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田中 裕(たなか ゆたか、1918年3月28日-2017年1… 田中 裕(たなか ゆたか、1918年3月28日-2017年1月19日)は、日本の国文学者。文学博士(大阪大学・論文博士・1962年)(学位論文「中世文学論的研究」)。大阪大学名誉教授。中世文学が専門。 福岡県甘木市(現朝倉市)出身。第三高等学校を経て1942年1月京都帝国大学文学部を繰上げ卒業。のち京都一中学校(現京都府立洛北高等学校・附属中学校)教諭、甲南高等学校(旧制)教授、1950年大阪大学文学部助教授、1962年「中世文学論的研究」で大阪大学より文学博士の学位を取得。1964年教授。1981年定年退官、名誉教授、南山大学教授、梅花女子大学教授。1989年退職。
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喜田村 健三(きたむら けんぞう、1917年(大正6年)6月… 喜田村 健三(きたむら けんぞう、1917年(大正6年)6月24日 - 没年不明)は日本の大蔵官僚、実業家。国税庁元次長。万有製薬(現:MSD、メルク・アンド・カンパニーの日本法人)元専務取締役。東京都世田谷区在籍。長男は弁護士(ミネルバ法律事務所所属)の喜田村洋一。 京都府京都市出身。喜田村眼科病院院長を務めた喜田村朔治の三男として生まれる。第三高等学校を卒業。1939年(昭和14年)高等試験行政科に合格。1940年(昭和15年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、大蔵省に入る。短期現役海軍主計科士官(5期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入学し、海軍主計中尉に任官。1941年(昭和16年)1月、経理学校を卒業し山城に配属。
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田中 生夫(たなか いくお、1917年6月19日 - 199… 田中 生夫(たなか いくお、1917年6月19日 - 1996年2月17日)は、日本の経済学者、岡山大学名誉教授。 京都府綾部市生まれ。第三高等学校卒。1941年、京都帝国大学経済学部卒、台湾銀行大阪支店に入行。1942年から1945年まで陸軍へ応召。1946年、岡山農業専門学校講師。1948年、教授。1950年、岡山大学法文学部講師、1951年に助教授、1961年に教授。1968年「イギリス初期銀行史研究」で、九州大学経済学博士。1980年から1982年、岡山大経済学部長、評議員。1981年から1982年、法文学部長。1983年、定年退官、名誉教授、金沢大学教授、のち福山大学教授、中京大学教授。
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今津 晃(いまづ あきら、1917年4月24日 - 2003… 今津 晃(いまづ あきら、1917年4月24日 - 2003年6月18日)は、日本の歴史学者である。日本におけるアメリカ合衆国史研究の開拓者。 静岡県浜名郡吉津村(鷲津町、湖西町を経て現湖西市)に生まれる。1938年第三高等学校卒業、1941年12月京都帝国大学文学部史学科卒業、1948年9月京都帝国大学大学院退学。1962年「アメリカ革命史序説」で文学博士(京都大学)の学位取得。1942-43年文学部部副手嘱託。1946年9月関西大学予科講師、1947年4月大谷大学学部及予科教授、1948年同志社大学専任講師、48年助教授、1950年9月大阪大学教養部助教授、1953年文学部助教授、1959年京都大学文学部助教授。
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横田 健一(よこた けんいち、1916年(大正5年)9月3日… 横田 健一(よこた けんいち、1916年(大正5年)9月3日 - 2012年(平成24年)2月6日)は、日本の歴史学者。専門は日本古代史。関西大学名誉教授。 父貫次・母せつの長男として兵庫県神戸市生田区(現中央区)に出生。 神戸市立諏訪山尋常小学校、神戸市立山手尋常小学校(転入)、兵庫県立第一神戸中学校、第三高等学校文科(甲類入学)を経て、1937年4月、京都帝国大学文学部史学科に入学(国史学専攻)。 1940年3月、京都帝国大学文学部史学科卒業、1941年4月海軍機関学校教授。1946年6月 関西大学教授。1964年、関西大学文学部長(~1966年)。1972年、学校法人関西大学理事(~1977年)。
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谷長 茂(たになが しげる、1916年4月25日 - 198… 谷長 茂(たになが しげる、1916年4月25日 - 1981年11月22日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。元中央大学教授。 旧制第三高等学校から東京帝国大学文学部仏文科卒、学習院大学講師をへて1954年に中央大学商学部助教授となり、62年教授となった。パリ・コミューンの研究で知られ、三高寮歌「沫雪流れ」の作詞者。妻・静枝は女子美術大学卒で、洋画家グループの旺玄会に所属する画家。1981年11月22日夜、船橋市の自宅から出火して全焼、夫婦ともに死去した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
