高松 潤一郎(たかまつ じゅんいちろう、1941年 - )は… 高松 潤一郎(たかまつ じゅんいちろう、1941年 - )は、日本の油彩画家。 北海道小樽出身。1960年に東京都立豊島高等学校を卒業し、1964年に立教大学理学部数学科を中退。 以後、油彩で幻想絵画を描き続けている。親が早くに死去したため、母親の弟である映画俳優の室田日出男と長く一緒に生活した。
立教大学:1,675人
高松 潤一郎(たかまつ じゅんいちろう、1941年 - )は… 高松 潤一郎(たかまつ じゅんいちろう、1941年 - )は、日本の油彩画家。 北海道小樽出身。1960年に東京都立豊島高等学校を卒業し、1964年に立教大学理学部数学科を中退。 以後、油彩で幻想絵画を描き続けている。親が早くに死去したため、母親の弟である映画俳優の室田日出男と長く一緒に生活した。
太田 紘一(おおた こういち、1940年12月23日 - )… 太田 紘一(おおた こういち、1940年12月23日 - )は兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(投手)。 兵庫高では甲子園に出場できなかったが、コールドゲーム参考記録を含め3度のノーヒットノーランを記録した。卒業後は立教大学に進むが中退し、1960年11月に大阪タイガース入団。 翌1961年にリリーフで初登板、9月には初先発を果たす。1962年には中継ぎとして一軍に定着し、リーグ優勝に貢献した。同年の東映フライヤーズとの日本シリーズでも2試合に登板。その後も毎年20~30試合程度に登板し、防御率も2点台から3点代前半と安定していた。落ちるシュートとカーブが武器の投手だった。 1965年頃から登板数が減り始め、1967年には登板機会もなく自由契約になる。
山田 耕嗣(やまだ こうじ、1940年〈昭和15年〉12月1… 山田 耕嗣(やまだ こうじ、1940年〈昭和15年〉12月17日 - 2008年〈平成20年〉8月19日)は、日本の放送評論家。 東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草)生まれ。立教大学文学部 でロシア語を学び、在学中の1960年からNHK国際局でアルバイトを開始した。大学卒業後の1963年にキングレコードに就職。洋楽部ディレクターを務めたが、後にワーナー・パイオニアに移籍する。 1955年頃からBCL(海外の短波放送を受信する趣味)を開始し、1964年5月に「アンデスの声」(HCJB)が日本語放送を開始した際には、日本から最初の受信報告書を送った。1970年代から1980年代にかけてのBCLブームの時期には、ディレクターとしての仕事の傍ら、月刊「ラジオの製作」(電波新聞社)などにBCL関連の記事を連載し、さらに『BCLマニュアル』(1976・1980年、電波新聞社)、『入門BCLブック』(1977-1981年、82年版は『BCLデータブック』。
早川 建二(はやかわ けんじ、1940年12月6日 - )は… 早川 建二(はやかわ けんじ、1940年12月6日 - )は東京都出身のラジオ日本の元アナウンサー。 立教大学経済学部経営学科卒業後、1964年当時のラジオ関東入社。ラジオ日本ジャイアンツナイターなどスポーツ中継を中心に担当。記録・データに詳しく、放送の中でも発揮していた。 鉄道、時刻表、テニスなどに造詣が深く、博識であった。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
梅 勝夫(ばい かつお、1940年11月29日 - )は、日… 梅 勝夫(ばい かつお、1940年11月29日 - )は、日本の元バスケットボール選手。 立教大学卒業。積水化学で選手として活躍。 全日本にも選ばれ、1964年東京オリンピックに出場。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
石川 陽造(いしかわ ようぞう、1940年11月24日 - … 石川 陽造(いしかわ ようぞう、1940年11月24日 - )は、愛媛県伊予三島市(現・四国中央市)出身の元プロ野球選手(投手)。
