金 両基(キム ヤンキ、1933年 - 2018年4月2日)… 金 両基(キム ヤンキ、1933年 - 2018年4月2日)は、在日韓国人の演劇学者、評論家。号・白翔。 東京都生まれ。早稲田大学文学部卒。哲学博士。韓国中央大学客員教授、カリフォルニア・インターナショナル大学教授を経て、1987年に静岡県立大学教授、常葉学園大学教授。1979年度文化庁芸術祭優秀賞受賞。1984年、ラジオたんぱ第一回アジア賞受賞。1995年、韓国放送公社第3回KBS海外同胞賞特別賞受賞。2002年韓国政府から文化勲章。 2018年4月2日、突発性間質性肺炎のため死去。84歳没。
小林 信彦(こばやし のぶひこ、1932年12月12日 - … 小林 信彦(こばやし のぶひこ、1932年12月12日 - )は、日本の小説家、評論家、コラムニスト。中原 弓彦(なかはら ゆみひこ)の筆名も用いた。早稲田大学第一文学部英文学科卒業。血液型B型。 風間賢二は小林をさして「我が国における元祖おたく作家」と評した。 東京市日本橋区米沢町2-5(のちの東京市日本橋区両国18-5、現在の東京都中央区東日本橋2-18-5)に生まれる。江戸時代から9代続いた老舗和菓子屋「立花屋」の長男であった。 代々婿養子が跡を継ぐ家風であったが、やり手であった祖父は自分の息子に跡を継がせようと考えていた。だが、その「長男」(小林の父)は自動車の運転・修理が趣味であるようなモダンな趣味人であり、商人としては無能で後に小林の一家が没落する原因となった。
和角 仁(わずみ ひとし、1932年〈昭和7年〉12月1日 … 和角 仁(わずみ ひとし、1932年〈昭和7年〉12月1日 - )は、日本の演劇評論家。歌舞伎・日本舞踊の研究でも知られる。日本演劇協会会員、日本演劇学会会員。予備校講師(古文担当)。テクニックを重視した授業は、グリデン古文と呼ばれ、当時の受験生から厚い支持を得ていた。 北海道に生まれる。早稲田大学大学院文学研究科(日本文学専攻)修了。三宅周太郎、安藤鶴夫、加賀山直三に師事し、1964年より歌舞伎の評論活動に入る。 『創』『朝日ジャーナル』『演劇界』などで評論活動を行う。あわせて1965年から1974年まで、目白学園短期大学(現目白大学短期大学部)講師(芸能史・歌舞伎・演出研究)を務める。 その後、劇団「民芸」の演出家、宮内満也と「劇団ピストールの会」を創り、1965年から2003年まで、俳優座劇場、本多劇場などで「令嬢ジュリー」「かもめ」などを公演する。
河野 基比古(こうの もとひこ、1932年11月26日 - … 河野 基比古(こうの もとひこ、1932年11月26日 - 1991年8月11日)は、日本の映画評論家、 音楽評論家。 河野房夫、末高淑子の長男として、慶應義塾大学病院に生まれる。伯父に淑子の兄、早稲田大学商学博士、愛知学院大学名誉教授の末高信がいる。 基比古の名は両親が基督教徒であることに由来し、国文学者の笹川臨風に拠って命名された。1956年に早稲田大学第一文学部英文科を卒業。淀川長治が主催する映画友の会に在籍、同級生には作家の生島治郎と小林信彦がいる。日本コロムビア洋楽部入社。ディレクターとして音楽制作を手掛け、渡米するようになった。 日本コロムビア退社後、日本クラウン、ワーナーパイオニアに転勤し、退社後フリーに転向。
松本 鶴雄(まつもと つるお、1932年11月19日 - 2… 松本 鶴雄(まつもと つるお、1932年11月19日 - 2016年5月11日)は、日本の文芸評論家。 埼玉県児玉郡神保原村(現・上里町)生まれ。埼玉県立本庄高等学校(定時制)、早稲田大学第一文学部独文科卒業。現代作家を中心に評論を書く。埼玉県立本庄高等学校(定時制)教諭、日本大学国際関係学部教授、群馬県立女子大学教授、日本大学大学院総合社会情報研究科兼任教授を歴任。
青木 雨彦(あおき あめひこ、1932年11月17日 ‐ 1… 青木 雨彦(あおき あめひこ、1932年11月17日 ‐ 1991年3月2日)は、日本のコラムニスト、文芸評論家。 神奈川県横浜市出身。神奈川県立横浜翠嵐高等学校、早稲田大学文学部仏文科卒。同大学大学院修士課程修了。在学中は「早稲田大学現代文学会」に所属。会員に生島治郎、高井有一、富島健夫がいた。生島は神奈川県立横浜第二中学校(横浜翠嵐高等学校の前身)以来の友人でもある。 新聞記者として東京タイムズ社に勤務、学芸部長を務めた。その後、学習参考書編集者を経てコラムニスト・文芸評論家に。1972年から1978年まで『週刊朝日』に「人間万歳」を連載し、「アメヒコ節」で人気を博した。早川書房の『ミステリマガジン』誌では、読者の誌上登場コーナー「街角のあなた」のインタビュアーなども行っている。