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森村 茂樹(もりむら しげき、1916年〈大正5年〉3月21… 森村 茂樹(もりむら しげき、1916年〈大正5年〉3月21日 - 1979年〈昭和54年〉11月24日)は精神科医、地域医療と社会福祉を推進した教育者。兵庫県西宮市に兵庫医科大学を創設、理事長、学長、病院長を歴任した。 精神科医森村真澄・豊の一人っ子として兵庫県川辺郡尼崎町(現在の尼崎市)で生まれる。尼崎市第三尋常小学校から兵庫県立第一神戸中学校(現神戸高校)を経て第三高等学校(現京都大学)に進んだ。卒業した1936年(昭和11年)は京都帝国大学文学部哲学科に合格したが方向転換、翌年、東京帝国大学医学部に入学、1941年(昭和16年)卒業、精神病学教室主任教授で東京都立松沢病院長を兼務する内村祐之の指導を受け、東大病院精神病学講座の副手嘱託となる。
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妹尾 左知丸(せのお さちまる、1915年3月10日 - 2… 妹尾 左知丸(せのお さちまる、1915年3月10日 - 2007年6月22日)は、日本の病理学者。 岡山県岡山市に生まれる。第三高等学校を経て1940年に京都帝国大学医学部を卒業した。直後より同病理学教室の助手となるが、1941年より1945年まで従軍のため大学を離れ、戦後に復帰。1947年に三重県立医学専門学校(現・三重大学医学部)の病理学教室主任教授となる。1955年に岡山大学医学部の病理学教室へ移る。同年、森永ヒ素ミルク中毒事件の原因を突き止め、岡山県を通じて当時の厚生省(現・厚生労働省)に報告した。岡山大学においては顕微分光測光による血液細胞の分化や血球系幹細胞の研究、鉄の代謝吸収に関する細胞生物学的研究をすすめた。
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高山 捷一(たかやま しょういち、1915年1月2日 - 2… 高山 捷一(たかやま しょういち、1915年1月2日 - 2017年3月5日)は、日本の海軍軍人、航空自衛官、航空工学者。最終階級は海軍技術少佐、航空自衛隊空将。戦前は零戦の審査補佐、銀河の設計・試作、紫電改の開発審査など、戦後は防衛庁技術幹部、技術開発官として国産初の量産型ジェット機T-1の開発やF-104Jの選定・ライセンス生産などを手掛けた。叙正四位。 1915年1月2日、高山益三の息子として名古屋で生まれる。父の転勤のため、1917年に大阪に転居。1927年に北野中学校に入学。父の失業により、鴻池家の奨学金を受けて卒業。私塾「清和塾」の塾生になり、奨学金を受けて第三高等学校、東京帝国大学に入学した。
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豊田 尭(豊田堯、とよだ たかし、1914年5月6日- )は… 豊田 尭(豊田堯、とよだ たかし、1914年5月6日- )は、西洋史学者。 奈良県生まれ。1939年京都帝国大学文学部史学科卒。60年「バブーフとその時代 フランス革命の研究」で京都大学文学博士。戦前は同志社大学予科と第三高等学校で教授を、戦後は京都大学助教授、1959年大阪大学文学部助教授、64年教授。78年定年退官、名誉教授。87年勲三等旭日中綬章受章。
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後宮 虎郎(うしろく とらお、1914年4月22日 - 19… 後宮 虎郎(うしろく とらお、1914年4月22日 - 1992年6月12日)は、日本の外交官。駐オランダ大使、駐タイ大使、駐韓大使や国立京都国際会館の館長を務めた。 1914年京都府生まれ。父は後宮淳、義父は吉見信一。旧制第三高等学校文科甲類を経て、東京帝国大学進学。 1936年に外交科試験に合格し、1937年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業して外務省に入省した。 1938年に徴兵され、京都市伏見区にある陸軍の輜重隊に所属し、二等兵から始まり終戦前には中尉まで昇進している。 外務省に戻り、1949年管理局在外邦人課長、1951年アジア局第二課長(後の中国課長)、1952年在アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官、1954年大臣官房総務課長、1956年大臣官房参事官、1957年経済局外務参事官、1960年在タイ日本国大使館公使、1962年アジア局長などを歴任。
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吉井 良三(よしい りょうぞう、1914年 <大正3年> 2… 吉井 良三(よしい りょうぞう、1914年 <大正3年> 2月14日 - 1999年 <平成11年> 1月28日)は、日本の昆虫学者。京都大学名誉教授。専門は洞窟生物学、昆虫形態学。位階は従四位。 1914年(大正3年)、大阪府の旧家に生まれる。旧制第三高校を経て、1938年(昭和13年)に京都帝国大学理学部動物学科を卒業。トビムシ研究から、日本の洞窟生物の研究をたちあげた。 また、その土壌動物採集の中でカマアシムシ目の昆虫を日本で初めて発見した。その種は彼の名にちなんでヨシイムシと名付けられた。 1959年、京都大学理学博士。学位論文の題は「粘管目の分類・系統学的研究」。 1987年勲三等旭日中綬章受章。
