尾形 昭二(おがた しょうじ、1901年2月28日 - 19… 尾形 昭二(おがた しょうじ、1901年2月28日 - 1967年3月14日)は、日本の外交官、外交評論家。 熊本県生まれ。京都府立京都第一中学校卒。1924年東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、外務省に入り、パリ、モスクワ、新京大使館、ペトロパヴロフスク領事館などで勤務。その後、本省調査局ソビエト課長、調査局長などを歴任。退官後、外交評論家となり、日ソ協会常任理事を務めた。
岸 良子(きし よしこ、1901年〈明治34年〉2月16日 … 岸 良子(きし よしこ、1901年〈明治34年〉2月16日 - 1980年〈昭和55年〉6月14日)は、日本の56・57代内閣総理大臣である岸信介の妻。山口県出身。 山口県の士族である岸信政の娘として生まれる。実践高等女学校を卒業後、東京帝国大学法学部に在学中だった従兄の岸信介(信政の養子)と結婚を前提に同棲、1919年(大正8年)11月に結婚。 1921年(大正10年)に長男・信和、1928年(昭和3年)に長女・洋子をそれぞれ出産。 1980年(昭和55年)6月14日、心不全のため東京都港区の山王病院で死去。79歳没。
住木 諭介(すみき ゆすけ、1901年〈明治34年〉2月10… 住木 諭介(すみき ゆすけ、1901年〈明治34年〉2月10日 - 1974年〈昭和49年〉9月11日)は、日本の農芸化学者。農学博士。東京大学名誉教授、日本農芸化学会名誉会員。元東京大学農学部学部長、元理化学研究所副理事長。 新潟県新潟市東堀前通9番町(現 新潟市中央区)の新潟県庁職員・住木正次郎の長男として出生。 1919年(大正8年)3月に新潟中学校を卒業、1922年(大正11年)3月に新潟高等学校を卒業、1925年(大正14年)3月に東京帝国大学農学部農芸化学科を卒業、1929年(昭和4年)3月に東京帝国大学農学部大学院を修了。 1929年(昭和4年)4月に東京帝国大学農学部農芸化学科(主任:鈴木梅太郎)副手に就任、1932年(昭和7年)9月に東京帝国大学農学部農芸化学科助手に就任、1936年(昭和11年)8月に東京帝国大学農学部農芸化学科助教授に就任。
物部 薫郎(もののべ / ものべ くんろう、1901年(明治… 物部 薫郎(もののべ / ものべ くんろう、1901年(明治34年)2月1日 - 1977年(昭和52年)2月3日)は、日本の内務・厚生官僚。長野県知事。旧姓は平松。 岡山県川上郡湯野村(現在の高梁市備中町東油野)出身。平松瀧之助の三男として生まれ、同郡平川村、物部真一の養子となる。岡山県第一岡山中学校、第六高等学校を卒業。1924年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し東京府属となる。 以後、石川県学務課長、長野県学務部長、厚生書記官・失業対策部事業課長、同衛生局保健課長、内務省監査官、内務書記官・防空局企画課長兼整備課長、愛知県部長・経済部長などを経て、同県内務部長となる。
広岡 謙二(廣岡 謙二、ひろおか けんじ、1901年〈明治3… 広岡 謙二(廣岡 謙二、ひろおか けんじ、1901年〈明治34年〉1月27日 - 1995年〈平成7年〉6月30日)は、日本の内務官僚。石川県知事、警視総監。位階は正四位。 徳島県出身。広岡四郎の二男として生まれる。徳島中校、第一高等学校を経て、1923年4月、東京帝国大学文学部に入学したが、翌年3月に退学。1926年11月、高等試験行政科試験に合格。1927年3月、東北帝国大学法文学部英法科を卒業。同年4月、内務省に入り山口県属として内務部庶務課兼地方課に配属された。 1929年5月、山口県警部を兼務。以後、山口県商工水産課長、地方警視・鹿児島県保安課長、宮城県特高課長、警視庁特別高等警察部特高第一課長、同部労働課長、山口県学務部長、大分県書記官・警察部長、警視庁消防部長、熊本県書記官・警察部長、福岡県部長・警察部長などを歴任。
宮地 傳三郎(みやじ でんざぶろう、1901年1月26日 -… 宮地 傳三郎(みやじ でんざぶろう、1901年1月26日 - 1988年10月21日)は、日本の動物生態学者。京都大学名誉教授。理学博士(京都帝国大学、1933年)。広島県尾道市生まれ。
志賀 義雄(しが よしお、1901年(明治34年)1月12日… 志賀 義雄(しが よしお、1901年(明治34年)1月12日 - 1989年(平成元年)3月6日)は、日本の政治家、共産主義運動の活動家。衆議院議員、日本共産党中央委員、「日本共産党(日本のこえ)」委員長などを務めた。ソ連共産党から資金援助を受けていた。 福岡県門司市(現・北九州市門司区)生まれ。旧姓、川本。1906年、母方の祖父の養子となって山口県阿武郡萩町(現・萩市)へ移り、志賀姓となる。 旧制萩中学校(現・山口県立萩高等学校)から一高を経て東京帝国大学文学部に入学する。帝大在学中に学生運動に参加し、在学中の1923年(大正12年)には、前年に非合法政党として結成された日本共産党へ入党。1927年(昭和2)1月には、モスクワに赴任した福本和夫から党中央常任委員・政治部長の要職を引き継いだが、1928年(昭和3年)の三・一五事件において検挙され、1934年(昭和9年)に治安維持法により懲役10年の有罪判決を受けた。
