スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
祖父江 昭二(そふえ しょうじ、1927年9月3日 - 20… 祖父江 昭二(そふえ しょうじ、1927年9月3日 - 2012年1月15日)は、日本近代文学・演劇の研究者。 兵庫県出身、愛知県名古屋市で育つ。武蔵高等学校卒、1952年東京大学文学部美学美術史学科卒業。1957年同大学文学部大学院(旧制)修了。1960-1965年東京都立戸山高等学校講師。和光大学助教授、教授を務め、1997年定年となり名誉教授。劇団民藝顧問。
我妻 洋(わがつま ひろし、1927年6月17日 - 198… 我妻 洋(わがつま ひろし、1927年6月17日 - 1985年7月25日)は、日本の社会心理学者・文化人類学者。甲南大学助教授・カリフォルニア大学ロサンゼルス校教授・筑波大学教授・東京工業大学教授などを歴任。 日米文化比較の分野で活躍し、家族や性、差別などについて社会心理的側面から実証的比較研究を行った。 1927年6月17日、法学者・我妻栄の長男として東京都に生まれた。 東京高等師範学校附属小学校、同中学校を経て、旧制武蔵高等学校に進学。 東京大学文学部独文科に入学したが、心理学科に転じて1953年卒業。 1954年より米国へ留学し、ハーバード大学、ミシガン大学、カルフォルニア大学の各大学で文化人類学と臨床心理学を学ぶ。
松前 達郎(まつまえ たつろう、1927年2月19日 - 2… 松前 達郎(まつまえ たつろう、1927年2月19日 - 2024年9月8日)は、日本の教育者、政治家。参議院議員(4期)。工学博士であり、東海大学総長を務めた。位階は従三位。 東海大学創立者の松前重義の長男として生まれる。東北大学工学部金属工学科卒業。首都大学野球連盟の会長ならびに日本高等学校野球連盟の最高顧問および全日本大学野球連盟の顧問を務める。また、文化面では日本対外文化協会および日本ブルガリア協会の会長を務め、実業面では、エフエム熊本の取締役も務める。
千葉 利雄(ちば としお、1926年10月4日 - 2009… 千葉 利雄(ちば としお、1926年10月4日 - 2009年2月5日)は、昭和から平成時代の労働運動家。日本鉄鋼産業労働組合連合会(鉄鋼労連)副委員長。宮田義二鉄鋼労連委員長の政策ブレーン。 東京生まれ。1945年武蔵高等学校卒業、東京帝国大学経済学部に入学。文学青年であったが在学中に左傾化し、全日本石炭産業労働組合(全石炭)の工作員として石炭復興会議の事務局に勤務。1949年東京大学経済学部卒業。4月に共産党の指示もあって人事院事務官となるが、レッド・パージにあい退官。10月に共産党の指示で日本労働組合総同盟(総同盟)書記局調査部に入るが、総主事の高野実に傾倒して次第に共産党と距離をとった。
上田 誠吉(うえだ せいきち、1926年9月8日 - 200… 上田 誠吉(うえだ せいきち、1926年9月8日 - 2009年5月10日)は、日本の弁護士。社会運動にも積極的にかかわった。 兵庫県神戸市生まれ。1929年東京へ転居し、1933年麹町小学校に入学。その後、旧制武蔵高等学校尋常科・高等科を経て、1948年東京大学法学部卒。在学中に兵役、敗戦を迎える。50年弁護士登録、東京弁護士会、自由法曹団に加わる。メーデー事件や松川事件、白鳥事件などで弁護を担当。宮澤・レーン事件についての著作もある。74-84年自由法曹団団長。 父は内務官僚の上田誠一。地球物理学者の上田誠也は弟。
田沼 肇(たぬま はじめ、1926年〈大正15年〉4月19日… 田沼 肇(たぬま はじめ、1926年〈大正15年〉4月19日 - 2000年〈平成12年〉8月9日)は、日本の社会学者・社会運動家。 群馬県桐生市生まれ。本籍東京市(現港区)。武蔵高等学校卒、1948年東京帝国大学経済学部卒、商工省調査統計局勤務。1950年法政大学大原社会問題研究所勤務、1963年同社会学部助教授、1964年教授。1970-1971、1978-1981年社会学部長。1993年退職、名誉教授。1983年原水爆禁止日本協議会代表理事。 1987年に発病し、1995年パーキンソン症状を伴う進行性核上性麻痺と診断される。1993年東京都重度心身障害者手当を申請するが、判定医の診断により却下される。
町田 茂(まちだ しげる、1926年〈大正15年〉2月22日… 町田 茂(まちだ しげる、1926年〈大正15年〉2月22日 - 2019年〈平成31年〉1月16日)は、日本の物理学者。専門は量子力学。理学博士(1959年)。京都大学名誉教授。 群馬県前橋市に生まれる。小学2年のときに千葉県へ移り、さらに東京へ転居。旧制武蔵高等学校を経て、1949年東京大学理学部物理学科卒、1959年理学博士。1952年広島大学講師、1955年立教大学助教授、1961年同教授、1966年京都大学理学部教授、1990年定年退官、名誉教授となる。1976年より日本学術会議員。
