テレビドラマやラジオ等において、構成作家として活動する。 長寿ラジオ番組『JET STREAM』のナレーション構成担当としても知られる。1970年より同番組に参加し、「遠い地平線が消えて…」で始まる有名なナレーションを手掛けた。その後1994年末で一旦降板したが、2002年より同番組の構成に復帰し、現在も取材を行う毎日である。
岡田 日郎(おかだ にちお、本名:岡田 晃(おかだ ひかる)… 岡田 日郎(おかだ にちお、本名:岡田 晃(おかだ ひかる)、1932年〈昭和7年〉11月3日 - 2022年〈令和4年〉1月2日)は、日本の俳人。 東京都出身。学習院大学文学部卒。福田蓼汀の「山火」に投句、1951年(昭和26年)より「山火」の編集を担当。 1955年「山火」の同人となり、1961年に山火賞を受賞。蓼汀の没後、1990年より「山火」主宰を継承。1993年『連嶺』で第32回俳人協会賞。2014年から俳人協会顧問を務めた。 山岳俳句を多く詠み、「山の俳句歳時記」、句集「水晶」、エッセー集「雲表のわが山々」などの著書がある。2022年(令和4年)1月2日午後3時25分、誤嚥性肺炎のため埼玉県さいたま市内の病院で死去。
永岡 義久(ながおか よしひさ、1932年〈昭和7年〉6月 … 永岡 義久(ながおか よしひさ、1932年〈昭和7年〉6月 - 2015年〈平成27年〉)は、日本の作家、文芸評論家。 福岡県福岡市生まれ。学習院大学政経学部政治学科卒業。 大学生時代に学習院大学の聴講生だった久邇通子と出会い恋仲になる。この事が表沙汰になるのを家族に嫌われたからか久邇通子は1年で大学に通うのを辞め、月に2、3回隠れるようにデートしていた。久邇通子の親族は、永岡義久と久邇通子の結婚を許さなかった。この2人が付き合い始めて5年が経った頃に、久邇通子の父親であった久邇宮朝融王は肝硬変で倒れる。それから近親者の取り計らいで2人の結婚が決まる。意識不明の父の枕元で婚姻届を書く。その時の永岡義久は既にサラリーマンで、飯田橋のアパートで夫婦で暮らしていたが、同居をすれば性格の不一致が広まり4年で離婚する。
嘉納 行光(かのう ゆきみつ、1932年4月5日 - 202… 嘉納 行光(かのう ゆきみつ、1932年4月5日 - 2020年3月8日)は、講道館柔道創始者・嘉納治五郎の嫡孫で、講道館館長と全日本柔道連盟会長を務めた。 1932年、嘉納履正(講道館第3代館長)、百合子の長男として東京に生まれる。全く柔道経験のなかった父と異なり幼少時に柔道を始め、初段に至った。しかしその後、第二次世界大戦が終わり占領期で、GHQにより、柔道が禁止されたため修業は断念した。 1945年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、1951年に東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。同級生には、小林信彦(小説家)、鈴木淑夫(元日本銀行理事)、徳山明(元富士常葉大学学長)、中江陽三(元NHKアナウンサー)、藤井裕久(元財務大臣)、吉田庄一郎(元ニコン会長)などがいた。
柳田 邦夫(やなぎだ くにお、1932年3月7日 - 198… 柳田 邦夫(やなぎだ くにお、1932年3月7日 - 1988年3月1日)は、日本の編集者・ジャーナリスト。筆名に小川晴夏(春香)、小原壮八。日本ジャーナリストクラブ会員。 鹿児島県鹿児島市出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)、ラ・サール高等学校卒業。1959年、学習院大学政経学部政治学科卒業。大学時代には囲碁部に所属し、のちに囲碁アマ四段、将棋アマ二段となる。 中央公論社に入社。「中央公論」「週刊公論」「暮しの設計」「経営問題」「小説中央公論」の雑誌編集に携わったあと、1962年「思想の科学」天皇制特集号事件で労組委員長として闘争し。1972年に退職。のちフリーのジャーナリスト、編集者として活躍した。