東 武雄(あずま たけお 1901年 - 1945年11月2… 東 武雄(あずま たけお 1901年 - 1945年11月2日)は、日本の元アマチュア野球選手。身長5尺8寸(約176cm)、体重20貫余(約75kg)。右投。大阪府大阪市出身。戦後、東京都知事を務めた東龍太郎は兄に当たる。 医者の子として大阪船場で生まれ、天王寺中学校から第一高等学校を経て、東京帝国大学農学部に進学。 1925年秋、東京帝大の東京六大学リーグ加盟時の投手である。由谷敬吉や梶原英夫と並んで、東京大学野球部史上の「名投手三羽烏」と呼ばれる人物の一人。 1925年秋季対法大戦で六大学リーグ初の本塁打、1927年春季の対立教大戦ではノーヒットノーランを達成(現在まで東大選手唯一の記録)。
寺崎 英成(てらさき ひでなり、1900年(明治33年)12… 寺崎 英成(てらさき ひでなり、1900年(明治33年)12月21日 - 1951年(昭和26年)8月21日)は、日本の外交官、元・宮内省御用掛。 1900年、貿易商・寺崎三郎(福岡藩出身)の二男として神奈川県に生まれた。兄は、外交官・寺崎太郎。暁星中学より旧制一高を経て東京帝大法学部を中退し、1927年に外務省入省。ブラウン大学に公務留学。1931年、ワシントンD.C.の日本大使館在勤中に米国人グエンドレン・ハロルド(Gwen Harold, 1908-1990)と出会い結婚。 その後、上海(勤務時に娘マリコが出生)、ハバナ、北京など在外勤務を経て、1941年に再びワシントンの日本大使館に赴任。
阿部 源蔵(あべ げんぞう、1900年(明治33年)12月1… 阿部 源蔵(あべ げんぞう、1900年(明治33年)12月1日 - 1974年(昭和49年)4月22日)は、日本の政治家、内務官僚。 福岡市長、陸軍司政官。スラバヤ市長。玄洋社社員。 阿部八重吉の長男として福岡市真砂町(現博多区千代)に生まれる。1920年、福岡県立中学修猷館、1922年、第五高等学校文科甲類を経て、1925年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業し、高等試験行政科に合格して内務省に入省。 警視庁の大森署長、浅草署長、目黒署長、本富士署長などを務める。目黒署長時代には、二・二六事件に遭遇しており、沈着な処置で名を上げている。その後、1938年8月、山梨県総務部地方課長兼人事課長、1941年1月、高知県書記官・学務部長を経て、ジャワの陸軍司政長官としてインドネシアに渡り、1944年12月、スラバヤ市長に就任。
春 彦一(はる ひこいち、1900年(明治33年)9月27日… 春 彦一(はる ひこいち、1900年(明治33年)9月27日 - 1965年(昭和40年)11月2日)は、日本の地方官僚。官選岩手県知事、東京都副知事。 福岡県出身。春米吉の二男として生まれる。福岡県立嘉穂中学校、第三高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年3月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。同年4月、東京市役所事務員となり電気局庶務課に配属された。 以後、東京市主事、電気局庶務課長、企画局庶務課長、同企画課長、同財務課長、総務局文書課長、電気局総務課長、東京市理事・電気局電車部長、市長室企画部長、東京都交通局総務課長、港湾局長、交通局長などを歴任。 1946年1月、岩手県知事に就任。
池田 清志(いけだ きよし、1900年(明治33年)9月15… 池田 清志(いけだ きよし、1900年(明治33年)9月15日 - 1991年(平成3年)7月29日)は、日本の内務・警察官僚、政治家、弁護士。衆議院議員、最後の官選栃木県知事。
亀山 孝一(かめやま こういち、1900年8月30日 - 1… 亀山 孝一(かめやま こういち、1900年8月30日 - 1979年3月25日)は、日本の内務及び厚生官僚、政治家。福島県知事(官選第40代)、衆議院議員(6期)。 岡山県出身。内務官僚亀山理平太、佐登夫妻の長男として生まれる。台北一中、岡山一中、第一高等学校を経て、1924年4月に東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年5月、内務省に入り内務属として衛生局に配属された。 1925年10月、地方警視・岐阜県警察部付となり、山口県警察部特高課長、防疫官兼内務事務官・衛生局付、内務書記官・衛生局医務課長、計画局防空課長、愛知県書記官・警察部長、兵庫県書記官・総務部長、企画院第三部長などを歴任。
