井坂 義雄(いさか よしお、1938年8月22日 - )は、… 井坂 義雄(いさか よしお、1938年8月22日 - )は、日本の英文学者。法政大学名誉教授。 東京生まれ。1965年法政大学文学部英文科卒、1970年同大学院博士課程中退。1971年芝浦工業大学専任講師、1973年法政大学第一教養部専任講師、1974年助教授、1976年教授、2000年国際文化学部教授、2009年定年退任、名誉教授。ペンネームは三仏生葦生。 2017年4月、瑞宝中綬章を受章。
土橋 芳邦(どばし よしくに、1938年8月21日 - )は… 土橋 芳邦(どばし よしくに、1938年8月21日 - )は、日本の実業家。クボタ代表取締役社長、学校法人大阪産業大学理事長などを務めた。 兵庫県宝塚市出身。1961年神戸大学経済学部卒業、久保田鉄工(現クボタ)入社。1982秘書室長。1989年取締役広報室担当。1991年常務取締役。1993年専務取締役。1999年から代表取締役社長を務め、不採算事業の整理などを進め全事業の黒字化を達成した。同年、日本ダクタイル鉄管協会会長に就任。2003年に相談役に退いた。2008年社友。2009年学校法人大阪産業大学理事長。
植松 敏(うえまつ さとし、1938年8月19日 - )は、… 植松 敏(うえまつ さとし、1938年8月19日 - )は、日本の官僚。特許庁長官などを歴任。 神奈川県藤沢町(現在の藤沢市)生まれ。神奈川県立湘南高等学校から東京大学に入学。東京大学法学部第2類(公法コース)在学中に国家公務員上級甲種試験をトップ合格。1961年、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業、同年通商産業省入省(大臣官房総務課)。 同期には内藤正久(産業政策局長)、佐藤剛男、山本貞一(資源エネルギー庁長官、川崎製鉄副社長)、和田文雄(日本自転車振興会副会長)、三野正博(第二電電専務)などがいるが、事務次官は出ていない。 特許庁長官を務めた後に退官してからは、中小企業金融公庫理事となり、1993年7月から1998年12月まで公正取引委員会委員。
小櫻 秀爾(こざくら しゅうじ、1938年8月19日 - )… 小櫻 秀爾(こざくら しゅうじ、1938年8月19日 - )は日本の作曲家。 愛知県名古屋市出身。1961年に愛知学芸大学(現在の愛知教育大学)を卒業した後、東京芸術大学で長谷川良夫、南弘明らに作曲を学び、1970年に卒業した。長く名古屋音楽大学に勤め、現在は名誉教授。 1977年「ふしぎなマンドリン」で第2回日本マンドリン合奏曲作曲コンクール佳作入選。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
當間 一郎(当間一郎、とうま いちろう、1938年8月19日… 當間 一郎(当間一郎、とうま いちろう、1938年8月19日 - 2020年6月18日)は、日本の沖縄芸能研究者。 サイパン島生まれ、沖縄県那覇市出身。1960年に國學院大學文学部文学科を卒業した。大学時代に宮良當壯と出会い、組踊写本などの芸能研究を行うようになり、写本の発掘・整理、組踊の復活上演、真境名由康・島袋光裕らの実演家との交流、沖縄藝能史研究会の立ち上げなど、沖縄芸能の発展と継承に貢献した。沖縄県立博物館・美術館館長も務めた。 2020年6月18日、腎臓癌のため糸満市の病院で死去。
若林 薫(わかばやし かおる、1938年8月19日 - )は… 若林 薫(わかばやし かおる、1938年8月19日 - )は、東京府東京市(現・東京都)出身の元バスケットボール選手。 東京教育大学在学中、全日本に選ばれローマオリンピックに出場。 卒業後、日本鋼管に入社。全日本で活躍し、1963年世界選手権と東京オリンピック、1967年世界選手権に出場。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
新庄 輝也(しんじょう てるや、1938年8月18日 - )… 新庄 輝也(しんじょう てるや、1938年8月18日 - )は、日本の化学者。京都大学名誉教授。紫綬褒章受章者。京都府出身。
