池高 聖(いけたか さとし 1931年4月8日 -2022 … 池高 聖(いけたか さとし 1931年4月8日 -2022 年1月20日)は、山口県周南市の徳山大学を経営する学校法人徳山教育財団理事長。元東洋鋼鈑株式会社専務取締役兼下松工場工場長。北九州市小倉北区出身。2022年1月20日午前6時01分誤嚥性肺炎で死去。
福岡県立小倉高等学校:136人
池高 聖(いけたか さとし 1931年4月8日 -2022 … 池高 聖(いけたか さとし 1931年4月8日 -2022 年1月20日)は、山口県周南市の徳山大学を経営する学校法人徳山教育財団理事長。元東洋鋼鈑株式会社専務取締役兼下松工場工場長。北九州市小倉北区出身。2022年1月20日午前6時01分誤嚥性肺炎で死去。
髙久 史麿(たかく ふみまろ、1931年2月11日 - 20… 髙久 史麿(たかく ふみまろ、1931年2月11日 - 2022年3月24日)は、日本の医師。内科医。前自治医科大学学長。東京大学名誉教授。地域医療振興協会会長。医学博士。位階は従三位。 1931年、日本人の両親の間に日本統治時代の朝鮮釜山に生まれる。父は朝鮮総督府の役人であった。 1947年、福岡県小倉中学校4年修了。1950年、第五高等学校理科甲類卒業後、東京大学医学部医学科に進学、1954年卒業。1960年論文「赤血球内遊離プロトポルフィリン」により、東京大学医学博士。 群馬大学医学部助手、東京大学医学部助手、シカゴ大学留学などを経て、1972年から自治医科大学内科教授。1982年より、小坂樹徳の後任として東京大学医学部第三内科教授。
高久 史麿(たかく ふみまろ、1931年2月11日 - )は… 高久 史麿(たかく ふみまろ、1931年2月11日 - )は、日本の医師。内科医。前自治医科大学学長。東京大学名誉教授。地域医療振興協会会長。医学博士。2004年から日本医学会第6代会長を務める。
福嶋 一雄(ふくしま かずお、1931年1月6日 - )は、… 福嶋 一雄(ふくしま かずお、1931年1月6日 - )は、日本の野球選手(投手)。1940年代から1950年代にかけてアマチュア野球でプレーした。
杉山 邦博(すぎやま くにひろ、1930年〈昭和5年〉10月… 杉山 邦博(すぎやま くにひろ、1930年〈昭和5年〉10月19日 - )は、元NHKのエグゼクティブアナウンサーで日本福祉大学生涯学習センター長・客員教授、中京大学体育学部大学院非常勤講師。東京相撲記者クラブ会友、相撲ジャーナリスト。福岡県出身。実弟は教育学の研究で知られ元日本教育学会会長の堀尾輝久東大名誉教授。 1930年、福岡県小倉市(現・北九州市)生まれ。熊本陸軍幼年学校、福岡県立小倉高等学校、早稲田大学文学部を経て、1953年、NHKに入局。初任地は名古屋局で、この時の上司(放送部長)が1933年の1月場所から大相撲実況をしていた山本照だった。スポーツ実況のアナウンサーとして進むことを希望していた杉山にとって、この時の出会いが、子どもの頃にラジオで聞いて憧れた大相撲実況への道に進む端緒となり、自身初の大相撲実況は、1954年2月に金山体育館で行われた大相撲名古屋準本場所だった。
原 勝彦(はら かつひこ、1930年6月3日 - )は、福岡… 原 勝彦(はら かつひこ、1930年6月3日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(捕手)。
