三谷 英夫(みたに ひでお、1939年7月4日- )は、日本… 三谷 英夫(みたに ひでお、1939年7月4日- )は、日本の歯科医師・歯学者。前東北大学副総長、東北大学歯学部学部長。 1958年に大阪府立天王寺高等学校、1964年に大阪歯科大学卒業後、1969年にイリノイ大学大学院歯学研究科修士課程を修了。以後、東京医科歯科大学歯学部附属病院矯正科医員(1969年)、東京医科歯科大学歯学部矯正科助手(1971年)、イリノイ大学歯学部歯科矯正学講座助教授(1972年)、主任教授代行(1973年)、東北大学歯学部附属病院矯正科講師(1977年)、東北大学歯学部歯科矯正学講座助教授(1978年)を経て1984年東北大学歯学部歯科矯正学講座教授に就任。 1995年には東北大学歯学部学部長・大学院歯学研究科研究科長に、2000年11月には東北大学副総長に就任。
寺本 勇(てらもと いさむ、1939年7月3日 - )は、兵… 寺本 勇(てらもと いさむ、1939年7月3日 - )は、兵庫県芦屋市出身の元プロ野球選手(外野手)・プロ野球審判員。元パシフィック・リーグ審判部長。 芦屋高等学校では1956年、2年生の時に左翼手として春の選抜に出場。準決勝まで進むが中京商に敗れる。一学年上のチームメートに渡海昇二がいた。卒業後は立教大学に進学。東京六大学野球リーグでは1、2年在学中に3度の優勝を経験するが、その後の立大は低迷を続ける。しかし1961年秋季リーグでチームは2位まで順位を戻し、寺本も打率.410(2位)を記録して、同季のベストナインに選出された。大学同期に丸山完二、青野修三がいる。 1962年に大毎オリオンズに入団するが、一軍出場に恵まれないまま1963年に退団。
迫田 穆成(さこた よしあき、1939年7月3日 - )は、… 迫田 穆成(さこた よしあき、1939年7月3日 - )は、高校野球の指導者(監督)である。
永松 博文(ながまつ ひろふみ、1939年7月3日 - )は… 永松 博文(ながまつ ひろふみ、1939年7月3日 - )は、日本の政治家。大分県豊後高田市長(2005年の市町村合併後)を3期、旧豊後高田市長を2期務めた。昭和の町による豊後高田市の地域おこしの推進で知られる。
木村和巨(きむら かずお、1939年7月2日 - )は、日本… 木村和巨(きむら かずお、1939年7月2日 - )は、日本の実業家。元株式会社三貴(じゅわいよ・くちゅーるマキ/ジュエリーマキ)代表取締役社長。 東京都出身。早稲田大学高等学院を経て、早稲田大学商学部を卒業。その後、同大学院商学研究科に進学し、自宅の一間で宝石販売業を始め、1965年に株式会社三貴を設立し、代表取締役社長に就任。 同社は、木村の早大の後輩ら数名でスタートした。 宝飾品・貴金属業界では垂直統合をビジネスモデルとして考案、展開した。 その後、婦人服、子供服事業にも進出。最盛期には全国1,400店舗、物流センター、2ヶ所の海外工場を擁し、売上高は1,800億円を超え、従業員は8,000名を数えた。
青木 弘司(あおき こうじ、1939年7月2日 - 没年不明… 青木 弘司(あおき こうじ、1939年7月2日 - 没年不明)は、日本の演出家、アニメ脚本家。 神奈川県大和市生まれ。藤嶺学園藤沢高校卒、1963年3月、早稲田大学第一文学部国文科卒。大学時代は稲門シナリオ研究会に所属して卒業後に雑誌社勤務を経て、同年9月に東映テレビに契約助監督として入社、家城巳代治や野田幸男らに付いた。 テレビドラマの演出や企業PR、深見弘としてアニメシナリオ、教育映画も制作。日本映画監督協会会員。時期は不明だが同協会サイトでは物故者となっている。
畑 道也(はた みちや、1939年7月2日 - 2008年3… 畑 道也(はた みちや、1939年7月2日 - 2008年3月25日)は、日本の音楽学者。関西学院大学文学部教授、同学院院長(第14代)を歴任した。 西欧音楽史、および音楽を中心とする文化変容が専門。父は畑歓三。 大阪府生まれ、兵庫県西宮市で幼少期を送る。関西学院中学部・高等部卒業後、1964年に関西学院大学文学部を卒業。1970年、関西学院大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。1982年より関西学院大学文学部美学科教授、2004年4月から2007年3月まで、関西学院第14代院長を務めた。この他に、関西学院大学交響楽団で、名誉顧問と常任指揮を務めた。2008年3月25日、気管支肺炎のため死去。