松平 賴武(まつだいら よりたけ、1938年8月17日 - … 松平 賴武(まつだいら よりたけ、1938年8月17日 - )は、日本の教育者。高松松平家14代当主。本郷学園理事長 。公益社団法人香川県教育会会長、ボーイスカウト日本連盟理事、同国際コミッショナー、世界スカウト機構アジア太平洋地域連盟スカウト委員を歴任したほか、世界仏教スカウト協会創設に携わった。
松平 賴武(まつだいら よりたけ、1938年8月17日 - … 松平 賴武(まつだいら よりたけ、1938年8月17日 - )は、日本の教育者。高松松平家14代当主。本郷学園理事長、公益社団法人香川県教育会会長、ボーイスカウト日本連盟副理事長、公益財団法人松平公益会会長。ボーイスカウト日本連盟国際コミッショナー、世界スカウト機構アジア太平洋地域連盟スカウト委員を歴任したほか、世界仏教スカウト協会創設に携わった。2010年(平成22年)旭日小綬章受章。 高松松平家の13代当主松平頼明の長男として生まれ、終戦直後、小学2年までの2年間を香川県で過ごした。頼明(のちにボーイスカウト日本連盟理事)がスカウト運動に携わっていたことから三島通陽、久留島秀三郎、古田誠一郎、岩波信平、鳴海重和、村山有、中村知らが家に出入りしており、賴武も自身もスカウトとなる。
澤井 信一郎(さわい しんいちろう、1938年8月16日 -… 澤井 信一郎(さわい しんいちろう、1938年8月16日 - 2021年9月3日)は、日本の映画監督。 静岡県浜名郡雄踏町(現在の浜松市西区)出身。父は代用教員を経て呉服屋を経営。兄は四日市公害関係の記録人である沢井余志郎。 中学時代はハーモニカに熱中。静岡県立浜松北高等学校ではドイツ文学に熱中し、テオドル・シュトルムなどを読み耽り、その延長線上で東京外国語大学ドイツ語科に進学。学生運動に深入りし同大学社会主義学生同盟の主要メンバーとなるが、60年安保を機に運動から離れる。同大学卒業後、1961年東映入社。マキノ雅弘に師事した。 1981年、『野菊の墓』で映画監督デビュー。 1985年、『早春物語』で第26回日本映画監督協会新人賞を受賞した。
湯川 豊(ゆかわ ゆたか、1938年8月16日 ‐ )は、日… 湯川 豊(ゆかわ ゆたか、1938年8月16日 ‐ )は、日本の編集者、評論家、エッセイスト、元京都造形芸術大学教授。
橋本 卓(はしもと たかし、1938年(昭和13年)8月16… 橋本 卓(はしもと たかし、1938年(昭和13年)8月16日 - 2009年(平成21年)3月)は、日本の政治家。元大阪府箕面市長(2期)。 広島県出身。神戸大学教育学部卒。箕面市役所に入り、助役などを務める。 1993年箕面市長選挙に立候補し、当選する。1997年に再選。2000年自身の健康問題を理由に市長を辞職した。2009年死去。
小倉 純二(おぐら じゅんじ、1938年8月14日 - )は… 小倉 純二(おぐら じゅんじ、1938年8月14日 - )は、日本サッカー協会 (JFA) 第12代会長。日本サッカー界の国際的な渉外活動を長年にわたり引き受ける。またプレーヤーとしての経験が皆無でありながらも日本サッカー協会の首脳部入りした異色の経歴も持つ。2002年から2011年まで国際サッカー連盟 (FIFA) 理事およびアジアサッカー連盟 (AFC) 理事を務めた。 JFA会長に在任中、日本代表やなでしこジャパンの試合がある際には、必ずJFAハウス近くのとんかつ店で食事をするという験担ぎを行うのが恒例だった。2011年9月には男子のW杯3次予選・女子のロンドン五輪予選の日程が被り、5日間で4回とんかつを食べることになったが、それにもめげず験担ぎを続行した。
島田 節子(しまだ せつこ、1938年8月14日 - )は、… 島田 節子(しまだ せつこ、1938年8月14日 - )は、日本の元競泳選手。奈良県宇智郡南宇智村出身。1956年メルボルンオリンピック日本代表。 宇智郡野原中学校、奈良県立五條高等学校卒、東洋レーヨン所属。 1956年の日本選手権兼メルボルンオリンピック選考会で50m自由形で2位に入り、メルボルンオリンピック日本代表に選出された。メルボルンオリンピックでは100m自由形に出場し、予選落ちだった。 1958年アジア競技大会では400mフリーリレーで優勝した。