田中 郁三(たなか いくぞう、1926年1月13日 - 20… 田中 郁三(たなか いくぞう、1926年1月13日 - 2015年2月16日)は日本の化学者、理学博士。東京工業大学名誉教授。文化功労者。専門は光化学。 東京工業大学教授、学長などを歴任。光イオン化質量分析法の開発や、分子の電子状態を精密に測定する分子光化学の先駆的な手法開発などで知られる、光化学のパイオニア。
星埜 禎男(ほしの さだお、1926年 - 2004年2月1… 星埜 禎男(ほしの さだお、1926年 - 2004年2月17日)は、日本の物理学者。東京大学名誉教授。中性子回折・散乱研究が専門。 武蔵高等学校を卒業後、1948年3月、大阪大学理学部化学科を卒業。同年、大阪大学理学部副手。1949年4月、東京工業大学理学系助手。1959年4月、東京工業大学理工学部助教授。1960年5月、東京大学物性研究所助教授。1967年1月、同研究所教授。1987年3月に東京大学を定年退職し、同年、東京大学名誉教授となった。同年9月には筑波大学物理工学系教授に就任し、1990年3月に筑波大学を定年退職。 1958年、大阪大学理学博士。論文の題は「アルフア沃化銀の異常結晶構造の研究 」。
内田 祥哉(うちだ よしちか、1925年5月2日 - 202… 内田 祥哉(うちだ よしちか、1925年5月2日 - 2021年5月3日)は、日本の建築生産学者、建築家。東京大学名誉教授。日本学士院会員。一級建築士資格所有。 東京都生まれ。内田祥三(建築構造学の大家で東京帝国大学学長を歴任)の二男。兄は、敗戦後まもなく夭逝した建築家内田祥文。 武蔵高等学校 (旧制)を卒業。東京帝国大学工学部建築学科卒業後、逓信省、電気通信省を経て、日本電信電話公社建築部(現・NTTファシリティーズ)に勤務。 1961年、東京大学工学博士。論文の題は「建築構法の分析と綜合の研究」。 東京大学助教授-教授-名誉教授、明治大学教授、金沢美術工芸大学教授を歴任。1993年、日本建築学会会長。
長澤 敬之助(ながさわ けいのすけ、1924年10月26日 … 長澤 敬之助(ながさわ けいのすけ、1924年10月26日 - 2005年6月5日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学・鉱物学。東京都生まれ。 旧制武蔵高等学校を経て、1948年東京大学理学部地質学科卒業。同年4月より1951年3月まで同大学院に在籍。1951年5月名古屋大学理学部講師となり、1954年助教授に昇進。1961年名古屋大学より理学博士の学位を取得。論文の表題は「新潟県三川鉱山の鉱化作用に関する研究」。1877年静岡大学理学部教授に就任。大学評議員・理学部長などを歴任し、1988年停年退職、名誉教授となる。その後、常葉学園浜松大学の教授となり、経営情報学部長・副学長を勤める。1984~1986年日本鉱物学会会長、1985~1986年日本粘土学会会長。
宍戸 駿太郎(ししど しゅんたろう、1924年〈大正13年〉… 宍戸 駿太郎(ししど しゅんたろう、1924年〈大正13年〉10月24日 - 2016年〈平成28年〉11月28日)は、日本の経済官僚。経済企画庁審議官退官後、保守派の評論家、経済学者、国際大学学長、筑波大学名誉教授などとして活動した。 短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 通商産業省に入省した後、1963年に経済企画庁総合計画局の計量分析担当官を経て、経済企画庁審議官となり、筑波大学副学長、国際大学学長を務めた。日本経済に関して、一貫して創造的な分析・提言を行い、2006年(平成18)年には国際レオンチェフ賞を受賞した。
梅沢 博臣(うめざわ ひろおみ、1924年9月20日 - 1… 梅沢 博臣(うめざわ ひろおみ、1924年9月20日 - 1995年3月25日)は、日本の理論物理学者。学位は、理学博士。アルバータ大学(カナダ)名誉教授。坂田昌一の弟子の一人で、場の量子論で世界的に著名。 兄弟に、梅澤純夫(有機合成化学、抗生物質研究)、梅澤濱夫(抗生物質カナマイシン発見)、梅澤邦臣(科学技術事務次官)がいる。 北海道に生まれる。出身は東京都。開成中学(東京)卒業後、旧制武蔵高校を経て名古屋帝国大学工学部電気工学科に入学。大学3年生の時から、理学部の坂田昌一のところに出入りするようになり、物理学の研究者となった。1947年に大学を卒業し、引き続き大学院に進学し、1952年に博士課程を修了して理学博士号を取得した(学位論文「素粒子の相互作用の構造について」 )。
