水品 平右衛門(みずしな へいうえもん、文久元年9月3日〈1… 水品 平右衛門(みずしな へいうえもん、文久元年9月3日〈1861年10月6日〉 - 1918年〈大正7年〉8月11日)は、明治・大正時代における日本の実業家、政治家である。信濃毎日新聞記者から政界に入って長野市会議員や衆議院議員(当選2回)を歴任し、実業界では長野市所在企業の役員や日本建築用製紙社長を務めた。 水品平右衛門は、文久元年9月3日(新暦:1861年10月6日)、水品平内の長男として生まれた。水品家は善光寺門前町の岩石町(現・長野市岩石町)に居を構える旧家で、綿商を家業とする。「平右衛門」のは当主が代々襲名した名である。 水品は加藤天山の門で学んだのち長野県師範学校に入り、さらに東京の尺振八塾で英学、明治法律学校で法学を専攻した。
江間 俊一(えま しゅんいち、文久元年5月10日(1861年… 江間 俊一(えま しゅんいち、文久元年5月10日(1861年6月17日) - 昭和8年(1933年)5月31日)は、日本の弁護士、政治家。 1861年6月(文久元年五月)、遠江国磐田郡の東海道見附宿(現静岡県磐田市)の豪家山本幸七の子として生まれる。後に江間忠五郎の娘つねの入婿となる。1889年(明治22年)明治法律学校(現在の明治大学)卒業後、弁護士となり、東京弁護士会常議員、議長を歴任した。 1903年(明治36年)に明治大学雄弁会が発足した際に名誉会員となる。この雄弁会は一度活動休止状態となるが1908年(明治41年)に復活し、このとき会長に就任した。 政治家としては東京府会議員、東京市会議員・議長などを務め、1902年(明治35年)には第7回衆議院議員総選挙に立憲政友会から出馬して当選し、その後も第10回衆議院議員総選挙(無所属)、第12回衆議院議員総選挙(立憲同志会)に当選した。
中澤 楠弥太(なかざわ くすやた、1861年2月27日(万延… 中澤 楠弥太(なかざわ くすやた、1861年2月27日(万延2年1月18日) - 1906年(明治39年)11月7日)は、高知県出身の政治家、実業家。 1861年(万延2年)、土佐国長岡郡大津村字田辺島(現高知県高知市大津)で、郷士・中澤愿一、以登の長男として生まれた。明治法律学校(現・明治大学)卒業。 自由民権運動に従事し、板垣退助らの知遇を得る。1891年、県会議員に当選。更に同参事会員などを務めた他、実業界に於いては、土佐紙業組合頭取などを務めた他、1902年には高知銀行(現・四国銀行)頭取に就任。1905年、衆議院議員に当選(高知県郡部選出、立憲政友会)。 その他、高知商工会議所会頭、土陽新聞(高知新聞)専務、土佐農工銀行頭取なども務めた他、国道高知ー徳島線の開通、平山発電所の建設、土佐電気鉄道の敷設、電話局の開局などに大きな貢献を果たし、若くして高知県政財界のリーダーとして重きをなしたが、1906年、上京中に急性化膿中耳炎のため46歳で急逝した。
小島 相陽(こじま そうよう、万延元年12月26日(1861… 小島 相陽(こじま そうよう、万延元年12月26日(1861年2月5日) - 昭和11年(1936年)4月21日)は、日本の衆議院議員。弁護士。 信濃国水内郡安茂里村(現在の長野県長野市)出身。明治法律学校(現在の明治大学)に学ぶ。 明治12年7月埼玉県の代言人免許を受けて代言人となる。 明治26年、弁護士法制定にともない弁護士登録。 1893年(明治26年)4月28日、松本、上田、長野の三代言人組合が合同し、長野弁護士会設立後、初代近藤牧太のあとを受けて1896年(明治29年)長野弁護士会会長に就任し、1935年(昭和10年)まで39年間にわたり会長を務めた。また上水内郡会議員、長野県会議員に選出された。
松野 祐次郎(まつの ゆうじろう、万延元年12月5日(186… 松野 祐次郎(まつの ゆうじろう、万延元年12月5日(1861年1月15日) - 大正3年(1914年)11月22日)は、日本の衆議院議員(立憲国民党)、弁護士。 美濃国不破郡青野村(現在の岐阜県大垣市)に栗田武兵衛の長男として生まれ、松野清之助の養子となった。1878年(明治11年)、岐阜県立師範学校を卒業。明治法律学校(現在の明治大学)に学び、弁護士試験に合格。弁護士の業務に従事する傍ら、岐阜県会議員、同副議長、同議長に選出された。 1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙で当選を果たした。