石毛 鍈子(いしげ えいこ、1938年8月12日 - )は、… 石毛 鍈子(いしげ えいこ、1938年8月12日 - )は、日本の政治家、市民運動家、社会福祉学者。民主党所属の元衆議院議員(4期)。元民主党副代表。『季刊福祉労働』編集長。NPO法人「市民福祉サポートセンター」代表、「市民がつくる政策調査会」代表理事。 政治活動においては石毛 えい子の表記を主に用いている。 千葉県銚子市生まれ。 千葉県立銚子高等学校、日本女子大学文学部卒業。 大学卒業後は社会福祉団体の代表や飯田女子短期大学教授を務めるかたわら、市民運動に取り組む。専門は社会福祉学。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に旧民主党公認で比例東京ブロック単独2位で出馬し、初当選。1999年(平成11年)-7月、衆院本会議で国旗及び国歌に関する法律に反対票を投じた。
島田 順司(しまだ じゅんし、1938年〈昭和13年〉8月1… 島田 順司(しまだ じゅんし、1938年〈昭和13年〉8月12日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 兵庫県出身。兵庫県立芦屋高等学校卒業。オフィス斉藤、ジェイ・クリップに所属していた。 関西新劇界の名門劇団である関西芸術座演劇研究所を卒業後、正式座員になった後に退座して上京。東京芸術座に所属。 1965年、NET(現・テレビ朝日)のテレビ時代劇『新選組血風録』の沖田総司役で本格デビュー。同ドラマのヒットにより、栗塚旭演じる土方歳三とともに人気を博した。『新選組血風録』終了後も、『俺は用心棒』(1967年)、『燃えよ剣』(1970年)でも沖田を演じるなど時代劇を中心に活躍。 1988年から『はぐれ刑事純情派』 (テレビ朝日)で、藤田まこと演じる安浦刑事が所属する警視庁山手中央警察署の刑事課長・川辺精一役で、シリーズ18年間の全作品にレギュラー出演。
黒田 杏子(くろだ ももこ、1938年8月10日 - 202… 黒田 杏子(くろだ ももこ、1938年8月10日 - 2023年3月13日)は、日本の俳人。 東京市本郷生まれ。父は開業医。1944年栃木県に疎開、高校卒業まで栃木県内で過ごす。栃木県立宇都宮女子高等学校から東京女子大学に進学。大学入学と同時に俳句研究会「白塔会」に入り、山口青邨の指導を受け、青邨主宰の「夏草」に入会。東京女子大学文学部心理学科を卒業後、博報堂に入社。テレビ、ラジオ局プランナー、雑誌『広告』編集長などを務め、瀬戸内寂聴、梅原猛、山口昌男など多数の著名文化人と親交を持つ。この間、10年ほど作句を中断。1970年、青邨に再入門。青邨没後、1990年俳誌「藍生」(あおい)を創刊、主宰。
大宮 信光(おおみや のぶみつ、1938年8月10日- )は… 大宮 信光(おおみや のぶみつ、1938年8月10日- )は、日本の科学ジャーナリスト、SFファン活動家。 東京神田生まれ。東京教育大学(中退)在学中から家庭教師、塾経営をはじめる。 1967年にSF同人誌『宇宙塵』に参加。SFファン時代の1967年、ハインラインの『宇宙の戦士』が翻訳され、石川喬司の否定的なレビューにより『SFマガジン』誌上で論争となった際、論争に参加しており、のちの石川の著書『SFの時代』で投稿が紹介されている。 1968年から石原藤夫、柴野拓美らと「SFファン科学勉強会」(SFフ科会)を結成して活動。のちに草場純、志水一夫、鹿野司らもメンバーとなる。 1979年頃からSF乱学者を名乗る(「蘭学者」のもじり)。
猪木 快守(いのき よしもり、1938年8月6日 - 201… 猪木 快守(いのき よしもり、1938年8月6日 - 2011年3月23日)は、日本の実業家、政治活動家(初代・第4代スポーツ平和党代表)、テノール歌手(芸名:パブロ猪木)。 兄弟には相良寿一(松涛流空手道師範、伯オリンピック委員)、アントニオ猪木(元プロレスラー、新日本プロレス創始者、本名:猪木寛至)らがいる。 神奈川県横浜市鶴見区出身。1958年に一家でブラジルに移住し、コーヒー豆、落花生農家、牧場を営んでいた。現地で崇教真光に入信。 アントン・ハイセル事業を推進する傍ら、フィデル・カストロ、アルベルト・フジモリ、サッダーム・フセインら各国の指導者にネットワークを広げた。 1989年の第15回参議院議員通常選挙に際し、弟のアントニオ猪木が結党したスポーツ平和党に参画。
和田 周(わだ しゅう、1938年8月6日 - )は、日本の… 和田 周(わだ しゅう、1938年8月6日 - )は、日本の俳優、声優、劇作家。演劇組織「夜の樹」主宰。現代制作舎所属。
