スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
石田 純一(いしだ じゅんいち、1954年〈昭和29年〉1月… 石田 純一(いしだ じゅんいち、1954年〈昭和29年〉1月14日 - )は、日本のタレント、俳優。メロン所属(リクコーポレーション提携)。かつて[いつ?]はスカイコーポレーションに所属していた。東京都目黒区出身。 1954年1月14日、NHKアナウンサーである石田武の長男として東京都目黒区で出生。祖父は中外商業新報(現・日本経済新聞)記者で、政治部長や参事などを務めた石田武太郎。母親は女学校時代に原爆投下後の広島市に後片付けに入った入市被爆者。4歳までアメリカ・ワシントンで育つ。東京都立青山高等学校を経て、早稲田大学商学部中退。 高校時代は野球部に所属し、エースで4番打者であった。1970年代に星川淳の実妹である星川まりとできちゃった結婚。
加藤 青延(かとう はるのぶ、1954年 - )は、日本のジ… 加藤 青延(かとう はるのぶ、1954年 - )は、日本のジャーナリスト、NHK専門解説委員。NHK中国総局長、NHK解説主幹等を経て、武蔵野大学特任教授、国立大学法人東京外国語大学経営協議会委員。ギャラクシー賞優秀賞受賞。 東京都世田谷区[要出典]出身。お茶の水女子大学附属中学校、東京都立青山高等学校を経て、1978年東京外国語大学外国語学部中国語学科卒業。同年4月日本放送協会(NHK)に入局。報道局国際部から1987年に NHK香港支局長となり、2年間の勤務を経て、 1989年NHK北京支局特派員となる、NHK北京支局 特派員時代は天安門事件の発生時に 緊迫の中国情勢を現地から取材、4年間の勤務を経て、1993年よりNHK北京支局長に就任。
井上 鑑(いのうえ あきら、1953年<昭和28年>9月8日… 井上 鑑(いのうえ あきら、1953年<昭和28年>9月8日 - )は、日本の編曲家、作曲家、作詞家、キーボーディスト、音楽プロデューサー。 東京都世田谷区出身。父はチェロ奏者の井上頼豊。翻訳家・詩人の矢川澄子、セゾン系文化人の小池一子は母方の叔母。シンガーソングライターのやまがたすみこは妻。
津谷 正明(つや まさあき、1952年6月22日 - )は、… 津谷 正明(つや まさあき、1952年6月22日 - )は、日本の実業家。ブリヂストン取締役代表執行役CEO兼取締役会長を経て、同社取締役会長。元日本自動車タイヤ協会会長、元タイヤ公正取引協議会会長。 東京都出身。東京都立青山高等学校を経て、1976年一橋大学経済学部を卒業し、株式会社ブリヂストンに入社。1983年シカゴ大学経営大学院修了、MBA取得。妻で、慶應義塾大学経済学部教授の津谷典子とは、シカゴ大学留学中に知り合った。 ブリヂストンでは、長く国際業務を担当。2006年ブリヂストン執行役員グループCEO室担当に就任。2008年取締役常務執行役員に昇格。2011年からは代表取締役専務執行役員を務めた。
西宮 伸一(にしみや しんいち、1952年4月19日 - 2… 西宮 伸一(にしみや しんいち、1952年4月19日 - 2012年9月16日)は、日本の外交官。位階は従三位。 外務審議官(経済担当)を経て、2012年(平成24年)9月11日付で駐中華人民共和国特命全権大使への異動が発令されたが、2日後の9月13日に意識不明となり、5日後の9月16日に着任することなく死去した。 東京都出身。彼の父である西宮一も外交官で、駐ザンビア特命全権大使、衆議院事務局渉外部長、駐エクアドル特命全権大使を歴任した。 東京都立青山高等学校を経て東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業後、1976年(昭和51年)外務省に入省。入省後はオックスフォード大学で研修を受けたのち報道課に配属。
大津留 厚(おおつる あつし、1952年 - )は、日本の歴… 大津留 厚(おおつる あつし、1952年 - )は、日本の歴史学者。専門は西洋史、ハプスブルク近代史。学位は東京大学修士(国際学)。神戸大学名誉教授。 アウスグライヒや、プラグマーティシェ・ザンクツィオーン(国事詔書)の意義を再考し、また、ウィーンのコメンスキー学校や青野原俘虜収容所といった舞台を通して、ハプスブルク帝国史を多面的に研究している。 1952年、東京都生まれ。東京都立青山高等学校卒業。1976年、東京大学文学部西洋史学科卒業。1978年、東京大学大学院社会学研究科修士課程を修了。1985年、同研究科国際関係論専攻博士課程単位取得退学。1979年~1981年、ウィーン大学に留学し、ロバート・A. カン (Robert A. Kann)に師事する。