関 楠生(せき くすお、1924年7月15日 - 2014年… 関 楠生(せき くすお、1924年7月15日 - 2014年7月3日)は、日本のドイツ文学者、超常現象研究者。東京大学・獨協大学名誉教授。正四位、瑞宝中綬章。 1924年、ドイツ文学者・関泰祐の任地であった静岡県で生まれた。旧制武蔵高等学校を経て、東京大学独文科に進学。1946年に卒業。 卒業後は教員となり、松本高等学校講師、水戸高等学校教授を務めた。1950年、千葉大学助教授に就いた。1952年、東京学芸大学助教授に転じた。1954年より1955年まで、ドイツ・ミュンヘン大学に留学し、帰国後の1956年に武蔵中学校・高等学校講師となった(1965年まで)。 1959年、東京大学教養学部助教授に就いた。
碧海 純一(あおみ じゅんいち、1924年6月27日 - 2… 碧海 純一(あおみ じゅんいち、1924年6月27日 - 2013年7月18日)は、日本の法学者、法哲学者。東京大学名誉教授。日本バートランド・ラッセル協会理事。 分析哲学、批判的合理主義に近い立場から理論哲学として法哲学を展開し、以後の日本の法哲学に大きな影響を及ぼした。主著に『法哲学概論』『法と社会』など。 愛知県名古屋市出身。旧制武蔵高等学校では、講師であった下村寅太郎に紹介され、バートランド・ラッセルに触れる(後に日本バートランド・ラッセル協会設立発起人となっている)。 1944年(昭和19年)短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。同年9月、海軍経理学校に入学。1944年10月、海軍主計見習士官。
村山 定男(むらやま さだお、1924年〈大正13年〉4月9… 村山 定男(むらやま さだお、1924年〈大正13年〉4月9日 - 2013年〈平成25年〉8月13日)は、日本の天文学者。国立科学博物館に長く奉職し、生涯を通じて天文普及活動に尽力した。 東京府東京市本郷区(現:東京都文京区本郷)で出生。父は村山達三(医師、東京都立駒込病院院長)、母方の祖父は宮入慶之助(寄生虫学者、九州帝国大学医学部名誉教授)。 幼少時から天文学に親しみ、5歳の時に望遠鏡で観望した火星をスケッチした。小尾信彌(天文学者)は、誠之小学校(現:文京区立誠之小学校)の同級生であった。 武蔵高等学校(旧制)を経て東京帝国大学理学部化学科を卒業した。村山自身は東京帝大天文学科への進学を希望していたものの、父の「天文学では食って行けない」という意見に従って化学科に進んだ。
諸井 勝之助(もろい かつのすけ、1924年2月3日 - 2… 諸井 勝之助(もろい かつのすけ、1924年2月3日 - 2018年1月5日)は、日本の会計学者。東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。2000年勲二等瑞宝章受章。 東京府生まれ。永田甚之助の三男。母方の祖父は尾高次郎、曾祖父は尾高惇忠と渋沢栄一。秩父セメント社長諸井貫一(遠戚にあたる)の婿養子となる。 武蔵高等学校卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年4月、呉施設部宮崎地方施設事務所内務主任に就任。同年6月、海軍主計少尉に任官し佐世保施設部宮崎地方施設事務所内務主任となり終戦を迎えた。 1946年東京帝国大学経済学部商業科卒業、1950年東京大学経済学部助教授。
白山和久(しらやまかずひさ、1924年- )は、日本の建築構… 白山和久(しらやまかずひさ、1924年- )は、日本の建築構造学者。建築材料学者。筑波大学名誉教授(構造工学系)。日本学術振興会委員、建築研究所長、建築住宅国際機構会長など歴任。東京生まれ。 1947年、東京大学第二工学部建築学科卒業。1951年、旧建設省建築研究所入所。第二研究部に。1975年、建築研究所長就任。1977年、筑波大学構造工学系教授就任。1985年、退官。同年、工学院大学工学部教授。 主な著書に『建築施工技術ハンドブック』 (1979年)『建築新素材・新材料』(1991年)『気泡コンクリート』 (1964年)など。受賞歴にセメント協会論文賞、日本建築学会賞論文賞および大賞など。
早川 幸男(はやかわ さちお、1923年〈大正12年〉10月… 早川 幸男(はやかわ さちお、1923年〈大正12年〉10月16日 - 1992年〈平成4年〉2月5日)は、日本の物理学者(宇宙物理学)、素粒子物理学者。名古屋大学名誉教授。専門は、高エネルギー天体物理学、宇宙論、赤外線天文学。愛媛県新居郡新居浜町(現・愛媛県新居浜市)出身。二男は同じく物理学者の早川尚男。 卒業研究に朝永ゼミに入ったことをきっかけに素粒子、宇宙線の研究を始める。卒業後友人の碓井恒丸(名古屋大学名誉教授)の紹介で気象台に勤めて素粒子論的宇宙線の研究を始める。初期の論文は素粒子論の応用の色彩が強かったが渡米後、本格的な宇宙線研究者になる。1953年にはγ線天文学の提唱、1955年には宇宙線の超新星起源説等を唱えた。
