スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
松原 脩雄(まつばら しゅうお、1945年4月23日 - )… 松原 脩雄(まつばら しゅうお、1945年4月23日 - )は、日本の政治家。弁護士(奈良弁護士会所属 登録番号35054)。元衆議院議員(1期)。 疎開先の香川県に生まれる。1964年(昭和39年)、大阪府立大手前高等学校卒業後、現役で、東京大学法学部入学。全共闘運動に参加し、東大全共闘のメンバーとして、安田講堂にも立てこもった。安田講堂攻防戦で凶器準備集合罪などで逮捕、起訴された。1971年(昭和46年)、大学卒業。同年、司法試験に合格。安田講堂攻防戦の判決が、確定するまで弁護士登録ができず、国会議員秘書などを務める。 司法修習33期を経て、1981年(昭和56年)、弁護士登録。新人でありながら同期の弁護士と奈良総合法律事務所を設立。
安部 琢哉(あべ たくや、1945年 <昭和20年> 3月1… 安部 琢哉(あべ たくや、1945年 <昭和20年> 3月1日 - 2000年 <平成12年> 3月27日)は、日本の生態学者。亜熱帯、熱帯地域(主にマレーシア、ケニア、タイ、オーストラリア)のシロアリ調査研究を行った。理学博士(京都大学、1975年)。位階は従四位。勲三等瑞宝章。
中村 哲之助(なかむら てつのすけ、1945年 <昭和20年… 中村 哲之助(なかむら てつのすけ、1945年 <昭和20年> – 、)は、日本の政治家。民主党所属。大阪府議会議員(6期)、大阪府議会副議長、枚方市議会議員(6期)、枚方市議会議長を歴任。旭日中綬章受章者。 1945年生まれ。枚方市立蹉跎小学校、枚方市立第二中学校、大阪府立大手前高等学校を経て関西学院大学法学部卒業。 1971年 枚方市議会議員に初当選し、連続6期24年。この間、第38代議長にも就任。 1995年 (平成7年) 大阪府議会議員に初当選し、連続6期24年。2005年5月から1年間、第99代副議長を務めた。
下村 正彦(しもむら まさひこ、1944年7月22日 - 2… 下村 正彦(しもむら まさひこ、1944年7月22日 - 2023年2月17日)は日本の作曲家。 京都市出身。大阪府立大手前高等学校、東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。 神戸山手短期大学表現芸術学科教授を務めた。2015年4月より神戸山手短期大学名誉教授。 神戸芸術文化会議、神戸音楽家協会、作曲集団「たにしの会」各会員。神戸波の会理事、兵庫県音楽教室研究協議会役員。兵庫音楽活動推進会議福代表、兵庫県立美術館アートフュージョン実行員、神戸新聞文化財団評議員、東京芸術大学音楽学部同声会兵庫支部長なども努めた。 音楽教師であった父・下村米太郎(しもむら よねたろう)の影響で音楽を志す。東京芸術大学では池内友次郎に師事。
小林 哲也(こばやし てつや、1943年〈昭和18年〉11月… 小林 哲也(こばやし てつや、1943年〈昭和18年〉11月27日 - )は実業家。近鉄グループホールディングスの取締役相談役および近畿日本鉄道取締役(近鉄社長としては大阪電気軌道創立から15代目)。また、2004年(平成16年)をもって解散したプロ野球球団・大阪近鉄バファローズ最後の球団社長でもあった。 大阪府生まれ。1962年(昭和37年)大阪府立大手前高等学校を経て、1968年(昭和43年)早稲田大学政治経済学部(当時は第一政治経済学部)を卒業、近畿日本鉄道(近鉄)に入社。 上本町営業局及び天王寺営業局の各運輸部で勤務したあと、業務局営業課長を経て、1980年(昭和55年)に天王寺営業局運輸部営業課長兼企画課長に、1982年(昭和57年)には上本町営業局運輸部営業課長にそれぞれ就き、1992年(平成4年)に事務局部長、2000年(平成12年)に営業推進局長に就任。