高杉 金作(たかすぎ きんさく、1860年(萬延元年)10月… 高杉 金作(たかすぎ きんさく、1860年(萬延元年)10月 - 1931年(昭和6年)4月22日)は、日本の政治家、実業家。 陸奥国津軽郡高杉村(青森県中津軽郡高杉村を経て現弘前市)出身。明治法律学校(明治大学)卒業。青森県会議員、弘前商工会議所会頭などを務め、1915年には第12回衆議院議員総選挙に立憲政友会から出馬し、当選した。第五十九国立銀行(現青森銀行)の第5代頭取や、青森貯蓄銀行(現みちのく銀行)取締役なども務めた。勲四等。
山谷 虎三(やまや とらぞう、万延元年7月14日(1860年… 山谷 虎三(やまや とらぞう、万延元年7月14日(1860年9月1日) - 昭和2年(1927年)1月15日)は、日本の衆議院議員(立憲国民党)。弁護士。 美作国真島郡勝山(現在の真庭市)出身。1882年(明治15年)、明治法律学校(現在の明治大学)を卒業。代言人、弁護士として活動した。勝山町会議員、中国鉄道株式会社支配人、阿哲銀行頭取などを務めた。 1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。1916年(大正5年)の補欠選挙でも再選を果たした。
依田 銈次郎(よだ けいじろう、1860年8月26日〈万延元… 依田 銈次郎(よだ けいじろう、1860年8月26日〈万延元年7月10日〉 - 1933年〈昭和8年〉9月28日)は、日本の弁護士・内務官僚。政友会系官選県知事。 篠山藩士・依田秀実の長男として同藩江戸藩邸で生まれる。1876年に上京して芳野金陵塾や二松学舎に通った。一時帰郷後再び上京し、講法学舎に入ったが、舎監大岡育造と対立して退学し、斎藤孝治らとともに明治法律学校に入学。1882年、同校を卒業し代言人(弁護士)となり、自由民権運動に参画。 1894年、富山区裁判所判事となり、宮津区裁判所判事に異動。1898年、宮崎県警部長に転じた。以後、福島県警部長、奈良県警部長、高知県警部長、山口県警部長、山口県事務官・第四部長、新潟県事務官・警察部長、石川県事務官・内務部長、東京府事務官などを歴任。
阿部 政太郎(あべ まさたろう、1859年12月24日(安政… 阿部 政太郎(あべ まさたろう、1859年12月24日(安政6年12月1日) - 1934年(昭和9年)10月4日)は、青森市長、衆議院議員(立憲政友会)。号は波城。 陸奥国南津軽郡浪岡村(現在の青森県青森市)出身。1878年(明治11年)、青森県師範学校予科を卒業し、小学校教員となった。ついで青森県医学校監事補、青森県御用掛を務めた。その後、官を辞して上京し、明治法律学校(現在の明治大学)で学んだ。 帰郷後、南津軽郡会議員に選出され、さらに青森県会議員に選出された。1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。その後、1917年(大正6年)と1925年(大正14年)の2度青森市長に選出された。
寺田 栄(てらだ さかえ、1859年12月12日(安政6年1… 寺田 栄(てらだ さかえ、1859年12月12日(安政6年11月19日) - 1926年(大正15年)1月13日)は、日本の官僚・裁判官・政治家。玄洋社幹部。族籍は東京府平民。貴族院議員。長女の鳩山薫(鳩山薫子)は鳩山一郎(総理大臣)の妻で共立女子学園長。鳩山威一郎の祖父、鳩山由紀夫(総理大臣)、鳩山邦夫の曽祖父。鳩山紀一郎、鳩山太郎、鳩山二郎の高祖父。 1859年(安政6年)、福岡県人・寺田案山子の長男として生まれる。1877年(明治10年)に福岡で発生した士族反乱、反政府暴動である「福岡の変」に参加し、国事犯に問われたため一族と別れ、分家して一家を創立した。 1882年(明治15年)、明治法律学校を卒業。
