木下 秀雄(きのした ひでお、1931年7月17日 - 20… 木下 秀雄(きのした ひでお、1931年7月17日 - 2014年3月8日)は、日本の男性俳優、声優。東京府(現:東京都)出身。 明治大学卒業。1953年、東京放送劇団入団。第5期生同期には、里見京子、黒柳徹子がいる。テレビ勃興時代から活動をはじめ、晩年までCMや舞台に出演。 以前はKプロダクション、プロダクション・タンクに所属していた。 声種はハイバリトン。 NPO法人の日本ネイリスト協会で副理事長も務めた。妻は株式会社ユミ・クリエイションの木下ユミ(木下由美)で、娘はネイリストの木下美穂里。 2014年3月8日死去。82歳没。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。
伊上 勝(いがみ まさる、本名:井上 正喜()、1931年7… 伊上 勝(いがみ まさる、本名:井上 正喜()、1931年7月14日 - 1991年11月16日)は、日本の脚本家。群馬県出身。他に「井上 勝」、「森 利夫」などの筆名があった。 長男は脚本家の井上敏樹。孫は脚本家の井上亜樹子。 群馬県立高崎高等学校を卒業後、明治大学に進学。文学部でフランス文学を専攻し、27歳で卒業。広告代理店宣弘社に入社。 東芝商事がテレビ・ラジオ用脚本を募集しているのを知り『遊星王子』の脚本を一晩で書き上げて応募したところ入選。テレビドラマとなったこの『遊星王子』(日本テレビ)の原作・脚本を務めてデビュー。 以後『豹の眼』(TBS)・『快傑ハリマオ』(日本テレビ)など、宣弘社のテレビ冒険活劇物の脚本を執筆した。
芝崎 亨(しばざき とおる、1931年(昭和6年)7月4日 … 芝崎 亨(しばざき とおる、1931年(昭和6年)7月4日 - 1999年(平成11年)10月20日)は、昭和から平成時代初期の政治家。埼玉県東松山市長。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 埼玉県出身。1953年(昭和28年)明治大学商学部卒業。1959年(昭和34年)以来東松山市議会議員を3期務め、1974年(昭和49年)同市長に就任し、5期務めた。退任後は、東松山市施設管理公社理事長を務めた。1999年死去。死没日付をもって正五位に叙され、勲三等瑞宝章を追贈された。
由井 常彦(ゆい つねひこ、1931年〈昭和6年〉6月14日… 由井 常彦(ゆい つねひこ、1931年〈昭和6年〉6月14日 - )は、日本の経営史学者。学位は、経済学博士。明治大学名誉教授。専門は日本経営史・日本経済史。 長野県南佐久郡青沼村(現・佐久穂町)生まれ。与志本代表・由井七郎右衛門の息子、由井定右衛門の甥。 旧制武蔵高等学校を経て、東京大学経済学部卒業。1960年、東京大学大学院社会科学研究科経済史学博士課程修了。明治大学経済学部講師。1963年、助教授。1965年、「中小工業政策の史的研究」で東京大学より経済学博士の学位を取得。1968年、明治大学経営学部教授、日本経営史研究所専務理事に就任し、文部省大学設置審議会委員を務める。1998年に退官、名誉教授。
白木沢 桂(しらきざわ かつら、1931年〈昭和6年〉3月2… 白木沢 桂(しらきざわ かつら、1931年〈昭和6年〉3月27日 - 2008年〈平成20年〉10月4日)は、日本の政治家。岩手県大船渡市長(2期)。岩手県議会議員(2期)。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 岩手県出身。明治大学政経学部卒。1975年から岩手県議を2期務め、1986年、大船渡市長に当選した。市長を2期務めたが、1994年の選挙で元大船渡市議の甘竹勝郎に敗れた。2001年春の叙勲で勲四等瑞宝章を受章。2008年に死去。死没日付をもって従五位に叙された。
若山 三郎(わかやま さぶろう、1931年3月16日 - 2… 若山 三郎(わかやま さぶろう、1931年3月16日 - 2009年10月1日)は日本の小説家。 1931年3月16日、新潟県刈羽郡高柳町(現柏崎市)出身。 日本作家クラブ理事長。日本文芸家協会会員。 新潟県立柏崎高等学校卒業、明治大学政治経済学部中退。 1951年から日本製鋼と西松建設の嘱託通訳を務める。 1953年から1963年まで在日米軍で特殊通訳を務める。消防署に詰めて、消防隊や救急隊が出動した時、当該事件の内容を英語で米軍に説明する仕事だった。このころ、勤務の合間に小説を執筆。 1961年、『国際仲人』によって『講談倶楽部』奨励賞を受ける(この時の同期に太田久行こと童門冬二がいた)。 1963年に米軍通訳を辞して文筆一本の生活に入る。