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岡本 道雄(おかもと みちお、1913年(大正2年)11月2… 岡本 道雄(おかもと みちお、1913年(大正2年)11月25日 - 2012年(平成24年)7月24日)は、日本の医学者。京都大学名誉教授・総長。位階は従三位。専門は脳神経解剖学。 1913年11月25日京都府舞鶴市生まれ。旧制第三高等学校を経て、1941年京都帝国大学医学部卒業。同大学院特別研究生修了(脳神経解剖学)。1946年(昭和21年)京都大学医学博士。博士論文の題は「腫瘍の発育より観たる淋巴の解剖学」。 その後、三重県立医科大学教授、神戸医科大学教授を経て、1959年(昭和34年)京都大学教授となり、1970年(昭和45年)医学部長、1972年(昭和47年)に再任の後、1974年(昭和49年)に総長に就任した。
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竹之内 静雄(たけのうち しずお、1913年11月25日 -… 竹之内 静雄(たけのうち しずお、1913年11月25日 - 1997年12月19日)は、日本の小説家、筑摩書房社長。 静岡県生まれ。旧姓・桑原。1932年第三高等学校に入学、野間宏、富士正晴と、竹内勝太郎に師事して雑誌『三人』を刊行する。大学では吉川幸次郎に師事、1940年京都帝国大学文学部哲学科卒、河出書房に入社する。のち筑摩書房に移り、戦時中は海軍に応召した。1950年「ロッダム号の船長」で芥川賞候補となる。1966年から1972年まで古田晁の後を受けて筑摩書房2代目社長を務めた。
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武藤 一雄(むとう かずお、1913年8月2日 - 1995… 武藤 一雄(むとう かずお、1913年8月2日 - 1995年6月27日)は、日本の宗教哲学者。京都大学名誉教授。キェルケゴールを専門とした。 1913年、長崎県長崎市で生まれた。京都帝国大学文学部に進学し、田辺元に師事した。 1946年、第三高等学校教授に就いた。1950年、京都大学教養部助教授となり、1957年に文学部助教授に配置換え。1962年、学位論文『神学と宗教哲学との間』を京都大学に提出して文学博士号を取得。同年11月に同教授昇格。1977年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は関西学院大学教授として教鞭を執った。同大学を退任後は、龍谷大学教授を務めた。
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石田 一良(いしだ いちろう、1913年4月23日 - 20… 石田 一良(いしだ いちろう、1913年4月23日 - 2006年9月17日)は、日本の歴史学者。東北大学名誉教授。杭州大学名誉教授。日本思想史学会名誉会長。文学博士。従四位勲二等瑞宝章。 1913年生まれ。京都市伏見区出身。1934年3月第三高等学校卒業。同年京都帝国大学法学部に入学。翌1935年に同文学部史学科に転じた。1939年、京都帝国大学文学部史学科国史学専攻を卒業して同大学院に入学。西田直二郎に学んだ。1945年まで在学。 1946年同志社大学文学部助教授となり、創設期の文学部文化学科の基礎確立に尽力。1948年2月に34歳の若さで教授に昇進、4月に新設の文化学科文化史学専攻で研究と教育にあたった。
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西口 克己(にしぐち かつみ、1913年4月6日 - 198… 西口 克己(にしぐち かつみ、1913年4月6日 - 1986年3月15日)は、京都市出身の小説家、政治家。 京都府紀伊郡伏見町(現在の京都市伏見区)の中書島遊廓の貸座敷の家に生まれる。第三高等学校から東京帝国大学文学部西洋哲学科卒業、1946年に日本共産党に入党するが、1950年のいわゆる「五十年問題」による党分裂の際、「除名」される。1955年には、日本共産党の統一・正常化と同時に党へ復帰。 この間に義母名義の娼家(第2次世界大戦後は「お茶屋」名目で営業)の片隅で自伝的小説『廓』を執筆。第一部を1956年に刊行。ベストセラーとなり、小説家として認められる。同作は第35回(昭和31年上期)直木賞候補となり、「『廓』より 無法一代」(1957年、監督滝沢英輔)として映画化された(第二部は同年末、第三部は1958年に刊行)。
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青山 光二(あおやま こうじ、1913年2月23日 - 20… 青山 光二(あおやま こうじ、1913年2月23日 - 2008年10月29日)は、日本の小説家。 神戸市生まれ。第三高等学校を経て東京帝国大学文学部美術史学科卒業。在学中の1935年(22歳)、織田作之助らと同人雑誌『海風』を創刊する。 大村謙太郎の仲介により映画『東京ノ回敎徒』を制作することとなり脚本を担当、1944年6月「室町一郎」名義で脚本完成、9月末に映画完成。 戦後、『旅への誘ひ』(1948)などの私小説風連作を発表。1956年、『法の外へ』で直木賞候補。 その後、任侠ヤクザ路線に移行し、『修羅の人』で1966年再度直木賞候補、1966年(53歳)小説新潮賞を受賞。1977年、『竹生島心中』で三たび直木賞候補、及び泉鏡花文学賞・平林たい子文学賞候補。
