中村 満紀男(なかむら まきお、1945年3月6日 - )は… 中村 満紀男(なかむら まきお、1945年3月6日 - )は、特殊教育学者、筑波大学名誉教授、福山市立大学教授。 1967年東京教育大学特殊教育卒、72年同大学院博士課程満期退学、85年「19世紀アメリカ障害児学校史の研究」で筑波大学教育学博士。国立特殊教育総合研究所研究員、1976年秋田大学教育学部講師、助教授、教授、1994年筑波大学教授、2008年定年退任、名誉教授、東日本国際大学教授・副学長、2011年福山市立大学教授。2025年、瑞宝中綬章受章。
大川 隆子(おおかわ たかこ、1945年(昭和20年)3月6… 大川 隆子(おおかわ たかこ、1945年(昭和20年)3月6日 - )は日本の声楽家(ソプラノ)、音楽教育者。 大阪府出身。東京藝術大学卒業。畑中良輔に師事。文化庁派遣芸術家在外研究員としてウィーンとミラノに留学。モーツァルトの4大オペラ『フィガロの結婚』伯爵夫人、『ドン・ジョヴァンニ』ドンナ・エルヴィーナ、『コジ・ファン・トゥッテ』フィオルデリージ、『魔笛』パミーナでオペラ歌手としての地位を確立。ワーグナー『タンホイザー』エリーザベト、『ワルキューレ』ジークリンデで力量を示し、ヴェルディ『椿姫』ヴィオレッタ、プッチーニ『ラ・ボエーム』ミミ、『蝶々夫人』蝶々さん、ヨハン・シュトラウス2世『こうもり』ロザリンデなどに出演、二期会オペラのプリマドンナとして活躍。
對馬 達雄(対馬達雄、つしま たつお、1945年3月6日- … 對馬 達雄(対馬達雄、つしま たつお、1945年3月6日- )は、日本の教育学者、西洋史学者、秋田大学名誉教授。 青森県生まれ。1968年東北大学教育学部卒、1972年同大学院教育学研究科博士課程中退。1984年「3月以降プロイセン=ドイツにおける初等学校問題とディースターヴェーク構想」で教育学博士(東北大学)。秋田大学教育学部講師、助教授、教授、教育文化学部教授、学部長、理事・副学長。2010年定年退任、名誉教授。2023年、瑞宝中綬章受章。 2016年7月23日秋田魁新報電子版のコラム「北斗星」が「沈黙の勇者」(ユダヤ人を救うために命を懸けた3000人を超えるドイツ市民。業績を自ら語らないことから「沈黙の」と呼ばれる)の歴史を記した對馬の『ヒトラーに抵抗した人々』を、「勇者の礼賛で終わることなく、行動とその結末を客観的に記している。
中村 省司(なかむら しょうじ、1945年3月5日 - )は… 中村 省司(なかむら しょうじ、1945年3月5日 - )は、日本の政治家。 神奈川県横須賀市で警察官の子として生まれる。私立清泉小学校、私立日本大学横浜中学校、神奈川県立秦野高等学校を経て、早稲田大学商学部を卒業。1969年、東洋経済新報社入社。1973年、鎌倉市議会議員に当選。1979年には新自由クラブから神奈川県議会議員に当選する。以後、県監査委員、県自然環境保全審議会会長、予算委員会委員長、議会運営委員会委員長等を歴任し、2006年、県議会議長に就任(新自由クラブ解散後の県議選は、1987年は進歩党で再選するも、1991年は無所属で落選。1993年の鎌倉市長選挙落選(新党さきがけ推薦)を経て、新進党で1995年県議選に当選し、1999年以来自由民主党に所属。
武内 成(たけのうち おさむ、1945年3月5日 - )は、… 武内 成(たけのうち おさむ、1945年3月5日 - )は、日本の経営学者・歴史学者。杏林大学客員教授。 三重県生まれ。1973年慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程満期退学、1995年「明治期三井と慶應義塾卒業生 中上川彦次郎と益田孝を中心に」で慶大商学博士。 1973年慶應義塾大学新聞研究所研究員。1974年金沢経済大学(現・金沢星稜大学)専任講師、1977年助教授、1978年関東学園大学助教授、1983年杏林大学助教授、1987年教授、2002年社会科学部・総合政策学部教授、2002年客員教授。
谷江 武士(たにえ たけし、1945年3月5日 - )は、日… 谷江 武士(たにえ たけし、1945年3月5日 - )は、日本の会計学者、名城大学名誉教授。 香川県生まれ。1968年法政大学社会学部応用経済学科卒、1970年同大学院修士課程修了、1975年駒澤大学大学院商学研究科博士課程満期退学。1999年「ユーゴ会計制度の研究 所得分配会計変遷史」で駒澤大学商学博士。1972年南日本短期大学専任講師、1977年暁星商業短期大学専任講師、1981年校名変更で加茂暁星短期大学(現:新潟中央短期大学)助教授、1986年名城大学短期大学部助教授、2002年名城大学経営学部教授。2003年名城大学大学院経営学研究科修士課程教授、2006年同経営学研究科博士課程教授、2009年同経営学研究科主任教授、2017年定年、名城大学名誉教授。