中村 爲昭(なかむら ためあき、1930年2月5日 - )は… 中村 爲昭(なかむら ためあき、1930年2月5日 - )は、日本の経営者。住友金属工業社長を務めた。 福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)出身。1947年に旧制小倉中学校卒業。熊本大学工学部を経て、1955年に京都大学大学院工学部を修了し、同年に住友金属工業に入社。 小倉製鉄所所長、取締役、常務、鹿島製鉄所所長、専務を経て、1992年6月から1996年6月までに社長を務め、1996年6月から1998年6月までに副会長を務めた。社長在任時には、円高に対応して、人員削減を中心としたリストラを実施した。また、鹿島製鉄所所長在任時には新宮康男とともに住友金属工業蹴球団をJリーグに参加するために地域自治体への陳情活動を行っていた。
末吉 俊信(すえよし としのぶ、1927年2月11日 - 2… 末吉 俊信(すえよし としのぶ、1927年2月11日 - 2016年2月24日)は、元プロ野球選手。ポジションは投手。サイドスローでカーブやシュートを得意とした。
木本 元敬(きもと げんけい、1920年(大正9年)2月22… 木本 元敬(きもと げんけい、1920年(大正9年)2月22日 - 2014年(平成26年)9月12日)は、日本の実業家。西日本鉄道第11代社長(1981年 - 1985年)を務めた。 福岡県小倉市(現北九州市)出身。医師の三男。福岡県立小倉高等学校を経て京都帝国大学を繰上げ卒業し、1942年(昭和17年)に西鉄の前身となる九州電気軌道に入社するも、まもなく太平洋戦争で陸軍の歩兵部隊に応召。フィリピン戦線でレイテ島の隣島の独立守備大隊長(少尉)を務めたが、足を負傷したため部隊を離脱。部隊はその後全滅し、九死に一生を得た。この経験から「私は一度無くしたはずの命を与えられた」と言って、西鉄や地域の発展に尽くすことを自らに課し、仕事に打ち込んだという。
樋口 隆康(ひぐち たかやす、1919年6月1日 - 201… 樋口 隆康(ひぐち たかやす、1919年6月1日 - 2015年4月2日)は、日本の考古学者。京都大学名誉教授。文学博士(京都大学・1962年)。 福岡県田川郡添田町に生まれる。小倉中学校、第一高等学校を経て、1943年京都帝国大学文学部史学科卒。 1957年京都大学文学部助教授、同年より敦煌を調査。1959年以降、京都大学学術調査隊に参加してインド、アフガニスタン、パキスタンなどの仏教遺跡を調査。1975年教授。1983年定年退官、名誉教授。泉屋博古館館長、奈良県立橿原考古学研究所長。なら・シルクロード博覧会・総合プロデューサー代行、シルクロード学研究センター所長、京都府埋蔵文化財調査研究センター理事長を歴任。
宗 左近(そう さこん、1919年5月1日 - 2006年6… 宗 左近(そう さこん、1919年5月1日 - 2006年6月20日)は、日本の詩人・評論家・仏文学者・翻訳家。本名は古賀 照一(こが てるいち)。法政大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。 福岡県遠賀郡戸畑町(後の北九州市戸畑区)に生まれる。天籟寺小学校、戸畑小学校、宮崎第二小学校、宮崎中学(現・宮崎県立宮崎大宮高等学校)、小倉中学(現・福岡県立小倉高等学校)を経て上京。旧制一高を卒業後、1942年、東京帝国大学哲学科に入学した。1945年4月、召集により横須賀海兵隊に入隊したが、精神錯乱を装い除隊というエピソードもある。 同年5月25日の東京大空襲により、母を亡くす。母と一緒に逃げ込んだ墓地の中で炎に取り囲まれた彼が「炎の一本道」(『絆――ドキュメント・わが母』)を通って脱出しようと走り去った時、母が転倒。