杉浦 鋼太郎(すぎうら こうたろう、1859年〈安政5年〉1… 杉浦 鋼太郎(すぎうら こうたろう、1859年〈安政5年〉12月 - 1942年〈昭和17年〉)は、明治時代から昭和時代の教育者。現在も残る大成高等学校や東洋高等学校、芝国際中学校・高等学校を創立した。中等教育や受験教育、国語教育、女子教育、商業教育などで私学の先駆けとなる事業を手掛けた人物。 尾張藩士の長男として名古屋で生まれる。1875年(明治8)に上京し、英学や漢文を学んだ。西南戦争に従軍した後、警察官となったが、病を得たため名古屋に戻り、民権運動に従事した。再び上京し1884年、明治法律学校に入学し。在学中、学資が尽きたため、新聞の探訪員(外回り記者)をしながら勉学を続けたという。同学校の振興策を発案したところ、学校の経営状況が改善したというのが教育に携わるきっかけとなる。
高橋 安爾(たかはし あんじ、1859年〈安政6年〉10月 … 高橋 安爾(たかはし あんじ、1859年〈安政6年〉10月 - 1923年〈大正12年〉7月3日)は、日本の政治家、弁護士。 宮城県桃生郡出身。明治法律学校(明治大学)卒業。代言人試験に合格し、法律事務に従事。以後、埼玉県議会議員などを経て、埼玉県より立憲政友会所属で国政に出馬。第4回衆議院議員総選挙で当選し、第9回衆議院議員総選挙でも再選を果たす。衆議院懲罰委員長などを務めた。 勲四等を追贈されている。
井上 篤太郎(いのうえ とくたろう、1859年7月12日〔安… 井上 篤太郎(いのうえ とくたろう、1859年7月12日〔安政6年6月13日〕 - 1948年〔昭和23年〕11月28日)は、明治から昭和前期の実業家、政治家。現在の京王電鉄の前身・京王電気軌道の事実上の創業者である。 明治法律学校(現在の明治大学の前身)を経て、愛甲郡役所の書記を務めた後、村会議員、神奈川県会議員を務めた。1912年(明治45年)5月、第11回衆議院議員総選挙(神奈川郡部、立憲政友会)で当選し、衆議院議員を1期務めた。 その後、富士瓦斯紡績(現・富士紡ホールディングス)に入社し、社長の和田豊治の知遇を得る。その縁で、玉川電気鉄道(現・東急電鉄世田谷線など)や王子電気軌道(現・都電荒川線)の取締役に招聘され、それぞれの経営の安定化に貢献。
岡本 貫一(おかもと かんいち、1858年(安政23年)10… 岡本 貫一(おかもと かんいち、1858年(安政23年)10月 - 没年不明)は日本の実業家。戦前の三井財閥の幹部。 千葉県山辺郡大網宿生まれ。岡本知忠の養子となり、岡本姓を名乗る。明治法律学校(現・明治大学)に学んだ後、第二次大戦前の当時、三井物産、三井銀行と共に、三井財閥御三家の一角を占めていた、三井鉱山合名会社に入社。 三井鉱山合名会社で主事となった後、三井財閥の本社組織となる三井合名会社が設立されたのに伴い同社に移り、鉱山部理事に就任。更に1909年に株式会社化により、三井鉱山株式会社が設立された際には、三井家出身者の指定席である社長に次ぐポストとして、團琢磨(後の三井財閥総帥)らと共に取締役に任ぜられ、「三井財閥御三家」の経営の中枢を担った。
荒井 啓五郎(あらい けいごろう、安政5年8月13日〈185… 荒井 啓五郎(あらい けいごろう、安政5年8月13日〈1858年9月19日〉 - 1920年〈大正9年〉7月22日)は、明治から大正前期の公証人、政治家。衆議院議員。足尾鉱毒問題における田中正造の同労者。 上野国邑楽郡石打村(群馬県邑楽郡石打村、高島村大字石打、中島村、邑楽村を経て現邑楽町石打)で、名主・荒井源十郎、みね の長男として生れた。英僊三から読書、習字を学び、1874年(明治7年)に上京して飯田章湖の塾に入門して漢学を修めた。 帰郷して、1880年(明治13年)蜂巣長五郎を招聘し幽谷義塾を開き、主として英学、漢学、数学を郷土の子弟に教えた。1881年(明治14年)再度上京して明治法律学校(現明治大学)で法律学、経済学を学んだ。
丸山 名政(まるやま なまさ、1857年11月11日(安政4… 丸山 名政(まるやま なまさ、1857年11月11日(安政4年9月25日) - 1922年(大正11年)11月21日)は、日本の政治家(衆議院議員)、実業家。族籍は東京府士族。 信州須坂藩士・丸山本政の長男。1874年(明治7年)に上京。講法学舎を経て、明治法律学校(現・明治大学)に入学。内務省地理局勤務を経て、自由民権運動に入り、嚶鳴社員として立憲改進党結成に参画。東京横浜毎日新聞記者、下野新聞主筆などを務めた後、1885年(明治18年)に代言人となる。 国会開設後は、第2回、第8回衆議院議員総選挙に当選。その他、東京市会議員、同参事会員、東京府会議員も務め、1899年(明治32年)に明治法律学校校友となる。