田畑 彦右衛門(たばた ひこえもん、1932年〈昭和7年〉8… 田畑 彦右衛門(たばた ひこえもん、1932年〈昭和7年〉8月1日 - )は日本の社会評論家、司会者、三重県総合文化センター総長、元NHK解説委員。 三重県上野市(現・伊賀市)出身。三重県立上野高等学校を経て早稲田大学政治経済学部卒業後、1955年にNHKに入局。 情報番組『600 こちら情報部』で時事解説を務めた(大事件の発生で「600」が急遽中止になった時は、そのままスケジュールを流用して臨時ニュースのキャスターをつとめたりしていた)ほか、クイズ番組『クイズ百点満点』では、クイズの解説を務めた。 1994年3月、『クイズ百点満点』終了とともにNHKを退職。その後、社会評論家、コラムニストとして講演や執筆活動を中心に活動している。
袖井 林二郎(そでい りんじろう、1932年3月9日 - 2… 袖井 林二郎(そでい りんじろう、1932年3月9日 - 2025年2月10日)は、日本の国際政治学者、評論家。法政大学名誉教授。専門は、戦後日米関係史、国際政治史、アメリカ政治論。 宮城県遠田郡小牛田町(現・美里町)出身。占領期研究の第一人者。戦後史関係資料を広範に探索してきたことで知られている。妻は社会学者の袖井孝子。
広岡 達朗(ひろおか たつろう、旧字体:廣岡、1932年〈昭… 広岡 達朗(ひろおか たつろう、旧字体:廣岡、1932年〈昭和7年〉2月9日 - )は、広島県呉市出身の元プロ野球選手(内野手)・元監督、野球解説者(評論家)。 現役時代は読売ジャイアンツで活躍、監督としてヤクルトスワローズ、西武ライオンズをそれぞれリーグ優勝・日本一に導いた。千葉ロッテマリーンズゼネラルマネージャーを経て現在は野球評論家。愛称は「ヒロ(さん)」。 実兄・広岡富夫は公務員(広島県庁)からプロ入りした異色の経歴を持ち、広島市民球場第1号本塁打を打った広島カープの元選手である。 辛辣で歯に衣をきせない一面があり、古巣である巨人に対しても批評を下すことがある。 1932年2月9日、広島県呉市にて6人兄弟(男5人、女1人)の末っ子として生まれる。
岡田 寛(おかだ ひろし、1932年〈昭和7年〉1月30日 … 岡田 寛(おかだ ひろし、1932年〈昭和7年〉1月30日 - 2025年〈令和7年〉11月)は、香川県高松市出身・在住の音楽評論家・ディスクジョッキー。愛称「カンさん」。 早稲田大学政治経済学部卒業。1954年に高島屋飯田に入社するが、家業の旅館業を継ぐために1年で帰郷する。 クラシック音楽・タンゴに特に造詣が深く、地元のラジオ香川→RNCラジオ(西日本放送)が開局した当初(1953年11月)から2017年10月29日まで日曜に放送されていたタンゴ音楽の専門番組「タンゴアルバム」は番組開始当初に構成作家として参加したのち、1955年よりパーソナリティーとなる。番組はじめの「タンゴファンの皆様こんにちは(後に「こんばんは」)。
野末 陳平(のずえ ちんぺい、本名:同じ、旧本名:野末 和彦… 野末 陳平(のずえ ちんぺい、本名:同じ、旧本名:野末 和彦〈のずえ かずひこ〉、1932年〈昭和7年〉1月2日 - )は、日本の放送作家、経済評論家、政治家。野末陳平事務所代表。 レイク浜松カントリークラブ(引佐観光開発)代表取締役会長。落語立川流顧問。駄句駄句会同人、俳号は「野ざらし」。 参議院議員(4期)、税金党党首(初代)、参議院大蔵委員長、WWF常任理事、サイバー大学客員教授などを歴任した。 父親は鉄道院の役人で、各地の駅を設計していた。母親は岡山県岡山市の出身で、薬剤師になるため上京し、明治薬学専門学校を卒業後、薬局で働いていたとき、見合い結婚。父親が山口県立工業の教師として赴任した山口県宇部市で陳平(和彦)は生まれた。
野口 存彌(のぐち のぶや、1931年8月27日 - 201… 野口 存彌(のぐち のぶや、1931年8月27日 - 2015年12月5日)は、児童文学・文芸評論家。父は野口雨情。文芸誌「群系」創刊同人。 東京府北多摩郡武蔵野町(現武蔵野市)生まれ。父・雨情の病気療養と疎開のため栃木県河内郡姿川村(現・宇都宮市)に引っ越し、栃木県立宇都宮高等学校卒業後、1954年早稲田大学第一文学部仏文科卒。55年金の星社に入り、57年財団法人大蔵財務協会に勤務。のち武蔵野女子大学客員教授。同人誌「群系」創刊同人。2012年12月、長年の執筆活動により、第一回群系賞を受賞。墓所は小平霊園。
