大澤 正明(おおさわ まさあき、1946年〈昭和21年〉1月… 大澤 正明(おおさわ まさあき、1946年〈昭和21年〉1月21日 - )は、日本の政治家。 群馬県知事(公選第17・18・19代)、群馬県議会議員(4期)、第80代群馬県議会議長、尾島町議会議員(2期)などを歴任した。 1946年1月21日、群馬県新田郡尾島町尾島(現在の太田市尾島町)で生まれる。父は尾島町長を務めた大澤明治。1964年、群馬県立太田高等学校卒業。1969年、慶應義塾大学工学部卒業。 1970年、海上自衛隊幹部候補生学校卒業(20期1分隊)。 1971年、大沢建設株式会社入社。1978年に株式会社三協を設立し代表取締役となる。1983年に尾島町議に当選、連続2期務め議長にもなった。
馬渕 睦夫(まぶち むつお、1946年〈昭和21年〉1月21… 馬渕 睦夫(まぶち むつお、1946年〈昭和21年〉1月21日 - )は、日本のノンフィクション作家、元外交官。 在イスラエル日本大使館公使、在タイ日本大使館特命全権公使、特命全権大使キューバ国駐箚、駐ウクライナ兼モルドバ大使、防衛大学校教授を歴任。日本文化チャンネル桜コメンテーター。 京都府船井郡八木町日置出身。八木町立富本小学校、福知山市立大江中学校、京都府立園部高等学校第16回を経て、京都大学法学部3年次在学中に外務公務員採用上級試験に合格し中退、1968年(昭和43年)に外務省入省。 研修先であったイギリスのケンブリッジ大学経済学部に入学し、1971年(昭和46年)に卒業。 外務本省では、国際連合局社会協力課長(1984年-1986年)、大臣官房文化交流部文化第一課長、東京都外務長(1995年-1997年)などを歴任。
細谷 一郎(ほそたに いちろう、1946年1月21日 - )… 細谷 一郎(ほそたに いちろう、1946年1月21日 - )は、兵庫県出身の元サッカー選手。ポジションはFW、MF。 兵庫県立神戸高等学校時代には同校校長を務めた高山忠雄の指導を受けた。 早稲田大学、三菱重工等でプレーし、日本代表としても、国際Aマッチ4試合に出場し1得点を記録した。現役引退後は社業に専念して三菱重工関西支社地域開発プロジェクト部長などを歴任。また、神戸フットボールクラブのシニアチームに所属してプレーしている
池ノ上 克(いけのうえ つよむ、1946年(昭和21年)1月… 池ノ上 克(いけのうえ つよむ、1946年(昭和21年)1月21日 - )は日本の医師、医学者。専門は周産期医学。宮崎大学名誉教授で、2015年10月から同大学学長を務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。1964年長崎県立長崎東高等学校卒業。1970年鹿児島大学医学部を卒業。1972年鹿児島市立病院に産婦人科医員として勤務。その後南カリフォルニア大学産婦人科とカリフォルニア大学アーバイン校産婦人科に留学する。1982年に医学博士号を取得(日本大学)。1990年に鹿児島市立病院産婦人科部長となる。1991年宮崎医科大学産婦人科教授。2003年宮崎医科大学の宮崎大学への統合に伴い宮崎大学医学部附属病院副病院長。
尼崎 博正(あまさき ひろまさ、1946年1月21日 - )… 尼崎 博正(あまさき ひろまさ、1946年1月21日 - )は、日本の造園学者、作庭家、京都造形芸術大学名誉教授。日本庭園研究センター所長。日本庭園・歴史遺産研究センター名誉教授。京都芸術短期大学学長、京都造形芸術大学副学長を歴任。学外では日本イコモス国内委員会理事、文化庁文化審議会文化財分科会第三専門調査会名勝委員会委員、文化庁史跡等における歴史的建造物の復元の取扱いに関する専門委員会(復元検討委員会)委員、文化財庭園保存技術者協議会評議会員、宮内庁御所離宮庭園特別整備技術指導委員、京都市美観風致審議会委員、京都市保育園連盟顧問、元離宮二条城保存整備懇談会副座長、並河靖之七宝記念館評議員、滋賀県文化財保護審議会副会長、大阪市文化財保護審議会委員、日本造園アカデミー会議副議長、日本造園学会評議員、茶の湯文化学会理事、日本造園修景協会評議員、史迹美術同攷会会長などを務める。
大竜川 一男(だいりゅうがわ かずお、1946年1月21日 … 大竜川 一男(だいりゅうがわ かずお、1946年1月21日 - )は、兵庫県加古川市東神吉町出身で三保ヶ関部屋に所属した大相撲力士。本名は和田 一男(わだ かずお)。身長178cm、体重118kg。最高位は東前頭筆頭(1969年11月場所)。 加古川市立東神吉小学校在籍時から、相撲に親しんでいた。加古川市高砂市組合立宝殿中学校では相撲部に入り、3年次には兵庫県中学校相撲大会個人戦で優勝した。出身地が近い三保ヶ関親方(元大関・初代増位山)の熱心な勧誘を受け、中学校卒業直前に三保ヶ関部屋へ入門し、1961年1月場所にて、14歳で初土俵を踏んだ。 突っ張ってからの右四つに加え、土俵際の粘りや、突き落としや足技(時折、立合い一瞬の蹴手繰り)も見せるなど多彩な技の持ち主として知られた。