西川 善文(にしかわ よしふみ、1938年〈昭和13年〉8月… 西川 善文(にしかわ よしふみ、1938年〈昭和13年〉8月3日 - 2020年〈令和2年〉9月11日)は、日本の実業家。「ザ・ラストバンカー」の異名をとった。 住友銀行頭取(1997年 - 2001年)、三井住友銀行頭取(初代、2001年 - 2005年)、三井住友フィナンシャルグループ代表取締役社長(初代、2002年 - 2005年)を歴任し、全国銀行協会会長を二度にわたって務めた(2000年、2004年)。三井住友銀行のトップを退いた後、郵政民営化を推進する小泉純一郎首相の要請を受けて日本郵政社長(初代、2006年 - 2009年)、日本郵政公社総裁(2007年4月 - 同年9月)を務めた。
須田 開代子(すだ かよこ、1938年〈昭和13年〉8月2日… 須田 開代子(すだ かよこ、1938年〈昭和13年〉8月2日 - 1995年〈平成7年〉11月20日)は、日本のプロボウリング選手。東京都出身。 ライセンスナンバー1の女子第1期生。日本国内初の女子プロボウラーとしても知られる。通算タイトル43勝。永久シード権者。永久A級ライセンス取得者第1号。川崎スターレーン→日本ブランズウィック社所属。ジャパンレディースボウリングクラブ(JLBC)初代代表。JPBA日本プロボウリング協会元副会長。 東京都中野区で次女として生まれる。物心ついたときにはすでに父が亡くなっており、母が賄い婦として夜遅くまで働いて女手一つで一家の生活を支えていた。それでも生活は貧しく、たまに早く帰宅した母は一人晩酌をしながら「並みの人間じゃダメなんだよ開代子、並みの人間じゃ私みたいに一生苦労するよ」とよく説いていた。
井尻 千男(いじり かずお、1938年8月2日 - 2015… 井尻 千男(いじり かずお、1938年8月2日 - 2015年6月3日)は、日本の評論家、コラムニスト。拓殖大学名誉教授、拓殖大学日本文化研究所顧問(前所長)。新しい歴史教科書をつくる会顧問。 山梨県出身。立教大学文学部日本文学科卒業後、日本経済新聞社入社。文化部に勤務し、読書面のコラム『とじ糸』 『活字のうちそと』などのコラムを25年間執筆し、コラムニストとして活動。 1982年7月、月刊誌『Voice』誌上において、佐々木敦というペンネームでコラム「ベストセラー最前線」の執筆を開始。連載は1991年3月に『流行の言説・不易の思想―ベストセラー書評社会学』、1996年4月に『読書の醍醐味―ベストセラーで読み解く世紀末』としてまとめられている。
長尾 龍一(ながお りゅういち、1938年8月2日 - )は… 長尾 龍一(ながお りゅういち、1938年8月2日 - )は、日本の法学者。東京大学名誉教授。専門は法哲学・政治思想史・憲法思想史。
丹羽 勝海(にわ かつうみ、1938年(昭和13年)8月2日… 丹羽 勝海(にわ かつうみ、1938年(昭和13年)8月2日 - 2019年(平成31年)1月29日)は、日本のテノール歌手。レオ・やまもとの名義でカウンターテナーとしても活動していた。 日本大学芸術学部音楽学科元主任教授。日本声楽発声学会元理事長(1989年から2000年まで)。優秀外国映画輸入配給賞審査員、アメリカ歌曲研究会名誉会員、芸研連オブザーバー、COMET会員、二期会会員、NATS会員。 1938年、神奈川県横浜市に生まれる。芝高等学校を卒業後、東京芸術大学に入学する。東京芸術大学では、磯谷威、古沢淑子、中山悌一、ロドルフォ・リッチに師事。1961年、東京芸術大学音楽学部を卒業。1961年から1966年にかけてアメリカに留学し、UCLA大学院、ジュリアード音楽院でヤン・ポッパー、ロッテ・レーマン、ジェニー・トゥーレルに師事する。
佐藤 好夫(さとう よしお、1938年8月1日 - )は、宮… 佐藤 好夫(さとう よしお、1938年8月1日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。 東北高校から1958年に西鉄ライオンズへ入団。58年は11試合出場するも全て偵察要員での出場だった。 1959年に1軍初登板するも同年に退団した。