立川 雲平(たつかわ うんぺい、1857年10月14日〈安政… 立川 雲平(たつかわ うんぺい、1857年10月14日〈安政4年8月27日〉 - 1936年〈昭和11年〉1月24日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(3期)。『破戒』(島崎藤村)に登場する市村代議士のモデルといわれる。 1857年(安政4年)、淡路国三原郡立川瀬村(後賀集村、現兵庫県南あわじ市賀集立川瀬)で、立川伝平の長男として生まれる。伝平は百姓出身だが足軽の株を買って洲本に移った。雲平は洲本の藩校を経て、1871年、徳島師範学校入学。1876年、京都へ遊学。岸田俊子、小室信介など民権派の人々と交遊関係を深める。1881年、明治法律学校入学。1882年、代言人試験合格。翌年、郷里で弁護士事務所を開業。
若林 玵蔵(わかばやし かんぞう、1857年9月19日(安政… 若林 玵蔵(わかばやし かんぞう、1857年9月19日(安政4年8月2日)- 1938年(昭和13年)5月3日)は、日本の速記者である。幼名は銓太郎。 武蔵の埼玉郡加須に生まれる。明治法律学校(現在の明治大学)に入学し、在学中の1882年(明治15年)に田鎖綱紀に師事し、彼が開いた日本傍聴筆記法講習会の記念すべき第一回講習生して加入した。これにより、卒業後の1884年(明治17年)に埼玉県議会の議事記録に携わる。 その後は矢野龍渓が著した『経国美談』の後編や三遊亭圓朝の『怪談牡丹灯籠』の速記したものを版にする事にも携わり、速記物の実用化に貢献した。これにより若林は多くの速記者の育成や、1890年(明治23年)には帝国議会における衆議院の常任速記者としても活動した。
斎藤 孝治(さいとう こうじ、1856年3月10日(安政3年… 斎藤 孝治(さいとう こうじ、1856年3月10日(安政3年2月4日) - 1917年(大正6年)8月22日)は、日本の弁護士、公証人、東京府会議員。 古河藩士・斎藤三平の子として江戸駒込の藩邸で生まれた。1872年に上京して儒者亀田鶯谷の塾で学んだ。1875年警視庁巡査となり、西南戦争に従軍。戦後、北畠道龍・矢代操らの講法学舎に入ったが、1881年、明治法律学校(明治大学の前身)の開校にあたって幹事として庶務にあたり、また一学生として法学を修め、同校最初の卒業生の一人となった。 1882年に代言人試験に合格し、秩父事件や野口男三郎事件などで弁護活動に従事。日本弁護士協会の創設に参画し、1898年には副会長となった。
小磯 忠之輔(こいそ ちゅうのすけ、1856年(安政3年10… 小磯 忠之輔(こいそ ちゅうのすけ、1856年(安政3年10月) - 1904年(明治37年)12月31日)は、日本の衆議院議員(弥生倶楽部)。弁護士。 新庄藩出身。1878年(明治11年)、栃木県師範学校を卒業し、小学校訓導を務めた。1884年(明治17年)、明治法律学校(現在の明治大学)を卒業し、代言人の業務に従事した。その他、両羽銀行顧問や三浦銀行顧問を務めた。 1893年(明治26年)12月22日、衆議院議員補欠選挙で当選。直後の12月30日、第5回帝国議会において衆議院が解散されたため、小磯の在任期間は9日間となった。衆議院事務局広報課によれば衆議院議員で最も短い在任期間である。
柴田 孟甫(しばた もうほ、安政元年4月5日〈1854年5月… 柴田 孟甫(しばた もうほ、安政元年4月5日〈1854年5月1日〉 - 昭和元年〈1926年12月30日〉)は、静岡県出身で1889年に東京で公証人に任命された最初期の公証人のひとりであり、大正4年(1915年)に懲戒免職となった。女優の三浦環は長女。 安政元年(1854年)、遠江国城東郡朝比奈村(現在の静岡県御前崎市)に、父・秀吉の長男として生まれる。幼少期より聡明で、早くから和漢の学問に通じ「神童」と評された。14歳の時には、浜松県知事による計算能力者の選抜において第一位に選ばれるなど、若くしてその才を示した。 20歳で戸長に就任し、村の行政事務を担い、その真摯な仕事ぶりで信頼を得た。その後、榛原郡の書記を務めた。