田谷 禎三(たや ていぞう、1945年3月5日 - )は日本… 田谷 禎三(たや ていぞう、1945年3月5日 - )は日本の経済学者。立教大学経営学部国際経営学科特任教授。大和総研特別理事。元日本銀行政策委員会審議委員。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大位山 勝蔵(おおいやま かつぞう、1945年3月5日 - … 大位山 勝蔵(おおいやま かつぞう、1945年3月5日 - )は、兵庫県宍粟郡山崎町(現在の宍粟市)出身(本籍地は、同県姫路市)で三保ヶ関部屋に所属した元大相撲力士、国際プロレス所属の元プロレスラー。 本名は松本 勝三(まつもと かつぞう)。力士時代の四股名は三保ノ松および大位山、プロレス時代のリングネームは大位山 勝三。相撲時代の得意手は、右四つ、寄り、押し。最高位は東前頭12枚目(1968年11月場所)。 地元・山崎町の中学校を卒業後、三保ヶ関親方(元大関・増位山)の関係者の紹介で三保ヶ関部屋に入門し、1960年5月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、部屋の名と本名の松本に因んだ「三保ノ松」。
大杉 勝男(おおすぎ かつお、1945年3月5日 - 199… 大杉 勝男(おおすぎ かつお、1945年3月5日 - 1992年4月30日)は、岡山県勝田郡奈義町出身のプロ野球選手(内野手)。 NPBにおける通算本塁打数・通算打点数ともに歴代9位。 3兄弟の次男として生まれ、4歳年上の兄・正二郎に影響されて野球を始めた。その後、兄と父・二三五郎を病で亡くす。 関西高校に入学し、硬式野球部に入部。1年でありながら真っ先にレギュラー捕手となるが、甲子園に出場することはかなわなかった。卒業後は、1963年に野球部を新設し、高校の先輩である岡田悦哉が監督となった丸井に入社。都市対抗の東京都予選などで活躍するが、創部2年目の1964年に野球部は休部する。 1965年、岡田の勧めもあり東映フライヤーズの入団テストを受け、入団。
村井 邦彦(むらい くにひこ、1945年〈昭和20年〉3月4… 村井 邦彦(むらい くにひこ、1945年〈昭和20年〉3月4日 - )は、日本の作曲家、音楽プロデューサー。アルファレコード(現在のソニー・ミュージックパブリッシング、およびソニー・ミュージックレーベルズ)創立者。 ザ・テンプターズ、ザ・モップス、ザ・タイガース、ピーター、赤い鳥、辺見マリ、トワ・エ・モワ、ヴィッキーらのヒット曲で知られている。代表曲には「エメラルドの伝説」「夜と朝のあいだに」「廃墟の鳩」「朝まで待てない」「経験」「翼をください」「虹と雪のバラード」などがある。 アメリカ合衆国・ロサンゼルス在住。居住するロサンゼルスの小学校の合唱団が「翼をください」を歌うのを聴いて涙が止まらなかったのは、加齢により涙もろくなった所為かも知れないと村井は書いている。
長崎 昭義(ながさき あきよし、1945年3月3日 - 20… 長崎 昭義(ながさき あきよし、1945年3月3日 - 2017年9月4日)は、日本のノルディックスキー・クロスカントリースキー選手、放送記者、ニュースキャスター、実業家。青森放送代表取締役会長、青森商工会議所相談役、東北稲門スキー倶楽部会長、青森県スキー連盟会長。青森県南津軽郡大鰐町生まれ(本籍地は弘前市)。早稲田大学(教育学部国語国文学科)卒業。旧姓:松岡(まつおか)。 小学校3-4年時、大鰐スキークラブ会長を務めた父の儀助に連れられ阿闍羅山で滑り始め、間もなく「学校で一番早かったから」自然な形で距離スキーに入っていった。 青森県立弘前高等学校で長利武記の指導を受け、2年時に全国高等学校総合体育大会ノルディックスキー・クロスカントリー男子15キロで優勝。