竹内 一夫(たけうち かずお、1923年9月29日 - 20… 竹内 一夫(たけうち かずお、1923年9月29日 - 2021年12月8日)は、日本の脳外科医。杏林大学名誉学長。 東京都出身。旧制武蔵高等学校を経て、1946年東京帝国大学(現・東京大学)医学部卒。大槻外科副手、清水外科助手、1955年「癲癇の末梢血液循環について 腦疾患と容積脈波」で医学博士の学位を取得。1956年清水外科医局長、1957年講師、脳神経外科外来医長、1958年虎の門病院脳神経外科部長、1973年杏林大学医学部教授、83年医学部長、1988-1998年学長、名誉教授、2011年名誉学長。 厚生省科学研究費・特別研究事業『脳死に関する研究班』班長として「竹内基準」をまとめた。1991年紫綬褒章受勲。
柳井 乃武夫(やない のぶお、1923年(大正12年)9月2… 柳井 乃武夫(やない のぶお、1923年(大正12年)9月21日 - 2014年(平成26年)9月28日)は、日本の官僚。日本国有鉄道常務理事や運輸審議委員を務めた。 外交官・弁護士の柳井恒夫の長男としてリオデジャネイロに生まれる。弟は外交官で駐米大使を務めた柳井俊二。暁星小学校、武蔵高等学校尋常科・高等科を経て、東京帝国大学法学部に進学する。東大在学中の1943年に学徒出陣で徴兵され、フィリピンのレイテ島に出征する。終戦を知らずにフィリピンのポロ島山中で二ヶ月の逃亡生活を送った後に投降した。その模様は後年、自著『山の兵隊』『万死に一生 第一期学徒出陣兵の手記』に記述している。 1945年12月に復員後、1947年に運輸省に入省。
宮澤 泰(みやざわ やすし、1923年〈大正12年〉8月5日… 宮澤 泰(みやざわ やすし、1923年〈大正12年〉8月5日 - 2010年〈平成22年〉9月10日)は、日本の外交官。駐西ドイツ大使。位階は従三位。 宮澤裕の三男として生まれる。東京高師附属小(現・筑波大附属小)、武蔵高等学校を経て東京大学法学部政治学科卒業。外務省に入り、西ドイツ公使、1977年2月から欧亜局長、外務省大臣官房審議官を経て、1980年12月から駐アルジェリア大使、1983年4月から駐オーストリア大使、1986年1月から駐西ドイツ大使を歴任。1993年11月、勲二等旭日重光章受勲。2010年死去。死没日付をもって従三位に叙された。 宮澤三兄弟の幼少の頃を知るいとこの和田貞子は「三人はいずれも2歳違いで、とても仲の良い兄弟だった。
黒板 伸夫(くろいた のぶお、1923年(大正12年)4月5… 黒板 伸夫(くろいた のぶお、1923年(大正12年)4月5日 - 2015年(平成27年)5月11日)は、日本の歴史学者。専門は日本古代史。妻は作家の永井路子。歴史学者の黒板勝美は伯父。 1923年(大正12年)、東京府生まれ。東京大学文学部国史学科卒業。同大学大学院(旧制)修了。平安博物館嘱託、同博物館講師、吉川弘文館編集長を経て、清泉女子大学教授・醍醐寺霊宝館長。 2015年5月11日、肺炎のため死去。92歳没。 2016年、第27回大衆文学研究賞・大衆文学部門を、黒板伸夫・永井路子編「黒板勝美の思い出と私たちの歴史探究」(吉川弘文館)が受賞した。
永井 道雄(ながい みちお、1923年 <大正12年> 3月… 永井 道雄(ながい みちお、1923年 <大正12年> 3月4日 - 2000年 <平成12年> 3月17日)は、日本の教育社会学者。文部大臣(第95代)。位階は正三位。 戦前に立憲民政党幹事長や拓務大臣、逓信大臣、鉄道大臣を務めた永井柳太郎の次男。 東京に生まれる。東京高等師範学校附属小学校(現:筑波大学附属小学校)卒業。当時の同級生には哲学者の鶴見俊輔、中央公論社社長の嶋中鵬二、作家の中井英夫らがいる。東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)、旧制武蔵高校を経て、京都帝国大学文学部を卒業。京都大学人文科学研究所助手、米国へ留学し、1952年オハイオ州立大学で教育社会学のPh.D.を取得。
石川 允(いしかわ まこと、1923年1月22日 - 202… 石川 允(いしかわ まこと、1923年1月22日 - 2020年2月21日)は、日本の都市計画家。指導者。長岡技術科学大学名誉教授。同大学で教授・副学長、東京電機大学建築学科教授、国土庁審議官などを歴任。都市計画コンサルタント協会認定都市プランナーマスター都市プランナー。 石川栄耀の長男として東京にて生まれる。旧制武蔵高等学校から東京帝国大学工学部建築科を経て軍に招集され、特攻部隊の司令官時に終戦となる。その後東大と戦災復興院で戦災復興都市計画に関与し、建設省・国土庁(現・国土交通省)、総理府首都圏整備委員会で、都市計画・建築行政などに携わった。 1977年、筑波研究学園都市の計画・建設で、今野博とともに日本都市計画学会設計賞を受賞した。
