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酒井 健三(さかい けんぞう、1931年6月16日 - )は… 酒井 健三(さかい けんぞう、1931年6月16日 - )は日本の大蔵官僚。理財局次長(理財担当)、国税庁次長、国際金融局長、商工組合中央金庫副理事長、ニコス生命保険取締役会長などを歴任。 富山県出身。第四高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東大法学部第1類在学中の1952年10月 国家公務員6級職試験を合格。1953年 大蔵省入省。大臣官房秘書課配属。1968年6月 大蔵大臣秘書官(事務担当)。1969年8月 大臣官房文書課長補佐(総括・審査)。1977年6月 国際金融局総務課長。1978年6月17日 福岡国税局長。1979年7月10日 大臣官房審議官(理財局担当)。1981年6月26日 理財局次長(理財担当)。
瀧山 養(たきやま まもる、1910年(明治43年)2月12… 瀧山 養(たきやま まもる、1910年(明治43年)2月12日 - 2009年(平成21年)4月7日)は、日本の鉄道官僚、土木工学者(工学博士・東京大学)。第62代土木学会会長、日本国有鉄道技師長・理事・顧問、鹿島建設専務取締役等を歴任した。戦前・戦後の激動の時代で、鉄道が輸送機関の主力であったときに鉄道技師として鉄道の発展に貢献。海外引揚や戦災復興都市計画、十河信二国鉄総裁のもと新幹線建設に尽力した。勲二等。 大阪府生まれ。後に東京市に転居し、東京市立麹町小学校、第四高等学校を経て、1932年東京帝国大学工学部土木工学科卒業。高等文官試験行政科に合格し、帝大卒業後鉄道省に入省。入省後は、東京改良事務所や新潟鉄道局、建設局停車場課、華北交通などに配属。
山内 六郎(やまうち ろくろう、1908年(明治41年)6月… 山内 六郎(やまうち ろくろう、1908年(明治41年)6月9日 - 没年不明)は、日本の造園系官僚。 静岡県に生まれる。旧制第四高等学校を経て、1934年に京都帝国大学農学部を卒業。1937年に静岡県立静岡農学校(現・静岡県立静岡農業高等学校)の教諭となる。 1940年に内務省に入り、計画局都市計画課技手となる。翌年、都市計画大阪地方委員会技手兼大阪府都市計画課技手に転じ、1943年には都市計画北海道地方委員会技師兼北海道庁技師となった。[要出典] 1947年から福岡県土木部計画課公園係長を務めた後、1955年に神戸市建設局に移る。神戸市では土木緑地砂防課長などを務めた。 1972年に第3回日本公園緑地協会公園緑地折下功労賞、昭和60年度(第4回)日本造園学会上原敬二賞を、それぞれ受賞している。
奥田 豊三(おくだ とよぞう、1908年(明治41年)1月2… 奥田 豊三(おくだ とよぞう、1908年(明治41年)1月20日 - 1983年(昭和58年)10月7日)は、参謀本部陸地測量部の測量官を務めた陸軍技師、内務官僚。第2代国土地理院長を務めた。 富山県富山市出身。第四高等学校理科甲類から1933年(昭和8年)3月31日東京帝国大学理学部天文学科学士試験合格後、東京天文台を経て、1942年(昭和17年)11月10日陸軍技師(高等官六等)に任官し陸地測量部付となる。 終戦を受け陸地測量部解体後、地理調査所を経て、1952年(昭和27年)理学博士(東京大学)、1961年(昭和36年)4月1日国土地理院長に就任。1962年(昭和37年)10月1日に国土地理院長を退官後は緯度観測所長、日本天文学会理事長、日本地図調製業協会会長を務めた。
井上 清一(いのうえ せいいち、1905年〈明治38年〉7月… 井上 清一(いのうえ せいいち、1905年〈明治38年〉7月31日 - 1967年〈昭和42年〉1月8日)は、日本の内務官僚、政治家。参議院議員(2期)、京都市長。 1905年に富山県婦負郡速星村の多額納税者井上清孝の長男として生まれる。第四高等学校から東京帝国大学法学部政治学科に進学し、在学中の1929年(昭和4年)10月に高等試験行政科試験合格。翌1930年帝大卒業とともに内務省へ入省し、四国地方行政事務局次長、同物価事務局長、京都府警察部長を歴任。 京都府知事木村惇の下で副知事を務めるが、1950年(昭和25年)4月に木村が公職選挙法違反で辞任したことで保守系の推薦で京都府知事選挙に立候補するも蜷川虎三に敗れる。
和久田 鐵雄(わくだ てつお、1904年(明治37年)2月2… 和久田 鐵雄(わくだ てつお、1904年(明治37年)2月25日 - 1990年(平成2年)4月26日)は、日本の内務・警察官僚、簡易裁判所判事、弁護士。最後の官選大分県知事。 静岡県出身。和久田半蔵の長男として生まれる。第四高等学校を卒業。1928年(昭和3年)京都帝国大学法学部を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し、1929年(昭和4年)新潟県警部となる。 以後、警視庁課長、警察講習所教授、岩手県経済部長、企画院第四部第一課長、宮城県部長・経済部長、広島県内務部長などを歴任。 1947年(昭和22年)3月、前任の細田徳寿が知事選に出馬のため辞任したことに伴い大分県知事に発令された。