向井 爽也(むかい そうや、1931年8月24日 - 200… 向井 爽也(むかい そうや、1931年8月24日 - 2005年2月5日)は、日本の演劇評論家、TBSディレクター。洋画家向井潤吉の長男。 1931年(昭和6年)、東京に生まれる。麻布高校、早稲田大学仏文科・政治科、早稲田大学大学院演劇科を卒業。TBSテレビで番組制作に携わりながら、演劇評論を執筆する。1963年(昭和38年)、浅草で劇団を立ち上げていた萩本欽一を誘い、初めてテレビに出演させた。 1973年(昭和48年)に創部された東京大学レスリング部の初代監督を務めた。1978年(昭和53年)時点では他に日本アマチュア・レスリング協会理事、同学連理事、同社会人連盟常務理事、国学院大学レスリング部コーチなどの経歴が記載されている。
細田 勝(ほそだ まさる、1931年〈昭和6年〉6月23日 … 細田 勝(ほそだ まさる、1931年〈昭和6年〉6月23日 - 2021年〈令和3年〉12月31日)は、東京都新宿区出身のアナウンサー、大相撲評論家。 早稲田大学文学部卒業。1954年4月、文化放送にアナウンサーとして入社。以来、スポーツアナウンサーとして、33年に渡って活躍。大相撲に対する造詣が深く、1相撲番組を15年に渡って担当。進行を担当した『大相撲熱戦十番』は「大相撲熱戦十番の狂言回し」と自らを紹介した。 文化放送の定年退職後は大相撲評論家として、著書出版の他、講演会活動を行った。 2021年12月31日、腎不全のため死去。その死去は文化放送の後輩アナウンサーである坂信一郎が雑誌『相撲』(ベースボール・マガジン社)に寄稿したことで明らかにされた。
近藤 信行(こんどう のぶゆき、1931年3月11日 - 2… 近藤 信行(こんどう のぶゆき、1931年3月11日 - 2022年7月17日)は、日本の文芸評論家。編集者。 文芸評論のほか、著作は登山関連書を軸としていた。 東京生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒、同大学院修士課程修了。 中央公論社で『中央公論』『婦人公論』などの編集に携わった後、1969年、文芸雑誌『海』を創刊する。翌年まで編集長を務め、1973年-1976年再度編集長になったあと、退社。 1978年『小島烏水 山の風流使者伝』で大佛次郎賞を受賞した。山梨県立文学館館長を2013年3月まで務めた。 2022年7月17日、老衰のため死去。91歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
津田 類(つだ るい、1931年3月6日 - )は、演劇評論… 津田 類(つだ るい、1931年3月6日 - )は、演劇評論家。
落合 清彦(おちあい きよひこ、1931年2月6日- )は、… 落合 清彦(おちあい きよひこ、1931年2月6日- )は、日本の演劇評論家、編集者。 東京都出身。1956年早稲田大学国文科を卒業。東京創元社で「名作歌舞伎全集」の編集に、第三文明社で「絵本通俗三国志」の校訂に携わる。ほか、成城大学文芸学部講師を務めた。
山本 博(やまもと ひろし, 1931年2月6日 - 202… 山本 博(やまもと ひろし, 1931年2月6日 - 2024年1月17日)は、日本の弁護士、著作家、翻訳家、ワイン評論家。日本労働弁護団名誉会長、日本輸入ワイン協会会長、世界ソムリエコンクール日本代表審査委員、一般社団法人「日本ワインを愛する会」会長。東京ドイツワイン協会名誉顧問。 日本でもっともワイン関連著作の多い人物であるとされている。 1931年、神奈川県横浜市の伊勢佐木町にある商家(自転車屋)の生まれ。旧制中学3年だった14歳の時に太平洋戦争終戦を迎え、戦後にはサイクリングクラブを設立している。旧制中学卒業後、昼間は英語の通訳養成学校に通い、夜間は早稲田大学夜間部に通った。学生時代には学生演劇活動も行っており、後に劇団四季の顧問となっている。