近藤 柏次郎(こんどう はくじろう、1900年8月17日 -… 近藤 柏次郎(こんどう はくじろう、1900年8月17日 - 1932年7月13日)は、日本のピアニスト。大正から昭和初期にかけて活躍したが、30代で芸妓と情死した。 浅野石油技師長近藤会次郎の次男として生まれる。暁星中学4年のときに府立一中に転校、一高を首席で卒業した。中学時代からピアノを学び、杉山長谷夫らに師事、山田耕筰の推薦で、来日中のデンマーク人ピアニストのジョージ・ロランジの伴奏を行い、一躍楽壇に知られた。友人の藤原義江によると、近藤は中学時代ピアノばかり弾いて学校にはあまり行かず、一高時代は「勉強は嫌いだが母親のために卒業だけはしてやる」が口癖だったという。 東京帝国大学法学部を卒業後日仏銀行に勤務の傍ら、藤原義江の伴奏をよく務めた。
中谷 宇吉郎(なかや うきちろう、1900年(明治33年)7… 中谷 宇吉郎(なかや うきちろう、1900年(明治33年)7月4日 - 1962年(昭和37年)4月11日)は、日本の物理学者、随筆家。位階は正三位。勲等は勲一等。学位は理学博士(京都帝国大学・1931年)。 北海道大学理学部教授を北海道帝国大学時代から務め、世界で初となる人工雪の製作に成功した。考古学者・中谷治宇二郎は弟。 1900年、温泉地の石川県江沼郡片山津町(現・加賀市)で生まれる。学齢期になると母方の親族に預けられ、大聖寺町(現・加賀市)に転居。 1913年、大聖寺町立錦城尋常高等小学校卒業後、間もなく父を失う。同年、旧制小松中学(現・石川県立小松高等学校)に入学、その後5年間の寄宿舎生活を送った。
水池 亮(みずいけ りょう、1900年(明治33年)6月7日… 水池 亮(みずいけ りょう、1900年(明治33年)6月7日 - 1976年(昭和51年)7月7日)は、日本の内務官僚、実業家。内務省警保局長、海軍司政長官。 兵庫県出身。農業・水池亀松の三男として生まれる。小野中学校を経て、第一高等学校を卒業。1925年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年4月、内務省に入省し警保局保安課に配属。 1926年11月から1927年10月まで北京に駐在。以後、地方事務官・鹿児島県勤務、地方警視・奈良県警察部特別高等警察課長、北海道庁警察部特別高等警察課長、警察講習所教授、内務事務官・警保局保安課勤務、宮内書記官・大臣官房総務課勤務、警視庁官房主事、内務書記官・警保局警務課長、警視庁特別高等警察部長、内務書記官・大臣官房文書課長などを歴任。
古海 忠之(ふるみ ただゆき、1900年5月5日 - 198… 古海 忠之(ふるみ ただゆき、1900年5月5日 - 1983年8月23日)は、日本の大蔵官僚、満洲国官僚、実業家。東京府出身。義兄に小金義照。長男は古海建一(国際善隣協会理事長、元東京銀行常務、元ユアサ商事会長)。勲二等瑞宝章(1971年)。 京都一中、三高を経て、東京帝国大学法学部政治学科に進む。学生時代を通じて野球部に在籍し、主にキャッチャーをしていた(帝大時代にはラグビーも兼部)。中学時代には第3回全国中等学校優勝野球大会に出場した。 1924年大学卒業し、大蔵省入省。入省同期に、青木実(満洲国経済部次長、戦後はシベリア抑留を経て合同証券会長、水戸常陽銀行社長)、難波経一(のち満州国専売公署副署長、軍需省燃料局長官・同整備局長官などを経て、戦後山陽パルプ社長・会長)など。
秋山 六郎兵衛(あきやま ろくろうべえ、1900年4月11日… 秋山 六郎兵衛(あきやま ろくろうべえ、1900年4月11日 - 1971年8月23日)は、日本のドイツ文学者。専門は、E.T.A.ホフマンの『牡猫ムルの人生観』の翻訳、ヘルマン・ヘッセの研究。 香川県三豊郡下高瀬村(現 三豊市三野町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学文学部独文科卒業。 東京帝国大学在学中、同ドイツ文学専攻の手塚富雄等と第8次、第9次「新思潮」に参加。1926年(大正15年)旧制福岡高等学校にドイツ語教師として赴任。1936年(昭和11年)10月、同高等学校の同僚の浦瀬白雨・大塚幸男等と文芸同人誌「九州文壇」を創刊。1937年(昭和12年)8月、「九州文壇」を廃刊し、「九州文学」(第1期)を創刊。
大間知 篤三(おおまち とくぞう、1900年(明治33年)4… 大間知 篤三(おおまち とくぞう、1900年(明治33年)4月9日 - 1970年(昭和45年)2月26日)は、日本の民俗学者。 1900年、富山県富山市愛宕町生まれ。呉服屋を営む旧家に生まれ、父は富山橋北銀行の頭取。富山中学校、第四高等学校卒、1927年、東京帝国大学文学部独文科卒。在学中、新人会に所属し、幹事長を務める。 卒業後には労働農民党書記を務め、日本共産党に入る。金沢連隊に入営ののち、1927年三・一五事件で三年間下獄。大間知ら、1927年2月『政治批判』創刊、1928年2月まで。1931年、出所して大宅壮一の翻訳団に加わる。1933年より柳田國男に師事、民間伝承の会(現日本民俗学会)の創立に参加。
