スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
桑江 朝千夫 (くわえ さちお、1956年〈昭和31年〉1月… 桑江 朝千夫 (くわえ さちお、1956年〈昭和31年〉1月11日 - 2024年〈令和6年〉12月9日)は、日本の政治家。沖縄市長(2期)。沖縄県議会議員、沖縄市議会議員。父親は元沖縄市長の桑江朝幸。また、県内8市の保守系市長で構成された市長連合「チーム沖縄」のメンバーであった。 沖縄中頭郡コザ地区(現・沖縄県沖縄市住吉)出身。コザ市教育区立コザ小学校(現・沖縄市立コザ小学校)、那覇教育区立那覇中学校(現・那覇市立那覇中学校)、沖縄県立那覇高等学校、日本大学法学部卒業。 1986年(昭和61年)、衆議院議員の小渡三郎の公設秘書となる。1988年(昭和63年)、衆議院議員の渡辺美智雄の私設秘書となる。
山川 典二(やまかわ のりじ、1954年12月23日 - )… 山川 典二(やまかわ のりじ、1954年12月23日 - )は、日本の政治家、音楽評論家。沖縄県議会議員を務める。元NHKアナウンサー。 沖縄県島尻郡伊是名村生まれ。沖縄県立那覇高等学校、青山学院大学卒業後、沖縄国際大学大学院に入学し、修士課程を修了した。1979年、NHKに入局した。報道・文化番組を中心に出演し、様々な文化新規事業に従事した。その後コンチネンタル航空に転職し、観光関連事業に従事した。 1997年、那覇市議会議員選挙に初当選し、通算5期にわたり務めた。2016年、沖縄県議会議員選挙に初当選を果した。 音楽評論家として、ラジオ沖縄で毎週日曜日18時から18時30分に生放送されている『山川典二のJAZZ LIFE』を担当している。
西銘 恒三郎(にしめ こうさぶろう、1954年〈昭和29年〉… 西銘 恒三郎(にしめ こうさぶろう、1954年〈昭和29年〉8月7日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)。 復興大臣(第12・13代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)・福島原発事故再生総括担当大臣(第1次岸田内閣・第2次岸田内閣)、経済産業副大臣(第3次安倍第3次改造内閣)、総務副大臣(第2次安倍改造内閣)、国土交通大臣政務官(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、衆議院安全保障委員長、同国土交通委員長、沖縄県議会議員(連続4期)、自由民主党幹事長代理、自由民主党副幹事長、同総務部会長、同沖縄県支部連合会長などを歴任。 父は沖縄県知事、衆議院議員、那覇市長を務めた西銘順治。
髙良 鉄美(たから てつみ、男性、1954年1月15日 - … 髙良 鉄美(たから てつみ、男性、1954年1月15日 - ) は、日本の憲法学者、政治家。琉球大学大学院法務研究科(法科大学院)名誉教授。 参議院議員(1期)、沖縄社会大衆党委員長を歴任した。父は動物学者で第8代琉球大学学長の高良鉄夫。 琉球政府那覇市出身。那覇市教育区立松川小学校、那覇市教育区立真和志中学校、琉球政府立那覇高等学校卒業。九州大学法学部へ進学。1981年、九州大学大学院法学研究科にて法学修士号を取得。1984年、同研究科博士課程(公法学専攻)を単位取得退学。 1984年、琉球大学に着任。助手、講師を経て、1988年より法文学部助教授。1995年より教授。2019年退任。 2019年1月、沖縄社会大衆党元委員長の糸数慶子の後継として、同年7月に行われる第25回参議院議員通常選挙に沖縄県選挙区より立候補することを表明。