横田 捷宏(よこた かつひろ 1942年1月11日-)は、日… 横田 捷宏(よこた かつひろ 1942年1月11日-)は、日本の通産官僚。日本銀行政策委員、中小企業金融公庫副総裁を歴任。義父は佐橋滋。 大阪府立大手前高等学校を経て、
山本 義隆(やまもと よしたか、1941年(昭和16年)12… 山本 義隆(やまもと よしたか、1941年(昭和16年)12月12日 - )は、日本の科学史家・自然哲学者・教育者。元学生運動家。駿台予備学校物理科講師。元・東大闘争全学共闘会議代表。妻は装幀家の山本美智代。東京大学大学院博士課程中退。 大阪府出身。大阪市立船場中学校、大阪府立大手前高等学校を経て、1960年(昭和35年)東京大学理科一類入学、1964年(昭和39年)東京大学理学部物理学科卒業。 その後、同大学院で素粒子論を専攻、京都大学基礎物理学研究所に国内留学する。秀才でならし、将来を嘱望されていたが、学生運動に没入した。学生運動の後は大学を去り、大学での研究生活に戻ることはなかった。 1960年代、東大ベトナム反戦会議の活動に携わり、東大全共闘議長を務める。
池田 幹幸(いけだ よしたか、「いけだ かんこう」とも、19… 池田 幹幸(いけだ よしたか、「いけだ かんこう」とも、1941年10月20日 - 2025年1月28日)は、日本の政治家。日本共産党参議院議員(1期)。日本共産党中央委員。 大阪府出身。大阪府立大手前高等学校を経て、1964年大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)中国語学科を卒業。野間友一衆議院議員(当時)の秘書を務めた後、1998年の第18回参議院議員通常選挙で比例区から立候補し初当選。 参議院議員在籍中は同院国会対策副委員長のほか、国民運動委員・中小企業局長などを歴任した。1期の任期のみで次期参院選には立候補しなかった。 2025年1月28日、心不全のため千葉県松戸市の病院で死去。83歳没。
横井 章(よこい あきら、1941年5月1日 - )は、日本… 横井 章(よこい あきら、1941年5月1日 - )は、日本の元ラグビー選手。 大阪府立大手前高等学校ではバスケットボール部で活動。早稲田大学(以下、早大)に進学後、早大ラグビー部に入部。早明戦は1年時より4年連続出場を果たした。 早大卒業後、三菱自動車工業京都(略称:三菱自工京都。後の、三菱自動車京都レッドエボリューションズ)に進み、1967年のニュージーランド学生代表クラブ(NZU)戦が日本代表としての初キャップ試合で、以後通算17キャップを獲得。1968年のニュージーランド遠征におけるオールブラックスジュニア戦(23-19で勝利)にも出場し、1トライを挙げた。また、1970年より5シーズン連続で日本代表の主将を務めた。
肥田 美代子(ひだ みよこ、1941年〈昭和16年〉3月1日… 肥田 美代子(ひだ みよこ、1941年〈昭和16年〉3月1日 - )は、日本の児童文学作家、政治家、薬剤師。大阪樟蔭女子大学教授、文字・活字文化推進機構理事長。衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)を歴任。 大阪府大阪市出身。大阪府立大手前高等学校を経て 1965年に大阪薬科大学卒業。1965年、白水貿易株式会社 歯科医療器入社。1975年、薬局開業。1979年に「先生しごいたる」で児童文学作家としてデビュー。1981年、川村たかし・那須正幹ら児童文学創作集団「亜空間」の結成に参加。 1989年の第15回参議院議員通常選挙において日本社会党公認で比例区より立候補し初当選。1991年、社会党シャドーキャビネット文化政務次官に就任。