吉江 勝保(よしえ かつやす、1900年(明治33年)4月8… 吉江 勝保(よしえ かつやす、1900年(明治33年)4月8日 - 1970年(昭和45年)9月17日)は、日本の内務官僚、政治家。山梨県知事(官選第42代、公選初代)。参議院議員(3期)、衆議院議員(1期)。号は知山。 京都府愛宕郡八瀬村(現京都市左京区)に吉江四郎の長男として生まれる。京都府立第一中学校(現京都府立洛北高等学校)のとき、教師から「スッポン」の漢字を知っているかと聞かれ、教室で自分だけが手を挙げて黒板に「すっぽん」と平仮名で書いてみなを唖然とさせ、それ以来、あだ名が「すっぽん」になった。 第三高等学校文科時代は柔道部で主将だった。1927年(昭和2年)に東京帝国大学法学部英法科を卒業。
渡辺 清彦(わたなべ きよひこ、1900年4月5日 - 20… 渡辺 清彦(わたなべ きよひこ、1900年4月5日 - 2000年2月7日)は日本の植物学者である。第二次世界大戦中に日本占領下のマレーシアのペナン植物園の園長を務めた。 静岡県森町に生まれた。父親は小学校長である。旧制掛川中学校、第八高等学校を経て、東京帝国大学の植物学科で学んだ。新設された旧制広島高等学校の教授を務め、1941年に陸軍司政官として日本が占領したマレーシアのペナン植物園の園長として派遣された。戦後は静岡大学を経て、千葉大学の教授となり、定年まで勤め、和洋女子大学の教授も務めた。1942年から1945年のペナン植物園の園長をしていたときに書き溜めた植物の図2200枚にE・J・H・コーナー(E. J. H. Corner; 『思い出の昭南博物館』の著者)らが説明をつけた『図説 熱帯植物集成』などを出版した。
金子 鋭(かねこ とし、1900年(明治33年)3月17日 … 金子 鋭(かねこ とし、1900年(明治33年)3月17日 - 1982年(昭和57年)2月24日)は、日本の銀行家。位階は従三位、勲等は勲二等。 富士銀行頭取、会長。第6代プロ野球コミッショナー。ドラフト制度導入に尽力したことで知られる。 旧制新潟県立小千谷中学校、旧制第七高等学校造士館を経て、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。帝大時代は大正デモクラシーの時代でもあり、蠟山政道、福岡誠一らと社会改良に関して語り合う一本筋の通った青春時代を送った。 1924年(大正13年)安田銀行に入行(後に富士銀行に改称)。49年副頭取、 57年頭取、63年会長、75年顧問。 明治生まれの硬骨のバンカーとして知られ、会長に退いてからは財界で活躍し、大の巨人軍ファンであったことから、政財界人で後援組織「無名会」を結成し、会長を務めた。
上村 英輔(かみむら えいすけ、1900年3月11日 - 1… 上村 英輔(かみむら えいすけ、1900年3月11日 - 1987年8月17日)は、日本の経営者。 東京都出身。1925年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に日本石油に入社。1949年6月に取締役に就任し、1950年6月に常務を経て、1958年9月に副社長に就任し、1961年5月に社長に昇格。 石油連盟会長、経済団体連合会・日本経営者団体連盟各常任理事などを務めた。 1962年に藍綬褒章を受章し、1970年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1987年8月17日、心不全のために死去。87歳没。
野口 二郎(のぐち じろう、1900年(明治33年)3月3日… 野口 二郎(のぐち じろう、1900年(明治33年)3月3日) - 1976年(昭和51年)1月18日)は、日本の実業家、政治家、郷土史研究家。甲府市長(官選第18代)、山梨日日新聞社社長、山梨放送社長。 甲府市百石町に、父・英夫、母・いしの二男として生まれる。1906年(明治39年)4月に山梨県尋常師範学校付属小学校に入学、1917年(大正6年)3月に山梨県立甲府中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校)、1920年(大正9年)3月に第八高等学校を卒業後、同年4月に東京帝国大学法学部に入学。1922年(大正11年)2月20日に山梨日日新聞社社長であった父親の野口英夫が逝去し、同月21日に学生のまま同新聞社の社長に就任。
篠山 千之(ささやま せんし / しのやま かずゆき、190… 篠山 千之(ささやま せんし / しのやま かずゆき、1900年〈明治33年〉2月28日 - 1976年〈昭和51年〉7月18日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。 岡山県出身。篠山常太郎の六男として生まれる。旧制岡山中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)を経て、第六高等学校を卒業。1923年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格。1924年、内務省に入省し警視庁警部となる。 以後、内務属・地方局勤務、地方警視・新潟県警察部勤務、同県建築監督官、鳥取県書記官・経済部長、福岡県書記官・学務部長、新潟県書記官・警察部長、兵庫県書記官・警察部長、東京府内務部長などを歴任。