清水 啓吾(しみず けいご、1939年7月2日 - )は、日… 清水 啓吾(しみず けいご、1939年7月2日 - )は、日本の元競泳選手。長崎県出身。慶應義塾大学卒業。1960年ローマオリンピック競泳では男子100m自由形準決勝敗退したが男子4×100mメドレーリレーで銅メダルを獲得した。 1962年のアジア競技大会競泳男子100m自由形で金メダルを獲得した。
池端 雪浦(いけはた せつほ、女性、1939年 <昭和14年… 池端 雪浦(いけはた せつほ、女性、1939年 <昭和14年> 7月2日 - 2023年 <令和5年> 9月20日)は、日本の歴史学者。元東京外国語大学学長(2001年9月 - 2007年8月)。東京外国語大学名誉教授。文学博士(東京大学、1990年)。東南アジア史を専門とする。 日本領朝鮮京城(現韓国ソウル)生まれ。日本の敗戦に伴い家族と引き揚げ、親類を頼って宮崎県へ。次いで長崎県で中高生時代を過ごした。長崎県立長崎西高等学校卒業。東京大学文学部東洋史学科卒業。東京大学大学院人文科学研究科東洋史学専攻修士課程修了。人文学名誉博士(フィリピン大学)。 愛知大学文学部助教授、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授、東南アジア史学会会長(1998年1月 - 1999年12月)を歴任。
森下 一徹(もりした いってつ、1939年〈昭和14年〉7月… 森下 一徹(もりした いってつ、1939年〈昭和14年〉7月1日 - 2021年〈令和3年〉5月4日)は、日本の写真家。 戦時中は福島県二本松に疎開していた。自動車工場の旋盤工をしながら東京都立小山台高等学校(定時制)を卒業。東京綜合写真専門学校で写真を学び、卒業後同校講師となる。 1964年、写真評論家、重森弘淹のすすめで原水爆禁止世界大会の記録を撮影していた時、被爆者のスピーチを初めて聞く。それまでの森下は、被爆者を原子爆弾で心身ともに破壊され、仕事もできずあわれでみじめな生活をしている人たちだと思っていた。しかし、彼らの核廃絶にかける強い意志と生きる力に満ちあふれたスピーチを聞いて深い感銘を受け、自分を恥じる気持ちでいっぱいになる。
馬場 章夫(ばんば ふみお、1939年〈昭和14年〉7月1日… 馬場 章夫(ばんば ふみお、1939年〈昭和14年〉7月1日 - )は日本のタレント、ラジオパーソナリティ、探検家。滋賀県高島郡高島町(現在の高島市)出身。既婚。 中学2年時まで滋賀県高島町で生活した後に、岡崎中学校の3年に編入。左京区北白川別当町に居住。高校3年時に大学を受験したが、1校も合格に至らず、1年間の浪人生活を経て京都市立芸術大学へ入学した。4人兄弟。8歳上の兄、姉がいる。 京都市立芸術大学への在学中に、探検部を創設。大学を6年がかりで卒業した後に、アフリカやミクロネシアを探検しては、その成果を新聞や雑誌に発表していた。本人によれば、日本人で初めて「プロ探検家」の肩書を名乗ったとされる。
華山 謙(はなやま ゆずる、1939年6月30日 - 198… 華山 謙(はなやま ゆずる、1939年6月30日 - 1985年12月25日)は、日本の土地問題研究学者。元東京工業大学教授。ダム補償問題や土地問題を中心に研究。博士(農学)(東京大学、1967年)。東京都生まれ。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
平井 克彦(ひらい かつひこ、1939年6月30日- )は… 平井 克彦(ひらい かつひこ、1939年6月30日- )は、日本の経営者。東レ社長、会長を務めた。愛知県出身。 1962年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に東洋レーヨン(のちの東レ)に入社した。1993年6月に取締役に就任し、1996年6月に専務に就任し、1997年6月には社長に昇格した。2002年6月に副会長に就任し、2004年6月から相談役を務めた。 2008年4月から2014年4月までに健康保険組合連合会会長を務めた。 2011年11月に旭日重光章を受章した。