溝口 善兵衛(みぞぐち ぜんべえ、1946年(昭和21年)1… 溝口 善兵衛(みぞぐち ぜんべえ、1946年(昭和21年)1月20日 - 2024年(令和6年)8月20日)は、日本の大蔵・財務官僚、政治家。島根県知事(3期)。血液型はB型。 島根県益田市生まれ。島根県立益田高等学校、東京大学経済学部卒業。1968年4月、大蔵省に入省し、理財局総務課に配属された。鳥取税務署長などを務めた後、1977年より在ドイツ連邦共和国(西ドイツ)日本大使館に勤務(当初は二等書記官、のち一等書記官)。斎藤次郎は大使館時代の上司。1980年7月に大蔵省へ戻り、主計局主計官補佐(地方財政、補助金係主査)となる。溝口の主計官補佐(主査)への就任は斎藤の口添えがあったものだとされている。
村田 好夫(むらた よしお、1946年1月20日 - )は、… 村田 好夫(むらた よしお、1946年1月20日 - )は、朝日放送の元アナウンサーでフリーアナウンサー。 鹿児島県名瀬町(現:奄美市)出身。鹿児島県立加治木高等学校を経て、明治大学法学部卒業後、1969年に朝日放送アナウンサーとして入社。同期に乾龍介、嶋田崇彦、戸倉信吉がいる。1985年から夕方のローカルニュース番組『たいむ6』のキャスターを務めた他、『おはようコールABC』の司会、『おはよう朝日です』のニュースキャスターを長く務めた。その他にもテレビ朝日『ステーションEYE』の週末全国版のキャスターも務めた。また、朝日放送が制作に関係した鉄道ビデオでは、ナレーションを担当している。 その他には報道情報局専任局長も歴任し、2005年12月30日、ABCラジオのニュース(ABC朝日ニュース)をもってアナウンサーを勇退した。
山川 烈(やまかわ たけし、1946年〈昭和21年〉1月20… 山川 烈(やまかわ たけし、1946年〈昭和21年〉1月20日 - )は、日本の工学博士、九州工業大学名誉教授。一般財団法人ファジィシステム研究所所長、21世紀COEプログラム「生物とロボットが織りなす脳情報工学の世界」拠点リーダー。
板倉 徹(いたくら とおる、1946年1月20日 - 201… 板倉 徹(いたくら とおる、1946年1月20日 - 2016年2月25日)は、日本の脳神経外科医。医学博士(和歌山県立医科大学・1983年)。和歌山県立医科大学名誉教授。 京都府出身。1970年に和歌山県立医科大学卒業。1983年に同医学博士。同附属病院診療医、講師、助教授、カリフォルニア工科大学生物学部門留学、1994年に和歌山県立医科大学脳神経外科教授。2006年に和歌山県立医科大学理事、和歌山県立医科大学附属病院院長。2008年に和歌山県立医科大学医学部長。2010年から2014年まで理事長・学長。名誉教授。日本高次脳機能障害学会会長。日本脳神経外科学会専門医。アルテリーヴォ和歌山を運営するNPO法人和歌山からJリーグを作る会の理事長を務めていた。
鈴木康司(すずき こうじ、1946年1月19日 - )は日本… 鈴木康司(すずき こうじ、1946年1月19日 - )は日本の大蔵官僚、弁護士。血液型はB型。 北海道小樽市出身(父母も北海道)。北海道小樽潮陵高等学校、東京大学法学部卒業。1968年4月 大蔵省入省(国有財産局総務課)。同年6月 理財局国有財産総括課。1973年7月 潮来税務署長。1995年6月20日 関東財務局長。1996年1月5日 退官。1997年1月 (株)内外政策研究会代表。2002年に弁護士登録。2015年6月 越後交通(株)社外取締役。
碑文谷 創(ひもんや はじめ、1946年1月19日 - )は… 碑文谷 創(ひもんや はじめ、1946年1月19日 - )は、岩手県一関市生まれ・宮城県仙台市出身のジャーナリスト。死と葬送の文化についての報道・評論・講演活動を行う。「葬送ジャーナリスト」「葬送評論家」と言われる。 東京神学大学卒業、同大学大学院修士課程中退。日本基督教団の教団闘争において、東京神学大学全学共闘会議を率い、東神大闘争を先導したリーダーである。1971年1月25日に、「闘いに終わりはないし、我々は終わることを許しはしない。」と、東神大教授会、キリスト教会、国家権力、闘いの中途にくじけた仲間と、自らへの告発の書である、東京神学大学全学共闘会議・解散宣言を発表した。大学院時代に「碑文谷創」と名乗り文章を書く。