恒松 制治(つねまつ せいじ、1923年(大正12年)1月2… 恒松 制治(つねまつ せいじ、1923年(大正12年)1月21日 - 2011年(平成23年)7月23日)は、日本の経済学者、政治家。島根県知事(3期)。第5代獨協大学学長。連邦制・道州制を提唱。戦国武将で尼子氏の家臣・立原久綱の後裔にあたる。 島根県大田市生まれ。武蔵高等学校、京都帝国大学経済学部卒業後、農林省(現・農林水産省)入省。 1958年(昭和33年)学習院大学経済学部教授に転じ、1975年郷里の知事に担ぎ出され、日本社会党の推薦で初当選。県議の8割を占める保守系県議の支援も得て、3期務めた。任期中は、賛否が割れていた宍道湖・中海淡水化事業を巡って苦心したほか、1981年(昭和56年)には韓国・慶尚北道を訪れ、姉妹提携の筋道をつけた。
横田 二郎(よこた じろう、1923年〈大正12年〉1月10… 横田 二郎(よこた じろう、1923年〈大正12年〉1月10日 - 2004年〈平成16年〉6月26日)は、日本の実業家、鉄道マンである。
平田 光穂(ひらた みつほ、1922年9月26日 - 201… 平田 光穂(ひらた みつほ、1922年9月26日 - 2011年5月31日)は日本の数学者。 東京大学理学部数学科卒業。太平洋戦争時中、日本光学(現・ニコン)でレンズの計算に従事。戦後東京工業大学教授を務め、数学者の立場から化学工学分野の技術者育成にあたった。「多成分系の蒸留」他、著書多数。 1998年、勲三等旭日中綬章を受章。2011年5月31日、肺炎のため死去。
頼 惟勤(らい つとむ、1922年〈大正11年〉2月2日 -… 頼 惟勤(らい つとむ、1922年〈大正11年〉2月2日 - 1999年〈平成11年〉7月15日)は、日本の中国学者。お茶の水女子大学名誉教授。頼聿庵の末裔。 東京府生まれ。父は東京高等学校教授の頼成一で、惟勤は頼山陽の6代目の子孫(山陽の子・聿庵の末裔)。1939年(昭和14年)(旧制)私立武蔵高等学校卒業後、1943年(昭和18年)学徒出陣で、東京帝国大学文学部支那哲学支那文学科を繰り上げ卒業し出征。1944年(昭和19年)、海軍少尉。1945年(昭和20年)、中尉。 復員後は、倉石武四郎の世話で京都帝国大学教務嘱託。1949年(昭和24年)、東京大学文学部副手。1952年(昭和27年)、お茶の水女子大学専任講師、のち1959年(昭和34年)に助教授、1964年(昭和39年)に教授。
川原 正人(かわはら まさと、1921年10月18日 - 2… 川原 正人(かわはら まさと、1921年10月18日 - 2012年1月30日)は、日本の団体役員。日本放送協会会長(第13代)。 東京都出身。武蔵高等学校、1943年3月東京帝国大学経済学部を卒業。 1946年NHKに入局。職員局長、人事局長、報道局長を歴任。 1973年に理事に就任し、1976年から専務理事、人事本部長。1980年NHK美術センター(現NHKアート)社長。1982年、NHK会長に就任。1988年までの2期を務めた。 2012年1月30日、心不全のため死去。90歳没。
宮澤 弘(みやざわ ひろし、1921年(大正10年)9月22… 宮澤 弘(みやざわ ひろし、1921年(大正10年)9月22日 - 2012年(平成24年)5月26日)は、日本の内務・自治官僚、政治家。 自治省官房長、行政局長、消防庁長官、自治事務次官、法務大臣(第61代)、参議院議員(3期)、広島県知事(民選第4代)を歴任した。 戦前・戦後に衆議院議員を務めた宮澤裕の次男。内閣総理大臣を務めた宮澤喜一の弟。 自由民主党参議院議員の宮澤洋一の父。母方の祖父は鉄道大臣を務めた小川平吉。 娘の夫は大蔵官僚の加藤秀樹。 広島県福山市出身。宮澤裕の次男。宮澤三兄弟の幼少の頃を知る従姉妹の和田貞子によれば、「三人はいずれも二歳違いで、とても仲の良い兄弟でした。住まいは東京でしたが、夏になると伯父(裕)の故郷であるこの福山に帰ってきて、海水浴などにでかけていました。
滋賀 秀三(しが しゅうぞう、1921年〈大正10年〉5月1… 滋賀 秀三(しが しゅうぞう、1921年〈大正10年〉5月1日 - 2008年〈平成20年〉2月25日)は、日本の法学者(東洋法制史)。東京大学名誉教授、日本学士院会員。 1921年、山口県岩国町で生まれた。東京で育ち、旧制武蔵高等学校を経て、東京帝国大学法学部に入学。中国法制史を専攻し、石井良助に師事。1943年に法学部を卒業した。卒業後は、戦時下であったが大学院特別研究生に採用された。 1948年、東京大学法学部助教授に就任し、東洋法制史の授業を担当。1959年に同教授に昇格。1962年、学位論文『中国家族法の原理』を東京大学に提出して法学博士号を取得。1969年『中国家族法の原理』(1967年)で日本学士院賞受賞。