美濃部 貞亮(みのべ ていりょう、1853年(嘉永6年5月)… 美濃部 貞亮(みのべ ていりょう、1853年(嘉永6年5月) - 1904年(明治37年)8月19日)は、日本の弁護士、政治家。 尾張国出身。山田松斎の門下にて学んだ後、明治法律学校(現明治大学)で磯部四郎から学び、1882年に仁杉英(のちの衆議院議員)らと共に、「治罪法詳解」を著した。名古屋にて弁護士を開業した後、1888年愛知県会議員となり、愛知県会副議長に就任。1890年の第1回衆議院議員総選挙で愛知県第11区から出馬し、当選した。 曾孫がイオングループ創業者の岡田卓也。玄孫にはイオングループ経営者の岡田元也と政治家の岡田克也(外務大臣、元民主党党首)などがいる。
岸本辰雄(きしもと たつお/ たつゆう、1852年12月18… 岸本辰雄(きしもと たつお/ たつゆう、1852年12月18日(嘉永5年11月8日) - 1912年(明治45年)4月4日)は、日本の法学者。明治大学の創設者。 因幡国南本寺町(現在の鳥取市)に鳥取藩士岸本平次郎の三男として生まれる。幼名、辰三郎。当初藩校尚徳館で蘭式兵法を修める。 戊辰戦争に従軍後、1869年(明治2年)、箕作麟祥の共学塾に入門。翌年、貢進生として鳥取藩の推薦を受け、大学南校(後の東京大学)に入学。1872年(明治5年)、新設の司法省明法寮(後に司法省法学校)に第一期生として入学。ジョルジュ・ブスケ、ギュスターヴ・エミール・ボアソナードらにフランス法を学び1876年(明治9年)卒業。
榊 喜洋芽(さかき きよめ、1852年8月26日(嘉永5年7… 榊 喜洋芽(さかき きよめ、1852年8月26日(嘉永5年7月12日) - 1912年(明治45年)6月21日)は、明治時代の政治家、弁護士。衆議院議員(3期)。 陸奥黒石藩領津軽郡黒石村(青森県南津軽郡中郷村、黒石町を経て現黒石市)出身。黒石藩士榊波衛の長男。のち弘前市下白銀町に移り住む。 1872年(明治5年)東奥義塾の設立に関与し教師を経て寮監となったが父の勧めで上京し明治法律学校に入学し法律を学んだ。卒業後、代言人となり青森と弘前に事務所を開いた。一方で政治活動にも奔走し、1882年(明治15年)から青森県会議員を3期、1889年(明治22年)から弘前市会議員を務め、県議、市議ともに議長を務めた。
岩崎 万次郎(いわさき まんじろう、1852年(嘉永5年)7… 岩崎 万次郎(いわさき まんじろう、1852年(嘉永5年)7月 - 1911年(明治44年)8月2日)は、日本の明治期の政治家。衆議院議員として当選2回。自由民権家として知られる。 1852年(嘉永5年)、下野国(現・栃木県)南部の農家に生まれる。若くして地元野木宿の名主や佐川野村戸長を務めたのちに明治法律学校で法を学ぶ。 1881年(明治14年)自由民権運動に惹かれ自由党に入党したが、運動の激化に伴って加波山事件に関わり、また大阪事件でも嫌疑をかけられて都度数か月収監された。1884年には栃木県会議員に当選し、以降4期務めている。1887年(明治20年)には保安条例により東京から退去を命ぜられた。
宮城 浩蔵(みやぎ こうぞう、1852年6月2日(嘉永5年4… 宮城 浩蔵(みやぎ こうぞう、1852年6月2日(嘉永5年4月15日) - 1893年(明治26年)2月13日)は、日本の刑法学者、政治家。明治法律学校(のちの明治大学)創設者の一人。衆議院議員。 ギュスターヴ・エミール・ボアソナードの弟子。ボアソナード起草にかかる旧刑法下で、フランスの刑法理論である新古典派・折衷主義を日本にもたらすことに大きく貢献し、「東洋のオルトラン」と呼ばれた。なお、オルトランはボアソナードの師である。 その後、宮城の刑法理論は、資本主義の発達に伴う累犯の増加に対応できないとして新派刑法理論の立場から批判された[誰によって?]。 民法典論争では、梅謙次郎と共に施行断行派に与したが、その最中腸チフスのため42歳で急死した。