横溝 亮一(よこみぞ りょういち、1931年1月3日 - 2… 横溝 亮一(よこみぞ りょういち、1931年1月3日 - 2015年2月17日)は、日本の音楽評論家。 探偵小説家の横溝正史の長男として東京に生まれる。少年時代に音楽評論家の属啓成から音楽理論を学んだ。東京府立第十中学校(現・東京都立西高等学校)在校中に疎開で転校し、岡山県矢掛中学校(現・岡山県立矢掛高等学校)及び早稲田大学第一文学部英文科をそれぞれ卒業。 大学卒業後に東京新聞に入社、23年間、文化部音楽担当記者を務め、1977年に退社、音楽評論家となる。 100回を超える渡航を重ね、2005年にフィンランド政府よりフィンランド獅子勲章騎士第1級章を授与される。その他、武蔵野音楽大学、東京音楽大学、昭和音楽大学、成城大学短大などで教鞭をとった。
上総 英郎(かずさ ひでお、1931年〈昭和6年〉1月1日 … 上総 英郎(かずさ ひでお、1931年〈昭和6年〉1月1日 - 2001年〈平成13年〉7月21日)は、文芸評論家。 広島県生まれ。本名・中村宏。早稲田大学文学部フランス文学科卒。同大学院修士課程修了。1967年『三田文学』で「共感と挫折」を発表し、文芸評論家として活動を開始。二松学舎大学教授を務めた。遠藤周作などキリスト教作家を論じた。
高柳 美知子(たかやなぎ みちこ、1931年 - 2016年… 高柳 美知子(たかやなぎ みちこ、1931年 - 2016年)は、性教育評論家。俳人の高柳重信は兄、歌人の高柳蕗子は重信の長女で美知子の姪。
西田 正好(にしだ まさよし、1931年 - 1980年3月… 西田 正好(にしだ まさよし、1931年 - 1980年3月7日)は、国文学者・文芸評論家。専門は日本中世文学だが、日本文学や仏教について幅広く論じた。 愛知県出身。1954年早稲田大学文学部国文科卒業。1956年、同大学大学院修士課程修了。大学院では伊藤康安と岡一雄の指導を受けた。同年、金城学院大学講師、1962年愛知淑徳短期大学助教授、1975年愛知淑徳大学教授。49歳で死去。
村田 慶之輔(むらた けいのすけ、1930年10月11日 -… 村田 慶之輔(むらた けいのすけ、1930年10月11日 - 2015年3月19日)は、日本の美術評論家。 1930年生まれ。1956年、早稲田大学第一文学部を卒業。1959年11月に神奈川県教育委員会職員となる。1964年、神奈川県立博物館準備室の学芸員となる。1969年4月に文化庁文化部芸術課専門職員に転ずる。1974年7月に文化庁文化部文化普及課の国立国際美術館設立準備室主幹となる。1977年5月、国立国際美術館開館にともない学芸課長となる。1991年3月に定年退官。愛知県立芸術大学、静岡大学等で非常勤講師として教鞭をとった。1992年4月、高岡市美術館準備室長となるが、翌年3月に退職。1999年4月に川崎市岡本太郎美術館館長となる。
松下 裕(まつした ゆたか、1930年9月5日 - 2020… 松下 裕(まつした ゆたか、1930年9月5日 - 2020年8月17日)は、日本のロシア文学の翻訳家、文芸評論家。 朝鮮鎮南浦府生まれ。早稲田大学文学部露文科卒業。19世紀から20世紀のロシア文学研究者として、チェーホフ作品を翻訳。中野重治研究、二度の『中野重治全集』編集・校訂も行なった。 1998年、「評伝中野重治」で第7回やまなし文学賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
沼澤 康一郎(ぬまさわ こういちろう、1930年8月15日 … 沼澤 康一郎(ぬまさわ こういちろう、1930年8月15日 - 1989年5月18日)は、北海道函館市出身の元プロ野球選手(外野手、捕手)・コーチ、解説者・評論家。
中島 誠(なかじま まこと、1930年7月2日 - 2012… 中島 誠(なかじま まこと、1930年7月2日 - 2012年1月14日)は、日本の文芸評論家。 東京生まれ。戦時中は両親の郷里である群馬県の安中へ疎開し、群馬県立高崎高等学校を卒業(48回生)。1955年、早稲田大学英文科卒業。当初社会評論を書いたがのち時代・歴史小説を主として論じた。第17回大衆文学研究賞受賞。 2012年1月14日、肺炎のため死去。81歳没。