柳父 圀近(やぎゅう くにちか、1946年1月19日 - 2… 柳父 圀近(やぎゅう くにちか、1946年1月19日 - 2025年2月18日)は、日本の政治思想史研究者。東北大学名誉教授。 1946年神奈川県生まれ。1976年一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。青山学院女子短期大学助教授を経て、1987年東北大学法学部助教授、1988年教授。1997年東北大学法学部長・同法学研究科長。2010年定年退職、東北大学教養教育院特命教授。東北大学名誉教授。 ウェ-バ-、トレルチなどを中心に、西洋政治思想における政治と宗教の関係を研究した。また内村鑑三などの日本プロテスタンティズムの政治思想も研究した。博士(法学)(東北大学)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
飯山 一郎(いいやま いちろう、1946年〈昭和21年〉1月… 飯山 一郎(いいやま いちろう、1946年〈昭和21年〉1月17日 - 2018年〈平成30年〉7月20日)は、日本の発明家。乳酸菌を大量培養する装置「グルンバ・エンジン」で知られる。 1946年栃木県で生まれる。 栃木県立真岡高等学校、立教大学法学部卒業。 1990年、上海で汚泥処理機グルンバ・エンジンを開発。「グルンバ・エンジン」という乳酸菌を培養することで汚泥・悪臭を除去する装置を開発した。同装置を用い、日本だけでなく、台湾、中国、韓国などの荒廃した農地を改良し、肥えた農地を蘇らせるなど、国内外で数多くの実績を残した。 2009年夏頃から中国・広州に渡航し、乳酸菌を大量に培養して、腐敗した農地を乳酸発酵させる農地改良事業を実施。
吉田 正美(よしだ まさみ、1946年1月17日 - )は、… 吉田 正美(よしだ まさみ、1946年1月17日 - )は、日本の短距離走選手。1964年東京オリンピックの4×400mリレーに出場した。 日本大学三島高等学校、日本大学出身。
中島 国彦(なかじま くにひこ、1946年1月17日 - )… 中島 国彦(なかじま くにひこ、1946年1月17日 - )は、日本の日本近代文学研究者、早稲田大学名誉教授、日本近代文学館理事長。 東京生まれ。1968年早稲田大学文学部国文科卒業、1973年同大学大学院博士課程中退。1970年早稲田実業学校教諭、1972年早稲田大学文学部助手、1976年専任講師、1979年助教授、1984年教授。2004年早稲田大学文学学術院教授。2016年定年退職、名誉教授。2021年、坂上弘の死にともない日本近代文学館理事長となる。1995年『近代文学にみる感受性』でやまなし文学賞受賞。1996年同著作で早稲田大学文学博士。『白秋全集』『荷風全集』の編纂に参加。やまなし文学賞(評論部門)選考委員。
山口 喜司(やまぐち よしじ、1946年1月17日-)は、大… 山口 喜司(やまぐち よしじ、1946年1月17日-)は、大分県宇佐市江須賀出身の元プロ野球選手(投手・外野手)。左投げ左打ちであった。 大分県立中津東高等学校から大分鉄道管理局と陸上自衛隊西部を経て、1968年のドラフト3位で広島東洋カープに入団。投手経験は自衛隊入隊ごろからで、一年と浅かったが、柔かい手首を利してのスピードボールはすでにスカウト間で高い評価をしていた。自衛隊からのプロ入りは小平誠司につぎ二人目で、山口はその小平と短期間ではあるがバッテリーを組んだこともある。武器はストレートとシュート。プロ入り後、野手に転向した。一軍戦には1試合に代打で出場、1打席凡退の成績しか残せず、3年で引退した。
北川 めぐみ(きたがわ めぐみ、1946年1月17日 - )… 北川 めぐみ(きたがわ めぐみ、1946年1月17日 - )は、日本の女優。本名は北川 恵美。東京都目黒区出身。特技はバレエ、日舞、三味線、ゴルフ。 武蔵野女子学院高校卒業。 1963年に俳優座養成所に第15期生として入団。同期に林隆三、前田吟、浜畑賢吉、村井国夫、竜崎勝らがいた。1964年の日本講道館柔道の創始者・嘉納治五郎を主人公にしたテレビドラマ『柔』でデビュー、続篇の『柔一筋』にも続けて清純な娘役で出演した。この作品は美空ひばりが歌った同名の主題歌「柔」が大ヒットするなど人気を集めた。以後、映画、ドラマ、舞台、モデル、ナレーターなど幅広く活躍している。1971年に俳優座を辞めフリーとなった。