河村 藤四郎(かわむら とうしろう、1852年(嘉永5年) … 河村 藤四郎(かわむら とうしろう、1852年(嘉永5年) - 1929年(昭和3年)4月)は、佐賀県出身の政治家・実業家。藩末期から明治にかけて唐津の教育、政治、経済界で幅広く活躍した。長兄は初代唐津村長の河村如壽(河村家四代目当主)。唐津市初代の市長河村嘉一郎は藤四郎の長男。 唐津藩士で奉行職(普請小奉行)を勤めた河村如茂(河村家三代目当主)の三男として生まれる。 少年時代、陽明学派の一色耕造が開いた町田の一色塾に学び、後に多久の儒家草場佩川(はいせん)の長男草場船山(せんざん)の門に入った。その学業の優秀さが認められた藤四郎は、若年にもかかわらず、藩から食料を給された。次いで、長崎師範学校に学んだ藤四郎は上京し、1880年(明治14年)、岸本辰雄や西園寺公望らによって創立された明治法律学校(現在の明治大学)に入学、第1回生となった。
井上 正一(いのうえ せいいち、1850年4月7日(嘉永3年… 井上 正一(いのうえ せいいち、1850年4月7日(嘉永3年2月25日) - 1936年(昭和11年)10月3日)は、日本の法学者、衆議院議員、大審院判事。 長門国大津郡伊上村(山口県大津郡菱海村、油谷町を経て現在の山口県長門市油谷伊上)生まれ。1866年の四境戦争に際して長州藩諸隊の一つ鐘秀隊に加わり、芸州口と石州口を転戦。その後許可を得て隊を離れ、萩明倫館と山口文学寮で学ぶ。維新後に単身上京して箕作麟祥の下でフランス学を修めた。1870年開成学校に入った後、長州藩の貢進生に選ばれ、大学南校を経て1875年に司法省法学校を卒業。同年秋にフランスに留学し、法学博士の学位を取得。1881年に帰国するとただちに司法省雇となり、開校間もない明治法律学校(のちの明治大学)にも講師として迎えられた。
五藤 めぐみ(ごとう めぐみ、11月28日 - )は、日本の… 五藤 めぐみ(ごとう めぐみ、11月28日 - )は、日本のフリーアナウンサー。オフィスキイワード大阪本社所属。 京都府京都市出身。明治大学経営学部卒業。 大学を卒業後、2003年にラジオ福島 (rfc) に入社。同期に同局アナウンサーの渡邉美香がいる。 ラジオ福島を退社後、テレビ山梨 (UTY) のアナウンサーを経てフリーアナウンサーへ転向した。フリー転向直後はジョイスタッフに所属していたが、後にオフィスキイワードへ移籍した。それに伴い、活動拠点を関東地方から近畿地方へと移している。 18歳で夫になる男性と出会い、10年の遠距離恋愛を経て結婚し、2児をもうける。123社の入社試験で落ち、大学4年の12月にラジオ福島に内定。
二木 智耶子(ふたつぎ ちやこ、8月29日 - )は、日本の… 二木 智耶子(ふたつぎ ちやこ、8月29日 - )は、日本の女優、ナレーター、タレント、司会者、声優。福岡県出身。明治大学経営学部卒業。 学生時代より持ち前の明るいキャラクターとクリアな声質をみがき、テレビのレポーター、CM、番組ナレーター、ラジオでのパーソナリティーなど数々の話す現場を経験。その後、抜群のバランス感覚を生かして舞台や映画へと活躍の場を広げている。
池田 美佳(いけだ みか、7月2日 - )は、秋田県大仙市… 池田 美佳(いけだ みか、7月2日 - )は、秋田県大仙市出身のコンテンポラリー・ダンサー、振付家、モデル、女優。身長167cm。 秋田県立横手高等学校を経て、2007年に明治大学文学部(演劇学専攻)を卒業。 7歳よりモダンダンス、クラシックバレエ、ジャズダンス、体操などを学ぶ。全国コンクールに於いて、中学生時代に2連覇するなど、計4回優勝。2005年文化庁新進芸術家国内研修員選出。2009年、自身の振付けによるソロ作品にて新人賞受賞。2010年、新国立劇場監督David Bintley氏により期待の新鋭アーティストに選出され、ソロ作品を発表。2011年、秋田県芸術選奨。特技は、書道5段・ピアノ・和太鼓・水泳など。
鹿野 未涼(かの みすず、6月21日 - )は、福岡県を拠点… 鹿野 未涼(かの みすず、6月21日 - )は、福岡県を拠点に活動している日本のフリーアナウンサー。 福岡県福岡市出身。明治大学卒業。大学在学時にはテレビ朝日アスクにも通っていた。 2017年4月に鹿児島放送に入社し、同期の小田都由、柏野仁弥とともに同局のアナウンサーになる。同局在籍中に防災士の資格を取得した。 2022年3月に鹿児島放送を退社し、フリーアナウンサーに転身。同時にNHK福岡放送局の契約キャスターになり、同年4月から『はっけんTV』と『はっけんラジオ』に隔週出演している。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