久安 博忠(ひさやす ひろただ、1900年〈明治33年〉2月… 久安 博忠(ひさやす ひろただ、1900年〈明治33年〉2月25日 - 1981年〈昭和56年〉9月4日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選秋田県知事。岡山県岡山市出身。 岡山県吉備郡大井村(現:岡山市)出身。久安平治郎の二男として生まれる。その後、旧制岡山中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)を経て、第六高等学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し社会局属となる。 以後、地方警視として島根県警察部・神奈川県警察部・長崎県警察部・兵庫県警察部各勤務、警視庁警視として総監官房・特別高等部各勤務、宮城県書記官・学務部長、栃木県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、神奈川県書記官・警察部長、宮城県内政部長などを歴任。
橋爪 健(はしづめ けん、1900年2月20日 - 1964… 橋爪 健(はしづめ けん、1900年2月20日 - 1964年8月20日)は、日本の詩人・評論家・小説家。 長野県東筑摩郡松本町(現松本市)出身。静岡県旧制沼津中学(静岡県立沼津東高等学校)、第一高等学校を経て、東京帝国大学文科中退。1922年第1詩集「合掌の春」を刊行、ダダイスムの影響を受け1924年『ダムダム』創刊に参加。1927年『文藝公論』を創刊、主宰した。戦後は児童読物などを書いた。兄に橋爪恵、弟に橋爪克巳(1903-83)がいる。
村田 可朗(むらた よしあき、1900年〈明治33年〉2月1… 村田 可朗(むらた よしあき、1900年〈明治33年〉2月15日 - 1989年〈平成元年〉9月15日)は、日本の実業家。中国電力副社長、中国電気工事社長、広島商工会議所会頭を歴任した。 広島市生まれ。旧制広島高等師範学校附属中学校、旧制第三高等学校を経て、1925年(大正14年)3月東京帝国大学工学部電気工学科卒業、同年大同電力株式会社入社。 1939年(昭和14年)国家総力戦体制を構築しようとする当時の日本政府の電力国家管理政策により日本発送電が発足するに伴い入社、関東支店工務部長、山梨支社長、電力技術研究所長、理事を歴任。 1941年の配電統制令を経て、1951年(昭和26年)電気事業再編成令による日本発送電解散に伴い帰郷、発足したばかりの中国電力株式会社に入社し、理事および技術研究所長に就任。
梶原 茂嘉(かじわら しげよし、1900年(明治33年)2月… 梶原 茂嘉(かじわら しげよし、1900年(明治33年)2月8日 - 1978年(昭和53年)10月9日)は、日本の農商務官僚、政治家。参議院議員。 兵庫県で裁判所勤務・梶原甚三郎の長男として生まれる。大阪府立北野中学校、第一高等学校を卒業。1922年11月、高等試験行政科試験に合格。1923年3月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。同年4月、農商務省に入省し嘱託となる。 以後、農商務属・食料局業務課配属、農務局米穀課配属、農林属、産業組合事務官、専任農林事務官、産業組合事務官兼農林事務官、水産講習所教授兼農林事務官、農林事務官、京城米穀事務所長、農林書記官、経済更生部産業組合課長、山林局監理課長、米穀局米政課長、農務局農政課長、大臣官房文書課長、兼大臣官房調査課長、商工省繊維局長、企画院第四部長、農商省物価局長、馬政局長官などを歴任し、1945年4月、農商省農政局長に就任し、同年8月に退官した。
大久保 利謙(おおくぼ としあき、1900年〈明治33年〉1… 大久保 利謙(おおくぼ としあき、1900年〈明治33年〉1月25日 - 1995年〈平成7年〉12月31日)は、日本の歴史学者、華族(侯爵)。維新の三傑の一人・大久保利通の孫で、大久保家第3代当主。父は利通の三男・大久保利武。母は近藤廉平の長女・栄。妻は子爵米田国臣の長女・八重子。長男は大久保利泰。 東京帝国大学卒業の際の論文は、近世史をテーマにしたものであった。理由は、当時の歴史学界においては、維新以後の歴史については、歴史家は触れてはいけないという空気が強かったからである。 戦時下では皇国史観に対して批判的立場を採り、東京帝国大学を中心とした官学アカデミズム歴史学や、戦後流行したマルクス主義歴史学とも異なる、実証主義を本領とした独自の近代史研究を構築した。