佐々木 克(ささき すぐる、1940年11月23日 - 20… 佐々木 克(ささき すぐる、1940年11月23日 - 2016年7月31日)は、日本の歴史学者。位階は従四位。 京都大学名誉教授。専門は日本近代政治史。秋田県大仙市出身。 立教大学文学部において大久保利謙の指導を受けた。国立国会図書館司書補佐として、憲政資料室において「三条実美関係文書」や「広沢真臣関係文書」の整理や目録編纂を行う。1977年に京都大学人文科学研究所助教授となり、1988年に教授に昇任。2004年に定年を迎える。幕末・維新から自由民権期にかけての政治史や人物史を中心に多数の著書・論文を執筆したほか、『大津市史』など自治体史編さんにも参画した。また2000年から2004年まで明治維新史学会会長を務めている。
成田 純治(なりた じゅんじ、1940年11月18日 - )… 成田 純治(なりた じゅんじ、1940年11月18日 - )は博報堂代表取締役社長。東京都出身。
岡村 浩二(おかむら こうじ、1940年11月10日 - )… 岡村 浩二(おかむら こうじ、1940年11月10日 - )は、香川県丸亀市出身の元プロ野球選手(捕手)。
山内 豊彦(やまのうち とよひこ、1940年10月22日 -… 山内 豊彦(やまのうち とよひこ、1940年10月22日 - 2022年6月17日)は、日本の実業家、元記者。一般社団法人共同通信社元社長、元顧問、公益社団法人日本広告審査機構(JARO)元理事長。 1940年、静岡県生まれ。1963年3月、立教大学経済学部卒業。同年4月、共同通信社入社。編集局経済部長、編集局長、業務局長などを経て2000年から専務理事、2002年10月から社長代行・専務理事。2002年12月、社長就任。2005年、社長を退任した後、顧問に就任。 2012年6月、公益社団法人日本広告審査機構(JARO)理事長に就任。2018年6月、JARO理事長を退任。 2021年6月まで公益財団法人同盟育成会の理事長も務めた。
青尾 幸(あおお さち、旧姓:南村、1940年10月20日 … 青尾 幸(あおお さち、旧姓:南村、1940年10月20日 - )は、元日本テレビアナウンサー。 主に、報道・教養番組、天気予報を担当した。皇室関連の番組を長く担当していたため、ロイヤル青尾という愛称で呼ばれることもあった。
佐々木 徹(ささき とおる、1940年(昭和15年)9月4日… 佐々木 徹(ささき とおる、1940年(昭和15年)9月4日 - )は、日本近代文学研究者、茨城キリスト教大学名誉教授。立教大学文学部日本文学科卒。同大学院修士課程修了。鹿児島の大学をへて、シオン短期大学教授、茨城キリスト教大学教授、2011年定年、名誉教授。佐々木冬流の筆名を用いた。
土居 まさる(どい まさる、1940年〈昭和15年〉8月22… 土居 まさる(どい まさる、1940年〈昭和15年〉8月22日1941年〈昭和16年〉8月22日 - 1999年〈平成11年〉1月18日)は、日本のアナウンサー(文化放送 → フリー)、ディスクジョッキー、タレント、司会者。本名は平川 巌彦(ひらかわ よしひこ)。静岡県沼津市出身。 愛知県出身で、後に静岡県田方郡天城湯ヶ島町(現在の伊豆市)で育つ。実際に育った集落は賀茂郡河津町湯ヶ野温泉であり、平川家も湯ヶ野に現存している。遠い親戚筋に当たる『伊豆の踊子』の宿福田家(稲穂家)が支援をしていた育ての親であるという話があり、湯ヶ野集落でお年寄りに話を聞くと「よしひこ(土居)は子供の頃から話をするのが上手だった」などの思い出話を聞くことができる。
堀 由紀子(ほり ゆきこ、1940年7月22日 - 2023… 堀 由紀子(ほり ゆきこ、1940年7月22日 - 2023年11月29日)は、日本の実業家。新江ノ島水族館名誉館長、世界淡水魚園水族館名誉館長、日本ユネスコ国内委員会委員。義父(夫の父)は堀久作。 1940年、藤井丙午の娘として生まれる。政治家・藤井孝男(丙午の三男)の姉。 1947年、立教女学院小学校へ入学。1959年、立教女学院高等学校卒業。1963年、立教大学社会学部卒業。大学ではモダンジャズソサイアティ同好会を作るとともに、立教大学英語会(ESS)で活動した。大学在学中の1962年に、日活の御曹司、堀雅彦と結婚する。 1974年、義父の堀久作(元日活社長)が残した株式会社江ノ島水族館の代表取締役社長に就任する。