青木 望 (あおき のぞみ、1931年3月2日 - 2026… 青木 望 (あおき のぞみ、1931年3月2日 - 2026年2月20日)は、日本の作曲家、編曲家。JASRAC会員。 クリスチャンの家系であり、幼少期から母親のオルガン演奏に合わせ賛美歌を毎週歌っていた。これが好きだったといい、後に青木は「私の音楽の原点だった」と回想している。 少年時代から音楽に親しみ、ヴァイオリンが得意であったという。 旧制東京府立第六中学校(現:東京都立新宿高等学校)在学中、知人に誘われてバンド活動を始める。そこでステージ演奏の魅力に摂りつかれたことで学校を中退し、15歳でプロのミュージシャンとしてデビュー。様々なバンドを転々としながら活動する。 当初は、自分が所属するバンドのために作曲・編曲をはじめたが、外部からも頼まれるようになり、放送やレコーディングが多くなると演奏家より稼げるようになったため、作・編曲家に転向。
内藤 功(ないとう いさお、1931年3月2日 - )は、日… 内藤 功(ないとう いさお、1931年3月2日 - )は、日本の弁護士、政治家。日本共産党所属の元参議院議員(2期)。日本共産党名誉幹部会顧問。日本平和委員会代表理事。自由法曹団本部常任幹事。 東京都中央区出身。1952年明治大学法学部卒業後、同大学講師にて教鞭を執りながら弁護士として活動。恵庭事件や砂川事件、長沼ナイキ基地訴訟など憲法裁判で弁護団に関わったほか、恵庭裁判の過程で統幕会議事務局長を法廷で証人喚問、自衛隊による有事研究(三矢研究)を明らかにしたことでも知られる。 1974年の参院選に全国区から立候補し初当選。2期12年参議院議員を務めたが、1989年の参院選で落選するとそのまま政界を引退する。
上野 建一(うえの けんいち、1931年2月25日 - )は… 上野 建一(うえの けんいち、1931年2月25日 - )は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(2期)。 山形県鶴岡市生まれ。1945年2月に、海軍少年兵に志願して、防府海軍通信学校に入った。復員後、鶴岡市役所土木課に勤める。県立鶴岡高等学校(現・山形県立致道館高等学校)定時制在学中に社会党に入党した。1953年、高校を卒業した。同年、上京して『社会タイムス』の記者となった。『社会タイムス』が1954年に休刊すると同年社会主義協会に入局、『社会主義』編集などに携わる。明治大学法学部中退。1962年10月に社会主義協会を退職した。 1963年千葉県議に当選し4期務めた。三里塚闘争初期において小川国彦らとともに支援活動を行う。
高倉 健(たかくら けん、英︰Ken Takakura、19… 高倉 健(たかくら けん、英︰Ken Takakura、1931年(昭和6年)2月16日 - 2014年(平成26年)11月10日)は、日本の俳優・歌手。本名は小田 剛一(おだ たけいち)(または小田 敏政)、だが晩年は親族に剛一郎(ごういちろう)と名乗った。高倉プロモーション所属。 福岡県中間市出身。1998年(平成10年)に紫綬褒章・2006年(平成18年)に文化功労者・2013年(平成25年)には文化勲章を受章した。 1931年(昭和6年)2月16日(月曜日)、筑豊炭田にある福岡県中間市 の裕福な一家に生まれる。4人きょうだいの次男で、上2人は息子、下2人が娘であった。父の小田敏郎は大日本帝国海軍の軍人で、戦艦「比叡」乗り組みなどを経て 炭鉱夫の取りまとめ役(労務管理者)などをしていた。
木庭 久美子(こば くみこ、1931年1月14日 - 202… 木庭 久美子(こば くみこ、1931年1月14日 - 2024年9月14日)は、日本の劇作家。 東京生まれ。旧本名福家久子。明治大学仏文科卒。1956年、前年妻を失った明大教授・中村光夫(本名木庭一郎)と結婚。1979年頃から戯曲の勉強を始める。1985年神奈川県演劇コンクールに脚本「友達」が第一位、文化庁創作作品募集で「父親の肖像」により舞台芸術創作奨励賞、1988年1月戯曲「父親の肖像」を書いて劇団昴によって福田恆存の演出で上演され劇作家デビュー。同年7月夫を喪うがその後も劇作を続け、1991年「カサブランカ」で菊池寛ドラマ賞奨励賞、「さよならパーティ」(1992)「ピアフの妹」「夢二の妻」(1998)「選択 一ヶ瀬典子の場合」(2008)などを上演している。
井上 安雄(いのうえ やすお、1931年1月10日 - 20… 井上 安雄(いのうえ やすお、1931年1月10日 - 2014年1月2日[1])は、和歌山県[2]出身のプロ野球選手。