村井 勉(むらい つとむ、1918年3月31日 - 2008… 村井 勉(むらい つとむ、1918年3月31日 - 2008年10月31日)は、日本の実業家。アサヒビール代表取締役社長、東洋工業(現:マツダ)代表取締役副社長、住友銀行(現:三井住友銀行)代表取締役副頭取、JR西日本代表取締役会長等を歴任した。1988年勲二等旭日重光章受章。 福岡県小倉市堺町(現:北九州市小倉北区)で円応寺住職の二男として生まれ、その後村井家に養子に出された。旧制小倉中学(現:福岡県立小倉高等学校)を経て、1942年9月、戦時中の半年繰り上げで東京商科大学(現:一橋大学)を卒業。当時の住友グループにおける一括採用試験に合格。内定者面接にて、「銀行に行くのが嫌な人は手を挙げなさい」と言われ挙手したにも関わらず住友銀への配属となるが、出社することなく召集となり10月に小倉歩兵連隊に入隊。
板倉光馬(いたくら みつま、1912年(大正元年)11月18… 板倉光馬(いたくら みつま、1912年(大正元年)11月18日 - 2005年(平成17年)10月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少佐。福岡県小倉市(現、北九州市)出身。 3人兄弟の次男。当初は画家を志していたが、関門海峡を通過する聯合艦隊の美しさに魅せられ、海軍兵学校に志望を変更したという。旧制福岡県立小倉中学校より海軍兵学校の第61期に入校した。卒業席次は116名中7位。少尉候補生時代には問題児として名を馳せ、遠洋航海時には始末書を8枚という記録を作った。一方では、誰もが調査を諦めた訓練時のトラブルの原因を、根気よく調べ続けてついにつきとめるといった功績も残している。 1935年(昭和10年)少尉任官。
入矢 義高(いりや よしたか、1910年(明治43年)12月… 入矢 義高(いりや よしたか、1910年(明治43年)12月13日 - 1998年(平成10年)6月30日)は、日本の中国文学者。中国禅を中心とした仏教学者。専門は中国古典文学。学位は、文学博士。名古屋大学名誉教授、京都大学名誉教授。日本学士院会員。正四位勲二等瑞宝章。 1910年、鹿児島県鹿児島市で英語教師・入矢祐雲の長男として生まれた。1928年、福岡県立小倉中学校を卒業。1932年に福岡高等学校を卒業し、京都帝国大学に進学。ドイツ文学を専攻したいと考えていたが、父の意向で中国文学へと転向し、倉石武四郎の指導を受けた。1936年、京都大学文学部文学科を卒業。 卒業後は、広島県立中学(旧制)の教員となり、県立呉第一中学校に勤務。
光石 介太郎(みついし かいたろう、1910年 6月9日 -… 光石 介太郎(みついし かいたろう、1910年 6月9日 - 1984年2月20日)は、日本の小説家、推理作家。福岡県生まれ。『新青年』や『ぷろふいる』などの雑誌に発表した怪奇幻想ものの探偵小説で知られる。 本名は光石太郎(みついし たろう)。探偵作家としてのペンネームは、「光石介太郎」以外に、鶏山文作(とりやま ぶんさく)、雞山稲平(とりやま いなへい)がある。純文学を志してからは、青砥一二郎(あおと いちじろう)というペンネームも使用したが、晩年には光石介太郎名義を再び使用している。 1910年6月9日、福岡に生まれる。二卵性双生児であり、もう一人は女の子だった。父は鐘淵紡績(後のカネボウ)の取締役や南米拓殖株式会社の社長などを歴任した福原八郎 だが、介太郎は生まれてすぐに岡山に住む遠縁の光石家へ養子に出され、看護婦だった独身の養母のもとで育った。
亀井 光(かめい ひかる、1909年(明治42年)1月1日 … 亀井 光(かめい ひかる、1909年(明治42年)1月1日 - 1986年(昭和61年)9月26日)は、日本の内務・労働官僚、政治家。参議院議員(1期、自由民主党)、福岡県知事(第6代-第9代)。陸軍司政官。 自由民主党元衆議院議員の太田誠一は女婿。 福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)古船場町出身。藤吉の三男。 旧制小倉中学、旧制福岡高等学校を経て、1935年(昭和10年)東京帝国大学法学部卒業。内務省に入省。社会局属。労働省労働基準局長、労政局長などを歴任し、1960年(昭和35年)労働事務次官。1962年(昭和37年)参議院議員に当選、大蔵政務次官をつとめた。 1967年(昭和42年)4月、保守・中道統一候補として福岡県知事選挙に出馬し当選。