吉原 健一郎(よしはら けんいちろう、1938年8月1日 -… 吉原 健一郎(よしはら けんいちろう、1938年8月1日 - 2012年3月22日)は、日本の歴史学者。成城大学名誉教授。専門は日本近世史、文化史。 1938年に東京府で出生する。1967年に東京教育大学大学院文学研究科日本史学専攻修士課程を修了。東京都公文書館主任調査員を経て、成城大学文芸学部文化史学科教授に就任する。江戸時代を中心に主に近世庶民文化を研究した。2009年に成城大学名誉教授となる。また、成城大学民俗学研究所所長、歴史学会会長を務めたほか、千代田区、港区、墨田区、江東区などの文化財保護審議会委員を歴任した。 2012年3月22日、肺がんのために死去。73歳没。
ユミ・シャロー(Yumi Charraut、1938年8月1… ユミ・シャロー(Yumi Charraut、1938年8月1日 - )は、日本人ファッションデザイナー。出生名は高木弓。 1938年、東京都港区麻布の鳥居坂に生まれる。父は建築家の高木秀寛。祖父は医学者・貴族院議員の高木喜寛。曽祖父は東京慈恵会医科大学を創設した高木兼寛。祖母・シマは有島武郎と有島生馬の妹で、里見弴の姉。学習院幼稚園、田園調布雙葉小学校、田園調布雙葉中学校・高等学校を経て、女子美術大学油絵科に進学。大学在学中から既にセツ・モードセミナーで学び、当時より「装苑」のスタイル画の仕事をする。 1967年、パリに渡り、高田賢三らと活躍。フリーで「ELLE」「ジャルダン・デ・モード」のデザイン活動やファッション・ジャーナリストとして活躍後、デザイン会社レラシオン・テキスタイルに入社。
ジャッキー吉川(ジャッキー よしかわ、1938年8月1日 -… ジャッキー吉川(ジャッキー よしかわ、1938年8月1日 - 2020年4月20日)は、ジャッキー吉川とブルー・コメッツのメンバーでドラムを担当。東京都出身。 本名は板岡公一(いたおか こういち)。ジャッキーの由来はジャッキのように力強い腕が由来。 小中学校時代を八王子市で過ごした。その後、法政大学第一中・高等学校(現:法政大学中学高等学校)を経て、法政大学経済学部に入学。高校時代、ジーン・クルーパへの憧れから独学でドラムを始める。最初は歌手希望であったが、高校2年の時、法政の先輩でブルー・コメッツのリーダーだった大橋道二(後に大橋プロを設立)の紹介で同バンドのバンドボーイとなった。 高校3年の時に母が癌で亡くなり(父も7年後に亡くなる)、間もなくそれまでのアルバイトから本業としてバンドボーイ兼ドラマー扱いでメンバーの一員となるが程無くして一時的にバンドを離れ、新宿のキャバレー専属バンドへ参加、しかし相変わらずの貧乏生活に加え、バンドの女性歌手からドラミングを酷評されたことをきっかけにブルー・コメッツへ戻り、再びバンドボーイをこなしながらドラムの演奏技術を磨き続けた。
渡辺 豊和(わたなべ とよかず、1938年8月1日 - )は… 渡辺 豊和(わたなべ とよかず、1938年8月1日 - )は日本の建築家。渡辺豊和建築工房主宰。博士(工学)。
中島 順三(なかじま じゅんぞう、1938年8月1日 - 2… 中島 順三(なかじま じゅんぞう、1938年8月1日 - 2022年8月14日)は、日本のアニメーションプロデューサー。東京都墨田区出身。公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団評議員。日本大学芸術学部写真学科卒業。 日本アニメーションには設立から加わり、プロデューサーとして、世界名作劇場を始めとする日本アニメーション作品の製作を行なった。 大学在学中からスチルカメラマンとして新東宝が制作したテレビ映画の宣伝用スチル写真を撮影するアルバイトを行っていた。テレビ映画はフィルムで撮影されたテレビドラマで、映画会社系の制作プロダクションの作品をこう呼んだ。大学を卒業すると、東映の子会社の東映テレビ映画株式会社に契約社員として就職。
田中 重弘(たなか しげひろ、1938年7月30日- )は… 田中 重弘(たなか しげひろ、1938年7月30日- )は、日本の文筆家、翻訳家。 和歌山県生まれ。和歌山県立和歌山工業高等学校染織科卒、上智大学文学部哲学科卒。 染色工場を経営したのち1968年からウィーン大学で哲学、文学を学ぶ。1979年からハンガリーのブダペスト在住。