ベートーベン鈴木( - すずき、本名:鈴木功、1945年3月… ベートーベン鈴木( - すずき、本名:鈴木功、1945年3月3日 - )は、茨城県守谷市出身のシンガーソングライター、東京演芸協会所属のギター漫談家。 日本大学在学中にロックバンド活動に熱中し、1年で中退。『ナッツダンディーズ』を経て、コミックバンド『那須三郎とダスターポット』→『岡本八とダスターポット』ではリードギターを担当。 1972年の『ダスターポット』解散後はナイトクラブで弾き語りをしていたが、1974年に元同僚の岡本とのコンビで『(中小企業楽団)バラクーダー』を結成。作曲を手掛けた「日本全国酒飲み音頭」(72万枚)、「チャカ・ポコ・チャ」(40万枚)、「演歌・血液ガッタガタ」(50万枚)の連続ヒットで、人気者となる。
村上 一平(むらかみ いっぺい、1945年3月3日 - )は… 村上 一平(むらかみ いっぺい、1945年3月3日 - )は、日本の実業家。第9代日清製粉グループ本社代表取締役社長。第16代関西学院理事長。妻は経済学者の村上睦(大阪学院大学教授)。 大阪府出身。関西学院中学部・高等部を経て、1967年関西学院大学経済学部卒業。加藤秀次郎ゼミ及び小寺武四郎ゼミ出身。また中学部時代から大学まで関西学院グリークラブに参加した。大学卒業後日清製粉に入社し、経理・財務を担当した。1995年取締役企画部長兼財務部長に昇格。2000年常務取締役。2001年日清製粉グループ本社常務取締役経理・財務本部長。 2007年から日清製粉グループ本社代表取締役社長を務め、2011年に取締役相談役に退いた。
御子柴 克彦(みこしば かつひこ、1945年3月3日 - )… 御子柴 克彦(みこしば かつひこ、1945年3月3日 - )は、日本の脳神経科学者。医学博士(慶應義塾大学、1973年)。 元理化学研究所脳科学総合研究センター研究チームリーダー。東京大学名誉教授。現在は上海科技大学免疫化学研究所教授。慶應義塾評議員。東京都出身(出生地は長野県)。主な業績はIP3受容体の研究。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
宮田 雪(みやた きよし、1945年3月3日 - 2011年… 宮田 雪(みやた きよし、1945年3月3日 - 2011年2月14日)は日本の脚本家、漫画原作者、社会活動家。秋田県出身。早稲田大学文学部中退。 農林省林野庁官僚の父と母の次男として秋田県大曲市(現・大仙市)に生まれる。父の転勤にともない函館市・前橋市などを経て、現在の札幌市豊平区平岸に移り、高校時代まで過ごす。父は短歌の私家集を発行するなど文人としての面も持つが、「文学では飯は食えない」と常に厳しく接していた。雪は厳格な父に反感をおぼえるが、その才を受け継ぎ、密かに脚本家を志すようになる。北海高等学校から早稲田大学文学部へ進学し、「ワセダミステリクラブ」に所属。曽根忠穂(のち「奇想天外」編集長)や石上三登志(のち、CM作家、評論家)らと、映画・漫画などを論じる同人誌『OFF』を上梓。
橋本 尚江(はしもと ひさえ、1945年3月1日 - )は、… 橋本 尚江(はしもと ひさえ、1945年3月1日 - )は、日本の英文学者、英国文化研究者。北海道大学名誉教授。専門はイギリス・ロマン派詩人の研究、および1980年代以降の多文化社会としての英国文化研究。北海道札幌市出身。
安部 琢哉(あべ たくや、1945年 <昭和20年> 3月1… 安部 琢哉(あべ たくや、1945年 <昭和20年> 3月1日 - 2000年 <平成12年> 3月27日)は、日本の生態学者。亜熱帯、熱帯地域(主にマレーシア、ケニア、タイ、オーストラリア)のシロアリ調査研究を行った。理学博士(京都大学、1975年)。位階は従四位。勲三等瑞宝章。
夜久 弘(やく ひろし、1945年3月1日 - 2015年1… 夜久 弘(やく ひろし、1945年3月1日 - 2015年1月2日)は、日本の漫画編集者、漫画原作者、スポーツライター。ペンネームに但馬弘介。日本文芸社の創業者夜久勉の養子(旧姓:藤原)。 兵庫県朝来郡和田山町(現:朝来市)林垣生まれ。1963年兵庫県立八鹿高等学校卒業。 養父が創立した日本文芸社で長年、漫画雜誌の編集者を務める(経営権は相続しなかった)。『漫画ゴラク』編集者時代に『野望の王国』などを担当。『カスタムコミック』の副編集長時代に、つげ義春に作品を依頼し、それが縁で1984年、つげの作品をメインとする漫画雑誌『COMICばく』を創刊、1987年まで編集長を務めた。 『COMICばく』終刊後、退職。