柳田 桃太郎(やなぎだ ももたろう、1907年(明治40年)… 柳田 桃太郎(やなぎだ ももたろう、1907年(明治40年)2月13日 - 2004年(平成16年)8月8日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)、門司市長。 福岡県門司市大字畑(現北九州市門司区畑)で、農業・柳田春太郎、ミチ夫妻の三男として生まれる。福岡県立小倉中学校を経て、1928年、長崎高等商業学校を卒業。 1928年、大連市の国際運輸(株)に入社。1933年、満洲国官吏に転じ、ハルビン市、国務院官需局、同興農部、同経済部で勤務し、地方行政、農林行政、鉱山行政担当の部課長を歴任した。 1946年、満洲から引揚げて、故郷で農業を営む。農業協同組合理事を経て、1949年、中央経済調査庁に入庁し、監査部の部課長を務めた。
火野 葦平(ひの あしへい、1907年〈明治40年〉1月25… 火野 葦平(ひの あしへい、1907年〈明治40年〉1月25日 - 1960年〈昭和35年〉1月24日)は、日本の昭和戦前・戦後期の小説家。本名:玉井 勝則。 早くから文学を志し、早大在学中『街』の創刊に参加。労働運動に参加するも検挙され転向した。日中戦争応召中に『糞尿譚』が芥川賞を受賞。次いで『麦と兵隊』以下3部作が評判を呼んで、兵隊作家としてマスコミの寵児となった。そのため、戦後は戦犯作家として指弾される。その後、筆力を揮って再び活躍したが、睡眠薬を用いて自殺した。甥にアフガニスタンで亡くなった医師の中村哲、Jリーグ・ギラヴァンツ北九州を運営する株式会社ギラヴァンツ北九州取締役会長の玉井行人がいる。
榎園 喜徳(えのきぞの よしのり、1906年(明治39年)2… 榎園 喜徳(えのきぞの よしのり、1906年(明治39年)2月22日 - 1969年(昭和44年)12月25日)は、日本の法学者。元八幡大学教授(労働法)。福岡県八幡市出身。 福岡県立小倉中学校卒業後、八幡製鐵入社。1925年(大正14年)八幡製鐵退社後、法政大学予科入学、フランス文学専攻。父親死去のため中退し帰郷。再度八幡製鐵入社。その後九州法学校(後の九州国際大学)入学。大澤章、宇賀田順三に師事。1933年(昭和8年)在学中に高等文官行政科試験合格。1934年(昭和9年)九州法学校卒業。1942年(昭和17年)、朝鮮の兼二浦製鉄所労務課長に就任。1946年(昭和21年)帰国後、戸畑専門学校奉職。
末松 保和(すえまつ やすかず、1904年(明治37年)8月… 末松 保和(すえまつ やすかず、1904年(明治37年)8月20日 - 1992年(平成4年)4月10日)は、日本の歴史学者。学習院大学名誉教授。文学博士。専門は朝鮮史。 1904年(明治37年)、福岡県田川郡弓削田村(のち田川市)生まれ。福岡県立小倉中学校・佐賀高等学校文科甲類を経て、東京帝国大学文学部国史学科に入学。1927年に卒業した。 卒業後は朝鮮総督府朝鮮史編修会に修史官として勤務。『朝鮮史』などの編修事業に従事し、1933年から京城帝国大学法文学部助教授を経て、1939年に同教授に昇格した。 敗戦にともない引上げ帰国。1947年に学習院教授に招聘され、1949年学習院大学開学とともに文政学部教授に就いた。