奥村 喜和男(おくむら きわお、1900年1月4日 - 19… 奥村 喜和男(おくむら きわお、1900年1月4日 - 1969年8月19日)は、日本の逓信官僚。内閣情報局次長。革新官僚の代表的人物の一人。号は東陽。 福岡県今川村(現在の行橋市)出身。豊津中学、第五高等学校を経て東京帝国大学法学部に入学。1923年に高等文官試験に合格、1925年に大学を卒業して逓信省に入省。 同盟通信社や満洲電信電話株式会社の設立に参画し、1935年の内閣調査局設立時に調査官に任じられ、出弟二郎とともに電力国家管理案を作成して電力会社の「民有国営」の実現に奔走した。1937年の企画院創設によって同院調査員に転ずる。統制経済の推進役、革新官僚(新官僚)の代表的存在であった。 1941年には東条内閣の内閣情報局次長に任ぜられ、戦時体制下における言論統制及び統制経済の確立に努める。
片山 佃(かたやま つくだ、1899年〈明治32年〉12月1… 片山 佃(かたやま つくだ、1899年〈明治32年〉12月1日 - 1994年〈平成6年〉)は日本の農学者。 熊本県立玉名中学校(1918年卒業)、第七高等学校造士館を経て、東京帝国大学農学部を卒業した。 農林省農事試験場鴻巣試験地勤務から、1936年に九州帝国大学農学部助教授となり、1939年に教授に昇任した。太平洋戦争中の1943年12月から翌年7月まで、南方軍総監部付を兼務して、占領地域の農業指導にも当たった。1963年に定年退官し、名誉教授となった。 イネ科植物の分蘖(ぶんけつ)した茎と主茎の間で、縦に並んだ葉(同伸葉)が同時に規則的に生じることを1951年に報告し、「同伸葉理論」と名付けられた。
鈴木 弼美(すずき すけよし、1899年〈明治32年〉11月… 鈴木 弼美(すずき すけよし、1899年〈明治32年〉11月21日 - 1990年〈平成2年〉5月26日)は、日本の教育者。内村鑑三の弟子で、基督教独立学園高等学校の創設者。初代校長。 山梨県北都留郡七保村大字葛野(現・大月市)で、800年続いた甲斐絹問屋・鈴木商店の店主鈴木治作の次男として生まれる。 1920年、東京帝国大学理学部物理学科に入学。1924年1月27日、東京府柏木の内村鑑三邸内にある今井館で行われた聖書研究会に出席。6月頃、内村が柏木集会に参加していた青年に山形県小国郷と岩手県の北上山地への伝道を呼びかける。この2ヵ所は、内村がアメリカに留学していた頃に日本地図を広げて、将来伝道すべき所として選んだ、人跡稀な34ヵ所の場所の一つであった。
小野 謙次郎(おの けんじろう、1899年11月20日 - … 小野 謙次郎(おの けんじろう、1899年11月20日 - 1983年10月5日)は、日本の元裁判官。名古屋高等裁判所長官、札幌高等裁判所長官などを務めた。 佐賀県に生まれる。1917年福岡県立中学修猷館を経て、1923年東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。 1925年判事に任官され、福岡地方裁判所判事、長崎控訴院判事部長を経て、1946年2月山形地方裁判所所長に進み、鹿児島地方裁判所所長、福岡高等裁判所判事、福岡地方裁判所所長を歴任の後、1960年11月札幌高等裁判所長官、1963年6月名古屋高等裁判所長官に就任。1964年11月停年退官。
筬島 威一(おさじま いいち、1899年11月13日 - 1… 筬島 威一(おさじま いいち、1899年11月13日 - 1973年7月1日)は、日本の実業家。 愛媛県松山市に生まれる。1917年福岡県立中学修猷館、1920年第五高等学校工科を経て、1923年東京帝国大学工学部を卒業。 1923年三井物産に入社し大阪機械支部勤務。1929年から1934年までロンドン支店勤務。帰国後、機械課長、大阪支店長代理、同支店次長、佐世保支店長、福岡支店長を務め、1947年に三井物産が解体されると同時に退社し、三保物産を設立し代表取締役となる。 1948年1月ゼネラル物産(後にゼネラル石油と改称し現東燃ゼネラル石油)佐世保出張所長を委嘱され、1952年8月同社に入社して取締役大阪支店長、1953年6月常務取締役、1958年11月代表取締役を経て、1959年ゼネラル海運代表取締役となり、1962年2月ゼネラル石油代表取締役社長に就任する。
水野 成夫(みずの しげお、1899年11月13日 - 19… 水野 成夫(みずの しげお、1899年11月13日 - 1972年5月4日)は、日本の実業家。フジテレビジョン(現フジ・メディア・ホールディングス)初代社長。元日経連常任理事・経済団体連合会理事・経済同友会幹事。
石井 謙三(いしい けんぞう、1899年(明治32年)10月… 石井 謙三(いしい けんぞう、1899年(明治32年)10月7日 - 没年不明)は、日本の政治家。広島県松永市(現・福山市)長(2期)。 広島県松永町(のち松永市、現・福山市)出身。1918年(大正7年)旧制広島県立福山中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)卒業。旧制第六高等学校を経て、1925年(大正14年)東京帝国大学文学部英文学科卒業。翌年広陵中学校(現・広陵高等学校)教諭を経て、熊本県立中学済々黌(現・熊本県立済々黌高等学校)教諭、1929年(昭和4年)佐賀県立武雄中学校(現・佐賀県立武雄青陵中学校・武雄高等学校)、同佐賀中学校(現・佐賀県立佐賀西高等学校)、山口県立豊浦中学校(現・山口県立豊浦高等学校)各教諭を経て、1942年(昭和17年)山口県立萩中学校(現・山口県立萩高等学校)校長となる。