坂崎 紀(さかざき おさむ、1952年 - )は、日本の音楽… 坂崎 紀(さかざき おさむ、1952年 - )は、日本の音楽学者、西洋音楽史家。
池田 紅玉(いけだ こうぎょく、本名・和子、1951年6月1… 池田 紅玉(いけだ こうぎょく、本名・和子、1951年6月13日 - )は、日本の英語教育者。 東京都世田谷区三軒茶屋生まれ。中学時代は、タイの日本人学校にも学ぶ。 東京都立青山高等学校卒、1977年日本大学大学院修士課程修了。 1979年カリフォルニア州立大学(現在の名称は California State Polytechnic University )スピーチ・コミュニケーション学科 大学院修了。 東横学園女子短期大学(現東京都市大学)英語英文学科助教授、ハーバード大学客員研究員を経て、帰国後は青山学院大学、日本大学 英文科、学習院生涯学習センター(現学習院さくらアカデミー)の教壇に立つ。
本間 正義(ほんま まさよし、1951年5月2日 - )は、… 本間 正義(ほんま まさよし、1951年5月2日 - )は、日本の経済学者。専攻は農業経済学。アジア成長研究所特別教授、東京大学名誉教授。アイオワ大学博士(Ph.D.)。 山形県新庄市出身。5歳で小国町に移転、11歳に父の死で上京する。東京都立青山高等学校では激しい学生運動により学校閉鎖となり、その期間に北海道での研修旅行を行い、農業実習の経験から志望を固めた。1974年帯広畜産大学畜産学部卒業。1976年東京大学大学院農学系研究科修士課程修了。1982年アイオワ大学大学院経済学研究科博士課程修了。 1983年東京都立大学経済学部助手、1985年小樽商科大学商学部助教授、1991年同教授、1996年成蹊大学経済学部教授、東京大学農学部教授、西南学院大学経済学部教授を経てアジア成長研究所特別教授。
加藤 哲夫(かとう てつお、1949年6月16日 - 202… 加藤 哲夫(かとう てつお、1949年6月16日 - 2024年12月14日)は、日本の法学者(倒産処理法・民事訴訟法)、弁護士。前早稲田大学大学院法務研究科教授。東京都渋谷区出身。指導教授は櫻井孝一。 東京都出身。1968年東京都立青山高等学校卒業、1972年早稲田大学第一法学部卒業、1977年早稲田大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学、1977年早稲田大学法学部専任講師、1979年早稲田大学法学部助教授を経て、1984年早稲田大学法学部教授。また、2002年から2006年まで早稲田大学法学部長。ロースクールと学部を兼任。法学部では、倒産法ゼミの他に、民事訴訟法ゼミも担当しており、いずれも高倍率の学生からの人気が高いゼミとなっていた。
田島 正行(たじま まさゆき、1949年 - )は、日本の近… 田島 正行(たじま まさゆき、1949年 - )は、日本の近代ドイツ文学者、明治大学元教授。 東京都生まれ。東京都立青山高等学校卒業。東京学芸大学卒業。1975年、東京都立大学 (1949-2011)人文学部独文学科卒。1988年、同大学院人文科学研究科独文学博士課程満期退学。明治大学法学部兼任講師、東京都立富士高等学校非常勤講師、東京都立上野高等学校非常勤講師を経て、1994年、明治大学法学部専任講師。日本シェリング協会、ゲーテ自然科学の集い、クラーゲス協会、日本独文学会に所属。
関谷 保夫(せきや やすお、1947年12月14日 - )は… 関谷 保夫(せきや やすお、1947年12月14日 - )は、日本の地方公務員。東京都副知事や、東京都人事委員長、東京臨海ホールディングス代表取締役社長、東京テレポートセンター代表取締役社長、東京メトロ代表取締役副社長、東京臨海高速鉄道代表取締役社長、日本自動車ターミナル代表取締役社長等を歴任した。 東京都立青山高等学校、横浜国立大学経営学部卒業。1972年、東京都庁に入庁。東京都住宅局総務部長等を経て、2004年東京都都市整備局理事。同年東京都産業労働局長。2005年7月から石原慎太郎東京都知事の下、東京都副知事を務める(~2007年6月)。2007年7月、東京都人事委員会委員、東京臨海ホールディングス代表取締役社長及び東京テレポートセンター代表取締役社長に就任。