秋山 清(あきやま きよし、1904年4月20日 - 198… 秋山 清(あきやま きよし、1904年4月20日 - 1988年11月14日)は、福岡県小倉市(現・北九州市)出身の詩人、アナキスト。終戦まで局(つぼね)清のペンネームを用いる。 1904年、福岡県小倉市(現・北九州市)で生まれる。小倉中学(現・県立小倉高)を経て日本大学中退。1924年創刊のアナーキズム系の詩誌『詩戦行』に参加。1930年、小野十三郎と『弾道』創刊。第二次世界大戦後、1946年、金子光晴、岡本潤、小野十三郎とともに詩誌『コスモス』を創刊。アナキスト連盟や新日本文学会常任委員の活動のかたわら、『新日本文学』、『現代詩』に詩や評論を発表。詩史や自伝、作家論などの著作も多い。
吉田 秀雄(よしだ ひでお、1903年11月9日 - 196… 吉田 秀雄(よしだ ひでお、1903年11月9日 - 1963年1月27日)は、日本の実業家。電通の経営者で、「鬼十則」を作るなど広告の鬼と呼ばれていた。 1903年(明治36年)渡辺勝五郎の次男として、福岡県小倉市(現・北九州市)に生まれる。勝五郎は市内の鉄工所で働いていたが、秀雄が小学校に上がるころに解雇されてしまう。そこで父は家族のことを考え、1910年(明治43年)、単身台湾に渡ることを決意する。翌年、母親サトは幼い子供を連れて勝五郎に続く。秀雄は小学校2年生、兄は小学4年生、妹は5歳と3歳のときであった。しかし、生活が向上することはなく、1913年(大正2年)、勝五郎一人を残して再び小倉に戻る。
安川 寛(やすかわ ひろし、1903年1月12日 - 199… 安川 寛(やすかわ ひろし、1903年1月12日 - 1999年2月18日)は、日本の経営者、工学博士。安川電機社長、会長を務めた。福岡県北九州市出身。 旧制小倉中学校を経て、1927年に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、1934年に東京帝国大学大学院を修了。東京大学で講師、航空研究所嘱託として勤務し、1936年に安川電機製作所取締役に就任。1944年に社長に就任し、1972年に会長を経て、1985年に名誉顧問に就任。 北九州商工会議所会頭、福岡大学理事長、エフエム九州社長、日本電機工業会会長、日本経営者団体連盟常任理事なども歴任。 1964年に藍綬褒章を受章し、1973年に勲二等瑞宝章を受章。
毛里 英於菟(もうり ひでおと、1902年〈明治35年〉2月… 毛里 英於菟(もうり ひでおと、1902年〈明治35年〉2月16日 - 1947年〈昭和22年〉2月23日)は、日本の大蔵官僚。代表的な革新官僚であり、またそのイデオローグ・政策立案者として活躍した。筆名は鎌倉 一郎(かまくら いちろう)。 『門司新報』社長で衆議院議員でもあった毛里保太郎の次男、妻は亀井貫一郎と亀井凱夫の妹。福岡県に生まれ、小倉中学校、第五高等学校から東京帝国大学法学部を卒業後、大蔵省へ入省。企画院の幹部を歴任した。 1935年(昭和10年)、満洲国財務部に勤務していた毛里はジャーナリストの杉原正巳と意気投合し、後に杉原が主宰する雑誌『解剖時代』に次々と論文を投稿した。杉原の活動は陸軍統制派の永田鉄山の援助を受けたものであった。
谷川 一男(たにがわ / たにかわ かずお、1899年(明治… 谷川 一男(たにがわ / たにかわ かずお、1899年(明治32年)9月11日 - 1954年(昭和29年)1月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 福岡県出身。測量業・谷川常吉の息子として生まれる。小倉中学校(現福岡県立小倉高等学校)を経て、1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校(33期)を卒業。同年10月、騎兵少尉に任官し騎兵第5連隊付となる。1924年(大正13年)10月、騎兵中尉に昇進し、1926年(大正15年)2月、兵科を航空兵に転科し航空兵中尉に任官。1929年(昭和4年)11月、陸軍大学校(41期)を卒業した。 1930年(昭和5年)12月、下志津陸軍飛行学校教官に就任。