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大国 彰(おおくに あきら、1913年1月1日 - 1997… 大国 彰(おおくに あきら、1913年1月1日 - 1997年3月)は、日本の行政管理官僚。行政管理庁行政管理局長、行政管理事務次官、行政管理研究センター会長などを務めた。 三重県出身。第三高等学校から東京帝国大学法学部法律学科に入学。1934年 高等試験行政科を合格。1935年3月 東京帝大法学部法律学科卒業。同年 拓務省入省。殖産局属。 東京管区経済調査庁調査部経済調査官などを経て、1948年8月1日 東京管区経済調査庁監査部監察第一課長。1952年8月1日 東京管区監察局総務課長。同年8月12日 行政管理庁監察部監察官。1955年2月1日 行政管理庁監察部庶務課長。 1956年5月19日 行政管理庁長官官房秘書課長。
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松井 清(まつい きよし、1912年5月26日 - 1972… 松井 清(まつい きよし、1912年5月26日 - 1972年9月6日)は、日本の経済学者。元京都大学大学院経済学研究科・経済学部教授。 岡山市生まれ。第三高等学校卒、1934年京都帝国大学(現・京都大学)経済学部卒。副手をへて1936年同講師、1947年助教授、1949年教授、1950年「世界経済学批判」で、経済学博士(大阪商科大学)の学位を取得。1960-1961年京都大学経済学部長。60歳で教授在任中に死去。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
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谷垣 専一(谷垣 專一、たにがき せんいち、1912年(明治… 谷垣 専一(谷垣 專一、たにがき せんいち、1912年(明治45年)1月18日 - 1983年(昭和58年)6月27日)は、日本の政治家。従三位勲一等。文部大臣。妻は陸軍中将影佐禎昭の長女安紀。第24代自由民主党総裁の谷垣禎一は長男。 京都府福知山市の造り酒屋・谷垣松次郎の五男として生まれた。旧制京都府立福知山中学校、旧制第三高等学校文科甲類を経て、東京帝国大学法学部法律学科を卒業後、1936年、農林省入省(農務局嘱託)。要員局運用課長、開拓局管理課長、長野県農地部長、総務局物資調整課長、農地局総務課長、農地局管理部長、農林経済局農業協同組合部長などを経て、1955年10月に大臣官房長、1956年6月に畜産局長となる。
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津田 松苗(つだ まつなえ、1911年(明治44年)11月1… 津田 松苗(つだ まつなえ、1911年(明治44年)11月15日 - 1975年10月9日)は、兵庫県出身の昆虫学者。男性。とりわけ水生昆虫学、汚水生物学の日本への導入とその研究で知られる。日本陸水学会元会長。 主な著書に『水生昆虫学』『水質汚濁の生態学』、『汚水生物学』がある。 1911年、兵庫県尼崎市に生まれた。京都に移り住み、旧制第三高等学校に進学、ドイツ語を専攻した。当初医学を志望していたが、健康を損ねて断念し、1932年に京都帝国大学(現:京都大学)理学部に進学、動物学を専攻した。動物学教室で川村多実二に師事し、水生昆虫の研究を行った。 1935年に同大を卒業し、大学院に進学した。1937年、交換留学生としてドイツのミュンヘン大学に留学、デモル教授(1882-1960)に師事した。
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中山 治一(なかやま じいち、1911年4月6日 - 199… 中山 治一(なかやま じいち、1911年4月6日 - 1990年7月25日)は、日本の歴史学者。 京都市出身。1934年京都帝国大学文学部史学科卒。第三高等学校 (旧制)教授、名古屋大学文学部教授、大阪市立大学教授を務め、1974年定年退官、椙山女学園大学教授、愛知学院大学教授を務めた。歴史記述の方法論、西洋近代史を専門とした。
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柴田 達夫(しばた たつお、1911年3月18日 - 199… 柴田 達夫(しばた たつお、1911年3月18日 - 1991年7月6日)は、昭和期の内務官僚。建設事務次官、水資源開発公団(現・水資源機構)総裁等を歴任。建設行政の基礎を築き、特に水資源開発に大きな功績を残した。 貴族院議員や内閣書記官長などを務めた柴田善三郎の次男として愛媛県松山市に生まれる。第三高等学校から東京帝国大学に進み、1935年の卒業とともに内務省に入る。 1939年内務事務官となり、太平洋戦争後の1950年に大阪府警察長に就任。1954年に初代警察庁長官官房長、警視監となる。 建設省大臣官房長(1955年)を経て、1958年12月16日に建設事務次官に就任した(1961年11月1日退任)。
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西山 夘三(にしやま うぞう、1911年3月1日 - 199… 西山 夘三(にしやま うぞう、1911年3月1日 - 1994年4月2日)は、日本の建築学者で、都市計画家、建築家。住生活を科学的に研究する基礎を築き、戦後の住宅計画に大きな影響を与え、住宅問題や都市計画への視点を深めた。 大阪市此花区の安治川沿いの鉄工所の三男として生まれた。 西山一家の暮らした西九条は、重工業中心の工場地帯として発展した工場と長屋の密集地。1930年に第三高等学校理科乙類を卒業。京都帝国大学建築学科に進学し、クラスをDEZAMとし、同級生らとともにマルクス主義に共感を寄せた。またクラス会が東京の建築科学研究会京都支部となる。1931年、東京の4つの学校と共同で五大学建築展覧開会を東京にて開催。