篠田 勇(しのだ いさむ、1940年7月4日 - )は、茨城… 篠田 勇(しのだ いさむ、1940年7月4日 - )は、茨城県水戸市出身の元プロ野球選手(内野手)。 水戸商では、1958年の夏の甲子園に遊撃手として出場。3回戦で石川陽造、岡村浩二のバッテリーを擁する高松商に延長16回0-1xでサヨナラ負け。卒業後は立教大学に進学。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、1961年春季リーグ、1963年秋季リーグで打撃成績2位を記録、両季とも三塁手としてベストナインに選ばれている。 1964年に国鉄スワローズに入団、同年のジュニアオールスターにも出場する。1965年には水戸商の先輩でもある豊田泰光が故障で戦線離脱したため、主に遊撃手として85試合に出場(うち43試合に先発)。
加賀美 幸子(かがみ さちこ、旧姓・山田。1940年〈昭和1… 加賀美 幸子(かがみ さちこ、旧姓・山田。1940年〈昭和15年〉6月24日 - )は、日本のフリーアナウンサー、千葉市女性センター名誉館長、松下幸之助記念志財団評議員。 元NHKエグゼクティブアナウンサー(理事待遇)でNHKを代表するアナウンサーの一人であった。 夫はNHKディレクターを経て中央大学教授を務めた加賀美鉄雄。 1940年(昭和15年)、群馬県北群馬郡渋川町(現・渋川市)で生まれる。母方の伯父は渋川市長を務めた石北正司。渋川北小学校入学後、東京の小学校へ転校。東京都立駒場高等学校を経て、1963年(昭和38年)に立教大学文学部英米文学科を卒業し、NHK入局。以来定年まで一貫して東京アナウンス室勤務だった。
斎藤 惇夫(さいとう あつお、1940年6月20日 - )は… 斎藤 惇夫(さいとう あつお、1940年6月20日 - )は、日本の児童文学作家、編集者。 1940年に新潟県新潟市に生まれる。小学校から高校卒業までを長岡市で過ごす。新潟大学教育学部附属長岡小学校、新潟県立長岡高等学校を卒業後、立教大学法学部法学科に進学。60年安保闘争に参加。同大卒業後、大手電機メーカーに勤務した。 その後、福音館書店編集部に勤務。長年にわたり児童書籍の編集に携わる。同社編集担当取締役となった。 1970年の処女作『グリックの冒険』で、翌年に日本児童文学者協会新人賞を受賞。 1972年の『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』で、国際児童年特別アンデルセン賞優良作品に選出。 1983年には、『ガンバとカワウソの冒険』で野間児童文芸賞を受賞した。
村田 幸子(むらた さちこ、1940年5月14日 - )は、… 村田 幸子(むらた さちこ、1940年5月14日 - )は、福祉ジャーナリスト、アナウンサー。 NHKのアナウンサーおよび解説委員を歴任。NHK退職後、福祉問題を専門に取材活動を続けている。
大石 清(おおいし きよし、1940年4月3日 - 2023… 大石 清(おおいし きよし、1940年4月3日 - 2023年11月28日)は、静岡県清水市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。 「剃刀」と喩えられたストレートとスライダーを武器に、「カープ史上最速のピッチャー」と評された。 清水商業高校では3年次の1958年に春季中部大会1回戦で岐阜商に逆転負けし、夏も県予選で敗れ甲子園には届かなかった。卒業後は清水商野球部後援会と立教大学校友会静岡支部の推薦で立大進学が決まっていたが、家庭の事情でプロ入りが決まる。 1959年に広島カープへ入団し、同期には後に阪急でもコーチとして同僚となる上田利治らがいた。選手の給料もままならない弱小・広島において、1年目から39試合に登板して9勝を挙げ、若くして主戦投手となる。