島津 一郎(しまづ いちろう、1921年5月 - 2007年… 島津 一郎(しまづ いちろう、1921年5月 - 2007年1月29日)は、日本の法学者。専門は民法、家族法。学位は法学博士(東北大学・1962年)。一橋大学名誉教授。中川善之助門下。弟子に奥山恭子(横浜国立大学名誉教授)、許末恵(青山学院大学教授)など。 横浜市生まれ。1934年3月埼玉県立師範学校附属小学校(埼玉大学教育学部附属小学校の前身)卒業、1941年武蔵高等学校(旧制)(武蔵中学校・高等学校の前身)卒業、1943年東北帝国大学法文学部法科第1類卒業。1962年東北大学より法学博士の学位を取得。 1943年東北大学法文学部助手。1945年召集により富山連隊入隊。1949年助手論文「社会家族と自然家族」を書き、新設の金沢大学法文学部の法科の助教授に就任。
井上 信也(いのうえ しんや、ラテン文字: Shinya I… 井上 信也(いのうえ しんや、ラテン文字: Shinya Inoué、1921年1月5日 - 2019年9月30日)は、日本出身の生物学者、顕微鏡学者。アメリカ合衆国国籍。駐ハンガリー公使井上庚二郎の長男としてイギリス・ロンドンで出生。末妹はピアニストの井上二葉。 細胞生物学における偏光顕微鏡、ビデオ顕微鏡の開祖とされ、著書「Video Microscopy」は、顕微鏡学者必携の名著である。井上以前には存在を疑問視すらされた紡錘体を直接観察することにより、その存在を最終的に証明し、長年にわたる論争に終止符を打った。また、レクチファイ偏光光学系など、偏光顕微鏡をはじめ各種の顕微鏡の革命的な技術を発明・開発してきた。
井上 勝也(いのうえ かつや、1920年10月9日 - )は… 井上 勝也(いのうえ かつや、1920年10月9日 - )は、日本の化学者、千葉大学名誉教授。 東京生まれ。1943年東京帝国大学理学部化学科卒業、工業技術院資源環境技術総合研究所、1948年燃料研究所(公害資源研究所)、1954年「石炭のレオロジー的研究」で東京大学理学博士。1959年八幡製鉄(新日本製鉄)先端技術研究所、1967年千葉大学理学部教授、84年定年退官、名誉教授、神奈川大学理学部教授、91年退職。
霜田 光一(しもだ こういち、1920年〈大正9年〉10月5… 霜田 光一(しもだ こういち、1920年〈大正9年〉10月5日 - 2023年〈令和5年〉5月29日)は、日本の物理学者。理学博士。東京大学名誉教授。理化学研究所名誉研究員。日本学士院会員(第2部第5分科)。位階は正四位。文化功労者。勲二等瑞宝章受章者。 埼玉県北足立郡浦和町(現・さいたま市)出身。明星学園小学部、明星学園中学部、旧制武蔵高等学校を経て、1943年(昭和18年)東京帝国大学理学部物理学科卒業。 東京大学理学部教授、理化学研究所主任研究員、慶應義塾大学理工学部教授、レーザー学会会長、日本物理教育学会会長を歴任。専門はレーザー分光(laser spectroscopy)、量子エレクトロニクス、物理教育。
草間 時彦(くさま ときひこ、1920年(大正9年)5月1日… 草間 時彦(くさま ときひこ、1920年(大正9年)5月1日 - 2003年(平成15年)5月26日)は、神奈川県出身(実際は東京生まれ)の俳人。 東京府に生まれ、神奈川県鎌倉で育つ。祖父・草間時福は愛媛県松山英学校(のちの松山中学)の校長を務めた後、東京で民権派ジャーナリストとして活躍した人物で、「渋柿」の俳人でもあった。父草間時光は水原秋桜子に師事した俳人で鎌倉市長を務めたこともある。 結核のため20歳で学業を断念、旧制武蔵高等学校中退。逗子にて療養し文学に熱中。1949年、水原秋桜子に師事して俳句を始める。同年結婚。1951年、三井製薬に入社、25年の間サラリーマンとして勤める。1953年、秋桜子の「馬酔木」を退会、55年、復刊した「鶴」に入会し石田波郷に師事。
下条 進一郎(しもじょう しんいちろう、旧字体:下條、192… 下条 進一郎(しもじょう しんいちろう、旧字体:下條、1920年〈大正9年〉3月16日 - 2013年〈平成25年〉4月14日)は、日本の大蔵官僚、政治家。参議院議員。厚生大臣、参議院議院運営委員長、同国際平和協力等に関する特別委員長などを歴任した。位階は従三位。貴族的な風貌から「まろ」の通称で呼ばれていた。 長野県松本市出身。下条康麿の長男。私立暁星小學校、武蔵高等学校、1944年 東京帝国大学法学部政治学科を卒業する。同年大蔵省に入省するが、太平洋戦争の激化に伴い短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。