甲斐 靖文(かい やすふみ、1939年6月30日 - )は、… 甲斐 靖文(かい やすふみ、1939年6月30日 - )は、大分県別府市生まれの日本の作曲家・編曲家・明治大学マンドリン倶楽部音楽監督・常任指揮者・OB会会長。古賀政男音楽文化振興財団理事。 1958年、明治大学法学部入学、明治大学マンドリン倶楽部に入部する。1962年に卒業後、大学の先輩にあたる古賀政男に作曲を、佐伯亮に編曲を師事する。 1965年に日本コロムビアに専属作曲家として迎えられ、藤山一郎・島倉千代子・都はるみ・舟木一夫・大川栄策・ペギー葉山・大月みやこ・キム・ヨンジャなどの楽曲、日本相撲協会練成歌(作曲)、器楽曲アルバム、カラオケなどを合わせると、これまでに6,000曲以上の楽譜を制作。
葉山 夏樹(はやま なつき、1939年6月28日 - )は、… 葉山 夏樹(はやま なつき、1939年6月28日 - )は、日本の実業家。田辺三菱製薬(現・田辺ファーマ)株式会社の初代代表取締役社長や、日本製薬工業協会副会長を務めた。
岡下 信子(おかした のぶこ、1939年6月28日 - )は… 岡下 信子(おかした のぶこ、1939年6月28日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(通算2期)を務めた。 香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校、学習院女子短期大学文科英語専攻卒業。 1962年(昭和37年)に大蔵省職員の岡下昌浩と結婚。1989年(平成元年)に夫が大蔵省を退職し、政治活動を始めると、秘書として夫を支える。昌浩は、1990年(平成2年)の総選挙には無所属で、1993年(平成5年)および1996年(平成8年)の総選挙には自由民主党から出馬するがいずれも落選。その後、1998年(平成10年)に昌浩が急逝する。 2000年(平成12年)の総選挙に、岡下は夫の地盤を引き継ぎ、大阪17区から自民党公認で出馬し初当選。
片上 公人(かたかみ こうじん、1939年〈昭和14年〉6月… 片上 公人(かたかみ こうじん、1939年〈昭和14年〉6月28日 - 2010年〈平成22年〉)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。キャッチコピーは『地球人・未来人・片上公人』 神戸市出身。神戸大学経済学部卒業。神戸市職員、創価学会の地元役員、聖教新聞記者などを経て1986年の第14回参議院議員通常選挙に兵庫県選挙区より公明党公認で出馬し、当選。1992年の選挙で再選を果たす。 1995年秋、女性秘書に対するセクハラで告訴される。1995年11月16日には自民党、日本社会党、新党さきがけ、日本共産党の全女性議員22人が事実関係の調査と片上議員の議員辞職を求める超党派の声明を出した。22日には、自民党の石井道子、南野知惠子、社会党の千葉景子、日下部禧代子、大脇雅子、栗原君子、さきがけの堂本暁子、共産党の吉川春子、阿部幸代が参院議長に対して「多くの女性の憤りや疑問に答えるためにも速やかな事実の解明を求める」との申し入れ書を手渡した。
星野 伊佐夫(ほしの いさお、1939年6月27日 - )は… 星野 伊佐夫(ほしの いさお、1939年6月27日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日中綬章。 新潟県長岡市・三島郡選挙区選出の新潟県議会議員(12期)、新潟県議会議長、新潟県議会副議長、自由民主党新潟県連会長、自由民主党新潟県連常任顧問、自由民主党長岡支部長などを歴任した。 新潟県長岡市に生まれる[要出典]。1958年(昭和33年)3月、新潟県立長岡商業高等学校卒業。 1978年(昭和53年)4月、新潟県議会議員補欠選挙に立候補し初当選(1期)。越山会青年部長、越山会県議団長などを務める。 1991年(平成3年)5月16日、新潟県議会副議長に就任。 1996年(平成8年)7月12日、新潟県議会議長に就任。
佐伯 胖(さえき ゆたか、1939年6月27日 - )は、日… 佐伯 胖(さえき ゆたか、1939年6月27日 - )は、日本の認知心理学者。信濃教育会教育研究所所長。東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。 岐阜県生まれ。大阪府立北野高等学校卒業。1964年慶應義塾大学工学部管理工学科卒業。同大学大学院工学研究科管理工学専攻修士課程修了。ワシントン大学大学院心理学専攻修士課程および博士課程修了、Ph.D.(1970年)。 東京理科大学理工学部助教授、東京大学大学院教育学研究科・教育学部長・教授。2000年定年退官、名誉教授、青山学院大学文学部教育学科教授を経て、2008年度から同大学社会情報学部教授、ヒューマン・イノベーション研究センター所長。2013年同大学退職、名誉教授。