土屋 了介(つちや りょうすけ、1946年1月16日 - )… 土屋 了介(つちや りょうすけ、1946年1月16日 - )は、日本の医師。外科医。公益財団法人がん研究会理事。神奈川県顧問、地方独立行政法人神奈川県立病院機構 理事長。元国立がんセンター中央病院長。専門は胸部外科学(とくに進行肺癌の手術)。医学博士(東京医科歯科大学)。医学教育の論客としても知られる。星槎大学客員教授も務める。
林 美樹(はやし みき、1946年1月16日 - )は、日本… 林 美樹(はやし みき、1946年1月16日 - )は、日本の女優である。本名は不明。1965年(昭和40年)、満19歳でアングラ劇団「劇団赤と黒」に参加、同年11月に映画界にデビューする。おもに独立系成人映画に出演したが、日活ロマンポルノ(1971年 - 1988年)以前の1968年(昭和43年)、およびそれ以降にも日活の作品に出演した。若松孝二監督の『犯された白衣』(1967年)、大和屋竺監督の『毛の生えた拳銃』(1968年)、渡辺護監督の『明日なき暴行』(1970年)等で知られる、成人映画初期の女優である。 1946年(昭和21年)1月16日、第二次世界大戦終了直後の東京都北多摩郡調布町(現在の東京都調布市)に生まれる。
仙谷 由人(せんごく よしと、1946年〈昭和21年〉1月1… 仙谷 由人(せんごく よしと、1946年〈昭和21年〉1月15日 - 2018年〈平成30年〉10月11日)は、日本の政治家、弁護士。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 衆議院議員(6期)、衆議院決算行政監視委員長、内閣府特命担当大臣(行政刷新)、公務員制度改革担当大臣、内閣府特命担当大臣(「新しい公共」)、内閣官房長官、法務大臣、拉致問題担当大臣、民主党代表代行、内閣官房副長官、民主党経済財政・社会調査会長などを歴任した。 1990年の土井ブーム時に日本社会党から出馬して初当選し、社民党、旧民主党を経て民主党に所属、衆議院議員を6期務めた。旧民主党政策調査会長、民主党政策調査会長(第7代)、内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)、公務員制度改革担当大臣(第6代)、国家戦略担当大臣(第2代)、内閣府特命担当大臣(「新しい公共」担当)、内閣官房長官(第78代)、法務大臣(第85代)、拉致問題担当大臣(菅直人改造内閣、民主党代表代行、内閣官房副長官(政務担当)、民主党経済財政・社会調査会長などを歴任。
新海 丈夫(しんかい たけお、1946年1月15日 - )は… 新海 丈夫(しんかい たけお、1946年1月15日 - )は、日本の俳優。長野県出身。いくよ事務所所属。劇団NLT出身。身長175cm。東洋大学卒業。 刑事ドラマなどで悪役を演じた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
伊藤 卓美(いとうたくみ、1946年1月15日 - )は、… 伊藤 卓美(いとうたくみ、1946年1月15日 - )は、日本の版画家。 母の実家である宮城県登米郡登米町(現・登米市)で、洋画家である伊藤悌三の三男として生まれる。高校2年の時、版画家の馬淵聖が版画で作成した父宛の年賀状と出会い、自身も本格的に版画制作を始める。秋田の版画家勝平得之の影響を受けた民俗芸能をテーマにした作品で、1967年に初の個展を開く。 1979年に日版会版画展に『群鹿』を出品、新人賞を獲得して会友に推挙される。以後日版会賞や文部大臣賞を受賞した。2004年に日版会会長となるが、自作の版画制作を優先すべく2014年に退会した。 2024年に、岩手県花巻市の第34回イーハトーブ賞を受賞した。
花岡 一雄(はなおか かずお、 1946年1月14日 - )… 花岡 一雄(はなおか かずお、 1946年1月14日 - )は、日本の医学者。学位は、医学博士(東京大学)。東京大学名誉教授。JR東京総合病院病院長及び名誉院長を歴任し、現在[いつ?]東邦大学医療センター佐倉病院麻酔科客員教授、東京八重洲クリニックのペインクリニック内科勤務。 佃煮の製造業を営む父と小学校教員の母のもとに広島県尾道市で生まれる。尾道市立久保小学校を経て、1964年に広島大学附属福山中学校・高等学校を卒業後、東京大学理科三類に入学。1971年に東京大学医学部を卒業し、1974年エール大学麻酔科レジデント・ポストドクトラルフェローになる。その後帰国し、東京大学附属病院目白台分院助教授を経て、1991年東京大学医学部麻酔学教授に着任する。