松旭斎 天正(しょうきょくさい てんしょう、1931年1月1… 松旭斎 天正(しょうきょくさい てんしょう、1931年1月1日 - 2010年7月)は日本の奇術師。東京の出身。本名は清水 満。吉本興業所属。 実子は同じ奇術師の松旭斎小天正。 明治大学出身。松旭斎天洋の弟子。兄弟子には松旭斎滉洋がいた。最初天洋の後見だったが独立後は昭和30年中ごろから弟子の松旭斎幸子を後見に吉本興業の花月に出演。幸子が結婚を機に引退したために1978年10月より実子の松旭斎小天正を後見に活動した。後に引退。2010年7月に没。 また吉本きっての長身であった。
三浦 久(みうら ひさし、1931年1月1日 - 2024年… 三浦 久(みうら ひさし、1931年1月1日 - 2024年4月3日)は、日本の政治家、弁護士。元衆議院議員(日本共産党所属、通算5期)。日本共産党名誉幹部会顧問。 秋田県北秋田郡阿仁合町(阿仁町を経て現在は北秋田市)出身。1954年明治大学法学部を卒業後、弁護士となる。総評弁護団にて三井三池争議の弁護を担当していた縁で北九州市に居住、同地に弁護士事務所を開設。地元北九州市小倉北区(事件発生当時は小倉区)から西日本一帯に広まったカネミ油症事件では弁護団の副団長も務めた。 1971年の北九州市長選に社共共闘で出馬するも無所属現職の谷伍平(自民、民社推薦)に敗れる。翌年の総選挙で旧・福岡4区から出馬し初当選を果たす。
久永 勝一郎(ひさなが かついちろう、1931年 - )は、… 久永 勝一郎(ひさなが かついちろう、1931年 - )は、日本の元フィギュアスケート選手(男子シングル)。フィギュアスケート審判員。実業家。元日本スケート連盟会長。元国際スケート連盟副会長。元日本メディセル社長。元日本レダリー社会長。 鹿児島県鹿児島市出身。選手時代は1952年の全日本ジュニア選手権で3位に入る等の成績を残した。1955年、明治大学商学部卒業。 選手引退後は、外資系製薬会社に就職するとともに日本スケート連盟に所属し、フィギュアスケートの国際審判員を務める傍ら1988年のカルガリーオリンピック日本選手団監督、1992年のアルベールビルオリンピック日本選手団本部役員などを歴任した。
本多 獅子太郎(ほんだ ししたろう、1931年 - )は、日… 本多 獅子太郎(ほんだ ししたろう、1931年 - )は、日本の経済学者。明治大学名誉教授。専門は経済史。 1931年、東京府生まれ。1954年3月、明治大学政治経済学部経済学科卒業。1956年3月、明治大学大学院政治経済学研究科経済学専攻修士課程修了、経済学修士。1959年3月、同博士課程単位取得満期退学。明治大学政治経済学部専任講師、助教授を経て、2000年3月、同学部教授。2001年3月に定年退職。経済学博士(明治大学)。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
海野福寿(うんの ふくじゅ、1931年 - )は、日本史学者… 海野福寿(うんの ふくじゅ、1931年 - )は、日本史学者、明治大学名誉教授。専門は日本近代史。
高木 仁(たかぎ ひとし、1931年 - 2014年1月24… 高木 仁(たかぎ ひとし、1931年 - 2014年1月24日)は、日本の経済学者。明治大学名誉教授。専門は金融論、アメリカ金融制度論。 長野県出身。1961年明治大学第二部商学部卒業。1970年同大学大学院商学研究科博士課程修了。テンプル大学研究員などを経て、1982年に明治大学商学部教授就任。1994年に博士(商学)(明治大学)となり、2002年に退職、名誉教授。
高田 勇(たかた いさむ、1931年 - 2012年9月23… 高田 勇(たかた いさむ、1931年 - 2012年9月23日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。明治大学名誉教授。瑞宝中綬章受章(2010年)。 1931年生まれ。明治大学文学部を卒業し、同大学院文学研究科に進学。修士課程を修了。 1955年、母校の明治大学助手に採用された。講師、助教授、教授に昇格し、2002年に定年退任。学界では、日本ロンサール学会会長を2012年まで務めた。1996年、ランス・シャンパーニュ=アルデンヌ大学より名誉博士号を授与された。2012年9月23日、食道がんのため横浜市内の病院で死去。81歳没。 専攻はフランス・ルネサンスの文学で、関連する著書・訳書を多数上梓したほか、フランス語教育に関する著書なども手がけた。