長野 祐也(ながの すけなり、1939年6月27日 - 20… 長野 祐也(ながの すけなり、1939年6月27日 - 2018年6月25日)は、日本の政治家・政治評論家。鹿児島県議会議員、衆議院議員(3期)。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島玉龍高等学校第9回卒、同級生には元厚生労働大臣の尾辻秀久がいる。高校時代は弁論部で活動し、1957年10月に広島大学主催の全国高校弁論大会に出場、演題「高校生の使命に思う」で優勝。1963年、中央大学法学部政治学科卒業。 田中茂穂参議院議員秘書や鹿児島県議会議員、新自由クラブ鹿児島県連代表を経て、1980年第36回衆議院議員総選挙では鹿児島1区において自由民主党公認・中曽根派所属の新人候補として初当選、以降3期連続で務める。
恩田 昌史(おんだ まさし、1939年6月27日 - )は、… 恩田 昌史(おんだ まさし、1939年6月27日 - )は、大阪府南河内郡喜志村(現・富田林市)出身のフィールドホッケー選手・指導者である。現役時代のポジションはセンターフォワード。日本ホッケー界の重鎮である。 ホッケーの名門天理大学で活躍。1958年のアジア大会銅メダルに貢献。「天才プレーヤー」と謳われた。卒業後の1963年、天理大に入職。1968年にはメキシコ五輪に選手として出場。大学内では書記、助手、講師、助教授を経て、1983年に教授となる。 1965年、男子ホッケー部監督に就任し、1977年には女子チームも結成した。男女合わせて監督として「全国大会通算102度」の優勝を記録し、1988年には史上初の「アベック3冠」を達成した。
内山 和巳(うちやま かずみ、1939年〈昭和14年〉6月2… 内山 和巳(うちやま かずみ、1939年〈昭和14年〉6月27日 - )は、群馬県伊勢崎市出身の日本の元プロ野球選手(投手、外野手)。 伊勢崎高を経て1958年から1960年にかけて中日ドラゴンズに在籍し、1958年は投手、59-60年は外野手。1960年のシーズン限りで引退した。一軍出場はならなかったが、後に息子の内山憲一がヤクルト入りし、史上初の親子投手として話題となった。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
菊谷 勝利(きくや かつとし、1939年6月26日 - 20… 菊谷 勝利(きくや かつとし、1939年6月26日 - 2015年7月5日)は、日本の政治家。北海道砂川市長(3期)。 北海道増毛郡増毛町出身。1958年、北海道留萌高等学校卒。1961年、砂川市役所に入る。1971年、自治労砂川市職員労働組合特別執行委員となり、同年の砂川市議会議員選挙で当選する。砂川市議は1999年まで務め、この間、副議長と議長を歴任した。同年の砂川市長選挙に立候補し当選し、3期務める。2011年に市長を退任した。
佐藤 栄佐久(さとう えいさく、1939年〈昭和14年〉6月… 佐藤 栄佐久(さとう えいさく、1939年〈昭和14年〉6月24日 - 2025年〈令和7年〉3月19日)は、日本の政治家。 参議院議員(1期)、福島県知事(5期)、全国過疎地域自立促進連盟会長を務めた。 衆議院副議長で元外務大臣の玄葉光一郎は娘婿にあたる。 福島県郡山市生まれ。幼少期、本宮市に転居したが中学生からは再び郡山市で育った。福島県立安積高等学校、東京大学法学部卒業。 日本青年会議所副会頭 等の役職を歴任した後、1983年の第13回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で福島県選挙区から立候補し、初当選を果たした。 1988年、松平勇雄の引退に伴う福島県知事選挙に伊東正義や斎藤邦吉の支援を受け、参議院議員を辞職して立候補し当選を果たした。
平田 正(ひらた ただし、1939年6月24日 - )は群馬… 平田 正(ひらた ただし、1939年6月24日 - )は群馬県出身の実業家。協和醗酵工業会長。