森 詳介(もり しょうすけ、1940年〈昭和15年〉8月6日… 森 詳介(もり しょうすけ、1940年〈昭和15年〉8月6日- )は、日本の実業家。関西電力取締役会長を退任後に相談役となったが、森山栄治元福井県高浜町助役との間の金品受領・便宜供与問題で、八木誠、岩根茂樹と謀り隠蔽を主導したとして、特に大きな責任があると第三者委員会から指弾され辞任し、関西電力から1億7000万円の損害賠償請求訴訟を受けた。 1959年(昭和34年)大阪府立大手前高等学校を卒業。大手前高校では柔道の部活動を3年生の夏休みまで続けており、部活に指導に来た先輩が京都大学の柔道部員であり、京大に入学したいというよりも京大柔道部へ入りたくて京大へ進学した。 1963年3月に京都大学工学部電気工学科を卒業し、同年4月に関西電力株式会社に入社。
市口 順亮(いちぐち よしあき、1940年4月9日 - )は… 市口 順亮(いちぐち よしあき、1940年4月9日 - )は、日本の元ラグビー選手で、指導者。元京都大学ラグビー部監督、元新日本製鐵(新日鉄)釜石ラグビー部主将・監督・部長。 大阪府大阪市に生まれ、大手前高校を経て京都大学工学部に入学。身長175cmを超える、当時としてはかなり大型の選手で、FWとして活躍し、4年生次は主将を務める。大学時代の監督は星名秦。 1964年、大学を卒業して新日鉄の前身富士製鐵に入社し、同ラグビー部に入部。学生時代に星名に師事していた影響で、海外の最先端のラグビーに関する本に目を通していた市口は、1966年にラグビー部の副将となって、チームの指導の中心人物となった。そして1967年度主将、1968年には監督となって1970年度までチームの強化に努めた結果、1970年度には社会人大会で優勝を果たす。
立本 成文(たちもと なりふみ、旧姓前田、1940年 - )… 立本 成文(たちもと なりふみ、旧姓前田、1940年 - )は、日本の社会学者・文化人類学者。総合地球環境学研究所名誉教授・顧問、京都大学名誉教授。人間文化研究機構元機構長。 韓国釜山市出身。大阪府立大手前高等学校、1959年京都大学文学部哲学科を経て、1967年京都大学大学院文学研究科社会学専攻修士課程修了。1974年シカゴ大学よりPh.D.(人類学)の学位を取得。京都大学東南アジア研究センター(現:京都大学東南アジア地域研究研究所)助教授、教授を経て、1998年から2002年まで同所長を務めた。2002年より中部大学国際関係学部教授・学部長、2004年より同大学院国際人間学研究科教授・科長を歴任。
高 泰保(コウ・テボ、Ko Taebo、1939年7月25日… 高 泰保(コウ・テボ、Ko Taebo、1939年7月25日 - 没年不明)は、日本の農学博士。大阪市出身。国籍は韓国。京都大学農学部育種学研究、国際高麗学会科学技術部会委員長歴任。アジアに特には、中国、ロシア、北朝鮮における食料問題解決の研究を深めた人物である。 「国民にとって最も重要なもの。それは政治である。最高の科学技術も素晴らしい英知も国民のための政治の下で初めて真の意味をなす。」
大坪 清(おおつぼ きよし、1939年〈昭和14年〉3月15… 大坪 清(おおつぼ きよし、1939年〈昭和14年〉3月15日 - )は、日本の実業家。住友商事代表取締役副社長を経て、レンゴー代表取締役会長。関西経済連合会副会長、日本製紙連合会副会長、凌霜会理事長なども務めている。 大阪府豊中市生まれ。大阪府立大手前高等学校を経て、1962年(昭和37年)神戸大学経済学部卒業。住友商事に入社後「一番弱い分野」を希望し紙・パルプ課に入る。 兵庫県尼崎市にある摂津製紙(のちのセッツ。レンゴーと合併した)への出向を経て、1966年に扶桑紙業(のちの住商紙パルプ、現国際紙パルプ商事)専務取締役。 1988年マレーシアの住友商事クアラルンプール支店長。1992年(平成4年)取締役。