宮城 能鳳(みやぎ のうほう、1938年7月30日 - )は… 宮城 能鳳(みやぎ のうほう、1938年7月30日 - )は、組踊実演家、琉球舞踊実演家。宮城本流鳳乃會家元。本名は德村正吉(とくむら まさきち)。 沖縄県出身。幼少期から琉球古典舞踊を習い、宮城能造(宮城流の流祖)に師事して組踊や琉球舞踊などを習う。1990年より沖縄県立芸術大学教授。現在名誉教授。1995年には宮城本流鳳乃會を設立した。2006年、国の重要無形文化財組踊立方保持者(人間国宝)に認定された。2019年、日本芸術院賞を受賞し、国の文化功労者となった。
千田 隼生(せんだ はやお、1938年7月30日 - 202… 千田 隼生(せんだ はやお、1938年7月30日 - 2020年4月25日)は、日本の俳優である。プロダクション・タンク、劇団銅鑼所属。岩手県出身。 東京学芸大学卒業。劇団民芸に所属していた。 2020年4月25日、肺癌のため死去。81歳没。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
堤 富男(つつみ とみお、1938年〈昭和13年〉7月29日… 堤 富男(つつみ とみお、1938年〈昭和13年〉7月29日 - )は、日本の官僚。通商産業事務次官、中小企業金融公庫総裁 三菱商事特別顧問、世界貿易センター(東京)理事長を歴任。 群馬県前橋市出身。群馬県立前橋高等学校卒業。東京大学法学部第2類(公法コース)卒業後、通商産業省入省(入省時の配属先は繊維局繊政課)。 貿易局長、生活産業局長、立地公害局長を経て、1993年(平成5年)資源エネルギー庁長官、1994年(平成6年)2月産業政策局長、同年12月に通商産業事務次官に就任。1996年(平成8年)に退官。 退官後、1998年(平成10年)に中小企業金融公庫副総裁、1999年(平成11年)から2003年(平成15年)まで中小企業金融公庫総裁を務めた。
浄弘 美津子(じょうぐ みつこ、1938年7月29日 - )… 浄弘 美津子(じょうぐ みつこ、1938年7月29日 - )は、日本の経営者。上新電機社長、会長を務めた。和歌山県出身。 1957年に和歌山県立桐蔭高等学校を卒業し、上新電機に入社。1985年11月に相談役に就任し、1986年5月に相談役を経て、1988年11月には会長に就任。1991年1月には社長も兼任し、1993年6月に相談役に就任。
関 哲夫(せき てつお、1938年(昭和13年)7月29日 … 関 哲夫(せき てつお、1938年(昭和13年)7月29日 - )は、日本の実業家。新日本製鐵副社長や商工組合中央金庫社長を歴任した。 大阪府出身。1963年、大阪大学経済学部卒業後、八幡製鐵(現・新日鐵住金)入社。経理畑を中心に歩み、2000年に新日本製鐵の代表取締役副社長に就任した。日本郵政社外取締役を経て、2008年からは商工組合中央金庫の民営化後初の社長に起用され、2013年退任した。他にサッポロホールディングス、東京金融先物取引所の社外取締役などを歴任した。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
久里 千春(くり ちはる、1938年7月29日 - )は、日… 久里 千春(くり ちはる、1938年7月29日 - )は、日本の歌手、女優。本名は山崎 慈子(旧姓 - 栗原)。東京都墨田区出身。所属事務所はイーグル・ベイ。実弟は「トリオ・ザ・パンチ」で活躍した久里みのる。 共立女子高等学校卒業。ピーギャンヴォイスと称される独特な声で知られた。 元々オペラ歌手を目指しており、藤原義江が主宰する藤原歌劇団の研究科に入団。高校卒業後は劇団青春座、新作座を経て、1958年に20歳で女優としてデビュー。デビュー作は日本テレビのCMガール。以降、映画『渡り鳥シリーズ』『男はつらいよ』やテレビドラマ『あばれはっちゃく』シリーズのほか、毎日放送・東京12チャンネル(現在のテレビ東京)共同制作のワイドショー『ファミリースタジオ230』や中部日本放送の長寿番組『天才クイズ』の初代司会者も務めた。
小笠原 日出男(おがさわら ひでお、1938年(昭和13年)… 小笠原 日出男(おがさわら ひでお、1938年(昭和13年)7月28日 - 2025年(令和7年)10月9日)は、日本の銀行家。三菱東京UFJ銀行名誉顧問、東海銀行頭取、名城大学理事長などを務めた。 高知県高知市出身。東京大学経済学部卒業。1962年に東海銀行入行。営業畑を中心に、企画、融資、資金証券など行内の幅広い分野を経験。1998年頭取に就任し、旧あさひ銀行(現りそな銀行)との統合を模索し、関西地区で強固な経営基盤を持っていた三和銀行をグループに迎え入れることを決めたが、統合の交渉は難航し、最終的にあさひ銀行が離脱。三和銀行との経営統合を実現させ、合併によるUFJ銀行の誕生では、会長を務めた。