青木 伊平(あおき いへい、1930年12月9日 - 198… 青木 伊平(あおき いへい、1930年12月9日 - 1989年4月26日)は、日本の議員秘書。竹下登の秘書として知られている。 島根県簸川郡大社町(現・出雲市)出身。島根県立大社高等学校、明治大学工学部卒業。大学卒業後、ベアリングメーカーに就職したが1953年に島根選出の高橋円三郎衆議院議員の秘書となって政界に職を得る。1956年に高橋が死亡したためやはり島根選出の小瀧彬の秘書となる。1958年に小瀧が死去すると、ほぼ同時期に高橋の地盤を継いで衆議院議員となった竹下登の秘書となる。以降、竹下が首相の座に上り詰めるまで、30年間にわたり秘書を勤める。 初当選当時の竹下は、県議時代から議員報酬の大半を政治活動に充てるなど、家計が自転車操業状態にあった。
三橋 美智也(みはし みちや、本名・北沢 美智也、1930年… 三橋 美智也(みはし みちや、本名・北沢 美智也、1930年〈昭和5年〉11月10日 - 1996年〈平成8年〉1月8日)は、北海道上磯郡上磯町峩朗(現在の北斗市)生まれ、函館市育ちの流行歌手。愛称は「みっちゃん」「ミッチー」。 民謡で鍛えた伸びやかな高音と絶妙のこぶし回しを持ち味に、昭和30年代の日本の歌謡界黄金期をリードし、数多くのミリオンセラーを連発。販売枚数は日本人で唯一、1億枚に達したとされている、昭和歌謡界を代表する男性歌手の一人。特に全盛期の昭和30年代前半は「三橋で明けて三橋で暮れる」と言われるほどの絶大な人気を誇った。 セメント会社の作業員だった父は三橋が3歳の誕生日前日に落盤事故で亡くなる。
加藤 一昭(かとう かずあき、1930年11月7日 - )は… 加藤 一昭(かとう かずあき、1930年11月7日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは投手、一塁手。1957年の登録名は加藤 晃朗、1958年と1959年は加藤 晃郎。
三浦 清宏(みうら きよひろ、1930年9月10日 - )は… 三浦 清宏(みうら きよひろ、1930年9月10日 - )は、日本の小説家、心霊研究者、元明治大学理工学部教授。 北海道室蘭市に出生。東京大学文学部英文学科に進んだものの学生運動で休講続きの東大を嫌って21歳で中退し渡米、聴講を含めて3つの大学に通い、アメリカ・サンノゼ州立大学卒業後、アイオワ大学ポエトリー・ワークショップ修了。ヨーロッパを巡った後、1962年、31歳で帰国。1957-1958年、アイオワ時代に米国留学中の小島信夫と知り合い、帰国して半年小島と同居。 1967年から2001年まで、明治大学助教授、教授として英語を教える。1970年、『群像』に小説「立て、座れ、めしを食え、寝ろ」を発表する。
大野 順一(おおの じゅんいち、1930年9月3日 - 20… 大野 順一(おおの じゅんいち、1930年9月3日 - 2015年4月27日)は、国文学者。 東京生まれ。明治大学文学部国文科卒、同大学院修士課程中退。明治大学文学部助教授、同教授、2001年定年退任。筆名・大野純。日本文芸思想史専攻。中世文学が専門だが、日本近代文学も論じた。
石田 幸四郎(いしだ こうしろう、1930年〈昭和5年〉8月… 石田 幸四郎(いしだ こうしろう、1930年〈昭和5年〉8月22日 - 2006年〈平成18年〉9月18日)は、日本の政治家。 衆議院議員(10期)、公明党委員長(第5代)、総務庁長官(第13・14代)、公明新党代表(初代)、新進党副党首、公明党最高顧問を歴任した。実兄は参議院議員を務めた石田次男。 北海道札幌市生まれ。旧制明治中学、明治大学商学部を卒業後、聖教新聞広告部に務める。 1967年1月29日、第31回衆議院議員総選挙に旧愛知6区から立候補し、初当選(通算10期)。公明党臨時党大会で公明党副書記長に就任し、19年に渡り務める。 1986年12月、衆参同日選挙後に行われた公明党大会で公明党筆頭副委員長に就任する。
今井 英二(いまい ひでじ、1930年(昭和5年)7月27日… 今井 英二(いまい ひでじ、1930年(昭和5年)7月27日 - 1994年(平成6年)7月13日)は、昭和から平成時代の政治家。福島県白河市長。 白河市出身。明治大学商学部中退。中退後は帰郷し、家業の製麺工場を経営する。その傍ら白河青年会議所に入り、理事長となる。 1973年(昭和48年)から2期白河市長を務め、1981年(昭和56年)落選。1989年(平成元年)4月、再選し通算4期務めた。1994年(平成6年)7月、急性心不全のため死去。