村岡 四郎(むらおか しろう、1899年 <明治32年> 9… 村岡 四郎(むらおか しろう、1899年 <明治32年> 9月10日 - 1975年 <昭和50年> 5月28日)は日本の実業家。京阪電気鉄道社長、京福電気鉄道会長などを務めた。京阪中興の祖と呼ばれる[要出典]。位階は正四位。勲二等旭日重光章。 神奈川県橘樹郡城郷村(現在の横浜市港北区小机町)出身。立教中学校(現:立教池袋中学校・高等学校)、第三高等学校を経て東京帝国大学法学部を卒業。近畿日本鉄道(近鉄)社長を務めた佐伯勇は三高・東京帝大の後輩に当たる。1923年、京阪電気鉄道に入社。運輸部門でキャリアを積む。乗客掛長時代(1927年 - 1936年)には「琵琶湖周遊乗車船券」を発売して、琵琶湖鉄道汽船との競争を優位に導く。
小林 武治(こばやし たけじ、1899年(明治32年)8月2… 小林 武治(こばやし たけじ、1899年(明治32年)8月28日 - 1988年(昭和63年)10月12日)は、昭和期の政治家。静岡県知事・厚生大臣・郵政大臣・法務大臣。参議院議員3期。 長野県北佐久郡南大井村平原(現小諸市)に、農家の二男として生まれる。旧制野沢中学校、旧制第五高等学校を経て、東京帝国大学法学部英法科に入学。五高時代は池田勇人・佐藤栄作と同級生であった。また東大時代は濱口雄幸の息子・濱口巌根(元・日本長期信用銀行頭取)と机を並べた。 1923年高等試験行政科に合格する。逓信次官を務めたことのある濱口雄幸の勧めもあり、翌1924年に東大卒業後、逓信省に入省する。以後秘書課長、逓信省総務局、熊本逓信局、逓信院次長と順調に昇進を重ねた。
坂口 主税(さかぐち ちから、1899年(明治32年)4月2… 坂口 主税(さかぐち ちから、1899年(明治32年)4月20日 - 1981年(昭和56年)4月27日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、熊本市長(2期)を歴任した。 熊本県玉名郡賢木村(現・南関町)出身。1917年(大正6年)熊本県立玉名中学校、旧制第五高等学校を経て、1923年(大正12年)東京帝国大学法学部政治学科卒業。台湾総督府に入り、高雄、台北の各州の知事などを務め、台湾新報社社長に就任する。 帰国後、郷里の賢木村長に就任。1947年(昭和22年)の第23回衆議院議員総選挙に旧熊本1区(定数5)から民主党公認で立候補し、初当選した。1949年(昭和24年)に再選。1952年(昭和27年)の第25回衆議院議員総選挙の旧熊本1区では改進党は坂口を含め5人の候補者を擁立。
小沢 儀明(おざわ よしあき、1899年3月31日 - 19… 小沢 儀明(おざわ よしあき、1899年3月31日 - 1929年12月28日)は地質学者、古生物学者。東京帝大助教授。 1899年、山梨県東山梨郡日下部村の大地主の家に生まれた。1916年、日川中学校を卒業し、第一高等学校に入学。中学時代より地学に関心があり、高校では科学会に所属して坪井誠太郎と共に活動した。高校1年次にすでに東京地質学会創立第20周年記念総会に出席した記録が残っている。1920年、東京帝国大学地質学科に入学。トマス・ヘンリー・ハクスリーの『白亜の一片(On a piece of chalk)』を読んで、地史学・古生物学の道を志したという。在学中より第二講座の横山又次郎の指導を受け、山口県秋吉台周辺の化石層序を研究した。
宮澤 俊義(みやざわ としよし、1899年(明治32年)3月… 宮澤 俊義(みやざわ としよし、1899年(明治32年)3月6日 - 1976年(昭和51年)9月4日)は、日本の法学者。専攻は憲法。東京大学名誉教授。貴族院議員。長野県長野市出身。
兼岩 伝一(かねいわ でんいち、1899年2月5日 - 19… 兼岩 伝一(かねいわ でんいち、1899年2月5日 - 1970年9月15日)は、日本の都市計画家、土木技術者、政治家。1935年に創刊された雑誌「区画整理」の表紙を飾った標語として知られる「土地区画整理は都市計画の母」の造語を生み出した。 1899年、愛知県丹羽郡布袋町(現・江南市)の中小製紙工場の家に生まれる。 岐阜市立岐阜商業、名古屋中学校、第八高等学校を経て、1925年東京帝国大学工学部土木工学科卒。内務省に入り復興局技師となる。その後、愛知県都市計画技師に転出。1936年、三重県に移り、都市計画課長となる。巨大コンビナートを生み出す四日市市などの都市計画を立案。 1942年には東京府道路課長に、1943年には埼玉県土木課長に就任する。
