スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
大木 隆生(おおき たかお、1962年8月12日 - )は、… 大木 隆生(おおき たかお、1962年8月12日 - )は、日本の外科医。東京慈恵会医科大学医学部外科学講座統括責任者、血管外科教授、診療部長。専門は血管外科。高知県観光特使。 手術を年間500件以上こなす。人工血管「ステントグラフト」の開発に携わった。日米において、最年少で外科教授に就任。これまでに世界13か国で招待手術を施行してきた[要出典]。 座右の銘は「衣食足りたらトキメキを求めよ」。高知県観光特使を務めている。安倍晋三や渡邉恒雄と蜜月関係にあった。 少年時代は勉強嫌いで、大手商社の三井物産の役員でエリートだった父の存在にコンプレックスを持ち続けていたが、その父の仕事の関係でロンドン・ベルギーにおける外国生活において取得した英語力をきっかけに、高校時代友人の英語の勉強を手伝い、喜ばれたことで「人に喜ばれる」ことの嬉しさに目覚め外科医になることを決意[要出典]。
坊城 俊成(ぼうじょう としなる、1962年〈昭和37年〉2… 坊城 俊成(ぼうじょう としなる、1962年〈昭和37年〉2月15日 - )は、日本の建築家。学位は、博士(工学)(東京大学・1997年)。フランス政府公認建築家(Architecte D.P.L.G.)。旧伯爵坊城家第29代当主で、一般社団法人霞会館会員、堂上会会員。坊城俊周の長男。 暁星中学校・高等学校卒業後、東京大学理科一類入学(インタークラス1組)。1985年東京大学工学部建築学科卒業。1987年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了。その後パリの旧エコール・ド・ボザール及びソルボンヌ大学(パリ第4大学)に留学。 東京大学助手、早稲田大学客員助教授、文化庁文化財部参事官(建造物担当)主任文化財調査官をつとめた。
伊吹 謙太朗(いぶき けんたろう、1960年11月22日生ま… 伊吹 謙太朗(いぶき けんたろう、1960年11月22日生まれ)は、東京都台東区生まれ、台東区育ちの俳優。本名は、羽島 裕謹(はじま ひろのり)。旧芸名は三神 健(みかみ けん)。 暁星高等学校卒業。劇団新国劇の伊吹聰太朗の長男として生まれ、1981年に父親の跡を継ぎ俳優となる(当初の芸名は三神健)。 その後、1985年に歌手として作曲家三島大輔、レコーディング・ディレクター馬渕玄三に師事する。現在は俳優・殺陣師として活動。さらに、後進の指導にも力を入れている。 (2019年9月、2021年8月)
大塚 海夫(おおつか うみお、1960年〈昭和35年〉8月6… 大塚 海夫(おおつか うみお、1960年〈昭和35年〉8月6日 - )は、日本の海上自衛官、外交官、神職。2020年(令和2年)9月に自衛官出身者として初めて特命全権大使(在ジブチ特命全権大使)に任命され、妻で外交官の中谷好江も同時に駐パラグアイ特命全権大使に任命された。2024年(令和6年)4月1日付で第14代靖国神社宮司に就任。 東京都出身。暁星小学校、暁星中学校・高等学校を経て、1983年(昭和58年)3月、防衛大学校機械工学科(第27期)を卒業後、海上自衛隊に入隊。1997年(平成9年)ジョンズ・ホプキンズ大学ポール・H・ニッツェ高等国際関係大学院修了、国際公共政策学修士。 護衛艦「とね」艦長、海上幕僚監部教育班長、海上幕僚監部防衛調整官、第21護衛隊司令、情報本部統合情報部長、海上自衛隊幹部学校副校長、第2護衛隊群司令、練習艦隊司令官、海上幕僚監部指揮通信情報部長、アメリカ中央軍日本国首席連絡官、自衛艦隊司令部幕僚長、海上自衛隊幹部学校長、情報本部長を歴任し、2019年(令和元年)12月に退官。
中川 恵一(なかがわ けいいち、1960年5月6日 - )は… 中川 恵一(なかがわ けいいち、1960年5月6日 - )は日本の医学者である。専門は放射線医学。東京大学大学院医学系研究科帝京大学医学部助教の加藤大基は、東京大学医学部附属病院放射線科での部下。 日本経済新聞:コラム「がん社会を診る」、毎日新聞:コラム「がんのヒミツ」を連載
澤田 直(さわだ なお、1959年 - )は、日本のフランス… 澤田 直(さわだ なお、1959年 - )は、日本のフランス哲学者・フランス文学者・翻訳家。立教大学教授。直之の名も使う。ジャン=ポール・サルトル、ジャン=リュック・ナンシーなどを研究。 1984年法政大学文学部哲学科卒業、1987年同大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程修了、1994年パリ第1大学大学院哲学科博士課程修了、哲学博士。1995年流通経済大学経済学部専任講師、1996年助教授、2000年白百合女子大学文学部助教授、2002年教授、2006年立教大学文学部文学科フランス文学専修・同大学院文学研究科フランス文学専攻博士課程前期課程教授。2023年『フェルナンド・ペソア伝 異名者たちの迷路』で読売文学賞(評論・伝記賞)受賞。