齋藤 章児(さいとう しょうじ、1940年3月25日 - 2… 齋藤 章児(さいとう しょうじ、1940年3月25日 - 2019年4月4日)は、日本のアマチュア野球指導者・解説者。 中学生の頃から野球を始め、立教高校から立教大学経済学部卒業。社会人野球のヤシカを経て、1967年4月から東京農業大学第二高等学校の教諭になると同時に硬式野球部の監督に就任し、以降27年間で春2回、夏4回、甲子園に出場する。群馬県での高校野球監督就任については、群馬県立桐生高等学校監督であった稲川東一郎への思いがあったと語っている。 2000年から4年間、立教大学野球部監督。2007年に育成功労賞を受賞。 監督から退いた後も野球のシーズンになると地元群馬テレビの高校野球関連番組に出演したり、上毛新聞紙上に観戦コメントを掲載したりなど活動した。
原 好男(はら よしお、1940年3月14日 - )は、フラ… 原 好男(はら よしお、1940年3月14日 - )は、フランス文学者、立教大学名誉教授。18世紀フランス文学・思想が専門。 東京都生まれ。1958年に大分県立日田高等学校を卒業後、電気通信大学に入学するも退学し、1960年に東京大学文科2類に入学し、1964年に東京大学を卒業。1971年同大学院人文科学研究科仏文科博士課程単位取得退学、立教大学助教授、教授、2006年定年退職。
岡田 博文(おかだ ひろふみ、1940年3月6日 - 202… 岡田 博文(おかだ ひろふみ、1940年3月6日 - 2025年4月9日[要出典])は、日本の空手家。東京都出身。1967年に立教大学経済学部卒業。 中学生の頃より柔道を稽古し、立教高校1年の秋に極真会館の前身である大山道場へ入門。同期に大山茂・黒崎健時らがいる。1959年12月6日に大山道場で初めて黒帯(初段)を允許され、極真会館の公式年度別昇段登録簿にも一人目として掲載されている。当時の大山道場で黒帯だった者は、他流派・道場で修業してきた師範の大山倍達、師範代の石橋雅史・南本一郎・安田英治らのみだった。 岡田は大山倍達のもっとも気に入った弟子の一人で、当時個性的な戦い方をする門下生が多い中で、岡田は地に則った基本技、理にかなった型、華麗な組手をし、試割りなど何をやらせても「これぞ空手だ」という動きを見せた空手家であった。
古川 晶章(ふるかわ まさあき、1940年3月3日 -201… 古川 晶章(ふるかわ まさあき、1940年3月3日 -2012年10月13日 )は、日本の実業家、豊田通商株式会社元代表取締役会長、社長、相談役。2011年、旭日重光章。 1940年3月3日、福岡県北九州市生まれ。1962年3月、立教大学経済学部卒業。 1962年4月、豊田通商株式会社入社。1987年6月、同社取締役就任、1993年6月、常務取締役、1997年6月専務取締役、1999年6月取締役副社長。 2001年6月、代表取締役社長就任、2005年6月、取締役会長、2010年6月相談役。 2010年4月、フィリピン共和国「THE ORDER of SIKATUNA国家勲章」受章。翌2011年6月、旭日重光章受章、フランス「レジオンドヌール勲章シュバリエ」受章。
百瀬 博教(ももせ ひろみち、1940年〈昭和15年〉2月2… 百瀬 博教(ももせ ひろみち、1940年〈昭和15年〉2月20日 - 2008年〈平成20年〉1月27日)は、作家、詩人、格闘技プロデューサー。日本スノードーム協会事務局長。血液型AB型。総合格闘技イベントPRIDEとの関わりから、「PRIDEの怪人」の異名を持っていた。 東京市浅草区(現台東区)柳橋出身。侠客の百瀬梅太郎の次男として出生。学生時代は相撲取りを目指し、私立市川高等学校では相撲部を創設して、関東大会2位、国民体育大会に出場した。立教大学文学部史学科在籍中も相撲部に所属し、同大学の相撲部は、百瀬と交流のある周防正行が1992年(平成4年)に監督した映画『シコふんじゃった。』のモデルになっているという。