早坂 茂三(はやさか しげぞう、1930年6月25日 - 2… 早坂 茂三(はやさか しげぞう、1930年6月25日 - 2004年6月20日)は、日本の政治評論家。 田中角栄の政務秘書を23年間務めた。「日本列島改造論」の名付け親でもある。秘書辞任後は、多くの著書を出版した。 北海道函館市恵比須町出身。生家は呉服屋を営み、旧制北海道庁立函館中学校・新制北海道立函館高等学校(現北海道函館中部高等学校)を卒業。浪人生活を経て1950年に早稲田大学政治経済学部新聞学科に入学。早大時代の友人に行天豊雄(後の財務官)がいる。 大学時代は学生運動にのめりこみ、一時日本共産党にも入党した。1955年に同大卒業。学生の頃からいずれは新聞記者になろうと思い、新聞社の入社試験を受けるが、朝日新聞は年齢制限で受けられず、読売新聞では最終面接の13人の中の1人に残るが、前歴が前歴だけに思想調査ではねられ、名も知らぬ新聞社だった東京タイムズに拾われた。
秋山 駿(あきやま しゅん、1930年〈昭和5年〉4月23日… 秋山 駿(あきやま しゅん、1930年〈昭和5年〉4月23日 - 2013年〈平成25年〉10月2日)は、日本の文芸評論家、日本藝術院会員。位階は従四位。本名は駿(すすむ)。 東京府池袋出身。旧制東京都立第十中学校(現・東京都立西高等学校)を経て、1948年に旧制第二早稲田高等学院入学、翌年学制改革により新制早稲田大学第一文学部仏文科に移り、1953年に卒業する。1956年6月、報知新聞社に入社。1960年「小林秀雄」で『群像』第3回新人文学賞評論部門受賞。評論「内部の人間」「想像する自由」(いずれも1963年発表)などを、久保田正文や三島由紀夫に激賞された。1979年から1993年まで東京農工大学教授、1997年から武蔵野女子短期大学・武蔵野女子大学教授。
石澤 秀二(いしざわ しゅうじ、1930年4月10日 - 2… 石澤 秀二(いしざわ しゅうじ、1930年4月10日 - 2025年12月9日)は、日本の演劇評論家、演出家。石沢秀二とも表記する。本名は石澤秀男。妻は劇作家の石沢富子。 東京都出身。早稲田大学卒、同大学院演劇専攻修士課程修了。1964年、フランス政府招へい芸術留学生として渡仏し、1967年に青年座に入団。雑誌「新劇」編集長を経て、1968年の桐朋学園短期大学演劇専攻創設に参加し、教授。同退職後、青年座文芸部長を経て、日本演出者協会副理事長、国際演劇評論家協会日本センター会長、日韓演劇交流センター会長を歴任。2005年「祈りの懸け橋-評伝田中千禾夫」で河竹賞受賞。1974―1981年岸田国士戯曲賞選考委員を務めた。
三宅 久之(みやけ ひさゆき、1930年〈昭和5年〉1月10… 三宅 久之(みやけ ひさゆき、1930年〈昭和5年〉1月10日 - 2012年〈平成24年〉11月15日)は、日本の政治評論家、コメンテーター。元毎日新聞記者。 1930年(昭和5年)、現在の東京都杉並区阿佐谷南一丁目、杉並区役所のすぐ隣の家で生まれた。父は日立製作所の技術者。6歳のときに父が北九州工場に総務課長として転勤となり、福岡県戸畑市に引っ越し、私立小学校である明治学園に通った。 太平洋戦争が始まった翌年、東京府立十九中に入学。ゲートルを巻いた国民服のような制服を着て通った。三年生から昭島に通い、九七式艦上攻撃機などの海軍の飛行機をつくる会社で組み立て作業をした。 1949年(昭和24年)に早稲田大学第一文学部独文科に入学。
松尾 羊一(まつお よういち、1930年〈昭和5年〉 - 2… 松尾 羊一(まつお よういち、1930年〈昭和5年〉 - 2024年〈令和6年〉2月22日)は、東京都出身の放送評論家。本名は吉村育夫。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
松原 正 (まつばら ただし、1929年12月22日 - 2… 松原 正 (まつばら ただし、1929年12月22日 - 2016年6月8日) は、日本の英文学者、評論家、劇作家、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 自らも保守派でありながら、革新派は元より西部邁や西尾幹二ら保守派に分類される論客への厳しい批判で知られる。 東京都生まれ。1952年、早稲田大学第一文学部英文科卒業。学生時代より福田恆存に師事し、正字体、歴史的仮名遣で文章を書く。 早い時期から文藝評論家を目指し、高田保を通して福田の知遇を得た。のち英米演劇を専門にして翻訳のみならず幾つかの戯曲を発表、早稲田大学で教鞭をとることになる(文学部非常勤講師→社会科学部助教授→文学部教授)。 かつて『中央公論』などにも文章を発表、産経新聞にも寄稿したことがあるが、1980年代以降は主に『月曜評論』などのミニコミ誌に執筆していた(2004年8月号で同誌が廃刊)。