横井 啓二(よこい けいじ、1930年7月15日 - )は、… 横井 啓二(よこい けいじ、1930年7月15日 - )は、元プロ野球選手。ポジションは捕手、内野手。 石川県金沢市出身。金沢三中時代は、1948年春の甲子園に出場(初戦で、北野中に3-5で惜敗)。夏は投手・三塁手・右翼手など、色々な守備についたが県大会予選でライバルの金沢一中に敗退し、甲子園に行けなかった。 卒業後は、社会人野球の強豪・日鉄鉱業二瀬に入団。ここで真野春美監督と出会い、真野監督が同じ大学(明治大学)の後輩に当たる松木謙治郎に三船正俊投手と共に紹介したことが縁で、1951年に大阪タイガースに入団した。石川県出身者としては初のプロ野球選手かつ初のタイガース選手でもあったが、翌1952年に選手登録(1952年は内野手、1953年は捕手として登録)されるも三船とは違い、一軍出場を果たすことなく1953年に退団した。
近藤 唯之(こんどう ただゆき、1930年5月10日 - )… 近藤 唯之(こんどう ただゆき、1930年5月10日 - )は、日本のスポーツライター、コラムニスト、ノンフィクション作家、野球評論家。 左官職人の長男として東京都の本郷に出生、6歳から野球を始めた。旧制明治中学校では硬式野球部に所属し島岡吉郎監督の指導を受けるも、右肺の弱さから試合出場経験はなし。その後、明治大学法学部へ進学。島岡の薦めにより野球のプレーは諦め、書く方にまわろうとグラウンドに顔を出して野球観戦をした。卒業後の1953年4月に報知新聞社に入社し、同新聞(現:スポーツ報知)のスポーツ記者となる。1956年に朝刊の発行を始めた東京新聞にスカウトされて移籍。毎日の戦評と野球コラム「金曜放談」を署名入りで執筆。
横山 まさみち(よこやま まさみち、男性、1930年4月29… 横山 まさみち(よこやま まさみち、男性、1930年4月29日 - 2003年10月14日)は、日本の漫画家。代表作は『やる気まんまん』。 愛知県名古屋市出身。本名:横山正雄。愛知県立明和高等学校卒。 1950年、明治大学在学中に『ウサギのかごや』でデビューし主に貸し本漫画を多数執筆。1960年代頃からは横山プロダクションを立ち上げ、自身やアシスタントの作品を発表すると同時に、活動の場を少年週刊誌や月刊誌、少女雑誌に広げて活躍した。 1970年代に入って貸本が廃れてくると活動の場を少年誌から成年誌に変えて執筆するようになった。少年向け劇画作家から成年向けアダルトコミックに転身し成功した一人で、日刊ゲンダイに連載した、男性器をオットセイに、女性器を貝に擬したアダルトコミックで一般にもよく知られていた。
黛 執(まゆずみ しゅう、1930年〈昭和5年〉3月27日 … 黛 執(まゆずみ しゅう、1930年〈昭和5年〉3月27日 - 2020年〈令和2年〉10月21日)は、俳人。長女は俳人・黛まどか。神奈川県生まれ。明治大学専門部政治経済科卒業。俳人協会顧問、日本文藝家協会会員。 神奈川県足柄下郡湯河原町に、父・完、母・フサヨの長男として生まれる。1936年4月、湯河原町立尋常高等小学校に入学。翌年に日中戦争が勃発。1942年4月、前年12月に起った太平洋戦争下、小田原商業学校に進学。1944年、14歳で横浜市・杉田の日本飛行機の工場に学徒勤労動員され、寮生活に入る。動員先で終戦を迎え、郷里に帰る。1946年、明治大学専門部政治経済科に入学するが、ほとんど大学へは行かず文芸書を乱読。
桑名 義治(くわな よしはる、1930年3月18日 - 20… 桑名 義治(くわな よしはる、1930年3月18日 - 2021年1月2日)は、日本の元政治家。元公明党衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)。 福岡県出身。1956年明治大学法学部卒。福岡県議を経て、1969年の第32回衆議院議員総選挙で福岡4区から公明党公認で立候補して当選。1972年の第33回衆議院議員総選挙で落選。1974年の第10回参議院議員通常選挙で福岡県選挙区から公明党公認で立候補して当選。2期務める。参議院運輸委員長、党中央委員などを歴任した。1986年の第14回参議院議員通常選挙で落選した。 2021年1月2日11時35分、誤嚥性肺炎のため、北九州市内の病院で死去。90歳没。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
菅野 武雄(かんの たけお、1930年3月7日 - )は、福… 菅野 武雄(かんの たけお、1930年3月7日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手。 修猷館中学から1948年に明治大学に入学。主に守備固めとして活躍した。同期には樽井清一、加藤一昭などがいる。 明大OBである天知俊一の誘いで、木下育彦とともに1951年に名古屋ドラゴンズに入団。しかし児玉利一の壁を崩せず、1952年限りで退団。 その後は、東海電通でプレーした。