丸山 完二(まるやま かんじ、1940年1月5日 - )は、… 丸山 完二(まるやま かんじ、1940年1月5日 - )は、兵庫県西脇市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ。 ファッションデザイナーの丸山敬太は実子。 西脇高校卒業後は1958年に立教大学へ進学し、東京六大学野球リーグでは1年次の同年、2年次の1959年に3度の優勝を経験。3年次の1960年秋季リーグでは打率.365で首位打者となり、一塁手としてベストナインにも選出された。リーグ通算64試合出場、237打数68安打、打率.287、0本塁打、25打点を記録。大学同期に青野修三、寺本勇がいる。 1962年に国鉄スワローズへ入団。1年目の同年は開幕直後から一塁手、外野手として起用され、一番打者に定着。
森 紀旦(もり としあき、1940年1月1日 - 2018年… 森 紀旦(もり としあき、1940年1月1日 - 2018年7月10日)は、日本の聖職者、神学者、教育者。聖公会神学院校長、ウイリアムス神学館館長、日本聖公会中部教区主教。 1940年、埼玉県生まれ。 1966年に聖公会神学院を卒業し、翌1967年に執事叙任。1969年に司祭叙任。 1970年、立教大学大学院文学研究科修士課程修了。 1971年、米国マサチューセッツ州ケンブリッジのエピスコパル神学校に留学。 1976年、立教大学大学院文学研究科博士課程修了。 日本聖公会北関東教区の諸教会で牧会し、立教大学文学部キリスト教学科の講師を務め、ギリシア語や新約聖書を講じる。 聖公会神学院校長、ウイリアムス神学館館長を歴任し、新約聖書学、礼拝学を教える。
小沢 瑞穂(おざわ みずほ、1940年 - )は、日本の翻訳… 小沢 瑞穂(おざわ みずほ、1940年 - )は、日本の翻訳家。 東京府(現東京都)出身。立教大学英文科卒業。米国留学後、エールフランスのスチュワーデスとして勤務した。その後、帝人で翻訳などに携わり、35歳で独立した。主に、ジュディス・クランツ、エイミ・タンなどの女性作家の作品、人生論、エッセイなどを訳す。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
楠戸 義昭(くすど よしあき、1940年 - )は、日本の歴… 楠戸 義昭(くすど よしあき、1940年 - )は、日本の歴史家、著作家。 和歌山県生まれ。立教大学社会学部卒業。毎日新聞社入社、学芸部編集委員を経て、歴史作家となる。
小島 康宏(こじま やすひろ、1940年 - )は、日本の実… 小島 康宏(こじま やすひろ、1940年 - )は、日本の実業家。株式会社タカラ(現・タカラトミー)元専務、同社元マーケティング本部長、財団法人日本玩具文化財団専務理事、株式会社高砂商事代表取締役。「リカちゃん」人形初代開発担当者・育ての親。 1940年、東京都葛飾区生まれ。1963年、立教大学卒業後、株式会社タカラ(現・タカラトミー)の前身であるタカラビニールに入社。 「リカちゃん」人形の初代開発者を務め、商品化に向けて取り組む。初代「リカちゃん」発売年の1967年(昭和42年)には、旧タカラ本社近くの柴製作所に製造依頼したが、工場が手一杯で生産できず、当時多角化経営を進めていたタイヘイ株式会社に依頼し、製造が開始されることとなった。
滝口 俊子(たきぐち としこ、1940年 - )は、日本の心… 滝口 俊子(たきぐち としこ、1940年 - )は、日本の心理学者。専攻は臨床心理学・深層心理学。 立教女学院短期大学名誉教授。放送大学名誉教授。臨床心理士。
岡田 純也(おかだ じゅんや、1939年12月12日 - )… 岡田 純也(おかだ じゅんや、1939年12月12日 - )は、日本の児童文学研究者・作家、京都女子大学名誉教授。 埼玉県立浦和高等学校卒業、立教大学卒、同大学院、米国パシフィック・ウェスタン大学(ディプロマ・ミル)で学術博士。京都女子大学児童学科教授。附属小学校長を兼務。2010年定年、名誉教授。湯布院こども童話館館長。日本児童文芸家協会監事。日本児童図書評議会会員。