戸田 壽一(とだ じゅいち、1932年3月7日 - 2014… 戸田 壽一(とだ じゅいち、1932年3月7日 - 2014年1月30日)は、日本の実業家。カナダのブリティシュコロンビア州出身。 1955年に学習院大学政経学部を卒業。 イギリスの航空会社での勤務等を経て、1962年に飯田亮とともに日本警備保障(のちのセコム)を設立し、常務、専務を経て、1976年2月に副会長に就任し、1998年6月から取締役最高顧問を務めた。 2014年1月30日心不全のために死去。81歳没。
前田 正明(まえだ まさあき、1932年3月3日 - 201… 前田 正明(まえだ まさあき、1932年3月3日 - 2015年10月17日)は、西洋美術史学者。武蔵野美術大学名誉教授。専攻はギリシャ美術、西洋陶芸史。 大阪府出身。1961年学習院大学大学院西洋美術史修士課程修了、ギリシアのアテネ大学、1963年米国ミシガン大学に学ぶ。1977年から1979年まで東京大学医学部解剖学科研究生。1974年、武蔵野美術大学助教授。1980年、教授。1999年7月退任、同年10月名誉教授。2015年10月17日、肺炎のため死去。83歳没。
渡辺 高光(わたなべ たかみつ、1932年2月2日 - )は… 渡辺 高光(わたなべ たかみつ、1932年2月2日 - )は、日本の元俳優・殺陣師。本名、渡部 高璋。 東京府出身。学習院大学卒業。 日活出身。新東宝などで脇役として活動したのち、1964年にテレビドラマ『戦国群盗伝』で知り合った日本大学の「殺陣同志会」メンバー・きくち英一らと「ジャパン・ファイティング・アクターズ(JFA)」を創設し、俳優・殺陣師として活動する。やがてメンバー間での意見の相違からJFAは解散し、その後は中村プロダクションに所属。芸名を「大沢 萬之价」(おおさわ まんのすけ)に改め、1980年代前半まで多くの映画・テレビドラマに出演していた。 特技は空手(初段)・乗馬。 『宇宙猿人ゴリ』(のちに『スペクトルマン』に改題)で共演した成川哲夫は、渡辺は九州地方の出身であるが、『スペクトルマン』の劇中のような九州訛りはなかったと記している。
藤崎 健(ふじさき けん、1932年 - )はジャーナリスト… 藤崎 健(ふじさき けん、1932年 - )はジャーナリスト。
田中 靖政(たなか やすまさ、1931年11月28日 - 2… 田中 靖政(たなか やすまさ、1931年11月28日 - 2006年8月17日)は、日本の社会心理学者。学習院大学名誉教授。 東京出身。学習院大学卒。1963年、米国イリノイ大学大学院コミュニケーション研究科博士課程を修了して Ph.D. を取得。同年、学習院大学助教授。1967年、米国ペンシルベニア大学客員教授およびカナダのサスカチュワン大学客員教授 (1968年まで)。 1968年学習院大法学部教授。1972年「コミュニケーションの科学」で関西学院大学文学博士。2002年定年、名誉教授。核問題の社会学的研究を行い、原子力安全委員会専門委員、日本原子力産業会議理事。
平井 卓志(ひらい たくし、1931年〈昭和6年〉11月22… 平井 卓志(ひらい たくし、1931年〈昭和6年〉11月22日 - 2009年〈平成21年〉7月16日)は、日本の政治家、実業家。 労働大臣、参議院議員(5期)、四国新聞社社主、同取締役会長、西日本放送代表取締役社長兼最高経営責任者(CEO)などを歴任。旧姓は穴吹。 香川県高松市に生まれる。東京都立第四中学校(現東京都立戸山高等学校)に入学。香川県立高松高等学校へ転校し、1950年3月、同校を卒業。 1955年、学習院大学政経学部政治学科卒業。参議院議員平井太郎の秘書となる。間もなく太郎の長女温子と結婚し、女婿となる。1958年、太郎が社長を務めていた四国新聞社に入社。1966年、同社の常務取締役に就任。