鯉江 良二(こいえ りょうじ、1938年7月27日 - 20… 鯉江 良二(こいえ りょうじ、1938年7月27日 - 2020年8月6日)は、日本の陶芸家、現代美術家。愛知県常滑市出身。 14歳のときにアルバイトにより右手指二本の第一関節を失う。「制作に支障はないが、就職では心を傷つけられた。このハンディを背負ったことが、ぼくの今の底力になっている。」と鯉江自身が語る。タイル工場に5年間勤めた後、常滑市立陶芸研究所に入所するが、1966年に退所し独立開窯する。伝統陶芸、前衛陶芸という言葉にこだわらない作風が特徴である。「土に還る」シリーズは、衛生陶器を粉砕したシェルベンという粒状の材料を自らの顔でとった型で押し固め釉薬をかけずに焼成している。反核を題材とした「チェルノブイリシリーズ」等の代表作を持つ。
三平 晴樹(みひら はるき、1938年7月26日 - 201… 三平 晴樹(みひら はるき、1938年7月26日 - 2016年7月25日)は、秋田県出身のプロ野球選手(投手)。 秋田市立土崎中学校卒。秋田商では、エース三浦清(慶大-日本石油-大昭和製紙)の控えにとどまる。1年上に嵯峨健四郎、1年下には佐々木吉郎がいたが、在学中に甲子園には届かなかった。 高校卒業後は、社会人野球の日本鉱業日立に入団。 1957年の産業対抗野球に出場、東洋紡富田から大会新記録となる15三振を奪い一躍注目を浴びる。 1958年に大毎オリオンズに入団。1年目から一軍に上がり6月には先発として起用される。7月12日には近鉄の伊藤四郎と投げ合い初完封勝利を果たした、1960年には初の2桁勝利となる12勝を挙げ、チームのリーグ優勝に貢献、規定投球回(防御率リーグ10位)にも達する。
岡村 正(おかむら ただし、1938年7月26日 - )は、… 岡村 正(おかむら ただし、1938年7月26日 - )は、日本の経営者・財界人。東芝名誉顧問、日本商工会議所名誉会頭、NPO法人日本防災士機構評議員などを務めている。父は元陸軍大佐で孫子研究家の岡村誠之。兄は元警視庁副総監の岡村健。 東京都立戸山高等学校から東京大学に進学。大学ではラグビー部、斎藤眞ゼミにそれぞれ所属した。1962年に東京大学法学部を卒業し、東京芝浦電気(現:東芝)に入社。1973年にウィスコンシン大学経営学修士課程を修了。1994年に取締役(情報処理・制御システム事業本部長)、1996年に常務取締役となった。 2000年6月に東芝社長に就任し、肥大化して脆弱になった東芝グループの事業再編を進め、経営体質の強化を進めた。
中尾 正(なかお ただし、1938年7月26日 - )は、日… 中尾 正(なかお ただし、1938年7月26日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンターに所属した調教師。主な管理馬に、それぞれGI級競走に優勝したイブキマイカグラ、ビッグテースト、ビッグウルフなどがいる。 中尾秀正(調教師)は実子、中尾謙太郎(調教師)、中尾銑治(騎手・調教師)は実兄、宮本悳(騎手・調教師)は義兄である。京都府出身、平安高等学校卒。 1938年、京都競馬場で厩務員を務める中尾嘉蔵の三男として生まれる。 長兄・謙太郎、次兄・銑治がそれぞれ厩務員、騎手見習いとして競馬界に入ったのに対し、正は父より一般企業に入ることを望まれ、私立平安高等学校に進学した。一方で、この頃から謙太郎が所属していた武田文吾厩舎でアルバイトの厩務員として勤務を始めた。
永竹 由幸(ながたけ よしゆき、1938年7月26日 - 2… 永竹 由幸(ながたけ よしゆき、1938年7月26日 - 2012年5月9日)は、オペラ研究家、評論家、昭和音楽大学教授。 東京都中央区築地生まれ。慶應義塾中等部の頃から歌舞伎を観るほか、藤原歌劇団の練習所に通い詰める。慶應義塾高等学校演劇部に在籍し、市川猿之助作「宝島」の作曲を担当、猿之助と共に白木劇場の舞台に立つ。慶應義塾大学ではオペラ研究会を創立、慶應義塾創立100年記念に若杉弘指揮、メノッティの「電話」を演出。1961年慶應義塾大学商学部を卒業、三井物産に入社、1965年同社イタリア修業生としてボローニャ大学に留学。その後二回にわたり計11年、同社ミラノ店に勤務し、1988年退社。ANFコーポレーション、サウンド・バンク社長を歴任し、1996年退任。