岡本 毅(おかもと つよし、1947年9月23日 - )は日… 岡本 毅(おかもと つよし、1947年9月23日 - )は日本の実業家。東京ガス代表取締役社長、同会長、日本経団連副会長、日本ガス協会会長等を歴任した。旭化成取締役、日本郵政取締役、三菱地所取締役。 京都府京都市生まれ。父は産経新聞記者。父が津支局長や大津支局長に就任すると家族で支局の2階に住むようになる。その後東京に移り、東京都立青山高等学校を経て、1970年に一橋大学経済学部を卒業。大学では板垣与一ゼミに所属。大学卒業後は新聞記者になることを考えていたが、母親に反対され株式会社東京ガスに入社。 東京瓦斯では企画部に配属されたのち、1972年から2年間練馬営業所で勤務。1977年6月から3年間中東経済研究所(現日本エネルギー経済研究所)研究所研究員を務めたのち、1980年に原料部に配属される。
海野 和男(うんの かずお、1947年6月25日 - )は、… 海野 和男(うんの かずお、1947年6月25日 - )は、日本の昆虫写真家であり、同ジャンルの草分け的な存在。日本自然科学写真協会会長、日本昆虫協会理事、日本写真家協会会員を歴任。広角レンズを使った接写により、昆虫の周囲の環境を風景として写しこんだ作風を得意とする。 1947年、東京都に生まれる。新宿区立西戸山小学校、東京都立青山高等学校卒業。東京農工大学の日高敏隆研究室で昆虫行動学を学ぶ。大学生の時に「スジグロシロチョウの交尾拒否行動」の写真が取り上げられ、以後昆虫写真家としての道を歩むことになる。 1990年に、長野県小諸市でクワガタムシの大アゴが落ちているのを見つけ、豊かな自然の残る小諸の地に惹かれ、ここにアトリエを建てて一年の多くの時間を過ごしている。
林 文子(はやし ふみこ、1946年〈昭和21年〉5月5日 … 林 文子(はやし ふみこ、1946年〈昭和21年〉5月5日 - )は、日本の実業家、政治家。神奈川県横浜市長(3期)、BMW東京社長、ダイエー会長兼CEO、東京日産自動車販売社長などを歴任。 東京都生まれ。父親は築地市場の仲買人。母親の生家は千葉県東葛飾郡浦安町(現:浦安市)で漁業を営んでいた。その縁で知り合った父母は駆け落ちして結婚し、世田谷区にある父親の実家で暮らし始める。父親は林が小学校5年生のときに、林の伯母らとの軋轢から家を出てしまう。母親と林は、世田谷区深沢にある6畳1間のアパートに引っ越し、母親は電機工場で働くことで林を養った。 1965年3月、東京都立青山高等学校卒業。同年、東洋レーヨン(現・東レ)、松下電器産業(現・パナソニック)等に勤務。
八重樫 正彦(やえがし まさひこ、1945年9月9日 - )… 八重樫 正彦(やえがし まさひこ、1945年9月9日 - )は日本の技術者、実業家。日揮株式会社代表取締役社長や、同社取締役副会長を務めた。 高知県出身、本籍は岩手県北上市。八重樫義雄・寿の長男。1964年東京都立青山高等学校を経て、1969年東北大学工学部土木工学科卒業、日揮入社。国際事業本部プロジェクト部長を経て、2000年取締役に昇格。2002年常務取締役。2004年専務取締役。2006年取締役副社長。2008年代表取締役副社長兼プロジェクト統括担当役員(CPO)。2009年から代表取締役社長兼最高執行責任者(COO)を務め、プラント建設事業以外の事業の開拓にあたった。2011年取締役副会長。
奥 浩平(おく こうへい、1943年〈昭和18年〉10月9日… 奥 浩平(おく こうへい、1943年〈昭和18年〉10月9日 - 1965年〈昭和40年〉3月6日)は、日本の学生運動家。遺稿集『青春の墓標』で知られる。 1943年10月9日、東京都に4人兄弟(姉1人、兄2人)の末っ子として生まれる。世田谷区立守山小学校(現:世田谷区立下北沢小学校)、目黒区立第六中学校(現:目黒区立目黒中央中学校)を卒業。1959年4月、東京都立青山高等学校に入学。高校2年時の1960年6月、樺美智子の死に触発されて安保闘争に参加する。 1962年3月、都立青山高校を卒業。1年間の浪人生活ののち、1963年4月、横浜市立大学文理学部に入学。史学研究部やマルクス主義研究会でのクラブ活動を経て、同年7月に中核派に加盟し、原潜寄港阻止闘争や日韓会談反対闘争などに参加する。