福田 一雄(ふくだ かずお、1931年9月26日 - )は、… 福田 一雄(ふくだ かずお、1931年9月26日 - )は、日本の作曲家、指揮者である。 東京都出身。母の方針によって5歳のときから絶対音感教育を受け、モスクワ音楽院の教授を務めていたポール・ヴィノグラードフにピアノを学んだ。 1937年、学習院初等科に入学し、学習院中・高等科を経て、学習院大学政経学部に進んだ。この頃から、幼時から習得していたピアノの腕を生かして音楽関係のアルバイトを始め、ジャズバンドでピアノを弾いたり、進駐軍のクラブ回りなどに参加したりしていた。やがて友人の近衛秀健(近衞秀麿の子)の紹介によって東宝交響楽団(後の東京交響楽団)や東京フィルハーモニー交響楽団、近衛管弦楽団などでもピアニストを務めた。
観世 元信(かんぜ もとのぶ、1931年8月8日 - 201… 観世 元信(かんぜ もとのぶ、1931年8月8日 - 2019年11月10日)は、日本の能楽師。能楽観世流囃子方太鼓方十六世宗家。日本能楽会会員。 1931年 能楽囃子方観世流太鼓十五世宗家・観世元継の長男として東京府(現世田谷区)に生まれる。1946年 父の観世元継が死去し、宗家を継承。1947年 「岩舟」で初舞台。1950年 学習院大学文学部に入学。1952年 東京藝術大学非常勤講師となる。1954年 学習院大学文学部文学科国文学専攻卒業。同年初めての能楽使節団の一員としてイタリア・ビエンナーレ演劇祭に参加。 1959年 「石橋大獅子」を披見。「道成寺」・「乱」・「石橋」等の大曲・秘曲を含め数多くの舞台を勤める。
森田 光德(もりた みつのり、1931年(昭和6年)7月15… 森田 光德(もりた みつのり、1931年(昭和6年)7月15日 - 2007年(平成19年)9月17日)は、日本の実業家。シャボン玉石けん株式会社の3代目代表取締役社長。 福岡県若松市(現・北九州市若松区)で、石鹸の卸問屋の創業者である森田範次郎の三男として産まれる。学習院大学進学後、演劇に熱中し劇評家を目指したが、親に請われて3年の条件で、卸問屋を法人化した株式会社森田商店に入社した。 1964年(昭和39年)、2代目社長だった範次郎の長男が急逝したことに伴い、急遽社長に就任した。本社を若松区から小倉北区に移転し社名を森田商事に改称。主力商品を石鹸から合成洗剤に切り替えたことで業績は上がり、1965年(昭和40年)代には年商が8,000万円を越え、社員は60人以上に達した。
賀陽 文憲(かや ふみのり、1931年〈昭和6年〉7月12日… 賀陽 文憲(かや ふみのり、1931年〈昭和6年〉7月12日 - 2021年〈令和3年〉2月16日)は、日本の旧皇族。賀陽宮恒憲王の第4王子。皇籍離脱前の名・身位は文憲王(ふみのりおう)。 1931年(昭和6年)7月12日誕生。1947年(昭和22年)10月14日、11宮家の皇籍離脱が行われた際、王も皇籍を離脱、賀陽 文憲()となる。学習院大学卒業後、髙島屋に勤務した。伏見宮家の現当主である伏見博明と大韓帝国最後の皇太子と言われた李垠の子•李玖とは、学習院時代の学友である。
高根 正昭(たかね まさあき、1931年6月1日 - 198… 高根 正昭(たかね まさあき、1931年6月1日 - 1982年9月2日)は、日本の社会学者。 東京出身。1954年学習院大学法学部政治学科卒業、1965年スタンフォード大学大学院コミュニケーション専攻修士課程修了、1972年カリフォルニア大学大学院社会学専攻博士課程修了、社会学博士。カリフォルニア州立大学助教授を経て、上智大学教授となった。直腸癌のため51歳で死去した。
円谷 一(つぶらや はじめ、1931年(昭和6年)4月23日… 円谷 一(つぶらや はじめ、1931年(昭和6年)4月23日 - 1973年(昭和48年)2月9日)は、演出家、プロデューサー。円谷プロダクションの2代目社長。作詞家として、東 京一(あずま きょういち)の名義がある。父は初代社長で特技監督の円谷英二。 学習院大学卒。19歳の時にキリスト教の洗礼を受ける(洗礼名パウロ)。 KRT入社前年に、父・英二が特撮を手掛けた映画『ゴジラ』に参加。 1955年にラジオ東京→KRT(テレビ事業は現在のTBSテレビ)に入社。演出部にてディレクターとしてテレビドラマを制作。『おトラさん』や「純愛シリーズ」といった作品にも演出として携わっていた。 中でも、1962年に「東芝日曜劇場」で放送された『煙の王様』(脚本:生田直親)は、芸術祭文部大臣賞を受賞するなど高い評価を得た。