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池上 禎造(いけがみ ていぞう、1911年1月10日 - 2… 池上 禎造(いけがみ ていぞう、1911年1月10日 - 2005年12月15日)は、日本の国語学者。大阪大学名誉教授、京都大学名誉教授。 1911年(明治44年)1月10日、京都府京都市で誕生する。父は貞吉、母は満(みち)。呉服屋である「越前屋」の一人息子であった。 第三高等学校を経て、1930年(昭和5年)に京都帝国大学文学部文学科に入学。家業が傾いていたことから思うように本を買うことができなかったが、家業が倒産したことにより国語学者となる決意が固まった。1933年(昭和8年)に同国語学国文学専攻を卒業。卒業論文の題目は「上代特殊仮名遣の一考察」。 1938年(昭和13年)まで同大学院に在籍し、副手を勤めた。
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村上 至孝(むらかみ しこう、1910年10月31日 - 1… 村上 至孝(むらかみ しこう、1910年10月31日 - 1987年4月17日)は、日本の英文学者、翻訳家。 1933年京都帝国大学文学部英文科卒、第三高等学校教授、1949年京都大学教養部教授、1959年大阪大学文学部英文科教授、1974年定年退官、名誉教授、龍谷大学教授、大手前女子大学教授。1983年勲二等瑞宝章受章。 17-19世紀英国文学を専攻し、サッカレーなどの長篇小説、ヘンリー・フィールディングの悪漢小説の翻訳を行い、ロマン主義詩人の研究を行った。
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小川 環樹(おがわ たまき、1910年(明治43年)10月3… 小川 環樹(おがわ たまき、1910年(明治43年)10月3日 - 1993年(平成5年)8月31日)は、日本の中国文学者。京都大学名誉教授。字は「士解」。主著に「唐詩概説」「蘇軾」など初学者向けの啓蒙書や訳書も多数著している。角川書店『新字源』編者の一人。 1910年、京都府京都市で地質学者・小川琢治の子として生まれた。 第三高等学校で学び、1928年に卒業。京都帝国大学文学部に入学し、1932年年に卒業。その後は同大学大学院に進学した。1934年から1936年にかけて中国に留学。魯迅と周作人兄弟、章太炎、劉半農、郁達夫、銭鍾書ら同時代の文学者らと面識を得た。1938年に大学院を退学した。 1938年、東北帝国大学文学部講師に就いた。
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頼 桃三郎(らい ももさぶろう、1910年〈明治43年〉9月… 頼 桃三郎(らい ももさぶろう、1910年〈明治43年〉9月4日 - 1992年6月)は、日本の国文学者、広島大学名誉教授。竹原頼家の子孫である。 広島県賀茂郡竹原町(現竹原市)に生まれる。竹原町の富豪で製塩業・頼俊直の三男。第三高等学校を経て、1933年、東京帝国大学文学部国文科卒業。 1939年から1945年まで日本放送協会勤務。1946年、三原高女、県師範女子部、1949年、広島大学教育学部分校の教師。1953年から1963年まで三原分校付属校長。その後広島大学教授となり、1974年、退官、名誉教授、安田女子大学教授。 頼山陽の叔父頼春風の玄孫である。近世浄瑠璃を専門とした。趣味は柔道。住所は広島市南区比治山町、広島市牛田本町6丁目。
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津田 穣(つだ ゆたか、1910年〈明治43年〉8月4日 -… 津田 穣(つだ ゆたか、1910年〈明治43年〉8月4日 - 1955年〈昭和30年〉8月12日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 京都府出身。1935年京都帝国大学文学部仏文科卒。第三高等学校講師、大阪高等学校(旧制)教授。 ブレーズ・パスカル『パンセ』の翻訳で知られる。 息子は俳優、声優、ナレーターの津田喬。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
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羽田 明(はねだ あきら、1910年3月6日 - 1989年… 羽田 明(はねだ あきら、1910年3月6日 - 1989年12月27日)は、日本の歴史学者。研究分野はアジア史。京都大学名誉教授。父は東洋史学者の羽田亨。東京大学名誉教授羽田正の伯父にあたる。 1910年、京都市生まれ。第三高等学校を経て東京帝国大学文学部東洋史学科で学び、1934年に卒業した。1936年9月より2か年にわたりフランス政府招聘留学生としてパリ大学に留学する。 帰国翌年1939年1月より東亜研究所嘱託員となり、中央アジア近世史に着手する。1940年3月より母校である第三高等学校の講師となり、翌年に同校教授、1949年京都大学教養部教授となり、東洋史学を講じた。1962年に学位論文『中央アジア史研究(近世篇)』を京都大学に提出し、文学博士号を取得。