渡邉 興亞(わたなべ おきつぐ、1939年 - ) は、日本… 渡邉 興亞(わたなべ おきつぐ、1939年 - ) は、日本の雪氷学者。元国立極地研究所所長。元南極地域観測隊隊長。 1958年大阪府立大手前高等学校卒業、北海道大学入学。北海道大学理学部卒業後、北海道大学大学院を経て、1967年名古屋大学理学部助手。1973年名古屋大学水圏科学研究所助手。1975年国立防災科学技術センター雪害実験研究所第1研究室長。1977年名古屋大学水圏科学研究所助教授。1978年名古屋大学理学博士。1985年国立極地研究所研究系教授。1993年第35次南極地域観測隊隊長。1994年国立極地研究所北極圏環境研究センター教授。1998年総合研究大学院大学教授。2000年国立極地研究所所長。
坂東 昌子(ばんどう まさこ、1937年(昭和12年) - … 坂東 昌子(ばんどう まさこ、1937年(昭和12年) - )は、日本の物理学者。専門は、素粒子論・非線形物理。NPO法人知的人材ネットワーク・あいんしゅたいん理事長、京都大学基礎物理学研究所協力研究員、愛知大学名誉教授。理学博士。 京都大学・湯川秀樹研究室の出身。専門は素粒子論・非線形物理であるが、環境問題や科学教育、放射線リスクなど幅広く研究を進めている。 女性研究者や若手研究者の支援にも積極的に取り組み、2007年には日本物理学会で2人目の女性会長に就任。会長退任後も、日本物理学会にキャリア支援センターを設立して、初代センター長をつとめた。愛知大学を定年退職したのちはNPO法人を立ち上げ、女性研究者の地位向上、ポストドクター問題の改善、研究者間の更なる連携を目指して活動をおこなっている。
下重 暁子(しもじゅう あきこ、1936年〈昭和11年〉5月… 下重 暁子(しもじゅう あきこ、1936年〈昭和11年〉5月29日 - )は、日本の作家・評論家・エッセイスト。元NHKアナウンサー、JKA初代会長。 栃木県宇都宮市出身。「下重」は江戸時代、各地の御典医に多かった姓で、暁子の下重家は石見国浜田藩の御典医を代々勤めた。映画「戦場のメリークリスマス」の登場人物のモデルになった森勝衛は、父の従兄にあたる。 9歳の時に太平洋戦争の疎開先の奈良県で終戦を迎える。 教師の影響で、進学校の大阪府立大手前高等学校に進学。国語など文科系科目は得意なため、苦労したことはなく早稲田大学教育学部国語国文学科に進学した。芥川賞作家の黒田夏子は早大教育学部の同級生で同人誌仲間。
中島 章夫(なかじま あきお、1936年1月27日 - 20… 中島 章夫(なかじま あきお、1936年1月27日 - 2024年6月8日)は、日本の文部官僚、政治家。衆議院議員、参議院議員。大阪府枚方市出身。
福井 俊彦(ふくい としひこ、1935年9月7日 - )は、… 福井 俊彦(ふくい としひこ、1935年9月7日 - )は、日本の銀行家。一般財団法人キヤノングローバル戦略研究所理事長。 日本銀行副総裁、株式会社富士通総研理事長、社団法人経済同友会副代表幹事、第29代日本銀行総裁などを歴任した。 大阪府大阪市出身。東京大学法学部を卒業後、日本銀行プロパーの中で頭角を現し、早くから将来の総裁候補として嘱望されていた。1994年の副総裁就任によって、当時の大蔵省・日銀間のたすきがけ人事の慣行では次期総裁の座がほぼ約束されていたが、大蔵省接待汚職事件との関連で、日銀職員のノーパンしゃぶしゃぶ接待問題が明らかになり、日銀にも逮捕者が出たこと等から1998年辞職。その際、松下康雄総裁も同時に監督責任を問われ、辞任することとなった。
横井 久(よこい ひさし、1932年 - )は、日本の元ラグ… 横井 久(よこい ひさし、1932年 - )は、日本の元ラグビー選手及び元同監督。大阪府出身。 元ラグビー日本代表(以下、日本代表)選手の横井章は実弟。 旧制・大阪府立北野中学校(現 大阪府立北野高等学校)に入学し、新制・大阪府立大手前高等学校を卒業。その後、早稲田大学ラグビー部(以下、早大)に入部。ポジションは主にセンター(CTB)。3年時よりレギュラーの座を掴んだ。 大学卒業後、横河電機に進んだが、すぐに休職してニューヨーク大学に留学し、ニューヨークのラグビークラブ、マンハッタンクラブでプレーした。帰国後の1965年、早大監督に就任。矢部達三を主将に擁し、第2回全国大学ラグビーフットボール選手権大会を制して、早大初の大学選手権優勝をもたらした。
