倉田 文作(くらた ぶんさく、1918年4月17日 - 19… 倉田 文作(くらた ぶんさく、1918年4月17日 - 1983年1月23日)は、日本の仏像学者。 千葉県安房郡生まれ。父は画家・倉田重吉。長野県立上田中学校を経て1940年青山学院文学部英文科卒業、1942年早稲田大学文学部文学科卒業、1944年東洋美術国際研究会嘱託。 1945年文部省社会教育局嘱託、1947年国立博物館に入り、調査課嘱託を経て、1948年文部技官、1950年文化財保護委員会事務局美術工芸課彫刻部勤務。1959年彫刻部主査、1964年文化財調査官、1966年事務局美術工芸課長、1969年東京国立博物館学芸部長に転じる。1972年文化庁文化財保護部文化財鑑査官、1975年奈良国立博物館長に就任、1981年博物館振興の功績により文部大臣より表彰を受け、1983年従四位に叙せられ勲二等瑞宝章を受章した。
永丘智郎(ながおか ちろう、1918年-1986年7月6日)… 永丘智郎(ながおか ちろう、1918年-1986年7月6日)は、日本の心理学者。 早稲田大学文学部心理学科卒、同大学院修了、関東学院大学助教授、甲南大学文学部教授をへて、聖徳栄養短期大学教授を務めた。
中村 浩三(なかむら こうぞう、1917年(大正6年)7月1… 中村 浩三(なかむら こうぞう、1917年(大正6年)7月10日 - 2008年(平成20年))は、日本のドイツ文学者、翻訳家、早稲田大学名誉教授。 島根県生まれ。1944年早稲田大学文学部独文科卒。早稲田高等学校講師、1951年早稲田大学理工学部助教授、1957年教授、1968 - 1974年語学教育研究所長、1988年定年退任、名誉教授。 1991年『少年ルーカスの遠い旅』で産経児童出版文化賞受賞。ドイツの児童文学を多く訳し、『大どろぼうホッツェンプロッツ』三部作がロングセラーとなっている。
安藤彦太郎(あんどう ひこたろう、1917年(大正6年)6月… 安藤彦太郎(あんどう ひこたろう、1917年(大正6年)6月14日 - 2009年(平成21年)10月27日)は、日本の日中関係史学者、早稲田大学名誉教授。 1917年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業。 「中国の会」は、尾崎秀樹が普通社主宰で1960年ごろに立ち上げ、野原四郎、竹内好、橋川文三、安藤、新島淳良、今井清一らをメンバーとした。 早稲田大学政経学部教授を務め、文化大革命の際は新島淳良や野村浩一とともにこれを礼賛した。1988年に定年退任、名誉教授となった。また、日中学院長をつとめ、のち名誉学院長。現代中国学会幹事を長く務めた。2009年10月27日、膀胱癌で死去、享年92歳。
村田 克己(むらた かつみ、1916年11月20日 - 没年… 村田 克己(むらた かつみ、1916年11月20日 - 没年不詳)は、日本の政治学者。 鹿児島県日置郡に生まれ、警察官吏の養子となる。1934年福岡県中学修猷館を経て、1938年5月早稲田大学専門部政治経済科を卒業し、河野一郎会頭の中央畜産会に就職、機関紙「畜産」編集部に勤務する。 1939年1月熊本西部第24部隊(輜重兵第6連隊)自動車中隊へ現役入営、1940年11月陸軍少尉となり、同年12月陸軍省兵務局防衛課に出頭を命ぜられ、陸軍中野学校乙種長期第3期学生を命ぜられる。1941年7月同校を退校し、陸軍中野学校学生隊付を命ぜられ、第3期丙種学生(将校学生)係長を命ぜられる。同年10月参謀本部付となる。
亀川 正東(かめかわ しょうとう、1916年4月22日 ‐ … 亀川 正東(かめかわ しょうとう、1916年4月22日 ‐ 2018年1月13日)は、日本の英米文学者、文筆家、琉球大学名誉教授。 沖縄県平良市生まれ。1940年早大高等師範学校英文科卒、東京中野高等無線学校英語教官。 1946年宮古男子高等学校教官。1947年宮古英語教員養成所長。1948年宮古女子高等学校教官。1949年沖縄文教学校教官。50年琉球大学英語部助教授、コロラド大学大学院。 1953年琉球政府文教審議員、59年琉球政府中央教育委員。60年琉球大学文理学部教授、法文学部教授。 1975年中華民国・中華学術院より「沖縄の英学、米国文学におけるクリティシズムについて」で文学博士。 1981年定年退官、名誉教授。