福田 克彦(ふくだ かつひこ、1943年7月17日 - 19… 福田 克彦(ふくだ かつひこ、1943年7月17日 - 1998年1月12日)は、日本のドキュメンタリー映画監督。小川プロダクション出身であり、成田空港問題に係る作品を多く手掛けた。 1943年7月17日に慶応義塾大学病院で新聞社に勤める福田清の子として生まれる。5歳の時、缶蹴りの缶で頬を傷つけてしまう。その傷跡は生涯残った。 世田谷区立松沢中学校では、天文学部に入部し、レンズやその他材料を購入して天体望遠鏡を自作していた。 東京都立青山高等学校では、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』や『魅せられたる魂』を愛読し、仲間とともに安保闘争に参加したほか、教師のあだ名の由来などを書いた冊子を学内で配布して、学校から停学処分を受ける。
橋爪 功(はしづめ いさお、1941年〈昭和16年〉9月17… 橋爪 功(はしづめ いさお、1941年〈昭和16年〉9月17日 - )は、日本の俳優。演劇集団 円前代表、円企画所属(2026年2月まで)。 大阪府大阪市東住吉区に生まれた。路地奥の上下に二間、内風呂と小さな庭のある借家で育つ。父は和歌山県の海南出身。母は愛人であり、父には本妻が別にいた。11才上の兄はいったん母親の兄の籍に入った後、父の籍に入ったので、当初は功が母の戸籍上では長男となっていた。 子どもの頃は、父の影響で歌舞伎や映画を観るのが好きな子だった。明るく目立ちたがり屋なこともあり、東田辺小学校では生徒会長を買って出た。 大阪教育大学附属平野中学校へ進学した後、そこで出会った友人がサルトルやカミュの作品を読んでいた影響で自身も文学作品を読むようになった。
仲本 工事(なかもと こうじ、1941年〈昭和16年〉7月5… 仲本 工事(なかもと こうじ、1941年〈昭和16年〉7月5日 - 2022年〈令和4年〉10月19日)は、日本のコメディアン、ミュージシャン(ギタリスト)。ザ・ドリフターズのメンバー。東京府東京市日本橋区(現在の東京都中央区日本橋)出身。本名は仲本 興喜(なかもと こうき)。バンドでの担当はボーカルとギター。ドリフから派生したこぶ茶バンドメンバーとしても活動した。生前は渡辺プロダクション→イザワオフィスに所属して、同じザ・ドリフターズメンバーで既に故人となっているいかりや長介、志村けんと同様に没後もイザワオフィス所属となっている。 当初は「仲 こうじ」「仲本 こうじ」「仲本 コージ」を名乗っていた。
若林 映子(、1939年〈昭和14年〉12月13日 - )は… 若林 映子(、1939年〈昭和14年〉12月13日 - )は、日本の元女優。東宝映画を中心に活躍した。 名前の映子は 「えいこ」と誤読されることがあるが本名は「あきこ」で、夕映えの増すころに生まれたことにちなんで名づけられた。 東京市大森区北千束出身。父親はエンジニアだった。10代のころは、シモーヌ・ド・ボーヴォワールを愛好する読書家で、画家を志望したこともあった。 東京都立青山高等学校の3年生だった1957年(昭和32年)8月、ほんの軽い気持ちで東宝の『海鳴り』(制作中止)と『隠し砦の三悪人』の雪姫役に友人と一緒に応募する。結果は落選だったが、その後東宝から誘いを受け、高校卒業後に東宝へ入る。
つのだ じろう(本名:角田 次朗〈読み同じ〉、1936年〈昭… つのだ じろう(本名:角田 次朗〈読み同じ〉、1936年〈昭和11年〉7月3日 - )は、日本の漫画家・心霊研究家。東京府東京市下谷区豊住町(現:東京都台東区下谷1丁目)出身。血液型O型。八人兄弟の次男であり、次弟のつのだたかしはリュート奏者、末弟のつのだ☆ひろはミュージシャン。漫画原作者・ゲームクリエイターのビトウゴウは息子である。 当時の下谷区豊住町で床屋を営む家に生まれ育つ。小学2年生のころ空襲を避けるため一家で福島県に疎開、戦争が終わった中学2年生の時に東京に戻る。新宿区立淀橋中学校(現:新宿区立西新宿中学校)、東京都立青山高等学校卒業。 高校在学中に自宅近くのグラウンドで草野球を観戦していたところ、一方のチームの監督が漫画家の島田啓三であることに気づく。
松野 茂(まつの しげる、1936年(昭和11年)3月8日 … 松野 茂(まつの しげる、1936年(昭和11年)3月8日 - 2017年(平成29年)4月3日)は、日本のコントラバス奏者、教育家、国立音楽大学名誉教授。 神奈川県川崎市生まれ。小学生の時からギターを習い始める。東京都立青山高等学校を経て、1956年に東洋音楽短期大学(現・東京音楽大学)声楽科を卒業する。 1956年4月、国立音楽大学器楽科(コントラバス)に入学し、寺田日瑳三(NHK交響楽団コントラバス首席奏者)に師事する。1959年8月から東京交響楽団に在籍する。1960年に器楽科(コントラバス)を卒業した後、同大学専攻科に入学する。1961年、専攻科を卒業した後、同年9月から1963年5月までマンハッタン音楽学校に留学し、ロバート・ベレナンド(ニューヨーク・フィルハーモニック)に師事する。