延江 浩(のぶえ ひろし、1958年3月31日 - 2025… 延江 浩(のぶえ ひろし、1958年3月31日 - 2025年4月6日)は、日本のラジオプロデューサー・作家・コラムニスト・ラジオDJ。エフエム東京(TOKYO FM)村上RADIO ゼネラルプロデューサー。 東京都武蔵野市出身。暁星高校、慶應義塾大学文学部卒業後、FM東京に入社。数々のラジオ番組を手掛ける。 また作家としても活動し、『いつか晴れるかな~大鹿村騒動記』などの著作も発表。 また、国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員、早稲田大学文化推進部参与なども務めた。 2025年4月6日午前2時33分、致死性不整脈のため東京都内の病院で死去。67歳没。 ※延江浩が手がけた以下の番組は放送ライブラリーに収蔵され、聴取が可能となっている。
松木 安太郎(まつき やすたろう、1957年11月28日 -… 松木 安太郎(まつき やすたろう、1957年11月28日 - )は、東京都中央区出身の元サッカー選手、サッカー解説者。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。元日本代表。日本体育大学体育学部体育学科卒業。 従弟には築地市場場内のマグロ仲卸の生田與克。祖父は大相撲力士の葵龍(最高位は十両)。 実家は東京都中央区日本橋にある明治2年創業の老舗のうなぎ屋「近三」。幼稚園時代から小学校2-3年の間、藤城清治主宰の人形劇団「木馬座」で、ケロヨンの相棒「もぐらのモグちゃん」の着ぐるみに入って演じていた。 暁星小学校時代からサッカーに打ち込み、小柄な体躯ながらゴールキーパーを務めていた。学校の代表チームである暁星アストラの選手に選ばれると小学6年生の時には全国サッカー少年団大会(全日本少年サッカー大会の前身)に出場した。
志太 勤一(しだ きんいち、1957年9月5日 - )は、日… 志太 勤一(しだ きんいち、1957年9月5日 - )は、日本の実業家。シダックス代表取締役会長兼社長。 1957年9月5日に志太勤の長男として生まれる。暁星学園高等学校を卒業後、1980年に渡米して8年間留学する。1981年11月にキャフトフードサービス株式会社へ入社して営業推進室長を務めつつ、米国のSAGA社で3年間勤める。1995年3月に多摩大学大学院経営情報学研究科修士課程を修了する。1997年に代表取締役社長に就き、2019年現在シダックス代表取締役会長兼社長。
鷺巣 詩郎(さぎす しろう、1957年〈昭和32年〉8月29… 鷺巣 詩郎(さぎす しろう、1957年〈昭和32年〉8月29日 - )は、日本の作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。本名同じ。東京都世田谷区出身。映像制作会社ピー・プロダクション代表。既婚。暁星高等学校、國學院大學卒。アン・ミュージック・スクール卒業。 父は漫画家でピー・プロダクション設立者のうしおそうじ(本名:鷺巣 富雄)。叔父はアニメ制作会社エイケンのプロデューサーの鷺巣政安。 1980年代初頭のアイドル歌謡曲時代から、インストゥルメンタル・アーティスト、近年のシンガー・アーティストに至るまで広範囲にわたり、多くの楽曲を手掛けている。『なんてったってアイドル』『センチメンタル・ジャーニー』『スシ食いねェ!』の有名なイントロは鷺巣によるものである。
杉浦 克己(すぎうら かつみ、1957年 - )は、立教大学… 杉浦 克己(すぎうら かつみ、1957年 - )は、立教大学スポーツウエルネス学部スポーツウエルネス学科 特別専任教授、博士(学術)。 東京都出身。1957年千代田区六番町で父、杉浦昌也(元都立広尾病院長)と母、友子の長男として生まれる。幼少時をボストン(米国)で過ごし、博物館めぐりと世界の食に触れたことがきっかけで生物学と栄養関連の仕事に憧れを持つ。千代田区立番町小学校、千代田区立麹町中学校、暁星中学校・高等学校(高等学校のみ)を経て、静岡大学に進学。理学部生物学科、同大学院理学研究科生物学専攻修士課程に進み、細胞性粘菌を用いた発生生物学を研究。 1985年に明治製菓株式会社(現:株式会社明治)入社。
坂東 彌十郎(ばんどう やじゅうろう、1956年〈昭和31年… 坂東 彌十郎(ばんどう やじゅうろう、1956年〈昭和31年〉5月10日 - )は、日本の歌舞伎役者。屋号は大和屋。定紋は三ツ大、替紋は花勝見。本名は本間 寿男(ほんま ひさお)。業務提携:松竹エンタテインメント、俳優として映像作品にも出演している。 兄は関西歌舞伎の脇役で活躍した二代目坂東吉彌。長男は坂東新悟。 坂東好太郎の三男として東京に生まれる。千代田区立麹町小学校を卒業後、暁星中学校に入学。幼少の頃より背が高くサンマというニックネームもあった。また学芸会など演劇に熱心であった。 映画俳優に転じたあと1962年(昭和37年)に歌舞伎俳優に戻った父は伯父の八世坂東三津五郎・十四世守田勘彌に稽古をつけてもらっており、テープ係として同行していたという。
三波 豊和(みなみ とよかず、1955年〈昭和30年〉8月1… 三波 豊和(みなみ とよかず、1955年〈昭和30年〉8月10日 - )は、日本の俳優・タレント。本名:北詰 豊和(きたづめ とよかず)。 東京都中野区出身。青年座映画放送所属。以前はホリプロや太田プロダクションに所属していた。 演歌歌手・浪曲師の三波春夫(本名:北詰文司)の長男。 小学校から高校までの12年間を暁星学園で過ごし、慶應義塾大学文学部史学科国史専攻卒業。日本舞踊名取(藤間勘豊)。 1965年、歌舞伎座「三波春夫特別公演」で初舞台に立った。これ以降も親子で「三波春夫特別公演」に出演を果たしている。 1976年に、『青春よ翔べ』で歌手としてデビュー。20代前半は歌手としても活動していたが、その後は俳優・タレントとしての活動がメインとなる。