大西 鐵之祐(おおにし てつのすけ、1916年4月7日 - … 大西 鐵之祐(おおにし てつのすけ、1916年4月7日 - 1995年9月19日)は、元早稲田大学教授。大西鉄之祐とも。元ラグビー日本代表監督・早稲田大学ラグビー部監督。奈良・郡山中学、早稲田大学卒業。奈良県奈良市出身。 早大選手時代のポジションはフランカー。卒業後は東芝に就職するも兵役に就き終戦を迎える。戦後、早大職員から教授へ。後に早大ラグビー部監督に就任する。兄の栄造も早大の選手・監督だった。 1950年度シーズンより早大監督に就任。以後5シーズン監督を務め、1950年、1952年、1953年の各年度において東西学生ラグビーフットボール対抗王座決定戦に勝利し、『全国制覇』をもたらした。また、この第1期監督時代に優勝時に「荒ぶる」を歌唱する伝統が始まった。
大西鐡之祐(おおにしてつのすけ、1916年4月7日 - 19… 大西鐡之祐(おおにしてつのすけ、1916年4月7日 - 1995年9月19日)は元早稲田大学教授。元ラグビー日本代表監督・早稲田大学ラグビー部監督。奈良・郡山中学、早稲田大学卒業。奈良県奈良市出身。
川越 政則(かわごえ まさのり、1916年2月20日 - 1… 川越 政則(かわごえ まさのり、1916年2月20日 - 1998年9月6日)は、日本のジャーナリスト、新聞経営者、郷土史家。南日本新聞社社長を務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。1939年に早稲田大学法学部法律学科を卒業。佐世保海軍経理部調達係での勤務を経て、1943年4月に鹿児島日報社、後の南日本新聞社に入社し、1961年12月に取締役に就任し、1962年12月に常務、1968年3月に鹿児島テレビ放送専務を経て、1972年11月から1981年12月までに南日本新聞社社長を務めた。 1986年4月に勲三等瑞宝章を受章した。 郷土史家、民芸品収集家としても知られ、鹿児島県文化財専門委員等も務めた。著書に『南日本文化史』『南日本風土記』『鹿児島の旅』『鹿児島県史概説』『鹿児島民芸風土記』『鹿児島の美 南日本民芸図説』『焼酎文化図譜』など。
韓 泰淵(ハン・テヨン、朝鮮語: 한태연、1916年1月5日… 韓 泰淵(ハン・テヨン、朝鮮語: 한태연、1916年1月5日 - 2010年9月20日)は、大韓民国の法学者、大学教授、政治家、ジャーナリスト。第6・9・10代韓国国会議員。 本貫は清州韓氏。号は栗山(ユルサン、율산)。キリスト教徒。 咸鏡南道永興郡出身。早稲田大学法学部卒。高等文官試験行政科合格。成均館大学校、ソウル大学校法科大学、東国大学校、漢陽大学校、東亜大学校大学院で教授を務めたほか、ソウル新聞主筆、韓国憲法学会会長などを務めた。1963年の第6代総選挙で初当選以降、1973年から1980年までは維新政友会所属の第9・10代国会議員を務めた。1972年の朴正煕大統領時代には葛奉根らと共に維新憲法の制定に参加した。
鈴木 二郎(すずき じろう、1916年 - 2008年)は、… 鈴木 二郎(すずき じろう、1916年 - 2008年)は、日本の社会人類学者、東京都立大学 (1949-2011)名誉教授。 早稲田大学文学部で学び、卒業。東京都立大学教授を務めた。1980年に東京都立大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は東京造形大学学長を務めた。また、創価大学特任教授。1997年に退任。人権・平和運動に注力した。
高間 直道(たかま なおみち、1915年10月5日 - 19… 高間 直道(たかま なおみち、1915年10月5日 - 1996年1月12日)は、日本の哲学者、評論家。 大阪府出身。1940年(昭和15年)早稲田大学文学部哲学科卒業、1941年(昭和16年)学徒出陣で入営。満州、北支などを転戦し、陸軍大尉。復員後、大阪商業大学助教授、1955年(昭和30年)東京医科大学教授。1986年(昭和61年)定年、名誉教授。若者向けの啓蒙書、顔診断の著作を多く執筆した。
青木 茂男(あおき しげお、1915年9月5日 - 1987… 青木 茂男(あおき しげお、1915年9月5日 - 1987年7月22日)は、日本の会計学者。 1915年、神奈川県浦賀町(現横須賀市)生まれ。1938年に早稲田大学商学部を卒業し、卒業と同時に同大学助手となる。1941年より講師、1947年より助教授、1949年より教授。1960年には「近代内部監査の研究」で早稲田大学より商学博士の学位を取得。1966年から1968年には商学部学部長を務めた。1986年に定年退任し、名誉教授となる。その後も、亜細亜大学客員教授を務めるなど教鞭をとった。1987年に死去。