中村 健之介(なかむら けんのすけ、1939年6月24日 -… 中村 健之介(なかむら けんのすけ、1939年6月24日 - 2022年9月22日)は、日本のロシア文学研究者。北海道大学名誉教授。新潟県三条市出身。 国際基督教大学教養学部卒業、東京大学大学院比較文学比較文化博士課程中退、北海道大学助教授、教授を経て1995年より東京大学教養学部教授、2000年定年退官後は大妻女子大学比較文化学部教授、2010年定年退任。 もっぱらドストエフスキー研究に専念してきたが、近年は宣教師ニコライ・カサートキンとその周辺の研究で業績を挙げた。2007年、『宣教師ニコライの全日記』(監訳)で日本翻訳出版文化賞受賞。明治大学教授(英語圏文学)の中村和恵は長女。 2022年9月22日午前4時2分、肺炎のため兵庫県の病院で死去。
木下 長宏(きのした ながひろ、1939年6月24日 - )… 木下 長宏(きのした ながひろ、1939年6月24日 - )は、日本の美術史学者。横浜国立大学名誉教授。私塾「土曜の午後のABC」を主宰。 1966年同志社大学文学部文化学科卒、同大学院美学・美術史博士課程単位取得退学。京都芸術短期大学助教授、教授、1993年『思想史としてのゴッホ』で芸術選奨新人賞受賞。1998年横浜国立大学教授、2005年定年。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
石川 錬治郎(いしかわ れんじろう、1939年6月22日 -… 石川 錬治郎(いしかわ れんじろう、1939年6月22日 - 2021年10月29日)は、日本の政治家。秋田市長(3期)、秋田県議会議員(1期)を務めた。 秋田県南秋田郡五城目町字杉沢生まれ。秋田県立秋田高等学校、早稲田大学文学部を卒業。東京大学大学院農学系研究科農業経済専攻修士課程修了。 千葉大学園芸学部助手などを経て、1983年の第13回参議院議員通常選挙に日本社会党公認で秋田県選挙区より立候補し、落選。1986年の第14回参議院議員通常選挙にも立候補したが、落選。 1989年、秋田市長選挙に立候補したが、現職の高田景次に敗れ落選。1990年、高田の辞任に伴う秋田市長選挙に立候補し初当選。以後3期連続当選する。
渡辺 利夫(わたなべ としお、1939年6月22日 - )は… 渡辺 利夫(わたなべ としお、1939年6月22日 - )は、日本の経済学者。学位は、経済学博士。東京工業大学名誉教授、拓殖大学名誉教授、公益財団法人オイスカ会長。日本李登輝友の会会長。一般社団法人高齢者活躍支援協議会会長。専門は開発経済学と現在アジア経済論。山梨県甲府市生まれ。
飯田 健郎(いいだ たけお、1939年6月22日 - )は、… 飯田 健郎(いいだ たけお、1939年6月22日 - )は、日本の化学者。大阪工業大学名誉教授・工学博士、桜花会元幹事。元日本化学会近畿支部幹事。日本接着学会1990評議員。 専門は、高分子化学・合成化学(特にPVC)。 1962年大阪工業大学工学部応用化学科卒業(応用化学科第一期生)。同大学大学院工学研究科応用化学専攻修士課程修了。同大学工学部応用化学科助手となり、応用化学教室を担当。同学科講師、助教授を経て、1982年工学博士(大阪工業大学)。1995年同学科教授。1996年同大学学生部長などを経て、2007年大阪工業大学名誉教授。 大阪工業大学応用化学科にて、約40年の長きに渡り教鞭を執り、同学科同窓会である桜花会幹事も務めた。
菅野 則子(すがの のりこ、1939年(昭和14年)6月22… 菅野 則子(すがの のりこ、1939年(昭和14年)6月22日 - )は、日本史学者。帝京大学名誉教授。元「公益財団法人市川房枝記念会女性と政治センター」理事長。 東京生まれ。1962年東京女子大学文理学部卒業。1964年東京都立大学 (1949-2011)大学院修士課程修了。1993年「幕末農村社会史研究」で都立大学博士(史学)。一橋大学経済学部助手、帝京大学文学部教授。2010年定年退任、名誉教授。
宮村 忠(みやむら ただし、1939年6月22日 - 202… 宮村 忠(みやむら ただし、1939年6月22日 - 2022年9月3日)は、日本の河川工学者、関東学院大学工学部名誉教授。 東京府東京市深川区(現東京都江東区)生まれ。1966年東京農業大学大学院修士課程修了。1975年「水害と土地利用に関する実証的研究」で東京大学工学博士。関東学院大学工学部助教授、1985年教授。2010年名誉教授。横浜歴史資産調査会代表、NPO法人本所深川代表。宮村河川塾を開いた。2019年、個人として初めて水防功労者国土交通大臣表彰を受けた。2022年9月3日、菌血症のため死去。83歳没。 1987年、当時関東学院大学の工学部の教授であった宮村らが中心となって、工学部土木工学科の中に全国初の「女子クラス」が誕生した。