石井 直方(いしい なおかた、1955年 <昭和30年> 3… 石井 直方(いしい なおかた、1955年 <昭和30年> 3月15日 - 2024年 <令和6年> 8月20日)は、日本の運動生理学者、ボディビルダー、パワーリフティング選手。東京大学名誉教授。理学博士(東京大学)月刊アイアンマン掲載。 東京大学大学院総合文化研究科教授・新領域創成科学研究科拠点長を歴任。 東京都文京区出身。父親の石井美久は早稲田大学教授(フランス文学)。暁星中学校・高等学校を経て、東京大学理学部生物学科で学び、筋肉の研究に従事した。 日本を代表するボディビル選手・パワーリフティング選手としても知られる。中学と高校はサッカー部で活動し、東大では東京大学運動会ボディビル&ウェイトリフティング部に入部してトップ選手に成長した。
山本 達彦(やまもと たつひこ、1954年3月4日 - )は… 山本 達彦(やまもと たつひこ、1954年3月4日 - )は、日本のシンガーソングライター。東京都新宿区出身。千代田区立富士見幼稚園、暁星小学校、暁星中学校・高等学校、成蹊大学卒業。身長164cm 暁星小学校2年時に東京少年合唱隊に参加。同合唱隊は1964年の北米親善旅行の際、東京少女合唱隊と合併して現在の東京少年少女合唱隊となった。山本はこのアメリカツアーに参加し、エド・サリヴァン・ショウに出演した。 成蹊大学時代、「オレンジ」というバンドを結成。日本テレビのアマチュアバンド・コンテスト番組『キンキン&ムッシュのザ・チャレンジ!!』(司会:愛川欽也,かまやつひろし)で優勝し、ロンドンでレコーディングしたシングル「翼のない天使」でデビューするも、「オレンジ」としての活動はうまくいかず、かまやつのバックバンドとしてツアーに同行(キーボードとコーラス担当)。
渡辺 香津美(わたなべ かづみ、1953年<昭和28年>10… 渡辺 香津美(わたなべ かづみ、1953年<昭和28年>10月14日 - )は、東京都渋谷区出身のジャズギタリスト。現在、洗足学園音楽大学の特別講師も務める。ギタリストの中牟礼貞則は師匠にあたる。高校の同級生に山本達彦、先輩にモト冬樹やグッチ裕三がいる。妻はピアニスト・作曲家の谷川公子。 東京都渋谷区・宮益坂下交差点のたばこ屋に生まれる。山手幼稚園、暁星小学校、暁星中学校・高等学校出身。 音楽との出会いは小学2年生から始めたピアノ・オルガンの稽古。父がチャップリンの映画音楽やルイ・アームストロング、ラテン音楽などが好きだったことも影響している。「中学2年でベンチャーズに興味を持ち、初めてギターを手にした。
皆川 圭一郎(みながわ けいいちろう、1952年〈昭和27年… 皆川 圭一郎(みながわ けいいちろう、1952年〈昭和27年〉8月21日 - 2006年〈平成18年〉6月15日)は、日本の政治家。千葉県鎌ケ谷市長(5期)。 千葉県出身。鎌ケ谷市立鎌ケ谷小学校、千代田区立練成中学校、暁星高等学校を経て、1976年(昭和51年)、日本大学理工学部を卒業した。卒業後は家業の不動産業に従事し、鎌ケ谷青年会議所副理事長となった。 1983年(昭和58年)、鎌ケ谷市長選挙に出馬予定だった父親(鎌ケ谷市議会議員)が自殺した。その身代わりとして市長選挙に出馬し、現職の飯田毅(初代市長)を破り初当選する。初当選時の年齢は30歳で、当時全国最年少の市町村長となった。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 1987年(昭和62年)の市長選は新人1人との争いになったが、これを大差で破って再選を果たした。
朝吹 亮二(あさぶき りょうじ、1952年4月30日 - )… 朝吹 亮二(あさぶき りょうじ、1952年4月30日 - )は、日本のフランス文学者、詩人であり、慶應義塾大学名誉教授である。学位は文学修士(慶應義塾大学・1979年)を有する。 東京都出身。暁星小学校、暁星中学校、暁星高等学校を経て、1975年慶應義塾大学文学部フランス文学科を卒業。1979年には同大学院文学研究科フランス文学専攻修士課程を修了し、1982年に同大学院文学研究科フランス文学専攻博士課程単位取得退学。1979年に文学修士の学位を取得した。1997年、慶應義塾大学法学部教授に就任。専門はフランス近・現代詩、シュルレアリスムである。 詩人としては、『opus』、『密室論』、『明るい箱』、『現代詩文庫 朝吹亮二詩集』などの作品がある。
グッチ 裕三(グッチ ゆうぞう(ゆうぞお)、1952年〈昭和… グッチ 裕三(グッチ ゆうぞう(ゆうぞお)、1952年〈昭和27年〉2月27日 - )は、日本のタレント・歌手・作曲家・料理愛好家。長良グループの長良マネジメント所属。本名は高田 裕(たかた ゆたか)で、旧芸名は、高田 裕三(たかた ゆうぞう)。 東京都板橋区出身。暁星小学校、暁星中学校・高等学校卒業。血液型はA型。歌手の田中星児は従兄にあたる。 暁星高校卒業後、米軍キャンプやクラブ等で音楽活動を開始。ブルーエンジェル(モト冬樹、エド山口)、スリーチアーズ・アンド・コングラッツレイションズ(ウガンダ・トラ、宮本典子)など多くの人物といくつものバンドを組んで活動。当時は主にソウル・ミュージックを歌っていた。