磯野 友彦(いその ともひこ、1915年 - 1986年11… 磯野 友彦(いその ともひこ、1915年 - 1986年11月9日)は、日本の哲学者。 東京出身。成蹊小学校、東京市立第一中学校、正則中学校、早稲田大学文学部哲学科卒、同文学部助教授、教授、85年定年、名誉教授。1966年『哲学逍遥 懐疑主義と動物的信』(ジョージ・サンタヤーナ)で日本翻訳文化賞受賞。
有倉 遼吉(ありくら りょうきち、1914年2月20日 - … 有倉 遼吉(ありくら りょうきち、1914年2月20日 - 1979年6月10日)は、日本の法学者。専門は、憲法学・教育法学。学位は、法学博士(1960年)(学位論文「公法における理念と現実」)。元早稲田大学法学部教授。 厳格な法実証主義による解釈を行った。閣議の議決方法については、多数決説を、憲法判断の回避の問題では、憲法判断先行説をとる。教育基本法の法的性格として、準憲法的法律説を提唱、日本教育法学会の初代会長を務めるなど、教育法学の理論形成に大きく貢献した。中国大連市(当時)生まれ。
畔上 道雄(あぜがみ みちお、1914年 - 1983年)は… 畔上 道雄(あぜがみ みちお、1914年 - 1983年)は、日本の工学者。専門は電子工学・大脳生理学・心理学などの学際領域である生体情報科学。工学博士。群馬大学名誉教授。「電磁球関数」の研究で国際的にも高く評価される一方で、作家としての一面もあった。 千葉県生まれ。父は内村鑑三の門下生でキリスト教独立伝道者の畔上賢造。早稲田大学工学部電気工学科卒業。日本電信電話公社を経て、群馬大学教授を務めた。自身の著書を教科書として木訥とした独特の講義は、学生達の人気を呼んだ[要出典]。趣味のゴルフや推理小説にも造詣が深く、「思想の科学」「大衆文学研究会」会員として評論活動を展開した。 『ゴルフの科学』(講談社・ブルーバックス)は、この種の本としてはめずらしいロングセラーとなった[要出典]。
中島健一(なかじま けんいち、1913年8月28日 - 没年… 中島健一(なかじま けんいち、1913年8月28日 - 没年不詳)は、日本の歴史地理学者。 山口県出身。早稲田大学文学部地理学科卒、同大学院、東亜研究所をへて、早大教育学部助教授、教授。84年定年、名誉教授。83年「灌漑農法と社会=政治体制 気候変動と歴史の構造変化に関する歴史地理学的研究」で文学博士。専門は歴史地理学。
舛田 精一(ますだ せいいち、1913年6月15日 - 没年… 舛田 精一(ますだ せいいち、1913年6月15日 - 没年不明(1989年以降) )は、日本の会計学者。 東京出身。早稲田大学政治経済学部卒、日本鋼管に入社し、経理関係の課長、次長を務める。1960年東京シヤリングへ出向し、常務取締役経理部長。1964年日本鋼管を退社し、舛田財務研究所を創設、所長となる。経理関係の実用書を多数執筆した。
中村 吉三郎(なかむら きちさぶろう、1913年4月11日 … 中村 吉三郎(なかむら きちさぶろう、1913年4月11日 - 1994年8月3日)は、日本の法学者。専門は、明治法制史・民法。東京都出身。 1933年早稲田高等学院卒。早稲田大学法学部卒。同大学院(旧制)修了。1942年同専門部法律科専任講師(民法担当)。1950年同法学部教授(明治法制史担当)。1955年同大学院法学研究科教授(明治法制史担当)。1960年3月「明治法制史」にて早稲田大学で法学博士受く。その後、早稲田大学比較法研究所長、同法学会長を経て、1984年同定年退職。同名誉教授。1985年中央学院大学法学部客員教授(日本近代法制史担当)1989年同退職。 門下生に佐藤篤士らがいる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
大沢 寛三(おおさわ ひろみ、1913年 - 2001年12… 大沢 寛三(おおさわ ひろみ、1913年 - 2001年12月8日)は、日本の美術史家、翻訳家。 東京生まれ。早稲田大学仏文科卒。朝日新聞記者。女子美術大学講師。1978年、ひろしま美術館副館長。千葉そごう美術館館長。
