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広瀬 直(ひろせ なおし、1963年〈昭和38年〉3月28日… 広瀬 直(ひろせ なおし、1963年〈昭和38年〉3月28日 - )は、日本の経済産業官僚。 東京都生まれ。東京都立戸山高等学校を経て、1986年(昭和61年)、東京大学法学部を卒業。同年、通商産業省へ入省。 入省後、産業政策局商務室総括班長、在アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官、環境立地局環境政策課総括班長、通商産業省大臣官房総務課法令審査委員、経済産業省大臣官房企画課課長補佐、在ジュネーブ国際機関日本国政府代表部参事官、通商政策局通商機構部長、内閣官房日本経済再生総合事務局次長、経済産業省大臣官房審議官などを歴任し、在アメリカ合衆国日本国大使館で自動車分野の交渉、環境政策課で第3回気候変動枠組条約締約国会議への対応に携わった。
吉田 光市(よしだ こういち、1958年〈昭和33年〉10月… 吉田 光市(よしだ こういち、1958年〈昭和33年〉10月24日 - )は、日本の建設・国土交通官僚。 東京都生まれ。東京都立戸山高等学校を卒業後、1浪して東京大学に入学。大学では石川経夫のゼミに属し、ケインズ等の古書を読んで理論経済学を学んだ。1982年3月に同大学経済学部を卒業。経済官庁での公務員を志望し、国家公務員採用上級甲種試験(経済)に合格して1982年4月に建設省入省。 入省後は入札契約制度改革、道路関係四公団や都市基盤整備公団の改革、労務などを手掛けた。 2016年6月21日から大臣官房長、2017年7月7日から国土交通審議官を務め退官し、同年12月1日、損保ジャパン日本興亜株式会社顧問。
石原 一彦(いしはら かずひこ、1956年7月9日 - )は… 石原 一彦(いしはら かずひこ、1956年7月9日 - )は、日本の財務官僚。財務省大臣官房審議官や、内閣府沖縄振興局長、内閣府審議官を務めた。
増田 寛也(ますだ ひろや、1951年12月20日 - )は… 増田 寛也(ますだ ひろや、1951年12月20日 - )は、日本の元建設官僚、政治家。東京大学公共政策大学院客員教授。都留文科大学特任教授。
鍋倉 眞一 (なべくら しんいち、1946年(昭和21年)4… 鍋倉 眞一 (なべくら しんいち、1946年(昭和21年)4月21日 - )は、日本の郵政官僚。 宮崎県出身。東京都立戸山高等学校、東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。郵政省(現総務省)に入省。 2009年より郵便事業会社取締役社長を務めた後、2012年、郵便事業会社と郵便局会社の統合により発足した日本郵便初代社長に就任する。2013年に退任後、2014年まで同社の顧問を務めた。 現在は情報セキュリティ会社「セフィアソフト」の最高顧問を務める。
松谷 明彦(まつたに あきひこ、1945年9月21日 - )… 松谷 明彦(まつたに あきひこ、1945年9月21日 - )は、日本の経済学者、官僚。政策研究大学院大学名誉教授。専門はマクロ経済学、財政学。主計局調査課長、主計局主計官、横浜税関長、大臣官房審議官等を歴任した。 大阪市生まれ。東京都立戸山高等学校を経て、1969年東京大学経済学部経済学科卒業、1970年同学部経営学科卒業。同年、大蔵省入省(証券局総務課)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
橋本 久義(はしもと ひさよし、1945年5月21日 - )… 橋本 久義(はしもと ひさよし、1945年5月21日 - )は、元官僚、工業経済学者、政策研究大学院大学名誉教授。 福井県生まれ。東京都立戸山高等学校卒、1969年東京大学工学部精密機械工学科卒業、通商産業省(現経済産業省)入省、1987年情報産業局鋳鍛造課長、1989年中小企業庁技術課長、1991年立地公害局立地指導課長、1993年工業技術院総括研究開発官、1994年8月埼玉大学教授(政策科学研究科)、1997年10月政策研究大学院大学教授(埼玉大学政策科学研究科が独立)、名誉教授・客員教授。