織田 紘二(おりた こうじ、1945年3月1日 - )は、日… 織田 紘二(おりた こうじ、1945年3月1日 - )は、日本の伝統芸能の制作者、演出家、脚本家、著述家。国立劇場(現・日本芸術文化振興会)で43年間勤務し、主に歌舞伎の制作・演出に携わった。2006年に日本芸術文化振興会理事に就任。現在、日本演劇協会専務理事、日本舞踊協会副会長などを務める。 1945年3月1日、北海道勇払郡安平村(現・安平町)字追分に、織田要と妻ミイの次男として生まれた。父の要は地元追分町の町会議員を40年間務め、町議会議長を務めた。 地元の追分高校を卒業後、1963年4月、國學院大學文学部日本文学科に入学。同大学では西角井正慶、高崎正秀、岡野弘彦、三隅治雄らから教えを受けた。
麻生 利正(あそう としまさ、1945年2月28日 - )は… 麻生 利正(あそう としまさ、1945年2月28日 - )は、日本の地方公務員。栃木県副知事や、一般財団法人とちぎメディカルセンター理事長を経て、同センター会長。 1963年栃木県立栃木高等学校卒業。1968年中央大学法学部卒業、栃木県入庁。1993年総務部秘書課長。2002年保健福祉部長。2004年総務部長。2005年出納長。2007年副知事。2011年栃木県済生会副会長兼業務担当理事。2014年栃木県済生会支部長、栃木銀行取締役。 2015年秋の叙勲で瑞宝中綬章受章。同年から一般財団法人とちぎメディカルセンター理事長を務め、働き方改革や、病院の統合再編、連携体制整備にあたるなどした。2018年一般財団法人とちぎメディカルセンター会長。
吉田 和夫(よしだ かずお、1945年2月28日 - )は、… 吉田 和夫(よしだ かずお、1945年2月28日 - )は、日本の政治家。元新潟県胎内市長(3期)。旭日小綬章受章。 新潟県中条町(現・胎内市)出身。中条町立中条小学校、中条町立中条中学校、新潟県立新発田農業高等学校を経て東京農業大学農業経済学部を卒業。 製紙会社に勤務後、中条町役場に転職。中条町町民課長、中条町教育長などを歴任した。 2005年(平成17年)9月1日、中条町と黒川村が合併し胎内市が発足。これに伴って同年10月2日に行われた市長選挙に自民党と公明党の推薦を受けて出馬。中条町長の丸岡隆二との一騎討ちを制し初当選した(吉田:12,186票、丸岡:9,364票)。 2009年(平成21年)、無投票で再選。
武田 信彦(たけだ のぶひこ、1945年2月28日 - )は… 武田 信彦(たけだ のぶひこ、1945年2月28日 - )は、日本の実業家。テンヨ武田代表取締役社長。山梨県食品工業団地理事長。元山梨県公安委員会委員長。 山梨県甲府市生まれ。武田信虎は先祖。山梨県立甲府第一高等学校を経て、一橋大学商学部を卒業し、総合商社に入社。結婚後ロサンゼルスの大学院への留学を経て、1970年武田食糧入社。 1986年武田食糧代表取締役常務。1990年武田食糧専務取締役。1992年山梨県卸酒販組合副理事長。1994年東京ビール卸組合山梨県支部長。1996年から分社化されたテンヨ武田代表取締役専務兼武田食品代表取締役専務。1999年テンヨ武田代表取締役副社長。 2004年テンヨ武田代表取締役社長。
酒井 勲(さかい いさお、1945年2月28日 - 202… 酒井 勲(さかい いさお、1945年2月28日 - 2024年7月20日)は、日本の経営者。八千代銀行頭取を務めた。 東京都出身。1968年に東洋大学経済学部を卒業し、同年4月に八千代信用金庫(のちの八千代銀行)に入社した。取締役、常務、専務を経て、2007年6月に副頭取に就任し、2010年6月には頭取に昇格。2014年10月から2016年4月までに東京TYフィナンシャルグループ会長を務めた。 2024年7月20日、死去。79歳没。
城ヶ端 初子(じょうがはな はつこ、1945年2月28日-)… 城ヶ端 初子(じょうがはな はつこ、1945年2月28日-)は、日本の看護学者、東京有明医療大学教授。 石川県珠洲市生まれ。1960年珠洲市立三崎中学校卒業、京都博愛会冨田准看護婦学校に入学。准看護婦として働きながら、定時制高等学校卒、1970年立命館大学法学部卒業。1971年堀川高等看護学院卒業、同教員となるが1975年日本看護協会看護研修学校教員養成課程卒業。看護婦となる。1992年滋賀県立短期大学看護学科教授。1994年ジョージ・メイソン大学大学院看護学研究科(看護管理学専攻)修士課程入学。1995年国際医療福祉大学保健学部看護学科教授。1997年佛教大学大学院教育学研究科(生涯教育専攻)修士課程修了。