城間 幹子(しろま みきこ、1951年〈昭和26年〉1月20… 城間 幹子(しろま みきこ、1951年〈昭和26年〉1月20日 - )は、日本の教育者、政治家。沖縄県那覇市長を2期務めた。 1951年(昭和26年)、島尻郡伊是名村生まれ。那覇教育区立松川小学校、那覇教育区立真和志中学校、琉球政府立那覇高等学校を経て、宮城教育大学教育学部中学校教員養成課程国語専攻卒業。なお、城間の前任の那覇市長である翁長雄志は真和志中学校及び那覇高校の同級生だった。 1973年(昭和48年)、公立学校教員(地方公務員)となり、千葉県の市川市立第四中学校で教職に就き、その後沖縄に帰還し、1980年(昭和55年)4月から那覇市立中学校に勤める。2009年(平成21年)まで36年間、学校教員を務めた。
翁長 雄志(おなが たけし、1950年〈昭和25年〉10月2… 翁長 雄志(おなが たけし、1950年〈昭和25年〉10月2日 - 2018年〈平成30年〉8月8日)は、日本の政治家。沖縄県那覇市長(4期)、沖縄県知事(本土復帰後第7代)を歴任した。 1985年から2018年まで政治家としての活動を続けてきた。那覇市議会議員(2期)→沖縄県議会議員(2期)を経て、那覇市長(4期)、沖縄県知事(1期)を歴任した。 父は元沖縄県真和志市長の翁長助静、兄は沖縄県副知事・沖縄県議会議員を務めた翁長助裕。次男は元沖縄県議会議員の翁長雄治である。 沖縄県議時代は普天間米軍基地の辺野古移設を推進した。 平成11年10月の県議会の定例会で、普天間飛行場の移設問題を取り上げ、「私たちがなにゆえにこの県内移設を早期にやらきゃならぬかという見地に立ったのは、県全体の立場に立っての危険性の軽減であります」と強調。
西銘 順志郎(にしめ じゅんしろう、1950年1月2日 - … 西銘 順志郎(にしめ じゅんしろう、1950年1月2日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期)を務めた。 沖縄県島尻郡与那原町生まれ。琉球政府立那覇高等学校、立正大学経済学部卒業。元衆議院議員で沖縄県知事も務めた西銘順治の長男。三男は衆議院議員の西銘恒三郎という政治家一族の生まれである。1973年に琉球海運に入社し、1979年からは父(県知事)の秘書を務めた。 1983年の第13回参議院議員通常選挙に出馬したが落選。以後2回の衆院選落選を経て、2001年の第19回参議院議員通常選挙で沖縄県選挙区から出馬し初当選。2007年の第21回参議院議員通常選挙では元職の糸数慶子に敗れ落選。 2022年8月、同年9月投開票の沖縄県議会議員補欠選挙に立候補を表明したが、他の自民党系の候補者が立候補に意欲を示したため辞退した。
赤嶺 政賢(あかみね せいけん、1947年〈昭和22年〉12… 赤嶺 政賢(あかみね せいけん、1947年〈昭和22年〉12月18日 - )は、日本の政治家。日本共産党沖縄県委員長、同党幹部会委員。 衆議院議員(9期)、那覇市議会議員(3期)を務めた。 沖縄民政府小禄村(現・沖縄県那覇市)の農家に生まれる。那覇教育区立高良小学校、那覇教育区立小禄中学校、琉球政府立那覇高等学校(現・沖縄県立那覇高等学校)、東京教育大学(現:筑波大学)文学部卒業。東京教育大学在学中の1967年、日本共産党に入党。 1971年、東京教育大学を卒業。その後、沖縄県石垣市の沖縄県立八重山高等学校、沖縄県立八重山商工高等学校で教師を務める。 1985年、那覇市議会議員選挙に出馬し、初当選。
東門 美津子(とうもん みつこ、1942年11月16日 - … 東門 美津子(とうもん みつこ、1942年11月16日 - )は、日本の政治家。沖縄県沖縄市長(2期)。衆議院議員(2期)、沖縄県副知事を務めた。
仲井眞 弘多(なかいま ひろかず、1939年8月19日 - … 仲井眞 弘多(なかいま ひろかず、1939年8月19日 - )は、日本の通産官僚、実業家、政治家。沖縄県知事(本土復帰後第6代)。報道などでは新字体を用い仲井真 弘多とも表記される。