入谷盛宣(いりたに もりのぶ、1945年3月19日 - )は… 入谷盛宣(いりたに もりのぶ、1945年3月19日 - )は日本の大蔵官僚。血液型はB型。青森県副知事、国税庁長官官房国税審議官(国際担当)、国際金融公社東京駐在特別代表などを歴任。瑞宝中綬章受章。 東京都世田谷区出身(父母も東京都)。東京都立戸山高等学校から東京大学文科一類に入学。東京大学法学部卒業。東大法学部在学中に国家公務員上級甲種試験(法律)に合格。1967年4月 大蔵省入省(主計局法規課)。1968年6月 国際金融局国際機構課。1969年7月 プリンストン大学留学。1971年7月 主税局国際租税課租税協定係長。1972年7月 飯田税務署長。その後は国際金融局外資課長補佐、環境庁企画調整局企画調整課長補佐、主計局総務課長補佐(企画)などを務める。
永田俊一(ながた しゅんいち、1944年2月16日 - )は… 永田俊一(ながた しゅんいち、1944年2月16日 - )は日本の大蔵官僚。大臣官房審議官(銀行局担当)、日本銀行政策委員会大蔵代表委員、日本銀行理事、信託協会副会長、預金保険機構理事長、楽天銀行社長、同行会長などを歴任。東京都練馬区。 新潟県佐渡郡出身(父母も新潟県)。東京都立戸山高等学校、東京大学経済学部経済学科卒業。1967年 大蔵省入省(理財局総務課)。1972年7月 帯広税務署長。その後は外務省経済協力開発機構日本政府代表部一等書記官、銀行局銀行課長補佐、大臣官房企画官兼銀行局総務課などを務める。1984年6月 関東財務局理財部長。1986年6月 主計局調査課長。1987年7月 主計局主計官(外務、経済協力、通商産業担当)。
江崎 格(えざき ただし、1941年〈昭和16年〉8月27日… 江崎 格(えざき ただし、1941年〈昭和16年〉8月27日 - )は、日本の官僚。東京工業品取引所社長。元通商産業省産業政策局長。 東京大学法学部卒業後、通商産業省に入省。大臣官房総務審議官、生活産業局長を経て、1995年(平成7年)資源エネルギー庁長官、1997年(平成9年)通商産業省産業政策局長を歴任し、1999年(平成11年)退官。 その後、野村総合研究所顧問を経て、2001年(平成13年)から2008年(平成20年)まで商工組合中央金庫理事長を務めた。
薄井 信明(うすい のぶあき 1941年1月1日 - )は、… 薄井 信明(うすい のぶあき 1941年1月1日 - )は、日本の大蔵官僚。第43代大蔵事務次官、第31代国税庁長官を歴任。 東京府生まれ。都立戸山高校から東京大学旧文科二類(現在の文科三類)に入学。東京大学経済学部経済学科卒業。大学時代は小宮隆太郎の下で国際金融などを学ぶ。大学在学中に国家公務員上級甲種試験(経済職)に2〜7番目の成績で合格。1965年大蔵省入省。入省同期には鏡味徳房、竹島一彦、榊原英資、浜田卓二郎、根本貞夫(内閣審議官、岩手県副知事)、大塚功(駐ジャマイカ特命全権大使)、近藤健彦(駐仏公使、官房審議官、立命館アジア太平洋大教授)、谷川憲三(関東財務局長、第三銀行頭取)、東力、白石忍(オリックス社長)など。
小川 是(おがわ ただし 昭和15年(1940年)2月26日… 小川 是(おがわ ただし 昭和15年(1940年)2月26日 - 2017年8月21日)は、日本の銀行家、元大蔵官僚。国税庁長官、大蔵事務次官、日本たばこ産業代表取締役会長、横浜銀行取締役会長などを歴任。 実父は裁判官の小川善吉、義父は元参議院議員(民社党)の三治重信。 1940年2月26日 東京生まれ。新宿区立牛込仲之小学校、東京教育大学附属中学校(現・筑波大学附属中学校)、東京都立戸山高等学校を経て、1962年 東京大学法学部第2類(公法コース)を首席で卒業。東大法学部在学中に国家公務員上級試験を2位で合格。大蔵省入省。振り出しは銀行局。吉田太郎一金融制度調査官付事務官。 1974年 竹下登大蔵大臣秘書官、1980年 主計局主計官兼法規課、1983年 梅沢節男主税局長の下で主税局税制二課長[要出典]。
川嶋烈(かわしま つよし、1940年1月27日 - )は日本… 川嶋烈(かわしま つよし、1940年1月27日 - )は日本の大蔵官僚。血液型はB型。東京都出身(父母は静岡県)。造幣局東京支局長、東北財務局長、国土庁長官官房審議官(計画・調整局担当)、交通営団理事、茨城銀行取締役頭取などを務めた。
藤井 治芳(ふじい はるほ、1936年10月1日 - )は、… 藤井 治芳(ふじい はるほ、1936年10月1日 - )は、日本の官僚。過去に、日本道路公団総裁・副総裁、建設事務次官、駐車場整備推進機構理事長を歴任。