真木 沙織(まき さおり、1939年11月16日 - 200… 真木 沙織(まき さおり、1939年11月16日 - 2001年6月6日)は、日本の女優。兵庫県氷上郡氷上町(現・丹波市)出身。本名は地井佐和子(旧姓:稲次) 。夫は俳優の地井武男。 立教大学文学部日本文学科卒業。 劇団四季研究生を経て、1969年にテレビドラマ『さすらい』(TBS)でデビュー。 1974年、俳優の地井武男と結婚。 2001年6月6日、乳癌のため死去。61歳没。
青野 修三(あおの しゅうぞう、1939年10月13日 - … 青野 修三(あおの しゅうぞう、1939年10月13日 - )は、愛媛県今治市(現役当時は、同県越智郡朝倉村)出身の元プロ野球選手(内野手)。
宇都宮 基師(うつのみや もとし、1939年(昭和14年)9… 宇都宮 基師(うつのみや もとし、1939年(昭和14年)9月27日 - )は日本のアナウンサー。南海放送で長くアナウンサーを務めた。愛媛県八幡浜市出身。通称「よもだのもっくん」。
畑 俊二(はた しゅんじ、1939年7月6日 - 2020年… 畑 俊二(はた しゅんじ、1939年7月6日 - 2020年[要出典])は、日本の学生野球指導者。元四国学院大学硬式野球部監督、元国士舘大学硬式野球部監督。広島県呉市出身。 広島県出身。呉阿賀高校を卒業後、立教大学に進学。長嶋茂雄が卒業した後の三塁手として活躍し、社会人野球の電電東京に入社。チームの主力選手として都市対抗野球大会にも出場し、チームをベスト4に導いた。 現役を引退後、東都大学野球の国士舘大学の監督に就任、チームを1部リーグ昇格に導いた。その後、高校野球、社会人野球で監督を務め、中央大学、全日本大学野球選手権大会優勝時の近畿大学、選抜高等学校野球大会優勝時の観音寺中央高の臨時コーチを経て、2005年1月に四国学院大学の監督に就任。
寺本 勇(てらもと いさむ、1939年7月3日 - )は、兵… 寺本 勇(てらもと いさむ、1939年7月3日 - )は、兵庫県芦屋市出身の元プロ野球選手(外野手)・プロ野球審判員。元パシフィック・リーグ審判部長。 芦屋高等学校では1956年、2年生の時に左翼手として春の選抜に出場。準決勝まで進むが中京商に敗れる。一学年上のチームメートに渡海昇二がいた。卒業後は立教大学に進学。東京六大学野球リーグでは1、2年在学中に3度の優勝を経験するが、その後の立大は低迷を続ける。しかし1961年秋季リーグでチームは2位まで順位を戻し、寺本も打率.410(2位)を記録して、同季のベストナインに選出された。大学同期に丸山完二、青野修三がいる。 1962年に大毎オリオンズに入団するが、一軍出場に恵まれないまま1963年に退団。
保坂 三蔵(ほさか さんぞう、1939年5月15日 - )は… 保坂 三蔵(ほさか さんぞう、1939年5月15日 - )は、日本の政治家。
清水 勲(しみず いさお、1939年4月29日 - 2021… 清水 勲(しみず いさお、1939年4月29日 - 2021年3月2日)は、日本の漫画・風刺画研究家。 東京市(現大田区)生まれ、千葉県習志野市在住。日本マンガ学会、日本笑い学会、日本ペンクラブ各会員。妻は工芸作家の清水己明。 立教大学理学部数学科卒業。1963年三省堂に入社して編集者となる。1968年から1983年まで、日本リーダーズ・ダイジェスト社で勤務。1984年より研究・著作に専念。 川崎市市民ミュージアム専門研究員、文京女子短期大学非常勤講師、帝京平成大学教授、学習院女子大学非常勤講師をはじめ、日本仏学史学会会長、岡本太郎美術館収集委員、昭和館運営委員、日本漫画資料館館長などを歴任した。
青柳 友子(あおやぎ ともこ、1939年3月30日 - 19… 青柳 友子(あおやぎ ともこ、1939年3月30日 - 1991年11月7日)は、日本の小説家。おもに推理小説で知られ、「紅子シリーズ」などが人気を得ていた。別名義に桐村 杏子がある。 東京に生まれ、立教大学に学び、在学中から『文學者』などに小説を寄稿していた。1971年立教大学大学院修了。やがて職業作家としてジュニア小説や官能小説を書くようになったが、1983年の『死の横浜娼婦館』以降は、推理小説に注力し、『完全犯罪の女』、『眠れぬ夜の悪魔』、『消えた家』、『あなたの知らないあなたの部屋』などを発表した。このうち、『あなたの知らないあなたの部屋』は、1989年の第42回日本推理作家協会賞長編部門の候補作となった。