吉田 敬太郎(よしだ けいたろう、1899年5月8日 - 1… 吉田 敬太郎(よしだ けいたろう、1899年5月8日 - 1988年7月28日)は、日本の実業家、政治家、牧師。第二次世界大戦の戦時下で衆議院議員を1期務めたが、政府批判をして投獄された。獄中で聖書に出会い、戦後キリスト教に入信、公職追放に指定されて牧師となった。追放解除後には若松市長となり、5市合併によって北九州市が成立した際には市長職務執行者を務めた。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 俠客出身の実業家で、衆議院議員も務めた吉田磯吉の養子として育ち、小倉中学校(後の福岡県立小倉高等学校の前身)、長崎高等商業学校に学んだ。 東京商科大学を卒業後、三菱鉱業勤務を経て、大倉高等商業学校(後の東京経済大学)講師となった。
神崎 縷々(かんざき るる、 明治32年(1899年)2月1… 神崎 縷々(かんざき るる、 明治32年(1899年)2月11日 - 昭和11年(1936年)2月28日)は、日本の俳人。本名は神崎 主計。 福岡県宗像郡神興村津丸(現・福津市)生まれ。旧制小倉中学校(現・福岡県立小倉高等学校)を経て、1922年東京高等商業学校(現・一橋大学)本科卒業。吉岡禅寺洞に師事した。 藤本ビルブローカー銀行、久原商事、貝島商事を経て、1932年、小倉市京町に火薬商の神崎商店を設立し、同社支配人に就任。ジー・ワインベルゲン商会小倉支店長も務めていたが、1936年に37歳で死去した。 井筒屋設立者の神崎慶次郎元小倉市長は叔父で養父。倉田主税元日立製作所社長は兄。倉田興人元三井鉱山社長は弟。
須田 一二三(すだ ひふみ、1899年(明治32年)1月17… 須田 一二三(すだ ひふみ、1899年(明治32年)1月17日 - 1951年(昭和26年)8月14日)は、大正時代後期から昭和時代前期の台湾総督府官僚。 福岡県遠賀郡八幡村字枝光北本町(現・北九州市八幡東区枝光)に生まれる。小倉中学校、第五高等学校を経て、1920年(大正9年)9月、東京帝国大学に入学。在学中の1922年(大正11年)11月に高等試験行政科に合格し、1923年(大正12年)3月、同大法学部政治学科を卒業する。
熊谷 憲一(くまがい けんいち、1895年(明治28年)10… 熊谷 憲一(くまがい けんいち、1895年(明治28年)10月2日 - 1956年(昭和31年)10月9日)は、日本の内務官僚、政治家。官選県知事、北海道庁長官、衆議院議員。 福岡県出身。裁判所吏員・熊谷澄の長男として生まれる。小倉中学、第五高等学校を経て、1920年(大正9年)7月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。1919年(大正8年)10月、高等試験行政科試験に合格し、1920年(大正9年)10月、農商務省に入り農商務属となり工務局労働課兼工務課勤務となる。1922年(大正11年)11月、内務省に転じ内務省社会局属として第二部保険課に配属された。その後、保険部経理課長、社会局庶務課長、大臣官房会計課長、厚生省職業部長などを歴任。