中村 久仁子(なかむら くにこ、1945年2月27日 - 2… 中村 久仁子(なかむら くにこ、1945年2月27日 - 2015年6月21日 )は、日本の画家。サークルラバー社長。第一美術協会会員。社員に知的障害者や学校退学者など、社会からドロップアウトした若者を積極的に受け入れ、会社を業界シェア1位に押し上げた。50歳でリタイヤし、画廊、喫茶ギャラリーヴィンチを経営し、絵画仲間の会欅の会主宰。慢性白血病により死去。 遊画 中村久仁子画文集/求龍堂、2007 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
原田 國男(はらだ くにお、1945年2月26日 - )は、… 原田 國男(はらだ くにお、1945年2月26日 - )は、日本の裁判官。東京高等裁判所部総括判事を最後に定年退官。刑事を専門とする。神奈川県立湘南高等学校卒業。東京大学卒業。2007年慶應義塾大学博士(法学)。 刑事裁判における量刑研究の第一人者として知られており、この分野に関して多数の論文を発表している。法務省刑事局付検事として刑法の全面改正に従事した。 ジャーナリストの池添徳明は「原田裁判長は希有の存在と言える。しかし、原田氏のような裁判官が珍しい存在だという日本の裁判所は、どう考えても正常ではない。」と季刊『冤罪File』(キューブリック) 2008年9月号で述べている。 曾祖父は宮崎県知事などを務めた永峰弥吉であり、弥吉のいとこに川路聖謨がいる。
ムサシ中野(ムサシ なかの、1945年2月26日 - 199… ムサシ中野(ムサシ なかの、1945年2月26日 - 1996年7月)は、日本の元プロボクサー。本名は中野 勝也。元東洋太平洋ウェルター級チャンピオン。 朝鮮総督府の警官を父として、韓国ソウル市に生まれる。終戦後日本へ引き揚げてきたが、父母と死別、孤児となる。祖父も剣道の達人だったという武道家の血筋からか、剣道、柔道、空手などを学んだ後、四日市工業高校時代にボクシングと出会う。アマの試合で3戦3勝の成績を残し、高校を中退してプロの道へ。 笹崎ボクシングジムに入門し、1963年デビュー。剣道で馴染んだ右手・右足前の構えを取るため、本来右利きでありながらサウスポーとなる(コンバーテッドサウスポー)。
宮前 省三(みやまえ しょうぞう、1945年2月26日 - … 宮前 省三(みやまえ しょうぞう、1945年2月26日 - 2017年12月11日)は、日本の経営者。青山商事社長、会長を務めた。 広島県出身。1963年に広島県立府中高校を卒業し、1964年に青山商事に入社。1987年12月に専務に就任し、1997年6月には社長に昇格。2005年に理に社長を譲り副会長を経て、2009年6月から会長を務めた。 2017年12月11日、死去。72歳没。
山下 智茂(やました ともしげ、1945年〈昭和20年〉2月… 山下 智茂(やました ともしげ、1945年〈昭和20年〉2月25日 - )は、日本の高校野球指導者。学校法人稲置学園理事、金沢星稜大学特任教授、星稜高等学校野球部名誉監督(元・社会科(公民)教諭)、甲子園歴史館顧問。2005年(平成17年)9月1日まで星稜高等学校の野球部監督を務め、甲子園に春夏通算25回導いた。 石川県立門前高等学校から東都の名門・駒澤大学に入学。レギュラーの壁は厚く、公式戦出場はなかった。 大学卒業後、1967年(昭和42年)4月に星稜高校野球部監督に就任。当時は無名校で、野球部用グラウンドはなく、部員は8人だけ。公立校を落ちて嫌々入学した生徒ばかり。自分たちの学校に夢や誇りを持たせたいと考え「3年で甲子園へ行く」と宣言した。
松岡 利勝(まつおか としかつ、1945年〈昭和20年〉2月… 松岡 利勝(まつおか としかつ、1945年〈昭和20年〉2月25日 - 2007年〈平成19年〉5月28日)は、日本の農水官僚、政治家。農林水産大臣(第41代)、衆議院議員(6期、自由民主党)を歴任。 戦前・戦中の旧憲法下も含め、日本の内閣制度発足以後では2人目(日本国憲法下では初)の現職閣僚として自殺により死去した人物である。 第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)2月25日、熊本県阿蘇町(現阿蘇市)に貧困にあった農家の長男として誕生した。 父は日中戦争(支那事変)中、満州(現在の中国東北部)で日本軍の憲兵を務めていた。日本に帰国してからは定職を持たず林業ブローカーのような仕事で糊口を凌ぎ、時には飲酒で泥酔して妻(松岡の母親)に手を上げることもあったという(家庭内暴力)。