武部 英治(たけべ えいじ、1902年(明治35年)11月2… 武部 英治(たけべ えいじ、1902年(明治35年)11月2日 - 1973年(昭和48年)12月7日)は、昭和期の鉄道官僚、政治家。衆議院議員、実業家。 武部定吉の次男。として石川県能美郡小松町東町(現小松市東町)で生まれる。第四高等学校を経て、1925年(大正14年)11月、高等試験行政科に合格。1926年(大正15年)東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業した。1926年(大正15年)、鉄道省に入省する。1944年(昭和19年)に、台湾総督府交通局鉄道部長となり終戦を迎えた。戦後、運輸省事務官を務めて退官。1952年(昭和27年)10月の第25回衆議院議員総選挙で石川県第1区から改進党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
関 外余男(せき とよお、1902年(明治35年)1月3日 … 関 外余男(せき とよお、1902年(明治35年)1月3日 - 2000年(平成12年)11月8日)は、日本の内務官僚。官選埼玉県知事、陸軍司政長官。旧姓・乾。 石川県金沢市で乾芳久の五男として生まれ、関薫の養子となる。第四高等学校を首席で卒業。1924年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し千葉県属となる。 以後、愛媛県経済部長、福井県書記官・警察部長、対満事務局行政課長、徳島県書記官・総務部長、内務省監査官などを歴任。1942年8月、陸軍司政長官に発令され、第25軍軍政監部付(スマトラ島)として、ジャンビー州長官を1944年8月末まで務めた。
伊能 繁次郎(いのう しげじろう、1901年〈明治34年〉3… 伊能 繁次郎(いのう しげじろう、1901年〈明治34年〉3月10日 - 1981年〈昭和56年〉6月12日)は、日本の運輸官僚・政治家。運輸事務次官に任じられたのち国政に転身し、参議院議員となり、防衛庁長官などを歴任した。 千葉県佐原町(現在の香取市)川岸に生まれる(ただし、本籍は同県中山村北方(現在の市川市北方)にあった)。 第四高等学校・東京帝国大学英法学科を経て、1926年(大正15年)に鉄道省入省(東鉄局書記)、1935年(昭和10年)より在外研究員として欧米各国の交通事情を調査、帰国後の1939年(昭和14年)には鉄道監察官に任じられる。 その後、1943年(昭和18年)運輸通信省書記官兼大臣官房文書室長、翌年には門司鉄道管理局長を歴任、戦後には運輸省鉄道総局長官となった。
小笠原 道生(おがさわら みちなり、1899年(明治32年)… 小笠原 道生(おがさわら みちなり、1899年(明治32年)9月16日 - 1955年(昭和30年)11月27日)は、文部官僚。 和歌山県出身。小笠原誉至夫の長男として生まれた。旧制和歌山中学時代には野球部員として第1回および第2回の全国中等学校優勝野球大会に出場している。第四高等学校を経て東京帝国大学医学部に進み、1925年(大正14年)卒業。文部省に入り、体育官兼体育研究所技師、大臣官房体育課長を経て、体育局長となる。体育研究所長となり、戦時中に退官した。 戦後は大映監査役、同取締役、文部省厚生振興会会長、横綱審議委員を務めた。
佐治 孝徳(さじ たかのり、1899年(明治32年)2月20… 佐治 孝徳(さじ たかのり、1899年(明治32年)2月20日 - 1953年(昭和28年)4月1日)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。台東庁長。 高知県安芸郡奈半利町に生まれる。第四高等学校を経て、1920年(大正9年)東京帝国大学法学部政治科に入学。1923年(大正12年)同大を卒業。在学中の1922年(大正11年)11月に高等試験に合格し、台湾総督府に奉職し台北州属となった。 高雄州警務課長、台北州七星郡守、新竹州内務部地方課長、台湾総督官房審議室勤務、台湾総督府事務官、台湾総督府営林所庶務課長、台北州内務部長、台中州内務部長、台東庁長、台湾総督府専売局参事・専売局庶務課長兼樟脳課長を経て、1942年(昭和17年)7月、台湾総督府専売局長に就任した。