池井 優(いけい まさる、1935年1月25日 - )は、日… 池井 優(いけい まさる、1935年1月25日 - )は、日本の歴史学者。慶應義塾大学名誉教授。専門は日本外交史、極東国際関係史。国会議員の和田政宗やアナウンサーの大澤広樹は教え子。 東京都生まれ。東京都立青山高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科、同大学院修士課程修了。同大助手・講師・助教授を経て慶應義塾大学法学部教授。1994年1月、博士論文「日本外交の現代史的展開」により慶應義塾大学より博士(法学)の学位を授与された。 この間にコロンビア大学客席研究員(1964年-1965年)、同客員准教授(1973-1974年)、在香港総領事館特別研究員(1968-1969年)、ミシガン大学客員教授(1981年-1982年)などを務め、また2006年には慶應義塾大学創立150周年記念の一環として行われた「復活!慶應義塾の名講義」に登場するなど、慶應義塾大学を退官後も同大を代表する関係者の一人として活動している。
矢嶋 英敏(やじま ひでとし、1935年〈昭和10年〉1月2… 矢嶋 英敏(やじま ひでとし、1935年〈昭和10年〉1月25日 - 2021年〈令和3年〉7月7日)は、日本の防衛庁官僚、実業家。株式会社島津製作所元代表取締役社長、代表取締役会長、相談役。社団法人京都工業会会長、社団法人日本分析機器工業会会長、財団法人関西文化学術研究都市推進機構理事長、慶應義塾評議員を歴任。 1935年、群馬県前橋市に生まれる。東京学芸大学附属中学校、東京都立青山高等学校に学び、ラジオや野球に没頭した。東京大学理科二類(医学部)の受験に失敗し、慶應義塾大学文学部に入学。独文科に学び、野球部に入部するが当時の野球部は中田昌宏をはじめレベルが高く、3か月で退部する。大学4年時に米国の雑誌社に合格が決まるが、父の反対により辞退する。
山田 家正(やまだ いえまさ、1935年(昭和10年) - … 山田 家正(やまだ いえまさ、1935年(昭和10年) - )は、日本の植物生態学者・環境学者。理学博士(北海道大学)。北海道ユネスコ連絡協議会会長、元小樽商科大学学長・小樽商科大学名誉教授 東京都立青山高等学校卒。1959年(昭和34年)北海道大学理学部卒。1962年(昭和37年)大学院理学研究科修了。その後、小樽商科大学商学部講師として赴任。1979年(昭和54年)同商学部助教授、1979年(昭和54年)同商学部教授。小樽商科大学短期大学部長を経て、1992年(平成4年)第7代小樽商科大学学長に就任。2002年(平成14年)小樽商科大学学長退官。同名誉教授、北海道開拓記念館館長。北海道ユネスコ連絡協議会会長、北海道東海大学工学部非常勤講師(2002年-2008年) 生態や環境における研究が専門で、特に植物分類学・植物生態学を研究対象としている。
奥本 英一朗(おくもと えいいちろう、1934年3月4日 -… 奥本 英一朗(おくもと えいいちろう、1934年3月4日 - 2014年4月4日)は、株式会社大和総研顧問、元日本証券業協会会長。 東京都に生まれ、東京都立青山高等学校、早稲田大学第一政治経済学部経済学科を経て1957年に大和証券に入社する。同代表取締役副社長を経て1989年に株式会社大和総研代表取締役社長、1996年に代表取締役会長となる。2000年7月からは日本証券業協会会長を務めた。 このほか、日本銀行参与、政府税制調査会特別委員、特定非営利活動法人エイプロシス理事長を歴任し、早稲田大学ファイナンス稲門会会長として後進の指導にも取り組んだ。 2007年、旭日重光章を受章。2014年4月4日午後7時、前立腺癌のため東京都内の病院で死去。
小田 英郎(おだ ひでお、1933年3月30日 - )は、日… 小田 英郎(おだ ひでお、1933年3月30日 - )は、日本の政治学者。慶應義塾大学名誉教授。専門は、アフリカ政治。 東京都世田谷区生まれ。東京都立青山高等学校を経て、慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学。慶應義塾大学法学部教授、敬愛大学教授、同学長を歴任。
藤原 英司(ふじわら えいじ、1933年2月23日 - )は… 藤原 英司(ふじわら えいじ、1933年2月23日 - )は、日本の動物学者、翻訳家。