和氣 健二郎(わけ けんじろう、1932年〈昭和7年〉 - … 和氣 健二郎(わけ けんじろう、1932年〈昭和7年〉 - 2024年〈令和6年〉10月21日)は、日本の医学者。専門は組織学。東京医科歯科大学名誉教授。日本人として初めてヨーロッパ肝臓学会International Recognition Awardを受賞した。位階勲等は正四位瑞宝中綬章。 1952年(昭和27年)大阪府立大手前高等学校を卒業。1958年(昭和33年)大阪市立大学医学部を卒業。大阪市立大学大学院医学研究科へ進学後、第一解剖学の鈴木清教授に師事し、1963年(昭和38年)に大阪市立大学で医学博士の学位を取得した。 卒業後は、母校である大阪市立大学解剖学助教授を経て、1976年(昭和51年)より東京医科歯科大学医学部解剖学教授。
俵 萠子(たわら もえこ、1930年〈昭和5年〉12月7日 … 俵 萠子(たわら もえこ、1930年〈昭和5年〉12月7日 - 2008年〈平成20年〉11月27日)は、日本の評論家・エッセイスト。 建築家中野順次郎の子として、大阪府大阪市に生まれる。本名は中野萌子。 大阪府立大手前高等学校、大阪外国語大学フランス語学科を卒業。戦後、4年制大学卒の女性記者第1号として産経新聞社に入社。大阪文化部時代は司馬遼太郎と机を並べた。1965年に同社を退社し、以後、女性、家庭、老人、教育などを中心に据えて評論家として活動する。また東京・中野区の教育委員を務めたほか、国政進出を試みたこともあった。 1986年から陶芸を始め、1995年には群馬県勢多郡富士見村の赤城山に『俵萠子美術館』を設立。
西広 整輝(にしひろ せいき、1930年(昭和5年)6月24… 西広 整輝(にしひろ せいき、1930年(昭和5年)6月24日 - 1995年(平成7年)12月4日)は、日本の元防衛官僚。防衛事務次官、防衛庁防衛局長、山口県警察本部長、平和・安全保障研究所理事長を歴任。愛称は「ミスター防衛庁」。 父は内務官僚で官選宮崎県知事(1943年(昭和18年)7月1日~1944年(昭和19年)8月1日)や朝鮮総督府警務局長を歴任した西広忠雄。都城中学、新制大手前高校を経て、1956年東京大学文学部国史学科卒業。同年、防衛庁入庁。(プロパー組2期生)。 「ミスター防衛庁」と呼称され、生え抜き組(プロパー組)初の事務次官就任者。退官後も防衛庁生え抜き組の東大出身者のみを構成員とした「西広学校」が知られている。
山下 艶子(やました つやこ、旧姓:生田、1928年3月19… 山下 艶子(やました つやこ、旧姓:生田、1928年3月19日 - 2021年2月12日)は、日本のフィギュアスケート選手、コーチ。大阪府大阪市出身。大手前高等女学校(現・大阪府立大手前高等学校)、関西学院大学卒。155cm。長女は元フィギュアスケート選手で1968年グルノーブルオリンピック、1972年札幌オリンピック女子シングル日本代表の山下一美(現姓・大西)。 6歳のとき、大阪・中之島にあった朝日会館内のリンクで永井康三に師事し、スケートを始めた。 1938-1939年と1939-1940年シーズンの全日本フィギュアスケートジュニア選手権で2連覇を果たし、1940-1941年の全日本フィギュアスケート選手権で3位となった。
佐々木 静子(ささき しずこ、1926年〈大正15年〉8月2… 佐々木 静子(ささき しずこ、1926年〈大正15年〉8月27日 - 2018年〈平成30年〉7月19日)は、日本の弁護士、政治家。関西地方初の女性弁護士である。参議院議員を1期務めた。伊藤俊介 (政治家)の孫。 大阪市小松原町生まれ。父は弁護士で松島遊郭事件を担当した田村堅三。1944年(昭和19年)、大阪府立大手前高等女学校卒業。同年、18歳で旧海軍省官僚と結婚した。夫は仕事のため東京、静子は夫の両親の住む和歌山市和歌浦で暮らした。 終戦後、京都大学工学部の研究者となった夫ともに京都で暮らし始めたが、夫が公職追放のため栗本鉄工所に転職し、大阪に転居し、1948年に長女を出産。司法試験の受験を志し、受験資格を得るために子育ての傍ら1950年に大阪女子大学に入学した。