大山 綱明(おおやま つなあき、1934年9月17日 - 2… 大山 綱明(おおやま つなあき、1934年9月17日 - 2024年6月9日)は、日本の大蔵官僚。大臣官房審議官(主税局担当)、関税局長、農用地整備公団副理事長、サントリー副社長、全国清涼飲料連合会会長、公益財団法人日本関税協会理事長などを務めた。 鹿児島県出身。都立戸山高校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1957年 大蔵省入省(主計局法規課)。1964年7月 藤沢税務署長。外務省在ニューヨーク日本総領事館領事の後、1971年7月 銀行局銀行課長補佐(総括・都市銀行等)。1973年7月 国際金融局総務課長補佐(総括)。1974年7月 国税庁長官官房参事官。1975年7月 主税局主税企画官。
平澤 貞昭(ひらさわ さだあき、1932年(昭和7年)4月7… 平澤 貞昭(ひらさわ さだあき、1932年(昭和7年)4月7日 - )は、日本の大蔵官僚。元大蔵事務次官。
山田 英雄(やまだ ひでお、1932年(昭和7年)2月3日 … 山田 英雄(やまだ ひでお、1932年(昭和7年)2月3日 - )は、日本の元警察官僚。第12代警察庁長官(在任1985年8月25日-1988年1月)。チームおてんとうさま特別顧問。
小粥 正巳(こがゆ まさみ 、1931年8月28日 - 20… 小粥 正巳(こがゆ まさみ 、1931年8月28日 - 2004年3月16日)は、東京府出身の大蔵官僚。位階は正三位。 過去に、内閣総理大臣秘書官、大臣官房長、主計局長、大蔵事務次官、公正取引委員会委員長、日本開発銀行総裁、日本政策投資銀行総裁、日本経済研究所会長等を歴任。 旧制東京都立第四中学校(現・東京都立戸山高等学校)、第一高等学校理科甲類を経て、1947年の学制改革の後、新制東京大学理科一類を受験し合格した。しかし、GHQ占領下の世相の混乱とインフレに心が揺さぶられ、意を決して行政官か法曹になるべく、翌年の春に東大文科一類を受験し直して合格した。東京大学法学部第1類(私法コース)卒業後の1956年、大蔵省入省。
堺 司(さかい つかさ、1931年4月30日 - 1995年… 堺 司(さかい つかさ、1931年4月30日 - 1995年4月12日)は、日本の官僚。
原 文兵衛(はら ぶんべえ、1913年(大正2年)4月29日… 原 文兵衛(はら ぶんべえ、1913年(大正2年)4月29日 - 1999年(平成11年)9月7日)は、日本の内務官僚、政治家。位階は従二位、勲等は勲一等旭日桐花大綬章。
磯崎 叡(いそざき さとし、1912年8月16日 - 199… 磯崎 叡(いそざき さとし、1912年8月16日 - 1997年6月19日)は日本の鉄道官僚、第6代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1969年-1973年)。永井岩之丞の孫。 作家・三島由紀夫の父・平岡梓は従兄にあたる。 磯崎と親交があった作家の阿川弘之より命名されたニックネームは「ダッコちゃん」。 東京府東京市本郷区丸山町(現在の東京都文京区千石)で海軍の造船技官であった磯崎清吉と鐘(永井岩之丞二女)の次男として生まれる。名前は当時父が艤装に関わっていた巡洋戦艦『比叡』から一文字取られた。 東京府立第四中学校(現在の東京都立戸山高等学校)、第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業後、1935年、鉄道省に入省。
高辻 正己(たかつじ まさみ、1910年1月19日 - 19… 高辻 正己(たかつじ まさみ、1910年1月19日 - 1997年5月20日)は、日本の官僚、裁判官。竹下改造内閣で法務大臣を務めた。甥に外交官の青木盛久がいる。名前は正巳とも。 1910年(明治43年)静岡県沼津出身。東京府立四中、旧制三高を経て、1935年(昭和10年)東京帝国大学法学部卒業。内務省入省。第二次世界大戦後、1951年(昭和31年)には日ソ交渉全権委員の随行員としてソビエト連邦を訪問している。 その後、地方自治庁部長などを経て、内閣法制次長時代に自衛隊を「必要最小限の戦力」と解釈する。1964年(昭和39年)から1972年(昭和47年)にかけて第1次佐藤内閣~第3次佐藤内閣まで内閣法制局長官を務め、東大確認書問題、自衛隊の交戦権問題、沖縄返還や沖縄公用地問題について法律面から佐藤内閣を支えた。