中村 幸八(なかむら こうはち、1898年(明治31年)12… 中村 幸八(なかむら こうはち、1898年(明治31年)12月18日 - 1966年(昭和41年)11月18日)は、大正から昭和期の商工官僚、政治家。衆議院議員、特許局長官。旧姓・鈴木。位階は従三位。勲二等旭日重光章。 静岡県浜名郡笠井町(現:浜松市中央区)で鈴木幸作の三男として生まれ、のちに同郡雄踏町(現:浜松市中央区)の旧家・中村源左衛門の養子となり中村家31代当主を継承した。第四高等学校を経て、1922年(大正11年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年、農商務省に入省し特許局属に任じられ、1924年(大正13年)11月、高等試験行政科試験に合格した。 以後、特許局事務官、同審判官、同意匠課長、製鐵所参事、同労務部福利課長、大阪鉱山監督局鉱政課長、特許局事務官・庶務課長、商工書記官・鉱山局鉱政課長、仙台鉱山監督局長、福岡鉱山監督局長、特許局長官、北海軍需監理部長などを歴任し、1945年(昭和20年)に退官した。
上田 誠一(うえだ せいいち、1898年(明治31年)11月… 上田 誠一(うえだ せいいち、1898年(明治31年)11月10日 - 1969年(昭和44年)1月7日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選県知事。 石川県出身。小学校長・上田誠文の長男として生まれる。石川県立金沢第二中学校を卒業。金沢医学専門学校中退を経て、第四高等学校を卒業。1921年10月、高等試験行政科試験に合格。1922年3月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。同年4月、内務省に入省し、宮城県属となり内務部地方課に配属された。 1923年2月、宮城県警視・警察部警務課長に就任。以後、同保安課長兼工場課長、兵庫県警察部保安課長、同特別高等警察課長、京都府警察部特別高等警察課長、警視庁警視・特別高等警察課長、兼外事課長、警視庁衛生部長を歴任。
里見 富次(さとみ とみじ、1898年〈明治31年〉3月27… 里見 富次(さとみ とみじ、1898年〈明治31年〉3月27日 - 1998年〈平成10年〉6月29日)は、日本の内務官僚。元帝都高速度交通営団理事。 鳥取県境町(現境港市)出身。里見周三の二男。 第四高等学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。大正13年(1924年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し福島県属となる 大正15年(1926年)7月福島県事務官に任ぜられ爾来神奈川県事務官、高知県経済部長、千葉県書記官・学務部長、文部書記官、九州地方総監府参事官、近畿地方行政事務局次長等を歴任し、昭和23年(1948年)2月帝都高速度交通営団理事に就任した。 晩年は、日本進路指導協会会長、同理事長、顧問を歴任した。
坂田 英一(さかた えいいち、1897年3月27日 - 19… 坂田 英一(さかた えいいち、1897年3月27日 - 1969年7月22日)は、石川県出身の官僚、政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。 衆議院議員(7期)。農林大臣(第35代)。自民党佐藤派所属。 石川県加賀市生まれ。第四高等学校を経て、1920年、東京帝国大学農学部卒業後、農商務省入省。1938年、農林省特産課長(1946年まで)。 1949年1月の第24回衆議院議員総選挙に民主自由党から立候補し初当選(当選同期に池田勇人・佐藤栄作・前尾繁三郎・橋本龍伍・岡崎勝男・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・藤枝泉介・木村俊夫・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。
山内 継喜(やまうち つぐよし、1897年(明治30年)1月… 山内 継喜(やまうち つぐよし、1897年(明治30年)1月8日 - 1973年(昭和48年)12月26日)は、日本の内務・警察官僚、政治家。官選山形県知事、陸軍司政長官、初代勝山市長。 福井県大野郡荒土村(現:勝山市荒土町境)で、山内喜一郎の長男として生まれる。第四高等学校を卒業。1920年10月、高等試験行政科試験に合格。1921年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し青森県属となる。 1923年、警視庁警視となる。以後、板橋警察署長、大塚警察署長、本富士警察署長、警視庁監察官、台湾総督府事務官、青森県書記官・警察部長、岐阜県書記官・警察部長、山口県書記官・警察部長、宮城県書記官・警察部長、京都府書記官・警察部長、愛知県書記官・総務部長などを歴任。