渡口 初美(とぐち はつみ、1935年1月15日 - 202… 渡口 初美(とぐち はつみ、1935年1月15日 - 2020年11月26日)は、日本の料理研究家、政治家。那覇市議会議員。 沖縄県那覇市出身。父親は実業家・政治家の高良一。沖縄県立那覇高等学校卒業、東京国際クッキングスクール卒業。 沖縄県那覇市三原の郷土料理店「まんがん」を経営。また、琉球料理研究家として活動。主な著書として『渡口初美の琉球の家庭祭祀』『沖縄の葬祭と祖先供養』『琉球料理と御火の神様』など、沖縄の年中行事、祖先供、伝統料理などの書籍がある 。日本各地での琉球料理の講習会の開催でも活動している。料理漫画『美味しんぼ』では単行本28巻で、主人公に料理を提供する役として登場している。 2020年11月26日、肺炎のため那覇市内の病院で死去。
稲嶺 恵一(いなみね けいいち、1933年(昭和8年)10月… 稲嶺 恵一(いなみね けいいち、1933年(昭和8年)10月14日 - )は、日本の実業家、元政治家(沖縄県知事)。沖縄県国頭郡本部町出身。父は、琉球石油(現・りゅうせき)創業者で元参議院議員の稲嶺一郎。旭日重光章。報道などでは新字体を用い稲嶺 恵一とも表記される。
仲村 正治(なかむら せいじ、1931年9月6日 - 201… 仲村 正治(なかむら せいじ、1931年9月6日 - 2018年11月15日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(7期)、沖縄県議会議員(2期)、那覇市議会議員(1期)などを歴任。 1969年に那覇市議会議員、1976年に沖縄県議会議員となり、沖縄県政界における地位を築く。1983年に第37回衆議院議員総選挙で初当選し、1度の落選を挟んで7回当選(83年当選同期に田中直紀・熊谷弘・二階俊博・額賀福志郎・野呂田芳成・衛藤征士郎・田中秀征・尾身幸次・北川正恭・町村信孝・伊吹文明・自見庄三郎・大島理森・野呂昭彦・中川昭一・鈴木宗男・甘利明など)。1993年6月の宮澤内閣不信任案採決直前に沖縄開発庁政務次官を辞任し不信任案に賛成、改革フォーラム21ごと自民党を集団離党する。
大浜 方栄(おおはま ほうえい、大濱方榮、1927年10月2… 大浜 方栄(おおはま ほうえい、大濱方榮、1927年10月27日 - 2014年4月28日)は、日本の政治家、医師。位階は従四位。 社会福祉法人・医療法人・財団法人おもと会理事長。元自由民主党参議院議員。 1980年の第12回参議院議員通常選挙(沖縄地方区)に保守系無所属で立候補するも、革新共闘会議の喜屋武真栄に敗北。その後、1983年の第13回参議院議員通常選挙(比例区)で初当選、2期務める。派閥は平成研究会(竹下派→小渕派)。 2014年4月28日午前0時47分、老衰のため沖縄県那覇市の大浜第一病院で死去。86歳没。叙従四位。
小渡 三郎(おど さぶろう、1925年12月14日 - 19… 小渡 三郎(おど さぶろう、1925年12月14日 - 1988年7月28日)は、琉球政府及び日本の政治家。琉球政府行政副主席。衆議院議員(2期、自由民主党)。海兵76期。 1925年、朝鮮京城で弁護士の小渡良忠の長男として生まれる。1938年、沖縄に戻り、沖縄県立第二中学校2年に編入。スポーツ万能で勉強は理系が得意だった。1944年、沖縄県立第二中学校卒業後、海軍兵学校入学。 1958年、沖縄県中頭郡美里村議会議員に初当選。1963年、琉球政府八重山地方庁長。労働局長、通商産業局長を経て、1967年、琉球政府行政副主席となる。琉球政府職員として経済復興、自治権拡大、軍用地問題、祖国復帰対策に尽力する。
西銘 順治(にしめ じゅんじ、1921年〈大正10年〉11月… 西銘 順治(にしめ じゅんじ、1921年〈大正10年〉11月5日 - 2001年〈平成13年〉11月10日)は、日本の政治家。那覇市名誉市民、知念村名誉村民、与那国町名誉町民。 沖縄県知事(本土復帰後第3代)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長、衆議院議員(4期)、沖縄県那覇市長(第18・19代)、沖縄自由民主党総裁、立法院議員(1期)等を歴任した。 沖縄県八重山郡与那国村(現・与那国町)生まれ。小学生時代の一時期、南洋庁のパラオに在住していた。旧制沖縄県立第二中学校、旧制水戸高等学校を経て1948年、東京帝国大学法学部卒業。戦時下に海軍中尉となる。 外務省に入省するが、半年で退官。沖縄へ戻り、沖縄ヘラルド(その後改名して沖縄朝日新聞)の創設に参加し社長などを歴任する。