中山 尚三(なかやま しょうぞう、1939年(昭和13年)6… 中山 尚三(なかやま しょうぞう、1939年(昭和13年)6月21日 - )は実業家。豊田自動織機相談役。同社元代表取締役副会長。 1939年、三重県に出生。 明治大学工学部卒業。 1962年、明大を卒業し、トヨタグループの本家にあたる株式会社豊田自動織機製作所(現・豊田自動織機)に入社。後に、同社の事業の中核を形成することになるコンプレッサー事業の立ち上げを担う。同社コンプレッサーは、ダイムラー、フォルクスワーゲン、ゼネラルモーターズなど、国内外の主要自動車メーカーから採用され、世界No.1シェアを獲得するに至り、同社の事業発展に大きな貢献を果たした。
鈴木 忠志(すずき ただし、1939年6月20日 - )は、… 鈴木 忠志(すずき ただし、1939年6月20日 - )は、日本の演出家。世界各地での上演活動や共同作業、俳優訓練法「スズキ・トレーニング・メソッド」で知られている。唐十郎、寺山修司らとともに、1960年代におこった新しい演劇運動の代表的な担い手の一人である。 静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身。東京都立北園高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。早稲田大学在学中に、学生劇団「自由舞台」に参加。劇作家の別役実らと知り合い、本格的に演劇活動を開始した。 1966年 大学卒業後、鈴木を中心として、別役、斉藤郁子、蔦森皓祐らと劇団「早稲田小劇場」を結成、早稲田大学近くの喫茶店「モンシェリ」2階に劇団と同名の劇場をかまえ、活動を続けた(2015年、早稲田大学は鈴木忠志に名称使用の了解を得て、跡地に「早稲田小劇場どらま館」を再建した)。
井出 正一(いで しょういち、1939年6月20日 - 20… 井出 正一(いで しょういち、1939年6月20日 - 2018年9月2日)は、日本の実業家、政治家。橘倉酒造代表取締役会長。 衆議院議員(3期)、厚生大臣(第77代)、新党さきがけ代表(第2代)を歴任。 父は内閣官房長官や農林大臣、郵政大臣を務めた元衆議院議員の井出一太郎。作家の井出孫六は叔父。衆議院議員の井出庸生は甥。 長野県南佐久郡臼田町(現:佐久市)生まれ。長野県野沢北高等学校、慶應義塾大学経済学部経済学科卒業。大学では中国経済を研究していた。大学卒業後は、政治家である父・井出一太郎に代わって家業の酒造業の経営に携わる。 1986年、父・一太郎の引退に伴い、父の支持者から要請を受け、第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧長野2区から立候補し、初当選した。
宮原 明(みやはら あきら、1939年6月19日-)は、日本… 宮原 明(みやはら あきら、1939年6月19日-)は、日本の実業家。富士ゼロックス(現:富士フイルムビジネスイノベーション)代表取締役社長、学校法人関西学院理事長などを歴任した。 1939年6月19日、大阪府生まれ。明星高等学校を卒業。1962年3月に関西学院大学商学部を卒業。同年、富士写真フイルム(現富士フイルムホールディングス)に入社。1971年に富士ゼロックスに転じる。その後、同社にて、1992年代表取締役社長、1998年代表取締役副会長。2002年相談役。2003年学校法人国際大学副理事長。2006年大京取締役。オリックス社外取締役、富士火災海上保険社外取締役なども歴任。この他、1995年4月から2006年6月まで社団法人経済同友会幹事、1998年から2000年まで社団法人ビジネス機械・情報システム産業協会会長 などを務めた。
細谷 治通(ほそや はるみち、1939年6月19日 - )は… 細谷 治通(ほそや はるみち、1939年6月19日 - )は、日本の元政治家。民主党福岡県連顧問・倫理委員会委員長。元民主党衆議院議員。父は衆議院議員を務めた細谷治嘉。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