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今井 林太郎(いまい りんたろう、1910年1月13日 - … 今井 林太郎(いまい りんたろう、1910年1月13日 - 2003年9月8日)は、日本の歴史学者、神戸大学・大手前大学名誉教授。専門は日本古代・中世史。 大阪府生まれ。大阪府立今宮中学校を卒業し、1928年第三高等学校文科に入学。同校で中村直勝の講義を受け、日本史を専攻することにする。1931年に卒業すると、京都帝国大学では三浦周行の定年退官が決まっていたこともあり、「中世に於ける社寺と社会との関係」に惹かれて平泉澄のいる東京帝国大学へ進学する。同期入学に北山茂夫、久保田収や箭内健次らがいる。卒業論文では「中世における庄園の農民」をテーマとしようと黒板勝美に相談したところ、「歴史のいろいろな記録には殆んど出てこない、そんなものを調べてみても無駄だ」という意見であったというが、黒板の承認を得て清水三男の論文「中世に於ける若狹太良莊の農民」などに学びながら、卒業論文「中世における荘民について」をまとめた。
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内多 毅(うちだ たけし、1910年1月7日 - ?)は、英… 内多 毅(うちだ たけし、1910年1月7日 - ?)は、英文学者。 京都府出身。第三高等学校卒、1935年京都帝国大学文学部英文科卒。陸軍中尉。1962年「Henry Fieldingの小説The life of Mr. Jonathan Wild, the great(1743)における諷刺の研究」で京都大学文学博士。第三高等学校教授、大阪市立大学助教授、教授、1966年東海大学文学部教授、文学部長、81年定年退任、名誉教授。十八世紀英文学研究会を組織した。
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西田 太一郎(にしだ たいちろう、1910年(明治43年) … 西田 太一郎(にしだ たいちろう、1910年(明治43年) - 1982年(昭和57年)2月3日)は、日本の中国哲学者、法制史家。法学博士。京都大学名誉教授。第三高等学校、京都外国語大学教授。角川書店『新字源』編者の一人。 1910年、大阪府大阪市生まれ。1935年(昭和10年)、京都帝国大学文学部哲学科を卒業。大学では中国社会思想史および中国法制史を専攻した。 大学卒業後は、第三高等学校、京都大学に勤務。1962年(昭和37年)に「中国刑法史研究」を京都大学に提出して法学博士号を取得。1974年に定年退官し、名誉教授となった。その後も京都外国語大学教授として教鞭をとった。 中国思想史、中国法制史を専攻、『世界古典文学全集』『日本思想大系』等の訳注を担当した。
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鈴木 良一(すずき りょういち、1909年9月12日 - 2… 鈴木 良一(すずき りょういち、1909年9月12日 - 2001年4月3日)は、日本の歴史学者。専攻は中世史。土一揆・国一揆の研究で先駆的業績をあげる。その後に有力説となった戦国時代の明応の政変始期説を提唱する。 京都府生まれ、神奈川県出身。1930年第三高等学校文科乙類卒業、1933年東京帝国大学文学部国史学科卒業。卒業論文は「中世に於ける農民の統制(特に社寺を中心として)」。愛知県女子師範学校(現・愛知教育大学)、愛知県半田中学校で教諭。戦後は神奈川県で高校教師となる。のち平塚市史編さん協議会委員長。
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祐田 善雄(ゆうだ よしお、1909年(明治42年)8月13… 祐田 善雄(ゆうだ よしお、1909年(明治42年)8月13日 - 1973年(昭和48年)8月23日)は、日本の国文学者、浄瑠璃・歌舞伎研究者。 1909年(明治42年)、大阪府大阪市東区北久宝寺町で生まれた。1928年(昭和3年)に大阪府立今宮中学校を卒業し、第三高等学校文科乙類へ入学。1932年、同校を卒業後、京都帝国大学文学部文学科国語学国文科専攻に進んだ。1936年に卒業し、同大学大学院に進学。 京都大学に在籍のまま、1938年に天理図書館嘱託となる。これに合わせて、この頃天理市に居を移した。翌1939年2月に天理図書館司書を退職。1941年3月に京都帝国大学大学院を修了し、1942年4月から天理中学校嘱託に就職した。
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北山 茂夫(きたやま しげお、1909年(明治42年)3月3… 北山 茂夫(きたやま しげお、1909年(明治42年)3月3日 - 1984年(昭和59年)1月30日)は、日本の日本史学者(日本古代史専攻)、立命館大学教授などを歴任する。 和歌山県有田郡鳥屋城村(現在の有田川町)生まれ。和歌山県立耐久中学校、第三高等学校をへて、1934年東京帝国大学文学部国史学科卒業。西洋史の羽仁五郎に傾倒し、近代史を学ぶため大学院に進むが古代史で業績をあげる。横浜の潤光学園講師、ついで郷里に帰り和歌山県立田辺中学校教諭となり、敗戦を迎える。戦後、排斥運動に遭って野に下るが、立命館大学法学部専任講師となり、文学部教授に転じるが学生運動で辞職した。 左翼的な立場に立ちつつ文学的関心が深く、人物史を排斥せず、一般向けに奈良時代史についての書物を多く著した。
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木村 俊夫(きむら としお、1909年(明治42年)1月15… 木村 俊夫(きむら としお、1909年(明治42年)1月15日 - 1983年(昭和58年)12月1日)は、日本の政治家。元衆議院議員。 1909年(明治42年)三重県東員町生まれ。後に東員町名誉町民となる。祖父・木村誓太郎、父・木村秀興はいずれも衆議院議員。津中学校、第三高等学校 (旧制)文科丙類を経て、1938年(昭和13年)東京帝国大学法学部法律学科と政治学科を卒業。高等文官試験に合格して逓信省に入省。戦時下、逓信省と鉄道省が統合した運輸通信省を経て、運輸省に移る。戦後佐藤栄作に口説かれ、運輸省海運総局総務課長から政界に転身、1949年(昭和24年)の第24回衆議院議員総選挙で旧三重1区から保守系無所属で当選。