下村 治生(しもむら はるお、1952年〈昭和27年〉 - … 下村 治生(しもむら はるお、1952年〈昭和27年〉 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の新宿区議会議員(6期)。第47代新宿区議会議長、自民・参政クラブ団長などを歴任。元新宿消防団団長。 東京都新宿区生まれ。父は元新宿区議会議員の下村得治。暁星高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部卒業。同学院経済学研究科修士課程修了。外資系銀行勤務を経て、下村装飾株式会社役員。 2003年(平成15年)4月、自由民主党公認で新宿区議会議員に初当選。以降、2023年(令和5年)4月の統一地方選挙まで6期連続で当選。 2017年5月から2021年12月まで、自由民主党新宿総支部 支部長を務めた。
永井 秀和(ながい ひでかず、1951年〈昭和26年〉12月… 永井 秀和(ながい ひでかず、1951年〈昭和26年〉12月3日 - )は、日本の俳優、歌手。本名、永井 仁(ながい ひとし)。東京都出身。所属事務所はえりオフィス。 父は時代劇の名悪役で知られた俳優の永井秀明。1967年「夕陽のチャペル」でビクターレコードより歌手デビュー。同年に発売された「恋人と呼んでみたい」が大ヒットとなり、第9回日本レコード大賞の新人賞を受賞する。しかし、学業に専念するために歌手業を引退した。 日本大学芸術学部卒業後、芸能界に復帰。1973年のNHK大河ドラマ『国盗り物語』に出演。池内淳子扮する油屋の女主人・お万阿の手代・杉丸を演じて再び人気沸騰。池内と今度は母子役で共演した『つくし誰の子』第三シーズン、霧島京弥役を演じた『旗本退屈男』など立て続けにドラマにレギュラー出演して人気を集めた。
モト 冬樹(モト ふゆき、1951年〈昭和26年〉5月5日 … モト 冬樹(モト ふゆき、1951年〈昭和26年〉5月5日 - )は、日本のミュージシャン、タレント、俳優、声優。東京都豊島区巣鴨出身。デューズ所属(FIRST AGENTとの業務提携)。本名は武東 裕男(むとう ひろお)。兄はタレントのエド山口。 実家は開業医(産婦人科)。暁星小学校、暁星中学校・高等学校卒業。高校在学中は成績最上位クラスだったが、ギターに夢中になって2番目のクラスに落ちると、グッチ裕三と同クラスとなり音楽で意気投合、兄のエド山口とバンドを結成し音楽活動を始める。 プロデビューはグループ・サウンズブーム終息後に結成されたGS的バンドのローズマリー。当時の芸名は東冬木であった。1974年に、やはりGS的バンドのジュテームに参加していたが、またもブレイクすることなく解散した。
井野 信義(いの のぶよし、1950年3月26日 - )は、… 井野 信義(いの のぶよし、1950年3月26日 - )は、群馬県桐生市出身の音楽家。ベーシスト、作曲家。 東京で育ち、暁星高校卒業。在学時よりR&Bバンドでクラブに出演。1969年、高校を出てすぐ加入したザ・ブルーベル・シンガーズで「昭和ブルース」が話題になったが、グループを脱退した。その後、クラシックのコントラバスを勉強する。1971年、高柳昌行と出会い、ジャズ界に進出。日本のトップベーシストとして、日野元彦とのコンビで非常に多くのレコーディングに参加した。また、同じく高柳門下で暁星高校の後輩、渡辺香津美とのデュオユニット"マウンテン"など、渡辺との共演も多い。 1979年、ドイツのメールス・ジャズ・フェスティバルに出演し、海外でも高い評価を受ける。
エド 山口(えど やまぐち、1948年〈昭和23年〉7月9日… エド 山口(えど やまぐち、1948年〈昭和23年〉7月9日 - )は、日本のタレント、俳優、ミュージシャン、ラジオパーソナリティ。エレクトリック・ギターバンド「エド山口&東京ベンチャーズ」のリーダー。株式会社オフィスアイリス所属(2013年〜)。東京都中央区築地出身。和光大学、成城大学中退。本名は武東 郁夫(むとう いくお)。弟は同じくタレントでミュージシャンのモト冬樹。 裕福な開業医の家に生まれる。曾祖父は警察署長、祖父は海軍主計大佐という堅い家系だった。医者の息子ということで慶應義塾大学医学部、東京慈恵会医科大学、日本医科大学、東京医科大学、順天堂大学医学部を受験するが全て不合格。和光大学経済学部、成城大学経済学部に進学するが、いずれも中退。
村井 邦彦(むらい くにひこ、1945年〈昭和20年〉3月4… 村井 邦彦(むらい くにひこ、1945年〈昭和20年〉3月4日 - )は、日本の作曲家、音楽プロデューサー。アルファレコード(現在のソニー・ミュージックパブリッシング、およびソニー・ミュージックレーベルズ)創立者。 ザ・テンプターズ、ザ・モップス、ザ・タイガース、ピーター、赤い鳥、辺見マリ、トワ・エ・モワ、ヴィッキーらのヒット曲で知られている。代表曲には「エメラルドの伝説」「夜と朝のあいだに」「廃墟の鳩」「朝まで待てない」「経験」「翼をください」「虹と雪のバラード」などがある。 アメリカ合衆国・ロサンゼルス在住。居住するロサンゼルスの小学校の合唱団が「翼をください」を歌うのを聴いて涙が止まらなかったのは、加齢により涙もろくなった所為かも知れないと村井は書いている。