清成 忠男(きよなり ただお、1933年2月19日 - 20… 清成 忠男(きよなり ただお、1933年2月19日 - 2024年7月23日)は、日本の経営学者。日本ベンチャー学会特別顧問、人を大切にする経営学会顧問、地域活性学会会長、地域経済総合研究所評議員。専門は中小企業論。 法政大学総長・理事長、事業構想大学院大学学長を歴任した。東京都生まれ。
今井 重幸(いまい しげゆき、1933年1月4日 - 201… 今井 重幸(いまい しげゆき、1933年1月4日 - 2014年1月4日 )は、日本の現代音楽作曲家、舞台演出家、構成作家。別名にまんじ 敏幸(まんじ としゆき)、島 敏幸(しま としゆき)。 純音楽や歌曲の作曲活動だけでなく、映像音楽、劇音楽、舞踊音楽などにも多くの作品を残す一方、まんじ敏幸の別名で舞台・演劇の構成作家や演出を手がけ、劇団を創設した。さらに島敏幸のペンネームで歌曲の作詞をするなど、ジャンルを超えた幅広い芸術活動を精力的に展開してきた。その間、ヨネヤマ・ママコ、三条万里子、土方巽、小松原庸子らを指導し、世に送り出した。また、土方巽や“舞踏(BUTOH)”の命名者としても知られる。
村田 昭治(むらた しょうじ、1932年11月19日 - 2… 村田 昭治(むらた しょうじ、1932年11月19日 - 2015年4月16日)は、日本のマーケティング論の第一人者。商学博士。慶應義塾大学名誉教授。(財)社会経済生産性本部理事、同本部マーケティングソフト研究所所長、(社)日本マーケティング協会常任理事、日本商業学会理事、日本広告学会理事。
屋山 太郎(ややま たろう、1932年〈昭和7年〉6月4日 … 屋山 太郎(ややま たろう、1932年〈昭和7年〉6月4日 - 2024年〈令和6年〉4月9日)は、日本の政治評論家。コラムニスト。公益財団法人社会貢献支援財団理事、公益財団法人日本財団評議員、一般社団法人日本戦略研究フォーラム会長、国家基本問題研究所理事。 福岡県福岡市生まれ。父は鹿児島市の出身で、終戦の時期には鹿児島市で過ごす。東京都立青山高等学校、東北大学文学部仏文科卒業。学生時代は剣道部に所属していた。 1959年時事通信社入社。ローマ特派員、首相官邸キャップ、ジュネーヴ特派員、編集委員兼解説委員を歴任し、1987年退社。 1981年第2次臨時行政調査会(土光臨調)に参画、以後、第1次~第3次行政改革推進審議会専門委員、選挙制度審議会委員、臨時教育審議会専門委員を務めた。
岡部 達味(おかべ たつみ、1932年4月1日 - )は、日… 岡部 達味(おかべ たつみ、1932年4月1日 - )は、日本の政治学者。専門は、中国外交・中国政治。学位は、社会学博士(東京大学・1973年)。東京都立大学名誉教授。 東京都渋谷区出身。1951年東京都立青山高等学校卒業、1955年東京大学教養学部(国際関係論分科)卒業。1957年同大学院国際関係課程修士課程修了。1973年、東京大学より社会学博士の学位を取得。 1957年から1963年までNHK解説委員室に勤務、その後、国際基督教大学助手(1963-67年)を経て、東京都立大学法学部で専任講師(1967年)、同助教授(1968-75年)、同教授(1975-1995年)を歴任した(1984年から87年まで法学部長)。
姜 徳相(カン・ドクサン、강덕상、1932年2月15日 - … 姜 徳相(カン・ドクサン、강덕상、1932年2月15日 - 2021年6月12日)は、日本統治時代の朝鮮出身の歴史学者。朝鮮近現代史の第一人者の一人として知られる。専門は朝鮮独立運動。関東大震災時の朝鮮人虐殺の研究では先駆的な役割を果たした。一橋大学教授、滋賀県立大学名誉教授。国籍は韓国。 日本統治下の慶尚南道咸陽郡に生まれる。1934年12月、2歳のときに母に連れられて父のいる日本に渡った。親は廃品回収業を営み、東京都渋谷区の広尾で育った。1950年3月、東京都立青山高等学校卒業。同年4月、早稲田大学第一文学部史学科に入学。大学では中国史を勉強するサークルに所属した。1955年3月、早稲田大学卒業。
堂ノ脇 光朗(どうのわき みつろう、1932年2月14日 -… 堂ノ脇 光朗(どうのわき みつろう、1932年2月14日 - 2015年9月7日)は、特定非営利活動法人日本紛争予防センター会長。日本の元外交官。瑞宝重光章。 東京都に生まれ、東京都立青山高等学校、東京大学法学部を経て1954年に外務省に入省する。 駐ナイジェリア大使、軍縮会議日本政府代表部大使、駐メキシコ大使などを歴任し、1996年に外務省を辞職。その後、東海銀行(のち三菱東京UFJ銀行)顧問、国際連合事務総長軍事諮問委員会議長、日本予防外交センター副会長などを歴任し、2002年からは特定非営利活動法人日本予防外交センター副会長を務めている。公益財団法人日本国際フォーラム政策委員。