俣木 盾夫(またき たてお、1939年3月2日 - ) は、… 俣木 盾夫(またき たてお、1939年3月2日 - ) は、日本の実業家。大手広告代理店・電通グループの代表取締役会長。鹿児島県出身。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
横田 凱夫(よこた やすお、1939年(昭和14年)2月18… 横田 凱夫(よこた やすお、1939年(昭和14年)2月18日 - )は、日本の政治家。元茨城県石岡市長。 1939年生まれ。1964年、立教大学経済学部経営学科(現・経営学部)卒業。 茨城県職員を30数年務めたのち、茨城県石岡市長選挙に立候補し、2002年3月3日、市長に当選した。 2005年10月1日の八郷町と合併後も、新石岡市の初代市長に同年11月6日に就任し、2009年11月5日まで市長を務めた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
青山 英男(あおやま ひでお、1939年2月16日 - )は… 青山 英男(あおやま ひでお、1939年2月16日 - )は、日本の税理士、実業家、会計学者(財務会計学)。税理士法人青山&パートナーズ代表、LCホールディングス株式会社取締役会長、株式会社ロジコム取締役会長、静岡県立大学名誉教授。 青山会計事務所所長(初代)、大阪学院大学商学部講師、大阪学院大学経済学部教授、静岡県立大学経営情報学部教授、株式会社ロジコム代表取締役社長(初代)、静岡県立大学大学院経営情報学研究科研究科長(初代)、松蔭大学経営文化学部教授などを歴任した。 立教大学経済学部を卒業し、立教大学大学院在籍中に税理士試験、公認会計士試験二次試験に合格した。 大阪学院大学に採用され、商学部の講師や経済学部の教授を務めた。
天野 治郎(あまの じろう、1939年 - )は、日本の実業… 天野 治郎(あまの じろう、1939年 - )は、日本の実業家。新光三越元社長・総経理、三越(現・三越伊勢丹ホールディングス)元本社宣伝部長、パリ三越元支配人、株式会社V.P.A.代表取締役。 1939年、神奈川県横浜市生まれ。1963年、立教大学経済学部卒業。同年、株式会社三越(現・株式会社三越伊勢丹ホールディングス)に入社し、本店婦人服部に配属される。 1975年、パリ三越の支配人としてフランスに駐在。1981年、同社本社営業統括室部長、本社宣伝部長、本社総合企画部長などを兼務する。当時社長で三越の天皇と呼ばれた岡田茂の側近であった。 1982年、「三越事件」により岡田が社長を解任されると、同社大阪支店婦人子供用品部副部長へ異動。
安福 建雄(やすふく たつお、1938年11月14日 - 2… 安福 建雄(やすふく たつお、1938年11月14日 - 2017年7月17日)は、日本の能楽師(大鼓方)、人間国宝、東京芸術大学邦楽科元講師、国立能楽堂元研修主任講師 1938年11月14日生まれ。東京都出身。安福春雄の長男として父に師事。高安(たかやす)流。初舞台は、1947年の「経正」。能楽三役育成会(1954年9月発足)の第一期生。立教大学文学部日本文学科卒業。 1965年11月、一噌幸政、住駒明宏、鏑木岑男、山本則寿と能楽春秋会を結成して約10年間活動する。1983年に父が亡くなり、宗家預かりとなる。 おおらかで、しかも曲の位を的確に捉えた演奏に定評があり、東京芸術大学邦楽科講師、国立能楽堂研修主任講師としても、後進の指導にあたった。