大石 正光(おおいし まさみつ、1945年1月28日 - )… 大石 正光(おおいし まさみつ、1945年1月28日 - )とは、日本の政治家である。公益財団法人緑の地球防衛基金理事長である。 参議院議員(1期)、衆議院議員(5期)、参議院財政金融委員長などを歴任した。農林大臣、環境庁長官を務めた元衆議院議員の大石武一は父である。 宮城県仙台市生まれ。暁星高等学校、立教大学文学部史学科卒業。大学卒業後、米国ウィットワース大学(Whitworth University, ワシントン州スポケーン)政治学部に留学。帰国後、国土計画(現・プリンスホテル)勤務を経て、父、大石武一の秘書となる。1976年に武一が農林大臣に就任した際は大臣秘書官を務めた。 1986年の第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧宮城2区から立候補し、初当選した。
二代目 中村吉右衛門(なかむら きちえもん、1944年〈昭和… 二代目 中村吉右衛門(なかむら きちえもん、1944年〈昭和19年〉5月22日 - 2021年〈令和3年〉11月28日)は、歌舞伎役者。屋号は播磨屋、定紋は揚羽蝶、替紋は村山片喰。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。位階は正四位。旭日重光章受章(没後追贈)。公称身長178 → 176cm・体重79kg・血液型B型。ふたご座。俳名:秀山。ペンネーム:松貫四。 東京都千代田区出身。暁星小学校、暁星中学校・高等学校卒業。早稲田大学第一文学部仏文学科中退。 3歳から松本流松本幸子、六代目藤間勘十郎に日舞、小学4年より和田喜太郎に和泉流狂言、杵屋栄二に長唄、藤舎呂船に鳴物、中学からは竹本小仙に義太夫、大学時には作曲家の半間厳一に声楽を習う。
金子 原二郎(かねこ げんじろう、1944年〈昭和19年〉5… 金子 原二郎(かねこ げんじろう、1944年〈昭和19年〉5月8日 - )は、日本の政治家。 農林水産大臣(第65・66代)、建設政務次官(第2次海部内閣)、参議院議員(2期)、参議院政治倫理審査会会長、同予算委員長、同資源エネルギーに関する調査会長、同情報監視審査会会長、同決算委員長、長崎県知事(公選第14・15・16代)、衆議院議員(5期)、衆議院法務委員長、同石炭対策特別委員長、長崎県議会議員(3期)等を歴任。 父は、農林水産大臣(第6代)や科学技術庁長官(第33代)を務めた衆議院議員の金子岩三。 長崎県北松浦郡生月町(現在の平戸市)生まれ。生月町立山田小学校(現在の平戸市立山田小学校)、長崎市立桜馬場中学校、暁星高等学校を経て、1968年、慶應義塾大学文学部を卒業し日本水産株式会社に入社。
山崎 隆一郎(やまざき りゅういちろう、1944年 - )は… 山崎 隆一郎(やまざき りゅういちろう、1944年 - )は、日本の外交官。国連大使、外務報道官や在フィリピン日本国大使館特命全権大使、アジア生産性機構事務総長等を務めた。 父親が東京銀行でロンドン支店長に就任した事に伴い、小学校3年から中学2年までロンドンに在住した帰国子女。外務省の若手時代は福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸各総理の英語通訳を務めた。 2000年外務報道官就任。2000年8月17日には「本記事では、日本が第二次大戦中の行為について、中国に対して一度も謝罪をしていないと書かれているが、実際には日本は戦争中の行為について繰り返し謝罪を表明してきている。とりわけ、1995年8月に、村山(当時総理)が公式談話を発表し、日本が「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と述べ、「痛切な反省の意」と「心からのお詫びの気持ち」を表明し、1998年に小渕(当時総理)が、日本を公式訪問した江沢民に対して、村山談話を再確認している」と述べた。
山本 耀司(やまもと ようじ、1943年10月3日 - )は… 山本 耀司(やまもと ようじ、1943年10月3日 - )は、日本のファッションデザイナー。ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)の名でプレタポルテ(高級既製服)ブランドを展開している。 長女の山本里美(英: Limi Feu )(りみ)も、自身のブランド「LIMI feu」(リミフゥ)のデザイナー。ヨウジヤマモトグループである。 歌舞伎町で百貨店に総菜を卸す会社を経営する父・山本文雄と、その経理や事務作業を手伝っていた母・山本冨美の長男として東京都新宿区に生まれた。父がルソン島で戦死した後、母は歌舞伎町でオーダーメイドの洋装店(フミ洋装店)を営んでいた(母も文化服装学院出身)。 歌舞伎町の風紀の悪さを密かに心配していた茨城県水戸市に住む叔母(母の妹)の勧めで、新宿区立大久保小学校から暁星小学校に編入(小6)。