琉王 優貴(りゅうおう ゆうき、1945年2月25日 - 2… 琉王 優貴(りゅうおう ゆうき、1945年2月25日 - 2015年6月28日)は、沖縄県那覇市出身(出生地は大分県中津市)で、朝日山部屋に所属した元大相撲力士。 本名は島 武光(しま たけみつ)→神田 武光(かんだ - )。現役時代の体格は176cm、130kg。得意手は突き、押し。最高位は西前頭筆頭(1973年9月場所)。沖縄県出身者初の関取として記録に残っている。 疎開先の大分県中津市で生まれ、アメリカ占領下の那覇市で少年時代を過ごした。中学卒業後に奄美群島奄美大島に渡り、奄美高校では柔道部で活躍する。高校2年の夏休みに上京した時、同じ奄美群島徳之島出身の横綱・朝潮のいる高砂部屋に出かけたが、巡業中で誰もおらず失望して帰る途中で道に迷ったところを朝日山親方(元関脇・高津山)夫人に声を掛けられた。
湯川 博士(ゆかわ ひろし、1945年2月25日 - )は、… 湯川 博士(ゆかわ ひろし、1945年2月25日 - )は、将棋を中心としたフリーライター、観戦記者。本名は湯川博美(ゆかわ・ひろみ)。妻は、将棋・囲碁の観戦記者で、元女流アマ名人5期の湯川恵子。 「将棋ペンクラブ」幹事。NPO「将棋を世界に広める会(ISPS)」創設に参加。NPO「チェス将棋交流協会」(2003年創設、2007年解散)理事。 青森県大湊生まれ、東京に育つ。東京都立城北高等学校卒業。法政大学社会学部卒業。雑誌編集者、週刊誌記者、出版社営業を経て、将棋雑誌『枻』に記事を執筆。1978年8月から日本アマチュア将棋連盟の機関雑誌「将棋ジャーナル」の編集長をつとめ、ユニークな企画で人気雑誌とする。
伊藤 富士夫(いとう ふじお、1945年2月24日 - )は… 伊藤 富士夫(いとう ふじお、1945年2月24日 - )は、秋田県を登録地としていた元競輪選手。 秋田県立大曲農業高等学校を経て、法政大学在籍時代、1964年の東京オリンピック・団体追い抜きのメンバーとして出場(19位)。 1967年9月9日、日本競輪学校第25期生として、いわき平競輪場でデビューし1着。 1999年7月12日、選手登録削除。通算戦績2340戦356勝。
細谷 英二(ほそや えいじ、1945年〈昭和20年〉2月24… 細谷 英二(ほそや えいじ、1945年〈昭和20年〉2月24日 - 2012年〈平成24年〉11月4日)は日本の実業家。りそなホールディングス会長、りそな銀行会長。東日本旅客鉄道(JR東日本)副社長、総合研究開発機構理事、経済同友会幹事などを歴任した。熊本県熊本市出身。正四位旭日重光章。 1945年(昭和20年)2月、熊本市で生まれる。東京大学法学部を卒業後、1968年、日本国有鉄道に入社する。経理局に勤務していたとき大蔵省への予算説明などを担当したことがあり自ら予算を作ったこともあった。そして井手正敬・松田昌士・葛西敬之ら国鉄改革三人組をサポートし、国鉄分割民営化という結論に達した。1985年3月に天王寺鉄道管理局への左遷も経験する が、同年7月に経営計画室計画主幹、1987年1月にJR東日本設立準備室次長を経て、1987年4月のJR東日本発足時には総合企画本部投資計画部長となる。
村上 公康(むらかみ きみやす、1945年2月24日 - )… 村上 公康(むらかみ きみやす、1945年2月24日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(捕手)。
山科 誠(やましな まこと、1945年2月24日 - )は、… 山科 誠(やましな まこと、1945年2月24日 - )は、日本の実業家、小説家[要出典]。元日本BS放送社長。元バンダイ社長。柔道3段。[要出典]現在は2003年に設立した株式会社Long Tail Live Stationの代表取締役CEOである。[要出典]2017年4月、旭日中綬章を受章。慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。 バンダイ創業者、山科直治の長男として石川県金沢市に生まれ2歳で上京。慶應義塾大学経済学部卒。文筆家志望で家業のおもちゃ会社を継ぐ気はなく、直治も「自分が作った会社だからと言って、息子に継がせるようなことはしない」と公言していた。文筆家を断念し[要出典]、1967年に出版社である小学館に入社。
岡本 颯子(おかもと さつこ, 1945年2月24日 - )… 岡本 颯子(おかもと さつこ, 1945年2月24日 - )は、日本の絵本作家。洋画家・岡本唐貴の娘であり、漫画家の白土三平は実兄である。 戦時疎開先の長野県で生まれ、敗戦により帰京。武蔵野美術大学芸能デザイン科卒。絵本の仕事の他に衣装や舞台装置なども多数手掛ける。カラフルでやわらかい色使いと、こまかく描かれた道具や食べ物が特徴。 注記が無いものはフォア文庫版 なお同一路線の続編として始まった『わかったさん』シリーズは絵が似ているが、永井郁子の挿絵である。