簗瀬 一雄(やなせ かずお、1912年5月5日 - 2008… 簗瀬 一雄(やなせ かずお、1912年5月5日 - 2008年9月14日)は、日本の国文学者、豊橋技術科学大学名誉教授。 東京生まれ。早稲田大学国文科卒業。1960年「俊恵及び長明の研究」で法政大学文学博士。豊田工業高等専門学校教授、1978年豊橋技術科学大学教授、1982年定年退官、名誉教授。 愛知に在住していた1958年から1972年にかけ、著作研究および未刊古典の翻刻私家版「碧冲洞叢書」を謄写版で100冊発行した。歌集も多く刊行している この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鈴木 幸夫(すずき ゆきお、1912年1月28日 - 198… 鈴木 幸夫(すずき ゆきお、1912年1月28日 - 1986年12月24日)は、英文学者、推理作家、早稲田大学名誉教授。 大阪府出身。早稲田大学文学部英文科卒業、旧制大学院修了。1939年、早稲田大学理工学部講師。1954年、早稲田大学文学部教授。1982年定年退職、名誉教授。その後は跡見学園短期大学教授、同大学学長を務めた。 1951年、探偵作家クラブ新年会の犯人当てゲームで2年連続して正解した実績を買われ、同ゲームのために「痴人の宴」を書き下ろし、同作が千代 有三の筆名で『宝石』に掲載されて探偵作家としてデビューする。 1954年、日本初のSF商業誌『星雲』を創刊された際、同年に組織された日本科学小説協会の参与となった。
早瀬 喜太郎(はやせ きたろう、1911年10月22日 - … 早瀬 喜太郎(はやせ きたろう、1911年10月22日 - 1977年3月17日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。北海道奥尻島生まれ。 1929年旧制東京府立第五中学校を卒業後、朝鮮の金山や日本の喜茂別・大土森鉱山などに勤務。1940年早稲田大学理工学部採鉱冶金学科に入学、1943年に同学科を修業、1945年に早稲田大学専門部工科講師となる。1949年4月新制大学発足に伴い理工学部鉱山学科講師となり、同年10月助教授に昇進。1950年同大学より工学博士の学位取得。博士論文の表題は「松尾硫黄鉱床の成因と採鉱」。退任まで鉱物学実験・岩石学実験などを担当、該博な知識と長年の実務経験を生かし、多くの学生を育てる。
額田 巌(ぬかた いわお、1911年9月12日- 1993年… 額田 巌(ぬかた いわお、1911年9月12日- 1993年11月)は、日本の工学者。包結研究家。学位は工学博士、文学博士。 1911年(明治44年)岡山県生まれ。1935年早稲田大学理工学部を卒業し日本電気に入社。配属先で位相幾何学を知り、岡田幸雄と小泉四郎の指導を受ける。回路接続から「結び」に興味を持つようになり、1940年(昭和15年)頃から結びについて本格的に研究を開始。結びが閉回路である点に着想を得て、結びの表示に円表示を用いる。1945年「格子にて消弧可能なる放電管に依る継電方式の確立」で早大工学博士、1962年「日本における結縛の歴史、民俗学的研究」で東京教育大学文学博士。 また、世界各地の結びについて調査。
佐々 栄三郎(戸籍名:榮三郎、ささ えいざぶろう、1911年… 佐々 栄三郎(戸籍名:榮三郎、ささ えいざぶろう、1911年(明治44年)8月10日 - 1990年(平成2年)1月28日)は、昭和期の農民運動家、政治家、郷土史学者。衆議院議員。 香川県出身。1935年(昭和10年)早稲田大学法律科を卒業した。 華北綜合調査研究所所員、香川県購買農業協同組合理事を務めた。また、香川県議会議員、四国地方開発審議会委員、日本社会党香川県本部書記長、同副委員長なども務めた。 1953年(昭和28年)4月、第26回衆議院議員総選挙で香川県第2区から左派社会党公認で出馬したが落選。以後、第29回、第30回総選挙でも落選した。1967年(昭和42年)1月の第31回総選挙で当選し、衆議院議員に1期在任した。