峰岸 徹(みねぎし とおる、1943年7月17日 - 200… 峰岸 徹(みねぎし とおる、1943年7月17日 - 2008年10月11日)は、日本の俳優。本名は、峰岸 知夫()。東京都出身。元妻は藍とも子、血液型はO型。最後の所属事務所はアクトレインクラブ。 東京都出生、中央区立泰明小学校3年生時に日本橋浜町へ引っ越す。戦後、銀座で料亭「竹水」を営む母に育てられ、虚弱体質の少年だったが、ジェームズ・ディーンと石原裕次郎に憧れて俳優を志す。 幼少期より落語にも魅せられ、よく母に人形町末広亭などの方々の寄席へ連れて行ってもらっていた。 1962年に峰 健二の芸名で東宝映画『高校生と女教師・非情の青春』でデビュー。当時、六本木野獣会(渡辺プロダクションの渡辺晋社長が当時話題を呼んだ六本木族にならって若手スターの話題作りのためにプロデュースした集団)に属し、日本橋浜町の自宅には頻繁にメンバーの面々が集うほど慕われた存在であった。
北大路 欣也(きたおおじ きんや、1943年〈昭和18年〉2… 北大路 欣也(きたおおじ きんや、1943年〈昭和18年〉2月23日 ‐ )は、日本の俳優、声優。本名、淺井 将勝(あさい まさかつ)。京都府京都市紫竹出身。ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。 父は戦前の時代劇から戦後の東映時代劇全盛時代に活動した映画俳優の市川右太衛門。芸名の由来は右太衛門の邸宅が京都市内の北大路に在ったことから、右太衛門が「北大路の御大」と呼ばれていたため。田村正和など同世代の俳優仲間からは「きんやちゃん」と呼ばれている[要出典]。 市川右太衛門の次男として生誕。京都市立紫竹小学校、同志社香里中学校から暁星中学校に編入。暁星高等学校を卒業後、早稲田大学第二文学部演劇専修卒業。
柳原 一成(やなぎはら かずなり、1942年9月25日 - … 柳原 一成(やなぎはら かずなり、1942年9月25日 - 2022年1月29日)は、日本の料理研究家である。近茶流宗家。東京都出身。暁星小学校、暁星中学校・高等学校、東京農業大学農学部卒業。 父は先代宗家の柳原敏雄(1912年 - 1991年)で、息子は近茶流嗣家の柳原尚之である。 日本料理の指導だけでなく、食材に研究、テレビ番組の出演やテレビドラマの料理指導のスタッフして活躍していた。 本職だけでなく母校の東京農業大学の客員教授・儀礼文化学会の常務理事も務めていた。 東京都港区に自宅、長野県軽井沢町に別荘と畑があり、両地をよく行き来していた。 2022年1月28日夜、群馬県安中市の国道18号を自身が運転する軽ワゴン車で走行中、側道との分岐にある縁石にぶつかり横転した。
二代目 松本 白鸚(にだいめ まつもと はくおう、1942年… 二代目 松本 白鸚(にだいめ まつもと はくおう、1942年〈昭和17年〉8月19日 - )は、日本の歌舞伎役者、日本舞踊家、俳優。屋号は高麗屋。定紋は四つ花菱、替紋は浮線蝶。歌舞伎名跡「松本白鸚」の当代。前名の九代目 松本 幸四郎(くだいめ まつもと こうしろう)としても知られる。俳名に錦升(きんしょう)がある。また舞台演出家としては九代 琴松(くだい きんしょう)の名を用いることがある。東京都出身。暁星中学校・高等学校卒業、早稲田大学第一文学部文学科演劇専修中退。本名は藤間 昭曉(ふじま てるあき)。 日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受賞者。 身長175cm、体重78kg、血液型B型。 歌舞伎では、お家の高麗屋の芸を継承するだけでなく、外祖父の播磨屋の重厚な演目も受け継いでおり、『勧進帳』の武蔵坊弁慶役は1200回という現役最多の出演記録を誇り、時代物の主人公役は高く評価される。
九代目 松本幸四郎(くだいめ まつもと こうしろう、1942… 九代目 松本幸四郎(くだいめ まつもと こうしろう、1942年8月19日 - )は、日本の俳優、歌舞伎役者、舞踊家。日本藝術院会員。本名、藤間 昭暁(ふじま てるあき)。
瀧川 好庸(たきがわ よしのぶ、1942年 - )は、日本の… 瀧川 好庸(たきがわ よしのぶ、1942年 - )は、日本の文学者、教育者。 兵庫県出身。暁星高等学校卒業、上智大学外国語学部フランス語学科卒業、上智大学文学研究科フランス文学専攻修士課程修了。 教育者としては暁星学園講師、上智大学フランス文学科助手、聖心女子大学講師、上智大学文学部教授を歴任。 1990年、瀧川慶作の次代の瀧川学園理事長となる。2002年、滝川第二高等学校校長に就任し、任期中に滝川第二中学校を開校。2017年、兵庫県私学振興協会の理事長に選任され就任する。 2017年7月より、国際ロータリー第2680地区の2017-2018年度、ガバナーに就任。
吉田 正彦(よしだ まさひこ、1941年4月18日 - 20… 吉田 正彦(よしだ まさひこ、1941年4月18日 - 2023年7月4日)は、日本のバスケットボール指導者、選手。 東京府東京市出身。暁星高等学校から立教大学を経て日本鋼管で選手として活躍。 バスケットボール男子日本代表としても1967年世界選手権に出場。しかし1968年メキシコシティオリンピック出場権は獲得できなかった。 引退後はコーチに転じ、1972年ミュンヘンオリンピックでコーチ、1976年モントリオールオリンピックで監督を務めた。 退社後は東京バスケットボール協会役員、バスケットボール日本リーグ機構専務理事を歴任し、2016年からは日本バスケットボール推進協議会の副幹事長を務めた。 2023年7月4日、死去。