清水 好子(しみず よしこ、1921年6月8日 - 2004… 清水 好子(しみず よしこ、1921年6月8日 - 2004年12月10日)は、日本の国文学者。専門は平安文学、主に『源氏物語』について研究した。夫は万葉学者で京都女子大学名誉教授の清水克彦。 大阪府大阪市生まれ。大阪府立大手前高等女学校卒、1942年奈良女子高等師範学校卒、天王寺高等女学校教諭。1944年東北帝国大学文学部国文科に入学、1946年中退して京都帝国大学文学部国文科に転じ、1949年卒業、同大学大学院に入学。1952年京都府立桂高等学校教諭、1956年退職。京都学芸大学や京都大学、同志社大学の非常勤講師を経て、1965年金蘭短期大学助教授。1967年関西大学文学部専任講師、1968年同助教授、1971年同教授。
桂 信子(かつら のぶこ、1914年11月1日 - 2004… 桂 信子(かつら のぶこ、1914年11月1日 - 2004年12月16日)は、日本の俳人。日野草城に師事。「旗艦」「青玄」などを経て「草苑」を創刊・主宰。本名は丹羽信子(にわのぶこ)。大阪市出身。1980年代以降は箕面市の自宅で過ごした。 大阪府大阪市東区八軒家に生まれる。大阪府立大手前高等女学校卒業。1934年、日野草城の「ミヤコ・ホテル」連作に感銘を受け、翌年より句作を開始。どこにも投句しなかったが、1938年、草城主宰の「旗艦」を知り投句。1939年、桂七十七郎と結婚。1941年、「旗艦」同人。同年、夫が喘息の発作のため急逝、以後会社員として自活する。 1946年「太陽系」創刊に参加、草城主宰の「アカシヤ」同人。
湯川 スミ(ゆかわ すみ、1910年(明治43年)4月25日… 湯川 スミ(ゆかわ すみ、1910年(明治43年)4月25日 - 2006年(平成18年)5月14日)は、日本の女性。本名は湯川 澄子(ゆかわ すみこ)。日本人初のノーベル賞受賞者湯川秀樹の妻。世界連邦運動協会名誉会長、世界連邦全国婦人協議会会長、WFM名誉会長、世界連邦京都婦人の会会長。
飯田 しづえ(いいだ しづえ、1909年11月10日 - 2… 飯田 しづえ(いいだ しづえ、1909年11月10日 - 2003年3月30日)は、日本の政治家、市民活動家。大阪府内初の女性市議会議員として、1955年から7期、無所属の豊中市議会議員を務めた。 大阪府大阪市出身。大阪市電の車輌課の技手だった父松田信八、母志なの長女として生まれる。母方の姓である「中村」を継いで祖父の養女となった。1922年、大阪府立梅田高等女学校(1923年に移転し大手前高等女学校と改称)に入学、当時は女子が小学校を卒業して女学校へ行くことは珍しかったが、勉強好きの母の「受けるだけ受けさせてみたら」の一言で受験がかなったという。 女学校在学中に、新教育運動の流れをくむ国語教師や英語教師の影響を受けて映画や芝居に興味を持ち、次第に社会主義思想にも関心を寄せるようになった。
北村 兼子(きたむら かねこ、1903年〈明治36年〉11月… 北村 兼子(きたむら かねこ、1903年〈明治36年〉11月26日 - 1931年〈昭和6年〉7月26日 )は、大阪生まれのジャーナリスト。女性の権利運動に関心を寄せて執筆をする。日本飛行学校に入学、パイロット資格を取りヨーロッパ訪問飛行を志すが病いで果たせなかった。 漢学者北村佳逸と勝野の長女として生まれる。梅田高等女学校(現大阪府立大手前高等学校)を終えて大阪外国語学校(現大阪大学外国語学部)を卒業後、1923(大正12)年10月より関西大学法学部法学科にて聴講生としてドイツ法学を学ぶ。同校初の女子学生である。大学在学中に22歳で大阪朝日新聞記者として勤め始める。昭和初期、正岡容とレコードを吹き込むなどし、三上於菟吉との艶聞も流れた。