岩田 年浩(いわた としひろ、本名: 山名 年浩(やまな と… 岩田 年浩(いわた としひろ、本名: 山名 年浩(やまな としひろ)、1946年1月14日 - )は、日本のマクロ経済学者。経済学博士。日本で最初に経済教育に関する博士号を授与された人物で、日本の経済教育学において先駆的貢献を行ってきたことで知られる。経済教育学会の立ち上げにも携わり、経済教育学会設立メンバーの一人でもある。専門は、経済成長論、経済学教育論。経済教育学会より、平成17年に経済教育学会教育実践賞、令和4年に経済教育学会功労賞を受賞。企業や学校法人、財団法人、社会福祉法人の顧問も務める。全国講演650回(―令和6年3月現在)。「 (各地の生涯学習センターや市民大学での毎週の講演は37歳から毎週続けているが、これらは講演数には入れていない。
八馬 直佳(はちうま なおよし、1946年1月14日 - )… 八馬 直佳(はちうま なおよし、1946年1月14日 - )は、元東宝常務取締役、元東宝不動産代表取締役社長。兵庫県出身。 1968年に早稲田大学政経学部を卒業と同時に東宝に入社。2000年に取締役、2003年に常務取締役、2004年に東宝不動産代表取締役副社長を経て、2005年5月27日に社長に昇格。フジテレビ情報制作局ディレクター(元同局アナウンサー)の八馬淳也は甥。
栗原 君子(くりはら きみこ、1946年1月13日- )は、… 栗原 君子(くりはら きみこ、1946年1月13日- )は、日本の市民運動活動家、政治家。元参議院議員、前新社会党中央執行委員会委員長。
真瀬 宏子(ませ ひろこ、1946年1月12日 - )は、日… 真瀬 宏子(ませ ひろこ、1946年1月12日 - )は、日本の政治家、洋画家、教員。栃木県野木町長(5期)。栃木県初の女性首長である。 栃木県那須郡烏山町(現・那須烏山市)生まれ。5歳より宇都宮市で育った。宇都宮大学教育学部附属小学校、宇都宮大学教育学部附属中学校、栃木県立宇都宮女子高等学校卒業。1968年(昭和43年)3月、東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。同年に安宅賞を受賞した。1974年(昭和49年)、東京芸術大学大学院修士課程修了。 1975年(昭和50年)より県立高等学校美術科の教師の職に就く。また洋画家としてこれまでに個展を30回開催した。2002年(平成14年)12月、土曜美術社出版販売から共作で絵本を出版。
岩尾 光代(いわお みつよ、1946年1月12日 - )は、… 岩尾 光代(いわお みつよ、1946年1月12日 - )は、日本のジャーナリスト。毎日新聞社の編集者。 群馬県伊勢崎市生まれ。舘林藩の旧藩士、岩尾貞和(「旧館林藩士族禄高職氏名調」著者)の息子で財団法人両毛労働センターの創業者岩尾峻二の娘として生まれる。1964年に群馬県立前橋女子高等学校を卒業後、文部省へ。1971年から毎日新聞社出版局勤務。「一億人の昭和史シリーズ」「昭和天皇崩御」などのムック「日本の肖像」(12巻)雑誌「毎日グラフ」「アミューズ」「サンデー毎日」を担当して現在に至る。1999年に放送大学を卒業。
中井 眞一郎(なかい しんいちろう、1946年(昭和21年)… 中井 眞一郎(なかい しんいちろう、1946年(昭和21年)1月12日 - )は、日本の元政治家、弁護士。埼玉県所沢市長を1期務めた。 家業は市内金山町の米穀店。1967年司法試験合格、1968年東京大学法学部卒業、1970年主に民事事件の弁護士活動をはじめた。1987年所沢市長当選。1期つとめ、1991年引退。1992年埼玉県知事選挙に立候補し落選。以後、政治活動を離れる。2014年現在、埼玉弁護士会に弁護士登録している。
鈴木 登夫(すずき たかお、1946年1月12日 - )は日… 鈴木 登夫(すずき たかお、1946年1月12日 - )は日本の実業家。株式会社日立物流代表取締役社長や、一般社団法人電気学会副会長を務めた。東京都三鷹市出身。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
都築 弘(つずき ひろむ、1946年1月12日 - )は、日… 都築 弘(つずき ひろむ、1946年1月12日 - )は、日本の裁判官。法務省大臣官房訟務総括審議官や、札幌地方裁判所所長を経て、東京高等裁判所部総括判事を最後に定年退官し、中央労働委員会会長代理を務めた。 名古屋大学法学部卒業。名古屋大学大学院法学研究科修士課程修了後、1973年名古屋地方裁判所判事補。東京地方裁判所判事、法務省訟務局民事訟務課長、法務省訴務局総務課長。法務省大臣官房参事官、東京地方裁判所部総括判事、法務省大臣官房訟務総括審議官、札幌地方裁判所所長を経て、2011年東京高等裁判所部総括判事を最後に定年退官し、のち中央労働委員会会長代理を務めた。2016年瑞宝重光章受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