西川 右近(にしかわ うこん、1939年6月4日 - 202… 西川 右近(にしかわ うこん、1939年6月4日 - 2020年12月12日)は、名古屋西川流三世家元。本名、近藤雅彦。愛知県名古屋市出身。 東京都新宿区に本部を置く「西川流®」(一般財団法人 西川流)とは無関係。 1939年6月4日、近藤茂と静子(西川司津)の長男として生まれる。3歳で初舞台。1956年、名古屋西川流名取「西川右近」となる。高校中退し、4歳年上の名妓連芸妓・八重子と同棲。この頃から、藤間勘祖 (2世)に師事する。 1983年8月、 父二世西川鯉三郎死去、名古屋西川流三世家元を継承。流派で内紛が起こり、1985年4月8日、右近は記者会見を開いて分家の実姉西川左近の絶縁を発表。1985年4月16日、左近も名古屋西川流の分家問題や名取免許授与をめぐり紛糾している問題で記者会見した。
小沢 僥謳(おざわ きょう、1938年1月27日 - 199… 小沢 僥謳(おざわ きょう、1938年1月27日 - 1999年3月28日)は、日本の劇作家、演出家、翻訳家。本名:小沢 協(読みは同じ)。東京府芝区西久保明舟町(現・東京都港区虎ノ門)出身。暁星中学校・高等学校、パリ大学人文科卒業。父は俳優の小沢栄太郎。 俳優の小沢栄太郎とその最初の妻との長男として生まれ、16歳で母を自死で失う。中学・高校を暁星学園で過ごし、卒業後はパリ大学人文科に進学。同大学卒業後もフランスに滞在して映画助監督となり、帰国後に舞台の劇作家、演出家として活動した。第5回湯浅芳子賞受賞。ファッションブランド「VAN」が製作した『Take IVY』の映画版の監督も務めた。 1999年3月28日、閉塞性黄疸のため死去。
草野 浩二(くさの こうじ、1937年11月20日 - 20… 草野 浩二(くさの こうじ、1937年11月20日 - 2025年10月17日)は、日本の音楽プロデューサー・ディレクター。 東京府出身で、暁星学園を経て早稲田大学第一商学部を1960年3月に卒業する。 1960年4月に東京芝浦電気へ入社してレコード事業部制作部ディレクターとなり、坂本九の「悲しき六十才」を手掛け初仕事で初ヒット作品を輩出する。以来1960年代初期はカバーポップスの全盛時代を作り、1970年代は邦楽ポップスの黄金時代を築いた。 東芝EMI退社後はファンハウスを経てフリーランスの音楽プロデューサーとして活動し、コンピレーション・アルバム監修、コンサートプロデュース、新人育成などを手掛ける。
大熊 一夫(おおくま かずお、1937年8月17日 - )は… 大熊 一夫(おおくま かずお、1937年8月17日 - )は日本のジャーナリスト。1970年、アルコール依存症を装って精神科病院に潜入入院し、『ルポ精神病棟』を朝日新聞社会面に連載。精神科病院廃絶に向け活動を行った。 東京生まれ。東京大学教養学部教養学科(科学史・科学哲学)を卒業して朝日新聞記者に。週刊朝日副編集長、アエラ・スタッフライターをへて無所属のジャーナリストに。 1998年から大阪大学人間科学部教授。担当はソーシャルサービス論。日本の国立大学に初めて出来た福祉系講座の初代教授。2002年に定年退官。 1970年、アルコール依存症を装って精神科病院に潜入入院し、『ルポ精神病棟』を朝日新聞社会面に連載。
石濱 朗(いしはま あきら、1935年1月29日 - 202… 石濱 朗(いしはま あきら、1935年1月29日 - 2022年7月26日)は、日本の俳優。石浜朗とクレジットされる作品もある。最終所属はミズキ事務所。血液型はB型。身長172cm、体重68kg。 東京府(東京都)出身。立教大学文学部英文科卒業。 1951年、高校在学中に姉に薦められて応募した『少年期』にて16歳でデビュー。演技が好評だったため、そのまま松竹専属になる。 木下惠介、野村芳太郎、小林正樹などの作品に出演していた。 1961年からは『若い季節』に出演。テレビドラマでの助演も務めた。 2009年より日本映画俳優協会の理事長を務める。 2014年3月12日、東京・池袋の新文芸坐での特集「有馬稲子と十八人の監督たち」のトークショーに出演。
藤村 俊二(ふじむら しゅんじ、1934年〈昭和9年〉12月… 藤村 俊二(ふじむら しゅんじ、1934年〈昭和9年〉12月8日 - 2017年〈平成29年〉1月25日)は、日本の俳優、声優、タレント、振付師、実業家。神奈川県鎌倉市出身。愛称は「おヒョイ(さん)」。俳優事務所、有限会社O’hyoi & Sons(オヒョイアンドサンズ)所属。 実父はスバル興業社長2代目や国際宣伝企業株式会社常務を務めた藤村一良。兄に藤村哲司、妹に晴美、弟に藤村和三郎、藤村良典(後にキョードー東京関連会社キョードー横浜の会長を務めた)、藤村和良がいる。父は1904年6月東京生まれで、1923年に慶応義塾商業を卒業後旭硝子に入り日本油化工業の課長を務め、1946年からスバル興業専務となった。
楢橋 進(ならはし すすむ、1934年6月3日 - 1990… 楢橋 進(ならはし すすむ、1934年6月3日 - 1990年1月11日)は、昭和期の政治家。元運輸大臣、元衆議院議員の楢橋渡は実父。 福岡県久留米市に生まれる。慶應義塾大学経済学部卒業後、三井物産勤務を経て、父・楢橋渡秘書。1973年に父・渡が死去し、父と荒木万寿夫の死去に伴う空席を埋める衆議院議員補欠選挙(福岡3区)に自民党公認で立候補。当選を果たし以降衆議院議員を4期務め、中曽根派に属した。この間、第2次大平内閣で運輸政務次官・第1次中曽根内閣で農林水産政務次官に就任している。 1983年総選挙では保守乱立の煽りから次々点で落選。返り咲きを目指した1986年総選挙では党の公認を得られず、日本共産党の公認候補の得票をも下回った法定得票数にも満たない惨敗に終わった。