影井 梅夫(かげい うめお、1920年3月9日 - 2003… 影井 梅夫(かげい うめお、1920年3月9日 - 2003年7月4日)は、日本の外交官。法務省入国管理局長、外務省国際連合局長、駐イタリア特命全権大使、NTT特別参与などを歴任した。 鳥取県気高郡湖山村出身。武蔵高等学校尋常科、同校高等科文科甲組を経て、1941年高等試験外交科合格。同年東京帝国大学法学部政治学科卒業、外務省入省。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年11月、海軍主計大尉に昇進し終戦を迎えた。 終戦連絡中央事務局連絡官を経て、1947年外交官補、叙二級。在マニラ日本政府在外事務所一等書記官、日本国とフィリピン共和国との間の賠償協定及び経済開発借款協定につき交渉し且つ署名する全権委員随員を経て、1956年在フィリピン日本国大使館一等書記官。
近藤 道生(こんどう みちたか、1920年2月2日 - 20… 近藤 道生(こんどう みちたか、1920年2月2日 - 2010年6月30日)は、日本の海軍軍人・大蔵官僚、実業家。国税庁長官を経て博報堂代表取締役社長を務めた。1982年聖シルベストロ騎士勲章、1992年勲一等瑞宝章、1993年日本宣伝賞大賞を受賞。 神奈川県小田原市出身。旧制小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)、旧制武蔵高校を経て、1942年7月に高等試験行政科に合格、同年9月に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年同月、大蔵省に入省して理財局に配置される。高等試験は100番前後で入省成績も相澤英之が最下位で近藤がブービーだといわれていた。入省直後に海軍経理学校補修学生、海軍主計見習尉官(短期現役組(短現組)9期)となる。
渡辺 正雄(わたなべ まさお、1920年1月7日 -2005… 渡辺 正雄(わたなべ まさお、1920年1月7日 -2005年5月4日)は、日本の科学史家、東京大学名誉教授。 専門は科学文化史、日英科学交流史、キリスト教と科学など。弟子に榎本恵美子や小川真里子。 東京出身。私立武蔵高校卒。東京帝国大学卒。1961年「一七八〇-一八五〇年期の英国に於ける熱理論の発展」で東京教育大学文学博士。1962年「熱運動論発展の過程」で東京大学理学博士。東京女子大学助教授、中央大学教授、1968年東京大学教養学部教授、1980年定年退官、名誉教授、新潟大学教授、東京電機大学教授、国際基督教大学教授。1993年、勲三等旭日中綬章受章。 『科学史フォーラム』第8号、2005年10月5日
小川 政亮(おがわ まさあき、1920年1月 - 2017年… 小川 政亮(おがわ まさあき、1920年1月 - 2017年5月7日)は、日本の法学者、日本社会事業大学名誉教授。専攻は社会保障法。 東京出身。1939年に武蔵高等学校高等科を卒業し、東京帝国大学法学部法律学科に入学。在学中、東京市内外の軍事扶助受給者や少年労働者への訪問調査を行い、彼らの生活実態や意識に触れた。1941年(昭和16年)に大学を繰り上げ卒業した。卒業前に徴兵検査を受け、第二種乙種合格となり、1942年(昭和17年)2月1日に近衛歩兵第2連隊に配属された後、幹部候補生として前橋陸軍予備士官学校に入った。ふたたび近衛歩兵に戻り、1945年(昭和20年)4月に伊勢警備隊に転属して終戦を迎えた。
宮澤 喜一(みやざわ きいち、1919年〈大正8年〉10月8… 宮澤 喜一(みやざわ きいち、1919年〈大正8年〉10月8日 - 2007年〈平成19年〉6月28日)は、日本の政治家、大蔵官僚。 内閣総理大臣(第78代)、財務大臣(初代)、大蔵大臣(第88・89・105・106・107代)、農林水産大臣(第18代)、郵政大臣(第56代)、副総理(竹下内閣)、内閣官房長官(第44代)、外務大臣(第98代)、通商産業大臣(第30代)、経済企画庁長官(第12・13・17・18・29代)、衆議院議員(12期)、参議院議員(2期)、自由民主党総裁(第15代)、自由民主党総務会長を歴任した。55年体制最後の内閣総理大臣。愛称はキー坊[要出典]。 宮澤裕・こと夫妻の長男として東京市に生まれた。
原 正雄(はら まさお、1919年9月19日 - 2008年… 原 正雄(はら まさお、1919年9月19日 - 2008年10月7日) は、日本の実業家。帝国ホテル代表取締役社長や、日本ホテル協会会長を務めた。 武蔵高等学校を経て、1941年東京帝国大学経済学部卒業。1942年第一銀行入行。第一銀行京橋支店長を経て、業績不振が続いていた帝国ホテルに招かれ、1970年から帝国ホテル専務取締役。1974年帝国ホテル代表取締役専務。1976年帝国ホテル代表取締役社長。1979年日本ホテル協会会長。1986年帝国ホテル取締役相談役。