志賀 信夫(しが のぶお、1929年10月23日 - 201… 志賀 信夫(しが のぶお、1929年10月23日 - 2012年10月29日)は、日本の放送評論家。 福島県生まれ。1953年(昭和28年)早稲田大学大学院修士課程修了。飯島正に師事。早大講師、多摩大学非常勤講師なども務めた。 羽佐間重彰(フジテレビ社長、産経新聞会長)は、大学と大学院の同級生。羽佐間によると志賀は、録画機器のない当時、月給の10倍以上の値がしたテレビを数台所有し、各局の番組を同時に鑑賞していたという。 1960年(昭和35年)、内村直也らとともに放送批評懇談会を設立し、78年理事長、08年名誉会長。10年には創設メンバーである志賀の功績を記念して、ギャラクシー賞に「志賀信夫賞」が創設された。
秋山 邦晴(あきやま くにはる、1929年5月22日 - 1… 秋山 邦晴(あきやま くにはる、1929年5月22日 - 1996年8月17日)は、日本の音楽評論家、音楽プロデューサー、詩人、作曲家。東京都生まれ。 父は陸軍軍人でのち牧車の号で俳人となった秋山邦雄。父の転任により、1935年から1937年までの幼年期を天津で過ごす。東京都立六中(現・東京都立新宿高等学校)、長野県松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)、早稲田大学第二高等学院を経て早稲田大学文学部フランス文学科に入学。1950年代、日比谷にあったGHQのCIE図書館(民間情報教育局)でレコード・コンサートをシリーズで開き、アメリカやヨーロッパの現代音楽を紹介。また、音楽雑誌「レコード音楽」編集長などを務めた。
平岡 篤頼(ひらおか とくよし、1929年5月2日 - 20… 平岡 篤頼(ひらおか とくよし、1929年5月2日 - 2005年5月18日)は、日本の仏文学者・文芸評論家・作家。早稲田大学名誉教授。 1929年(昭和4年)大阪市生まれ。1952年(昭和27年)早稲田大学文学部仏文科卒業。1961年(昭和36年)大学院文学研究科仏文学専攻博士課程満期退学。1957年から1960年パリ大学に学び、1962年(昭和37年)早稲田大学文学部講師、1965年(昭和40年)助教授、1970年(昭和45年)教授、2000年(平成12年)定年、名誉教授。 アラン・ロブ=グリエ、クロード・シモン、マルグリット・デュラス等、ヌーヴォー・ロマンの翻訳で知られているが、バルザックやメリメ等も翻訳し、小説も書くなど、幅広い活動をおこなった。
宮岸 泰治(みやぎし やすはる、1929年3月26日 - 2… 宮岸 泰治(みやぎし やすはる、1929年3月26日 - 2006年6月10日)は、日本の演劇評論家。 朝鮮生まれ。1956年早稲田大学文学部国文科卒業、東京新聞記者となって演劇批評を書き、特に木下順二の「夕鶴」を見続けた。1987年退社。1996年『木下順二論』でやまなし文学賞受賞。妻は日本舞踊家の手島かつ子。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
三木 多聞(みき たもん、1929年2月6日 - 2018年… 三木 多聞(みき たもん、1929年2月6日 - 2018年4月23日)は、日本の美術評論家。 三木宗策の子として東京に生まれる。早稲田大学文学部卒。東京国立近代美術館勤務、文化庁文化財保護部企画官を経て、1986年、国立国際美術館長、1992年、徳島県立近代美術館長、のち顧問、東京都写真美術館館長、のち名誉館長。2000年、勲三等旭日中綬章を受章。 2018年4月23日、急性心不全のため死去。89歳没。
中野 久夫(なかの ひさお、1929年1月5日- )は、日本… 中野 久夫(なかの ひさお、1929年1月5日- )は、日本の文芸・美術評論家、外国語学習法著者。 長野県生まれ。早稲田大学文学部卒。多摩美術大学講師。文芸・美術評論家、翻訳家として活動するがのち外国語学習法の本を書くようになる。