柏原 兵太郎(かしわばら ひょうたろう、1896年3月18日… 柏原 兵太郎(かしわばら ひょうたろう、1896年3月18日 - 1952年12月8日)は、日本の鉄道官僚。 富山県出身。農業・柏原大次郎の長男として生れる。高等小学校中退、専検合格、第四高等学校を経て、1924年4月、東京帝国大学法学部を卒業した。 1923年12月、高等文官試験行政科試験に合格。翌年3月、鉄道省に入り、成東駅長、名古屋鉄道局運輸課貨物掛長などを経て、1933年9月から1935年7月まで在外研究員として欧米各国に出張した。大阪鉄道局運輸部貨物課長、鉄道省陸運監理官、鉄道調査部書記官、関東軍司令部事務嘱託(奉天在勤)、鉄道省運輸局配車課長、企画院第2部長、鉄道監、運輸通信省自動車局長などを歴任し、1944年9月、依願免官。
遠山 信一郎(とおやま しんいちろう、1895年2月1日 -… 遠山 信一郎(とおやま しんいちろう、1895年2月1日 - 1979年6月14日)は、日本の内務官僚。 千葉県印旛郡八街村(現・八街市)生まれ。第四高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治科卒業。 1920年 内務省に入省。長野県配属。1931年 静岡県内務部地方課長。1932年3月 富山県学務部長。学務部長という職にありながら農村報徳運動の普及に力をそそぎ、飛行場建設にも幹事長として重要な役割を果たし、影のプロモーターといわれた。富山県新興報徳社など各地の報徳社の設置にも携わる。1935年1月18日 埼玉県経済部長。なお、1936年2月26日から1941年2月27日まで大日本報徳社の参事を兼ねており、1936年12月26日に設立された報徳経済学研究会では実行委員を務めていた。
東谷 傳次郎(伝次郎、とうたに でんじろう、1894年〈明治… 東谷 傳次郎(伝次郎、とうたに でんじろう、1894年〈明治27年〉12月1日 - 1987年〈昭和62年〉2月15日)は、大正・昭和期の官僚。会計検査院長を務めた。位階は従三位。 広島県安佐郡福木村(現広島市東区)で農業・東谷保五郎の三男として生まれた。専検に合格し旧制第四高等学校を卒業。1921年(大正10年)4月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年11月、高等試験行政科試験に合格した。1922年(大正11年)2月、会計検査院に入院し同書記に任官、第三部第三課に配属された。 以後、官房総務科長、第四部第一課長、第二部第三課長、第一部第一課長、第三部第三課長などを歴任。 1942年(昭和17年)5月、南方軍司令部附に発令。
松沢 竜雄(まつざわ たつお、1893年(明治26年)3月9… 松沢 竜雄(まつざわ たつお、1893年(明治26年)3月9日 - 1970年(昭和45年)1月25日)は、日本の内務官僚、朝鮮総督府官僚、弁護士。 山形県飽海郡北平田村(現在の酒田市)出身。第四高等学校を経て、1919年(大正8年)に東京帝国大学法学部独法科を卒業した。三井物産に入社するが、1923年(大正12年)に高等試験行政科に合格し、内務属となる。島根県美濃郡長、同八束郡長、島根県事務官、岡山県事務官、千葉県書記官・学務部長、福井県書記官・警察部長、群馬県書記官・経済部長を歴任。1936年(昭和11年)、朝鮮総督府に転じ、農林局農務課長、総督官房外事部長を経て、1940年(昭和15年)に専売局に就任。
清水 良策(しみず りょうさく、1893年2月27日 - 1… 清水 良策(しみず りょうさく、1893年2月27日 - 1989年9月7日)は、日本の内務官僚、実業家。県知事、川崎重工業取締役。 現在の石川県七尾市出身。清水栄蔵の二男として生まれる。第四高等学校を経て、1916年、京都帝国大学法科大学政治科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り京都府属となる。 以後、京都府理事官、栃木県学務部長、内務事務官、内務省土木局道路課長、同港湾課長、静岡県書記官・内務部長などを歴任。 1932年6月、和歌山県知事に就任。1934年11月に退任し、満州国民政部総務司長に転じた。1936年6月、徳島県知事となり、次いで、宮城県知事に異動。1940年4月、宮城県知事を辞任して退官し、川崎重工業取締役に就任し、1946年まで在任。
泊 武治(とまり たけじ、1889年(明治22年)3月25日… 泊 武治(とまり たけじ、1889年(明治22年)3月25日 - 1953年(昭和28年)2月20日)は、日本の内務・警察官僚。官選高知県知事。陸軍司政長官。 石川県出身。泊宗平の五男として生まれる。第四高等学校を卒業。1914年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1915年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。 三井鉱山を経て、1916年、内務省に入省し北海道庁属となる。 以後、北海道庁警視、警視庁警視、同理事官、島根県書記官・警察部長、徳島県書記官・警察部長、長野県書記官・警察部長、和歌山県書記官・内務部長、京都府書記官・警察部長、同内務部長、大阪府内務部長、北海道庁土木部長などを歴任。