宮本 久雄(みやもと ひさお、1945年2月23日 - )は… 宮本 久雄(みやもと ひさお、1945年2月23日 - )は、日本の神学者・哲学者。東京大学名誉教授。東京大学教養学部教授・上智大学教授を経て、東京純心大学教授。カトリック教会司祭ドミニコ会修道士。 新潟県生まれ。新潟県立長岡高等学校卒。1970年東京大学文学部哲学科卒、1972年東京大学大学院修士課程修了。カナダ・オンタリオ州立哲学神学大学で学び1980年神学修士。1981年仏立エルサレム聖書学研究所名誉学士。パリ第4大学及びパリ・カトリック神学院においてスタニスラス・ブルトンに学び、1982年東京大学教養学部助教授。1991年東京大学大学院総合文化研究科教授。2001年『他者の原トポス 存在と他者をめぐるヘブライ・教父・中世の思索から』により翌2002年博士(学術)(東京大学)の学位を取得。
丸山 寿一(まるやま じゅいち、1945年2月23日 - )… 丸山 寿一(まるやま じゅいち、1945年2月23日 - )は、日本のアルペンスキーヤー。 長野県出身。1968年の冬季オリンピックで男子滑降に出場した。
苑田 聡彦(そのだ としひこ、1945年2月23日 - )は… 苑田 聡彦(そのだ としひこ、1945年2月23日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。 三池工高では原貢の指導を受ける。三池工高には一般入試不合格後、定時制で入学。その際に尽力してくれた原貢監督へのお礼にと、貢の長男原辰徳とよく遊んであげたという。九州一のスラッガーとして名を馳せ「中西二世」とも呼ばれ期待されていた。1962年秋季九州大会準決勝に進むが、小倉工に敗退。翌1963年夏の甲子園県予選は準々決勝で嘉穂東高に敗れる。 1964年にプロ入り。地元の西鉄ライオンズをはじめ9球団が獲得に乗り出したが、苑田が選んだのは一番条件の低かった広島カープだった。広島入団の決め手となったのは担当だった久野久夫スカウトの人柄であり、「久野さんの熱心さにひかれた。
江頭 和彦(えがしら かずひこ、1945年2月23日 - )… 江頭 和彦(えがしら かずひこ、1945年2月23日 - )は、日本の農芸化学者。専門は土壌学。九州大学名誉教授。農学博士(九州大学・1974年)。ベトナム農業への貢献があったとして、2016年にベトナム農業農村開発大臣より友好勲章を受けた。九州大学においては大学院農学研究院長、農学部長などを歴任した。2023年、瑞宝中綬章受章。 福岡県柳川市出身。長崎県立長崎東高等学校を経て、1967年九州大学農学部農芸化学科卒業後、1969年同大学院農学研究科修士課程修了。1971年に同大学農学部農芸化学科土壌学講座助手となり、1975年助教授、1992年教授。2000年同大学院農学研究院教授、2003年大学院農学研究院長。
平野 卿子(ひらの きょうこ、1945年2月23日 - )は… 平野 卿子(ひらの きょうこ、1945年2月23日 - )は、日本の翻訳家。 神奈川県横浜市生まれ。お茶の水女子大学卒業、東京都立大学大学院独文科中退後、ドイツのテュービンゲン大学留学。児童文学、小説、ノンフィクションを翻訳。『キャプテン・ブルーベアの13と1/2の人生』(でドイツからレッシング翻訳賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
木村 皓一(きむら こういち、1945年2月23日 - )は… 木村 皓一(きむら こういち、1945年2月23日 - )は、ベビー・子供服メーカーであるミキハウスグループとして知られる三起商行の創業者である。滋賀県彦根市出身。 関西大学経済学部に進学するも、1965年に大学二年時で中退した後、高校時代からアルバイトをしていた野村証券に入社。1970年に父の経営する大阪の婦人服メーカーに入社し、アパレル事業の実務を学ぶ。1971年に大阪府八尾市でベビー・子供服製造卸「三起産業」として創業。7年後の1978年に三起商行を設立。