加藤 郁乎(かとう いくや、1929年1月3日 - 2012… 加藤 郁乎(かとう いくや、1929年1月3日 - 2012年5月16日)は、日本の詩人、俳人、俳諧評論家。 東京府に生まれる。父は早稲田大学教授であり、長谷川零余子に師事した俳人加藤紫舟(本名・中庸)。 1951年、早稲田大学文学部演劇科卒業。卒業後は日本テレビに勤務し、また商事会社を経営。 俳句は父に教えを受けつつ、日野草城、西東三鬼、高柳重信の影響を受け、父の主宰誌『黎明』に新芸術俳句を発表。1950年に父が没してのちは『黎明』の主宰を継いだ。のちに詩を吉田一穂、西脇順三郎に師事した。昭和30年代には『俳句評論』『ユニコーン』などの前衛俳句誌にも参加した。初期の代表作に「冬の波冬の波止場に来て返す」「昼顔の見えるひるすぎぽるとがる」「天文や大食(タージ)の天の鷹を馴らし」などがあり、西欧詩に学んだ詩的実験を定型俳句で展開し、俳壇の内外で評判を得た。
大久保 典夫(おおくぼ つねお、1928年(昭和3年)11月… 大久保 典夫(おおくぼ つねお、1928年(昭和3年)11月19日 - 2025年(令和7年)8月25日)は、日本の文芸評論家・日本近代文学研究者。学位は、博士(文学)(早稲田大学・論文博士・2004年)(学位論文「岩野泡鳴の研究」)。東京学芸大学名誉教授。現代文学史研究所所長。国文学者の梶川信行は娘婿。 埼玉県出身。早稲田大学文学部国文科卒。1958年季刊同人誌『批評』に参加。1981年『文学と教育』を創刊。東京学芸大学助教授、教授、1992年定年退官、名誉教授、創価大学教授。1998年退職。2003年現代文学史研究所創設。2004年「岩野泡鳴の研究」で早稲田大学より博士(文学)の学位を取得。
越智 正典(おち まさのり、1928年11月18日 - 20… 越智 正典(おち まさのり、1928年11月18日 - 2025年4月16日)は、日本のアナウンサー、野球評論家、スポーツライター。日本放送協会(NHK)アナウンサー→日本テレビ放送網(NTV)アナウンサー、のち運動部長。東京府(のちの東京都)出身。 「おち せいてん」の読みをあてる場合がある。 東京府立第一商業、早稲田大学政治経済学部卒業。 1951年にNHKへ入局。札幌局勤務ののち、1953年のNTV開局に伴い同局へ第1期アナウンサーとして移籍とする資料があるが、同年10月21日のNHKラジオ第2放送での日米野球(円山球場)の実況を担当しているため、実際には開局翌年移籍とみられる。以後、特にスポーツ中継の実況アナウンサーとして活躍。
大河内 昭爾(おおこうち しょうじ、1928年3月7日 - … 大河内 昭爾(おおこうち しょうじ、1928年3月7日 - 2013年8月15日)は、日本の文芸評論家、武蔵野大学名誉教授。専攻は日本近代文学の研究、特に日本近代文学への仏教の影響(他力思想の影響について)及び近代日本文学と風土との関わりについての研究。 鹿児島県鹿児島市生まれ(本籍宮崎県都城市)。 丹羽文雄主宰の同人誌『文学者』に所属して評論を書いた。同じ雑誌の吉村昭とは親友関係。 1981年から2008年12月号まで雑誌『文學界』の同人誌評を担当し、現代文学に取り組む全国の多くの文学愛好者への指導的役割、作品誕生への励ましを続け、新たな書き手として村田喜代子ら多くの作家の誕生を手助けした。 雑誌『食食食』(みき書房)、『食の文学館』(紀伊国屋書店)など文学と食を結ぶ季刊誌を主宰して、風土と食の文学の研究を20年以上継続。
坂崎 乙郎(さかざき おつろう、1928年1月1日 - 19… 坂崎 乙郎(さかざき おつろう、1928年1月1日 - 1985年12月21日)は、日本の西洋美術史研究家、美術評論家。早稲田大学教授。父は美術史家坂崎坦。東京都生まれ。 『夜の画家たち』などの著作でドイツ表現派や幻想派の画家を紹介、評論活動、執筆活動をおこなう。深井克美など無名の芸術家の紹介にも力をそそいだ。1985年9月7日に自殺した盟友鴨居玲の後を追うように同年12月21日に自殺。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
生内 玲子(うぶない れいこ、1928年(昭和3年) - 2… 生内 玲子(うぶない れいこ、1928年(昭和3年) - 2013年(平成25年))は、日本の交通評論家、旅行ジャーナリスト。 東京生まれ。早稲田大学文学部卒、同大学院修了。朝日新聞東京本社出版局記者を経て独立。以後、交通評論家、旅行ジャーナリストとして文筆活動を始める。 航空機工業審議会、生涯学習審議会、地方交通審議会、道路審議会、自然環境保全審議会各委員、内閣府・中央交通安全対策会議専門委員などを務める。 パンダの保護活動にも積極的に参加、中国臥龍パンダセンターの里親制度の創設に尽力した。