塩田 利幸(しおた としゆき、1939年6月17日 - 20… 塩田 利幸(しおた としゆき、1939年6月17日 - 2016年9月29日)は、日本のアナウンサー。大阪府大阪市出身。昭和プロダクション所属。関西テレビ放送(KTV)の勤務を経て、フリーとなる。 小学生時代は大の阪神ファンだったが、1950年のセ・パ両リーグ分立の時に、阪神から毎日オリオンズに移籍した別当薫派に付いて行き、オリオンズファンになる。少年時代は球場に頻繁に行くよりも野球雑誌を読んだりラジオで中継を聴いたりするタイプのファンだったことから、小学生時代にアナウンサーを志す。大阪府立夕陽丘高等学校、関西学院大学法学部卒業後、1962年KTVにアナウンサーとして入社。関西運動記者クラブにも加入する。
加藤 紘一(かとう こういち、1939年(昭和14年)6月1… 加藤 紘一(かとう こういち、1939年(昭和14年)6月17日 ‐ 2016年(平成28年)9月9日)は、日本の外務官僚、政治家。「宏池会のプリンス」[注釈 1]と呼ばれ、山崎拓・小泉純一郎と結成したYKKの代表格。衆議院議員(13期)、防衛庁長官、内閣官房長官、自由民主党政務調査会長、幹事長、宏池会会長を歴任。「総理に一番近い男」とも呼ばれたが、加藤の乱や秘書の脱税疑惑で失脚した。正三位、旭日大綬章受勲。
三井康壽(みつい やすひさ、1939年(昭和14年)6月17… 三井康壽(みつい やすひさ、1939年(昭和14年)6月17日 - )は、日本の官僚。元国土事務次官。博士(工学)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
山本 晋也(やまもと しんや、本名:伊藤 直(いとう ただし… 山本 晋也(やまもと しんや、本名:伊藤 直(いとう ただし)、1939年〈昭和14年〉6月16日 - )は、日本の映画監督、タレント、俳優、リポーター。東京市神田区(現:東京都千代田区)出身。愛称は「カントク」。サングラスにちょび髭がトレードマーク。口癖は「すごいですねぇ」「ほとんどビョーキ」。現在、毒蝮三太夫が所属するまむしプロダクションと業務提携をしている。 神田生まれの江戸っ子ということもあり、中学時代から落語が好きで寄席に通っていた。早稲田高等学校を経て、1963年に日本大学芸術学部演劇学科に入学。学生運動が激しかった時代だが、山本は当時、右翼学生の立場だったという。後に視野が広がり、左派的な平和主義の立場にかわっている。
清元 登子(きよもと たかこ 、1939年6月15日 - 2… 清元 登子(きよもと たかこ 、1939年6月15日 - 2017年9月16日)は、熊本県熊本市出身の日本の女子プロゴルファー、ゴルフ指導者、元日本女子プロゴルフ協会会長である。 24歳で初めてゴルフクラブを握り、始めておよそ2年後の1965年の「日本女子アマチュアゴルフ選手権競技」において初出場で3位となる。 1968年に行われた第1回「TBS女子オープン」(後の日本女子オープンゴルフ選手権競技)ではベストアマチュアになった。1969年、1972年、1973年に「日本女子アマチュアゴルフ選手権競技」で優勝。 1973年の「トヨトミレディス」において、アマチュアとして史上初めてのツアー優勝を果たす。
野口 恭(のぐち きょう、1939年6月14日 - 2009… 野口 恭(のぐち きょう、1939年6月14日 - 2009年1月1日)は、日本の元プロボクサー。元ボクシング日本フライ級王者。野口ボクシングジム名誉会長。愛媛県出身。プロボクサーであり、野口ボクシングジム創始者のライオン野口の次男。キックボクシング創始者の野口修は兄、自身の長女は野口ボクシングのジムマネージャー、長男は野口ボクシングジム3代目会長を務める。
深谷 克己(ふかや かつみ、1939年6月14日 - )は、… 深谷 克己(ふかや かつみ、1939年6月14日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本近世史。早稲田大学名誉教授。 1939年、三重県久居市(現・津市)生まれ。1958年早稲田大学政治経済学部に入学するも、翌年退学。1969年早稲田大学文学部史学科国史専修入学、1968年同大学院文学研究科史学専攻博士課程入学。1971年早稲田大学第一・第二文学部助手、1974年同専任講師、1977年助教授。1980年「百姓一揆の歴史的構造」で早稲田大学より文学博士の学位を取得。1982年同教授。同年、家永教科書裁判で証言を行う。この頃から、安丸良夫らと民衆思想研究会を開催する。 1990年、アジア民衆史研究会を設立して安在邦夫とともに代表に就任。