深田 祐介(ふかだ ゆうすけ、1931年7月15日 - 20… 深田 祐介(ふかだ ゆうすけ、1931年7月15日 - 2014年7月14日)は、日本の作家。本名は深田 雄輔。 1982年に『炎熱商人』で第87回直木賞を受賞。 東京市で生まれる。曾祖父は江戸城の「奥」に出入りする御用商人で、祖父深田米次郎は日本橋で深田銀行を設立するも不況により愛知銀行 (東海銀行の前身)に吸収され父は、入サ証券を創業して、第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)に丸三証券(前身の「長尾秀一商店」)へ売却している。なお、この頃避暑に湘南に行った際、東条英機首相と会っている。暁星高等学校を経て早稲田大学法学部に入学し、在学中より堀辰雄に傾倒して曽野綾子らとともに同人誌『ラマンチャ』に参加している。
松平 頼暁(まつだいら よりあき、1931年3月27日 - … 松平 頼暁(まつだいら よりあき、1931年3月27日 - 2023年1月9日)は、日本の現代音楽作曲家、生物物理学者。理学博士。立教大学理学部教授。 東京府に作曲家の松平頼則の長男として生まれる。祖父の松平頼孝は子爵で鳥類標本収集家。水戸徳川家の連枝(分家)で常陸府中藩の藩主家であった府中松平家の直系の子孫で、同藩の最後の藩主・松平頼策は曾祖父にあたる。出版楽譜によっては、父・頼則との区別を明確にするため Yori-Aki Matsudaira と書き、さらに生年を併記しているものもある。 1953年、東京都立大学理学部を卒業し理学士号を得る。この間、作曲とピアノを独学で学ぶ。1950年代より活発な作曲活動を始める。
岡田 英弘(おかだ ひでひろ、1931年〈昭和6年〉1月24… 岡田 英弘(おかだ ひでひろ、1931年〈昭和6年〉1月24日 - 2017年〈平成29年〉5月25日)は、日本の東洋史学者。東京外国語大学名誉教授。東洋文庫専任研究員。専攻は満洲史・モンゴル史であるが、中国・日本史論についての研究・著作もある。 1931年(昭和6年)、東京市本郷区(現・東京都文京区)曙町に生まれた。戦時下の1943年、旧制暁星中学校入学。1946年、旧制成蹊高等学校尋常科へ転入。 1947年、 旧制成蹊高等学校高等科理科乙類入学。1950年、旧制成蹊高等学校高等科理科乙類を卒業した。1953年、東京大学文学部東洋史学科を卒業。その後は同大学大学院に進み、1958年に東京大学大学院博士課程を満期退学した。
諸井 誠(もろい まこと、1930年〈昭和5年〉12月17日… 諸井 誠(もろい まこと、1930年〈昭和5年〉12月17日 - 2013年〈平成25年〉9月2日)は、日本の作曲家、音楽評論家。東京府(現・東京都)出身。イタリア語めかした変名マコトニオ・モンロイ名義による著作もある。 秩父セメント(現・太平洋セメント)の創業者一族であり、祖父は秩父セメント創業者の諸井恒平、父は作曲家諸井三郎、兄は秩父セメントの社長・会長を務めた諸井虔である。作曲家・指揮者の尾高尚忠・惇忠・忠明一家とも縁戚関係にある。 二十世紀音楽研究所に参加し、十二音技法、ミュジーク・コンクレートなどの新技法を早い時期に日本で実践した作曲家のひとりである。評論やNHKのクラシック音楽番組への出演でも知られる。
宇都宮 安重(うつのみや やすしげ、1930年11月3日 -… 宇都宮 安重(うつのみや やすしげ、1930年11月3日 - 2005年6月24日)は、日本の作曲家、編曲家である。 長野県南佐久郡田口村(現佐久市)生まれ。4歳頃よりピアノを始める。村立田口小学校から東京市の京橋小学校へ移る。旧制暁星中学校を経て(この頃に音楽人類学者・日本打弦楽器協会会長の生明慶二と出会う)、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)を卒業。同期に黒柳徹子、石橋エータローがいた。音楽学校在学中よりクラブ等にてジャズピアニストとして活動を始める。 ミュージシャン仲間との親交の中で小杉太一郎に師事。映画音楽、TV音楽等の作曲・編曲に携わる。中でも1979年10月からテレビ朝日系列で放送が開始されたテレビドラマ『西部警察』のメインテーマ曲が知られる。
福島 和夫(ふくしま かずお、1930年4月11日 - 20… 福島 和夫(ふくしま かずお、1930年4月11日 - 2023年8月19日)は、日本の作曲家・音楽学者。上野学園大学日本音楽史研究所所長、同研究所特任教授。本名は石橋 和夫(いしばし かずお)。 東京市麻布区霞町(現在の東京都港区)生まれ。玉川学園中学部中退後、独学で作曲を勉強。その後、鈴木博義や武満徹らと知り合い、芸術家グループ「実験工房」に参加。これには姉の福島秀子も参加している。 東洋的な響きに近いフルートのための作品を多数発表、代表作の『冥』などが生まれる。また『エカーグラ』は1959年に来日したストラヴィンスキーによって武満徹の『弦楽のためのレクイエム』などと共に絶賛されたうちの1曲である。