関屋 延之助(せきや えんのすけ / のぶのすけ、1888年… 関屋 延之助(せきや えんのすけ / のぶのすけ、1888年(明治21年)6月22日 - 1975年(昭和50年)7月21日)は、日本の内務官僚。官選県知事、弁護士。 石川県鹿島郡崎山村三室(現在・七尾市)出身。関屋助右衛門の四男として生まれる。第四高等学校を経て、1914年(大正3年)、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。1913年(大正2年)11月、文官高等試験行政科試験に合格。大学卒業後、内務省に入り和歌山県地方課に勤務、その後、同県那賀郡長となる。 以後、和歌山県警視、滋賀県理事官、京都府理事官、岐阜県警察部長、北海道庁拓殖部長、1931年(昭和6年)12月に新潟県書記官・内務部長などを歴任。
井上 英(いのうえ えい / ひで、1886年(明治19年)… 井上 英(いのうえ えい / ひで、1886年(明治19年)12月 - 1975年(昭和50年)4月2日)は、日本の内務・警察官僚、政治家。官選佐賀県知事、旭川市長、新潟市長。旧姓・村田。 埼玉県出身。村田謙吉の二男として生まれ、井上家の養子となる。第四高等学校を卒業。1912年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1913年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。内務省に入省し福井県属となる。 以後、福井県警視、同理事官、長野県理事官、大阪府理事官、茨城県警察部長、熊本県書記官・警察部長、新潟県書記官・警察部長、京都府書記官・警察部長などを歴任。 1930年7月、佐賀県知事に就任。風水害からの復旧、教育調査会の設置などに尽力。
新井 尭爾(新井堯爾、あらい たかじ / ぎょうじ、1886… 新井 尭爾(新井堯爾、あらい たかじ / ぎょうじ、1886年(明治19年)5月15日 – 1966年(昭和41年)5月9日)は、日本の政治家、鉄道官僚。衆議院議員(2期) 埼玉県南埼玉郡篠津村(現在の白岡市)に衆議院議員新井啓一郎の三男として生まれる。旧制第四高等学校を経て、1912年(明治45年)、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。高等文官試験に合格し、鉄道院書記、沼津駅助役、程ヶ谷駅駅長、鉄道院参事補、同副参事、同参事、鉄道書記官、監督局業務課長、門司鉄道局運輸課長、東京鉄道局運輸課長、運輸局国際課長、同局配車課長などを歴任した。 1930年(昭和5年)、国際観光局が新設されると局長に就任し、観光基盤作りに尽力した。
富田 愛次郎(とみた あいじろう、1885年(明治18年)1… 富田 愛次郎(とみた あいじろう、1885年(明治18年)12月5日 - 1954年(昭和29年)11月3日)は、日本の内務官僚、政治家。県知事、衆議院議員。 愛知県出身。富田治郎右衛門の三男として生まれる。第四高等学校を経て、1913年、京都帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。1912年11月、文官高等試験行政科試験に合格。大学卒業後、内務省に入り京都府属となる。 以後、京都府警視、埼玉県理事官、同視学官、内務省警保局事務官兼内務書記官、社会局第一課長、同書記官、同労働部長、同社会部長、中央職業紹介事務局長などを歴任。 1935年1月、三重県知事に就任。1937年1月、広島県知事に転じた。
藤岡 兵一(ふじおか ひょういち、1885年〈明治18年〉4… 藤岡 兵一(ふじおか ひょういち、1885年〈明治18年〉4月2日 - 1957年〈昭和32年〉1月5日)は、日本の内務・警察官僚。政友会系官選県知事、浜松市長。 石川県出身。藤岡明郷の長男として生まれる。第四高等学校を卒業。1909年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し岐阜県属となる。 以後、岐阜県事務官、山口県事務官、同理事官、静岡県理事官、鳥取県警察部長、群馬県警察部長、宮城県警察部長、広島県警察部長、内務事務官兼内務書記官などを歴任。 大正12年(1923年)9月、高知県知事に就任。在任中の同年12月5日、高知城公園内の板垣退助銅像が建立され、退助令孫・板垣守正の手により除幕されている。