奥田 道大(おくだ みちひろ、1932年 - )は、日本の社… 奥田 道大(おくだ みちひろ、1932年 - )は、日本の社会学者。立教大学名誉教授。専門は、都市社会学。社会学博士。
岡田 光雄(おかだ みつお、1931年(昭和6年)10月28… 岡田 光雄(おかだ みつお、1931年(昭和6年)10月28日 - 2021年(令和3年)8月21日)は、日本のクイズ・パズル作家。筆名に岡田 話史がある。 東京都立青山高等学校を経て、神奈川大学法経学部を卒業。同時にクイズ・パズル作家となり、「楽しくなければクイズでない」を信条に、クロスワードパズル・漢字パズル・数学パズル・なぞなぞなど様々な分野の問題を作成している。 2021年8月21日、89歳で死去。
小池 滋(こいけ しげる、1931年7月15日- )は、日本… 小池 滋(こいけ しげる、1931年7月15日- )は、日本の英文学者、鉄道史研究家、東京都立大学名誉教授。
辻井 達一(つじい たついち、1931年4月22日 - 20… 辻井 達一(つじい たついち、1931年4月22日 - 2013年1月15日)は、日本の植物生態学者。学生の頃から湿原の調査に取り組んできた。北海道環境財団理事長、環境省ラムサール条約湿地検討会座長。 東京都生まれ。東京都立青山高等学校を経て、1954年北海道大学農学部卒業。理学博士。北海道大学農学部助教授、教授、同附属植物園長、北星学園大学教授を務めた。2012年瑞宝小綬章受章。同年、北海道新聞文化賞受賞。 2012年7月にルーマニアで開かれたラムサール条約締約国会議でラムサール賞を受賞、その帰国後に前立腺がんが見つかり入院。 2013年1月15日、死去。81歳没。
小池 朝雄(こいけ あさお、1931年〈昭和6年〉3月18日… 小池 朝雄(こいけ あさお、1931年〈昭和6年〉3月18日 - 1985年〈昭和60年〉3月23日)は、日本の俳優、声優、ナレーター。代表作のひとつである『刑事コロンボ』など、洋画・海外ドラマの吹き替えを担当した。アニメ『あしたのジョー』のエンディングテーマ「ジョーの子守唄」では歌手を務めた。 東京府豊多摩郡代々幡町(後の東京府東京市渋谷区、現:東京都渋谷区)出身。 学生時代から演劇活動にのめり込み、東京都立青山高等学校在学中は演劇部のキャプテンとして活躍した。 1950年(昭和25年)に文学座付属演劇研究所に入所。1951年の文学座アトリエ公演、飯沢匡・作『崑崙山の人々』にて初舞台を踏んだ。
明畠 高司(あけはた たかし、1931年2月25日 - 20… 明畠 高司(あけはた たかし、1931年2月25日 - 2023年9月[要出典])は、日本の化学工学者。東京工業大学名誉教授。元山口東京理科大学学長。元環境科学会会長。元日本学術会議会員。 1958年東京工業大学大学院修了、工学博士。有機性廃棄物のガス化研究を行い、廃棄物学会や環境科学会、プラスチックリサイクル化学研究会等の設立にもあたった。東京工業大学大学院総合理工学研究科教授、初代東京工業大学生命理工学部長を経て、東京工業大学名誉教授。1995年環境科学会会長。1999年山口東京理科大学学長、プラスチックリサイクル化学研究会会長。同年光反応工学および気液接触の反応装置工学に関する研究で化学工学会賞受賞。
谷川 和穂(たにかわ かずお、1930年7月21日 - )は… 谷川 和穂(たにかわ かずお、1930年7月21日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(12期)、法務大臣(第49代)、防衛庁長官(第41代)などを歴任した。「谷川和穂」の戸籍上の正式表記は旧字体の「穗」。
平岡 千之(ひらおか ちゆき、1930年(昭和5年)1月19… 平岡 千之(ひらおか ちゆき、1930年(昭和5年)1月19日 - 1996年(平成8年)1月9日)は、日本の外交官。作家三島由紀夫の弟。駐モロッコ特命全権大使、駐ポルトガル特命全権大使、赤坂迎賓館館長などを歴任した。位階は正三位。 1930年(昭和5年)1月19日、東京市四谷区永住町2番地(現・東京都新宿区四谷4丁目22番)に、父・平岡梓(農商務官僚)と母・倭文重(漢学者・橋健三の次女)との間に二男として生まれる。2歳上に、1928年(昭和3年)2月23日生まれの姉・美津子と、5歳上の1925年(大正14年)1月14日生まれの兄・公威がいた。千之の名は、祖父・平岡定太郎の恩人・江木千之に由来する。