古田 足日(ふるた たるひ、男性、1927年〈昭和2年〉11… 古田 足日(ふるた たるひ、男性、1927年〈昭和2年〉11月29日 - 2014年〈平成26年〉6月8日)は、日本の評論家、児童文学作家。本名同じ。 父は国文学者の古田拡、東京大学教授を務めた国文学者・古田東朔は兄。早稲田大学第一文学部露文科在学中、早大童話会にて鳥越信らと『少年文学宣言』を草案・発表。その後中退。児童文学の評論、創作など多様な活動を続けた。 1960年(昭和35年)『現代児童文学論』第9回日本児童文学者協会新人賞。1967年(昭和42年)『宿題ひきうけ株式会社』第7回日本児童文学者協会賞。 愛媛県川之江町(現:四国中央市)にて、1927年(昭和2年)八人兄弟の三男として生まれる。
伊藤 知巳(いとう ともみ、1927年 - 1986年)は日… 伊藤 知巳(いとう ともみ、1927年 - 1986年)は日本の写真評論家。カメラ雑誌の草分け「CAMERA」(アルス社)編集長、東京綜合写真専門学校、東京造形大学、現代写真研究所、桑沢デザイン研究所などの教員を歴任。土門拳の甥。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、カメラに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:写真/PJ:カメラ)。
落合 東朗(おちあい はるろう、1926年〈大正15年〉5月… 落合 東朗(おちあい はるろう、1926年〈大正15年〉5月4日 - 生没不詳)は、日本のロシア文学研究者、評論家。 北海道根室郡和田村字落石()(現・根室市落石)生まれ。1945年7月満州ハルビンの関東軍第263部隊に入営。同地で敗戦を迎え、シベリアに抑留。1949年舞鶴に帰還した。1955年早稲田大学第一文学部露文科卒業。早大広報課に勤務、広報課長、早稲田大学出版部(wikidata)代表取締役を務めた。また、早稲田大学総長室調査役のほか同大理工学部講師も務めた。1986年11月退職。ロシア文学などについて著述を行った。
川添 登(かわぞえ のぼる、1926年2月23日 - 201… 川添 登(かわぞえ のぼる、1926年2月23日 - 2015年7月9日)は、日本の建築評論家。 都市評論家、文明評論家でもあり、1953年から1957年まで雑誌『新建築』編集長をつとめ、往時に伝統論争を仕掛けた。以後、建築評論から民俗学に至る分野で活躍していく。1960年のグループメタボリズム結成に参画、また建築のほか旺盛な都市評論を展開。傍らで師・今和次郎の研究などをも手がける。建築の実作をつくらずして建築評論を展開することで日本の建築思想を牽引し、日本の建築家の作品や考え方に影響を与え続けたという。日本生活学会・日本展示学会・道具学会名誉会員。 東京都出身。駒込染井に生まれる。早稲田大学専門部工科建築専攻から早稲田大学文学部哲学科心理学専修に進学。
大木豊(おおき ゆたか、1925年12月14日 - 1976… 大木豊(おおき ゆたか、1925年12月14日 - 1976年9月1日)は、演劇評論家。東京生まれ。1949年早稲田大学文学部芸術科卒。演劇評論家協会会員。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、舞台芸術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:舞台芸術)。
森 秀男(もり ひでお、1925年9月25日 - 2002年… 森 秀男(もり ひでお、1925年9月25日 - 2002年10月30日)は、日本の演劇評論家。 東京都に生まれる。早稲田大学第一文学部国文科卒業。日本読書新聞編集部を経て、東京新聞文化部記者となる。1965年から同紙演劇担当となる。東京新聞が中日新聞に買収された後も同社に留り定年まで勤務したが、演劇担当からははずれ、外部媒体で演劇評論家として活動する。鈴木忠志、唐十郎、佐藤信らの初期舞台を積極的に劇評で取りあげ、アングラ演劇の定着に大きな役割を果たす。 日本大学芸術学部、郡山文化女子大学短期大学部で講師を務めた。