白上 佑吉(しらかみ ゆうきち、1884年(明治17年)12… 白上 佑吉(しらかみ ゆうきち、1884年(明治17年)12月19日 - 1965年(昭和40年)1月24日)は、日本の内務及び警察官僚。官選県知事。旧姓は林。陸軍大臣や首相を務めた林銑十郎は実兄。 石川県出身。父、石川県士族・林孜々郎が富山県礪波郡首席書記の時に、同郡出町(現砺波市)で三男として生まれる。その後、父の上司(郡長)で後に山口県警部長となった白上俊一の養子となる。第四高等学校を卒業。1910年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し警視庁警部・第一部警務課勤務となる。 1910年12月、警視総監官房文書課審査係長兼高等課外事係長に就任。
畑山 四男美(はたやま しおみ、1884年〈明治17年〉7月… 畑山 四男美(はたやま しおみ、1884年〈明治17年〉7月13日 - 1971年〈昭和46年〉8月8日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。県知事、福岡市長。位階は正四位。勲等は勲三等。 高知県安芸郡羽根村(現室戸市羽根町)で、畑山亀喜代、岩の四男として生まれる。第四高等学校を経て、1915年(大正4年)、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1916年(大正5年)、内務省に入り宮城県属となる。 以後、宮城県亘理郡長、佐賀県・岩手県・長野県の各理事官、岐阜県書記官、熊本県書記官・学務部長、鹿児島県書記官・警察部長、同内務部長、大分県書記官・内務部長、北海道庁部長・土木部長などを歴任。
得能 佳吉(とくのう かきち、1884年(明治17年)4月3… 得能 佳吉(とくのう かきち、1884年(明治17年)4月3日 - 1964年(昭和39年)6月19日)は、日本の内務官僚、実業家。官選岩手県知事。 富山県出身。得能通孝の六男として生まれる。第四高等学校を卒業。1909年、東京帝国大学法科大学を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し警視庁警部となる。 以後、岡山県試補、警視庁警視、山形県警察部長、滋賀県警察部長、台湾総督府警視兼同府警察官及び司獄官練習所長、拓殖局書記官、内務書記官、北海道庁書記官・内務部長などを歴任。 1925年9月、岩手県知事に就任。公平無私な県政運営を行う。和賀妻堰・中央耕地の整備、公会堂建築、農学校移転などに尽力。
神鞭 常孝(こうむち つねたか、1883年(明治16年)2月… 神鞭 常孝(こうむち つねたか、1883年(明治16年)2月24日 – 1956年(昭和31年)6月27日)は、日本の大蔵官僚。南満州鉄道理事、北支那開発副総裁。 京都府出身。衆議院議員・法制局長官神鞭知常の長男として生まれる。第四高等学校を経て、1907年(明治40年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、同年に高等文官試験に合格した。大蔵省に入って、ロンドン駐在財務官附となり、1911年(明治44年)に帰国。税関事務官として横浜税関に勤務し、大蔵省関税課長、横浜税関長を歴任した。 1927年(昭和2年)、南満州鉄道株式会社の理事に就任し、経理部長・販売部長・用度部長を務めた。さらに昭和製鋼所常務取締役となり、1938年(昭和13年)からは北支那開発株式会社の副総裁を務めた。
久保 豊四郎(くぼ とよしろう、1882年(明治15年)2月… 久保 豊四郎(くぼ とよしろう、1882年(明治15年)2月6日 - 没年不詳)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。 富山県出身。久保理平の息子として生まれる。第四高等学校を卒業。1908年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。内閣属となり統計局に配属。1910年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1911年、内務省に転じ長崎県属となる。 以後、長崎県事務官補、静岡県理事官・視学官、福岡県理事官・視学官、愛知県事務官、茨城県警察部長、関東庁参事官などを歴任。1922年、欧米各国に出張。1923年に帰国し関東庁事務官を兼任。さらに同庁警務局長を務めた。 1928年5月11日、鳥取県知事に就任。
武部 欽一(たけべ きんいち、1881年(明治14年)4月2… 武部 欽一(たけべ きんいち、1881年(明治14年)4月25日 - 1955年(昭和30年)8月2日)は、日本の文部官僚。教育者。 金沢市出身。旧制第四高等学校を経て、1908年(明治41年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、翌年に山口県事務官に任官した。1911年(明治44年)、文部省参事官に転じ、宗教局長、実業学務局長、普通学務局長、資源局参与を歴任した。1929年(昭和4年)、朝鮮総督府学務局長に就任。再び文部省普通学務局長を務めた後、1934年(昭和9年)に広島文理科大学学長・教授に就任するが、数日で辞任を余儀なくされた。 その後、日本青年館理事、帝国教育会専務理事、社会教育協会理事、共立女子学園理事、東京帝国大学講師、慶應義塾大学講師を務めた。