石岡 実(いしおか みのる、1910年(明治43年)1月6日… 石岡 実(いしおか みのる、1910年(明治43年)1月6日 - 1996年(平成8年)11月23日)は、日本の内務・警察官僚。 東京府立第四中学校、第一高等学校を経て、1935年東京帝国大学法学部法律学科卒業。 同年、内務省入省。警視庁警部補を振り出しに、一年間、陸軍に召集された。内閣興亜院政務部第2課、警視庁特別高等警察第二課長などを経て、戦後に一旦辞職。民間の商社で代表取締役に付いていたものの、1955年に警察庁刑事部警察参事官として復帰。群馬県警察本部長、福島県警察本部長、警視庁公安部長、九州管区警察局長等を歴任する。1962年、古屋亨の後任として2代目内閣官房内閣調査室長就任。 1964年、内閣官房副長官(事務担当)就任。
上村 健太郎(うえむら けんたろう、1908年(明治41年)… 上村 健太郎(うえむら けんたろう、1908年(明治41年)7月18日 - 1981年(昭和56年)8月4日)は、兵庫県出身の内務官僚、航空自衛官、実業家である。初代航空幕僚長。位階は従三位。 1908年(明治41年)7月18日、兵庫県で陸軍中将・上村良助の長男として生まれる。東京府立四中、旧制一高卒業。府立四中、一高同期に河野一之、佐々木直がいる。1930年(昭和5年)、東京帝国大学法学部政治学科卒業し、内務省に入省。秋田県属。1944年(昭和19年)8月、警視庁官房主事。1945年(昭和20年)4月、警視庁特別高等警察部長に就任。 1952年(昭和27年)9月、保安庁長官官房長。1954年(昭和29年)7月、初代航空幕僚長に就任。
大森 寛(おおもり かん、1908年(明治41年) - 20… 大森 寛(おおもり かん、1908年(明治41年) - 2002年(平成14年)6月18日)は、青森県出身の旧内務省官僚及び陸上自衛官。東京帝国大学昭和5年度卒業。第4代陸上幕僚長。息子に大森義夫(内閣情報調査室長)、大森敬治(防衛施設庁長官、内閣官房副長官補、駐オマーン大使)。旧姓・石岡。
河野 一之(こうの かずゆき、1907年〈明治40年〉8月2… 河野 一之(こうの かずゆき、1907年〈明治40年〉8月2日 - 2006年〈平成18年〉6月20日)は、日本の大蔵官僚、実業家。元大蔵事務次官。元太陽銀行頭取、太陽神戸銀行会長、三井住友銀行名誉顧問。 広島県豊田郡忠海町(現・竹原市)生まれ。陸軍軍人だった父親が退官し東京で事業を始めたため、9歳から東京で育つ。東京府立四中を卒業。当時入試科目に英語のあった東高師附属には落ちてしまった。その後、第一高等学校を経て、1930年3月、東京帝国大学法学部法律学科卒業。1929年、高等文官試験行政科・司法科合格。1930年、大蔵省入省(大臣官房文書課)。1940年、主計局法規課長、1941年、決算課長、1943年、山住克己陸軍司政長官の下、陸軍司政官・南方軍軍政総監部付けとなり昭南(シンガポール)に1年余勤務。
林 敬三(はやし けいぞう、1907年(明治40年)1月8日… 林 敬三(はやし けいぞう、1907年(明治40年)1月8日 - 1991年(平成3年)11月12日)は、日本の内務官僚、陸上自衛官。東京帝国大学卒業(法学部卒)。初代統合幕僚会議議長。第11代日本赤十字社社長。陸軍中将林弥三吉の息子である。正三位勲一等旭日大綬章。
松田 武(まつだ たけし、1906年(明治39年)8月3日 … 松田 武(まつだ たけし、1906年(明治39年)8月3日 - 1988年(昭和63年)9月4日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、旧軍需省官僚、実業家である。第4代航空幕僚長。
正木 千冬(まさき ちふゆ、1903年(明治36年)12月1… 正木 千冬(まさき ちふゆ、1903年(明治36年)12月10日 - 1982年(昭和57年)4月6日)は、日本の経済学者、官僚、ジャーナリスト、政治家(鎌倉市長)。