山田 俊介(やまだ しゅんすけ、1899年1月31日 - 1… 山田 俊介(やまだ しゅんすけ、1899年1月31日 - 1969年7月1日)は、日本の政治家、内務官僚、従四位勲二等瑞宝章。 青森県知事(第42代)、満洲国警務総局長兼保安局長官、福岡県知事(第35代)、逗子町長(1期)、逗子市長(4期)を歴任した。 兵庫県明石市生まれ。父は逗子開成中学校の創設、経営に尽力した漢学者の山田武臣。代々三日月藩主に仕えた漢学者の家系であった。逗子開成中学校、東京陸軍幼年学校を経て、東京中学校、第七高等学校造士館、東京帝国大学経済学部を卒業。特に東京陸軍幼年学校時代に生徒監であった阿南惟幾に目をかけられ、後に同期に先んじて知事に抜擢されたのは阿南の推薦があったからだという。
西村 熊雄(にしむら くまお、1899年1月27日 - 19… 西村 熊雄(にしむら くまお、1899年1月27日 - 1980年11月12日)は、日本の外交官。 佐賀県出身。佐賀中学、五高を経て1923年(大正12年)、東京帝国大学法学部法律学科(英法)卒業後外務省入省、在中華民国日本国大使館外交官補。入省同期や前後期に井口貞夫(駐米大使、外務事務次官)、田尻愛義(外務次官、大東亜次官、政務局長)、安東義良(駐ブラジル大使、欧亜局長)、伊東隆治(自治政務次官、衆議院議員)などがいる。 在フランス日本国大使館書記官を経て、1937年条約局三課長、1940年条約局一課長、1944年(昭和19年)ハノイ総領事。終戦(敗戦)後の1947年(昭和22年)から1952年(昭和27年)の条約局長時にサンフランシスコ平和条約、旧日米安保条約締結の事務にあたる。
内海 十楼(うつみ じゅうろう、1899年1月19日 - 1… 内海 十楼(うつみ じゅうろう、1899年1月19日 - 1962年12月24日)は、日本の裁判官。東京高等裁判所判事、仙台地方裁判所所長などを務めた。 内海重男の長男として福岡市に生まれる。1919年福岡県立中学修猷館、1922年3月第五高等学校文科甲類を経て、1925年3月東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。同年高等試験司法科に合格。 1926年司法官試補となり、1928年千葉地方裁判所判事に進み、その後、東京地方裁判所判事、東京控訴院判事、東京民事地方裁判所判事部長、札幌控訴院判事部長を経て、1947年秋田地方裁判所所長に就任。仙台地方裁判所所長を経て、1951年4月東京高等裁判所判事に就任。
須田 一二三(すだ ひふみ、1899年(明治32年)1月17… 須田 一二三(すだ ひふみ、1899年(明治32年)1月17日 - 1951年(昭和26年)8月14日)は、大正時代後期から昭和時代前期の台湾総督府官僚。 福岡県遠賀郡八幡村字枝光北本町(現・北九州市八幡東区枝光)に生まれる。小倉中学校、第五高等学校を経て、1920年(大正9年)9月、東京帝国大学に入学。在学中の1922年(大正11年)11月に高等試験行政科に合格し、1923年(大正12年)3月、同大法学部政治学科を卒業する。
山田 義見(やまだ よしみ、1899年〈明治32年〉1月13… 山田 義見(やまだ よしみ、1899年〈明治32年〉1月13日 - 1991年〈平成3年〉5月3日)は、日本の元大蔵次官。位階は正三位。
鈴木 恭一(すずき きょういち、1898年(明治31年)12… 鈴木 恭一(すずき きょういち、1898年(明治31年)12月29日 - 1987年(昭和62年)7月29日)は、大正末から昭和期の逓信官僚、政治家、俳人。参議院議員(2期)。俳号は鈴木杏一(きょういち)。 神奈川県出身。鈴木彦八の二男として生まれる。京華中学校(現京華中学高等学校)、第一高等学校を経て、1924年(大正13年)11月、高等試験行政科試験に合格した。1925年(大正14年)3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。 同年4月、逓信省に入省し通信局書記に任官。以後、郵務局勤務、通信事務官・伏見郵便局長、大逓局経理課長、大臣官房保健課勤務、逓信省事務官などを歴任し、1935年(昭和10年)7月から1936年(昭和11年)8月まで米国に出張した。
坂 信弥(さか のぶよし、1898年12月23日 - 199… 坂 信弥(さか のぶよし、1898年12月23日 - 1991年2月22日)は、日本の内務官僚、実業家。富山県知事、警視総監、大商証券社長。旧姓・田中。坂信彌とも表記、あるいはこちらが正確か。 堺市出身、本籍・山口県。農業・市会議員、田中龍太郎の四男として生まれる。堺中学校、第八高等学校を経て、1924年4月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年5月、内務省に入り茨城県属として内務部産業課に配属された。その後、長州系官僚である坂仲輔の家の婿養子に迎えられる。 1924年12月、茨城県警部を兼務。以後、地方警視・滋賀県警務課長、長野県警務課長、京都府保安課長、北海道庁道路課長、奈良県書記官・経済部長、鹿児島県書記官・警察部長、埼玉県書記官・警察部長、上海領事(工部局警察部長)、警視庁官房主事、大阪府部長・警察部長などを歴任。