大場 富夫(おおば とみお、1945年2月23日 - 200… 大場 富夫(おおば とみお、1945年2月23日 - 2007年3月18日)は、日本の経営者。レオパレス21社長を務めた。宮城県出身。 1968年に拓殖大学商学部を卒業。朝日広告社での勤務を経て、1985年にミヤマ(のちのレオパレス21)取締役に就任し、1990年に専務、1996年に副社長を経て、2006年6月に社長に就任。同年12月に社長を辞任。 2007年3月18日心不全のために死去。62歳没。
安井 至(やすい いたる、1945年2月23日 - )は、日… 安井 至(やすい いたる、1945年2月23日 - )は、日本の工学者。 東京都生まれ。国際連合大学名誉副学長。東京大学名誉教授。2020年より(株)バックキャストテクノロジー総合研究所エクゼクティブフェロー。資源エネルギー庁原子力小委員会委員長。 セラミックス分野(非晶質構造論、材料設計、計算機材料科学)、人間地球環境系の研究の他。 1997年から、Webサイト、「市民のための環境学ガイド」を運用し、週1回の記事の追加を継続し、できるだけわかりやすい記述をしていた (http://www.yasuienv.net/)が、2021年から記事の容量の問題からFacebookのプライベートアカウントへ移行し、サイトも2023年以降閉鎖されている。
相良 朋紀(さがら とものり、1945年2月22日 - 20… 相良 朋紀(さがら とものり、1945年2月22日 - 2021年4月4日)は、日本の弁護士、裁判官。位階は正三位。 広島高等裁判所長官を最後に定年退官。東京大学法学部卒業。
筒井 頼子(つつい よりこ、1945年2月22日 - )は日… 筒井 頼子(つつい よりこ、1945年2月22日 - )は日本の絵本作家。東京都板橋区生まれ。埼玉県立浦和西高等学校卒業。宮城県在住。 東京都で誕生後すぐ家族で秋田県に疎開し、終戦後もしばらく暮らして、小学校2年生のとき埼玉県に転居する。高校卒業後、コピーライター養成学校に通い、広告会社に勤務していた。 その後専業主婦になり、子育てをしながら1976年に最初の絵本『はじめてのおつかい』(「こどものとも」240号)を出版した。林明子が絵を、筒井が文を担当した本書はロングセラーとなっている。林とはこの後も共著の絵本を出版している。『はじめてのおつかい』や『あさえとちいさいいもうと』は3人の娘たちがモデルになっている。
市川 秀男(いちかわ ひでお、HIDEO ICHIKAWA、… 市川 秀男(いちかわ ひでお、HIDEO ICHIKAWA、1945年2月22日 - )は、日本の音楽家 、ピアニスト、作曲家である。静岡県 磐田郡(現浜松市)生まれ。 1960年代の終わり頃より日本のジャズシーンの最前線で活躍した。数々のCMソングを提供する作曲家としても知られるほか、テレビドラマ『消えた巨人軍』(1978年、日本テレビ)のテーマ音楽の作曲や、『ザ・ハングマン』(1980年、朝日放送)のエンディングテーマ『あ・れ・か・ら』(ヒロスケ)の編曲も手がけた。 1945年、静岡県磐田郡(現浜松市)に生まれる。小学校時代よりピアノをはじめクラシックの作曲家を目指し、中学3年時に上京し東邦音楽大学附属東邦中学校に編入。
田中 忠道(たなか ただみち、1945年2月22日 - 20… 田中 忠道(たなか ただみち、1945年2月22日 - 2013年4月3日)は、福岡県出身のフリースタイルのレスリング選手である。階級は57kg級。 福岡県大牟田市出身。大牟田高校から法政大学に進んで、1966年の全日本選手権バンタム級(55kg級)で2位となった。アジア大会では優勝を飾った。卒業後に福岡大学の教員となると、1967年の世界選手権では4位だった。しかし、1968年のメキシコオリンピックには出場できなかった。1969年の世界選手権では57kg級で優勝を飾った。しかし、1972年の全日本選手権では2位となり、ミュンヘンオリンピック出場はならなかった。その後は福岡大学レスリング部部長として、後進の指導に当たった。
鈴木 繁(すずき しげる、1945年2月21日 - )は、日… 鈴木 繁(すずき しげる、1945年2月21日 - )は、日本の実業家。新日本製鐵取締役や新日鉄ソリューションズ社長を務めた。 東京都立西高等学校から東大に進学し、1968年、八幡製鐵入社。1993年新日本製鐵エレクトロニクス・情報通信事業本部企画調整部長。 1997年新日本製鐵取締役エレクトロニクス・情報通信事業部長、新機械情報産業振興委員会委員。 2001年新日鉄ソリューションズ代表取締役副社長。 2003年新日鉄ソリューションズ代表取締役社長。 2007年新日鉄ソリューションズ代表取締役会長。 趣味はジョギングなどのアウトドア活動。