岡本 勇(おかもと いさむ、1930年3月3日 - 1997… 岡本 勇(おかもと いさむ、1930年3月3日 - 1997年11月16日)は、日本の考古学者。 神奈川県横須賀市生まれ。1952年明治大学文学部史学地理学科卒業、1954年明治大学大学院文学研究科考古学専攻修士課程修了。1964年立教大学専任講師、1966年助教授、1974年辞職。横浜市立大学、立教大学などで講師を務めた。 1953年から1954年にかけて、八ヶ岳南麓長野県南佐久郡南牧村の矢出川遺跡の発掘調査で日本最初の細石刃を芹沢長介、地元の考古学研究家由井茂也らと共に発見した。 1960年代、横浜市北部埋蔵文化財調査委員会に参加し、開発に呑み込まれる横浜市北部の遺跡(青葉区内の朝光寺原遺跡や稲荷前古墳群など)を数多く発掘調査し保存活動に尽力した。
菅原 道裕(すがわら みちひろ、1930年1月25日 - 2… 菅原 道裕(すがわら みちひろ、1930年1月25日 - 2014年8月15日[要出典])は、千葉県出身のプロ野球選手(外野手)。 東葛飾中学から明治大学に進学する。明治大学に入ってから野球を始め、未経験ながらもめきめきと頭角を現すが、弱点を晒すなど不遇の時を過ごす。1952年に大映スターズに入団し、1年目から外野のレギュラーを獲得し、主に5番打者として試合に出場。1953年は打率.287(リーグ8位)をマークし、オールスターゲームにも出場した。翌年は飯島滋弥に変わって4番を任される試合もあった。翌年からは再び5番打者として活躍した。1956年に控えとなることが多くなり、この年に引退した。
煎本 増夫(いりもと ますお、1930年 - )は、日本史学… 煎本 増夫(いりもと ますお、1930年 - )は、日本史学者。 神戸市生まれ。1960年明治大学大学院修士課程修了。神奈川県立横浜平沼高等学校教諭、明治大学・國學院大學講師を務め、相武歴史研究会代表。
徳永 豊(とくなが ゆたか、1929年12月29日 - 20… 徳永 豊(とくなが ゆたか、1929年12月29日 - 2015年10月31日)は、日本のマーケティング学者、明治大学名誉教授。 1929年 12月29日 山口県下関市で生まれる。1947年 4月明治大学 専門部商科に入学、1950年 3月卒業。その後、同年4月に明治大学 商学部商学科(旧制)に入学、1953年に同課程 卒業。1953年 4月~1956年 3月まで東京青色申告会連合会に勤務。1956年 4月 明治大学 商学部 助手、1958年 5月~ 1961年 3月 同大学同学部 専任講師、1961年 4月~1966年 3月 助教授、1966年 4月~2000年 3月 教授、この間、同学部学部長、大学院研究科長を歴任。
新井 裕(あらい ひろし、1929年〈昭和4年〉11月6日 … 新井 裕(あらい ひろし、1929年〈昭和4年〉11月6日 - 2018年〈平成30年〉8月18日)は、群馬県出身の実業家。第一勧業銀行副頭取、オリエントコーポレーション社長などを務めた。 1929年、群馬県前橋市出身。1947年旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業。1953年に明治大学商学部を卒業し、第一勧業銀行入行。1973年赤羽支店長となり、以降は神保町、堂島、昭和通、京橋支店の各支店長を歴任した。1982年に取締役営業第二部長、1984年に常務取締役、1987年に代表取締役専務、1988年に代表取締役副頭取に昇進。1992年に山万アーバンフロント代表取締役社長、翌1993年にオリエントコーポレーション社長に就任。
山崎 巌(やまざき がん、1929年11月4日 - 1997… 山崎 巌(やまざき がん、1929年11月4日 - 1997年3月8日)は、日本の脚本家、小説家である。 1929年(昭和4年)11月4日、神奈川県横浜市に生まれる。 第二次世界大戦終了後、明治大学専門部文科を卒業し、化粧品をセールスしたり、通訳を務めたり、 1950年(昭和25年)6月に勃発した朝鮮戦争で設立された特需会社、あるいは相互金融会社に勤務した。 1955年(昭和30年)、同年下村明が発表した小説『黒帯三国志』の映画化に参加、松浦健郎、谷口千吉とともに脚色した。同作は、谷口が監督、東宝が製作して、翌1956年(昭和31年)1月29日に公開され、映画脚本家としてデビューした。デビュー第2作は、同年、ひきつづき松浦とともに宮本幹也の小説『大学の石松』を脚色、伊賀山正徳が監督し、東映東京撮影所が製作、東映が配給して同年5月18日に公開された。