大坪 檀(おおつぼ まゆみ、1929年4月13日 - )は、… 大坪 檀(おおつぼ まゆみ、1929年4月13日 - )は、日本の実業家、著述家、経営学者(マーケティング論・経営戦略論)。筆名は千尾 将(ちお まさる)。 学位はMaster of Business Administration(カリフォルニア大学ロサンゼルス校・1957年)。 静岡産業大学総合研究所所長(初代)、学校法人新静岡学園学園長(初代)・理事・顧問、一般財団法人ふじのくに医療城下町推進機構理事長(初代)、公益財団法人世界緑茶協会理事、静岡県立大学名誉教授。 ブリヂストンタイヤ株式会社での勤務を経て、株式会社ブリヂストン経営情報部部長、株式会社ブリヂストン宣伝部部長、静岡県立大学経営情報学部教授、静岡県立大学経営情報学部学部長(第4代)、静岡県立大学学長補佐、静岡産業大学国際情報学部教授、静岡産業大学学長(第2代)、学校法人第二静岡学園副理事長、学校法人新静岡学園理事長(第2代)などを歴任した。
宇津 徳治(うつ とくじ、1928年4月13日 - 2004… 宇津 徳治(うつ とくじ、1928年4月13日 - 2004年8月18日)は、日本の地震学者。東京市芝区(現東京都港区)生まれ。
鈴木 昭生(すずき しょうせい、1927年6月19日 - 2… 鈴木 昭生(すずき しょうせい、1927年6月19日 - 2009年8月18日)は、日本の男性俳優、声優。東京府(現:東京都)出身。 長男はムーンライダーズの鈴木慶一、次男は同じくムーンライダーズの鈴木博文。 東京都立青山高等学校卒業。日本大学専門部工科卒業。身長169cm、体重55kg。声域はバリトン。 1947年2月15日、劇団文化座入団。その後、九プロダクションに所属していた。 2004年に咽頭癌を患い、その後2006年に咽頭及び声帯切除により芸能活動を引退、治療に専念していたが、2009年8月18日、自宅にて心不全により死去。82歳没。
小杉 太一郎(こすぎ たいちろう、1927年6月6日 - 1… 小杉 太一郎(こすぎ たいちろう、1927年6月6日 - 1976年8月9日)は、日本の作曲家。宮城県石巻市出身。 父は俳優・映画監督の小杉勇。同じ伊福部昭門下の作曲家山内正は義兄(妻の兄)にあたる。 当初は獣医師を志望し、東京府立第十五中学校を経て麻布獣医専門学校(現 麻布大学)に進んだが、1949年、東京音楽学校作曲科に入学。池内友次郎に対位法と和声学を、伊福部昭に作曲と管弦楽法を学ぶ。 1952年、『六つの管楽器の為のコンチェルト』で第21回毎日音楽コンクール室内楽作曲部門第1位入賞を果たす。 東京音楽学校との方針の違いから辞任した伊福部を追って中退、多くの門下生と共に伊福部のアシスタントを務める。
松樹 路人(まつき ろじん、1927年1月16日 - 201… 松樹 路人(まつき ろじん、1927年1月16日 - 2017年12月19日)は、北海道出身の洋画家。本名は松樹路人(まつき みちと)。武蔵野美術大学名誉教授。 北海道留萌管内羽幌町に生まれた。小学校長であった父の転勤にともない、同網走管内留辺蘂町(現・北見市)・女満別町(現・大空町)で育つ。父の失職のため一家で東京に転居。 1944年に東京美術学校油画科に入学、梅原龍三郎の教室で学んだ。1950年に独立展に初入選し、同展への出品を続け、1960年に独立美術協会会員となる。1971年から武蔵野美術大学で学生を指導。 初期作品群は「赤の時代」と称される。褐色を中心に抑制された色彩と肉厚の絵具の使い方が特徴。
石井 裕(いしい ゆたか、7月23日生)は、東京都出身の作詞… 石井 裕(いしい ゆたか、7月23日生)は、東京都出身の作詞家、作曲家、ギタリスト。 東京都立青山高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業後、様々なアーティストのレコーディングやライブサポートを行う。使用しているミュージックシーケンサーはLogic Pro。レコーディングやサポートの傍ら自身のバンドGlowlampで活動中。ラーメンが好物。 貴水博之、喜多修平、生熊耕治(cune)、PROJECT~凛~、style-3!、高嶋英輔、真崎ゆか、mimika、片山遼、LANDFORCE、新村健三、SUTEMI、etc.