福部 信敏(ふくべ のぶとし、1938年7月26日 - 20… 福部 信敏(ふくべ のぶとし、1938年7月26日 - 2006年11月1日)は、日本のギリシア美術史研究者。 横浜生まれ。1963年東京教育大学卒業、同大専攻科入学、1965年早稲田大学大学院入学、72年博士課程満期退学、跡見学園女子大学講師、助教授をへて、80年教授、1990―92年副学長を務める。2000年東京芸術大学教授、2006年退職。
浜田 康敬(はまだ やすゆき、1938年7月25日 - 20… 浜田 康敬(はまだ やすゆき、1938年7月25日 - 2025年11月16日)は、日本の歌人。短歌結社には無所属。日常の閉塞感・倦怠感を、皮肉とユーモアを交えて詠み上げた作品は、塚本邦雄らに高く評価されている。 北海道釧路市にて、真言宗の僧侶の次男として生まれる。6歳で母と死別し、父は気落ちして郷里の高知県に帰り、48歳の若さで死去。兄とともに神奈川県の母の実家に引き取られた。姉の影響で作歌を始め、相模原市の印刷所の文選工として働きながら、「童牛」「相模野」などの結社に所属した。神奈川県立湘南高等学校定時制に通っていたとき、昼間部の教師が「心の花」会員であり、学校新聞の投稿作を見ていたその教師の勧めで、1961年度の角川短歌賞に応募。
川合 隆男(かわい たかお、1938年7月25日 - )は、… 川合 隆男(かわい たかお、1938年7月25日 - )は、日本の社会学者、慶應義塾大学名誉教授。社会学博士(慶應義塾大学・1975年)(学位論文「社会的成層の研究」)。社会調査に関する史的研究や近代日本社会学史研究を行う。山形県上山市生まれ。 1957年山形県立山形工業高等学校(建築科)卒業。1961年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1966年、慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。1964年慶應義塾大学法学部助手、1967年同専任講師、1970年同助教授。同年から1年間プリンストン大学に学ぶ。1975年社会学博士(慶應義塾大学)。1977年同教授。2004年定年退職、名誉教授。
沖藤 典子(おきふじ のりこ、1938年7月24日 - )は… 沖藤 典子(おきふじ のりこ、1938年7月24日 - )は、日本のノンフィクション作家。 北海道室蘭市生まれ、池田町育ち。北海道池田高等学校、北海道大学文学部卒業。1961年に日本リサーチセンター調査研究部に入社。第二企画室長を経て1976年に退職する。1979年初の単著『女が職場を去る日』を上梓して注目され、同年ドラマ化もされた。 以後、介護問題、人生行路全般について著書多数。合田一道らとともに北海道ノンフィクション集団にて活動した。
林 紘義(はやし ひろよし、1938年7月24日 - 202… 林 紘義(はやし ひろよし、1938年7月24日 - 2021年2月10日)は、日本の政治活動家、経済学研究家。社会主義労働者党委員長、マルクス主義同志会代表を経て、労働の解放をめざす労働者党(略称・労働者党)代表委員。旧組織名・栗木伸一。 元東京女子大学教授・林道義の弟。保守派・反フェミニズムとなった兄については厳しい批判を展開している。 長野県出身。父が教師だっため転居を繰り返す。長野県伊那北高等学校卒業後、東京大学文学部入学。青木昌彦に勧誘され、19歳の時に日本共産党に入党するが半年で離党。離党理由については「お粗末な実態に愛想をつかした」と述べている。その後共産主義者同盟の一員として60年安保闘争に参加。
山口 寿一(やまぐち じゅいち、1938年7月24日 - … 山口 寿一(やまぐち じゅいち、1938年7月24日 - )は、日本の経営者。紀陽銀行頭取を務めた。 和歌山県出身。1961年に同志社大学商学部を卒業し、同年に住友銀行に入行した。1971年5月に紀陽銀行に転じ、取締役に就任し、1979年6月に常務、1981年4月に専務を経て、1990年6月に頭取に就任。1993年10月に頭取を辞任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。