野村 耕三(のむら こうぞう、1929年〈昭和4年〉10月1… 野村 耕三(のむら こうぞう、1929年〈昭和4年〉10月14日 - 2001年〈平成13年〉10月15日)は、日本の作詞家、放送作家、脚本家である。日本作詩家協会理事を歴任した。本名同、ペンネームに山野 良夫(やまの よしお)がある。 1929年(昭和4年)10月14日に生まれる。明治大学政治経済学部を卒業後、大蔵事務官に任官(昭和26年)、東京国税局 国税調査官などとして働いた経歴を持つ。 1960年(昭和35年)、西河克己監督、児井英生プロデュースの映画『俺の故郷は大西部』に本名で原作を提供、翌1961年(昭和36年)の野口博志監督、児井プロデュース作『早討ち無頼 大平原の男』以降、「山野良夫」名義で原案・原作を提供する。
栗木 孝幸(くりき たかゆき、1929年10月3日 - 19… 栗木 孝幸(くりき たかゆき、1929年10月3日 - 1998年11月11日)は、岐阜県出身のプロ野球選手(外野手)。
岡野 加穂留(おかの かおる、1929年 <昭和4年> 6月… 岡野 加穂留(おかの かおる、1929年 <昭和4年> 6月22日 - 2006年 <平成18年> 6月7日)は、日本の政治学者。明治大学名誉教授。第11代明治大学学長。専門は、比較政治学、政治制度論、比較憲法学。位階は正四位。 日本におけるデモクラシー研究の第一人者。民主主義という精神論を科学としての政治学から排除し、比較政治制度研究の過程の中でデモクラシー概念を洗練化させ、政治的多数者による統治方式と捉えた。他方では、人権・平等・平和など政治的理念をうたう日本国憲法を固持する姿勢は、政治家共通の心情になければならないとの一貫した姿勢を表明していた。また、スウェーデンの福祉国家・社会民主主義政策を評価していた。
小枝 英勲(こえだ ひでのり、1929年〈昭和4年〉6月1日… 小枝 英勲(こえだ ひでのり、1929年〈昭和4年〉6月1日 - 2014年〈平成26年〉8月12日)は、日本の政治家。岡山県久米郡中央町長。岡山県議会議員・議長。(自由民主党)。 岡山県久米郡加美村(加美町→中央町を経て、現在の美咲町)原田に生まれる。旧制岡山県立津山中学校(現在の岡山県立津山中学校・高等学校)を経て、明治大学法学部を卒業する。卒業後は、アメリカのスタンフォード大学大学院に学び、修了する。帰国後は全国農業協同組合中央会に入り、経理課長、教育部次長などを務める。その後、帰郷し、1976年の衆議院議員総選挙に岡山1区から新自由クラブ公認で立候補したが、落選した。3年後の1979年の総選挙では無所属で立候補したが落選した。
諏訪 優(すわ ゆう、1929年4月29日 - 1992年1… 諏訪 優(すわ ゆう、1929年4月29日 - 1992年12月26日)は、日本の詩人、翻訳家。 東京生まれ。1949年明治大学文芸科卒。在学中より吉本隆明らと詩誌『聖家族』を創刊。ウィリアム・バロウズやアレン・ギンズバーグといったアメリカのビート・ジェネレーションの影響を受け、その作品を翻訳して日本へと紹介した。ギンズバーグやゲーリー・スナイダーとは直接の交流もあった。1992年没、墓所は東京都世田谷区の宗福寺。 息子は俳優の諏訪太朗。佐野元春と深い交友があった。
樽井 清一(たるい せいいち、1929年4月24日 - 19… 樽井 清一(たるい せいいち、1929年4月24日 - 1995年4月21日)は、大阪府出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。1956年と1957年の登録名は樽井 克友。
富塚 三夫(とみづか みつお、1929年2月27日 - 20… 富塚 三夫(とみづか みつお、1929年2月27日 - 2016年2月20日)は、日本の労働運動家、政治家。元日本労働組合総評議会(総評)事務局長、日本社会党衆議院議員(2期)。 福島県伊達郡国見町出身。1943年、国有鉄道に就職。1955年3月、明治大学政治経済学部(二部)卒。 1966年に国労東京地方本部委員長、1973年に国労本部書記長となる。 1975年の統一ストライキ(スト権スト)においては、公労協代表幹事として取り組んだ。 1976年7月から1983年7月まで7年間総評事務局長を務めた。 1983年12月の衆議院議員総選挙に旧神奈川5区より日本社会党公認で立候補し当選。1986年の総選挙は落選したが、1990年に返り咲く。