岡松 成太郎(おかまつ せいたろう、1901年 <明治34年… 岡松 成太郎(おかまつ せいたろう、1901年 <明治34年> 9月29日 - 1991年 <平成3年> 7月18日)は、日本の官僚、経営者。商工次官、北海道電力社長を歴任。位階は従三位。勲二等旭日重光章。 東京府出身。父は京大法科教授・岡松参太郎。東京府立第四中学校、第一高等学校を経て、1925年に東京帝国大学法学部卒業。1928年、商工省入省。特許局属。1940年、総力戦研究所員、以後、東北地方鉱山局長、軍需省管理局長、商工省商務局長、燃料局長などを経て、石炭庁次長兼総務局長に。1947年に商工次官に就任。 退任後は、日本商工会議所専務理事、北海道電力社長を3期6年務め、江別火力発電所や送電・変電の整備に尽くした。
石黒 武重(いしぐろ たけしげ、1897年〈明治30年〉5月… 石黒 武重(いしぐろ たけしげ、1897年〈明治30年〉5月13日 - 1995年〈平成7年〉1月23日)は、日本の官僚、政治家。山形県知事、法制局長官、民主党初代幹事長などを務めた。 石川県金沢市出身。東京府立四中、第一高等学校、東京帝国大学法律学科卒業。山形県知事、農林次官、枢密院書記官長などを歴任。幣原内閣において、法制局長官(専任)、国務大臣兼法制局長官を務めた。1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙に山形県全県区から出馬し初当選。日本進歩党政務調査会長、民主党初代幹事長に就任し、戦後の混乱期の収拾に尽力した。また、日本生活協同組合連合会会長理事、日本生活協同組合名誉顧問、日ソ協会会長などの要職も歴任した。
武部 六蔵(たけべ ろくぞう、1893年(明治26年)1月1… 武部 六蔵(たけべ ろくぞう、1893年(明治26年)1月1日 - 1958年(昭和33年)1月19日)は、日本の内務官僚。秋田県知事、関東局総長、企画院総裁心得、満洲国総務長官。 本籍・石川県。旧加賀藩士・長崎県師範学校長兼教授、武部直松の四男として長崎で生まれる。東京府立四中、第一高等学校を経て、1918年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を優等で卒業し、銀時計を授与された。1916年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1918年7月、内務省に入り東京府属兼内務属として地方局府県課に配属された。 1919年10月、長崎県理事官・内務部農林課長に就任。以後、福岡県学務課長、内務事務官・都市計画局、帝都復興院書記官・同建築局庶務課長兼営繕課長、復興局建築部庶務課長、復興局長官官房計画課長、同長官官房文書課長、復興事務局文書課長、同計画課長、同庶務課長、兼内務書記官・内務大臣秘書官、内務書記官・大臣官房会計課長などを歴任。
飯沼 一省(いいぬま かずみ、1892年(明治25年)2月1… 飯沼 一省(いいぬま かずみ、1892年(明治25年)2月15日 - 1982年(昭和57年)11月14日)は、日本の内務官僚、貴族院議員。戦前から戦後にかけ、日本の都市計画行政を牽引した人物の一人である。妻は南弘の娘・櫂子。 福島県会津若松市生まれ。父は白虎隊士飯沼貞吉の弟で会津松平家家令・飯沼関弥。東京小石川の旧黒田小学校(現在の文京五中の敷地)、府立四中、一高を経て、東京帝国大学法科大学を卒業後、内務省に入省。土木局属。神社局総務課長、都市計画課長、埼玉県知事、紀元二千六百年式典の事務局長を務めた後、静岡県知事、広島県知事、神奈川県知事、内務省神社局長、神祇院副総裁を歴任。 第二次世界大戦後の1946年3月12日に貴族院議員に勅選され、交友倶楽部に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任。
大木 操(おおき みさお、1891年10月19日 - 198… 大木 操(おおき みさお、1891年10月19日 - 1981年8月13日)は、日本の官僚、政治家。日中戦争期から太平洋戦争末期までの戦時期において衆議院書記官長を務めた。その退任後は、貴族院議員となり、また、東京都副知事を務めた。 東京に生まれ、東京府立第四中学校、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学法科大学独法科卒業。高等文官試験行政科に合格し、1918年4月5日、会計検査院に採用され、会計検査院書記に任ぜられる。1919年6月28日、副検査官に任ぜられ、海軍省担当として検査事務に当たる。検査先では、当時の財部彪佐世保鎮守府司令長官に水上飛行機に乗せられたり、鈴木貫太郎佐世保工廠長と盃を交わしながら「海軍魂」の説教を受けたりした。