太田 静六(おおた せいろく、1911年4月16日 - 20… 太田 静六(おおた せいろく、1911年4月16日 - 2009年10月8日)は、日本の建築史学者。九州大学名誉教授。東京府生まれ。 1935年早稲田大学理工学部卒業。1957年「平安、鎌倉時代における住宅建築史の研究」で早大工学博士。東京帝室博物館研究員、九州大学工学部教授、1977年定年退官、名誉教授、早稲田大学文学部客員教授、1983年退任。87年春、勲三等瑞宝章受勲。1988年『寝殿造の研究』で角川源義賞受賞。 2009年、心筋梗塞のためサイパンの三男宅で死去。98歳没。 『家屋雑考』ベースの寝殿造を学び、それを乗り越えて寝殿造の研究大きく発展させたのが太田静六である。特に「東三条殿の研究」、「堀河殿の考察」、「鳥羽殿の考察」については現在も評価は高い。
秋沢 修二(あきざわ しゅうじ、1910年9月29日 - 1… 秋沢 修二(あきざわ しゅうじ、1910年9月29日 - 1991年8月27日)は、評論家、哲学者。本名は秋津賢一(あきつ けんいち)。 静岡県沼津市の鼈甲商の長男に生まれた。沼津市立沼津尋常高等小学校(現・沼津市立第一小学校)卒。静岡県立沼津中学校(第24期、現・静岡県立沼津東高等学校)を4年生で中退。中学卒業検定試験に合格し、専門学校入学資格(専検)を取得。1928年早稲田大学高等学院文科に入学。早稲田では新稲会に所属。1930年早稲田大学文学部哲学科に進んだが、同年8月学資納入が困難なため中退。 1930年2月頃にプロレタリア科学研究所(プロ科)所員となり、哲学部門の唯物弁証法研究会に所属。
近盛 晴嘉(ちかもり はるよし、1910年5月16日 - ?… 近盛 晴嘉(ちかもり はるよし、1910年5月16日 - ?)は、日本のジャーナリスト、歴史家。 兵庫県出身。早稲田大学政治経済学部卒。大阪毎日新聞記者をへて、大阪読売新聞社勤務。1965年定年退職、帝塚山学院短期大学教授を務め、78年定年退職。ジョセフ彦記念会会長を務めた。
村井 資長(むらい すけなが、1909年(明治42年)11月… 村井 資長(むらい すけなが、1909年(明治42年)11月22日 - 2006年(平成18年)3月31日)は日本の工学者、早稲田大学名誉教授、日本カナダ教育文化交流財団理事長。早稲田大学第10代総長、早稲田奉仕園第6代理事長、恵泉女学園大学初代学長。キリスト教プロテスタントである。次男村井吉敬は早稲田大学客員教授を務めた。旧姓日野西。 北海道茅部郡石倉村(現森町)濁川の広大な日野西牧場で農場を経営していた日野西長輝(日野西光善三男)の三男として生まれた。日野西家は京都の堂上華族。1916年に父親が日本統治下の朝鮮・慶尚南道の村井進永農場の農場長に就任したため翌年から一年間、現地の内地人用小学校に通う。
原田 鋼(はらだ こう、1909年9月17日 - 1992年… 原田 鋼(はらだ こう、1909年9月17日 - 1992年7月17日)は、日本の政治学者。元中央大学学長。専門は、政治学。特に、政治思想史・政治哲学・政治権力。後年、法哲学も研究した。政治学分野から初めての文化功労者である。 中国大連生まれ。栃木県大田原市で育つ。1936年、早稲田大学政治経済学部卒業。1941年から1945年にかけて、早稲田大学政治経済学部非常勤講師。1942年11月、法学博士(東京帝國大學)(学位論文「法治国家論」)。 1948年、中央工学専門学校専任講師。1949年、中央大学法学部教授。政治学原論・政治史・法哲学を担当。1965年、中央大学評議員( - 1973年)。1969年、中央大学学長。
川副国基(かわぞえ くにき、1909年3月18日―1979年… 川副国基(かわぞえ くにき、1909年3月18日―1979年)は、日本近代文学者、早稲田大学名誉教授。 長崎県生まれ。早稲田大学国文科卒。早稲田大学教授。78年定年退任。
星川 長七(ほしかわ ちょうしち、1908年10月13日 -… 星川 長七(ほしかわ ちょうしち、1908年10月13日 - 1996年9月17日)は、日本の法学者。 山形県新庄市出身。早稲田大学法学部卒業。早稲田大学法学部教授を務めた後、1987年から1991年まで初代駿河台大学学長を務めた。1980年、勲三等瑞宝章を受章。1996年9月17日、腎不全のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