野口 淳吉(のぐち じゅんきち、1880年(明治13年)11… 野口 淳吉(のぐち じゅんきち、1880年(明治13年)11月14日 - 1919年(大正8年)9月5日)は、明治から大正にかけての内務官僚。 従兄は実業家の野口遵。義妹(弟の妻)は女性運動家の堀田くに。甥は作家の堀田善衛。大甥は経済学者の堀田一善。 富山県士族野口忠五郎の次男として生まれる。旧制第四高等学校を経て、1906年に東京帝国大学法科大学を卒業し、翌年11月高等文官試験に合格。12月16日栃木県警視に任じられ、1908年2月に福井県事務官に転じたのち、1910年7月14日秋田県事務官・秋田県警察部長、北海道庁事務官・北海道庁拓殖部長、1913年6月13日新潟県警察部長、1914年6月9日山口県内務部長に任じられた。
山田博愛(やまだ ひろよし(はくあい)、1880年 - 19… 山田博愛(やまだ ひろよし(はくあい)、1880年 - 1958年)は、日本の内務官僚・都市計画家・土木技術者。旧都市計画法、関東大震災後の帝都復興計画を立案した。新潟県出身。 新潟県高田で長男として生まれる。高田中から第四高等学校 (旧制)を経て、1905年、東京帝国大学工科大学土木工学科を7月卒業。同年9月、東京市に入る。1906年12月に技師、1908年には土木局道路課長となる。 1908年7月からの埼玉県の、1915年3月からの滋賀県の土木課長を経て、1918年に内務省大臣官房局に都市計画課が創設されると、土木分野の主任技師に抜擢され、都市計画課長池田宏や建築主任技師の笠原敏郎らと協力して都市計画法と市街地建築物法の立案と制定に関し中心的役割を果たす。
芝田 徹心(しばた てっしん、1879年〈明治12年〉2月2… 芝田 徹心(しばた てっしん、1879年〈明治12年〉2月25日 - 1950年〈昭和25年〉2月6日)は、日本の文部官僚。女子学習院長。宮中顧問官。 三重県三重郡四郷村(現在の四日市市)出身。三重県尋常中学校、第四高等学校を経て1903年(明治36年)に東京帝国大学文科大学哲学科を卒業し、大学院で宗教哲学・倫理学を専攻した。高輪中学校教諭、順天中学校教諭、高輪仏教大学教授、日蓮宗大学教授、曹洞宗大学教授、第八高等学校講師、同教授・教務課長、愛知医学専門学校講師を務めた。さらに文部省督学官、第八高等学校校長、文部省図書局長を歴任。1936年(昭和11年)、東京美術学校校長に就任し、1940年(昭和15年)に女子学習院長に転じた。
沢永 彦四郎(さわなが ひこしろう、1879年(明治12年)… 沢永 彦四郎(さわなが ひこしろう、1879年(明治12年)2月15日 - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚・台湾総督府官僚。旧名太吉。 富山県西礪波郡福岡町(現在の高岡市)出身。第四高等学校を経て、1901年(明治34年)、京都帝国大学法科大学政治科、同経済科を卒業し、統監府属となった。1910年(明治43年)、朝鮮総督府属となり、同年11月、文官高等試験行政科試験に合格した。その後、朝鮮総督府営林廠事務官、鎮南浦府尹、逓信局事務官・海事課長などを歴任した。 いったん退官するが、1929年(昭和4年)に台湾総督府総督官房会計課長として復帰した。1931年(昭和6年)、台湾総督府専売局参事となり、神戸支局長を務めた。
谷 欽太郎(たに きんたろう、1878年(明治11年)12月… 谷 欽太郎(たに きんたろう、1878年(明治11年)12月9日 - 1951年(昭和26年)9月16日)は、日本の台湾総督府官僚、政治家、実業家。衆議院議員。 富山県下新川郡仏田村(現富山県魚津市)で、谷平吉の長男として生まれ、1897年4月、谷順平の長女・寿意と結婚し婿養子となる。第四高等学校を経て、1904年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。1905年8月、文官高等試験行政科試験に合格した。 1906年2月、台湾総督府に入り、同属、同専売局書記、同事務官、同脳務課長などを歴任した。1913年に退官。 1915年3月、第12回衆議院議員総選挙に富山県郡部から立憲政友会所属で出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。
茨木 清次郎(いばらき せいじろう、1876年(明治9年)8… 茨木 清次郎(いばらき せいじろう、1876年(明治9年)8月19日 - 1955年(昭和30年)3月15日)は、日本の文部官僚。教育者。 石川県出身。旧制第四高等学校を経て、1899年(明治32年)に東京帝国大学文科大学英文科を卒業。翌年四高教授となり、イギリス留学の後、1908年(明治41年)から文部省視学官・図書審査官となり、1913年(大正2年)からは督学官を務めた。1917年(大正6年)、東京音楽学校校長となり、東京外国語学校校長、旧制松本高等学校校長、東京女子高等師範学校校長、旧制浦和高等学校校長を歴任した。 1935年(昭和10年)に退官し、1937年(昭和12年)からは竹田宮附別当を務めた。