後藤 郁子(ごとう いくこ、1903年 - 1996年)は、… 後藤 郁子(ごとう いくこ、1903年 - 1996年)は、日本のプロレタリア・ロマン派詩人。戸籍名は内野郁子。旧姓の後藤がペンネームとなっている。夫は内野健児(ペンネーム:新井徹)。夫と、当時、日本統治下の朝鮮における民族差別を目の当たりにしたことと、治安維持法の名の下に、文芸等文化活動の検閲などによる弾圧を知る。しかし、そんな社会状況の中での詩作活動等を継続、プロレタリア詩誌『詩精神』に代表される幾つかの詩誌編纂に携わった。 後藤郁子は、栃木県上都賀郡足尾字小滝にて、鉱山技師の父愛五郎と母みつの長女として、1903年(明治36年)6月に誕生した。幼い頃より書画や琴などを好み、稽古する環境にあった。
寿岳 しづ(じゅがく しづ、1901年〈明治34年〉10月2… 寿岳 しづ(じゅがく しづ、1901年〈明治34年〉10月23日 - 1981年〈昭和56年〉6月27日)は、日本の英文学者、随筆家。 大阪市生まれ。旧本名・岩橋 静子。梅田高等女学校中退。 日本ライトハウスの創始者で愛育事業を行った岩橋武夫の妹。兄武夫が早稲田大学在学中に失明し関西学院に転じたため、兄の杖がわりとなって一緒に通学、ノートをとるなどして助けた。1923年に英文学者・寿岳文章と結婚。1927年に小説『朝』を発表した後、1933年に居を京都府乙訓郡向日町(現・同府向日市)に移した。1937年、ウィリアム・ハドソンの『はるかな国・とほい昔』を翻訳するなど、文筆活動に活躍。 文章とともに和紙の研究を行い、1943年に共著『紙漉村旅日記』を私家版で刊行。
美川 きよ(みかわ きよ、女性、1900年9月28日 - 1… 美川 きよ(みかわ きよ、女性、1900年9月28日 - 1987年7月2日)は、日本の小説家。 神奈川県出身。大阪府立大手前高等女学校(後の大阪府立大手前高等学校)卒。本名は鳥海清子。 大正15年(1926年)『三田文学』に「デリケート時代」を発表。昭和5年(1930年)以降「父の恋愛」など女性心理をえがく短編を手がける。画家の鳥海青児と結婚。
矢沢 孝子(やざわ たかこ、1877年(明治10年)5月6日… 矢沢 孝子(やざわ たかこ、1877年(明治10年)5月6日 - 1956年(昭和31年)4月13日)は、日本の女流歌人である。本名はたか。 兵庫県の篠山町(現在の丹波篠山市)にて、篠山藩士だった矢沢一貫とその妻のてるとの間に長女として生まれた。幼くして父から漢詩や和歌を学び、大阪府立堂島高等女学校(現在の大阪府立大手前高等学校)に入学する。その後中退し、1893年(明治26年)に留学のため上海に移住し、東洋学館にて英語等を学んだ。その後帰国し、1896年(明治29年)には20歳の若さで妻の父の次男と結婚した後に小学校の教員として活動する。 教職を引退した直後に新潮社に入社し、自身が詠んだ歌を同社が出版する「スバル」に寄稿し発表した。
村田 絵理(むらた えり、12月5日 - )は、日本の女性歌… 村田 絵理(むらた えり、12月5日 - )は、日本の女性歌手、ファッションモデル。 大阪市で生まれる。幼少期よりピアノを習い、それと同時に音楽に関わる仕事がしたいという夢を抱く。芸能プロダクションに所属し、高校時代から作詞を始める。大阪府立大手前高等学校卒業。奈良教育大学時代には自身で作詞・作曲した曲を制作し、バンド活動を始める。大学卒業後、ボーカルレッスンを受けなおし、本格的に音楽活動をスタートさせる。 その他、様々なライブハウスやレストラン出演、イベント出演で、全200本以上のライブを行ってきた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