小杉 一雄(こすぎ かずお、1908年6月4日 - 1998… 小杉 一雄(こすぎ かずお、1908年6月4日 - 1998年10月22日)は、日本の美術史学者。早稲田大学名誉教授。専門は中国美術史。 当時は洋画家で、後に日本画を多く描いた小杉放庵の長男として東京市本郷区千駄木町に生まれる。1927年に第一早稲田高等学院に入学した後は一貫して早稲田大学系列の学校に在籍し、1929年に早稲田大学文学部史学科東洋史学専攻に入学。大学院進学後は父とも親交があった会津八一の指導を受けた。1945年に早稲田大学講師、1949年には同大学文学部教授となり、美術史を担当。同年設立の美術史学会では10人が加わった発起人のうちの一人となった。1957年に「中国美術史に於ける伝統の研究」で文学博士号を取得。
平田 冨太郎(ひらた とみたろう、1908年5月22日 - … 平田 冨太郎(ひらた とみたろう、1908年5月22日 - 1995年3月20日)は、日本の社会学者。早稲田大学名誉教授。 秋田県横手市に生まれる。横手中学校(現・秋田県立横手高等学校)卒、早稲田第二高等学院卒、1931年早稲田大学政治経済学部卒。 1936年同助手、1938年講師、1941年助教授、1945年教授、1954-56年社会政策学会代表幹事、1964-66年社会政策学会代表幹事、1969-72年附属図書館長、1979年定年退任、名誉教授、日本社会事業大学学長・教授、86-92年日本生産性本部会長、91年退任、名誉教授、1955年「社会政策論研究 社会政策と資本主義との関連を中心として」で、経済学博士(慶應義塾大学)の学位を取得。
入交 好脩(いりまじり よしなが、1908年(明治41年)4… 入交 好脩(いりまじり よしなが、1908年(明治41年)4月8日 - 1999年(平成11年)6月8日)は、日本の日本経済史学者、早稲田大学名誉教授。 早大卒、早大商学部教授を1978年まで務め、徳川時代の経済史、および幕末土佐藩史を研究した。兄は坂本龍馬の銅像を建てた入交好保。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
高木 純一(たかぎ じゅんいち、1908年3月25日 - 1… 高木 純一(たかぎ じゅんいち、1908年3月25日 - 1993年10月29日)は、日本の工学者。 東京市麻布生まれ。1931年早稲田大学理工学部電気工学科卒、1950年工学博士。私立中野中学校講師、1933年早稲田第一高等学院専門部工科講師、早大理工学部助教授、教授、理工学部長、高等学院長、理事、1978年定年、名誉教授。 1971年紫綬褒章受勲、1973年NHK放送文化賞受賞、1980年勲三等旭日中綬章。 啓蒙的な著作を多く書いた。高木は、日本で最初の電気技術史家と言うべき人物である。
伊地知 鉄男(いぢち てつお、1908年3月5日 - 199… 伊地知 鉄男(いぢち てつお、1908年3月5日 - 1998年3月23日)は、日本の国文学者、書誌学者。 鹿児島県鹿児島市で生まれる。早稲田大学文学部国文学科で学び、1932年に卒業。 卒業後は、光塩高等女学校に教員として勤務。1936年に宮内省図書寮に入省し、1966年に宮内庁書陵部を定年退職。その後は早稲田大学教授となり、1978年に定年退職。 1998年、肺炎のため死去。 専攻は国文学で、特に中世連歌を専門とした。また、書誌学に関連した研究も行っている。 連歌関係の資料1,122点が、1988年に早稲田大学図書館に寄贈され、「伊地知鉄男文庫」となっている。1992年には『伊地知鉄男文庫目録』が刊行されている。
桜井 成夫(さくらい なるお、1907年7月5日 - 199… 桜井 成夫(さくらい なるお、1907年7月5日 - 1993年2月21日)は、フランス文学者、翻訳家、元早稲田大学教授。東京生まれ。早大仏文科卒、1978年まで早大教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
仁戸田 六三郎(にえだ ろくさぶろう、1907年(明治40年… 仁戸田 六三郎(にえだ ろくさぶろう、1907年(明治40年)5月5日 - 1981年(昭和56年)4月2日)は、昭和時代の宗教哲学者、文学博士、早稲田大学名誉教授。 日本統治時代の台湾の台北にて生まれる。仁戸田家は佐賀藩士で、千葉氏の一族の末裔であった。1920年、不入斗尋常小学校を卒業。1925年、正則中学校を卒業。1928年、早稲田大学附属第二早稲田高等学院文科を卒業。1931年、早稲田大学文学部哲学科西洋哲学専攻を卒業後の1932年から同大学の非常勤講師となる。 1943年より助教授となり、1948年から1978年まで教授を務め宗教哲学の講義を行った。定年後に名誉教授となった。文化学院や駒沢大学、明星大学の講師も務めた。