大鷲 平(おおわし ひとし、1946年1月12日 - )は、… 大鷲 平(おおわし ひとし、1946年1月12日 - )は、長野県佐久市大字志賀(出生時は北佐久郡志賀村)出身で若松部屋に所属した元大相撲力士。本名は伊藤 平(いとう ひとし)。最高位は西前頭3枚目(1975年1月場所・1976年5月場所)。身長190cm、体重115kg。得意手は左四つ、上手投げ、吊りなど。 幼少時は普通の体格であったが、小学生の頃から急に身長が伸び始めた。東中学校に在学中は野球部に在籍した。制球は覚束なかったが、豪速球を武器に投手として活躍していた。 中学卒業後、親戚からその活躍ぶりを聞き付けた同じ佐久市出身の西岩親方(元前頭18・若嵐)の勧誘を受け、本人も相撲が嫌いでなかったためあっさり角界入りが決まった。
和田 章(わだ あきら、1946年1月11日 - )は、日本… 和田 章(わだ あきら、1946年1月11日 - )は、日本の工学者。東京工業大学名誉教授、工学博士、日本建築学会会長。 専門分野は、建築構造学、耐震工学、構造設計、免震構造、制振構造、空間構造。
春日 豊彦(かすが とよひこ、1946年(昭和21年)1月1… 春日 豊彦(かすが とよひこ、1946年(昭和21年)1月11日 - 2020年(令和2年)4月)は、日本の実業家。 御木本美隆と養子縁組をしていた間の姓は御木本(みきもと)で、ミキモトの社長、一般社団法人日本真珠振興会会長などを歴任した。 1946年(昭和21年)に生まれた。熊本県立熊本高等学校を経て、1968年(昭和43年)上智大学外国語学部英語学科卒業。学生時代には、カナダの証券会社でのインターンや、日本一周ヒッチハイク、世界一周バックパックの旅等を経験。大学卒業後は、商社に勤務。また、私生活においては、ミキモト社長本間利章の娘である本間香と結婚することになった。なお、香はミキモト創業者である御木本幸吉の曾孫であり、香の伯父はミキモト創業家当主の御木本美隆である。
今井 恭司(いまい きょうじ、1946年1月11日- )は、… 今井 恭司(いまい きょうじ、1946年1月11日- )は、新潟県刈羽郡高柳町(現:柏崎市)出身の写真家(サッカーカメラマン)。 6人兄弟の末っ子として生まれる。新潟県の中学校を卒業後、東京の夜間学校に進学し、更に東京写真大学(現:東京工芸大学)に入学した。大学卒業後は広告カメラマンとして活動していたが、サッカー専門誌の制作に関わったことをきっかけにサッカーカメラマンとしてのキャリアをスタートさせた。1972年、当時ペレが在籍していたサントスFCと全日本選抜の試合にて、初めてサッカーカメラマンとして活動を始めた。 1970年代の日本サッカー黎明期からカメラマン兼記者として日本代表などの国内外の遠征に同行。
武富 勝彦(たけどみ かつひこ、1946年1月10日 - 2… 武富 勝彦(たけどみ かつひこ、1946年1月10日 - 2023年11月26日 )は、日本の農家。佐賀県で循環型農法による古代米生産を行っており、2002年にはイタリアのスローフード協会より日本人初のスローフード大賞を受賞(日本人初)。 佐賀県杵島郡白石町に生まれる。佐賀県立白石高等学校を卒業後、西九州大学へ進学し大学院健康栄養学修士号を取得。その後名城大学へ進み植物組織培養学を学んだのち、千葉大学大学院にてアメニティ空間学を学ぶ。 高校の生物教師となる。佐賀県立高校の教諭を23年間務めた後、農業に転じる。佐賀県江北町にて、無農薬有機農法で古代米の黒米・赤米・緑米や野菜など作り、また農産物加工品の商品開発を行う。
本田 孝一(ほんだ こういち、1946年1月9日 - )は、… 本田 孝一(ほんだ こういち、1946年1月9日 - )は、日本の書道家。日本アラビア書道協会会長。元大東文化大学国際関係学部国際文化学科教授。東京都出身。
北西 憲二(きたにし けんじ、1946年1月9日 - )は、… 北西 憲二(きたにし けんじ、1946年1月9日 - )は、日本の精神科医。森田療法を中心に行う。 埼玉県生まれ。1970年東京慈恵会医科大学卒、1978年「うつ病の日内変動に関する研究」で医学博士。1972年スイス・バーゼル大学・うつ病研究部門に留学。1979-1995年東京慈恵会医科大学附属第三病院講師。その後成増厚生病院、日本女子大学教授、2007年森田療法研究所所長・北西クリニック院長。