高木 進(たかぎ すすむ、1931年〈昭和6年〉4月20日 … 高木 進(たかぎ すすむ、1931年〈昭和6年〉4月20日 - 1987年〈昭和63年〉8月23日)は、日本のフランス文学者。学習院大学教務部長、のち文学部仏文科教授。皇太子徳仁親王にフランス語を教えた。没後、妻の高木みどりが1993年東宮女官長に選任された。
犬養 智子(いぬかい ともこ、1931年4月18日 - 20… 犬養 智子(いぬかい ともこ、1931年4月18日 - 2016年4月9日)は、日本の作家、翻訳家。 家事、女性問題、高齢者問題、都市問題などについて発言する一方、イラストも手がけ、童話、小説、翻訳も執筆する。 東京府出身。父親は波多野元武(三井物産勤務後千代田証券投資取締役)、母親は瀬下清(三菱銀行第3代会長)の三女・克。長女の犬養亜美はエッセイスト。祖父の波多野承五郎(1858年 - 1929年)は報知新聞記者、フランス公使館付書記官、朝野新聞社長、三井銀行役員、衆議院議員を歴任。 学習院女子短期大学文学科英語専攻卒業後、学習院大学政経学部政治学科に編入学して1954年に卒業する。1955年、米国イリノイ大学大学院入学。
阿見 宏介(あみ こうすけ、1931年4月5日 - 2015… 阿見 宏介(あみ こうすけ、1931年4月5日 - 2015年2月15日)は、歴史作家、放送作家。 本名・鈴木 久尋。東京生まれ。 学習院大学卒。文化放送に勤務時、ラジオプロデューサー。1975年芸術選奨受賞。芸術祭ラジオドラマ部門で14年連続優秀賞受賞。鈴木久尋演劇事務所ステージ97代表。歴史小説を書いた。
三浦 謹一郎(みうら きんいちろう、1931年3月25日 -… 三浦 謹一郎(みうら きんいちろう、1931年3月25日 - 2009年9月21日)は、日本の生命科学者。株式会社プロテイオス研究所取締役社長兼研究所長。日本ウイルス学会名誉会員、元日本分子生物学会会長、元日本蛋白質科学会会長。元千葉工業大学教授、元学習院大学教授、元放送大学講師、国立遺伝学研究所名誉教授、東京大学名誉教授。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
溝口睦子(みぞぐち むつこ、1931年 - 2021年2月9… 溝口睦子(みぞぐち むつこ、1931年 - 2021年2月9日)は、日本史学者、十文字学園女子大学名誉教授。 長崎県生まれ。1958年東京大学文学部国文学科卒業。1976年学習院大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。84年「日本古代氏族系譜の成立」で文学博士。十文字学園女子大学教授を務め、2000年退職、名誉教授となる。専攻は日本古代史、古代文学。
徳川 宗賢(とくがわ むねまさ、1930年11月27日 - … 徳川 宗賢(とくがわ むねまさ、1930年11月27日 - 1999年6月6日)は、日本の言語学者・国語学者。大阪大学名誉教授。博士(文学)。日本語の方言学の第一人者であった。位階は正四位。 東京府出身。田安徳川家9代当主・徳川達孝伯爵の長男徳川達成(のち10代当主、伯爵)の次男として生まれる。母は徳川元子。 学習院大学文学部文学科国文学専攻を卒業。学習院大学大学院人文科学研究科国文学修士課程を修了。東条操に師事した。 国立国語研究所研究員、大阪大学文学部教授を経て、学習院大学文学部日本語日本文学科教授。国語学会代表理事。社会言語科学会会長。第21期国語審議会委員。 急性心筋梗塞により死去。勲三等瑞宝章を授与される。