樫山 欽四郎(かしやま きんしろう、1907年〈明治40年〉… 樫山 欽四郎(かしやま きんしろう、1907年〈明治40年〉5月1日 - 1977年〈昭和52年〉8月7日)は、日本の哲学者。元早稲田大学文学部教授。研究対象は、ドイツ近世哲学・実存哲学。 長野県北佐久郡小諸町(現・小諸市)出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)、早稲田大学文学部哲学科卒。同助教授、1949年教授。早稲田大学高等学院長、第二文学部長、第一文学部長を経て大学院文学研究委員長に就任。 ヘーゲル研究で知られ1951年ヤスパース協会、1957年実存主義協会設立に参画、理事を務めた。1960年「ヘーゲル精神現象学の研究」で文学博士。また1969年早大野球部長に就任、東京六大学野球連盟理事、日本学生野球協会理事を務めた。
水田 義雄(みずた よしお、1907年2月10日 - 198… 水田 義雄(みずた よしお、1907年2月10日 - 1982年2月26日)は、日本の法学者。専門は比較法学。学位は、法学博士(早稲田大学・1960年)(学位論文「英国比較法研究」)。早稲田大学名誉教授。 東京都生まれ。翻訳家・水田栄雄の四男。1929年早稲田大学法学部卒。法律事務所を開設するが、のち早大法学部助教授、教授、1960年「英国比較法研究」で早稲田大学より法学博士の学位を取得。1977年定年退任、名誉教授、大東文化大学教授。比較法学が専門。
根本 誠(ねもと まこと、1906年11月16日 - 197… 根本 誠(ねもと まこと、1906年11月16日 - 1976年1月2日)は、東洋史学者。中国法制史が専門だった。 東京生まれ。1933年早稲田大学文学部卒業。1934年安田商工業学校教員、1942年早稲田大学文学部講師、1946年助教授、1951年教授。その後、創価大学教授を務めた。 1976年1月2日、心不全のため東京都練馬区の小山病院にて死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小松 芳喬(こまつ よしたか、1906年4月1日 - 200… 小松 芳喬(こまつ よしたか、1906年4月1日 - 2000年2月7日)は、日本の経済学者、社会経済史学者。1960年社会経済史学会代表理事。1983年日本学士院会員。1979年日経・経済図書文化賞。 東京市神田生まれ。第一早稲田高等学院を経て、1928年早稲田大学政治経済学部卒業、同大学院進学。1960年経済学博士の学位を取得。 1933年早稲田大学政治経済学部助手、1934年同大学講師。東京外国語学校での語学習得や1937年から1939年までロンドン大学留学。1939年早稲田大学助教授、1942年に教授となった。
佐藤 孝一(さとう こういち、1905年 <明治38年> 1… 佐藤 孝一(さとう こういち、1905年 <明治38年> 11月11日 - 1975年 <昭和50年> 10月18日)は、日本の会計学者。 東京府東京市下谷区二長町(現・東京都台東区台東)出身。1930年早稲田大学商学部卒、1932年同講師、1938年助教授、1942年教授。1951年「剰余金の研究」で早稲田大学より商学博士の学位を取得。長谷川安兵衛に師事。1975年死去。死没日付をもって正五位に叙され勲三等旭日中綬章を追贈された。 門下生に新井清光、染谷恭次郎、加古宜士等がいる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大野 實雄(おおの じつお、1905年(明治38年)9月10… 大野 實雄(おおの じつお、1905年(明治38年)9月10日 - 1994年(平成6年)11月26日)は、日本の法学者・裁判官だった人物。商法学者。専門は商法全般。早稲田大学名誉教授。「大野実雄」とも表記された。 長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)生まれ。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)、第二早稲田高等学院を経て、1930年早稲田大学法学部仏法科卒業。司法官試補(東京地方裁判所)。1931年、東京地方裁判所判事に就任。1948年、東京地方裁判所退官。早稲田大学法学部教授。1951年、教務部長。1958年、早稲田大学図書館長。1964年、第一法学部長。1970年、比較法研究所長。1971年、日本公証法学会理事長。