コラムニスト・ひかり(生年不詳 6月2日 ‐)は、東京都出身… コラムニスト・ひかり(生年不詳 6月2日 ‐)は、東京都出身のコラムニストである。「子供おばさん」シリーズで、コラムを執筆している。アメブロ公式トップブロガーとしても活躍している。All About恋愛・人間関係ガイド。 「子供おばさん」というワードを「大人女子」の反対の造語として生み出し、流行らせた(商標登録済み)。 明治大学文学部文学科演劇学専攻卒。劇団員、イベントMC、上場企業の広報社員などを経験し、会社員時代に書いていたブログ「ホンネのOL“婚活”日記」(現:「ホンネの“子供おばさん”日記~愛と光の道へ~」が人気に。2009年に夕刊フジでのコラム連載をきっかけにコラムニストに。2011年からAll Aboutの恋愛・人間関係ガイドとして執筆。
宮本 淳子(みやもと じゅんこ、5月27日 - )は、元アナ… 宮本 淳子(みやもと じゅんこ、5月27日 - )は、元アナウンサー・ラジオパーソナリティ。 2012年4月より、常葉大学短期大学部日本語日本文学科に勤務、現在は、教授。 静岡県浜松市出身。巳年生まれ。血液型はAB型。愛称は「じゅんじゅん」。 明治大学文学部文学科卒業後、2000年4月に和歌山放送(WBS)にアナウンサーとして入社、2006年9月退社。 2007年4月より静岡エフエム放送(K-mix)のアナウンサー・パーソナリティとなる。 2012年3月退社、同時にパーソナリティ活動を終了。 2012年4月から常葉学園短期大学日本語日本文学科助教となる。 ワインエキスパート(日本ソムリエ協会公認)、英語教員免許の資格を持っている。
花柳 まり草(はなやぎ まりくさ、5月21日 - )は、東京… 花柳 まり草(はなやぎ まりくさ、5月21日 - )は、東京都出身の日本舞踊家。 幼少より日本舞踊を習い、大妻高等学校を経て、2004年に、宝塚音楽学校入学。 2006年、宝塚歌劇団に92期生として入団。入団時の成績は3番。宙組宝塚大劇場公演「NEVER SAY GOODBYE」で美春 あやか(みはる あやか)として初舞台。その後、星組に配属。第7期スカイ・フェアリーズもつとめた。 2009年に宝塚歌劇団を退団後は明治大学に進学し、文学部演劇学専攻を卒業。また、2011年の花柳流普通部名取試験合格、2013年に師範試験である花柳流専門部試験の合格経て、日本舞踊花柳流師範となる。 国内外の舞踊公演に出演する一方、野村萬斎主演『現代能 安倍晴明』、市川海老蔵主演『石川五右衛門外伝』、中村獅童×初音ミク主演『南座 超歌舞伎』等、伝統芸能の異種コラボに日本舞踊から参加するなど、クロスオーバーな活動も見せ、日本舞踊の普及に努める。
広末 慧(ひろすえ けい、2月19日 - )は、日本のギタリ… 広末 慧(ひろすえ けい、2月19日 - )は、日本のギタリスト、作曲家、編曲家。神奈川県出身。血液型B型。 M-10 レイニー新宿ラインM-1 吉原ラメント(DVD) M-2 星詠みエンドラヴァーM-3 きっと宇宙の片隅で 音源録音以外に、ライブや映像等でサポートを行っているアーティスト。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
みずきほたる(1月17日 - )は、日本のイラストレーターお… みずきほたる(1月17日 - )は、日本のイラストレーターおよび原画家。神奈川県横浜市在住。血液型はA型。明治大学卒。ひよこソフト代表であり、株式会社トゥインクルクリエイトの社長を務める。 ツインテールの少女のイラストを中心に商業・同人で活動し、4コマ漫画を描くこともある。 原画家・イラストレーター以外でも活動しており、同人サークル「水鏡」ではプロデューサーを担当。代表作は『灯穂奇譚』(公式サイトでは雑用係となっている。)。また、「ケロQ」のグッズ作成にも多数協力している。 2008年には月音、Blasterheadらと株式会社トゥインクルクリエイト(アダルトゲームブランドはひよこソフト)設立を発表。