亀井 登志夫(かめい としお)は、奈良県生まれ大阪府出身の作… 亀井 登志夫(かめい としお)は、奈良県生まれ大阪府出身の作曲家、音楽プロデューサー。 大阪府立大手前高等学校、早稲田大学文学部演劇科卒業。同大学在学中からキングレコードと契約しプロとしての音楽活動を開始する。また同大学生であった作詞家の康珍化と出会い、彼からユニット・TRUSTの作詞を担当してもらう。亀井は作曲・ヴァイオリン・ギター・歌唱。TRUSTは後楽園音楽祭に出演し、楽曲「ダンス」でグランプリを獲得。キングレコードからデビューし、アルバム1枚、シングル2枚をリリース。同時に劇伴・映像のための作曲も開始。以来、作曲家として山下久美子、松田聖子、渡辺美里、髙橋真梨子、斉藤由貴、夏川りみ等、数多の歌手に楽曲提供。
吉村庄平 (100009227014625) - Faceb… 吉村庄平 (100009227014625) - Facebook
宮島 一彦 は、日本の科学史家(東アジア天文学史)。元同志社… 宮島 一彦 は、日本の科学史家(東アジア天文学史)。元同志社大学理工学研究所教授。中之島科学研究所研究員。東亜天文学会理事。
葦城 まこと(あじろ まこと)とは元宝塚歌劇団月組副組長。大… 葦城 まこと(あじろ まこと)とは元宝塚歌劇団月組副組長。大阪府大阪市出身。大手前高等女学校出身。宝塚時代の愛称はしもさん。 1937年、宝塚歌劇団に27期生として入団。初舞台公園演目は『桃花春』であった。 1951年?から1952年?まで月組副組長を務める。 1954年、宝塚歌劇団を退団。
谷崎 光(たにざき ひかり)は、日本の作家。著書は『中国てな… 谷崎 光(たにざき ひかり)は、日本の作家。著書は『中国てなもんや商社』や『北京大学てなもんや留学記』、『日本人の値段 ― 中国に買われたエリート技術者たち』など。デビュー作の『中国てなもんや商社』は1998年に松竹で「てなもんや商社」として映画化された。2020年時点で北京在住20年。 京都府に生まれ、大阪府で育つ。。大阪府立大手前高等学校出身。高校時代は作家志望で、交換日記をしたり、授業中に手紙を書いたりしていたという。卒業時、日本大学芸術学部文藝学科に合格するも家族の反対で断念。進学した神戸の女子大の国文学科を中退し、京都芸術短期大学造形芸術学科で染織コースを卒業卒業時は繭からの糸引き、藍建、絣、染織をすべて自分でやった藍染紬織の着物で学長賞を受賞している。
辻 恵 は、日本の政治家、弁護士、弁理士。
中田 厚仁 は、国際連合ボランティア(UNV)。1993年に… 中田 厚仁 は、国際連合ボランティア(UNV)。1993年に国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が実施した1993年カンボジア総選挙の選挙監視員として活動中に殺害された。大阪府東大阪市出身。大阪大学法学部卒業。父は国連ボランティア終身名誉大使の中田武仁。
三好 誠(みよし まこと)は日本のギタリスト、作曲家、編曲家… 三好 誠(みよし まこと)は日本のギタリスト、作曲家、編曲家。大阪府大阪市出身。大阪府立大手前高等学校、関西大学商学部卒業。
高原 勇巳(たかはら いさみ )は、日本の経営者。学習塾「馬… 高原 勇巳(たかはら いさみ )は、日本の経営者。学習塾「馬渕教室」運営の株式会社ウィルウェイの代表取締役社長。 大阪市城東区出身。1983年(昭和58年)大阪府立大手前高等学校を卒業。その後に入った大学を辞め、大阪外国語大学(大阪大学外国語学部)に入学し直し卒業。30歳の時に大手学習塾に就職したが辞め、「馬渕教室」に再就職した。 大手前高校時代のクラブ活動はサッカー部。学生時代アルバイトで塾の講師を務めていたことから、就職先に塾業界を選択。大手の塾だったが、イメージしていた通りではなく「期待はずれだった」ため、馬渕教室に再就職した。 当時、馬渕教室は規模的には小さな塾だったが、著名な講師が数多くいて、地元北河内地方の枚方市や寝屋川市ではトップ高校への合格実績も圧倒的な“名門”として有名で、「ここなら、自分も教師としてきっと成長できる」と思い応募した。