塚谷 晃弘(つかたに あきひろ、1919年〈大正8年〉3月1… 塚谷 晃弘(つかたに あきひろ、1919年〈大正8年〉3月16日 - 1995年〈平成7年〉10月13日)は、日本の経済学者・作曲家。経済学博士。國學院大學名誉教授。戸籍名、塚谷博通。 東京府本郷区湯島にて、鉄道照明機工場経営者の長男として生まれる。豊島師範附属小学校(現在の東京学芸大学附属小金井小学校)から武蔵高等学校 (旧制)尋常科・同高等科文科甲類を1937年に卒業。この間、14歳のとき母からピアノの手ほどきを受け、16歳で塚谷留太(国立音楽大学講師)からヴァイオリンを習い、旧制高校在学中から鯨井孝に師事、声楽を約2年間習う。 1938年、東京帝国大学経済学部入学。東大時代は同校の管弦楽団で1年間コントラバスを演奏。
佐波 正一(さば しょういち、1919年〈大正8年〉2月28… 佐波 正一(さば しょういち、1919年〈大正8年〉2月28日 - 2012年〈平成24年〉9月10日)は日本の実業家、元東芝社長・会長、国際基督教大学理事長。東京都出身。 曽祖父は佐倉藩士で蘭学者の佐波銀次郎(1825 - 1891)。手塚律蔵に学び、藩命で樺太探検、幕府蕃書調所教授手伝、神奈川奉行で外交文書の翻訳などに当たった。祖父の佐波一郎は、銀次郎の甥で養嫡子。一郎は横須賀造船所黌舎で学んだのち、フランス留学を経て海軍技師として軍艦設計に携わり、海軍兵学校の教官も務めた。一郎の実姉の淑は依田学海に嫁ぎ、次女は、一郎の学友で『八十日間世界一周』の訳者として知られる横浜正金銀行員の川島忠之助と結婚するも、のちに離婚する。
斎藤 平蔵(さいとう へいぞう、1919年 - 2005年)… 斎藤 平蔵(さいとう へいぞう、1919年 - 2005年)は、日本の建築環境学者。東京大学工学部教授、東京理科大学理工学部教授を歴任。工博。 著書に『建築気候』 (大学講座建築学環境編 1、共立出版)『都市環境と人間』『建築設備の実務Ⅰ』(現代建設実務大系、監修)など。受賞は空気調和・衛生工学会学会賞 論文賞、日本建築学会賞大賞受賞など。
平井 信義(ひらい のぶよし、1919年 - 2006年7月… 平井 信義(ひらい のぶよし、1919年 - 2006年7月7日)は、日本の児童心理学者・文筆家・医師。大妻女子大学名誉教授。 東京生まれ。1941年 (昭和16年) 東京帝国大学文学部独文科卒。1944年 (昭和19年) 東北帝国大学医学部卒。1957年 (昭和32年) 名古屋大学より医学博士の学位を取得。 小児科医、母子愛育会愛育研究所所員、お茶の水女子大学教授、1970年 (昭和45年) 定年退官、大妻女子大学教授(児童学)、1990年(平成2年)退任、名誉教授。 ウィーン大学でハンス・アスペルガーに学び、自閉症を研究した。『「心の基地」はおかあさん』が140万部のベストセラーとなったほか、多数の著書を著した。
福岡 成忠 (ふくおか しげただ、1918年 <大正7年> … 福岡 成忠 (ふくおか しげただ、1918年 <大正7年> 3月14日 - 2004年 <平成16年> 9月7日)は、日本の経営者。ニコン社長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。武蔵高等学校を経て、1940年に東京帝国大学工学部造兵学科を卒業し、同年に日本光学工業(のちのニコン)に入社。同年9月に海軍に技術大尉として入隊し、1943年1月に復帰。1973年5月に取締役に就任し、1977年6月に常務を経て、1979年6月に副社長に就任し、1983年6月には社長に昇格。1989年6月に会長に就任し、1993年6月に相談役を経て、2000年6月から特別顧問を務めた。 1988年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。
小林 胖(こばやし ゆたか、1917年11月17日 - 19… 小林 胖(こばやし ゆたか、1917年11月17日 - 1980年8月11日)は、日本の図書館情報学者。名前は「ばん」とも呼ばれた。 1917年 (大正6年) 11月17日東京に生まれる。漢籍に凝っていた父親が四書五経から「胖」という字を選び名付けた。1930年 (昭和5年) 、戸山小学校卒業後、武蔵高等学校尋常科へ入学、同高等科へ進み1939年卒業。同年東京帝国大学理学部化学科へ入学し、1941年12月卒業した。 1942年、三井化学工業株式会社研究員となるが、在職のまま兵役徴集に応じ、陸軍工兵学校幹部候補生隊で教育を受けた後に、満洲へ向かった。1943年、独立工兵大隊勤務中に発病し予備役となって帰国、三井化学工業に勤務し終戦となった。