伊江 朝雄(いえ ともお、1921年5月17日 - 2007… 伊江 朝雄(いえ ともお、1921年5月17日 - 2007年5月14日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員。北海道開発庁長官、沖縄開発庁長官。沖縄県出身者初の国務大臣として知られる。
長嶺 秋夫(ながみね あきお、1908年(明治41年)8月2… 長嶺 秋夫(ながみね あきお、1908年(明治41年)8月29日 - 2002年(平成14年)10月29日)は、日本の政治家。小禄村長(第8・9代)、立法院議員(7期)、立法院副議長(3期)、立法院議長(3期)を歴任。 米国統治下の沖縄において、当時の佐藤栄作首相や日米国政府高官と度重なる会合・折衝を実施し、沖縄の本土復帰に尽力した。全8回実施された琉球政府立法院議員選挙において、初回を除く7回に立候補し、全て当選した。琉球政府立法院の議長を3期務めた人物は長嶺以外に存在しない。尚、長嶺は副議長も3期務めており、過去最多である。
瀬長 亀次郎(せなが かめじろう、1907年(明治40年)6… 瀬長 亀次郎(せなが かめじろう、1907年(明治40年)6月10日 - 2001年(平成13年)10月5日)は、日本の政治家、ジャーナリスト。 1946年 - 1949年、米軍機関紙「うるま新報」(後の琉球新報)社長を務めた。復帰前に、那覇市長(1期)、立法院議員(3期)、沖縄人民党委員長、国政参加選挙で衆議院議員1期。本土復帰後、衆議院議員としては人民党で1期、日本共産党として連続5期。1973年以降共産党幹部会副委員長をつとめた。 太平洋戦争後のアメリカ合衆国による沖縄統治(施政権下)において、沖縄人民党を組織し、米国による統治に対する抵抗運動を行った。返還前の沖縄において立法院議員や那覇市長を歴任、国政参加選挙において衆議院議員に当選した。
稲嶺 一郎(いなみね いちろう、1905年9月23日 - 1… 稲嶺 一郎(いなみね いちろう、1905年9月23日 - 1989年6月19日)は、日本の政治家・実業家・軍人。沖縄県国頭郡本部村出身。元沖縄県知事稲嶺惠一の父。
比嘉 秀平(ひが しゅうへい、1901年(明治34年)6月7… 比嘉 秀平(ひが しゅうへい、1901年(明治34年)6月7日 - 1956年(昭和31年)10月25日)は、沖縄県の官僚、教育者、琉球政府の政治家。1952年4月から1956年10月まで琉球政府行政主席を務めた。琉球民主党初代総裁。 沖縄県中頭郡読谷村に生まれる。小学校時代に事故で右腕を失うも、勉学に励み、1925年(大正14年)早稲田大学文学部英文学科を卒業する。 和歌山県の高野山中学に勤務後、約20年間の教員生活を送り、母校である沖縄県立第二中学校の教諭および沖縄県立第三中学校の教頭を務める。 沖縄戦では県立第三中学校の学徒隊を率いたが生還し、終戦後、沖縄民政府に採用されて、翻訳課長や官房長などを歴任した。
吉野 高善(よしの こうぜん、1898年(明治31年)5月1… 吉野 高善(よしの こうぜん、1898年(明治31年)5月15日 - 1965年(昭和40年)11月4日)は、八重山民政府の政治家で、八重山民政府知事を務めた。沖縄県八重山郡竹富町小浜島出身。 明治31年生まれ。沖縄県立第二中学校を経て台北医学専門学校を卒業する。 その後、昭和2年(1927年)に帰島し、石垣島で医院を開業した。 沖縄戦後は、八重山自治会の副会長に選出され、続いて八重山支庁の衛生部長に就任する。その後、米軍によって八重山民政府の知事に任命される。 1950年の八重山群島知事選挙では、安里積千代候補に敗れた。