田中重久(たなか しげひさ、1905年7月17日 - 197… 田中重久(たなか しげひさ、1905年7月17日 - 1979年5月24日)は、日本の美術史家である。特に仏教美術に関して、多くの著作をのこしている。別名義としてたなか しげひさがある。 1905年(明治38年)7月17日、滋賀県甲賀郡水口町葛籠町に、父・豊吉郎、母・ゆりの五男として生まれる。豊吉郎は「小さい地方銀行家」であり、1928年(昭和3年)より栗太銀行の取締役をつとめた。京都市立中立小学校を経て滋賀県立膳所中学校に入学する。同校で日本史の教鞭をとっていた佐々木恒清に薫陶を受けるかたちで、14歳にして仏教美術を志すようになる。 大村西崖の東洋史の講義を受けるべく、1925年(大正14年)に東京美術学校に進学するも、彼の易簀を受けて翌年3月に中退、早稲田大学に転学する。
野村 正二郎(のむら しょうじろう、旧姓:杉村(すぎむら)、… 野村 正二郎(のむら しょうじろう、旧姓:杉村(すぎむら)、1905年4月4日 - 1975年1月15日)は、大阪府大阪市出身の科学者、大学教授およびサッカー選手。男爵。 父は杉村倉庫創業者の杉村正太郎、弟は阪急電鉄常務を務めた杉村正三郎であり、大阪商工会議所初代会頭の五代友厚が母方の祖父に当たる。 大阪府立天王寺中学校(現:大阪府立天王寺高等学校)を卒業後、早稲田大学に入学してア式蹴球部に所属。在学中の1927年に第8回極東選手権大会のサッカー日本代表に選出され、8月27日の中華民国代表で代表初出場を果たした。 男爵を叙爵した野村維章を祖とする野村家に大学を卒業する前に養子に入って野村姓に改名し、1928年2月2日に男爵を襲爵した。
大島 義夫(おおしま よしお、1905年 - 1992年8月… 大島 義夫(おおしま よしお、1905年 - 1992年8月30日)は、日本の言語学者、エスペラント学者。財団法人エスペラント学会理事。 東京生まれ。中学生時代にエスペラントと出会い、1924年に日本エスペラント学会入会。1929年、早稲田大学政治経済学部卒。 昭和初期から比嘉春潮・伊東三郎らとプロレタリア・エスペラント運動(プロ・エス)に従事。『プロレタリア・エスペラント講座』(鉄塔書院)全6巻の編集にあたり、運動の理論的指導者となる。また「高木弘」のペンネームでソ連のエスペランチスト、ドレーゼンの『世界語の歴史』を翻訳・出版。唯物論の立場から言語学にアプローチし、ソビエト言語学の紹介につとめる。
李 相佰(イ・サンベク、1904年8月6日 - 1966年4… 李 相佰(イ・サンベク、1904年8月6日 - 1966年4月14日)は、朝鮮(大韓帝国)に生まれ、日本および大韓民国で活動した歴史学者・社会学者、バスケットボール選手・指導者。 早稲田大学に留学、日本における黎明期の大学バスケットボール選手となり、スポーツ理論・競技技術の普及や、スポーツ組織の結成・運営に大きな足跡を残した。戦後の韓国においてもスポーツ界の重鎮として活動、国際オリンピック委員会(IOC)委員を務めた。学生バスケットボールの日韓対抗戦である李相佰盃に名を残している。また、学者としてはソウル大学校教授を務め、歴史学・社会学に業績を残している。号は想白(サンベク/상백、発音は本名と同じ)、百無一斎。
荻野 三七彦 (おぎの みなひこ、1904年3月18日 - … 荻野 三七彦 (おぎの みなひこ、1904年3月18日 - 1992年8月12日)は、日本古文書学者。早稲田大学名誉教授。 1904年、文化財保護行政の荻野仲三郎の次男として東京市本郷区(現・東京都文京区)に生まれる。1929年、早稲田大学文学部史学科卒業。東京帝国大学文学部史料編纂所嘱託、1948年「聖徳太子伝古今目録抄の基礎的研究」で早稲田大学文学博士。1935年早稲田大学文学部講師、1942年助教授、1946年教授、1952年教務部長、1968年早稲田大学理事、1970年図書館長を歴任。1974年定年退職、名誉教授。1992年、死去。大学外では、聖徳太子奉讃会理事、永青文庫理事を務めた。 古文書学を確立し、日本古文書学会の設立に尽力した人物である。