岩重 隆治(いわしげ りゅうじ、1895年(明治28年)6月… 岩重 隆治(いわしげ りゅうじ、1895年(明治28年)6月21日 - 1975年(昭和50年)3月10日)は、大正後期から昭和期の内務官僚、警察官僚、弁護士。陸軍司政長官、最後の官選福岡県知事。 山口県出身。岩重弥七の長男として生まれる。小倉中学校(現福岡県立小倉高等学校)を経て、第三高等学校を卒業。1921年(大正10年)11月、高等試験行政科試験に合格。1922年(大正11年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し長野県属兼警部となる。 以後、鹿児島県警察部保安課長、福岡県警察部保安課長、同警務課長、岡山県警察部特別高等課長、愛知県警察部特別高等課長、岡山県学務課長、同社寺課長、兵庫県商工課長、同水産課長、同地方課長、千葉県書記官・学務部長、京都府書記官・学務部長、青森県書記官・経済部長、三重県書記官・総務部長などを歴任。
宇野 亀雄(うの かめお、生年不明 - 1944年〈昭和19… 宇野 亀雄(うの かめお、生年不明 - 1944年〈昭和19年〉6月24日)は、日本の海軍軍人(海兵53期卒)。大東亜戦争(太平洋戦争)中に実施された第五次遣独潜水艦作戦において、「伊52」潜水艦長として戦死した。戦死による一階級昇進で最終階級は海軍大佐。 宇野は福岡県出身の海兵53期生である。海軍青年士官運動の中心人物となる藤井斉ら62名が同期生で、うち10名が特高警察が作成したブラックリストに掲載されているが、宇野の名はない。1925年(大正14年)7月、海軍兵学校を卒業し、遠洋航海に向かう。53期生の遠洋航海は装甲巡洋艦「磐手」のみの編成であり、艦長の枝原百合一が指揮を執り、高須四郎、戸塚道太郎、渡名喜守定らの幹部のもと、浦塩斯徳や、豪州への航海で実務訓練を受けた。
秋吉 一成(あきよし かずなり) は、日本の化学者。京都大学… 秋吉 一成(あきよし かずなり) は、日本の化学者。京都大学名誉教授。元高分子学会会長。祖父は高分子化学者で九州大学名誉教授の秋吉三郎。 福岡県北九州市出身。化学者の秋吉三郎九州大学名誉教授は祖父。明治学園中学校、福岡県立小倉高等学校を経て、1980年九州大学工学部合成化学科卒業、1985年九州大学大学院工学研究科博士課程修了、工学博士。祖父の弟子に当たる村上幸人に師事。 同年パデュー大学化学科博士研究員。1987年長崎大学工学部工業化学科講師。1989年京都大学工学部高分子化学科助手。1993年京都大学大学院工学研究科合成・生物化学専攻助手。1993年京都大学大学院工学研究科合成・生物化学専攻助教授。
小西 葉子(こにし ようこ)は、日本の経済学者。専門は計量経… 小西 葉子(こにし ようこ)は、日本の経済学者。専門は計量経済学。経済産業研究所上席研究員。博士(経済学)(名古屋大学・2003年)。
月俣 幸三(つきまた こうぞう)は、元KBC九州朝日放送アナ… 月俣 幸三(つきまた こうぞう)は、元KBC九州朝日放送アナウンサー。 福岡県立小倉高等学校・日本大学を卒業後、1982年 KBCに入社。入社後は、スポーツアナウンサーとして長く活躍した。特に、テレビ朝日系が担当していた『大相撲ダイジェスト』では、九州場所担当として取材・力士インタビュー・番組出演を担当し、全国に顔を知られていた(後任は草柳悟堂)。 その後、KBC恒例の全社的異動によりアナウンス現場を離れ、番組制作、ラジオ営業部長などを歴任したが、2007年4月、管理専門ながらアナウンス部長となり、久々のアナウンス部復帰となった。 2009年6月11日の福岡ソフトバンクホークス対東京ヤクルトスワローズのセ・パ交流戦(ヤフードーム)で久しぶりに実況を担当した。
森田 順平 は、日本の俳優、声優。京都府出生、福岡県小倉市出… 森田 順平 は、日本の俳優、声優。京都府出生、福岡県小倉市出身。マウスプロモーション所属。
安河内 剛 は、日本のボクシング審判員、日本ボクシングコミッ… 安河内 剛 は、日本のボクシング審判員、日本ボクシングコミッション (JBC) 執行理事。福岡県出身。