五社 英雄(ごしゃ ひでお、1929年(昭和4年)2月26日… 五社 英雄(ごしゃ ひでお、1929年(昭和4年)2月26日 - 1992年(平成4年)8月30日)は、日本の映画監督、脚本家、演出家。本名の読みは「ごしゃ えいゆう」。明治大学商学部卒業。ニッポン放送プロデューサー、フジテレビ映画部長、五社プロダクション社長を務めた。テレビ業界出身の映画監督第1号である。 時代劇の殺陣において、竹光でなくジュラルミンの刀身を採用して俳優の迫真の演技を引き出し、刀と刀がぶつかる際の金属音や、人が斬られる時の効果音を音響スタッフと共に独自に開発したことで知られる。アウトローを主人公にした作品を一貫して手がけ、滅びに向かって走る人間の情念のきしみや美学を描くことを信条としていたその代表作には、『三匹の侍』、『御用金』、『人斬り』、『雲霧仁左衛門』、『鬼龍院花子の生涯』、『極道の妻たち』などがあり、丹波哲郎、仲代達矢、平幹二朗、安藤昇、夏八木勲、夏目雅子、岩下志麻、かたせ梨乃、名取裕子らの新たな魅力を引き出した。
大和久 守正(おおわく もりまさ、1929年2月25日 - … 大和久 守正(おおわく もりまさ、1929年2月25日 - )は、日本の脚本家である。1962年(昭和37年) - 1968年(昭和43年)の時期に連続テレビ映画『特別機動捜査隊』の各話を数多く執筆し、劇場用映画においては、高倉健が主演した『昭和残侠伝 死んで貰います』(1970年)あるいは『新網走番外地 吹雪の大脱走』(1971年)の脚本家として知られる。 Smartザテレビジョン、allcinema等での読み「やまと くままさ」、テレビドラマデータベースで併記される「大和守久正」は、いずれも誤りである。 1929年(昭和4年)2月25日、東京府東京市本所区(現在の東京都墨田区)に生まれる。「大和久」姓は江東区大島の大和久煉炭工業(現在のシャイニングサービス)創業者・大和久十郎、元墨田区議会議員・大和久常雄ら、同地区にみられる姓である。
福島 正実(ふくしま まさみ、1929年2月18日 - 19… 福島 正実(ふくしま まさみ、1929年2月18日 - 1976年4月9日)は、樺太出身の編集者、SF作家、SF評論家、翻訳家。 本名:加藤 正実(かとう まさみ)。別名:加藤 喬(かとう きょう)、原 狷介(はら けんすけ)がある。 長男の加藤 喬(かとう たかし、1957年 -)は元米陸軍大尉で米国防総省外国語学校日本語学部長であり、第3回開高健賞奨励賞受賞者である。次男の加藤まさし(別名・桑沢慧、1963年 - )も翻訳・著述を手がけている。義弟(妹の夫)は内田庶(宮田昇)。詩人田村隆一の2度目の妻は正実の従姉妹。 初代『S-Fマガジン』編集長であり、それまで日本の出版界では商業的に成功しなかったSFを日本に定着させるため、様々な分野で精力的に活動し、「SFの鬼」と呼ばれた。
志田 諄一(しだ じゅんいち、1929年1月29日 - 2… 志田 諄一(しだ じゅんいち、1929年1月29日 - 2011年12月21日)は、日本の歴史学者。 山形県生まれ。明治大学大学院文学研究科博士課程修了、1998年「常陸国風土記と説話の研究」で史学博士。茨城キリスト教大学教授、学長、99年定年退職、名誉教授。茨城県教育委員長、元日立市郷土博物館館長、日本古代史・古代中世氏族研究の研究者。 茨城県文化財保護審議会委員、県教育委員長を歴任。 2005年、瑞宝中綬章を受章した。武田氏の発祥について、現在では、1968年に志田諄一が『勝田市史』において発祥を清光(新羅三郎義光)の三男(次男とも)である源義清が常陸国那珂郡武田郷を本貫として武田姓を名乗ったとする説が提唱され、以来定説として支持されている。
小林 一夫(こばやし かずお、1929年(昭和4年)1月24… 小林 一夫(こばやし かずお、1929年(昭和4年)1月24日 - 2007年(平成19年)12月13日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県熊谷市長。埼玉県議会議員(1期)。熊谷市名誉市民。 位階は従四位。現熊谷市長の小林哲也は実子。 埼玉県大里郡熊谷町(現熊谷市)出身。明治大学法学部卒業。熊谷市議会議員(3期)、同議長を経て、1983年(昭和58年)、自由民主党公認で埼玉県議会議員に当選。ついで1期目途中の1986年(昭和61年)、熊谷市長増田敏男の衆院選立候補(落選)による辞職に伴う市長選挙に立候補し、当選した。市長は2002年まで4期務めた。2007年死去。死没日付をもって従四位に叙された。