丸山 昭(まるやま あきら、1930年11月14日 - 20… 丸山 昭(まるやま あきら、1930年11月14日 - 2016年12月15日)は、日本の漫画編集者。『少女クラブ』編集長、講談社取締役を務めた。山梨県甲府市出身。学習院大学文学部哲学科卒業。 1950年代から1960年代にかけて、手塚治虫担当の編集者を務めた。初期のトキワ荘に住む漫画家を発掘、担当を務めて、数々の新人を育て上げた編集者でもある。藤子不二雄Aの自伝漫画『まんが道』にも「編集長の丸池」として登場する。 育てた漫画家として、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、水野英子らがいる。 1953年(昭和28年)、大日本雄弁会講談社(現・講談社)に入社。1954年(昭和29年)、『少女クラブ』編集部配属となり、当時「リボンの騎士」を連載していた手塚治虫の担当となり、以後、手塚番を6年務めた。
吉岡 曠(よしおか ひろし、1930年11月5日 - 200… 吉岡 曠(よしおか ひろし、1930年11月5日 - 2001年12月29日)は、国文学者、学習院大学名誉教授。 1955年3月学習院大学仏文科卒業後、国文科に学士入学し、1957年3月卒業。1959年3月学習院大学大学院修士課程修了。同年4月から学習院大学国文学科助手に着任し、非常勤講師、専任講師、助教授、教授。2001年定年、名誉教授。同年12月29日、食道癌のため死去。
中島 悠爾(なかじま ゆうじ、1930年10月2日 - 20… 中島 悠爾(なかじま ゆうじ、1930年10月2日 - 2024年5月15日)は、日本のドイツ文学者。旧・東京都立大学名誉教授。ドイツ中世文学・語学専攻。 東京出身。学習院大学文学部独文科卒、1958年東京大学大学院修士課程修了。静岡大学教育学部講師、助教授、東京都立大学助教授、教授。1996年定年退官、名誉教授、獨協大学教授。 1979年までNHK教育テレビドイツ語講座講師。1982年ハルトマン・フォン・アウエ『ハルトマン作品集』の共訳により第19回日本翻訳文化賞受賞。2000年『リヒャルト・シュトラウス ホーフマンスタール往復書簡全集』で日本翻訳文化賞受賞。 2024年5月15日、老衰のため神奈川県茅ヶ崎市の自宅で死去。
黒田 美治(くろだ びじ、本名・くろだ よしはる、1930年… 黒田 美治(くろだ びじ、本名・くろだ よしはる、1930年9月25日 - 2001年2月28日)は、日本のカントリー・ウエスタン歌手。男爵黒田一義の孫。 旧福岡藩大老・黒田男爵家(三奈木黒田家)の次男として、イギリスのロンドンにて出生した。妹が後に板東英二と結婚したことから、板東の義兄にも当たる。 日本に帰国後は、学習院高等科 (旧制)を経て学習院大学と慶應義塾大学に在籍。慶大卒業後に、学習院大学時代に知り合った井原高忠とのコンビで、チャック・ワゴン・ボーイズを結成した。後に寺本圭一が加入。戦後日本でいち早くカントリー・ウエスタンを広めた歌手で人気となり活動した。板東によると、一時引退し、板東経営のサウナ風呂のマネージャーをしており、離婚後に別姓の事実婚の女性との間に1子がいる。
成瀬 正俊(なるせ まさとし、1930年〈昭和5年〉9月3日… 成瀬 正俊(なるせ まさとし、1930年〈昭和5年〉9月3日 - 2008年〈平成20年〉4月4日)は、日本の俳人。国宝・犬山城の元城主であり、旧所有者。称号としては愛知県犬山市初の名誉市民を贈られている。角川書店やテレビ朝日にも勤務していた。 父は尾張藩付家老・犬山藩主成瀬正成の末裔で、成瀬家11代当主の成瀬正勝。母は旧松尾藩主太田資美の長男で子爵である資業の娘、文子。東京都生まれ。学習院大学文学部卒業。学位は文学士。1972年(昭和47年)に父の正勝の死去に伴い第12代城主をつとめる。犬山城は2004年(平成16年)4月に成瀬家が設立した財団法人の犬山城白帝文庫に移管された。 長女は財団法人犬山城白帝文庫理事長の成瀬淳子、長男は成瀬正浩。