菊地 哲榮(きくち あきひで、1946年1月9日 - )は、… 菊地 哲榮(きくち あきひで、1946年1月9日 - )は、日本の音楽プロデューサー。 (株)ハンズオン・エンタテインメント代表取締役会長。 (株)ハッピーチャイルド代表取締役社長。 (株)幽玄屋代表取締役社長 早稲田大学理工学部電気通信学科卒業。早稲田大学応援部出身。 渡辺プロダクション時代、沢田研二、木の実ナナなどを担当し、天地真理をデビューさせたことで知られる。 1979年、渡辺プロダクションから独立、株式会社ポケットパーク(現:株式会社ハッピーチャイルド)を設立。松原みき、遠藤賢司をマネージメント。 1980年、株式会社ハンズ(現:株式会社ハンズオン・エンタテインメント)代表取締役に就任。
山口 学(やまぐち まなぶ、1946年(昭和21年)1月8日… 山口 学(やまぐち まなぶ、1946年(昭和21年)1月8日 - )は日本の実業家。関電工取締役会長、取締役社長。日本電設工業協会会長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
中野 和雄(なかの かずお、1946年1月8日 - 2023… 中野 和雄(なかの かずお、1946年1月8日 - 2023年7月)は、日本の編集者。佐賀県武雄市出身。早稲田大学卒業。 集英社に入社し『週刊少年ジャンプ』編集部に配属。ギャグ漫画家の発掘に才能を見せ、吉沢やすみ、コンタロウ、小林よしのり、ゆでたまごの担当編集者を務めた。 『週刊少年ジャンプ』副編集長を経て、『フレッシュジャンプ』副編集長、のちに2代目編集長を歴任。だが、新人漫画家の育成を目的として創刊された『フレッシュジャンプ』が徐々に本来の趣旨を超えて独立志向を強めたため、上司の西村繁男により「週刊少年ジャンプの編集方針の支障になっている」と判断され、休刊に追い込まれる。 『フレッシュジャンプ』編集長から解任された中野は、集英社の子会社である集英社インターナショナルに出向し、『コミック格闘王』編集長などに就いていた。
野口 博康(のぐち ひろやす、1946年1月8日 - )は、… 野口 博康(のぐち ひろやす、1946年1月8日 - )は、NHKの元エグゼクティブアナウンサー。現在はシニアスタッフ。 東京教育大学附属高等学校、早稲田大学卒業後、1969年入局。ラジオ担当が長かったためか、シニアスタッフとなった現在ではラジオでの活動が多くなっているが、時折テレビ出演もある。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
芥 正彦(あくた まさひこ、1946年1月7日 - )は、日… 芥 正彦(あくた まさひこ、1946年1月7日 - )は、日本の俳優、劇作家、演出家、舞踏家、詩人、音楽プロデューサー。劇団ホモフィクタス主宰者。本名、斎藤正彦。学生時代、東大全共闘随一の論客と呼ばれていた。 東京都に生まれる。埼玉県立浦和高等学校卒業後、1年間の浪人生活を経て1965年に東京大学文科III類に入学。在学中に全学共闘会議(全共闘)のオーガナイザーとして活躍する傍ら、劇団駒場で夏際敏生と共にアングラ演劇運動を指導。在学中、東大美学科4年の女子学生と結婚。 「彗星のように(寺山修司)」、「危険な男(土方巽)」、「砂漠の住人(三島由紀夫)」と言われる。 《パフォーマンスの時代》を築く。
三潴 末雄(みづま すえお、1946年1月7日 - )は、東… 三潴 末雄(みづま すえお、1946年1月7日 - )は、東京都生まれの画廊経営者。ミヅマアートギャラリー代表。 評論家の三潴末松の四男として西荻窪に生まれる。 東京都立杉並高等学校を経て成城大学文芸学部に進み、在学中は学生闘争に参加。学生時代は坂口安吾の息子(坂口綱男)の家庭教師をしていた。 大学卒業後、編集プロダクションに参加し海外向けPR誌『Σ』等を手がけるようになる。この雑誌の制作を通じて本格的に美術の世界に接近していくようになる。 1975年に編集プロダクションの閉鎖後、1976年、自らのの会社「フロントオフィス」を設立、PR誌の仕事を継続。海外の現代アートを表紙に起用していたことからコレクターの道に入る。