中山 佐之助(なかやま さのすけ、1876年(明治9年)2月… 中山 佐之助(なかやま さのすけ、1876年(明治9年)2月29日 - 1940年(昭和15年)12月10日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。 香川県出身。中山小平次の二男として生まれる。第四高等学校を卒業。1903年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1904年、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。台湾総督府に入り同府警部となる。 以後、台湾総督府警視兼同参事官を経て内務省に転じ、茨城県警察部長、熊本県内務部長などを歴任。 1921年5月、熊本県知事に昇格。1922年10月、関東庁警務局長に転任。1927年5月、茨城県知事に就任。同年7月、石川県知事に転任。1929年7月、休職となる。
堀内 秀太郎(ほりうち ひでたろう / しゅうたろう、187… 堀内 秀太郎(ほりうち ひでたろう / しゅうたろう、1873年(明治6年)10月11日 - 1941年(昭和16年)6月1日)は、日本の内務官僚、実業家。官選県知事。 石川県金沢市出身。旧加賀藩士・堀内茂成の長男として生まれる。第四高等学校を首席で卒業。1898年、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。内務省に入省し社寺局属となる。1899年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 以後、内務属臨時検疫局事務官、警察監獄学校教授、内務省参事官、神奈川県参事官、同事務官、徳島県事務官・第一部長兼第三部長、同内務部長、大阪府事務官・内務部長、北海道庁内務部長などを歴任。 1915年8月、宮崎県知事に就任。
中川 友次郎(なかがわ ともじろう、1873年(明治6年)4… 中川 友次郎(なかがわ ともじろう、1873年(明治6年)4月 - 1945年(昭和20年)4月15日)は、日本の内務・農商務官僚。群馬県知事(官選第20代)、台湾総督府財務局長、特許局長官。旧姓・井関。 現在の石川県金沢市出身。井関好直の弟として生まれ、金沢電気瓦斯社長の中川長吉の婿養子となる。第四高等学校を卒業。1897年、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し県治局属となる。 以後、内務省書記官、同参事官、高知県書記官、農商務省参事官、同山林局長、法制局参事官などを歴任。1910年9月、台湾総督府財務局長に就任。 1917年9月、群馬県知事に転任。
深町 錬太郎(ふかまち れんたろう、1871年3月17日(明… 深町 錬太郎(ふかまち れんたろう、1871年3月17日(明治4年1月27日)- 1918年(大正7年)9月25日)は、明治後期から大正前期の逓信官僚、内務官僚。官選愛媛県知事。 加賀国金沢下高儀町で加賀藩士深町鉄五郎の長男として生まれる。第四高等学校を首席で卒業。1896年(明治29年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。逓信省に入省し通信局属となる。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格。 1897年(明治30年)逓信事務官となる。以後、通信事務官、鹿児島郵便電信局・大阪郵便電信局・札幌郵便電信局の各勤務を歴任。1899年(明治32年)内務省に転じ、愛知県事務官、茨城県事務官、栃木県事務官、新潟県事務官・内務部長を務めた。
倉知 鉄吉(くらち てつきち、明治3年12月3日(1871年… 倉知 鉄吉(くらち てつきち、明治3年12月3日(1871年1月23日) - 昭和19年(1944年)12月22日)は、日本の外務官僚。貴族院勅選議員、錦鶏間祗候。実業家。 加賀藩士倉知行徳の長男として生まれる。第四高等学校を経て、1894年(明治27年)に東京帝国大学法科大学英法科を卒業した。内務属となったが、1897年(明治30年)に外務省参事官に転じ、ドイツ公使館書記官、統監府書記官などを歴任した。1908年(明治41年)、外務省政務局長に就任し、1912年(明治45年)には外務次官に昇進した。政務局長・次官在任中に日清協約、日露協約、韓国併合、条約改正などに関わった。 1913年(大正2年)に退官するとともに、貴族院勅選議員(2月13日)、錦鶏間祗候(2月14日)に任じられた。