村田 経和(むらた つねかず、1930年(昭和5年)8月16… 村田 経和(むらた つねかず、1930年(昭和5年)8月16日 - 2011年(平成23年)4月11日)は、日本のドイツ文学者。 曾祖父は村田銃の開発で知られる村田経芳男爵。祖父は村田綱太郎男爵、父は貴族院議員・村田保定男爵(安場末喜の三男で養子に入る)。男爵家。東京出身。 1954年、学習院大学卒業。1956年、東京都立大学大学院独文学修士課程修了。1962 - 64年ボン大学に学び、1974 - 76年ミュンヘン大学講師。 1962年学習院大学文学部助教授。1971年、教授。2001年、定年退任、名誉教授。 安場保吉・大阪大学名誉教授(経済学)は従兄。妻は村田インゲボルグ(1941 - 、ボン大学卒業、東京農工大学外国人教師)。
タキエ・スギヤマ・リブラ(Takie Sugiyama Le… タキエ・スギヤマ・リブラ(Takie Sugiyama Lebra、1930年2月6日 - 2017年5月26日)は、アメリカ合衆国の人類学者。ハワイ大学マノア校名誉教授。日本名は杉山 多喜江。 静岡県清水市生まれ。1951年津田塾大学学芸学部卒業。1954年学習院大学法学部卒業。1960年ピッツバーグ大学大学院修了、M.A.。1967年同大学Ph.D.。1996年までハワイ大学人類学部教授を務め、ハワイ大学人類学名誉教授の称号を受けた。アメリカ合衆国に帰化し、2017年にホノルルで死去後、夫で同じく人類学者のウィリアム・P・リブラとともにパンチボウルに埋葬された。日本名は杉山多喜江。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
御木 白日(みき しらひ、1929年12月1日 - )は、日… 御木 白日(みき しらひ、1929年12月1日 - )は、日本の歌人。父、御木徳近はパーフェクト リバティー教団(PL教団)第2代教主。 愛媛県松山市生まれ。1956年(昭和31年)学習院大学文学部仏文科卒、ソルボンヌ大学に学ぶ。1959年(昭和34年)大正大学大学院文学研究科修了。1965年(昭和40年)短歌芸術賞受賞。1985年(昭和60年)、「日本近代史とリズム」により、大正大学より文学博士を取得。PL学園高等学校の校長、PL学園女子短期大学の学長も歴任した。
荒川 浩和(あらかわ ひろかず、1929年10月26日 - … 荒川 浩和(あらかわ ひろかず、1929年10月26日 - )は、日本の工芸研究者。 秋田県生まれ。1954年学習院大学文学部卒。56年同大学院修士課程修了。1954年東京国立博物館にはいり、漆工室室長、工芸課課長を務めた。
武者小路 公秀(むしゃこうじ きんひで、1929年10月21… 武者小路 公秀(むしゃこうじ きんひで、1929年10月21日 - 2022年5月23日)は、日本の国際政治学者。大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター前所長であり特任教授。明治学院大学国際平和研究所客員所員。専門は国際政治学、平和学。学位は政治学士(学習院大学)。 公益財団法人朝鮮奨学会理事、国連大学副学長、国際人権NGO・反差別国際運動(IMADR)日本委員会理事長などを歴任。 藤原北家の支流・閑院流の末裔で元貴族院議員、駐独大使を務めた武者小路公共の三男としてブリュッセルで生まれる。武者小路実光は異母兄にあたる。祖父は日本鉄道会社発起人で裁判官の武者小路実世。外祖父は伊東義五郎。外祖母の伊東満里子(フランス名マリ・ルイーズ・フラパース)はフランス海軍軍人テオドール・フラパースの娘であり、公秀自身はフランス人とのクオーター(4分の1混血者)である。
章憲王(あきのりおう、昭和4年(1929年)8月17日 - … 章憲王(あきのりおう、昭和4年(1929年)8月17日 - 平成6年(1994年)11月4日)は日本の旧皇族。賀陽宮恒憲王の第3王子。