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前川 俊一(まえかわ しゅんいち、1908年6月5日 - 1… 前川 俊一(まえかわ しゅんいち、1908年6月5日 - 1993年1月11日)は、日本の英文学者、九州大学名誉教授。 三重県南牟婁郡(現熊野市)生まれ。第三高等学校 (旧制)卒。1931年、京都帝国大学経済学部卒。1934年東京帝国大学文学部英文科卒。東京府女子師範学校教諭。1937年第二高等学校 (旧制)教授。1943年第三高等学校 (旧制)教授。1948年九州大学法文学部助教授。1953年 - 1955年英国出張。1957年教授。1961年 - 1967年評議員。1964年 - 1966年文学部長。1972年定年退官、名誉教授、金城学院大学教授。
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松村 克己(まつむら かつみ、1908年〈明治41年〉4月1… 松村 克己(まつむら かつみ、1908年〈明治41年〉4月1日 - 1991年〈平成3年〉2月18日)は、日本の神学者(神学博士)。関西学院大学名誉教授。 1908年、東京生まれ。第三高等学校を経て、京都帝国大学哲学科に進学。1933年に卒業し、同大学大学院に進んだ。1937年に京都帝国大学講師に採用され、1942年に助教授昇格。 太平洋戦争終結後、戦時中の言動を元に京都大学文学部・教職員適格審査委員会による公職追放の対象となり、1946年に辞職。1950年、日本基督教団の正教師の按手を受ける。 1951年、関西学院大学文学部教授に就任。翌1952年の神学部復興とともに神学部教授、1954年に関西学院宗教総主事となり、1962年に神学部長に就任。
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室賀 信夫(むろが のぶお、1907年12月21日 - 19… 室賀 信夫(むろが のぶお、1907年12月21日 - 1982年2月15日)は、日本の地理学者。筆名・須見五郎。 1907年、東京府豊多摩郡淀橋町角筈(現新宿区)に生まれる。東京府立第五中学校(現東京都立小石川中等教育学校)から第三高等学校(文科)を経て、1928年京都帝国大学文学部史学科に入学。体調を崩し休学時期があり、1933年卒業となる。1937年、京都帝国大学文学部講師に就き、1938年より立命館大学講師を兼任する(1944年まで)。1943年には京都帝国大学助教授に昇進、同志社女子専門学校(現同志社女子大学)講師を兼任(1944年まで)。 しかし、太平洋戦争が終結すると、京都帝国大学文学部の地理学講座は戦中に地政学研究に大きく傾いた責任を問われ、全員が総辞職することとなった。
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鈴木 才蔵(すずき さいぞう、1907年(明治40年)10月… 鈴木 才蔵(すずき さいぞう、1907年(明治40年)10月10日 - 1977年(昭和52年)11月)は、日本の弁護士、公証人(東京法務局所属)。元法務省人権擁護局局長。元静岡地方裁判所所長。義父は参議院議員や小野田市(現:山陽小野田市)市長を務めた姫井伊介。 山口県出身。神奈川県在籍。香川愷太郎の次男に生まれ、鈴木謹次郎の養子となる。第三高等学校時代では一年違いに第7代最高裁判所長官の藤林益三がいた。のちに藤林は鈴木の死去に際して弔辞を読んだ。 1933年(昭和8年)東京帝国大学法科卒業(病気のため2年遅れで卒業)。1937年(昭和12年)11月高等試験司法科に合格。1939年(昭和14年)6月弁護士登録し、第一東京弁護士会に所属。
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山本 弥之助(やまもと やのすけ、1907年(明治40年)6… 山本 弥之助(やまもと やのすけ、1907年(明治40年)6月27日 - 1986年(昭和61年)4月11日)は、日本の警察・朝鮮総督府官僚、政治家、弁護士。衆議院議員、盛岡市長。位階は従四位。 本籍・岩手県。山本幸太郎の長男として大阪市に生まれる。第三高等学校を卒業。1931年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1932年、京都帝国大学法学部を卒業。朝鮮総督府に入府し内務局属となる。 以後、朝鮮総督府道理事官、平安北道学務課長、忠清南道地方課長、京畿道学務課長、総督府殖産局事務官、黄海道警察部長、咸鏡北道警察部長、総督府書記官・警務局経済警察課長などを歴任。 1944年7月、岩手県部長・警察部長へ転任。
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山田 良之助(やまだ りょうのすけ 1907年3月19日 -… 山田 良之助(やまだ りょうのすけ 1907年3月19日 - 1990年6月13日)は日本の金属工学、材料工学者、教育者。 1907年(明治30年)京都府に生まれる。京都府立第二中学校、第三高等学校を経て京都帝国大学機械工学科に入学。1921年(大正10年)に卒業すると、そのまま同大の講師を務めた。1923年(大正12年)東北帝国大学助教授、1927年(昭和2年)には東京高等工業学校の講師を兼ねた。1928年(昭和3年)ドイツに留学、1930年(昭和5年)に帰国後、京都大学教授。その後、東京工業大学金属科長、静岡大学学長兼短期大学学長、武蔵工業大学学長などを務めた。