山路 興造(やまじ こうぞう、1939年6月13日 - )は… 山路 興造(やまじ こうぞう、1939年6月13日 - )は日本の民俗学者、芸能史研究家。京都嵯峨芸術大学客員教授、「藝能史研究会」代表委員、「民俗芸能学会」代表理事。 東京府東京市(現・東京都)渋谷に生まれ、日本橋で育った。早稲田大学教育学部[要出典]を卒業した。 国立文化財研究所芸能部(現・東京文化財研究所無形文化遺産部)嘱託を経て、平凡社地方資料研究センター所員となる。京都市歴史資料館主幹を経て、1992年より[要出典]同館館長を務めた。在任中には、『京都市史』の編纂に携わった。のち京都市文化財保護課参与となる。また、京都嵯峨芸術大学博物館館長・客員教授を務めた。民俗芸能の研究に携わっている。
荒川 康男(あらかわ やすお、1939年6月12日 - )は… 荒川 康男(あらかわ やすお、1939年6月12日 - )は、日本のジャズ・ベース奏者、作曲家である。 1939年6月12日、神戸市に生まれた。御影に住んでいたが、第二次世界大戦のあおりで鳥取県との県境に近い日本海側の美方郡諸寄に疎開していた。小学校に上がるころに終戦を迎え、芦屋山手小学校に通った。そこでの同窓生にジャズ・ミュージシャンの清水閏、木村新弥らがいる。 戦後はラジオでFENをよく聴いていた。中学のときにジャズに興味を持ち、高校に入りベニー・グッドマンのレコードを入手した。 本格的な楽器の演奏経験がなかったにもかかわらず、高校3年のときに神戸のジャズ喫茶でベースを担当する羽目になったのが演奏活動の始まりであった。
上草 義輝(うえくさ よしてる、1939年6月11日 - )… 上草 義輝(うえくさ よしてる、1939年6月11日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)。特定非営利活動法人農林漁業支援機構理事長。 北海道留萌郡小平町生まれ。留萌市立潮静小学校、札幌市立一条中学校、北海道札幌南高等学校を経て、早稲田大学政治政経学部経済学科卒業。大野伴睦、中川一郎の秘書を経て、1979年の第35回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で北海道2区から立候補し、初当選(当選同期に佐藤信二・保利耕輔・畑英次郎・麻生太郎・小里貞利・岸田文武・白川勝彦・丹羽雄哉・亀井静香・吹田愰・宮下創平・亀井善之・船田元など)。以後、連続5期。 当選後は自由革新同友会に属したが、中川の死後、中曽根派に移籍(中曽根派の代替わり後は渡辺派に所属)。
山元 清多(やまもと きよかず、1939年6月11日 - 2… 山元 清多(やまもと きよかず、1939年6月11日 - 2010年9月12日)は、日本の脚本家、劇作家、演出家。東京都江東区出身。東京都立両国高等学校卒業、東京大学教育学部教育心理学科卒業。劇団黒テント所属。妻は女優の稲葉良子。 5人兄弟の長男。父親は自営業だが、太平洋戦争終戦を境に事業がうまくいかなくなって仕事・住居ともに転々としていた。大学では演劇研究会に所属。大学在学中より芝居の執筆を開始。大学卒業後は時事通信社に入社し、運動部記者としてアマチュアスポーツを3年間担当。1967年に「六月劇場」の結成参加のため時事通信社を退職。その後六月劇場を経て、1968年に黒テントの前身である「演劇センター68」に参加。
川村 昌平(かわむら しょうへい、1939年6月10日 - … 川村 昌平(かわむら しょうへい、1939年6月10日 - )は、日本の実業家。養命酒製造代表取締役会長。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、慶應義塾大学商学部卒業。1962年養命酒製造入社。1993年経理部担当部長。1996年取締役・経理部長。2002年常務取締役・人事、経理担当。2004年専務取締役執行役員・管理本部長。中期経営計画を3次まで立案し指揮した。2006年代表取締役専務取締役執行役員・総務、人事、経理担当。2007年代表取締役副社長執行役員・海外事業、総務、人事、経理担当。2008年代表取締役副社長執行役員・生産事業本部長。2010年代表取締役副社長執行役員・生産本部長、事業開発本部長。
内田 忠男(うちだ ただお、1939年〈昭和14年〉6月9日… 内田 忠男(うちだ ただお、1939年〈昭和14年〉6月9日 - )は、国際ジャーナリストである。マニラ(当時:米領フィリピン群島)出身。日本国際フォーラム政策委員。 報道・情報ワイドショー番組