後藤 俊夫(ごとう としお、1938年11月6日 - 202… 後藤 俊夫(ごとう としお、1938年11月6日 - 2025年11月22日)は、日本の映画監督。長野県伊那市出身、飯島町在住。 長野県伊那北高等学校を経て、1962年立教大学社会学部卒業。新世紀映画株式会社入社。山本薩夫監督の助監督として、『戦争と人間』、『華麗なる一族』、『金環蝕』、『不毛地帯』、『あゝ野麦峠』などに就く。1978年に『こむぎいろの天使-雀(すずめ)と少年』(青銅プロダクション)で監督デビューする。その後、活動拠点をふるさとである信州伊那谷(飯島町)に置き、動物と人間のふれあいをテーマにした作品や、時に美しく時に厳しい自然をテーマに「生きる」ということを人間に問いかけるような作品を多く手がけている。
小田 真弓 (おだ まゆみ、1938年9月17日 - )は、… 小田 真弓 (おだ まゆみ、1938年9月17日 - )は、日本の実業家、和倉温泉・加賀屋女将、「現代の名工」受賞者。 1938年、東京都生まれ。1961年3月、立教大学文学部卒業後、加賀屋の小田禎彦(現・相談役)と結婚し、1962年加賀屋に入社。1963年同社取締役、1979年に常務取締役就任。女将として現在に至る。2018年、「現代の名工」を受賞。
なかにし 礼(なかにし れい、本名:中西 禮三(なかにし れ… なかにし 礼(なかにし れい、本名:中西 禮三(なかにし れいぞう)、1938年〈昭和13年〉9月2日 - 2020年〈令和2年〉12月23日)は、日本の小説家、作詞家。 満洲国の牡丹江省牡丹江市(現在の中華人民共和国黒竜江省)生まれ。両親は酒造業で成功を収めていた。終戦後、満洲からの引き揚げでは家族とともに何度も命の危険に遭遇、この体験は以後の活動に影響を与えた。実兄・正一は特攻隊に配属されたが終戦となった。8歳の時に小樽に戻るが、兄の事業の失敗などで小学校時代は東京と青森(青森市立古川小学校)で育ち、中学から東京品川区大井町に落ち着く。東京都立九段高等学校卒業後、シャンソン喫茶でアルバイトをした。
井尻 千男(いじり かずお、1938年8月2日 - 2015… 井尻 千男(いじり かずお、1938年8月2日 - 2015年6月3日)は、日本の評論家、コラムニスト。拓殖大学名誉教授、拓殖大学日本文化研究所顧問(前所長)。新しい歴史教科書をつくる会顧問。 山梨県出身。立教大学文学部日本文学科卒業後、日本経済新聞社入社。文化部に勤務し、読書面のコラム『とじ糸』 『活字のうちそと』などのコラムを25年間執筆し、コラムニストとして活動。 1982年7月、月刊誌『Voice』誌上において、佐々木敦というペンネームでコラム「ベストセラー最前線」の執筆を開始。連載は1991年3月に『流行の言説・不易の思想―ベストセラー書評社会学』、1996年4月に『読書の醍醐味―ベストセラーで読み解く世紀末』としてまとめられている。
小沢 さとし(おざわ さとし、1938年7月8日 - )は、… 小沢 さとし(おざわ さとし、1938年7月8日 - )は、日本の児童文学作家、小説家。本名・聰。箕輪町の資料館「美空ひばり歌の里」館長。 長野県上伊那郡箕輪町出身。立教大学文学部卒。 1983年、『黒潮物語』で第6回塚原健二郎文学賞受賞。「絵本伊那谷ものがたり」シリーズを刊行している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
杉本 公孝(すぎもと きみたか、1938年7月4日 - )は… 杉本 公孝(すぎもと きみたか、1938年7月4日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 岩国高校ではエース金沢宏を擁し、1955年秋季中国大会県予選準決勝に進むが山口高に敗退。翌1956年春季山陽大会では決勝に進出するが、岡山東商に大敗を喫する。同年夏は県予選で敗れ、甲子園には出場できなかった。 卒業後は立教大学へ進学。東京六大学野球リーグでは長嶋茂雄の後継三塁手として立大黄金期後半を支え、在学中5回優勝、全日本大学野球選手権大会2回優勝。1959年春季リーグではリーグ史上初の5連覇が期待されたが、高校同期の金沢を主戦投手とする早大に競り負け2位に終わる。リーグ通算79試合出場、283打数72安打、打率.254、3本塁打。