吉田 茂(よしだ しげる、1885年〈明治18年〉9月2日 … 吉田 茂(よしだ しげる、1885年〈明治18年〉9月2日 - 1954年〈昭和29年〉12月9日)は、昭和時代の内務官僚、政治家。貴族院議員。 岡田内閣の内閣書記官長、米内内閣と小磯内閣で閣僚を務めた。「新官僚」。戦後、神社本庁設立に関わる。同時期に公職追放にあう。 同時代の外務官僚で、戦後に内閣総理大臣を務めた吉田茂は同姓同名の別人。(#同姓同名参照) 大分県臼杵町海添(現在の臼杵市)生まれ。大分県士族・吉田亀次郎の長男。父親の亀次郎が二十三銀行(大分銀行の前進)に勤めた関係で大分に移り、ついで日本銀行に勤務する事になり、東京に移り住み、旧制東京府立第四中学校(現在の東京都立戸山高等学校)、第一高等学校を経て、1911年に東京帝国大学法科大学独法科を卒業。
村上 恭一(むらかみ きょういち、1883年(明治16年)8… 村上 恭一(むらかみ きょういち、1883年(明治16年)8月31日 - 1953年(昭和28年))は、日本の官僚。枢密院書記官長、貴族院議員等を歴任した。
白根 竹介(しらね たけすけ、1883年(明治16年)5月2… 白根 竹介(しらね たけすけ、1883年(明治16年)5月25日 - 1957年(昭和32年)3月5日)は、日本の内務官僚。
三矢 宮松(みつや みやまつ、1880年(明治13年)10月… 三矢 宮松(みつや みやまつ、1880年(明治13年)10月23日 - 1959年(昭和34年)1月10日)は、日本の内務官僚、宮内官僚。
佐竹 三吾(さたけ さんご、1880年(明治13年)3月5日… 佐竹 三吾(さたけ さんご、1880年(明治13年)3月5日 - 1976年(昭和51年)5月24日)は、明治末から昭和期の鉄道官僚、政治家、実業家。貴族院議員(勅選)、法制局長官。 岐阜県養老町出身。米穀商・佐竹柳三郎の三男として生まれ、佐竹鉄治郎の養子となる。岐阜中学、城北中学を経て第一高等学校に入学。1905年(明治38年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を優等で卒業し銀時計を授与された。卒業後農商務省嘱託となり、同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。農商務属・商工局勤務、法制局参事官、満鉄理事を経て、1908年(明治41年)6月から1910年(明治43年)5月まで欧米に留学した。
小野 義一(おの ぎいち、1876年(明治9年)10月7日 … 小野 義一(おの ぎいち、1876年(明治9年)10月7日 – 1950年(昭和25年)5月25日)は、日本の大蔵官僚、政治家。大蔵次官、衆議院議員、東京市助役。 高知県幡多郡、のちの宿毛村与市明(宿毛町を経て現宿毛市)出身。小野義為、キミの長男として生まれる。高知一中、東京府立四中を経て、1898年(明治31年)7月、第一高等学校政治科を首席で卒業。1903年(明治36年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を首席の優等で卒業し、銀時計を授与された。東大の同期には小川郷太郎や上杉慎吉、馬場鍈一ら。同年同月、大蔵属に任官し主計局兼参事官付となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に次席合格。この時の首席合格者は馬場鍈一だった。
飯田 明子(いいだ あきこ)は、日本の厚生労働官僚。 東京都… 飯田 明子(いいだ あきこ)は、日本の厚生労働官僚。 東京都出身。東京都立戸山高等学校から東京大学文科一類に入学。東大法学部在学中に国家公務員一種試験(法律)を合格。2001年 厚生労働省入省。厚生労働省大臣官房人事課主査(育児休暇)、厚生労働省労働基準局労働関係法課長補佐などを経て、2021年7月 厚生労働省大臣官房付兼雇用環境・均等局。同年8月 厚生労働省雇用環境・均等局総務課雇用環境・均等企画官。同年9月 厚生労働省大臣官房総務課企画官。2023年7月4日 農林水産省大臣官房参事官兼大臣官房新事業・食品産業部付。2025年7月8日 厚生労働省大臣官房参事官。