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天坊 裕彦(てんぼう ひろひこ、1907年(明治40年)1月… 天坊 裕彦(てんぼう ひろひこ、1907年(明治40年)1月7日 - 1984年(昭和59年)8月23日)は、日本の鉄道官僚、政治家。日本国有鉄道副総裁、参議院議員(2期)。 京都府で天坊幸彦の長男として生まれる。第三高等学校を経て、1929年(昭和4年)3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1928年(昭和3年)10月、高等試験行政科試験に合格。1929年4月、鉄道省に入省して鉄道属に任官し大臣官房に配属された。 以後、松阪駅長、大阪鉄道局庶務課文書掛長、鉄道省事務官、中支那派遣軍特務部附、興亜院事務官、鉄道局参事、鉄道調査部書記官・鉄道調査部第一課長、業務局事業課長、運輸通信省自動車局業務部監理第三課長、華中鉄道参事、運輸省鉄道総局勤務、北海海運局長、運輸省大臣官房長、大阪鉄道局長などを歴任。
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重澤 俊郎(しげさわ としお、1906年12月13日 - 1… 重澤 俊郎(しげさわ としお、1906年12月13日 - 1990年5月21日)は、日本の中国哲学者。京都大学名誉教授。 1906年、東京で生まれた。京都帝国大学文学部に入学し、支那哲学科で小島祐馬に師事した。1932年に卒業 卒業後は第三高等学校教授に就いた。1942年、母校の京都帝国大学文学部助教授に任じられた。 戦後の1950年、学位論文『経学研究』を京都大学に提出して文学博士号を取得。同1950年、教授に昇格。1970年に定年退官し、名誉教授となった。 学風は小島祐馬や侯外廬に近く、マルクス主義歴史学的手法をとった。戦後の京大の学内政治に左翼的立場から関与した。指導学生には戸川芳郎や加地伸行がいる。
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上田 勤(うえだ つとむ、1906年11月12日 - 196… 上田 勤(うえだ つとむ、1906年11月12日 - 1961年3月2日)は、英文学者。 北海道函館市生まれ。第三高等学校卒、東京帝国大学英文科卒、第四高等学校教授、第一高等学校教授ののち、戦後、東京大学教養学部イギリス科主任教授を務めるが在職中に急逝した。現代英国小説を専攻し、モーム評伝のほか、オルダス・ハクスリー、ヘンリー・ジェイムズ、アレグザンダー・ポープなどを翻訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
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井上 智勇(いのうえ ちゆう、1906年(明治39年)5月2… 井上 智勇(いのうえ ちゆう、1906年(明治39年)5月26日 - 1984年(昭和59年)6月5日)は、西洋史学者、浄土真宗の僧侶。 兵庫県出身。1930年京都帝国大学卒。第三高等学校教授、1943年京都帝大助教授。1948年「ローマ経済史の研究」で)文学博士、同年京都大学教授。1970年定年退官、名誉教授、奈良教育大学学長。西洋古代史が専門。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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勝野 康助(かつの やすすけ、1906年 - 1985年)は… 勝野 康助(かつの やすすけ、1906年 - 1985年)は、日本の外交官。法務省入国管理局長、駐ノルウェー特命全権大使、駐ポルトガル特命全権大使。 岐阜県出身。麻布中学校、第三高等学校文科甲類を経て、1932年東京帝国大学法学部政治学科卒業、外務省入省。1948年連絡調整中央事務局第一部総務課長。1949年賠償庁賠償部長。1952年在サン・フランシスコ日本国総領事館総領事。1956年外務省経済局外務参事官。1957年外務大臣官房審議官。1958年法務省入国管理局長。1960年外務大臣官房審議官。同年セイロン国駐箚特命全権大使。1962年ノールウェー国駐箚特命全権大使。1965年ポルトガル国駐箚特命全権大使。
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児玉 信次郎(こだま しんじろう、1906年 - 1996年… 児玉 信次郎(こだま しんじろう、1906年 - 1996年1月17日)は、日本の化学者。 京都市に生まれる。第三高等学校(現在の京都大学)卒業後、1928年(昭和3年)京都帝国大学工学部工業化学科を卒業、理化学研究所に勤務した後に1932年(昭和7年)住友肥料製造所に転じる。1940年(昭和15年)京都帝国大学大学教授。1957年(昭和32年)に京都大学を退官後、住友化学の取締役となり、常務、専務を経て1965年(昭和40年)に副社長となった。 住友化学に勤務する傍ら、学術審議会委員、大学基準研究協議会委員、工業技術協議会臨時委員等の公職も務め、さらに日本化学会、化学工学協会、 日本特許協会、近畿化学工業会などの会長も歴任した。
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