細谷 浩司(ほそや こうじ)は、ブラジル日本通運社長。宮城県… 細谷 浩司(ほそや こうじ)は、ブラジル日本通運社長。宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身。
古澤 融 は、日本の声優、舞台俳優、演出家。個人事務所のロウ… 古澤 融 は、日本の声優、舞台俳優、演出家。個人事務所のロウノーツ エージェンシー 所属。劇団「Rlung風-ルン-」座長。本名及び旧芸名は古澤 徹(読み同じ)。
大平 透 は、日本の声優、俳優、アナウンサー。大平プロダクシ… 大平 透 は、日本の声優、俳優、アナウンサー。大平プロダクション代表。日本俳優連合副理事長。最後は81プロデュースに所属していた。クリスチャンで日本基督教団信徒。
ビートたけし は、日本のお笑いタレント、俳優、キャスター、司… ビートたけし は、日本のお笑いタレント、俳優、キャスター、司会者、映画脚本家、監督。本名、北野 武。映画監督としては本名の「北野武」名義を用い、日本国外では主に「Takeshi Kitano」の名義が用いられている。
本田直之(ほんだ なおゆき)は、日本の実業家・著述家・プロデ… 本田直之(ほんだ なおゆき)は、日本の実業家・著述家・プロデューサーである。レバレッジコンサルティング株式会社の代表取締役を務め、ハワイと東京を拠点とするデュアルライフを2007年より実践している。 累計300万部を超えるベストセラー「レバレッジシリーズ」をはじめとする著書を77冊刊行し、ビジネス書作家としても知られる。また、ガストロノミー分野でのプロデュース活動や、日本ソムリエ協会認定ソムリエとしての活動でも注目を集める。ハワイと東京を中心とした複数拠点での生活を実践し、独自のライフスタイルを提唱している。 明治大学商学部産業経営学科を卒業後、米国アリゾナ州立大学サンダーバード国際経営大学院でMBA(経営学修士)を取得した。
吉永 浩二(よしなが こうじ)は熊本県出身の日本の柔道家。中… 吉永 浩二(よしなが こうじ)は熊本県出身の日本の柔道家。中量級の選手。 鎮西高校1年の時には早くもインターハイ団体戦で優勝を飾った。2年と3年の時は3位だった。また、3年の時は個人戦の重量級で3位に入った。 明治大学へ進学すると、1年の時から団体戦のレギュラーで活躍して優勝大会では2位になった。2年の時には新人体重別の重量級決勝で天理大学の奥田元則を破って優勝すると、優勝大会でも優勝を果たした。全日本学生選手権には中量級で出場するが、決勝で高校時代からのライバルだった明治大学では1学年下となる原吉実(吉永とは同じ年だが、浪人したために学年は1つ下となった)に合技で敗れた。3年の時には優勝大会で2連覇すると、体重別の中量級で3位になった。
石井 寛子 は、女子競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪… 石井 寛子 は、女子競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第104期生。日本競輪選手会東京支部所属。ホームバンクは京王閣競輪場。
山崎 行雄 は元テレビ神奈川取締役顧問、株式会社tvkコミュ… 山崎 行雄 は元テレビ神奈川取締役顧問、株式会社tvkコミュニケーションズ相談役。神奈川県横浜市在住(約50年)。
逢地真理子(おうち まりこ)は、日本のフリーアナウンサー。元… 逢地真理子(おうち まりこ)は、日本のフリーアナウンサー。元富山テレビ放送アナウンサーである。
康 すおん(かん すおん)は、日本の俳優。大阪府出身。
今西 正男 は、日本の男性俳優、声優。京都府出身。最終所属は… 今西 正男 は、日本の男性俳優、声優。京都府出身。最終所属は東京俳優生活協同組合。
牛田 裕子 は、日本の女性声優。長野県出身。青二プロダクショ… 牛田 裕子 は、日本の女性声優。長野県出身。青二プロダクション所属。
内田 聡明 は、日本の声優、ナレーター、舞台俳優、演出家。静… 内田 聡明 は、日本の声優、ナレーター、舞台俳優、演出家。静岡県出身。ぷろだくしょんバオバブに所属していた。