廣瀬 昌亮(ひろせ まさすけ、1946年〈昭和21年〉1月7… 廣瀬 昌亮(ひろせ まさすけ、1946年〈昭和21年〉1月7日 - 1999年〈平成11年〉3月7日)は、日本の俳優。本名:廣瀬 昌助。別名義:広瀬 昌助、広瀬 昌亮。 東京都品川区出身。帝京高等学校卒業。六月劇場、境事務所に所属していた。 妻は女優の志水季里子。娘はタレントの広瀬ゆうき[要出典]。 1964年に帝京高校卒業後、俳優座養成所の第16期生となり、1967年に卒業。卒業後は劇団自由劇場に入団し、『鼠小僧次郎吉』などの舞台に出演。 1970年、『赤頭巾ちゃん気をつけて』で映画デビュー後、1971年『八月の濡れた砂』では主役の高校生を演じた。 当初は本名で芸能活動をしていた。妻の志水季里子とは映画『ブルーレイン大阪』(1983年)の共演が縁で知り合い、1988年に結婚。
池端 俊策(いけはた しゅんさく、1946年1月7日 - )… 池端 俊策(いけはた しゅんさく、1946年1月7日 - )は、広島県呉市出身の脚本家。 広島県立呉三津田高等学校を経て、1970年、明治大学政治経済学部卒業。高校時代から演劇部に入り、脚本作りに熱中していた。大学在学中からシナリオ作家協会主催の「シナリオ研究所」(現在の「シナリオ講座」)に通い、卒業後は竜の子プロダクションに半年勤務。その後は営業職など職を転々とし、今村昌平の脚本助手となり、今村監督の映画『復讐するは我にあり』(1979年、松竹/今村プロ)、『楢山節考』(1983年、東映/今村プロ)の第1稿を手がけた。 1984年、テレビドラマ脚本『私を深く埋めて』(TBS)『羽田浦地図』(NHK)『危険な年ごろ』(読売テレビ)の三作品で第3回向田邦子賞、芸術選奨文部大臣新人賞を受賞し脚光を浴びる。
冨塚 宥暻(とみつか ゆうけい、1946年(昭和21年)1月… 冨塚 宥暻(とみつか ゆうけい、1946年(昭和21年)1月6日 - 2018年(平成30年)10月17日)は、日本の政治家。福島県田村市長(3期)、船引町長(1期)を務めた。 福島県船引町出身。福島県立田村高等学校、駒澤大学文学部英米文学科卒業。1994年(平成6年)4月、船引町教育委員会教育課長に就任。1999年(平成11年)6月、船引町助役に就任。 2003年(平成15年)4月、船引町長に就任。 2005年(平成17年)3月1日、滝根町、大越町、都路村、常葉町、船引町の5町村が合併して田村市が誕生。これに伴って行われた4月10日告示、4月17日投票の市長選において無投票で初当選。 2009年(平成21年)も2013年(平成25年)もともに無投票により当選した。
平松 庚三(ひらまつ こうぞう、1946年1月6日 - )は… 平松 庚三(ひらまつ こうぞう、1946年1月6日 - )は、日本の実業家。小僧com取締役会長。群馬県みなかみ町在住。株式会社ライブドアホールディングス代表取締役社長、弥生株式会社代表取締役会長、株式会社セシール取締役、小僧com代表取締役会長などを歴任した。 1946年1月6日北海道函館市で生まれ、埼玉県立大宮高等学校を卒業して早稲田大学第二文学部を中退し、1973年にアメリカン大学コミュニケーション学部ジャーナリズム学科を卒業した。在学中に読売新聞ワシントン支局でアルバイト勤務して渡邉恒雄と知り合う。 1973年ソニー株式会社、1973年から1978年ソニーコーポレーション・アメリカ、1978年から1983年ソニー本社海外事業部、1983年から1986年ソニーPC事業部、1986年アメリカン・エキスプレス・インターナショナルジャパン、1986年から1990年パブリッシングディレクター、1990年から1992年アメリカン・エキスプレス・インターナショナルジャパン副社長、1992年株式会社IDGコミュニケーションズジャパン代表取締役社長、1998年AOLジャパン株式会社代表取締役社長America Online, Inc.副社長、2000年インテュイット日本法人株式会社代表取締役社長兼CEO インテュイット副社長。
正垣 泰彦(しょうがき やすひこ、1946年1月6日 - )… 正垣 泰彦(しょうがき やすひこ、1946年1月6日 - )は、日本の実業家。ファミリーレストランチェーンであるサイゼリヤの創業者で、同社代表取締役会長。また同社株式の29.18%を保有する筆頭株主である(2017年8月末)。 1946年、兵庫県朝来郡生野町(現:朝来市生野町口銀谷)で5人兄弟の三男として生まれた。祖父と父は医師であった。小学3年の秋に東京へ引っ越し、1958年に佼成学園中学校に入学。佼成学園高等学校を卒業すると、1964年から東京理科大学理学部物理学科に入学。入学当初から淀橋市場で手伝いをはじめ、大学3年の春休みから新宿の飲食店「渋谷食堂」でアルバイトを始めた。この頃、同じビルに入居していた飲食店の調理師見習であった山本慈郎は以後40年正垣の右腕として仕え、後に専務取締役まで上り詰める人物となる。